電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

映画「いしゃ先生」の先行上映を観る

2015年11月29日 06時03分15秒 | 映画TVドラマ
11月より山形県で先行上映が始まった映画「いしゃ先生」(*1)を観て来ました。戦前から戦後にかけて、山形県の無医村で、村長をしていた父の頼みで若い女医が故郷で医者として奮闘する話で、高橋義夫『風吹峠』(*2)と同じく、実在の人物・志田周子(ちかこ)を描いた映画です。

昭和10年、東京女子医専を卒業して二年、研修中の女医の志田周子は、父からの電報で急ぎ帰郷します。周子が生まれ育った故郷は、山形県西村山郡大井沢村。久しぶりの実家では、幼い弟たちや母の手料理に迎えられますが、父の用件は重大なものでした。実際に母を亡くした経験を持つ父・荘次郎は、大井沢村が無医村という状況から脱することを願い、村の診療所を設立し、娘の周子をその医師として迎えたいというのです。はじめは固辞した周子も、三年だけという約束で診療所を引き受けますが、村人たちの信頼を得るまでには、まだまだ困難な道のりがありました。貧しさ、無知・無理解。戦前の僻地には、女性であるというだけで偏見にさらされる状況がありました。そして、たった一人の医師という立場はプライベートな恋愛もままならず、東京の恋人との別離も味わいます。



主演の平山あやさんは、晩年の周子の写真とイメージが重なるときもありました。左沢の旧家に生まれ、教師として大井沢村に赴任する中で、その村の向上のために努力し、村長にまでなった父親の、その理想に殉じたような娘の一生。脚本を書いた、尾花沢市生まれのあべ美佳さん(*3)も、もしかしたら深いところでそうした周子の境遇に理解と共感を示したのかもしれません。

また、周子がモンブランの万年筆で恋人に手紙を書きますが、それが左利きであったり、冬場には毛皮の襟巻きをしていたり、昭和のテイストを感じさせる洋服のデザインなども、関係者の記憶や写真などを丹念に取材したもののようです。高橋義夫さんの『風吹峠』とはまた違った、若い女性らしい視点が新鮮な脚本であり、それをうまく生かした永江二朗監督の映画と感じました。

脇役の中では、診療所の助手となった幸子役の上野優華さんが良かった。「あたし、バカだけど」と周子の健康を案じる場面は、思いが伝わり秀逸でした。

映像の中に、今は山形弦楽四重奏団の定期演奏会等の会場で、文翔館議場ホールとよばれ親しまれている旧県会議事堂において、周子が東北初の保健文化賞を受賞する場面がありました。ああ、ここで実際に授賞式が行われたのだなと、思わず感慨に浸りました。いい映画でした。

(*1):映画「いしゃ先生」公式サイト
(*2):高橋義夫『風吹峠』を読む~「電網郊外散歩道」2009年12月
(*3):あべ美佳さんのこと~Wikipediaの解説

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