電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

『蝉しぐれ』、あらためて原作の厚みを思う

2005年10月02日 13時48分55秒 | -藤沢周平
映画「蝉しぐれ」を見、テレビの金曜時代劇の「蝉しぐれ」を見て、原作『蝉しぐれ』との相違点を考えてみた。

「蝉しぐれ」の物語、藤沢周平の原作を読むと、物語の厚みにあらためて心をうたれるものがある。原作では、父の遺骸を荷車で運ぶ坂道のシーン、実は道場の後輩の杉内道蔵が手伝っている。

「杉内」
文四郎は、汗を拭き終わった顔を車の上の遺体にむけ、あごをしゃくった。
「死人がいやじゃないのか」
「いや」
道蔵はいくらか怖じたような眼を、荒菰から突き出している足に向けたが、すぐにきっぱりとした声で言った。
「牧さんのお父上ですから、何とも思いません」
「済まんな」
と文四郎は言った。実際にこれで助かったという気がしている。
「逸平がいれば頼むところだったが、やつも城勤めでわが身が自由にならなくなった。助かったぞ」

この二人の会話も、実に味がある。坂道で力を使い果たし、二人が休んでいるところへおふくがやってきて、遺骸に花を手向けた後に、荷車の梶棒を引く手伝いをする。このあたり、先輩後輩の友情を重視し、はかない初恋をそっと配した作者の意図は、元中学校の先生だったからだろうか。ふくの慕情は、一途な激しい恋情ではないのだ。

また、テレビでは奉納試合で興津新之丞に勝ち、道場の師匠・石栗弥左衛門から秘剣村雨を伝授されることになるが、原作では異なっている。実際に秘剣を伝授するのは、石栗弥左衛門ではなく、先の家老、加冶織部正である。その際、加冶は牧助左衛門が切腹を命じられながらなぜ牧の家が取りつぶしにならなかったか、その理由を教える。嵐の夜、十町歩の稲田を救った助左衛門を徳とし、金井村の村人が何度も助命嘆願書を出したこと、里村左内はそれを握りつぶそうとしたが、嘆願書に依拠した横山又助の反撃にあい、家祿を減じて存続させることとしたこと、などを伝えるのである。現在進行形の政争から一歩身を退き、しかも厳然として義のありようを示す加冶織部を信じ、文四郎は欅御殿から救出したふくとお子を、横山又助の屋敷ではなく、加冶織部正の屋敷に導くのである。

原作では、欅御殿に行き、お福さまと対面したとき、文四郎は妻帯している。新妻の名は「せつ」という。テレビでは、この新妻がタニシの味噌汁を作るエピソードがほほえましく描かれていた。だが、映画ではせつも登場せず、幸せ薄い文四郎に対し、ふくが罪悪感を感じるような描き方になっている。

原作者の藤沢周平は、闘病時代に結婚した妻(元教え子の一人)を病気で失っている。この頃の悲嘆は、初期の作品をおおう暗さに現れているように思える。やがて再婚するが、決して亡妻を忘れるわけではない。かといって、再婚した妻を愛さないわけでもない。亡妻を忘れず眼前の女性を愛するのである。もし、ふくと文四郎の初恋だけがクローズアップされるのなら、作者の人生の陰翳は作品にほとんど反映されなかったことになってしまうだろう。『蝉しぐれ』の物語としての原作の厚みは、そんなところに感じられる。

映画「蝉しぐれ」は、あくまでも映像作家・黒土三男監督による、独立した映像作品である。原作と比較し、違いがあるとしても、それは当然のことだと言えよう。
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