夏から考えていた故郷へ このたび行ってまいりました。
かねてから、夫が「あなたが育った故郷を見たい」と言っておりました。
私は、「いずれ積丹(しゃこたん)に住むんだ」という気持ちを持っていて、
両者の気持ちを合わせて、11月4日から北海道へ行っていました。
飛行機から眺めた下左は青森県竜飛岬、翼の下は北海道函館です
11月4日の札幌は20℃という暑さでびっくりでした。
まずは、お決まりの札幌で大通り公園のテレビ塔を見上げパチリ。
この夜は札幌赴任中の息子とお食事しました。
場所はサッポロビール園。イルミネーションがきれいでした。
サッポロビールとジンギスカンで乾杯!
ジンギスカンもいろいろな味があるのだなぁと、感嘆しながら食べまくりました。
翌日(5日)は会社を休んで車を出してくれた息子と夫と3人で積丹半島へいきました。
ところが・・・です。
すんごい強風! しかも・・
この季節、半島へのトンネルはメンテナンスで閉鎖
トンネルを通らずに山を越えていく人もいましたが、年齢的に断念しました。
そのまま、車は半島のもっと先っちょの神威岬へと向かいました。
突端へ行く石碑の地図があり、もちろん突端へ行くつもりでした。
ところが、車を降りたとたん、私は吹っ飛ばされました
こりゃぁダメだ、と思いましたが、3人で手をつなぎ、飛ばされないように上っていきましたが、
石碑地図の上から2番目の白い部分にゲートがあり、そこには無慈悲にも『進入禁止』の札が・・・
そこから写した写真がこれです
こんなところを歩いたら、強風に煽られて海中に落下しますよ。
もうちょっと右寄りで写した積丹ブルーの美しさ
やっぱり、あの先には行けないよなぁと・・・
相変わらず写真は下手ですが、目に焼き付いた景色は永遠に不滅です
そのあと、近くのお店で食べた昼食は〈アワビ3種の食べ比べ〉というメニュー。
焼きアワビ、アワビの刺身、アワビのバター焼きの3種の定食です
車は余市へと動きますが、車中でも感じる強風。車がブレました。
「こんな所に住みたいの?」と息子。
「う~ん、ちょっと考えなおそうかな~」と私。
そうこうしているうちに余市に到着。
ここではNIKKAの工場を見学しました。
竹鶴のマッサンで有名になりました
ウヰスキーが寝てました
展示室
NIKKAの工場では、一般に市販されていないという有料試飲の〈竹鶴21年〉という
高いシングルモルトを飲みました。15mmで500円でした。もちろんストレートですよ。
のどを通るときはカッと熱く、体に染み渡ったときはフワッと広がり、やがて体が軽くなるような
心地よい味でした。
一般の無料試飲会場では何種かのウヰスキーを飲みましたが、
ストレートで飲むウヰスキーは、もちろんおいしかったのですが、窓から見える景色に見とれました。
白樺が葉を落とし、一面茶色の世界に青空が広がり、
私の心は「住むのは余市にしようかな」に移りつつありました。
夫の話によると「スコットランドの景色に似てる」そうです。私は行ったことがないので「そう・・」と。
一路、札幌へ、その夜は3人でお寿司を食べました。
その後、私たちが泊まっているホテルのバーで3人でお酒を飲みました。
考えてみたら、今まで 息子とそういう時間を持ったことがありませんでした。
息子は、母親が強いウヰスキーを飲んでも平気だし、ホテルではベルモット・ドライなどという
おしゃれなお酒を飲んでいるのを見て「ふ~ん」とか「へー」とか感心していました。
さて、翌日6日は私の生まれ育った場所へ行きました。
駅舎が建て替わったという話は聞いていましたが、こんな風になっているとは・・
駅舎です 変わりすぎです
私の幼稚園『天使幼稚園』はカソリック教会にありました。
私の幼稚園とはほど遠くなっていました
ここも建て替わっていました・・・
裏のピンク色の建物が現在の幼稚園です。
高校は私が入る1年前に建て替わったので、そのままでしたが、
中学はモダンな校舎になっていて、ただただ口をあんぐりするばかりでした。
33年前に行ったときは、昔の面影がありました。
同級生もいましたが、いまは表札も変わり、歩いている人たちも知らぬ顔ばかり。
小さい時によく遊んでいた農業高校の牛舎やヤギ舎などは立ち入ることはできず、
もちろん、生まれて住んでいた家もなく、隣近所も知らない名前ばかり。
よくかよったテニスコートがまだ残っていましたが、風景がかわってしまい、
私にとっては見知らぬ土地のようでした。
高校を卒業して50年、東京の大学へ進学して、就職して、結婚して、
母もその間、札幌の住人になってしまったんですから
行かなくて当然、変わって当然ですが、まるで別の土地になってしまった様子に
私は自分の過去が無くなってしまったような悲しい気持ちになりました。
これはイチイという木です。
私の家の玄関の前にはこの木があり、私たちは〝オンコの木”と呼んでいました。
真っ赤な柔らかい実がなり、よく食べていました。
この写真は林の中にあったものを写しましたが、口に含んで昔の記憶に浸りました。甘かった。
私の家は”コブシのあるお屋敷”と呼ばれていて、立派なコブシの木が道に沿ってありました。
そのコブシの木が、家の跡にまだあったのが不思議で懐かしかったです。
故郷を去るとき、駅のホームにあった像です。
これは≪ばんえい競馬≫の馬の像です
≪ばんえい競馬≫いまは帯広でしかやっていません。
でも、私の故郷が、発祥の地です。それを記念しているのでしょう。
農閑期に畑の馬に馬そりをつなぎ、重い荷物を載せて砂地を走らせて競争する・・・
歯をむき出し、太腿の血管が浮き出て、とても可哀想な馬たちを覚えています。
この像を「可哀想に・・がんばったね」と言って撫でてやりました。
この夜は小樽に移動し、駅前の三角市場にある滝波食堂で海鮮丼ぶりを食べました。
しじみ汁とともに ビールは小樽ビールです
夜はホテルの最上階のバーで海を眺めながら夫と二人で過ごしました。
暗い海にフェリーの灯りやイカ釣りの漁船の灯が見えてロマンチックでした。
7日は小樽の散策です。
港近くから眺める天狗山
ロープウエイで登り、山から海と市内を眺めたかったんですが、11月3日で終わっていました。
この後、スキー場の準備が始まります。
小樽から眺める石狩湾
この先にずーっと日本海が続きます。
冬の日本海が見たかったんだ。
この日の小樽は、気温6℃、風がなくて何よりでしたが、冷たい気温は耳が冷たくて
久しぶりで北海道の初冬を感じていました。
小樽では今人気の運河やガラス工房など見てぶらぶらしました。
大正硝子館で透明な中にスノーマンがちょこんといるガラスを買いました。
そして驚いたこと
15~6年前に知り合った染色家の工房を発見したのです。
そう言えば、小樽だったと思い出しましたが、大正硝子館の向かい側にあったのです。
彼女は山形に出張中、でも顔見知りのお弟子さんと談笑して帰ってきました。
東京の私が小樽にいることに驚いていました。
彼女は東京で毎年作品展をしていて、染めた糸を売っているのですが、
そこで買った糸でずいぶん織っています。
さて、中断していた染めた糸を織らねばなりません。
今日までお休み、明日から始めます。
息子と遊んだ楽しい時間、失った故郷、でも忘れられない積丹ブルーの海の美しさ・・・・