48歳の中年オヤジ 柔道を始める

48歳の中年が柔道に挑戦!怪我をして一時期柔道をやめようと思いましたが、やはり続けることにしました。いつまで続くかな?

東海道ラン 四日市から鈴鹿まで

2019年07月09日 23時36分57秒 | 東海道をランニング
7月8日 月曜日 東海道ラン 四日市から鈴鹿まで

何故こんな暑い時期に遠くまで来て走るのかと言うと、「近所走るのが飽きた」からである。
この「近所飽きたから」という考えに対して、つける薬は2つ。
「近日中に大会に出る」
「旅ランをする」
しか、過去の経験上解決策がないのだ。
過去この病(笑)に罹って、何度も「夏は走らないでおこう、休もう」となってしまった経験がある。
その度に月間走行距離が50キロを切ってしまい、ひと夏を棒に振ってデブデブになってしまった!
たった15キロほどのランニングを、電車賃往復3,500円と丸々1日使ってやるのは、非常に効率が悪い練習(?)なのだが、体力を維持するためにも・体重増加を防ぐためにも・精神的な若さを維持するためにも、絶対必要なのである!バシッ!(←机をたたく音)
アホと言われようが、「止まったら死ぬ」マグロ回遊男は、今日も隣県まで行って走ってきました。
叩いた手が痛い。
自宅から名鉄で名古屋に出て、そこからJRで四日市まで行きました。気分を変えるために近鉄ではなくJRです。三重県は近鉄とJRが競合しておりますが、近鉄の圧勝です。今回の四日市行き快速も2両編成でガラガラでした。
JR四日市の駅前は何もないので、1キロ離れた近鉄四日市駅まで走る。近鉄四日市駅前のコンビニでビールを買い、自宅から持ってきた弁当で乾杯!
走る前からビール飲んでる私。真夏はやっぱりビールじゃのう。
旧東海道は国道1号線と並行しており、写真のような街並みが続いております。ただし国道のバイパスとして、地元民が車をガンガン飛ばしているため、狭い道で非常に危険です。私の横5センチの所を、小型車がすり抜けていくのだ。道に出っ張った電柱の横を通る時、車と接触しないか怖かった。
もちろん旧東海道沿いなので、神社仏閣は沢山あります。その全部の写真をほぼ撮影したのですが、載せるスペースが確保できないのでパス(笑)。その代わりに、「残りの一本松」の表示があった松並木の残骸の一つである。
この辺りは「日永追分の宿」なのですが、この辺りで伊勢方面に向かう「伊勢街道」と分岐するのだ。
東海道日永資料館・・・やってません(笑)。ずいぶん古い。
とまあ写真だけ見ると、「古い街並みだなあ」と思うかもしれませんが、実際はほとんど生活道路です。日永を過ぎる頃には車の通行量も減り、ようやく走りやすくなってきました。
写真構図が悪いのですが、元近鉄内部線・現四日市あすなろう鉄道です。ナローゲージの小さい鉄道です。未だに乗ったことが無いのだ。
旧東海道も国道1号線の合流しては離れ・・・というルートなので、地図を見ながら走っております。
上の写真は「杖衝坂(つえつきさか)」という名前で、松尾芭蕉が馬に乗って坂道を登ってたら、馬ごとひっくり返って全身血だらけになってしまったという、曰く付きの流血坂道なのである(笑)。これホントの話。
私が撮影する前に、学校帰りの高校生が、憤怒の形相をしながら自転車立ち漕ぎで登っておった。
多分300年前の芭蕉も、自転車立ち漕ぎ高校生のように、
「おりゃあああ!この坂道、馬下りずに登ったるわい!」
と叫んで挑戦したのであろう。で失敗した。
と私は確信するが、もしかしたら違うかもしれない。君どう思う?
国道1号線は4車線のバイパスで、車の量が凄いのですが、歩道が広くて走りやすいです。車道の向こうには鈴鹿山脈が見えるので、喧しいものの景色は良いのだ。四日市から11キロ地点の石薬師宿に到着。
この旧街道は国学者・歌人の佐佐木信綱の故郷なので、いたるところに句碑が建っております。佐佐木信綱先生(文学部で国文学専攻の私なので、『先生』と呼ばせていただきます)は明治から昭和にかけての人なので、短歌自体も新しい。文学部国文出身の私は、恥ずかしながら名前だけしか知らなんだ(笑)。
この宿場町で、缶ビールを飲みながら、歩いてあちこちの歌を読んで(詠んで)おりました。
「バカオヤジ 麦酒飲んで詠み歩き 酔った頭で意味は分からず」
季語は麦酒です。夏の季語(笑)。
1キロほどの街道には、100ぐらい歌の碑があったので、千鳥足で歩いて・・・佐佐木先生も、酔って読み歩くバカがいるとは思わなんだろうなあ。
石薬師宿を過ぎると、「定五郎橋」を渡って、鈴鹿市内に入る。
この「定五郎橋」は、江戸時代末期の前川定五郎という人が、寄付金を集めて作った橋の名残です。元々地元の人達が川を渡れずに難渋しているのを見かね、自費で渡し船を買って無料で川を行き来する人達を運んでおったそうだ。
幕末に橋を架けたのですが、すぐに流されてしまい。その度にお金を集めて掛けなおしていたらしい。最後はお金が続かなくなるけど、地元三重県も費用を出して、明治40年に今に近い橋が出来たとの事である。
凄い人がいるもんだ。地元の小学校には前川定五郎の資料室があるとの事である。
多分ですが・・・「俺が橋をかけたるわい!」と皆の前で言い切ってしまい、途中で引くに引けなくてずっと続けてたのではあるまいか?とひねた私は考えてしまうのですが(笑)。

実は私も同じような「言っちゃって引くに引けない」事が多々ありまして・・・、
一番の例が柔道。
最初の頃、あまりにもしんどい競技なので、何度やめようと思った事か。大きな怪我をした時に、「ああ、もう辞めよう」と何回か真剣に考えた。
でもブログを立ち上げて「48歳の中年オヤジ 柔道を始める」なんて大口を叩いた以上、途中で止めたら恥ずかしいだろうなあ。嘘つきと呼ばれるだろうなあ・・・。
という紆余曲折があって、現在でも続いておるのです。
今ではどっぷり浸かっております(笑)。
定五郎橋を渡っての自撮りです。間もなく鈴鹿市平田町です。本日の終点は近鉄鈴鹿線平田町駅です。
駅のトイレが混雑していたので、近くのパチンコ屋行き、そこで着替え。着替えるだけでは悪いので、パチンコ屋で缶ジュースを買って、グビグビ飲んで本日は終了。
15キロ3時間のゆるゆるランニングであった。
コースはこんな感じ。このルートの次は、鈴鹿市平田町から旧東海道に戻り、三重県の関まで17~8キロの予定です。関の宿は、鈴鹿峠越え手前の宿場町。
もうすぐ近畿圏に突入だあ!
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