来年4月に娘が結婚します。
我が家には子供が二人いて、長男は社会人になって4年経って結婚しましたので、
それからの長い間、娘と3人の家族で生きてきました。
結婚が決まり、いろいろ準備をしているところですが、
昨日から娘の歴史を写真で残そうと思い、今までの家族写真を整理しました。
最初は、やはりこの写真です。
私に支えられて 沐浴中の娘です。
男の子の次に女の子が生まれて、幸せだった気持ちが思い出されました。
今までそのままにしていて見ることもなかった昔の写真を、次から次へとアルバムから見つけて
「可愛い!」とか「こんなだったわ」とか、一人騒ぎながら新しいアルバムを作っていきました。
最近のものまで整理し、今日は、それが完成しました。
これを結婚のはなむけとして娘に贈ろうと思っています。
娘は高校の時 夫の妹が暮らしているイギリスに留学しました。
日本人が誰もいない私立の学校で寮生活をして高校を終えました。
近くに叔母がいるとはいえ、言葉もわからず、生活習慣も違う国で、心細い毎日だったと思います。
イギリスの教育制度など、何一つ知らなかった私たち両親は、
イギリスでは中学卒業の検定試験を受けること、規定の基準に満たなければ、高校へ進学できず、
専門学校へと進学することなどに驚きました。
たとえ高校へ進学できても判定で決められた学問しか勉強できないこと、それは大学の進級までつながっていることなど
驚くことばかりでした。
いえ、私たちより、本人の娘が驚いたことだったと思います。
まず、高校生になっているのに、中学に戻され、資格試験の勉強をさせられました。
その結果は、見事 高校進学が決まりましたが、夜も眠らず、寮の図書館で勉強をして
「日本人は こんなに勉強するのか!」と驚かれたとか。
おそらく英英辞典(英和ではありません)を全部暗記しただろうと思われます。
でも、本人の希望していた『地理』を専攻することはできなく、『数学』専攻にされてしまいました。
確かに、日本にいた時も数学はできましたが、専攻したいほどではなく、
しかも数学の原点『Father Mathematics』となれば、退屈この上ないはずです。
それでも娘は不屈の精神で頑張ったようです。これは褒めたい
ですが、この専攻教科は、そのまま大学へと続くそうで、
さすがに「日本の大学へ入りたい」と言ってきました。
中学の卒業試験で、これからのすべてが決まってしまう、これは可能性に限りがあるということです。
夢も希望もないという言葉がこれほど当てはまることはないと思いました。
日本に帰ってきた娘は可哀想なほど挫折感に満ちていました。
でも、日本の大学で、他の外国語も身につけて、現在は日本語を含めて3か国語を流暢に話します。
翻訳家という仕事を得て、留学は無駄ではなかったということなんですが、
仕事柄、男性と知り合う機会は少なく、ずっと独り身を続けていました。
それが、東日本大震災に逢い、出先きで家に連絡もつかず「この世で独りぼっちになったかも」と
帰宅難民になり、トボトボ歩いて帰る途中(7時間も)涙が止まらなかったと言います。
その気持ちが「一人ぼっちは嫌だ、結婚しよう」ということにつながりました。
今年39歳にもなってしまい、「結婚相手は見つからないよ」と思っていましたが、
天は味方してくれているのか、春に、私の友人の紹介で、これ以上相応しい人はいないという方に出会いました。
相手の方は、地図の好きな鉄道ファンの人で、それが女性に理解されずに、今まで一人でいた45歳、
地理も地図も鉄道も大好きな娘に、これほど相応しい人はいるでしょうか。
この遅い結婚に、私たちは狂喜せんばかりに喜んでいます。
二人で楽しい思い出をいっぱい作って、このアルバムを超えるような時間を過ごしてほしいと思っています。