立山日和。

立山連峰の山々を眺め富山県内を徘徊する日々を綴ったフォト日記。2014.11.3.までは友人の中国旅を毎日掲載した。

上海だより(3)・・・井岡山旅行(2)

2007年09月14日 | JingShang君からの上海レポート
 jingshangさんの井岡山旅行の第二報です。五指山の観光です。

 井岡山には「紅色旅游」と「緑色旅游」がありますが、緑色は大自然観光です。
写真は革命根拠地背後の五指山です。1990年版の100元人民幣に採用されています。2000mに満たない山ですが、革命根拠地の光栄に浴しました。名前の通り5本の指の峰という意味ですが、数えると5本以上あるように思えます。

 自然は、歴史の大きなうねりも飲み込んでしまって、まさに大自然として存在しているのでしょうね。それは救いですが、現今の歴史の流れはそれも許さないぐらい大きく自然を変貌させるから、安心はしておられません。

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上海だより(2)・・・井岡山(セイコウザン)旅行(1)

2007年09月14日 | JingShang君からの上海レポート
 jingshangさんからの便りが続いて届きました。紅軍造幣廠の写真の写真です。

 今回は、上海ではなく江西省の湖南省境近く、井岡山への「紅色旅游」と「緑色旅游」のうち「紅色旅行」ともいうべき中国共産党の「革命根拠地」巡りの旅です。上海や延安の「革命聖地」には行ったことがあります。井岡山は初めてで、山上に井戸状の盆地が点在することから名付けられたようです。最初ここを根拠地として中国共産党の革命軍(紅軍)が組織されたので「革命根拠地」と呼ばれます。毛沢東は井岡山での経験をもとに、「農村から都市を包囲する」独自の革命戦略を打ち立てることになります。そのため、ここは「革命の揺籃」として中国革命の聖地化されているのです。
 空港から100Km、市の中心より30Km程離れた茨坪鎮にあります。山の中の谷間です。紅色の代表例として紅軍造幣廠の写真をあげました。革命軍つまり紅軍は、やがて根拠地を国民党軍に攻撃され、紅軍は撤退しました。陝西省の延安迄の長征に繋がります。この造幣廠も国民党軍に破壊されたのですが、戦後修復されたものです。
 紅軍は逃げて行きましたが、残された農民は、その後国民党の迫害を受けたでしょうね。そして紅軍が再解放すると、国民党に協力した人達はまた迫害を受けたことでしょう。

 歴史に大きくかかわった場所として有名にはなりましたが、それだけに多くの悲劇もあったことでしょう。

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