今日は夏至。気付けば日の出が本当に早くなり、日の入りが遅くなった。
朝は4時過ぎに明るくなってしまうので、遮光カーテンの隙間から明かりが漏れると、なにやらもう目が覚めてしまう。そして夜は7時過ぎまで明るいけれど、逆に暗くなるとすぐに眠くなってしまう。これも老化現象の一つだろうか。
さて、そんな夏至の今日は朝から雨降り。
紫陽花はますます綺麗だけれど、洗濯ものはさっぱり乾かないし、なんとなく家の中も雨の生臭いようなにおいがするような気がする。家の中でのんびり雨の音を聞きながら、ゆったり読書が出来る身分ならば本当に幸せなのだけれど。
梅雨の時期、せめて鞄の中に折りたたみ傘を入れておいてほしい息子である。
ようやくクリニックで処方された風邪薬を飲み終わり、昨日からフルタイムで登校しているが、朝は土砂降りでなければ強引に自転車で出かけてしまう。自転車にはビニール傘をつけているので、自宅から自宅最寄駅の駐輪場まではセーフだ。が、駐輪場に着くと、雨が降っていてもなぜか傘を差さずに自転車に付いている傘入れに戻してしまうらしい。その結果、学校の最寄り駅から学校迄雨が降っていたら、それはもう濡れるしかないわけである。帰路もしかり。自宅最寄駅に戻る迄傘はない。学校に置き傘もあろうはずがない。
昨日も、雨が降っていてどうしているのかと思っていると、「学校で雨宿り中」とのラインが届いた。「また雨に濡れると風邪をぶり返すから、せめて梅雨の間は折りたたみ傘を鞄に入れておきませんか。」と連絡したが「そうね」と気のない返事。そもそも、かつて入れていた折りたたみ傘が、いつの間にかなくなっているときている。
一体、何本の傘をオシャカにしたり無くしたか、数えることすら出来ない。そもそも男子校だから、傘立てにある傘なら誰が誰の傘を持って帰ろうが、そんなのはあまり誰も構わない、とのたまう。うーん、自分が持ってこない場合は、誰かの傘を差して帰ってしまうか、濡れて帰るか、選択肢は二つに一つということか。濡れて帰ってくるのは、人様の傘を黙って失敬して差してくるよりはまだいいと思うしかないということか。
「なんで雨に濡れたままで大丈夫なのかな。そんなに折りたたみ傘を差すのはハードルの高いことなのかしら。」、そう言うと夫も加勢する。「わかる、わかる。折りたたみ傘は畳むのが面倒だし、濡れた持ちにくいものを持つのは俺も嫌だからな~」と息子を庇う。
そういえば、夫もやむなく鞄の中に入っていた折りたたみ傘を使っても、帰宅すると玄関前のポーチに濡れたままずーっとそのまま置いておく。私が痺れを切らして乾かして畳むのを待つだけで、自分で畳むことをしない。うーん、困ったものだ。
だからなのかなんなのか、我が家では、何やらビニール傘がどんどん増殖しては減る、を繰り返している。お小遣いでビニール傘を後から後から補充する(?)夫と、買えないで持っていくだけの息子。今はどれが我が家の傘なのか、私にはわからない我が家の傘立てである。
もはや数千円もする傘を二人に持たせることはない。無くしても忘れてもわからないのではあんまりである。
先日もそんな事態に遭遇した。
夫と駅前のベーカリーショップに入った時のこと。私は自分のお気に入りの傘を持っていたので、手にしたまま店内に入った(もちろん、雨滴が落ちないように畳みました。)。が、夫はそういう濡れたものを畳むのも持つのも嫌という人だから、店頭の傘立てに買ったばかりのビニール傘を入れていた。いざ、店の外に出て私が傘を差すと、「あ、ない!」とのこと。店内にいたのはほんの5分のことである。その5分の間に、同じお店で買い物をしていた人が持っていったのか、それとも通りすがりの人が「助かった」とばかりに失敬していったのかは定かではない。が、悪びれもしないで人様の傘を持って行ってしまう人がいる、ということにちょっと唖然とする。まあ、立派なブランド傘ではなく、ビニール傘だからいいだろうと思ったのかどうか。いくら土砂降りだからとはいえ、ひとの傘を持っていくならコンビニでビニール傘を買ったらいかがですか、と言いたかったが、後の祭り。
今を遡る40年以上前、子どもの頃は大切な赤い傘の骨が折れたら修理してもらって、ということもあったけれど、今や傘も完全に使い捨てになった感がある。どうしてこんなにモノを大切にしないのだろう、と貧乏症のおばさんは哀しくなってしまうのである。
朝は4時過ぎに明るくなってしまうので、遮光カーテンの隙間から明かりが漏れると、なにやらもう目が覚めてしまう。そして夜は7時過ぎまで明るいけれど、逆に暗くなるとすぐに眠くなってしまう。これも老化現象の一つだろうか。
さて、そんな夏至の今日は朝から雨降り。
紫陽花はますます綺麗だけれど、洗濯ものはさっぱり乾かないし、なんとなく家の中も雨の生臭いようなにおいがするような気がする。家の中でのんびり雨の音を聞きながら、ゆったり読書が出来る身分ならば本当に幸せなのだけれど。
梅雨の時期、せめて鞄の中に折りたたみ傘を入れておいてほしい息子である。
ようやくクリニックで処方された風邪薬を飲み終わり、昨日からフルタイムで登校しているが、朝は土砂降りでなければ強引に自転車で出かけてしまう。自転車にはビニール傘をつけているので、自宅から自宅最寄駅の駐輪場まではセーフだ。が、駐輪場に着くと、雨が降っていてもなぜか傘を差さずに自転車に付いている傘入れに戻してしまうらしい。その結果、学校の最寄り駅から学校迄雨が降っていたら、それはもう濡れるしかないわけである。帰路もしかり。自宅最寄駅に戻る迄傘はない。学校に置き傘もあろうはずがない。
昨日も、雨が降っていてどうしているのかと思っていると、「学校で雨宿り中」とのラインが届いた。「また雨に濡れると風邪をぶり返すから、せめて梅雨の間は折りたたみ傘を鞄に入れておきませんか。」と連絡したが「そうね」と気のない返事。そもそも、かつて入れていた折りたたみ傘が、いつの間にかなくなっているときている。
一体、何本の傘をオシャカにしたり無くしたか、数えることすら出来ない。そもそも男子校だから、傘立てにある傘なら誰が誰の傘を持って帰ろうが、そんなのはあまり誰も構わない、とのたまう。うーん、自分が持ってこない場合は、誰かの傘を差して帰ってしまうか、濡れて帰るか、選択肢は二つに一つということか。濡れて帰ってくるのは、人様の傘を黙って失敬して差してくるよりはまだいいと思うしかないということか。
「なんで雨に濡れたままで大丈夫なのかな。そんなに折りたたみ傘を差すのはハードルの高いことなのかしら。」、そう言うと夫も加勢する。「わかる、わかる。折りたたみ傘は畳むのが面倒だし、濡れた持ちにくいものを持つのは俺も嫌だからな~」と息子を庇う。
そういえば、夫もやむなく鞄の中に入っていた折りたたみ傘を使っても、帰宅すると玄関前のポーチに濡れたままずーっとそのまま置いておく。私が痺れを切らして乾かして畳むのを待つだけで、自分で畳むことをしない。うーん、困ったものだ。
だからなのかなんなのか、我が家では、何やらビニール傘がどんどん増殖しては減る、を繰り返している。お小遣いでビニール傘を後から後から補充する(?)夫と、買えないで持っていくだけの息子。今はどれが我が家の傘なのか、私にはわからない我が家の傘立てである。
もはや数千円もする傘を二人に持たせることはない。無くしても忘れてもわからないのではあんまりである。
先日もそんな事態に遭遇した。
夫と駅前のベーカリーショップに入った時のこと。私は自分のお気に入りの傘を持っていたので、手にしたまま店内に入った(もちろん、雨滴が落ちないように畳みました。)。が、夫はそういう濡れたものを畳むのも持つのも嫌という人だから、店頭の傘立てに買ったばかりのビニール傘を入れていた。いざ、店の外に出て私が傘を差すと、「あ、ない!」とのこと。店内にいたのはほんの5分のことである。その5分の間に、同じお店で買い物をしていた人が持っていったのか、それとも通りすがりの人が「助かった」とばかりに失敬していったのかは定かではない。が、悪びれもしないで人様の傘を持って行ってしまう人がいる、ということにちょっと唖然とする。まあ、立派なブランド傘ではなく、ビニール傘だからいいだろうと思ったのかどうか。いくら土砂降りだからとはいえ、ひとの傘を持っていくならコンビニでビニール傘を買ったらいかがですか、と言いたかったが、後の祭り。
今を遡る40年以上前、子どもの頃は大切な赤い傘の骨が折れたら修理してもらって、ということもあったけれど、今や傘も完全に使い捨てになった感がある。どうしてこんなにモノを大切にしないのだろう、と貧乏症のおばさんは哀しくなってしまうのである。