※本日、大阪市教育振興基本計画(素案)に対するパブリックコメントは締め切られました。
私たちが、いつもお世話になっている住友剛(京都精華大学人文学部教員)さんもコメントを送られたとのことです。
ブログ「できることを、できる人が、できるかたちで」から転載させていただきます。シリーズ3編の第1弾です。
http://tsuyokun.blog.ocn.ne.jp/seisyonenkaikan/2013/01/post_50a5.html
2013/01/04
大阪市教育振興基本計画の改訂素案に対するコメント(1)
新しい年を迎えました。今年もよろしくお願いします。
さて、今日1月4日(金)締切りの形で、大阪市教育振興基本計画の改訂素案に対するパブリックコメント募集が行われました。詳しくはこちらを見てください。
http://www.city.osaka.lg.jp/templates/jorei_boshu/kyoiku/0000194120
この改訂素案に対して「何も言わないままじゃいけないだろう」と思ったので、ひとまず第2章についてのみ、思いついたことを今日、書きなぐるような形で書いて、メールで送りました。以下の内容は、その書いた内容をフェイスブックにアップしたものを、こちらにも転載したものです。「その1」から「その2」「その3」まで分けて書いたので、3つにわけて今日から掲載します。今日は「その1」です。なお、実際に送ってしまったあとで誤字脱字などに気づき、文言を訂正したところがあります。実際に送ったコメントとは若干言葉がちがいますが、趣旨はほぼ同じだと思ってください。
○第2章「教育改革の推進」について
(1)子どもの権利条約の視点はどこへ???
「基本となる考え方」に「一人一人の子どもを、個人としての尊厳を重んじ、その意見を尊重する」「自由と規範意識、権利と義務を重んじ」と書く以上は、その前提として、大阪市内の子どもたちすべてに対して、「子どもの権利条約(児童の権利に関する条約)」の理念や条約の概要を周知させるべきです。
また、その条約の理念や概要は、子どもだけでなく、保護者や学校の教職員及び学校に関わる他の職種の人たち(スクールカウンセラー・スクールソーシャルワーカー)、さらには教育行政や社会教育・生涯学習関連の仕事に従事する人々にも、周知させるべきです。 ところが、この教育振興基本計画(改訂素案)については、そのような視点が全くといっていいほど見られません。
これでは、「子どもの権利条約」というグローバルな視点に立つ国際条約をふまえた大阪市の教育振興基本計画として、不適切な内容だと言えるでしょう。その点をとっても、この改訂素案をつくった人々の見識を疑います。
(2)「教育振興基本計画」は「子どもの学校教育」だけのものか??
そもそも、今回の基本計画改定の前提になっている「教育行政基本条例」では、家庭教育の振興や社会教育・生涯教育の振興に関する市教委の施策等についても定めています。だとすれば、当然ながらこの「教育振興基本計画(改訂素案)」においても、その「めざすべき目標像」や「基本となる考え方」には、学校教育及び子どもに関することだけでなく、社会教育・生涯学習の領域をふまえた理念を書く必要があるのではないでしょうか。
今の改訂素案の「目指すべき目標像」や「基本となる考え方」では、まるで「教育振興基本計画」は「子どもの学校教育のため」だけのものであり、この素案での社会教育・生涯学習関連施策は「おまけ」のような印象を受けますが、いかがでしょうか。
また、家庭教育の振興も、今の改訂素案では、たとえば学校・家庭・地域の連携など、まるで「学校教育の下請けのため」にやっていくかのような印象を受けます。もちろん、これは教育行政基本条例の趣旨を受けてのことかと思いますが、しかし、そもそも家庭教育の振興というのは、そういう「学校教育の下請け」目的で取り組むものなのでしょうか?? もしも「いい」とおっしゃるのであれば、この改訂素案を作った人々の見識を疑います。
なお、このことに関連して言うならば、そもそもこの基本計画改定の前提になっている諸条件のうち、大阪市の「市政改革プラン」で数多くの公共施設の統廃合、子育て関連施策の縮小などが提案されています。そのことによって、大阪市の社会教育・生涯学習や家庭教育振興関連の施策が大幅に後退するのではないかと私は危惧します。だとすれば、この改訂素案は、教育行政基本条例の趣旨に沿って、その後退に歯止めをかけるものでなければいけないはずです。そこを容認して振興計画を作るというのは、いったい、どういう見識なのか。この改訂素案を作った人々には「もう一度、条例から読み直せ」と言いたいです。こういう「市政改革プラン」を容認するような振興計画では、とてもではないですが、「学校教育の下請け」的な家庭・地域との連携ですら危ういのではないですか。