不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興

Tra la mente e il cuore 27.12.2012

2012-12-27 00:21:52 | Tra la mente e il cuore
1986年4月26日。
この年月日を見て
ピンと来る人はどれくらいいるのだろう。

現ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所で
事故が起こった日。

事故の直後、その危険性にもかかわらず
数多くの命や健康を犠牲にして
事故を起こした原子炉を覆う石棺を作って
臭いものに蓋をした。
それ以外に方法がなかったのだから、仕方がない。
その石棺は理論的には30年の寿命と言われ
最長でも2016年までしか耐久性がないとされている。
そう、間もなく、石棺の寿命に到達してしまう。
そして何も手だてを見つけることができないまま
もう26年が経過してしまったということでもある。

理論的には30年の寿命でも
実際には既にあちこちにひび割れができ始めていて
そこから雨水がしみ込み、
原子炉に滴り落ち、
高度放射能汚染された粒子を地表へ運び続けている。
地表から地下水に染み込み
やがて、数年後には地下水が放射能で汚染され、
それが流れ込む先の
ユーラシア大陸の主要河川の一つである
ドニエプル川も汚染されてしまう。

そんな汚染を極力防ぐために、
石棺の寿命が尽きる前に
新しい覆いを建設しなくてはならない。
2015年10月の完成を目指して、
現在「新しい石棺」の建設が進められているところ。
原子炉とそれを覆っている現行の石棺を
100年間丸ごと覆い続けられるもの。
鋼鉄とセメントで作られる覆いは
高さ110メートル、長さ164メートル、幅257メートルで
約10億ユーロの代物。
世界各地40カ国からの資金援助と人的協力を得て
フランスが主導権を取って進めているプロジェクト。
これにはイタリアも
その基本的な部分で協力をしている。
40カ国のうち
イタリアは6300万ユーロの資金援助で
このプロジェクトの7位にランキングされている。
またイタリアがもっているとされる
核廃棄物処理場建設に関する知識なども
Ansaldo Nucleareを通して提供してもいる。

鋼鉄とセメントで作られる新しい覆いの
鋼鉄の骨組みは北イタリアPordenoneの企業
(Impresa Cimolai)が手がけ、
チェルノブイリ近郊まで運び込まれた骨組みの
その組み立てにはPerugiaの企業
(MCI)が関わっている。

新しい覆いの作業に携わる作業員は
被爆量を計測する計測器を
それぞれ二つづつ身につけ
定期的な検診を受け、
作業場でも厳しいルールに従って作業を続けている。
26年経過した現在でも
作業場周辺はやはり放射線量が高いため
一日4時間以上の作業は禁止されているそう。
因みに作業員は170名、そのうちイタリア人は22名。
作業場周辺には居住できないため
イタリア人作業員は毎日片道80キロの通勤を繰り返し、
42日間の労働を終えると10-12日の休暇で
イタリアへ戻るという生活を続けている。

新しい覆いを作り上げ、
それで再び臭いものに蓋をするところまでは
おそらく何の問題もなく遂行できるのだろう。
しかし、その先にはもっと大きな問題が待ち構えている。
人類が未だに答えを出せないでいる大きな問題。
完全廃炉と一帯の浄化作業。
そして、使用済み核燃料の処理。
蓋をした臭いものの中に入り込み、
高度に放射能汚染された廃材やゴミ、
核燃料、ウラン、プルトニウムを運び出して
最終処理をしなくてはならない。
その作業自体には30年から50年が必要だと言われている。
でも、誰も「どのように」
そして「誰が」その作業を行うべきなのか
答えを知らないまま。


ストレステスト中の爆発を起こした4号炉の事故の後も
チェルノブイリのほかの3基は運転を続け
2000年までに運転停止されるまで
電力を送り続けてきた。
それが実現できたのも4号炉を覆った石棺のおかげだと
ウクライナの人々が
テレビのインタビューかなにかで語っていたことを思い出す。
不思議なことに
彼らは被爆という危険と背中合わせでありながら
原子力発電所があることに
誇りを感じている部分もあるように見えた。
それは福島原子力発電所周辺の人々も
もしくはほかの原子力発電所周辺の住民も
同じなんだろうか。

セシウム137、ストロンチウムなどは
未だにウクライナの各地で計測されていて
事故現場からほど近い場所では
汚染された農作物が普通に売買されている。
それは「仕方ないから」で
済ましてしまっていいことなんだろうか。

そして、2011年に行われた
チェルノブイリの廃墟の再利用のための
請け負い入札では
イタリア企業(Lattanzio e Associati)が落札し
彼の地に再生可能エネルギーによる
巨大な発電所を建設するという
プロジェクトが掲げられた。
かつて利用されていた送電線が
そのまま再利用できることなどが評価されたらしい。
もちろん、居住区にも農耕地にもならない
不毛の地となってしまったチェルノブイリには
別の形での発電設備を作る方がよいのかもしれないけれど。

26年経っても我々人類は
原子力発電所の事故処理が充分にできず
お片づけもままならない。
不毛の地の再開発の希望は捨ててはいけないけれど、
それと同じくらい、
同じような危険性と背中合わせで生きるという
選択肢を除いていく努力だって必要なんじゃないかと思う。
つまり、脱原子力発電ということだけど。

チェルノブイリで
我々人類に降り掛かり続ける
放射能汚染の巨大な脅威を肌で感じたら
もしかしたら原子力発電推進なんて
いえなくなるかもしれないよね。