音楽の喜び フルートとともに

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すべては音楽から生まれる

2009-03-26 20:38:18 | 音楽

すべては音楽から生まれる-脳とシューベルト- 茂木健一郎 PHP新書497
脳科学者の茂木さんの本ですが、科学者と言えば、客観的事実積み重ねによって、検証するかと思いきや、ご自分の音楽的体験をもとに、音楽の意味を考えたものでした。
その中で印象に残った一節

「絶対的な美の基準-たとえば「喜びや美の基準」といったものさし-が自分の中にあれば、日々の難事や苦しみは、ずいぶんとやわらぐものである。これは、あくまでも自分のものさしだ、という点に強みがある。世評や人気といったような、他人を介在するものさしではない。浮世の表面的なこととは関係ない。自己の体験から生まれた独自の軸なので、揺らぐことなく自分を内側から支えてくれる。…「周りがどうあろうと、自分の中から光を発し続けていればいいのだ」という域に達することができるのだ。その光源たり得るものとして、音楽はある。
「美しい」「嬉しい」「悲しい」「楽しい」・・・。一瞬一瞬に生身の体で感動することによって、人は、自己の価値基準を生み出し、現実を現実として自分のものにできるのである。それが「生きる」ということである。だからこそ、本当の感動を知っている人は、強い。生きていく上で、迷わない。揺らがない。折れない。くじけない。
 音楽は、そんな座標軸になり得る。音楽の最上のものを知っているということは、他のなにものにも代えがたい強い基盤を自分に与えてくれるのだ。」

音楽は聴くということによっておきる能動的な感動。わけのわからないもの、言葉にならないものを表現する喜び。といい、茂木さんの基準はある日のあるシューベルトの未完成の演奏だったりするのです。

私の中でも、絶対的な美の基準という消え去った過去の演奏の記憶があります。それは、牧神の午後への前奏曲だったり、椿姫の第3幕への前奏曲。仮面舞踏会のアメーリアのアリア、須山先生と、池田静山先生の春の海だったり、このスペシャルな記憶は、個人的でありますが、揺ぎ無い確信に満ちています。
私の平凡な人生にも、悲しみ、苦しみが満ちているように思えるときもあり、そんな時、最上の物を知っていて、それを追いかけ、まだ到達していない。人生まだまだ、捨てるわけにはいかないな。記憶がそんな風に思えるよすがになったこともあります。
茂木さんが言葉にしてくれたことで、言葉にならない思いが形になった気がしました。一度読んでみて下さい。音楽を知らない人にもおもしろい本です。