70年前の古い橋に替わり、新しい橋が完成しました。引き続いて路面電車が走っています。この辺で対岸の市街地のビル群はなくなり、こちらから見たところ飛騨へと向かう郊外的な雰囲気に変わります。
富山大空襲(1945.8.2.)のとき市街地から逃げようとする人々を、憲兵隊や警防団がこの橋を封鎖して追い返しました。消火にあたらせるためです。死傷者1万人を越え、地方空襲で最多の死傷率になった原因の一つでした。今新しい橋は、そういう悲劇のかけらも感じさせません。
この橋を対岸へ進むと城址公園や市街地再開発地域になり、こちら岸は富山大学や城山公園になります。
標題をクリックして画像を大きくして見てください。またコメントを見るには下の「コメント(0)」の数字(0)をクリックしてもコメントを見たり書いたりできます。ぜひとにクリックを!
富山大空襲(1945.8.2.)のとき市街地から逃げようとする人々を、憲兵隊や警防団がこの橋を封鎖して追い返しました。消火にあたらせるためです。死傷者1万人を越え、地方空襲で最多の死傷率になった原因の一つでした。今新しい橋は、そういう悲劇のかけらも感じさせません。
この橋を対岸へ進むと城址公園や市街地再開発地域になり、こちら岸は富山大学や城山公園になります。
標題をクリックして画像を大きくして見てください。またコメントを見るには下の「コメント(0)」の数字(0)をクリックしてもコメントを見たり書いたりできます。ぜひとにクリックを!