電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

次は何の曲を聴こうか

2015年11月15日 06時00分48秒 | クラシック音楽
早朝出勤して職場から戻った土曜の午後、外は寒く雨降りですので週末農業はお休み、ちょうど良い骨休めとなりました。妻と娘は外出、老母はお昼寝です。こんなときは、自室で暖房に点火し、デスクトップ・パソコンで簡易 PC-audio を楽しむに限ります。

  1. モーツァルト:ヴァイオリンソナタ第35番 ボスコフスキー(Vn)、リリー・クラウス(Pf)
  2. ロマンティック・ギター名曲集 ジェラルド・ガルシア(Guit.)
  3. ヘンデル:オラトリオ「メサイア」 ボウルト指揮ロンドン響、合唱団

ボウルトの「メサイア」も、いいなあ。心が洗われるようです。さて、次は何を聴こうか?

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妻のプリンター故障の修理が完了した件について

2015年11月14日 06時04分16秒 | コンピュータ
先月の中旬に妻のプリンタ複合機 CANON PIXUS MG-6330 が故障し、購入した量販店に修理を依頼しておりました(*1)が、10日ほどで修理が完了したとの連絡があり、受け取って来ました。修理明細書の記載によれば、

この度はご不便をお掛けし申し訳ございませんでした。検査の結果、全インクタンク不良によるプリンターエラーを確認、分解にてインクタンクの取り外し、及び再セットいたしました。タイミングフィルム不具合とプリントヘッドの印字不具合を確認、交換いたしております。機内清掃、各部点検、動作チェックいたしております。今後ともご愛顧のほどよろしくお願いいたします。

とのことです。購入したのが2013年の9月で、故障発生が2年後の2015年10月ですので、購入時に付けた三年の延長保証がドンピシャで役に立ったことになります。



今回のトラブルの教訓は:

  1. 今回は、量販店で購入したのが正解だった。通販では、故障時の対応がなかなか難しい。
  2. 機械的な動作をする機器は、故障の可能性があり、延長保証を付ける意味がある。

あたりでしょうか。

いずれにしろ、量販店の担当さんも、キャノンの修理担当さんも、たいへんお世話になりました。妻も喜んでおります。ありがとうございました。

(*1):妻のプリンターが故障し修理を依頼する~「電網郊外散歩道」2015年10月

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諸田玲子『幽霊の涙~お鳥見女房(6)』を読む

2015年11月13日 06時01分06秒 | 読書
新潮社刊の単行本で、諸田玲子著『幽霊の涙』を読みました。だいぶ前に文庫本でおもしろく読んだ、矢島家の出来杉な女房・珠世さん(^o^)を主人公とする「お鳥見女房」シリーズの第6巻。2011年9月に初版が刊行されているようです。お鳥見役というのは、鷹狩場の管理と将軍などが鷹狩をする際の準備にあたるというのが表のお役目ですが、実は旗本や大名の内情を探る密偵の役目も持っているのだそうです。今回は、鷹姫を嫁にもらって姑となった珠世さんはじめ、家族の皆が長男の久太郎の諜報任務を心配する話です。

第1話:「幽霊の涙」
第2話:「春いちばん」
第3話:「ボタモチと恋」
第4話:「鷹は知っている」
第5話:「福寿草」
第6話:「白暁」
第7話:「海辺の朝」

第1話:「幽霊の涙」。珠世の父・久右衛門の初盆を前に、背格好も良く似た男が幽霊のように周辺で目撃されます。それは、久右衛門の若き日の朋輩、安木市兵衛でした。安木は矢島家で三日間居候し、初盆を過ごします。一方で、長男の久太郎は、厄介な任務を命じられます。

第2話:「春いちばん」。老中首座をめぐる青山下野守と阿部伊勢守の不和を背景に、密偵の任務を命じられた久太郎は、相模へ出立します。伊勢守の下屋敷の火事で、なにやらいわくありげな娘を保護したので預かってほしいと、源太郎がやって来ます。波智というその娘は、武家出身の立ち居振る舞いでしたが、どうやら悲劇的な最期を遂げたらしい。

第3話:「ボタモチと恋」。源太夫の娘・里と工藤三十郎の縁談がまとまるまでのてんやわんやのお話。末尾に、相模国で久太郎が危難に遭遇する場面がさりげなく描かれます。

第4話:「鷹は知っている」。大名家の鷹が逃げた事件で、夫の伴之助が責任を取ることになりますが、どうやら、生意気な若者にお灸をすえた上司の、温情あるはからいのおかげで、なんとか元通りになったようです。

第5話:「福寿草」。相模国で、信頼していた道案内人の治助にだまされて、崖から転落した久太郎は、幸運にも漁師に救われていました。孫娘の波矢から思いを寄せられても、妻の恵以がおり、密偵の任務を放棄することはできません。一方、江戸では妻の恵以が今にも捜索に出ようかと心が逸るばかりで、そんな混乱の中での少女の危機(^o^)/

第6話:「白暁」。源太夫の次男・源之助が相模国の地図を写していたと知った珠世さんは、久太郎の無事を祈ります。一方で、源之助が自分を探していることを知った久太郎は、治助によって源之助も消されてしまうと恐れます。恵以もまた辰吉親分とともに相模国に向かっていました。

第7話:「海辺の朝」。源之助の危機と久太郎の帰還、そしてその後日談です。悲劇的な結末は決して後味の良いものではありませんが、物語は主人公一家の「小さな幸せ」だけを描いて終わるものではありませんでした。



やっぱり出来杉とか都合良杉とかの杉林がチラチラ見える面はありますが、なかなかおもしろく読みました。いつの間にかお姑さんになり、孫も生まれてくると、さて作者は珠世さん夫婦の老いをどのように描いていくのだろうと、興味は外野席視点からも盛り上がります(^o^)/

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コンビニでトイレ休憩をして新しいメモ帳を購入する

2015年11月12日 06時01分08秒 | 手帳文具書斎
先日、お出かけ先で、コンビニに入り、トイレ休憩をしました。そういえば、メモ帳がそろそろ終わりだと気がつき、新しいものを補充して来ました。どうやらコクヨのOEMで、5ミリ方眼の50枚。表紙の白がまぶしい。紙質は、万年筆でも充分に大丈夫です。



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帚木蓬生『風花病棟』を読む

2015年11月11日 06時05分30秒 | 読書
以前、ラジオの朗読番組で聴いた「かがやく」という作品がたいへん印象的だった(*1)ために、その原作が収録された、帚木蓬生著『風花病棟』を探しておりました。過日、さいわいにその本が新潮文庫の中に見つかり、ようやく入手することができました。

作者は1947(昭和22)年に福岡県に生まれ、東京大学仏文科を卒業後にTBSに勤務し、二年で退職したとのこと。その後、九大医学部に学び、精神科医として働くかたわら、作家としても活動した方のようです。

本書の内容は、次のとおり。

第1話:「メディシン・マン」
第2話:「藤籠」
第3話:「雨に濡れて」
第4話:「百日紅」
第5話:「チチジマ」
第6話:「顔」
第7話:「かがやく」
第8話:「アヒルおばさん」
第9話:「震える月」
第10話:「終診」

文庫版のあとがきによれば、「小説新潮」の依頼で毎年7月号に短篇を1作ずつ書き継ぎ、十年後に「終診」で完結したのだそうですが、十年の歳月など感じさせない、思わず「うるっ」となる短編集です。

第1話:「メディシン・マン」。医局の同門会で、少し前まで沖永良島にいた後輩に声をかけられます。そこで、一人の患者の消息を耳にします。若者が二人、釣りにいきますが、酒に酔って寝ている間にもう一人が行方不明になってしまいます。舟から落ちて流されたらしく、さんざん探し、また村人にも捜索してもらいますが、結局見つかりません。二人の若者は、仲の良い同級生であるだけでなく、実は同じ一人の娘に思いを寄せていたのでした。村人の総意で、彼への疑いを晴らしてほしいとの依頼で、医師は麻酔薬を用いたインタヴューを試みます。その結果は……。
第2話:「藤籠」。市立病院の医師が、30歳で二児の母の患者を担当します。骨盤の右側に悪性の腫瘍の転移巣が見つかり、一時的に良くなって退院したものの、再発してまた入院してきます。本人に告知をするべきかどうか。夫の意向で告知しないことにしますが、病状はしだいに悪化するばかりです。患者が亡くなった後に、医師はまだ幼い自分の娘に絵本を読んでやりますが、その中に亡くなったあの患者が話していた山藤の景色とそっくりの場面が描かれているのです。もし、彼女に告知していれば、後に残される二児のために、美しい物語を書いていたかもしれない……。
第3話:「雨に濡れて」。医師が癌になるとき。第4話:「百日紅」、父親の医院を継がず、田舎を捨てて都会で医師となった息子が、火災で焼死した独居の父親の遺体と対面します。村人の話の中に、自分の知らない父親の姿と医療を知り、後悔と尊敬の念を抱きます。大人になった息子が、その父親の姿を再発見する物語です。
第5話:「チチジマ」。太平洋戦争中に、父島で目撃した米軍の救出劇。父の戦友だと言った元米軍軍医との不思議な交流。第6話:「顔」、苦い話の中に、医師としての心理を見つめます。
第7話:「かがやく」。朗読によるラジオ番組の印象は変わらず、なお余韻が残ります。第8話:「アヒルおばさん」、まだ若い女医さんの経験。第9話:「震える月」こちらも、軍医であった父のベトナム従軍記が関係する話です。民族解放戦線の成立が、そういう経過だったことを初めて知りました。
第10話:「終診」、古稀を迎える老医師が診療から身を引くときの話です。



たいへん興味深く読むとともに、何度も「うるっ」となりながら、感銘を受けました。どうやら、著者もまた急性骨髄性白血病を発病し、「雨に濡れて」と同様に「終診」を経験したらしい。初めて読んだ作品が良かっただけに、もう少し同氏の作品を読んでみたいものです。

(*1):ラジオ文芸館「かがやく」を聴く~「電網郊外散歩道」2015年9月

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Windowsデスクトップ機にいくつかのアプリケーションソフトを導入する

2015年11月10日 06時02分49秒 | コンピュータ
更新したWindowsデスクトップ機に、懸案となっていたいくつかのアプリケーション・ソフトウェアを導入しました。具体的には、次の通りです。

  • Chrome
  • Libre Office 5.0 (Writer,Calc,Presentation,DB等)
  • Gimp 2.8
  • Sakura Editor 2.2
  • 一太郎2015
  • 花子2015
  • Shuriken2015

基本的に、Linux と Windows と共通のアプリケーションを採用するようにしていますが、今回の「一太郎・花子」兄妹に関しては、Windows 独自になります。今や、文字コードも UTF-8 に共通化されておりますので、当方に関する限り、特に大きな問題になるようなところはなくなりました。ありがたいことです。

ちなみに、テキストエディタの「Sakura Editor」はこんな感じ。



Libre Office 5.0 Writer はこんな感じ。



さて、これでメイン・パソコンの不調が起こっても、いつでもカバーできるようなバックアップ態勢が整いました。あとは、データを整理して格納することと、細かなツール類をその都度整備していくことでしょうか。いやいや、ScanSnap の利用もあったなあ(^o^)/



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温泉旅館に泊まって

2015年11月09日 06時02分20秒 | 散歩外出ドライブ
先日、野暮用があり、蔵王温泉の某有名旅館に宿泊しました。いつも利用するビジネスホテルの場合は、各部屋にLAN接続の環境が整備されていますが、ここはロビーに無線LANの利用環境があり、ノートパソコンが一台、常時使えるように置いてあり、利用者の便宜をはかっているようです。とはいうものの、不特定多数が使うパソコンではせいぜいネット検索くらいで、セキュリティ面の不安から、ユーザーIDとパスワードをセットで入力するような使い方はしないようにしています。

そんなわけで、早朝に目が覚めてしまっても、旅館では勝手にコーヒーをわかして飲むこともできませんし、季節の果物をむいて食べることもできません。サービスを売り物にする旅館では、サービスの時刻は結局は「あちらまかせ」です。自宅での自由な生活の価値を、つくづくと感じてしまうところです。

それでも、のんびりと温泉につかる気分は格別のものがあります。夕方に入り、夜にまた入り、早朝起き抜けにまた風呂に入るとき、紅葉の山々の夜明けは静かで穏やかです。空は晴天のようで、下界は濃霧に包まれている模様。温泉に入って温まった体で冷たい外気を感じるのは、実に爽快です。

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しばらくぶりに市販ソフトウェアを購入する

2015年11月08日 06時05分34秒 | コンピュータ
Windows デスクトップ機を更新したのを機会に、ほんとうに久しぶりに(*1)市販ソフトウェア製品を購入しました。



購入したのは、「一太郎2015プレミアム」のバージョンアップ版。ずいぶん久しぶりですが、ネットから注文するとき、ユーザー登録はまだ生きておりました。保存しているシステム手帳のリフィルの中に、各種ユーザー登録の一覧覚えがありますので、これを参照して無事に注文完了。数日して、DVD-ROM 版のパッケージが届きました。このあたり、昔と違って実に早いです。昔といっても、銀行振込で送金し、送金が確認されてから送付されてくるというやり方だった、平成の始め頃と比較しての話ですが(^o^;)>



なぜ一太郎なんぞを購入したのかといえば、これはもう、30周年記念「プレミアム」判に添付のフォントパックが目当てです(^o^)/
epub形式で電子ブックを作成し、当ブログ記事を日付順に読めるように編集したいという遠大な計画の中で、できるだけ読みやすいフォントを使いたいというワガママな理由。Windows 標準のフォントでは、お世辞にも読みやすいとは言えませんので(^o^;)>poripori





もう一つ、別のパッケージも入っておりましたが、これは30周年記念のピンバッジやらコルクボードやらのノベルティ・グッズでした。当方、こういうものにはあまり興味がありませんので、開封はしたものの、また元の箱入り(^o^;)>poripori



Windows デスクトップ機のアプリケーション導入に合わせて、少しずつインストールを進めていきたいと思います。

(*1):最近、パッケージソフトを購入していない~「電網郊外散歩道」2010年2月

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濃霧の中を早朝出勤するとき

2015年11月07日 13時45分57秒 | 散歩外出ドライブ
ここ数日、盆地特有の濃霧の中を通勤ドライブしています。日中に快晴だと夜には放射冷却で気温が下がり、空気中に含まれていた湿気が凝結して水滴になり、霧になると習いました。6日の早朝は、風もなく気温は4℃でした。このくらい冷えると、あたり一面が濃霧に覆われます。路肩の電柱で言うと、二本先までは見えるけれど、その先は見えないレベルの視界となります。このような中をドライブする通勤の音楽は、このところマルティヌーのピアノ協奏曲第1番や第2番などを繰り返し聴いております。

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マルティヌー「ピアノ協奏曲第1番」を聴く

2015年11月06日 06時02分21秒 | -協奏曲
作曲家の若い時代の作品は、中期や晩年の代表作と比較すれば、軽く見られがちではありますが、逆にその人らしさを端的に表している場合があります。しばらく前に購入していたCDで、「望郷の作曲家」マルティヌーの若い時代、といっても1890年生まれのマルティヌーが35歳となる1925年の作品、ピアノ協奏曲第1番を聴き、意外なほどの明るさ、新鮮さに驚かされました。
CDは、エミル・ライフネル(Pf)、ビエロフラーヴェク指揮チェコフィルハーモニー管弦楽団の演奏による2枚組で、この曲は1987年の3月に、プラハのルドルフィヌム(芸術家の家)でデジタル録音されたもの(DENON COCO-73026-7)です。
添付リーフレットの解説によれば、1923年に33歳でパリに出たマルティヌーは、故郷のポリチカで夏をすごし、1925年の8月~9月にかけて、この曲を作曲します。1926年に初演されますが、成功を収めたのは、1928年の冬、ルセット・デカーヴのピアノ、ピエルネ指揮コロンヌ交響楽団によるシャルトレ座での演奏会だったそうです。この時以来、たいそうな人気を博し、師匠のルーセルにもほめられたのだとか。たしかに、古典とロマン派と近代とが融合したような作品で、耳に快く、当方のような素人音楽愛好家にもたいへん楽しめるものです。

楽器編成は、Fl(2),Ob(2),Cl(2),Fg(2),Hrn(2),Tp(2),Tb(2),弦楽5部というもので、これなら当地の山響でも演奏可能な規模でしょう。
第1楽章:アレグロ・モデラート、ニ長調、4分の2拍子。この始まりが、剽軽で実に楽しい。ピアノが登場すると、近代的で幻想的な響きをまき散らしながら、自由でリズミカルで気まぐれな動きを見せてくれます。こういう音楽、好きだなあ(^o^)/
第2楽章:アンダンテ、ト短調、8分の6拍子。ピアノソロがたっぷり聴ける緩徐楽章です。メランコリックな面や悲壮な調子もありますが、それよりもむしろ、見事なピアノソロの印象が強い音楽です。
第3楽章:アレグロ、ニ長調、4分の3拍子。どこかにスメタナの「モルダウ」をアレンジしたみたいな旋律が聞こえます。添付リーフレットの解説やWikipediaの解説(*1)には、第2主題がドヴォルザークの歌劇「ルサルカ」の旋律からとられているとありますが、そもそも「ルサルカ」をまともに観て(聴いて)いないのですから何とも言えません。でも、ずいぶん特徴的な、「あれっ」と思う旋律です。もう一つ、カデンツァの見事さにも、一言触れておきましょう。

よく耳になじんだ曲ばかりを聴いてしまいがちな年齢になって、こういう新しいレパートリーを開拓できるのは嬉しい限りです。若さと活力にあふれた音楽を繰り返し聴いていると、思わず自分の年齢を忘れてしまいます(^o^)/
マルティヌーのピアノ協奏曲第1番、なかなかいい曲です。できれば、実演でも一度は聴いてみたいものです。

(*1):マルティヌー「ピアノ協奏曲第1番」~Wikipediaの解説より
(*2):YouTube にもこの曲が upload されていましたが、どうも権利処理が怪しいので、ご紹介はいたしません。



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Windowsデスクトップ機を入れ替える

2015年11月05日 06時00分58秒 | コンピュータ
自宅では、現在 hp のデスクトップ機で Ubuntu Linux を中心に使っていますが、サブ機として 2002年に購入した WindowsXP のデスクトップ機も残しておりました。メインの Linux 機はデスク正面に置き、サブの WindowsXP 機はデスクサイドのプリンタ台の下部に置き、切替器で切り替えて使っております。さすがに今さら WindowsXP でもあるまいしと、電源を入れるのも間遠になっておりました。妻のノートパソコンも復旧しましたので(*1)、この際、新旧の Windows 機を入れ替えることにしました。新 Windows 機は、消費税が8%に上がる前に確保しておいた Iiyama の64ビット機。OS は Windows7(SP1) です。

ただし、問題になるのは、2台のPCで1組のキーボードとマウスとディスプレイを共用するための、KVMスイッチ(切替器)です。今まで使っていたのは PS/2 タイプのものでしたが、Iiyama の新パソコンでは、キーボードはともかくとして、マウスは USB タイプでないとダメそうです。そこで、PS/2 と USB 併用で使えるものを量販店で物色。サンワの SW-KVM2WVX という製品を購入して来ました。自室で接続してみると、パソコンとの接続は問題ないものの、ディスプレイで問題発生。三菱の Diamondcrysta RDT1712S は、RGB ケーブルをはずすのが難儀です。これは後でゆっくり調べることとして、単身赴任時に使っていたノングレアタイプの17"液晶ディスプレイ:Iiyama ProLite E1705V を使うこととしました。



接続して、Ubuntu Linux と Windows7 とを切り替えてみます。CTRLキーをトントンと連打して Enter すると、画面が切り替わりました。これで、最低限の動作は確保されましたが、まだまだ課題は残ります。

  • プリンターとの接続:今まではパラレル接続していましたが、今度は USB で接続する必要があります。Linux パソコンのほうをパラレル接続に変更しなければなりません。
  • Windowsアプリケーションの動作確認:64bit になったので、各種アプリケーションの動作を確認する必要があります。ダメなものは、代わりを探さなければいけません。


久しぶりのパソコン環境整備、面倒と思わず、時間を見つけて、少しずつ作業を進めましょう。

(*1):妻のノートパソコンを復旧する~「電網郊外散歩道」2015年8月

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あれから20年~Windows95前夜

2015年11月04日 06時02分04秒 | コンピュータ
今年は2015年、Windows95が発売されてから20年になります。たしか11月23日だったと思いますが、当時の雑誌記事を抜粋保存していますので、振り返ってみたいと思います。

上の画像は、月刊誌「ADCII」の1994年8月号の特集「Chicagoのこと、全部教えますpart1」のトップページです。この頃はまだWindows3.1が中心で、新OSも「シカゴ」というコードネームで呼ばれていました。なんだかすごいんだそうだという噂は伝わっており、雑誌ではユーザーインターフェースや技術的な解説が中心でした。





それが1995年3月号では、「Windows95で、あなたのパソコンライフはこう変わる(前編)」という特集タイトルからわかるように、実際に日本語β版を紹介する内容になっていきます。内容は、従来との互換性、ユーザーインターフェース、コントロールパネル、ファイルシステムなどです。





4月号の後編では、リソース管理とハングアップ時の処理、添付アクセサリ、IME/マルチリンガル対応、プリンタと印刷、ネットワークサポート、通信とメール環境、マルチメディアとなっていますが、この当時、残念ながらインターネットという独立した項目はありません。



8月号になると、米国でのWindows95発売を目前にして、「8.24 Windows95が起きる!」という特集が組まれています。



ここで、「Microsoft Plus!」が紹介され、この中に Internet Explorer が含まれています。また、PC95 というハードウェア仕様と、各種アプリケーションとして Microsoft Office for Windows95、Lotus Super Office for Windows95(仮)、一太郎 for Windows95(仮) のほか、各種ゲームソフトの発売予定などが紹介されています。ここで、(仮)となっていないものと(仮)となっているものとの違いが、その後に大きな影響をもたらしたことは、おそらく間違いありません。



そして11月号は、いよいよ日本語版Windows95の発売に合わせて、「Windows95のインストールを256倍楽しもう」という特集になっています。



その内容は、使っているパソコンで Windows95 が動くのかを判定するとともに、Windows95 のインストールの手順と、ダイヤルアップでの MSN への接続設定などを紹介するものです。

1995年の12月号では、「Win95アプリで32ビット楽しい生活」という特集が組まれます。



ここで紹介されているアプリケーションの数々は、次のようなものです。










思わず懐かしくなる方もおられることでしょう(^o^)/



当時、当方は夜昼なしの激務の真っ只中、Windows95 騒ぎのテレビニュースを横目に、MS-DOS上でひたすら膨大な表計算やテキストデータ処理を行い、グラフを加えてWindows3.1でインクジェットプリンタに出力するというような、あまり思い出したくないストレスフルな毎日でした。

幸いに、翌年春には異動となり、環境が大きく変わりました。それにともない、Windows95(OSR2)を導入。月間「ASCII」誌の付録 CD-ROM から Internet Explorer 3.0 を導入して使いました(^o^)/



当時のナンバーワン・ブラウザであった Netscape Navigator に対抗し、Microsoft が無償で公開するという戦略に出たため、月間雑誌の付録として CD-ROM が付くようになったものです。いちばん左が、その記念すべき「もっとお楽しみCD-ROM 1」です。1996年10月号でした。

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テレビで「山響スペシャルコンサート」を観る

2015年11月03日 06時04分17秒 | 映画TVドラマ
去る11月1日(日)、野暮用で出かけなければいけない時刻が迫っていましたが、山形放送(YBC-TV)で過日の「山響スペシャルコンサート」の番組を、途中まで観ました。さらに、娘が録画してくれていたので、後半も全部観ることができました。この10月の、山形国際ドキュメンタリー音楽祭を記念した演奏会(*1)の記録です。およそ一時間の番組は、当日のプログラムを抜粋するとともに、山響のふだんの活動をも紹介するもので、定期演奏会以外はなかなか接することの少ない、小中学校でのスクールコンサートの様子なども取材したものです。



スッペ「軽騎兵」序曲に始まり、永田美穂(Pf)さんを独奏者に迎えたモーツァルトの「ピアノ協奏曲第21番」第1楽章、民謡と演歌歌手の工藤あやのさんとの「最上川舟唄」「花笠音頭」、オーボエのホセ・リカルド・カスタニェーダさんとのモーツァルト「オーボエ協奏曲」第1楽章、山響アマデウスコアが加わって「ふるさと」やシベリウスの「フィンランディア」合唱付きバージョンの演奏など、本番当日のエッセンスを堪能することができました。





残念なのは、我が家のテレビの音声ではホールに響き渡るオーケストラや合唱の素晴らしい音が再現できないこと。でも、さすがに山響を何十年も取材してきている山形放送のテレビスタッフは、コンパクトに要領良く番組をまとめ上げていました。考えてみれば、NHK-TVの「オーケストラの森」で山響を紹介した時も、実際の撮影では在京のスタッフが来県して担当したと聞いています(*2)。地方の民放テレビ局で、クラシック音楽の演奏会で、その曲にふさわしいカメラワークや音響など番組制作の力と経験を持っているところはそう多くないはずです。このように、一般の視聴者にも楽しめる内容になっているところは、立派だと感じます。娘に録画してもらったDVDは、大事に保存しておくことにしましょう。

(*1):山響スペシャルコンサートを聴く~「電網郊外散歩道」2015年10月
(*2):オーケストラの森「山形交響楽団」でマーラーの4番を聴く~「電網郊外散歩道」2006年10月

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柿を収穫し、剪定枝を集める

2015年11月02日 06時04分52秒 | 週末農業・定年農業
よく晴れた日曜日は、週末農業日和です。例年、柿の収穫をしていた11月3日には、親戚の四十九日の法事が予定されていますので、今日のうちに済ませてしまう必要があります。



脚立に上り、大きく実った平核無(ひらたねなし)柿を収穫しました。今年は数が少ない代わりに、大きさが例年になく大きくなっています。食べごたえがありそうです。いたずらして積み重ねてみました。これで40個です。





剪定枝を集めて、後で焼却するために積み上げました。




元気老母は、黒豆をたくさん収穫したようです。



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医師と患者の物語はなぜ心をうつのか

2015年11月01日 06時04分39秒 | 読書
このところ、新潮文庫で帚木蓬生著『風花病棟』を読んでいます。1回に1話ずつ合間をみて読み進めておりますが、どれも心うたれるものばかりです。

ところで、医師と患者の物語は、なぜか心うたれるものが多いように思います。漱石マニアの医師を主人公にした『神様のカルテ』のシリーズ(*1)でも、主人公と脇役たちの造型もさることながら、患者やその家族のエピソードに心をうたれますし、まだ途中までしか読んでいませんが、今回の『風花病棟』でも、若者や大人や老人の患者(とその家族)が登場します。こうした人たちは、その地位・名声・財力とは無関係に、ただ一個のヒトとして生と死に向き合うことを余儀なくされています。必ずしもスーパーではない医師が、それでも真摯に向き合おうとすれば、そこにドラマを読み取ります。

作家が空想によって作り出すドラマよりも、多少なりとも採話を元にしたもののほうが、どうしても深さの点でまさっているように感じられてなりません。家族や親戚、友人知人の死を幾度か経験した中高年には、やがて迎えるはずの自分の最期も思い浮かべながら、物語の中に真実の要素を感じ取るのだろうと思います。

(*1):夏川草介『神様のカルテ』(1)(2)(3)
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