白岩川河口にある「水橋港艀場(はしけば)」から、滑川に向かって旧北陸道(北國街道・浜街道)の「一里塚史跡」をたどりました。昔の交通史をしのぶ史跡です。
(1)白岩川河口に最も近い浦の橋です。
(2)「水橋港艀場跡」の常夜灯。浦の橋よりやや下流。
(3)「水橋港艀場跡」の説明版。北前船時代から明治にかけて、水橋港は日本海沿岸航路の寄港地でした。港は水深が浅いため沖に停泊した船(北前船と明治の汽船)と艀場の間を艀(はしけ)で往復しておかかや若衆が荷物を運びました。艀を止めたのがこのあたりであったと、この常夜灯を設置して記念しています。
(4)水橋から滑川へ向かう北陸街道です。
(5)街道をもう少し進むと「一里塚史跡」碑(左)と大岩不動明王分祀の小堂(右)。
(6)四角いコンクリートの「一里塚史跡」碑(左)と一里塚史跡説明板(右)。江戸時代、参勤交代が行われる主要道の一里ごとに街道の両側に一段高い塚(土盛り)を作りました。ここでは現在北側にのみ痕跡が残されています。
標題をクリックするとページが開き、下にコメント欄があります。一言書いていただくと幸せです。
右下の「コメント」をクリックしてもページが開きます。
ぜひにほんブログ村にクリックを!
(1)白岩川河口に最も近い浦の橋です。
(2)「水橋港艀場跡」の常夜灯。浦の橋よりやや下流。
(3)「水橋港艀場跡」の説明版。北前船時代から明治にかけて、水橋港は日本海沿岸航路の寄港地でした。港は水深が浅いため沖に停泊した船(北前船と明治の汽船)と艀場の間を艀(はしけ)で往復しておかかや若衆が荷物を運びました。艀を止めたのがこのあたりであったと、この常夜灯を設置して記念しています。
(4)水橋から滑川へ向かう北陸街道です。
(5)街道をもう少し進むと「一里塚史跡」碑(左)と大岩不動明王分祀の小堂(右)。
(6)四角いコンクリートの「一里塚史跡」碑(左)と一里塚史跡説明板(右)。江戸時代、参勤交代が行われる主要道の一里ごとに街道の両側に一段高い塚(土盛り)を作りました。ここでは現在北側にのみ痕跡が残されています。
標題をクリックするとページが開き、下にコメント欄があります。一言書いていただくと幸せです。
右下の「コメント」をクリックしてもページが開きます。
ぜひにほんブログ村にクリックを!