電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

亡父の三回忌で初めて知った曾祖母のこと

2010年07月12日 06時04分29秒 | Weblog
昨日は、亡父の三回忌と祖母の十七回忌、それに曾祖母の百回忌でした。老母と妻は、この日のために器や料理を準備し、自宅にゆかりの親族を迎えました。住職さんは病気入院して退院したばかりとのことで、息子さんが読経してくれました。寺参りから戻り、一周忌同様に(*)自宅に長テーブルを並べて一席設けましたが、今回は住職のみ、二の膳つきの正式のお膳で。

亡父と祖母は、皆さん親しく交わった方々ばかりですが、百回忌の曾祖母といえば、直接に知る人はおりませんので、席亭の挨拶の中で、長女16歳を頭に13歳、10歳、7歳、3歳の四男一女を残して、30代半ばで病気早逝した母親であったことなどに、簡潔に触れました。祖父を頭に、残された四兄弟が集まる度に、亡き母を偲び「慈しみ深き友なるイエスは」の旋律で「母君に勝る友や世にある」という旧歌詞の賛美歌を歌っていたことは、孫(私)の記憶にも明瞭に残っております。今回は、16歳で母を喪ったその長女の嫁ぎ先の息子(80代)の方から、母方の祖母に関する初めての話を聞かせてもらいました。当時、村の収入役をしていた夫が(たぶん近隣の若者に)漢学を教えていたのだそうです。それが、事情があって夫が教えられない時には、奥さん(今回百回忌の仏様)が教えていたのだそうな。漢籍の素養もある女性であったようです。ふーむ。初耳でした。

そういえば、蔵の二階に「漢詩作法」だとか「論語」だとかの和書がずいぶんあり、祖父の蔵書のキリスト教関係の多さとは対照的でした。私の代の、理系の専門書やコンピュータ関係書籍にまじって、音楽書が目立つ書棚とはえらく違います。いささか道楽の色の濃い(^o^;)書棚を眺めながら、無名でも地に足を着けて生きた歴代の先祖に恥じない暮らしぶりを心がけたいと思ったことでした。

(*):父の一周忌~「電網郊外散歩道」2009年7月
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