電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

初秋を彩るプラザコンサートでモーツァルト「フルート四重奏曲第1番」他を聴く

2014年09月15日 06時05分18秒 | -室内楽
三連休の真ん中にあたる日曜日、午前中に剪定枝の処理と「つがる」リンゴの収穫をしてから、午後には天童市の市民プラザ(パルテ3F)の多目的ホールで「初秋を彩るプラザコンサート」を聴きました。山形交響楽団所属の演奏家を中心とする室内楽コンサートです。

プログラムは前半と後半の二部に分かれています。

最初は、フンメルの弦楽三重奏曲第2番ト長調から第1楽章を、蜂谷ゆかり(Vn)、井戸健治(Vla)、渡邊研多郎(Vc)のトリオで。藤色のドレスでマイクを持った蜂谷さんのお話では、この曲のCDは出ていないのだとか。へぇ~、貴重な機会だったわけですねっ(^o^)/

このあとは、「楽器の彩り」と題して、各奏者がそれぞれの楽器の持ち味を生かした小品を演奏します。

  • ビゼー:歌劇「アルルの女」より「メヌエット」、山田耕筰:「赤とんぼ」、足達祥治(Fl)、小林路子(Pf)
  • シューマン:「幻想小曲集」Op.73 第1楽章、渡邊研多郎(Vc)、小林路子(Pf)
  • ドヴォルザーク:「ユーモレスク」、蜂谷ゆかり(Vn)、小林路子(Pf)
  • ブルッフ:「ロマンス」、井戸健治(Vla)、小林路子(Pf)
  • ドビュッシー:「ヒースの茂る荒地」・「雨の庭」、小林路子(Pf)

    ビゼーの「メヌエット」は、ふだんはオーケストラの曲として聞きなれていますが、こうしてピアノ伴奏で聴いてみると、フルートの魅力がクローズアップされるようです。
    チェロで聴くシューマンは、いいですね~。「ユーモレスク」は軽すぎたかな? と蜂谷さんが懸念していましたが、いえいえ、そんなことはありません。ブルッフはヴィオラ・オリジナルな曲だそうで、いい曲ですね~。もう一つ、マイクを持った井戸さんの声、実はいい声なのですね~。二曲のドビュッシー、大いに楽しみました。



    15分の休憩の後、後半は前半で紹介した楽器を組み合わせたプログラムです。

  • モーツァルト:ピアノ四重奏曲第2番、変ホ長調、第1楽章
     小林路子(Pf)、蜂谷ゆかり(Vn)、井戸健治(Vla)、渡邊研多郎(Vc)。
     ピアノがコロコロと明るく活発に。
  • 旬の楽曲の彩り「花は咲く」、「Let It Go」
     足達祥治(Fl)、蜂谷ゆかり(Vn)、井戸健治(Vla)、渡邊研多郎(Vc)。
     「花は咲く」はヴィオラの印象的な出だしです。足達さん、実は「アナと雪の女王」をまだ観ていないのだそうで、ちょいと驚きでした(^o^)/
  • モーツァルト:フルート四重奏曲第1番、ニ長調
     足達祥治(Fl)、蜂谷ゆかり(Vn)、井戸健治(Vla)、渡邊研多郎(Vc)。
     明るく活発な第1楽章と、VnとVlaをマンドリンのようにかかえてピツィカートする少々悲しげな第2楽章、そして唐突に明るい調子に戻る第3楽章の組み合わせが不思議な曲だなと思っていましたが、第2楽章は「見込みの薄い」セレナードなのですね(^o^)/

    アンコールは、五人そろって「秋の夕日に照る山もみじ~」でした。



    会場の「パルテ」は、今回初めて行きましたが、駐車場の入り口がわかりにくくて困りました。天童駅隣接のビルなので、本当は電車で行けば便利なのでしょうが、1時間に1本の頻度ではなあ(^o^;)>poripori

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    相澤りょう『アグリ』を読む

    2014年09月14日 06時04分07秒 | 読書
    少し前に、地元紙「山形新聞」の書評欄で、たしか高校の司書の先生が取り上げて紹介していた文庫本、相澤りょう著『アグリ』を読みました。

    TOブックスという文庫は初めてでしたが、地元の書店では平積みになって売られており、ゲームやアミューズメント系に特色を持つ出版社なのでしょうか。帯には「うんめぇ芋煮が食べたくなる!」青春農業エンタテインメント、目指せ「日本一の芋煮会フェスティバル」、「農家の未来は僕らにまかせろ!!」などのコピーが踊ります。手に取って裏表紙の紹介文を見ると、

    山形県に暮らす、岡崎駿は高校二年生。幼い頃から郷土料理の芋煮鍋が大好きだった。美味しい里芋を育てたいと農業科に進学したものの、授業と実習に追われてばかり。そんなある日、課外研究で個性的な仲間達と出会い、笑い、時には涙しながら、最高の里芋作りに挑戦する。さらに、毎年20万人が来場する「日本一のいも煮フェスティバル」への参加を目指すが……。農業高校生たちの食と笑顔あふれる青春グラフィティ!


    とあります。さっそく購入して読み始めたら、これがけっこうおもしろい。舞台が上山明新館高校という実在の学校で、しかも作者は自分の母校を使ったものらしい。農業実習や課外研究、茎頂培養でウィルスフリーの里芋苗を作る話、山形市長谷堂地区の頑固じいさんのキャラクターなど、実に生き生きとしています。高校生たちの感受性豊かなやりとりも、少々気恥ずかしい甘酸っぱさがあります。



    どうでもいい豆知識を少々。

    • 里芋は英語では taro というのだそうです。マレー原産のいわゆるタロイモが縄文時代に日本に伝わり、山の芋に対して里の芋と呼ばれるようになったのだそうな。当方、関東在住の頃は、千葉県産の「セレベス」という品種に接することが多かったのですが、山形の「土垂れ」や真室川産の「甚五右衛門芋」などの、あのトロリとしたやわらかさを懐かしく思ったものでした。

    • 近年は、ドイツ連邦共和国デュッセルドルフ市内のライン川岸辺で「欧州一の芋煮会」が開催(*1)され、山形風芋煮が作られるのだとか。今年から開催日が敬老の日の前日の日曜日に変更になった「日本一の芋煮会」は、本日が開催日となりました。おそらく山形市内の馬見崎川周辺はたいへんな人出で賑わうことでしょう。あ~、芋煮が食べたい!と思ってしまう今日この頃です。



    (*1):ライン川岸辺で「欧州一の芋煮会」を開催~Facebook
    (*2):東北県人会がドイツで「欧州一の芋煮会」~山形新聞の記事(2014年9月11日付)

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    天童市の「やま竹」で天ぷらせいろを食べる

    2014年09月13日 06時06分33秒 | 散歩外出ドライブ
    天童市の久野本一丁目にあるそば屋「やま竹」で、天ぷらせいろを食べました。店舗は、天童駅前から県道22号(旧13号)を北上した右手にあり、その向かい側は常安寺というお寺になっています。



    店内には立派なオーディオセットがあり、店主の趣味なのか、iPhone や CD から、BGM としてジャズが流れています。そば屋でジャズを聴くのもオツなものではありますが、肝心のそばの味はどうか。



    この日は、大石田産のそば粉を用い、細めの切り方でしたが、歯ごたえがあり、田舎蕎麦の味を楽しみながらいただきました。



    天ぷらは、揚げ加減がちょうどよく、エビは柔らかく、美味しかった。また、エビの頭と足を外して別々に揚げてあり、かりかりと全部を食べることができました。オクラもほどよい揚げ加減で、こちらも美味しかった。



    ごらんのとおり、ペロリと平らげました。

    専門家に聞くと、エビの頭と足と身を外して別々に揚げるのは、油を別にしなければならないのだそうで、コストがかかるのだそうです。でも、食材を無駄にしない姿勢は立派なものだと言っていましたから、天せいろ 1,690円というお値段も、料理にかける手間暇としゃれた雰囲気とBGM とをひっくるめた価格設定なのでしょう。

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    積読用の棚

    2014年09月12日 06時02分24秒 | 手帳文具書斎
    わが書斎の書棚には、積読用の棚を用意してあります。と言っても、最初からそうした目的であったわけではありません。購入してきた本を「とりあえず」入れておいたところしだいに増えていき、読み終えた本が別の場所に移動したおかげで空いたスペースにまた新しい本が鎮座し、という具合に、いつの間にか積読専用スペースになってしまったものです。

    書棚のうち、ここはいつか読みたいと思って購入しておいた本ばかりですので、気合が入ったときにエイヤッと読んでしまえばよいのですが、なにせエンターテインメント性は乏しい歯ごたえのある本ばかり残ってしまうために、次第に難攻不落の城塞の様相を呈してきています。

    それでも、何かのきっかけで読み始めると、やっぱり引き込まれるものがありますので、この棚が充実しているのを眺めるのは、嬉しく気分の良いものです。

    ところで、この書棚というのは、住まいを改築した際に作り付けで新調した壁全面書棚ではなく、机の右手脇にある、市販の古ぼけたガラス戸付き本棚のことです。高校一年の冬に、書棚がほしいと言ったら亡父が買ってくれたものでした。あれから約45年が経過し、あちこち取れたりはがれたりしているものの、震災にも耐えて健在です。もしかすると、亡父に買ってもらったモノの中で、一番長く使い続けているものかもしれません。それを思うと、ちょいとしんみりしてしまうために、なかなか更新しようという気がおこりません。

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    ジェットストリーム・ラバー軸の汚れを落とす

    2014年09月11日 06時02分40秒 | 手帳文具書斎
    手に持った時の感触が良いボールペンとして愛用しているジェットストリーム・ラバー軸ですが、このところ汚れが目立ってきておりました。とくに、明るいグレーの軸は、使用頻度が高いこともあり、見るからに貧相な姿になっております。

    念のため、消しゴムでこすってみましたが、ラバー軸のため、汚れはあまり落ちません。次に、水で濡らして石ケンでこすってみたら、面白いように汚れが落ちました。汚れの正体は、やっぱり手あかだったようです。ていねいに汚れを落とし、表面を水拭きして石ケンを落とし、乾いたティッシュペーパーでふき取ると、見違えるようにキレイになり、愛用のジェットストリーム・ラバー軸は生き返りました。
    まことに石ケンは偉大です(^o^)/

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    合間をみてプルーンの収穫にいそしむ

    2014年09月10日 06時02分40秒 | 週末農業・定年農業
    川中島白桃の収穫が終わり、今は少しずつプルーンの収穫をしています。日がだいぶ短くなりましたが、夕方早めに帰宅できたときなど、30分ほど収穫作業に従事するだけで、平コンテナがいっぱいになります。全部を自家消費などとてもできませんので、大半は出荷することになりますが、生食のほか、ジャムや果実酒、砂糖漬けなどに利用されるケースが多いのでしょうか。我が家では、プルーンのジャムを作り、ヨーグルト等に使っております。



    さて、今年の果樹園農業は、ほぼ峠を越し、後はいくつかの後始末や来年度の準備作業を残すばかりとなりました。今後の課題は、

    (1) 秋の施肥
    (2) 雪害による枝折れ防止の支柱立て(晩秋)
    (3) 農業機械の点検整備

    などでしょうか。

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    お雇い外国人教師たちの人選と推薦

    2014年09月09日 06時02分39秒 | 歴史技術科学
    明治維新にともなう内乱を経て、ようやく近代的な国づくりに着手した明治政府は、学校制度をととのえるとともに、近代化の担い手となる人材を育成すべく、外国人教師を招聘することを決定します。でも、偉そうに「決定」するにしても、誰を招聘するかについては、また別の問題です。

    外国人教師の招聘には、幕府も一部の有力大藩も、若干の実績がありました。たとえば、1859年に宣教師として来日したフルベッキは、越前福井藩のために、自分の所属する教会を通じ、おもに化学と自然科学を教える人の推薦を依頼し、1870(明治3)年にアメリカからウィリアム・エリオット・グリフィスを迎えます。グリフィスは、1872年には東京の開成学校に移り、実験室もない環境の中で化学を教えています。今でいえば、レベルはあまり高くないものの、供覧実験を通じて化学に興味を持たせる役割を果たしたようです。宗教的な縁でもあまり長続きはしなかったようで、1874年には帰国してしまいます。

    考えてみれば、内乱の直後、すぐに人斬り刀を振り回す東洋の野蛮な島国に、教師として赴こうとする青年はそうはいないでしょう。それに対して、明治政府には貴重な人脈がありました。残念ながら、私の興味関心の範囲の理工学系だけに限られてしまいますが、その範囲内での話です。
    1870(明治3)年、伊藤博文は、同じ密航留学生仲間で明治元年には帰国していた山尾庸三を、長州から東京に呼び出します。山尾は、民部省及び大蔵省の役人としての仕事から横須賀造船所の再生の仕事へ、そして工部省設置や訓盲院設立の建白と精力的に活躍しており、念願の工学校は1872(明治5)年に建設されます。翌1873(明治6)年には、都検という職(身分は教頭だが実質的には校長)でグラスゴー大学からヘンリー・ダイアーを招聘し、開校します。


    (ヘンリー・ダイアー)

    1848年生まれのダイアーは、来日時には25歳。実はグラスゴーの工場勤務(徒弟修行?)のかたわら、夜学のアンダーソン・カレッジで学び、ここで山尾庸三と一緒だったようです。優秀で勤勉な学生だったようで、奨学金を受けてグラスゴー大学で近代エンジニアリングの先駆者であるウィリアム・ランキン教授などに学び、卒業しています。階級社会である英国では、理論は尊重されますが、実際の技術は下に見られ、教育システム面でも理論と実践が分離していました。ダイアーは、スイスのチューリヒ工科大学などを参考にしながら、東洋の島国において、理論と実践とを併行して学ぶ理想的な工学教育を実現しようと努めます。


    (エドワード・ダイヴァース)

    ダイアーの下で実際に指導を行う外国人教師として8名が招聘されますが、その中の1人がエドワード・ダイヴァースでした。1873年生まれのダイヴァースは、山尾庸三と同い年です。幼児期に眼の炎症によって弱視となりましたが、13歳で The City of London Schoolに入学します。ここには、リービッヒが顧問となった王立化学カレッジでA.W.ホフマンの教えを受けたT.ホールという教師がいて、正規の化学と自然哲学の授業のほかに、希望者のために、実験をまじえた講義を行っており、これによって化学に目覚めたようです。卒業後に師の母校である王立化学カレッジでホフマンの指導を受け、アイルランドで教育経験を積んだのち、1866年にはロンドンに居を定めています。ダイヴァースには教師としての才能があったようで、学生たちを魅了したことから、ウィリアムソン教授とW.オドリング教授の推薦によって、来日しています。


    (開成学校の開校式)

    もう一つの学校、開成学校にもまた、外国人教師を招聘する必要がありました。幕府の蕃所調所をルーツにする開成所はいったん閉鎖されますが、明治政府により再開され、大学南校を経て開成学校、さらに東京開成学校と毎年のように改称します。当初は、語学を中心とした留学生の予備教育が主眼で、とても大学教育のレベルではなかったようですが、なんとか体制を整備しつつありました。そこで、化学の教授として、こちらもウィリアムソン教授の推薦により、1974(明治7)年にロバート・ウィリアム・アトキンソンを迎えます。アトキンソンは、いわばウィリアムソン教授の最優秀な秘蔵っ子のような存在ですが、ダイヴァースと同様、やはり奨学金を受けてユニヴァーシティ・カレッジに学んでいるように、経済的な動機もあったのではないかと思われます。


    (ロバート・ウィリアム・アトキンソン)

    山尾庸三が建白して成立した工部大学校は、予算を潤沢に使い、学生には制服も生活用品も支給され、実験室や実習室などの施設設備も充実していましたが、開成学校はとてもそんな状況にはなく、学生実験室の整備について、伊藤博文に頼んだりしたこともあったようです。実験室を通じた教育により理論と実験(実践)の力を兼ね備えた学生を育てる、というリービッヒ以来の流儀が東京開成学校=今の東京大学に伝えられたのは、アトキンソンの苦闘によるものと言えるでしょう。

    ダイアー、ダイヴァース、アトキンソンの三人の共通点は滞日期間が長いことで、ダイアーは9年、アトキンソンは7年、ダイヴァースは26年となっています。


    (*):塩川久男「お雇い外人教師ーグリフィス、ダイバース、アトキンソンー」、「科学の実験」(共立出版)、1978年11月号、p.40-43
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    モーツァルト「ピアノ三重奏曲第5番K.564」を聴く

    2014年09月08日 06時03分24秒 | -室内楽
    夏が終わり、秋の気配が感じられる頃、通勤の音楽はモーツァルトのピアノ三重奏曲でした。とりわけ、K.564の第5番。この曲は、番号の付け方は第5番だったり第6番だったり様々ですが、モーツァルトのピアノトリオ作品の中でもとくにお気に入りの曲です。

    この曲は、K.564という番号からわかるとおり、3大交響曲の年である1788年の10月に作曲されているそうです。なんだか重々しく悲劇的な音楽を予想してしまいますが、実際はまるで違っており、軽やかでシンプル志向で、でもとても魅力的な音楽です。もしかしたら、親しい人たちと軽く楽しむために書いたのかも、などと思ってしまいます。

    第1楽章:アレグロ、ト長調、4分の4拍子、ソナタ形式。なんてったってピアノが溌剌と活躍しますが、展開部の幻想的な雰囲気は、モーツァルトの転調の見事さを感じずにはいられません。
    第2楽章:アンダンテ、ハ長調、8分の3拍子、主題と6つの変奏曲。12歳で書いたオペラ「バスティアンとバスティエンヌ」の中のアリアを主題としているらしく、思わず鼻歌が出てくるような軽快な旋律です。このアリアはどんな内容なのかわかりませんが、モーツァルトの変奏曲は、とにかく楽しい!
    第3楽章:アレグレット、ト長調、8分の6拍子、ロンド形式。解説によれば、シチリアーノのリズムによる主題が2つの副主題をはさんで型どおり三現するのだそうで、A-B-A-C-Aということでしょうか。とても楽しいロンドですが、途中ふっと転調するところなどは、とても魅力的。映画ならば、ヴォルフガング君がピアノを弾きながら「アハーン」などと言って得意そうな顔をするんでしょうね(^o^)/

    演奏は、トリオ・フォンタネイ(フォントネ?)によるCDで、テルデックの二枚組(2292-46439-2)から。1990年1月に、ベルリンのテルデック・スタジオで収録されたデジタル録音です。

    ■トリオ・フォンタネイ
    I=4'47" II=6'49" III=5'37" total=17'13"

    YouTube にもたくさんの動画がありましたが、その中から、海の向こうの学生さんらしいものを。

    まずは第1楽章です。
    Mozart - Piano Trio no. 6 in G major, K. 564, I. Allegro


    次はステキな第2楽章を。
    Mozart - Piano Trio no. 6 in G major, K. 564, II. Andante


    最後の第3楽章です。
    Mozart - Piano Trio no. 6 in G major, K. 564, III. Allegretto


    実は2011年3月9日のライブ録画なのだそうで、日付変更線のこちら側のその後を思うとき、なんとも言えない切なさを覚えますが、モーツァルトの音楽で慰められます。

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    明治維新と近代化を担う人材の養成

    2014年09月07日 06時02分02秒 | 歴史技術科学
    英語では、明治維新を何というのか調べてみると、"the Meiji Restoration" というのだそうです。revolution ではなく restoration ということは、権力の所在がどこに移ったかに注目した、返還・修復・復元といったイメージなのでしょう。たしかに、1867年の大政奉還や1869年の版籍奉還などはその語のイメージに合致します。

    でも、王政復古の大号令は建前として掲げたものの、1871(明治4)年の廃藩置県や翌1872(明治5)年の地租改正などの明治初年の中央集権化と、それをベースに行われた数々の近代化政策は、レストアとは違うでしょう。たとえば明治4年の郵便制度や円を導入した通貨制度の発足、明治5年の学制改革と徴兵令あるいは鉄道の開通、井上馨が携わった翌年の耶蘇教禁制の撤廃など、近代国家の形を作ろうとした一連の動きは、復古ではありえません。

    中学や高校で習った日本史における政治的な動きは、実は元テロリスト(^o^;)みたいな明治の元老たちの権力争いのように思えてしまいますし、表面的な枠組みは作ったものの、実質的な中身を作り、運営するには、薩長の元志士たちだけではできなかったのだろうと思われます。では、近代的な制度を運営する人々を養成するには、どうすればよいのか?

    その答えは、おそらく
    (1) 旧幕時代の実務家の登用
    (2) 外国人教師の招聘
    (3) 留学生の派遣
    (4) 学校の教育内容の整備
    などであったろうと思われます。

    このうち、(1)の旧幕時代の実務家の登用は、蘭学・洋学の蓄積が背景にありました。
    (2)の外国人教師の招聘や(3)の留学生の派遣には、薩長の密航留学生や、彼らをあっせんしたジャーディン・マセソン商会、グラバー商会の縁がありました。
    (4)の学校の教育内容の整備は、教科書の作成や教材教具・施設設備などはすぐ思いつきますが、実は明治初年の日本の現実の中で、何をどのような順序で教育していくべきかという教育的識見が最も重要であったろうと思われます。外国人教師や留学生たちが、自分の趣味嗜好や思い付きで構想したのではない、というところが重要でしょう。

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    高田郁『天の梯~みをつくし料理帖(10)』を読む

    2014年09月06日 06時03分34秒 | 読書
    角川ハルキ文庫の人気シリーズ、高田郁『みをつくし料理帖』シリーズの最終巻、『天の梯』を読みました。幼なじみの野江が運命の転変で吉原のあさひ太夫となり、その身請けの費用が四千両だと言います。澪はなんとか野江を身請けしたいのですが、算段がつかないままに第10巻まで引っ張ってきたシリーズも、ついに完結となりました。

    第1話:「結び草~葛尽し」。澪と名前が同じ読みの伊勢屋の美緒を、葛尽しの料理で励ます話です。源斎先生の健康不安は、どうやら澪が考えてあげなければ、どうにもならないようですね(^o^)/

    第2話:「張出大関~親父泣かせ」。吉原に鼈甲珠を高値で納めながら、貸家を借りて始めた商いが、鼈甲珠の床を利用した粕漬け作りでした。もう一つ、お城の徒組の侍たちから、一月の間、毎日10個の弁当をまとめて注文を受けることになります。徒組は、御膳奉行の詰所も近くにあるとのことで、澪は少しだけ胸が痛みます。一方、澪の料理の才能に自信を失いかけた政吉の得意料理は、見た目は悪いが味の良さは驚嘆すべきものでした。おかげで「つる家」は大繁盛ですが、お城で評判の徒組の弁当を求めて、源斎先生の母親が訪ねて来ます。ところが、酢の物を食べた途端に、母堂は倒れてしまいます。

    第3話:「明日香風~心許り」。料亭「一柳」に忘れ物があり、自身番に届けたら、酪の密造の容疑で一柳の旦那の柳吾が番屋に連行されてしまいます。源斎先生に教えてもらった情報をもとに澪が推測した登龍楼の采女宗馬との関わりは、零落した富三が告白した文により裏付けられますが、それは芳を佐兵衛と柳吾との板ばさみに追いやることでした。

    第4話:「天の梯~恋し栗おこし」。物語の最終の結末は、伏せておいた方が良かろうと思い、省略いたしますが、なんとも心憎い、粋な解決でした。物語の終わりに、たいそう穏やかな心持ちになりました、とだけ書いておきましょう(^o^)/
    おかげで、たいそうおもしろく読みました。



    物語の筋立てとは別に、料理の方向性の違いに興味を持ちました。美食を追求するという方向や、安く早く簡単というお手軽さの追求の方向のほかに、「食は人の天なり」という言葉に表されるような、健康の元になる方向性もある。なるほど、です。

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    インクリフィルに互換性があったにしても

    2014年09月05日 06時02分52秒 | 手帳文具書斎
    三菱のボールペン、シグノRTとジェットストリームの単色には、替え芯に互換性があることを確かめました。でも、結局は元に戻してしまいました。理由は?

    (1) Signo RT に Jetstream の単色芯を入れても、軸がそれほど魅力的ではない。見るからに安っぽい感じがするだけでなく、持ちにくい・書きにくいものです。筆記角度?
    (2) Jetstream の単色軸に Signo RT の替え芯を入れても、ブルーブラックの色は魅力があるけれど、書き味がいまいちです。




    結局は、書き味と外観の安っぽさには目をつぶり、ブルーブラックの色が目当てで Signo RT を使うことがあり、ふだんは Jetstream を使うことに落ち着きます。ジェットストリーム単色軸は書きやすく、あんがい良いものだと感じます。



    ところで、他との互換性はまったく想定していないパワータンクですが、先のアフィニス音楽祭でたまたま備忘メモに用いたところ、かなりの速書きにも追従できることがわかり、驚きました。従来型の油性ボールペンは、書き味の重さから速記的なメモには向かないと考え、もっぱらジェットストリームを使っていましたが、加圧式のためかインクがかすれず、速く書いてもきちんと追従してくれます。これは意外な発見で、思わずパワータンク・スマートを見直しました。

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    三菱のボールペン「クリフター」3色の黒をJetstream芯に変更する

    2014年09月04日 06時01分03秒 | 手帳文具書斎
    過日、クリップの強力さを知り、三菱のボールペン「クリフター」の三色タイプを購入しました。ルーズリーフのバインダーにとめて持ち歩くなどの用途にはぴったりで、便利に使っております。



    ただし、いかんせんインクは従来型の油性ボールペンの書き味です。書き出しが重く、速く書くのには向きません。ワンポイントで、しかもたまにしか使わない赤や青ならそれでもいいけれど、大量筆記をする黒は、「ジェットストリーム革命」を経験した今、あえて選ぼうとは思わない。そもそも、このボールペンを購入した理由が、「Jetstream多色芯SXR-80が使える」というのが大きな理由ですから、まずは粛々とジェットストリーム芯に交換しました。黒の 0.7mm です。これで、多色のボールペンがまた一本増えてしまいました(^o^)/



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    最近のブログ運営の状況

    2014年09月03日 06時03分11秒 | ブログ運営
    このところ、当ブログのアクセス状況には異変が起こっておりました。まず、NHKの朝ドラ「花子とアン」の影響か、『アンのゆりかご~村岡花子の生涯』の記事(*1)にアクセスが殺到する時期がしばらく続きました。最新の記事を差し置いて、2012年のこの記事がアクセス数でトップになるのを見ると、いささか複雑な心境になりました。

    それが一段落したと思ったら、こんどは突然に「実割れや双子果はどうなるの?」という記事(*2)にアクセスが集中しました。800を超えるアクセスは、新記録です。8月29日のことでしたが、これは理由が全くわかりません。もしかするとどこかの小学校や中学校あたりで、調べ学習のテーマになったりしたのかな、あるいは都会の長い夏休みの宿題のネタになったのかな、などと思います。パソコン通信の昔なら、教えてもらった方にお礼を返信するのがマナーでしたが、今は逆に、安全のためにネットへの書き込みは控えるようにと教えているのかもしれません。ちょいと一抹の寂しさも感じます(^o^;)>poripori

    そうそう、少し前に、50万アクセスの記事(*3)を書いたばかりのような気がしていましたが、なんと、もうIPアドレスで90万を超えて、もう少しで100万!という大台に近づいておりました。なんともはや、驚くばかりです。ごらんのとおり、相も変わらぬ人畜無害サイトですが、日々更新を続けていると、そんな記録にも届きそうな段階に到達できるのですね。通りすがりの方にも、足繁く日参していただいている方々にも、ただただ感謝です。御礼を申し上げます。

    (*1):村岡恵理『アンのゆりかご~村岡花子の生涯』を読む~「電網郊外散歩道」2012年1月
    (*2):実割れや双子果はどうなるの?~「電網郊外散歩道」2011年6月
    (*3):祝!~IPアドレスで50万アクセスに到達~「電網郊外散歩道」2012年5月


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    日本化学会編『日本の化学~100年のあゆみ』を読む

    2014年09月02日 06時01分51秒 | -ノンフィクション
    当ブログの「歴史技術科学」カテゴリーの記事のために、昔の本を少しずつ読み返し、記憶を確かめています。日本化学会編・井本稔著『日本の化学~100年のあゆみ』(化学同人、昭和53年4月刊)は、1979年6月21日に読了したと日付が入っていますので、35年ぶりの再読ということになります。たしか、関東某県にて就職していた時代に、日本化学会のルートで入手したのではなかったか。もしかしたら書店で一般販売もされていたのかもしれませんが、ベストセラーになるような性格のものでもありませんし、このへんの記憶は曖昧です。



    本書の構成は、次のようになっています。

    第1章:化学会の創立まで
    第2章:明治の時代
    第3章:大正時代から昭和初期へ
    第4章:太平洋戦争の前後
    第5章:この四半世紀の発展
    第6章:今後の化学と化学工業

    内容は、化学関係者だけでなく、科学史的にもたいへん興味深いものです。
    たとえば第1章では、「1800年代の化学」の節に始まり、「日本の化学の系譜」「日本の化学工業」と続きます。19世紀、原子説と周期律表からリービッヒとヴェーラーが無機化合物と有機化合物の隔たりを埋め、ギーセン大学の化学実験室からブンゼンやケクレなどが出て炭素化合物の立体化学が始まります。ベンゼンの環状構造が提唱されてからは、人造染料と近代化学工業の時代となり、ノーベルによるダイナマイトの発明で、スエズ運河やアメリカ大陸横断鉄道、石油採掘など、世紀の建設の時代へと突入します。
    このころの日本は、もちろん鎖国の時代でしたが、フランス革命を牽引したと言われるディドロの『百科全書』を翻訳していた蘭学者たちの中に、宇田川榕庵『舎密開宗』、川本幸民(*1)『兵家舎密真源』『化学初教』『化学新書』などが登場してきます。

    こんな具合に、きわめて具体的かつ精密に、日本の化学百年が歴史の中に位置づけられて記述されています。岩波新書『プラスチックス』で著名な碩学で、文筆でも有名だった井本稔氏の執筆だけあって、内容は固いですが文章は読みやすいです。当面の必要からは第1章と第2章を読めば足りるのですが、掲載された各種資料・統計データも興味深く、おもしろく再読しました。

    (*1):北康利『蘭学者川本幸民』を読む~「電網郊外散歩道」2008年9月

    【追記】
    この本は今でも入手できるのだろうかと思い、Amazon の古書の値段を見たら、6,000円近い値段がついていて驚きました。まさかそんなはずはなかろうと、古書専門業者のサイトを見たら、600円超くらいの値段になっており、それくらいならばまだ理解できるというものです。

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    山響第239回定期演奏会でハイドン「太鼓連打」とシューベルト「ザ・グレイト」を聴く

    2014年09月01日 06時04分21秒 | -オーケストラ
    桃の収穫作業はすでに終了し、果樹園の草刈り作業に精を出した日曜の午後、よく働いたご褒美に、演奏会に出かけました。
    8月には二回目のオーケストラ演奏会となる山形交響楽団第239回定期演奏会は、鈴木秀美さんの指揮で、ハイドンの交響曲第103番「太鼓連打」とシューベルトの交響曲第8番「ザ・グレイト」です。



    恒例の指揮者プレ・コンサート・トークでは、鈴木秀美さんが登場、ハイドンをプログラムに入れるとお客さんが集まらないのは、日本だけの現象ではなく、ヨーロッパでも同じだそうです。ロンドンの一般大衆のために書かれた交響曲は、当時、大歓迎されたそうな。ハイドンの来英が遅れたとき、オックスフォードでは暴動が起こったのだそうで、当時の大衆の教養が格別高かったわけではなく、作曲の報酬がハイドンはモーツァルトの六倍だったといいますから、ハイドンの人気のほどがうかがえます。
    今回の交響曲第103番の愛称「太鼓連打」、英語で "Drum Roll" は、作曲者自身がつけたのではなく聴衆が付けた愛称で、一連のロンドンの演奏会では、「ザロモンセット」のどの曲でも緩徐楽章がアンコールに要求されたそうです。今回の103番とシューベルトの8番にも、ふと歌曲が聞こえてくるような味わいがあるとのことでした。

    さて、ハイドンの交響曲第103番、変ホ長調「太鼓連打」、楽器編成は次のとおり。
    ステージ左から、第1ヴァイオリン(8)、ヴィオラ(5)、チェロ(5)、右端に第2ヴァイオリン(7)、その右手奥にコントラバス(3)という対向配置の弦楽セクションです。正面奥には。フルート(2)とオーボエ(2)が並び、その奥にクラリネット(2)とファゴット(2)の木管楽器が位置します。その左右には、左側にホルン(2)、右側にトランペット(2)といずれもナチュラルタイプの金管楽器が配置され、正面最奥部にバロック・ティンパニが二台、デンと構えます。コンサートマスター席に座るのは、楽団のお姉さん、犬伏亜里さんです。今回の「太鼓連打」では、けっこう長いソロがありますので、大注目です。

    第1楽章:アダージョ~アレグロ・コン・スピリト~アダージョ~テンポプリモ。タイトル通り、ティンパニの連打で始まります。今回は、バロック・ティンパニを使っていますので、おどろおどろしい始まりではなくて、いかにもこれから登場する人に華を持たせ、期待を持たせるような性格のものと言ってよいでしょう。アレグロの主題が提示されると雰囲気はがらりと変わり、これらが展開され、再びティンパニのロールと低音の序奏部が再現されると、アレグロのコーダで結尾となります。
    第2楽章:アンダンテ~ピウ・トスト・アレグレット。切れの良いリズムで進みます。調が違うからでしょうか、トランペットは赤に持ち替え。途中のコンサートマスターによるヴァイオリン・ソロも、軽やかで澄んだ音で、ハイドンらしいチャーミングな清潔感があります。それが一転して合奏に転じたときのダイナミックな力感! ティンパニも遠慮せずに叩いている感じで、平下和生さん大活躍! 力強い終結です。
    第3楽章:メヌエット~トリオ。いかにも大広間で皆が踊っていそうな、軽やかなメヌエット。山響の弦楽セクションの柔軟さ、透明感を感じます。また、クラリネットの音色がよく似合う音楽ですね~。
    第4楽章:フィナーレ、アレグロ・コン・スピリート。ほぼ休みなしに、すぐにホルンによるフィナーレの導入が始まります。緊張感が持続され、生き生きと展開される間に、しだいに高揚感へと変わっていきます。棒なしで指揮する鈴木秀美さんのハイドンは毎回(*1~*2)素晴らしいのですが、今回もまた、活力と生命感にあふれた素晴らしい演奏でした。

    ここで、15分の休憩です。ホワイエでは、飲み物を求める人の長い列ができており、いつもの様子とは違いました。コーヒーでも飲もうかと並んだのですが、時間切れになりそうでしたので、急遽オレンジジュースに変更、ごくごくと飲んであわてて席に戻り、なんとかすべりこんで間に合いました(^o^;)>poripori

    後半は、シューベルトの「ザ・グレイト」。休憩の間に、楽器配置が若干変わります。弦楽セクションのうち、対向配置の第1・第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロは変わりませんが、コントラバスが後方左手に移動し、正面奥にフルート(2)とオーボエ(2)、その奥にクラリネット(2)とファゴット(2)と木管楽器が並び、左にホルン(2)、右にトランペット(2)、正面最奥部のコントラバスの右にトロンボーン(3)、うち一本はバス・トロンボーンにしては小ぶりで、でも少し大きめの楽器と見ましたが、さてどうでしょう。バロック・ティンパニはチェロの右手後方に。

    第1楽章:アンダンテ~アレグロ・マ・ノン・トロッポ。指揮の鈴木秀美さん、ここでは指揮棒を用いて指揮をします。二本のホルンが、シューベルトの音楽を導き、活力ある力強い開始です。テンポはやや速めなのでしょうか、でも速すぎることはありません。木管も全体に埋もれることなく、リズミカルに音楽を支え、ナチュラルタイプの金管楽器も、ここぞというときにはバリバリ存在をアピールします。
    第2楽章:アンダンテ・コン・モート。リズミカルな弦の刻みにのせて、オーボエにクラリネットが加わるあたり、いいなあ。指揮者も、この楽章は棒なしです。ティンパニは切れの良いリズムを聴かせ、ホルンが憧れを吹き、ダイナミクスの対照も明瞭に、前進する音楽です。
    第3楽章:スケルツォ、アレグロ・ヴィヴァーチェ。鈴木秀美さんが再び指揮棒を取り、はずむようなリズムでスケルツォ楽章が始まります。トランペットは青で。後半、ホルンの後に曲想が変わりますが、各部分の和ではなくて、オーケストラは全体として音楽を作っているのだなあとあらためて感じます。再び明るい曲想に転じて、輝かしい印象です。
    第4楽章:アレグロ・ヴィヴァーチェ。鈴木秀美さんの指揮棒のもと、見事な爆発でフィナーレが始まります。速めのテンポで、力感にあふれ、アンサンブルは快活で生命力を感じさせるものです。そして、これでもか、これでもかと畳み掛けるような面も見せながら、再現部を経て最後のフィナーレへ。演奏する側も大変そうなこの前進力、推進力は、歌曲王シューベルトの意外な一面、パワフルな活力と生命力を見せてくれます。

    客席の聴衆からは圧倒的な拍手で、アンコールが演奏されました。曲は、シューベルトの「ロザムンデ」間奏曲。ティーリリラーラ、ティラリリラーラ、弦が本当に美しい。柔軟で、透明で。木管の音色も素晴らしい。金管の皆さんは今回のアンコールはお休みでしたが、きっとほっとされていたことでしょう。



    終演後のファン交流会では、山響のメンバーがしだいに自分の語法に慣れてきているので、やりやすいと語っていました。こんどは庄内の響ホールで、ヨハン・シュトラウスを振る予定だとのこと。それは面白そうですね~(^o^)/



    ところで、現代では、マーラーだとかブルックナーだとか、一時間を超えるような大曲も珍しくなくなっていますが、当時としてはきっと破天荒な長さだったのでしょう。ウィーン楽友協会がシューベルトの交響曲を「演奏不可能」として拒否したのは、当時としてはしかたがなかったのかもしれません。今ならば、シューベルトの名曲を拒否した不明を恥じなければいけないわけですが、当時としては「演奏が大変だからやめておこう」となったのかもしれず。なかなか難しいものです。

    (*1):鈴木秀美指揮の山響第214回定期でボッケリーニ、シューベルト、ハイドンを聴く~「電網郊外散歩道」2011年7月
    (*2):山形交響楽団第228回定期演奏会でハイドン、ベートーヴェンを聴く~「電網郊外散歩道」2013年4月


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