電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

聴き馴染んだCDを次々に取り替えて聴くとき

2014年09月19日 06時04分42秒 | クラシック音楽
このところ、通勤の音楽として聴き馴染んだCDばかりを持ち込み、次々に取り替えながら聴いております。例えば、

カール・ベーム指揮ベルリン・フィルによるモーツァルトの交響曲第39番・第40番・第41番「ジュピター」
ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団によるマーラーの交響曲第7番「夜の歌」
スクロヴァチェフスキ指揮ケルン放送交響楽団によるプロコフィエフ「ロメオとジュリエット」

などです。

このうち、ベームとベルリン・フィルによる1960年初頭の録音は、彼のブラームス「交響曲第1番」とともに、その全盛期の姿を刻印したものでしょう。今は、もっぱら飯森+山響のコンビで、古楽器やその時代の奏法を取り入れた快速テンポの活力ある全曲演奏会をナマで楽しんでおります。とはいえ、時にはこうした昔馴染みの、重々しく剛直な演奏を聴くこともあります。個人的な好みで言えば、今はすっかり現代のモーツァルト演奏のほうに魅力を感じますが、たまにはこういう録音を次々に聴いてみるのも良いものだなと感じます。

もう一つ、産業革命や帝国主義で増えた資本家や中産階級が、お金を出し合ってホールや劇場で音楽を楽しむ習慣を作り、王侯貴族の館ではありえない大きさの音を出せるような、大規模なオーケストラが成長していったのだろうと思います。室内オーケストラが二管編成のオーケストラになり、さらに三管、四管編成へと拡大していったのでしょう。R.シュトラウスやマーラーの音楽を演奏するのに適した四管編成のオーケストラで演奏されるモーツァルトというのは、やはり重々しく鈍重にならざるを得なかったのではないか。現代の二管編成の地方オーケストラで演奏される軽やかなモーツァルトというのは、むしろ本来的な姿ではないのか? などと考えながら、時代の移り変わりといったことを感じてしまいます。

時は移れど年々歳々変わらぬものは、秋空を満喫する我が家のアホ猫ののんびりした姿でしょうか(^o^)/

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