猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

羽化!

2006年07月09日 06時55分54秒 | 携帯から
畑に向かう車中。
昨夜から色が変わってきていたため、念のために連れて来ていたモンシロチョウの蛹、もんたが羽化!
慌ててカメラを取り上げ、ばっちり動画の撮影に成功しました。
帰宅したらアップします。
(やりかたがわかれば)

素晴らしい瞬間を、ゴンザとともに見せていただけたことを心から感謝!
とても神聖な瞬間でした。

新しい体にとまどうもんたは今、真っ白なきよらかさに輝いています。
生まれた場所に向かう途上で羽化するなんて、きっとこの場所に帰りたかったんだね。写真は、飛び立つ瞬間を前に、ほんのりと湿った羽を乾かしている様子。

頑張れ、もんた。
ありがとう、もんた。

もうすぐお別れだけど…。
あなたは奇跡。

他の幼虫たちが次々と前蛹化の段階で寄生虫にやられていたのが判明する中。
たった1匹、生き残ったのだもの。

どうか…
飛び立ったらまた、新たな命を紡ぎ、多くの奇跡を起こすことが出来ますように。

もんたは今…
静かに旅立ちのときを待っています。

劇的変身ビフォーアフター

2006年07月08日 04時17分12秒 | 
さてさて。
5月ももう終わろうかという頃にお借りし始めた我が家の畑ですが.....。
実は当初、こんなに寂しい状態でした。




ひょろひょろっと伸びた小さなサツマイモの苗。
頼りなげな、小さななすの苗や、トマト。

「こりゃなんだ?ズッキーニじゃないな、きっと」
と言われ、ではプッチーニに違いないと自分で信じ込んでしまったズッキーニの、わずか15cmほどの苗に.....
2本だてにするのだという事も知らずに植えた、枝豆の苗。
手前には一応は支柱を立てた、小さなゴーヤのつるもご覧いただけるかと思います。

私。
本音をいえば、先行き不安でしたね。
こんなんで本当に収穫出来んのか!?と。
こいつら本当によそ様の畑と同じように育ってくれるのか!?と。
最初の1週間ほどは、ほとんど変化を見せない作物たちに、焦りを感じておりました。

がっ。
いざ梅雨が始まり、その間にも、種を播いたり、雑草をとったり、色々忙しくしていると.....。

わっさ~っっと、皆伸び、勢いを増してまいりました。
今じゃもうこんなです。



まるでジャングル(笑)

かぼちゃやゴーヤはアホみたいに伸び、なすやトマトは
「お前は木かっ!?」
と、突っ込んでやりたいくらいに太く丈夫に育ち、プッチーニ疑惑のあったズッキーニもついに収穫。
ゲリラ的にこそこそ隠れて成長していたらしい彼ら。
今ではこんなことになってます。



15cmがなんと今や50cmの株に。
げに恐ろしき成長ぶり。
もう、葉の茎を手でちぎろうとしても、無理な状態です。
めちゃめちゃ丈夫です。

脇芽を摘んだついでに挿し木したトマトはいとも簡単に根付き、無限に増殖しそうな勢い。

無農薬の我が家の畑では、虫たちがせっせと受粉を手伝ってくれ、いつの間にやら大豊作の予感です。
今では、植えたものの種類も増え、
サツマイモ、かぼちゃ、なす、トマト(プチ、中玉)、枝豆、サトイモ、オクラ、ゴーヤ、スティックブロッコリ、春菊、ラディッシュ、小松菜、トウモロコシ、ネギ、ブルーベリー、シークワァーサー、おまけに勝手に生えていたニラまであります。

まだまだスペースは埋まっていないのに(笑)

さーて。
次は何を植えようか。

近々、ハーブコーナーも作ろうかと思っています。

ずっと赤ちゃん

2006年07月06日 21時40分44秒 | 猫たち
え~、こんばんは。
皆さん。
毎度おなじみちゃあこでございます。

いやいや、高い位置からで失礼。
何せワタクシ。
erimaに甘えんぼ、抱っこでよしよしの真っ最中でございまして.....。

実はワタクシには日に数度、こういった時間が必要なのでございます。

これはですね。
もう、2~3分で気が済むときもありますし、30分経とうが満足出来ないときもございます。
その間、erimaはひたすらこうして、ワタクシの背中をトントン叩いて、体を左右に揺らし、あやし続けるわけですが、これはもう、ワタクシの意志ではどうにもならない、湧き上がる感情でございますから、erimaの
「腰が痛い」
だの、
「どこにも行ったりしないから大丈夫」
なんて言い分は、ワタクシ、聞く耳を持つ気もないのでございます。

ですから、erimaがこの甘えてる最中のワタクシを下に降ろそうものならですね、ワタクシはしつこく
「キャッキャッ」
と言いながら追いかけ、背を伸ばして2本足立ちで抱っこをせがみ、それでも聞いてもらえないときは、最終手段兼腹いせとして、ヤツの足を噛んで逃げることにしておるんでございます。

ええ、ワタクシを無視するなんて許せませんからね。
もういい気味で。

皆さんそう思いません?

だってねぇ。
15年もこうして抱っこをしてきたんでございますよ。
erimaは
「なんか、夜泣きする赤ちゃんをあやしてる気分」
なんて言いますが、いまさらこの習慣を改められるわけないじゃございませんか。

ええ。
もちろんワタクシ。
これからもずっと赤ちゃんのままでいるつもりでございますよ。
なんだかんだ言って、erimaだってこの抱っこタイムがなきゃ、絶対寂しがるはずなんでございますから。

ねっ。
皆さん、そう思うでしょう?

畑の野菜が化けたのは

2006年07月05日 22時21分24秒 | 美味しいもの
先日収穫した我が家の自家製野菜。
実は当日、こんなお料理の数々に変身を遂げていました。

収穫後。
気圧の変化からか、急激に体調不良を感じた私が帰宅後、倒れこむように寝てしまったあと.....
心優しいゴンザが心をこめて作ってくれたごちそうの数々。

冷たいトマトとなすのパスタ、なすと生ハム・大根のミルフィーユ仕立て(クランベリーソース)、大根とホタテ貝柱のマヨサラダ、マグロのカマのロースト(トマトソース).....

どれもみな、とっても美味しく、とりたてのなすはずっしりと重くジューシィ。
味も見た目も、私が作る料理よりずっとずっと素晴らしくって、テーブル前に座っただけで、これらのお料理を並べてもらえた私は、す~っかりお姫様気分♪

なのに。
ゴンザがせっせとお料理に精出す間、私はただ寝てただけ。
普段もぐうたらしてるだけ。
.....ごめんねゴンザ。

でも。

ああ~。
私って、やっぱりやっぱり幸せ者だわ~♪

生きることの罪と逞しさ    - 画像注意! -  

2006年07月04日 22時06分47秒 | 育てちゃったよ....
ええ。
本日は画像に注意です。
あまりに衝撃的なため、虫が苦手な方は大きくしないで下さい。
また、虫が好きな方にも、ちょっと心してから開いていただきたい。
私は今日、驚くべき光景を目にしました。

それは夕刻のこと。
現在育てているモンシロチョウの幼虫を何気なく観察し始めたときに目に飛び込んできたのでした。
数日前、蛹になった幼虫の向かい側に陣取って、前蛹化した幼虫の上で.....。

その幼虫は、前蛹化してからまる一日以上経ったにも関わらず、まったく動きを見せず、
「どうしたのだろう?」
と、心配はしていたのです。
本来なら、すでに体を震わせ、蛹への変化を見せているはずなのに.....何の変化もない。
私は注意深く、その幼虫を覗きこみました。

と、何かがうごめくのが目に入り、アゲハのときに続いて、今回も蛹化の現場に立ち会えたのかと一瞬感激しかけました。

しかし、何かがおかしい。
私は飼育箱の蓋を取り外し、明るい場所で、その幼虫を観察することにしました。
すると.....。
なんと驚いたことに、前蛹化した幼虫の両脇に、小さい小さい3ミリほどの幼虫がいる!?
「なんだろう.....新しくまた、葉に付いた卵が孵化したのかな」
はじめはそう考えました。
しかし、激しく動くその小さな2匹の幼虫は、しきりに糸を出し、繭を作る作業を続けていて。
モンシロチョウの幼虫は繭など作らないから、これは違う虫.....。
私は嫌な予感に駆られながら、その小さい虫からモンシロチョウの幼虫を守るべく、彼らを除去し、ゴミ箱へと捨てました。
そして、PCの前に座ってキーボードを叩く作業に没頭したのです。

30分ほどして。
私は再び飼育箱の蓋裏を見ました。
と、なんと、先ほど小さな虫を除去したはずの場所で、またもや何かがうごめいている。
私は再度蓋をはずし、じっとその場所を見つめました。
するとそこには.....。
体を食い破られ前蛹化したまま動かないモンシロチョウの幼虫がいて、次々とその体から、先ほどと同じ小さな虫が出てくるのです。
その光景はあまりに凄まじく、生きるという事が.....
自然界で生き抜くことがどういうことなのかということを如実に、残酷に物語っていました。

その小さな虫の正体はアオムシコマユバチの幼虫。
親虫が蝶の幼虫に産みつけた卵が、宿主の前蛹化を待って、孵化するのだということが後にわかりました。
蝶の幼虫は、鳥に襲われなかったとしても、寄生され、生きぬける者はごく僅か。
自然はそんなに生易しいものではなかったのです。

私は昨日、モンシロチョウの幼虫は小さくてちょっと物足りないようなことを言いました。
飼育箱なら鳥に狙われないから、安心して蝶になって、とも。

しかし、小さな虫たちにとって、敵は鳥だけではなく、生きぬき、無事に子孫を残すことは奇跡にも近い業なのですね。
私はあまりに甘すぎた。
自分で育てている幼虫を、小さな虫に食われてしまったことに腹をたてるなど傲慢すぎる。
彼らとて、生きぬくために、子孫を残すために必死なのだから。

思えば。
私たち人間は毎日、殺し、食べています。
植物の、動物の命の上に成り立たせてもらっている存在なのだから。

小さな虫が、食べるぶんだけ殺すのとは比較にならないくらいに殺し、食べ、捨て、生きている私たち。
この光景を<衝撃的>などという資格は、我々にはないのでしょう。
直接手を下さないだけで、毎日殺している我々には。

最初に見つけた2匹の小さな虫を捨てたことを思い出し、生きてゆくための罪とは違う罪に立ち止まる。

薔薇の汁を吸うからとアブラムシを殺し、血を吸われると痒いからと蚊をこともなげに叩き潰す。
アリが部屋に入ってくるからと巣ごと殲滅する薬を置き、不潔だからとハエを叩き殺す。
もちろん、病気の媒介や、身体的被害を思えば、これは必要なのだけど、我々はあまりにも無意識にそれらの行為をしているような気がする。
一寸の虫にも五分の魂というが、私にとって、この体を食い破られたモンシロチョウの幼虫と、寄生した小さな虫の違いはいったいなんだろう。
今まで退治と称して殺した虫たちとの違いはなんだろう。

今現在。
我が家にいる残り4匹の幼虫のうち(1匹は蛹)、何匹が無事蝶になることが出来るかはわからないけれど.....。
生きていることはそれだけで奇跡。
それは常に奇跡を成し遂げることなく、犠牲となった命の上に成り立っている。

無事に幼虫期を生きぬき、蝶になった者を見送る時。
私は何を思うのでしょう。

モンシロチョウの幼虫から飛び出て、繭の中で眠るもうひとつの神秘を眺め、そう考えずにはいられません。