ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2011.2.25 「春一番」・・・入試の日に考える

2011-02-25 23:10:12 | 日記
 今日は4月中旬から下旬の陽気になるでしょう、という天気予報の通り、朝から日差しがいっぱいで暖かい。花粉情報は「やや多い」マークなので、息子には点鼻、点眼薬を忘れずに挿していくように言う。

 おりしも勤務する大学では、二次試験初日ということで各門は厳重に閉ざされている。“地域に開かれた大学”を標榜する本学も今日ばかりは物々しく、かつては顔パスOKだったけれど、最近では職員証が必携の一日だ。
 受験生が入構開始となり、各試験室に散っていくよりも早い時間の出勤だったが、既にあちこちに動員された職員が配置され、立ち入り禁止のテープが張られ、自販機はすべてクローズ状態。
 ふと、3年後のこの日、息子はどこにいるのだろう、と思った。

 先日逢った「つぼみの会」のメンバーの息子さん、娘さんたちも、今日は全国各地のキャンパスでこの1年ないし2年の努力を精一杯ぶつけていることだろう。最後までしぶとく粘って頑張ってほしい、と思う。

 昨日は、不眠と気持ち悪さでヨレヨレだったので、久しぶりに10時過ぎにべッドに入ったが、見事に朝まで目覚めることなく熟睡できた。御蔭さまで今朝はすっきりして、気持ち悪さも大分軽減している。やはり不眠と吐き気がセットだとかなり辛い。

 早いもので来週からは3月だ。
 息子が生まれてから毎年、年度末の繁忙期を大学で迎えてきたけれど、地方公務員という恵まれた身分を保持したままで派遣されているこの職場には、最大あと4年しかいられない。あと4年、今のペースで働いていられることを祈って大切に過ごしていきたいと思う。

 その後、どうするか。
 これまでは、そんな先のことは考えても仕方ないと思っていたけれど、先日の日野原先生の“10年日記”を思えば、ちょっとイメージしておくことも必要だろうか。
 魔法のように薬が奏功して、副作用なく悪い細胞が休眠状態・寛解状態であればまだしも、毎週の通院治療を続けながら都心までの通勤-つまりは今の勤務時間に毎朝・毎夕の往復3時間が加算される-は、体力的にも精神的にもかなり厳しいだろうと思う。今のように都心早朝会議だから前泊という窮余の策も、毎日となれば所詮無理な話。満員の通勤電車で傷口やポートをかばいつつ、気力体力を奪われながら、週4日で週5日分のフルタイム勤務をこなすには、当然残業も避けられないだろう。また、そういう職場に異動すれば、家では殆ど何の余力もなくなり、日々のことも今のようにはとても出来なくなるだろう。土日も自分の好きなこともできずにひたすら体を休める・・ことが出来ればまだしも、最悪、土日に仕事の穴埋めをしに出勤するという生活が目に見えている。
 おそらくそう長くないであろう残された時間を、そうして過ごすのは、もはや避けたい。

 やはりあと4年、しっかりこの場所で働いて、その後は自分のために大切に使おう、と思う。
 それでも30年間は働き続けられたことになる。当初予定の定年まで働く・・・は無理だったにせよ、それは健康であれば、の話だ。
 初発から10年強・再発から7年強働くことが出来れば、神様に感謝しなければいけないのだな、と思う。

 強い南風はやはり「春一番」だった。奇しくも去年と同じ日に吹いたとのこと。明日はまた冷え込むようだけれど、本当に三寒四温。春の足音が一歩一歩近づいている。待ち遠しい春だ。
コメント
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