電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

三陸河北新報社「石巻かほく」編集局『津波からの生還』を読む

2014年03月17日 06時04分56秒 | -ノンフィクション
3.11を前にして読み始めた『津波からの生還』を読み終え、あらためて震災と津波の怖ろしさを感じます。三陸河北新報社が発行する「石巻かほく」の編集局が丹念に取材した記事を集め編集したもので、石巻地方100人の証言が収録されています。旬報社刊。
構成は、地区別になっています。

I. 石巻市
 市街地地区/牡鹿,河北・北上・雄勝地区
II. 女川町
III. 東松島市

100人の証言内容はそれぞれ多様ですが、驚くほど似通っている面もあります。というのは、津波に流され、奇跡的に助かった経緯は実に様々ですが、意図的にあるいはやむを得ず浜に戻ったり、避難せずに役所や店舗・住宅などに留まったケースがほとんどだからです。津波から生還できたのは、実はほんの偶然に過ぎない。すぐに高台に避難すべきだった、避難できていれば、途中で多くの人が助かるはずだった、という思いがどうしても消えません。生還のレポートでありながら、読後感は意外にも苦く、歯がゆい。おそらく、この体験を語ってくれた人たちには、もっと苦く辛いものだったことでしょう。それをあえて集めた証言集には、後世にこの辛く悲しく悔しい過酷な体験を、なんとしても伝えたいという思いが詰まっているようです。

この季節、校舎を流された小学校の校長先生が、避難している地区毎に児童たちを訪ね、路上で卒業式を挙げる話には、思わずうるっとしてしまいます。そんな話がたくさんありますが、思わずほっとする記述もありました。鮎川浜の理容店経営の男性のケースです。

 店舗兼自宅のあった場所に行ったのは震災から四日後だった。家は跡形もなかった。ほとんど全て流されていたが、頑丈に固定していた理髪用のいすだけは残っていた。
 避難する際、長男がはさみなど理容業に最低限必要な道具を持ち出していた。「髪を切りたい」「ひげをそりたい」という声が増えていた。ボランティアが理容用いすを支所まで運んでくれた。汚れを洗い流し、三月二三日から一階ロビーの片隅で仮設理容業を始めた。
 「ああ、床屋のにおいがする」。住民が笑顔を見せた。人には日常を取り戻すよすがが大切なんだと実感した。無償だが、働くと元気が出た。九月に支所の近くで仮店舗を開いた。

「ああ、床屋のにおいがする」、「無償だが、働くと元気が出た」。いい言葉です。

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