「君が代」不起立減給処分取消訴訟判決を前に
はじめに
2014年1月20日、大阪府を相手取り提訴した裁判は、いよいよ本日、7月6日判決が出ます。ここに至るまでを今一度振り返り、判決後の私たちのさらなる運動に活かしていきたいと思います。
(1) 「君が代」問題とは!?
私たちの先輩教師、つまり戦争を経験し戦後の日本国憲法のもとで教師となった人々は一つの誓いを立てました。それは、「教え子を二度と戦場に送らない」という誓いです。————これは、かつて学校が子どもたちに「愛国心」を教え、戦争に駆り立てた痛恨の極みから生まれた言葉です。
そして、その言葉は、戦後生まれの教師にも受け継がれてきました。思うに、戦後社会には、「日の丸」「君が代」を巡って2つの大きな流れがあったように思います。1つは為政者を中心に、学校で「日の丸」を掲げ「君が代」を歌い、多くの国民の「愛国心」を養おうとする勢力、もう1つは、それに対し教師たちを中心に学校を「愛国心」教育の場としてはいけないという意思のもと、「日の丸」「君が代」を学校に持ち込むことに反対した、いわば教育への介入に抵抗した勢力です。
戦争の記憶が遠のくにつれ、次第に学校への「日の丸」「君が代」の強制は強まって来ました。「たかがウタ・ハタ」のことですが、戦時の教育を見れば、それらがいかに直接的に身体に訴える力を持つか、おそらくウタ・ハタがなければあそこまで戦争への士気が昂まることはなかったのではないかと思えるほどです。そう考えると、やはり、「されどウタ・ハタ」です。それに歴史認識や教科書問題ともあいまって、多くの教師は、学校へ「日の丸」「君が代」を持ち込むことには一貫して反対してきました。
ところが、オリンピックやワールドカップを通して、国民の中にも、ある種の一体感を持つ日本の象徴として「日の丸」「君が代」を学校でも執り行うべきと思う人も増えて来ました。
1985年当時の文部省は、各都道府県に学校で「日の丸」「君が代」の実施を徹底せよという趣旨の通知を出しました。以降、全国的に学校へ「日の丸」「君が代」が入っていきました。文部省から都道府県へ、そして教育委員会から校長へ、実施を促す指導は年々厳しくなっていき、とうとう1999年、卒業式の前日に広島県世羅高校校長が自死しました。そのうえ、あろうことか政府は自死の原因を「日の丸」を国旗、「君が代」を国歌と言う定めがないこととし、その夏、あれよあれよと言う間に国旗国歌法を成立させました。しかし、この時でさえ、いわゆる尊重規定はなかったのです。
2003年には、石原慎太郎都政において、「君が代」起立斉唱の職務命令が出され、それに抵抗する教師たちを次々と処分していきました。そしてその処分を不当として、次々と処分取消裁判も提訴されました。
(2) 大阪の異常な状況
その頃大阪はそこまでの強制はまだありませんでした。「君が代」が卒業式や入学式の式次第に入れられてしまったにせよ、多くの教師は「不起立」でそれに抵抗して来ました。また、教育委員会も、「君が代」起立斉唱は職務命令には馴染まない問題であると言う、それまでの主張を保持していました。
それが一変したのが、橋下徹と大阪維新の会の登場でした。2010年、大阪で初めて「君が代」不起立懲戒処分が出ました。「君が代」斉唱時に立たない、歌わないと言うだけで処分されたわけですが、それにとどまらず、橋下大阪維新の会は「君が代」を歌わない教師はクビにすると豪語し、2011年6月には、全国でも例を見ない「君が代」強制条例を制定し、翌年には、その処分条例とも言える職員基本条例まで制定しました。以降、大阪では、3度の不起立で原則クビ!と言う恫喝が絶えず教師たちを圧迫することになりました。
(3) 本裁判の意義
そのような条例のもと、2012卒業式から大阪でも「君が代」不起立大量処分が始まりました。処分を受けた大阪の小学校、中学校、高校、支援学校の教師が大阪府人事委員会に処分の不当性を訴えました。所属組合も違えば、組合には未加入の教師もいました。そして憲法に違反するそのような条例のもとで行われた処分は不当と訴えたのが本裁判です。
なぜ、最初に受けた戒告処分ではなく、2度目の減給処分取消を先に訴えたかと言うと、それは「勝てる」裁判、勝って当然の裁判であるからです。これまでの「君が代」裁判の判決では、「君が代」起立斉唱の職務命令は合憲と判断されています。しかし、問題の性質上、最高裁判所は2012年1月「君が代」不起立累積加重処分を戒め、根津公子さんを除き、それまでの減給処分以上の懲戒処分を全て取り消したのです。そして、まだ記憶に新しいところですが、本年5月30日、最高裁判所は根津公子さんの6ヶ月停職処分の取消が確定しました。本裁判が求める「君が代」減給処分取消は最高裁判断から考えても当然です。
しかし、昨年12月先行する奥野泰孝さんが提訴した同じ減給処分取消は認められませんでした。大阪において、減給処分取消を認めさせることは、取りも直さず裁判官に大阪「君が代条例」「職員基本条例」の司法判断を求めることになります。行政訴訟が難しいと言われるのはまさにこの点です。しかし、それにひるむことはまったくありません。それはどう考えても論理上も倫理上も本裁判は勝訴しかないと確信するからです。
もしも、敗訴であれば、すぐさま控訴の準備に入ります。どうか、みなさまも、大阪地方裁判所内藤裕之裁判長がどのような判決を出すか注視していただきたいと思います。
そして、幼稚園から大学までこれほど「君が代」が強制されるのはなぜなのか、オリンピック選手がなぜ「君が代」を歌えと強制されるのか、その先にはどんな教育、そしてどんな未来があるのかともに考えてください。
(4) 今後の課題
私たちは、「君が代」強制によるすべての処分は不当だと考えています。昨年7月9日、7名の共同訴訟として、戒告処分の取消を訴えました。憲法で保障されている市民の権利を侵害する条例は、大阪にあってはならないはずです。
また、2012年制定された大阪府教育条例から5年目に入りました。「君が代」強制が学校、教師、子どもらにどのような影響があったか、また府立学校統廃合問題等条例が引き起こした問題を一つひとつ検証する必要を感じています。
教育は、常に古くて新しい問題、そして極めて重大かつ深刻な問題です。政府が戦争に向かってはっきりと舵を取った今、教育は危機的状況にあります。
「教え子を2度と再び戦場に送らない」と言う誓いを今一度取り戻し、若いママさんの運動から生まれた、「誰の子どもも殺させない」と言う決意をともに胸にし、危険な時代の渦を見極め、流されずに生きたいものです。
私たちの運動は、今後もあらゆる人たちと繋がり合いながら進めて行きたいと思います。支援と連帯をお願いするとともに呼びかけ、この拙文を結ぶこととします。
2016年7月6日
「教育基本条例下の辻谷処分を撤回させるネットワーク」 原告 辻谷博子
はじめに
2014年1月20日、大阪府を相手取り提訴した裁判は、いよいよ本日、7月6日判決が出ます。ここに至るまでを今一度振り返り、判決後の私たちのさらなる運動に活かしていきたいと思います。
(1) 「君が代」問題とは!?
私たちの先輩教師、つまり戦争を経験し戦後の日本国憲法のもとで教師となった人々は一つの誓いを立てました。それは、「教え子を二度と戦場に送らない」という誓いです。————これは、かつて学校が子どもたちに「愛国心」を教え、戦争に駆り立てた痛恨の極みから生まれた言葉です。
そして、その言葉は、戦後生まれの教師にも受け継がれてきました。思うに、戦後社会には、「日の丸」「君が代」を巡って2つの大きな流れがあったように思います。1つは為政者を中心に、学校で「日の丸」を掲げ「君が代」を歌い、多くの国民の「愛国心」を養おうとする勢力、もう1つは、それに対し教師たちを中心に学校を「愛国心」教育の場としてはいけないという意思のもと、「日の丸」「君が代」を学校に持ち込むことに反対した、いわば教育への介入に抵抗した勢力です。
戦争の記憶が遠のくにつれ、次第に学校への「日の丸」「君が代」の強制は強まって来ました。「たかがウタ・ハタ」のことですが、戦時の教育を見れば、それらがいかに直接的に身体に訴える力を持つか、おそらくウタ・ハタがなければあそこまで戦争への士気が昂まることはなかったのではないかと思えるほどです。そう考えると、やはり、「されどウタ・ハタ」です。それに歴史認識や教科書問題ともあいまって、多くの教師は、学校へ「日の丸」「君が代」を持ち込むことには一貫して反対してきました。
ところが、オリンピックやワールドカップを通して、国民の中にも、ある種の一体感を持つ日本の象徴として「日の丸」「君が代」を学校でも執り行うべきと思う人も増えて来ました。
1985年当時の文部省は、各都道府県に学校で「日の丸」「君が代」の実施を徹底せよという趣旨の通知を出しました。以降、全国的に学校へ「日の丸」「君が代」が入っていきました。文部省から都道府県へ、そして教育委員会から校長へ、実施を促す指導は年々厳しくなっていき、とうとう1999年、卒業式の前日に広島県世羅高校校長が自死しました。そのうえ、あろうことか政府は自死の原因を「日の丸」を国旗、「君が代」を国歌と言う定めがないこととし、その夏、あれよあれよと言う間に国旗国歌法を成立させました。しかし、この時でさえ、いわゆる尊重規定はなかったのです。
2003年には、石原慎太郎都政において、「君が代」起立斉唱の職務命令が出され、それに抵抗する教師たちを次々と処分していきました。そしてその処分を不当として、次々と処分取消裁判も提訴されました。
(2) 大阪の異常な状況
その頃大阪はそこまでの強制はまだありませんでした。「君が代」が卒業式や入学式の式次第に入れられてしまったにせよ、多くの教師は「不起立」でそれに抵抗して来ました。また、教育委員会も、「君が代」起立斉唱は職務命令には馴染まない問題であると言う、それまでの主張を保持していました。
それが一変したのが、橋下徹と大阪維新の会の登場でした。2010年、大阪で初めて「君が代」不起立懲戒処分が出ました。「君が代」斉唱時に立たない、歌わないと言うだけで処分されたわけですが、それにとどまらず、橋下大阪維新の会は「君が代」を歌わない教師はクビにすると豪語し、2011年6月には、全国でも例を見ない「君が代」強制条例を制定し、翌年には、その処分条例とも言える職員基本条例まで制定しました。以降、大阪では、3度の不起立で原則クビ!と言う恫喝が絶えず教師たちを圧迫することになりました。
(3) 本裁判の意義
そのような条例のもと、2012卒業式から大阪でも「君が代」不起立大量処分が始まりました。処分を受けた大阪の小学校、中学校、高校、支援学校の教師が大阪府人事委員会に処分の不当性を訴えました。所属組合も違えば、組合には未加入の教師もいました。そして憲法に違反するそのような条例のもとで行われた処分は不当と訴えたのが本裁判です。
なぜ、最初に受けた戒告処分ではなく、2度目の減給処分取消を先に訴えたかと言うと、それは「勝てる」裁判、勝って当然の裁判であるからです。これまでの「君が代」裁判の判決では、「君が代」起立斉唱の職務命令は合憲と判断されています。しかし、問題の性質上、最高裁判所は2012年1月「君が代」不起立累積加重処分を戒め、根津公子さんを除き、それまでの減給処分以上の懲戒処分を全て取り消したのです。そして、まだ記憶に新しいところですが、本年5月30日、最高裁判所は根津公子さんの6ヶ月停職処分の取消が確定しました。本裁判が求める「君が代」減給処分取消は最高裁判断から考えても当然です。
しかし、昨年12月先行する奥野泰孝さんが提訴した同じ減給処分取消は認められませんでした。大阪において、減給処分取消を認めさせることは、取りも直さず裁判官に大阪「君が代条例」「職員基本条例」の司法判断を求めることになります。行政訴訟が難しいと言われるのはまさにこの点です。しかし、それにひるむことはまったくありません。それはどう考えても論理上も倫理上も本裁判は勝訴しかないと確信するからです。
もしも、敗訴であれば、すぐさま控訴の準備に入ります。どうか、みなさまも、大阪地方裁判所内藤裕之裁判長がどのような判決を出すか注視していただきたいと思います。
そして、幼稚園から大学までこれほど「君が代」が強制されるのはなぜなのか、オリンピック選手がなぜ「君が代」を歌えと強制されるのか、その先にはどんな教育、そしてどんな未来があるのかともに考えてください。
(4) 今後の課題
私たちは、「君が代」強制によるすべての処分は不当だと考えています。昨年7月9日、7名の共同訴訟として、戒告処分の取消を訴えました。憲法で保障されている市民の権利を侵害する条例は、大阪にあってはならないはずです。
また、2012年制定された大阪府教育条例から5年目に入りました。「君が代」強制が学校、教師、子どもらにどのような影響があったか、また府立学校統廃合問題等条例が引き起こした問題を一つひとつ検証する必要を感じています。
教育は、常に古くて新しい問題、そして極めて重大かつ深刻な問題です。政府が戦争に向かってはっきりと舵を取った今、教育は危機的状況にあります。
「教え子を2度と再び戦場に送らない」と言う誓いを今一度取り戻し、若いママさんの運動から生まれた、「誰の子どもも殺させない」と言う決意をともに胸にし、危険な時代の渦を見極め、流されずに生きたいものです。
私たちの運動は、今後もあらゆる人たちと繋がり合いながら進めて行きたいと思います。支援と連帯をお願いするとともに呼びかけ、この拙文を結ぶこととします。
2016年7月6日
「教育基本条例下の辻谷処分を撤回させるネットワーク」 原告 辻谷博子