ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2013.6.3 死を迎えるときは、あいこ

2013-06-03 20:23:23 | 日記
 何度もご紹介させて頂いている朝日新聞の医療サイトアピタルに掲載中の小笠原望先生のコラム「診療所の窓辺から」。最新号6月号の本文は「親子のかかわりは、『待てるか、信頼できるか』」だ。
 本文にも唸ったが、今回は先生が毎月自筆で書かれる(この字がまたふんわり丸くて温かい先生のお人柄が伝わってくるいい字なのだ。)色紙のことばと【今月のことば】を、以下転載させて頂く。

※  ※  ※(転載開始)

「今にいいこと 神様はお見通し」
【今月のことば】
 医療の仕事をしていると「神様はそんなに不公平ではない」と思います。土に生きた人の豊かな幸せを見ますし、社会的な喝采を浴びた人の寂しさを感じます。「死を迎えるときは、あいこ」、ぼくはそう思っています。今が大変な人は、晩年には神様がいいことを準備してくれています。こころからそう思います。
(朝日新聞発行の小冊子「スタイルアサヒ」2013年6月号掲載)

(転載終了)※  ※  ※

 長く闘病を続けていれば気持ちの浮き沈みは当然あるし、とても心穏やかでいられない状況に遭遇すること、潔くありたいと念じても思うに任せずジタバタすること、も多々出てくる。そして「どうして私だけこんな目に・・・」とネガティブになることも、残念ながらあるだろう。
だから、先生のこの言葉「死を迎えるときは、あいこ」は、本当に心に沁み入ってくる。

 私はクリスチャンでもないし、特定の宗教の信者でもないけれど、それでも神様はいらっしゃる、と思っている。
 以前も書いたかもしれないけれど、病気になろうと幸せから見放されているわけではないし、健康に恵まれていても幸せだと思えない方もいらっしゃるだろう。
 平均寿命まで生きられることだけが幸せなことでもないとも思う。

 もちろん、中には傍から見ればずーっと幸せ、と思えるような順風満帆な人生―例えば健康で、仕事や家族に恵まれ、財をなして-を送る方もいるかもしれない。けれど、実際にはその方から本音を訊けるわけでもない。そして、人には言えない辛い思い、寂しい思いを抱いておられるかもしれない。
 私も傍から見れば、(そこそこ幸せそうに見えたけれど、実は末期がんの治療中とは、お気の毒なことで・・・)と思われているかもしれない。
 それでも今のところ、職場の理解を得て通院を続けながら日々働くことが出来、手抜きとは言え一応主婦業もこなし、ダメダメとは言え母業も継続中だ。家族と多くの友人にも恵まれ、趣味に時間を割くことも出来、こうしてブログを続けていることで、同じ病と向き合う新しい仲間との交流も広がっている。
 だから、やっぱりとても幸せ、なのだと思っている。

 いずれ最期の日―死を迎える日―がやってくるわけだけれど、おそらくこのままいけば、「いい人生だった。ありがとう。」と言ってさよなら出来ると確信している。そして自分なりに「良く出来ました」のハンコが押せるのではないか、とも思っている(ちょっと自分に甘いかな?)。

 そう、神様は全てお見通し。病気になったことも何もかもひっくるめて全て私の人生、である。

 新しい1週間が始まった。早速明日は検査三昧の一日。
 今週は梅雨の晴れ間が続きそうだという。通院日に雨降りでびしょ濡れ・・・ではどうしてもテンションが下がる。有難いことだ。やっぱり神様はいらっしゃる!
コメント (2)
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