雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

メダカと薔薇の季節が始まった

2024-04-26 05:28:10 | 発想$感想

★ 4月25日、暖かくなった。
 『メダカと薔薇の季節』の始まりである。

 こんな鉢に入れているメダカが、今朝初めて腹にいっぱいの卵を付けた。


  



  午前中は卵を抱いたまま泳いでいたが、
  午後にはホテイ草に卵を産み付けたので、こんな小さなバケツに移した。
  そのままにしておくと、卵は食べられてしまう。


 



  ずらっと並べているが、毎日産むので毎日一つづ卵のついたホテイ草を入れていく。
  気温にもよるのだが、10日ほどでメダカが孵る筈である。


 


  愈々始まった。
  秋まで、毎日忙しい。


★ 忙しいと言えば、『薔薇の季節』も始まりである。

  黄色いモッコウバラ薔薇から、咲いていく。


  
  

  庭木の間に、つる薔薇を植えてるので、樹々の間に花開く。





  ここは空間を渡してあるが、
  いちめんピンクのバラ・アンジェラ。





  前庭はいちめん薔薇で埋まる。


  


  これが最初に1本買ってきた銘花と言われるパパメイアン
  薔薇を最初に買ったのは70歳の頃だから、もう20年になる。

  親木は残念ながら枯れてしまったのだが、
  『挿し木』から育てて、やっとこんなになった。


  


  いよいよ メダカと薔薇の季節の幕開けである。



  
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体重が85,5kgになった

2024-04-25 05:49:55 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 先週、体重を測ったら85.5kgになっていた。
  これは今年の新記録だし、生涯でも一番重い
  その体重がこの1週間続いている。

  大体、83kg台で推移していたのだが、
  急に2kgも増えたのはどうしたのだろう?

  先週は水曜日がゴルフだったし、翌日は病院に行って運動は休んだのだが、
  それ以降はこの1週間ずっと1万歩を記録しているのになぜ体重が減らないのだろうか?


   
  


★ 大体歳をとると、身長は縮んで、細くなって小さくなるのが普通なのに一向にそういう傾向は見られない。
 別に、体重を落とそうとしている訳ではないのだが、
 85,5kgは生涯で一番重いので、ちょっと気になっている。

 ただ基礎代謝量』も上がって1770となっているからか、
 秤の最後に出る『年齢』はむしろ下がって77歳と出るから不思議である。
 実年齢よりも14歳も若く出る
 

★昨今はいろいろと数値が解るのだが、なかなか理解できない。
 「体重÷身長÷身長=BMI」なのだが、そのBMIは、22~25あたりがいいようだが、
 私の場合は30に近くなるから、やはり肥満であることは間違いない。

  



★ ただ、毎日運動を続けているし、
 それも単なるウオーキングではなくて、ダッシュなども取り入れてるので、
 体重も増えてるが筋肉も増えているのかも知れない。
 現在の太ももは張りもあるし、生涯で一番確りと太いようにも思う。
 そんなことなどで『85kg』もあまり気にせずに
 前向きにとらえて、毎日の生活を続けようかなと思っている。

 

 
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雨が少ない三木と・・・

2024-04-24 06:25:02 | 発想$感想

★大阪や神戸は雨だったのに、三木は曇りで雨にはならなかったので、昨日はいつもの通り散歩に出かけた。

 三木総合防災公園の中にはこんな水路が通っている。

  


  
  こんな水路があって絶えず水が流れている。
  その水は遠く北の方のダムから流れてきている。






  三木の川の上に橋が架かっているが、
  これは人が渡るのではなくて『』が渡っているのである。






  「東播用水淡河幹線水路」はこんな北のダムから水を引いてきていて、
  こんな大事業を国が展開しているのだが、
  それは雨の少ない播州平野に水を供給するためなのである。

  

  


  ホントにこの辺りは雨が少ないので、
  播州平野にはこんなにいっぱい溜池があって、


  

 

  三木にも溜池が多いとは思ったが、4000もあるとはビックリなのである。
  



★ それにしてもなぜ播州は雨が少ないのだろう?
 と思いながら三木総合防災公園を散歩してきた。

 この公園の中を水路が走っているのだが、それは公園ができる前からあったのだろう。
 ここは昔は山だったので、自然の大木なども残っている。

 いまの時期目立つのは『ふじである。

 こんな大木が何本かある。
 樹齢何年なのだろう?
 雨は少なくても、自然に樹は育つのである。


  


 ホントに大きい。
 少なくとも、私が産まれる前からあったのだと思う。

 


 樹齢100年は大木だと思っていたが、
 私も91年生きたと思うと樹齢100年』は大したことはない。

 我が家の庭木も、ここに住んでもう50年になろうとしているので、樹齢100年に近い筈である。

 そんなことを何となく想っているが、
 夜にかけては雨になったのだろうが、今朝はもう曇り空になっていた。
  
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メイハツ&メグロとの想い出と 小野田滋郎さん

2024-04-23 06:24:23 | カワサキ単車の昔話

★ 1964年に目黒製作所を吸収合併とあるが明発工業とはそれよりずっと以前から提携し、その販売網をそのまま頂いてカワサキ自動車販売として、国内販売を行っていたのである。
 
  


 当時の川崎航空機の明石工場は戦前からエンジン工場であったことから、戦後も米軍のジェットエンジンのオーバーホールや、農業用の小型発動機エンジン生産などを行う傍ら、明発工業に二輪のエンジンを提供したことが本格的な二輪事業へのスタートとなるのである。

★ただ、エンジンについての専門家はいたのだが、民需・末端市場販売網を敷いて最終ユーザーと繋がるような『二輪販売』については、全く未知の世界で何のノウハウも持っていなかったのである。

そんなことから社長・専務は川崎航空機からだが、それ以下のメンバーはすべてメイハツ・メグロからの人達の『カワサキ自動車販売』販売関係は丸投げしてのスタートだったのである。
 
私自身は1961年に初めて出来た単車営業課の課員としてカワサキ自販への出荷販売を担当したので、当時神田岩本町にあったカワサキ自販の本社に出張することも多く、そこで、メグロや明発の人達と接する機会があったのである。
このカワサキ自販には高野専務が独り川崎航空機から出向で、あとはメイハツ・メグロの人達だったのである。
そこで高野専務を支えていたのが、総務課長兼広告宣伝課長の小野田滋郎さんだったのである。
 
小野田滋郎さんはあのフィリッピンの小野田寛郎さんの弟さんで、
陸軍士官学校卒の英才で、私が小野田さんから学んだことは本当に多かったのである。


  

 

★ 小野田滋郎さん
カワサキのレースの創生期にヤマハから三橋実を引っ張り、カワサキコンバットを事実上作った人である。
この人が自分に与えた影響は大きい。
思想的にも、仕事の実務的なやり方も、それに対する態度も。
この人にはとてもかなわぬと思った数少ない人の一人である。

陸士出身、文学を愛し、酒を好み、人間味あふれる人柄、
小野田滋郎の物事に向かうときの純朴さと一徹さを見習いたい。

箸袋 寛郎と今も 還らぬ子 

小野田さんのおふくろさんが、正月に詠んだという句。
このお母さんの話も、小野田さんの話によく出てきた。
人生には、いろいろ影響を受ける時期もあり、また人もいる。
本当に、小野田さんには影響を受けた、戦略論の基本も教わった。
年賀状の文章は、逆立ちしても真似の出来ない素晴らしいもので、いつも楽しみにしていた。
いつまで経っても、そんな文学青年みたいな小野田さんが、また魅力であった。
戦後、小野田滋郎さんは自衛隊にもおられたのだが、その後、メグロからカワサキ自販に来られたのである。

この時期の一番の想い出は『小野田滋郎さん』なのである。
私にとって小野田滋郎さんは『人生の宝物』であったといっていい。

 
 
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春の協同学苑

2024-04-22 05:55:39 | 発想$感想

★久しぶりに協同学苑を歩いてきた。
 ここはco-op教育施設で公園ではないのだが、
 自然豊かで散歩される方も多い。

 
 


 桜が終って『つつじの季節』になった。
 紅白のつつじが美しい。


 
 

 並木道も新緑である。





 右は庭園だが、裏手は散歩道になっていて、





 
 竹林へと続いている。






  小さな筍も






  大きな筍も出ていた。






  こんな山道の遊歩道があり、下の池まで続いている。





 山つつじの赤が新緑に映える。





 坂を下り切ったところにある池も新緑が美しい。

 


 振り返ると『志染の里』である。
 三木はニュータウンもあるが、こんな昔ながらの田舎の風景もいい。


 


 
 苔が綺麗な坂道を登って戻ってきた。




 つい先日まで満開だった桜の並木も今はもう葉桜である。





  ざっとこんな行程、約1時間5000歩ちょっとだった。
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メダカの季節 スタート

2024-04-21 07:27:14 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★4月も20日を過ぎた。
 愈々、『メダカの季節』の幕開けである。
 そんなことで、メダカの鉢の掃除をして綺麗にした。

 昨年も4月の末ごろから卵を産みだして5月7日に第1号が生まれている。


  



  今年も同じような経過になるに違いない。
  
  鉢の中にはいろいろだが、20匹ぐらいのメダカがいる。
  昨年からのメダカもいるし、
  今年新しく買ったものもいる。

  
  



  いろんなメダカがいるので、
  どんなメダカが産まれるのか楽しみである。
  メダカの寿命は2年ほどだというので大事に育てたいと思っている。
  





  メダカの動きを飽きずに眺めている。
  餌は日に3回ぐらい与えている。
  小さい体だが、産み出すと毎日秋まで産み続けるので、
  それなりの体力が必要だろうと思っている。
  





★ 今年はいつから卵を産みだすのだろう?
  昨年は沢山生まれたが、上手に育てられなかったので、
  今年は大事に育てたいと思っている。
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萌黄の季節    雑感

2024-04-20 06:10:53 | 発想$感想

★萌黄の季節になった。
 自然の樹々が美しい。


  



  我が家の樹々も当然のことながら、新葉が伸びる。
  もみじもこんなになったし、
  

   


  こんなにいっぱいの葉で、当然ながら樹は大きくなる。





  樹が大きくなるのは当たり前の話だが、
  小さな庭なので何となく鬱陶しいように思のである。

  そんなことで直ぐ、このように小さく切ってしまう。

  もみじも小さくなったし、

   



 こちらもスッキリした。






  ただ、当然のことだが地面は切った葉でいっぱいである。
  これを拾うのも結構な時間が掛かるのだが、
  昨日の午後は、そんなごみ拾いに終始した。
  

 



★ 萌黄の季節の大自然は特に何もしなくていいからいいなと思う。

  小さな庭をそれなりに維持しようとするのはなかなか大変なのだが、
  それはそれなりに楽しいと思うから不思議である。
 
  昨日からやったところは庭の半分以下で、
  まだ、いっぱい残っている。
  薔薇の季節までもうあと2週間だが、
  それまでには樹のほうは仕上げたいと思っている。

  薔薇の季節はそれなりに綺麗なのだが、
  花柄積みが忙しい。
  当分、鋏が手放せないのである。

  庭仕事、年寄りの趣味としてはちょっとした運動にもなり
  なかなかいいものだと勝手にそう思っている昨今である。

   

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三木山陽病院に行ってきた

2024-04-19 06:40:49 | 発想$感想

★何となくだが病院は三木山陽病院に決めている。
 眼科と整形外科でお世話になっているのだが、
 どちらもそんなにひどいわけではない。

 
  


 昨日は右膝に違和感があるので整形外科に行ってきた。

 大きな病院なので曜日によって担当の先生が代わる。
 同じ右膝なのだが先生によって処置が少しづつ変わるのである。

 前回は塗り薬とシップを貰てきたのだが、
 今回の先生は、右膝に痛み止めの注射をして
 「痛み止めのシップ」を1週間分出して頂いて、1週間後にまた来てくださいと仰る。


   

★気分的なものもあるのだろうが、
 何となく、右膝の痛みが少なくなっているような気もする。
 幾らでも時間はあるので、毎週病院に通うのも特に問題はない。

 そういう意味では今回の木曜日の先生に当たってよかったかも知れない。

 右膝の痛みは出だして、もう何年にもなる。
 めちゃくちゃ痛い訳ではないのだが、
 走るときに若干違和感がある程度なのだが、
 何の問題もない左ひざと比べるとやはり痛いのである。

 ひょっとしたら、毎週・木曜日は三木山陽病院と言うことになるかも知れない。
 それで、右膝が治れば万々歳である。
 果たしてどうなるだろうか?
 

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こなやゴルフ会に行ってきた

2024-04-18 05:35:38 | 発想$感想

★昨日は『こなやゴルフ会』に誘われて、今年はじめてのゴルフだった。
 三木市のこの辺りはホントにゴルフ銀座なのだが。
 滝野カントリー迎賓館コースは三木市の一番北にある。

  

  
 我が家からはクルマで30分の距離なのだが、
 それでも三木では一番遠いゴルフ場かも知れない。
 名門・廣野ゴルフ倶楽部は家から5分の距離で一番近いゴルフ場なのだが、
 なかなかそこでプレイするのはムツカシイ。

 ゴルフは一時は凝って一生懸命だったのだが、
 最近のゴルフはどうもめちゃめちゃなスコアで、
 ぼつぼつ卒業しないといけないのかも知れない。

★ 池が沢山あるこんな綺麗なコースだった。




 ゴルフを始めたのは遅くて、42歳の頃だったのだが、
 始めてからは凝りに凝って、月例のコンペにも欠かさず出て
 オフィシャルハンデイも10になったりしたのだが、
 昨今はどうなってしまったんだろうと思うほどのスコアである。

 多分、もう進歩がないから、いい加減になってしまうのだと思う。
 そう言う意味では『進歩』は大事だな。
 90歳を超えると『進歩』するものは何があるのだろう?

 ホントに進歩するものが無くなてしまった感じである。
 敢えて言えば、毎日やってるストレッチで『柔軟性』は進歩してるかも知れない。
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時間があるのはいいことだ

2024-04-16 16:56:56 | 発想$感想

★ 毎日有り余る時間があるのだが、結構退屈などせずに過ごしている。
  朝は2時間ほど、公園をうろついているし、
  時間があったら『パンダ碁』で碁を打つ。
  時間つぶしにはもってこいである。

  毎日、殆ど昼寝をするのだが、目が覚めたら庭仕事をすることが多い。

  こうして見ると、特に何もないように思いうのだが、

  
  



  つい先日まで、綺麗に花を咲かせていた『花かいどう』だが、
  当たり前のことだが、花が散りかけて
  地面には花びらがいっぱいである。
  放っておいても、どうと言うことはないのだが、

  
   



  昨日は、ちょっと気になって、
  その花びらを拾ったら、こんなになった。
  ただ、ここにはまだごみも残っていたが
  ちょっと広いので、


  



    隣の小さな枠のごみを拾ったら




  こんなになった。
  5分も掛からなったが、
  ごみは100個拾ったのである。




 有り余る時間があることはいいことだ。


★ここまで書いたのだが、
 明日は久しぶりのゴルフで、朝6時半に家を出る。
 そんなことで時間がないので、
 このブログ、今アップしておくことにする。
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カワサキのレースのスタート時期のこと

2024-04-16 06:48:01 | カワサキ単車の昔話

★カワサキのレースのスタートは1963年5月の『青野ヶ原モトクロス』と言われている。
 このレースは製造部の有志で出場したいわば『プライベートチーム』で正規のメーカーのレース出場ではなかったのだが、
 このレースの結果がその後のカワサキの二輪事業に大きな影響を与えたのは間違いない。



 



 この『青野が原のモトクロス』のきっかけは、
 1962年11月に開催された鈴鹿サーキットのジュニアロードレースを製造部のメンバーが観戦し、カワサキもレースをと言うことになったのである。
 このレース観戦の仕掛け人兵庫メグロの西海義治社長で、青野ヶ原のモトクロスの開催を主宰したのも当時MFJ 兵庫支部長だった西海さんなのである。
 西海さんは子飼いの松尾勇さんをカワサキの製造部に入社させ、
青野ヶ原のマシンも、その後のF21Mまでの約10年間は、MXもロードレースも、松尾勇さんがマシン製作を主導したのである。
 カワサキのレースマシンの制作が技術部に移ったのは、マシンがKXと称される時期からなのである。
 エンジンは兎も角、フレームについては二輪の専門家が少なかった時代だったと言えるのだろう。

 因みに、西海義治社長が何故かくも熱心だったのかと言うと、
 西海さんは元プロのオートレーサーで、何としてもカワサキにレース部門を立ち上げようと思われたに違いないのである。


★このカワサキのレースのスタートのきっかけは、
 1962年11月鈴鹿サーキットで開催されたジュニアロードレースだったのだが、
 このレースの250ccの優勝者が三橋実350㏄が片山義美で、この二人のレーサーがその後カワサキのレースチームを支えることになるのである。
 当時はMCFAJ主催のレースが主体で、それに出場するためには選手はメーカではなくクラブチーム所属であることが必須だったのだが、
 カワサキコンバットを主宰したのが三橋実で、神戸木の実クラブ片山義美だったのである。

 この写真の左から岡部能夫、歳森康師、山本隆、三橋実、梅津次郎
 この5人がカワサキの最初に契約したライダーなのだが、
 三橋、岡部、梅津が三橋実が立ち上げたカワサキコンバット
 歳森、山本は片山義美が主宰した神戸木の実クラブ所属なのである。

  
  


 
 1962年に本田宗一郎さんが鈴鹿サーキット創っていなければ  
カワサキのレースチームもまた、変わった形になっていただろう。
 そういう意味では、本田宗一郎さんがカワサキのレースに陰ながら関係したとも言えるのかも知れない。
 

★ レースには私自身いろいろとご縁があって、 『青野ヶ原』以降のファクトリーチームを担当したのだが、
  1988年10月に『カワサキファクトリー25周年』と銘打って、立ち上がり時代のレース関係者と当時の現役レースチームを招いて、25周年記念パーテイを開催したのである。


  
  

 集まったライダー諸氏は、最初の契約ライダー歳森・山本・岡部・梅津をはじめ
 その後ファクトリーに参加した安良岡健・和田将宏・金谷秀夫・清原明彦・星野一義、
 現役ライダーでは宗和孝宏・多田喜代一・関本五十洋などもいる。

 川崎重工側の出席者としては、青野ヶ原を主宰した中村治道・高橋鐵郎(元川重副社長)さんも、当時のレーサー製作を仕切った松尾勇さんもおられるし、
 真ん中にお座りなのが兵庫メグロの西海義治社長なのである。
 初期のレース運営委員会会長の山田熙明(元川重副社長)、苧野豊秋さんなど錚々たるメンバーなのである。
 
 カワサキのロードレーススタート時の監督大槻幸雄(Z1開発総責任者・川重元常務)・副監督田崎雅元(元川重社長)さんも、
 さらにはカワサキの名物男・平井稔男さんなどが顔を揃えているのである。

 因みに、OBサイドでの末席星野一義・清原明彦と言うホントにウソみたいな話なのである。
 このメンバーを見る限り、レースだけではなくカワサキの二輪事業を支えた中枢メンバーが当初のレースに関わっておられたことがお解り頂けると思う。

★カワサキの初めてのレース『青野ヶ原モトクロス』で、1位から6位までを独占するという完全優勝はまさに運がよかったと言わざるを得ないのである。
 マシンは125B8で、ライダーはこのモトクロスが初めてという初心者ばかりだったのだが、
 当日は雨でいたるところに水溜りが出来て、他社のマシンはみんなエンジンが止まってしまったようなのである。
 後、カワサキのエースライダーになる山本隆も当時はヤマハで出場していたようだが、マシンが止まってリタイヤしたのである。
 カワサキのレースでその後も1位から6位まで独占などはこのレースだけで、まさに雨のお陰なのである。
 因みに、この青野ヶ原の優勝者が誰なのか?
 当時はカワサキが勝ったということだけで、優勝者が誰だったのか?解っていないのは不思議なことである。

 雨がカワサキに幸運をもたらした、まさに『恵みの雨』だったのである。
 ずっと後、山本隆がはじめて鈴鹿サーキットを走ったロードレースでも、当日雨になってモトクロスライダーの山本隆がホンダに次いで3位入賞と言うことになるのだが、
 雨がMXもロードもカワサキに幸運をもたらしたのである。

 
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のどかな三木

2024-04-15 05:46:20 | 発想$感想

★「のどか」とは、その人のおかれた環境によって、穏やかな気分になるさまをいい、
のどかな田園風景」のように、穏やかな気持ちにさせるような風景をも修飾できるとあった。

 「脇川の念仏水」のあるこの地区の風景は、
 まさに自然そのままの『のどかな風景』で
 人もクルマも見当たらない。


  



 自然に囲まれたこんな立地で、
 すぐ横に集落もあるのだがまさにのどかな風景である。






 我が家とは直線距離で5kmほどなのだが、
 こうしてみると三木は自然いっぱい、ゴルフ場もいっぱいなのである。
 全部で25もあって、西日本では一番多いとか。





  我が家のある一帯も開拓されるまでは山だった。
  いずれにしても「のどかないい環境の三木」で
  晩年を過ごせてよかったと思っている。


★ 我が家の庭も今年は草抜きなど、手入れができたので、
  綺麗になっている。


  


 
 今年は暖かいので、4月のうちに薔薇も花が見られるかも知れない。
 もう蕾もついている。

  



  まさに春、のどかな気分に浸っている「のどかな三木」である。

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脇川の念仏水に行ってきた

2024-04-14 06:34:55 | 発想$感想

★ 昨日は水道水のことを書いたのだが、
 三木の水源の一つが『脇川の念仏水』と言うことで、
 どんなところか一度見ておこうと朝7時半に車で家を出た。


 地図で見るとこんな山の奥の方なのだが、
 道がもう一つよく解らなくて、
 すんなり行くことが出来ずに、あちこちの道を迷って
 最後はこの辺りの方に道を聞いて、やっと行き着いたのである。

 現場に着いたのが8時50分だったから、1時間半近くウロウロしていたことになる。

  



 どの道も、細い山道で、たどり着くまでホントに大変だった。


  


  教海寺のすぐ近くなのだが、こんな山奥のお寺である。


  


 
 三木は旧いまちなので、
 ここも弘法大師ゆかりの池とあったが、





 いまはこんな形に草が生えて、
 確かにその奥には水源らしきものもあるのだが、よく解らなかった。
 直ぐ下には脇川が流れていて、そこが水源になっているようである。





★場所が解ったので、帰りは家までこんな道を戻ってきたら、
 殆ど家から一直線で、25分ぐらいで戻ってこれた。

 
  


 三木の道は殆ど解ってると思っていたが、まだ通ったことのない道もあるのだ。

 この道も行き止まりではなくてずっと北の方に抜けることが出来る
 旧い昔の山道なのである。
 そんなことで弘法大使も通られたのだと思う。
 そう言う意味では、三木は旧い由緒あるまちなのである。
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水道水が飲める国

2024-04-13 05:53:48 | 発想$感想

★水道水がそのまま飲める国はアジア圏では意外だったが、
 日本だけのようである。
 アメリカ大陸は北も南もダメなようだし、
 ヨーロッパ圏はドイツを含めて8カ国が大丈夫なようである。
 オーストリア・アイスランド・アイルランド・スロベニア・デンマーク・フィンランド・ノルウェーと並んでいて、
 アフリカ圏では南アフリカ共和国・1国だけで、
 世界で9カ国しかないようなのである。


★そんな日本でも、水道水をそのまま飲んでる人は25%だが、

 


 私は戦前派で無神経なのか、子どもの頃から水道水しか飲んだことがない。
 ペットボトルの水は我が家では買わないし、
 たまに外出先で飲むことはあるが、それも年に何本かと言うレベルなのである。

ペットボトルの水を飲んでる人が28%と一番多いようである。



    
   



★ 三木市の水道は深井戸・県営水道の2種類の水源から成り立っており、
 配水区域により水質には若干の差異がありますが、
 全ての地域において「おいしい水の要件」をほぼ満たしています。
 とネットで書かれていて

 多分我が家は「脇川の念仏水」が水源ではないかと思うのだが、

  

 
  水道の水もなかなか美味しいのである。

★ 日本でも水道の水を飲んでる人は、4分の1だし
  世界でも『水道の水』をそのまま飲む人は少ないだろうから、
  考えてみると、世界の中でほんの数%という希少な人の中に入っているということなのである。

  『水道の水』を飲むのは当たり前のことだと思っていたが、
  これはホントに希少価値の中に入っていて『幸せ』と言っていいのだろうか?
  改めて、そんなことを想っている。
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急坂を上ってきた

2024-04-12 06:11:07 | 発想$感想

★三木防災公園にはこんな急な坂と言うかきつい上りの芝生がある。
 先ず、普通の道にはこんな勾配はない。

 
  


  この坂を休まずに2度登ってきた。
  先日から開始した足腰強化のためである。
  実際に登ってみると、休まずに上るのは相当にきつい。

  果たして何歳まで登れるだろうか?
  先ず、普通の高齢者には無理な勾配だと思う。


  上からの眺望である。
  山頂とは言わぬが、まさに山の上からの眺めと言っていい。
 
  


  防災公園の建物が低く見える。





  毎日とは言わぬが、今後も鍛錬のため登ることにしよう。
  アメリカのプロのサッカー選手の孫たちはこの坂を走って登ったりしていたのである。


   

 
  体力維持にはいい環境だと思っている。
  次回は出来たら3回登ってみたい。
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