電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

ショスタコーヴィチ「交響曲第4番」を聴く

2010年07月04日 06時06分31秒 | -オーケストラ
通勤の音楽として、ここしばらくショスタコーヴィチの交響曲第4番を聴いておりました。ハ短調、作品43です。アジ演説風でない、わりとショスタコーヴィチらしい持ち味、特徴が現れた作品だと思います。

この曲は、1936年冬に発表された「プラウダ」の論文で批判されたため、ショスタコーヴィチが発表を取り下げたといういわくつきの交響曲です。ただし、どうやら事情は、映画音楽等における行き過ぎを警告するはずだった論文が、嫉妬深い有象無象によってこれさいわいとばかり利用された、というのが当初の真相のようです。ところが、スターリン時代の密告と粛清の嵐が、やがて単なる便乗ではすまない恐怖の事態をもたらしてしまうことになります。このあたりは、不信と暴力の増幅作用という、歴史の教訓を地で行く経過でしょう。

第1楽章:アレグレット・ポコ・モデラート。表現はあまり適切ではありませんが、けたたましく始まります。この最初の印象が、1935年という時代のソ連には、チャイコフスキーやリムスキー・コルサコフ流の音楽の伝統的価値観に慣れた人からすると、相容れないものに聞こえたかもしれません。でも、プロコフィエフやバルトークやオネゲルなどの音楽を前提にすれば、別にこの曲が、格別に前衛的・破壊的というわけでもない。むしろ、ロシア風に味付けしたマーラーの音楽のように聞こえてしまいます。長い楽章は、多彩な素材を次々に並べて見せ、若い作曲家の意欲と自信と腕前の冴えを示しているというべきでは。
第2楽章:モデラート・コン・モート。前後の楽章と比較すれば短い中間楽章ですが、「西側退廃音楽」の性格も一部に併せ持つ、フーガみたいなスケルツォです。
第3楽章:ラルゴ~アレグロ。これまた単一楽章の交響曲ほどの長さを持った音楽です。あまり斉奏を多用せず、様々な素材を、オーケストラのパートが次々に受け持ちながら並べて見せます。途中の盛り上がりはいかにもロシア音楽風ですが、あいにくここで盛り上がったままでは終わりません。もう少ししつこく辛気臭くやり直して、最後は静かに静か~に、ハ短調でチェレスタが消え入るように終わります。この終結の仕方だって、スカッとさわやか風ではなし、圧倒的盛り上がりのフィナーレでもない。やっぱり一部の人々には不評だったでしょう。現代の耳で聴くならば、私は大変うまい終わり方だと思いますけれど。

千葉潤著『ショスタコーヴィチ』によれば、ショスタコーヴィチの祖父は著名な革命家であり、両親もまた、住まいに逃亡中の政治犯を匿ったりする生活だったそうな。そのような家庭環境の中で育った少年が、本心を語らず、はぐらかしたり隠したりする術にたけているのは当然のことのように思えます。帝政ロシアの官憲からソ連の秘密警察に変わっただけで、本質は何も変わっていないのでは。むしろ、著名な音楽家として当然受けるべき恩恵は受けながら、不都合なことには口をつぐみ、音楽の抽象性を利用して敵を風刺したり嘲笑したりする、複雑な性格の作曲家だという気がします。少なくとも、思わずうっとりと聞き惚れてしまうような種類の音楽ではありません。

演奏は、エリアフ・インバル指揮のウィーン交響楽団で、CDの型番は COCO-70710。クレスト1000シリーズ中の一枚です。1992年の冬に、ウィーンのコンツェルトハウスでデジタル録音されました。録音は明快で響きがよく収録されており、優れたものだと思います。

■エリアフ・インバル指揮ウィーン交響楽団
I=28'16" II=9'07" III=26'00" total=63'23"
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