雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

桜とハナミズキそして三木

2008-03-31 05:55:13 | みっきぃふるさとふれあい公園
まだこのあたりは、やっと開花したばかりである。
昨日は東北に桜前線がというニュース、三木も東北並である。

東京の桜は満開のようだし、緯度では東京よりもまだ北ではないかと思われるワシントンの桜も既に満開のようである。

検索で遊んでいたら、こんな記事を見つけた。
『ワシントン桜物語』である。


非常に詳しいので、ご関心のある方は、是非ご一読をと思うが、ワシントンに最初に桜が送られたのは1909年のことでこの2000本の桜は害虫が沢山ついて全て焼却処分されたのだという。
今、咲き誇っている桜は1912年に改めて3000本贈られたようである。
もう100年近くになろうとしている。

大きい木は立派である。
特に大木の桜は見事である。ワシントンの桜を見るためにこの時期100万人の人たちが、ワシントンポートマック川の桜見物に訪れるという。


この桜のお礼に、1915年アメリカハナミズキ40本がアメリカから贈られたという。
この原木たちは戦時中に敵国の花と言われたようだがその原木が今もあるのは何よりである。


桜の木などは樹命何年なのであろうか?
今近所の公園に桜が3本植わっているが、この桜は35年前にみんなで苗木を植えたものである。

私もそのうちの1本、真ん中のものを手伝って植えたのをなぜかよく覚えている。
35年経って、もう立派にはなっているがまだ大木とはいえない。

先日どこかの樹齢70年の桜が紹介されていたが、結構大木であった。
私も若し桜なら、形だけは大木である。
いい花をつけるように努力したいと思う。

昨日は、さるとるさんとこんな桜の話をした。

桜の時期、そんなことを思った。
4月に入ると三木の桜たちも一斉に花を咲かせるであろう。
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7万台への挑戦、当時の資料から

2008-03-31 04:33:49 | 7万台の挑戦の時代
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88年からチャレンジした『7万台の挑戦の時代』をアップすることにしたが、
これは日記と当時の資料に基づいている。

私の手元には、1975年KHI企画を担当して以来、コンセプトの次元の資料は殆ど全て揃っている。
時系列に10センチほどのバインダーに纏めたもので、約20冊、特に88年以降のものは1年ごとに月ごとに纏っている。
そういう意味では、事実に正確であることは間違いないのである。

これを整理したのは、当時の仕事のために整理したのでまさかブログの材料になるとは思わなかった。



そんな資料の中から88年10月31日に自筆で纏めて社内に指示した、
『国内市場対策の方向』の中から抜粋してみる。

当時のカワサキの状況である。
ひょっとしたら、覚えておられる方もいるかも知れない。


1.国内市場の動向

台数は軽ニ輪以上30万台で安定している。
各社とも海外が為替環境不安定などもあって最大市場の国内に全力投球体制である。
新機種の投入も激化、レーサーレプリカ全盛の時代となっている。
スポーツ、レース活動、イベントも活況で、ユーザーの組織化、HART,YESSなどに各社とも注力している。
仕組みの中でのソフトの重視、安全運転環境が厳しい時代でもある。

2.基本的な対策の方向

基本的な方向として
(1) 仕組みの再構築〈差別化の再検討)
(2) カワサキのイメージの再構築
(3)それらの核となるものを造る    としている。

3.Kawasakiの現状分析

広域化、特約店制度、部品の直送システム、など過去において差別化されたカワサキの施策も他社の追随によりその特徴が薄れてきた。
過去に比べてクルマでの差別化が難しくなったきた。
今後更にレーサーレプリカへの分野へ進むとより難しくなる。
カワサキのイメージも博報堂の調査の通り決してよくない。
全般的に問題が多い中で、最開したレース活動、今年度よりのKAZE活動は予想以上の効果を挙げている。
と分析している。

4.国内対策 数値目標

目標 ( )内は9月末の実績値
モーターサイクル    63000台 (44635台)
ジェットスキー      7000台 (2920台)
  
  計         70000台 (47555台)

目標7万台を1989年に達成する。


5.基本戦略

(1)時代の流れに添って、ユーザーの拡大とその組織化を可能にする仕組みを造る。

(2)販社ー特約店ーユーザーへの従来の流通組織とともに 『ユーザーへの直接的な働きかけ』 の強化を図る。

(3)これらを通じての周辺ソフト、ノウハウの取得とその事業化を図る。


6.89年度の対策方針

(1) 89年度は7万台体制への通過点と位置づけ台数計画よりもその基礎となる諸施策の実行を第一目標とする。

(2)ユーザー対策、イベント、レーススポーツ対策として、89年1月1日にスポーツ推進部を発足させ、4月1日にそれを専門とする新会社としてスタートさせる。


この基本方針は全グループに流したが、簡単に理解されるとは思わなかった。
まず、身近の本社スタッフ数名との意思統一を図ることを最重点とした。
なかなか、意識の改革などは出来ないのである。まして現状を変えるという作業は非常に難しく高度な仕事である。

一通の指示書や、会議での指達は必要だが殆ど機能しないものである。
ただ、言った通り間違いなくその方向に進むことはMUST条件である。

本社のスタッフ連中の理解と協力を得て、一歩一歩前進を始めた。
社内のムードだけは、違ったものが感じられる、そんな時期であった。





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そのまんま東で思うこと

2008-03-30 05:56:15 | 発想$感想
毎日、ブログを書いている。曲がりないに自分の意見を言っているのだが、新聞などの論調と異なることもある。

だけど、出来る限りホンネで物申している積りである。
だからそれがあたれば、非常に気持がいい。

これなどは、『気分のいい』見本みたいなものである。
『そのまんま東』が知事になった昨年1月、新聞の論調はみんな斜めから見ていた。全体に好意的ではなかった頃である。

まだ『東国原』よりは『そのまんま東』のほうが馴染めた頃であった。


こんな風に、ブログに書いている。


『そのまんま東が宮崎県の知事になった。

特に関心があった訳ではないが、同時に行われたほかの県知事選挙の関心が皆無であったのに比べると「どうなるのかな」ぐらいの関心は持っていた。

結果を見て、新聞記事など読んで「なるほどと思うこと」もいっぱい、自分なりに発見をした。

末端はやはり鋭く見ていると思った。

無党派層などと,新聞などでは「その他大勢」のように言うが、本当はそれが末端、一般大衆なのである。
本当の政治の目線は、その他大勢の一般大衆に向けられるべきである。

党派だとか支援団体ばかりを大事にする目線、
ヨコ一線のはずの末端を無理やりタテ型のピラミッドを造って、「そのトップの人たちとの接触」を「市民参画」などと錯覚する目線の延長上に汚職や談合があるのだと言えば、言い過ぎであろうか。

そのまんま東の経歴は、従来の常識で言えば、芳しいものではない。
然し、彼の歩んだ道を見ると、大学でもう一度政治を目指すために勉強をし直している。
その態度は簡単なようで普通一般の人には出来ない真面目なものを、私は感じる。

多分、私と同じ一般大衆も、そんな真面目さを何となく感じたのだと思う。
本当の末端が動くと、自然に時代の流れに沿ったいい動きになるのだと思う。

知事や市長、いわゆる首長は世の中で言う「賢い人」「経歴のある人」「お役人上がり」でないと本当に務まらないのだろうか。

首長の資格はそんなものではなく、経歴などよりも資質だと思う。
資質さへあれば、お役人だろうが、民間人だろうが別に問題はないと思うのだが。

中央に顔が利く、陳情に有利、金が流れる、そんな基準で選ぶから汚職になったり談合が起こったりするのである。

今回は、何度も繰り返されるそんな体質に嫌気がさして、末端はそんな体質から一番遠いところの人に期待を寄せたのではないだろうか。

ところが、新聞などの報道で見ると、議会は全て野党で大変と長野県と同じことをまた言っている。
確かに、自分たちが推薦した人とは違うのだが、そんなに無茶苦茶おかしな主張をしたわけでもないだろう。県民はそれを選択したのである。

党の考えも、反対意見も当然あるとは思うが、各党の議員さんも個人個人の考えで判断し行動する態度も、少しだけでいい、見せて欲しいと思う。

安倍さんの言う「再チャレンジの見本」みたいなものだから、自民党も本当の末端が選んだ知事に協力する度量も見せて欲しいと思うのである。』


今の東国原知事は支持率90数%とか。
反対勢力などどこへ行ってしまったのか。
むしろ、『よく言いすぎだ』と思ったりしているが。

世の中の、政治家、知事のイメージを変えた功績は抜群である。
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岡田ジャパンと反町ジャパン

2008-03-30 05:03:48 | スポーツ
二晩続けてサッカーの試合を見た。

岡田ジャパンのバーレーン戦と反町ジャパンのアンゴラ戦である。

サッカーの技術的な論評を出来るほど詳しくはないが、見ていて明らかに反町ジャパンのU23代表の試合のほうが面白かったし、勝とうという気概も見られた。

サッカーとは難しいスポーツだと思う。
一瞬のことが明暗を分けてしまう。
今朝の新聞の論調や、記事の扱い方を見ると、
岡田ジャパンについては、再出発が求められているように思う。

岡田さんは名将だとは思うが、どうも華がない。運ももう一つだと思ったりする。
ただ、それを任命した川渕会長が前監督のオシムさんと一緒になって新聞に出るような文句を言うのはどうかと思う。

始まったばかりのワールドカップ予選である。
もう一度立て直して、岡田さん頑張って欲しい。


反町ジャパンは、解説の人たちも言っていたように動きが素晴らしかった。
久しぶりに面白いサッカーを見た。
18人の最終メンバーがどうなるのか。
昨夜のメンバーはあまり名前の知らない若手が多かったが、それだけにそのアッピールするための動きが鋭かった。

相手が強いアンゴラのA代表だけに1点のリードが守りきれずに1-1の引き分けとなったが、満足できるものだったろう。
既に70人以上の候補が招集されている。北京オリンピックの18人を選ぶのも大変だと思う。
このチームがスタートした頃当選確実と思われた『平山』の名前は昨日は見られなかった。


サッカーは野球以上に『監督の哲学』みたいなものが要求されると思う。
あまり言われないが、反町監督にはそれが備わっているようにも思う。


2日間、サッカーを見ての感想である。
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橋下さん、スタートは切れた

2008-03-29 06:19:05 | 大阪維新の会、橋下徹氏
この1ヶ月、大阪のニュースは毎日のようにマスコミに取り上げられた。

大阪府知事、橋下さんの出足、スタートはまず順調に切れたと思う。

まず、注目してもらうこと、関心を示してもらうことが第一である。
そんな緊張感の中にこそ、しい政治、いい行政の生まれる素地があると思う。

一つ一つの出来事の賛否はそんなに問題ではない。
トータルとしてどうかである。
トータルとして、当初予想した以上の出来だと思う。

こんなところがいいと思っている。

1.何を思っているのかが明確である。明確に説明しようと言う意図が感じられる。それがない政治家が多すぎる。

2.答弁にメリハリがある。普通一般の人にも解り易い。謝り方が爽やかである。

3.対話。末端の意見をホンネで聞こうという姿勢が見える。
そんな末端との対話、反対意見に寛大で優しさが感じられる。
一方強い人、例えば評論家に対するときは一転して厳しい。

4.6月までに纏めるという予算や方針も期限を切って約束どおり発表されると思う。そう信じられるようなこの1ヶ月の対応であった。


個別の政策などは、当方は中身も詳しくないしよく解らない。
マスコミの報道なども、全部を伝えるわけには行かないので、結果として『言葉尻り』を捉えたものになることも多いであろう。

2回目の朝礼には若い人の8割が参加したとか。
いい方向なのだと思う。

4月1日に発表されるという『大阪維新プログラム』に期待したいと思う。
『期待できる』と思っている。
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7万台への挑戦88年10月

2008-03-29 04:32:55 | 7万台の挑戦の時代
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88年10月、新しい任務に就いた。
与えられた目標
『売上台数7万台、売上高400億円』この目標を、
『新しいカワサキのイメージ創造』をベースにやろうとスタートした。


それまでカワサキの国内は、経営的に苦難の時代が長く、
常にその目標は『、経営の安定、利益の確保』の時代が長く続いた。
堅実ではあった、その経営ノウハウが確かに事業部経営に貢献したのは確かである。当時のKMCに冨永、日野君が逆出向したりもしていた。

ただ堅実であるだけで、博報堂の調査によればイメージ総量も小さく、

『玄人受けする個性的なデザインで、海外には強いが』
『レースに弱く、宣伝のセンスがなく、常にチャレンジしない』

と言うものであったのである。

こんなイメージではとても7万台などは 『夢のまた夢』 だったのである。
『カワサキの新しいイメージの創造』 がMUSTであると思った。




一番初めにやったのは、 『カワサキのレース25周年のOB会』 である。
10月15日、芦屋の巨人や中日の定宿で有名な 『竹園ホテル』 で1泊どまりで41名の参加で行なった。

『レースに弱い』 と言うイメージだけは、創生期のレース担当としてはどうしても払拭したかったのである。当時のメンバーの殆どが集まった。


その時の写真が手元のあるが、4列の集合写真は錚々たるメンバーである。

1列目は
西海兵庫メグロ社長を真ん中に山田、高橋さん〈ともに元川重副社長〉苧野、中村、大槻、糠谷さん、名物メカニックの松雄さんが並んでいる。
カワサキのレースを支えた人たちである。
こんな人たちの指示で当時のレースチームは動いていた。

2列目は
私と平井さんとそのヨコに田崎さん〈元川重社長、現会長、大西君これが会社側、
そしてライダー諸君は安良岡健、山本隆、金谷秀夫、和田将宏、岡部能夫、清原明彦君

そして3列目以降は
会社側には北村、岩崎、武本、井上、安井、井川君歴代のレース関係者など
ライダーは歳森康師、梅津次郎、星野一義、当時の現役で宗和や多田君の顔も見える。

星野一義君はまだ現役パリパリの頃で、
エレベーターで一緒になった中日の選手たちに、『うちの星野より有名や』などと言われていた。
星野が来てくれたので業界紙誌からも取材があったりしたが、この会合ではOBライダーの末席は星野と清原だった。



最近も、『もう一度OB会やりましょう』とよく言われる。
だけど、余程思い切らぬとなかなか難しいのである。それ以上に何かのきっかけが必要なのでである。

高橋さんの与えてくれた『7万台の目標達成』のためにという『名目をつけて』会費など一切取らずに盛大に行なったのである。



20年前だからみんな若い、私も田崎さんも55才前後である。
20年経った今も、こんな連中と結構接触がある。

田崎さんにはミニSLで今年も世話になっているし、『ひょこむ』のメンバーには山本、歳森、もいるし平井さんもいる。

4月2日にあるZ1会のゴルフは大槻さんが会長だし北村、井上さんもいるし、ライダーでは金谷、歳森、清原などもいる。



88年10月、『新しいカワサキの幕開け』は25周年記念のレースOB会でスタートしたのである。

いろんな重要事項があったが、『イメージ戦略はレース抜きにはやれない』と思ったのである。

そんな第1ヶ月目のスタートであった。
10月1日就任、10月15日開催、結構詰めて一生懸命やって初めて実現した。
ライダー関係は『清さんがまとめてくれた』と記憶している。

もう二度とやれないかも知れない。


あれから20年、苧野、松尾、白瀬、武本、岩崎。5人の方が亡くなられた。
心からご冥福を祈りたい。




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3月の薔薇

2008-03-28 12:25:17 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
3月も今頃になると薔薇の目も写真に撮れる大きさになる。
葉の色もそれぞれあって、意外に薔薇は葉が綺麗である。



木ばらのほうもこの程度ほどに成長した。毎日目に見えるように成長する。
枝が立派に育つと当然ながらいい花が咲く。
花を育てるというよりも枝を上手に育てるほうが自然である。
そのために冬の剪定や芽欠きはかかせない。



つる薔薇は、芽が出ているところは一面に花で埋まる。
枝をヨコにすると一斉に芽を吹くのである。そのために冬枝をヨコに誘引を行い固定する作業をする。


今から5月まで毎日が楽しみである。


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相信会、春の例会

2008-03-28 12:07:56 | カワサキワールド
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相信会の春の例会が行なわれた。
春は毎年、美術展が同時に開催される。
盛会で90人ほどが参加したが、会社のOB会だから当然だが、年寄りの集まりではある。
それも毎年、老けていくように思う。

絵や写真など、これは練習の成果であろう。年々立派になるように思う。

今年から会の報告が新しい形で行なわれるようになった。
『相信会電子掲示板』なども造られてネット上に公開されるようになった。
gooのブログと同じ形式だがこんな風にも出来るのである。
非公開なのでパスワードを入れないと見ることは出来ないが、どんな風に発展するであろうか。




高橋相信会会長、大橋社長挨拶、田崎会長の乾杯の音頭で会は進行した。
高橋、田崎さんなど昔の仲間の挨拶を聞いていると、単車事業部時代が懐かしい。

その高橋さんも81歳、81歳を『盤寿』と言うらしい。そんなことにも触れたご挨拶であった。
大橋さんからは会社の現況報告も、
『売上高1兆5千億、利益500億以上、今年も増収増益』ご同慶の至りである。
田崎さんの乾杯の音頭。彼らしく軽妙で示唆に富んでそして『ネアカ』なところ、単車出身らしくて良かった。

一昔前と少しだけ変わったように思う。
少しだけ『重工業』から抜け出したようにも思う。


会場は賑やかだった。
4月2日にZ1会でまた顔を合わす人たちも何人もいたが、今になって初めて言葉を交わす人もいる。

田崎さんとは先日のSLの話になった。11月のメリケン波止場のミニSLフェアは『カワサキワールド』の主催に正式に決まったし、その担当役員の三原君にも総務の鳥井さんにも確りと御願いをしてきた。
担当常務に「君付け」で、総務課長に「さん付け」はおかしいのだが、『どうしても正直そうなってしまう』のである。
OB会なのでお許しを願いたい。


少し早かったが、サッカーのU23の試合が見たくて7時前に失礼した。
そのためクルマで行っていたのでウーロン茶での立食パーテイであった。
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1988年,kawasaki

2008-03-28 04:33:33 | 7万台の挑戦の時代

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1988年

1982年ごろカワサキの二輪ももう終わりかと思われたような事業の危機的状況から6年が経って、事業はほぼ安定し新しい時代へと移っていった頃である。

私は企画から移り、事業部の営業部門を担当していた。
大分直入町ののテストコース用地にサーキットを造ろうなどと提案して、故岩崎君らと走り回っていた。

レースでは宗和が世界選手権で2位になったり、遠藤さんのフランスチームが3位に入ったりしていた。

ジェットスキーが世界的に好調でアシックスと組んで専用の靴を開発したり、ソウルオリンピックの開会式の当日、世界のジェットスキーチームを組織してハンガンでのデモンストレーションを行なったりしたのもこの年である。


8月には高橋鉄郎さんとKMCのデーラーミーテングに出席している。
百合草さんが社長の頃で、懸案であったKMCの累損もその年で消える見通しであった。
その頃から、事業部の組織人事の話がいろいろあって、『国内をやってみないか』と言うような話も出かけていた。

9月には再び高橋さんとヨーロッパを廻っている。
ケルンショーやドイツのデーラーミーテングがあって、立派なお城に泊めてもらったりした至極のんびりした旅であった。
デユッセルからアムスへアウトバーンをBMWのレンタカーを走らせたりしている。

事業も一段落して安定し、82年からの目標もほぼ達成できてのんびりと遊んでいたといってもいい頃であった。



この年の10月、新しい辞令が出た。

国内市場担当である。
当時の社名はまだ『カワサキオートバイ販売(株)』 通称『カワ販』
高橋さんが社長で、その専務を命じられた。

高橋さんとの約束は、
1.国内を事業部の主力市場に育てること
2.販売目標7万台、売上高400億円、事業部への限界利益100億円

実績43000台、250億円の頃だから相当過激な目標ではあった。
3度目の国内担当であったし、前回のような経営再建といった悲壮なものではなかったので、目標は大きかったがそんなに気にもならず、この目標を内外に宣言してスタートしたのである。

その基本対策は『カワサキのイメージの向上』であった。

いい商品に恵まれ、それ以上にいい仲間に恵まれて、この目標は達成できたのである。


このブログで、『7万台への挑戦』という新カテゴりーを造って、1988年10月から時系列で、このプロジェクトに参加頂いた仲間たちを思い出しながら3,4年間を振り返ってみたい。
幸い旧い日記帳があるのでほぼ正確な思い出となるであろうと思っている。
   


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何でもないようで、大事なこと

2008-03-27 07:37:23 | 樋渡啓祐さんのこと
何でもないようで大事なこと。
出来るようで、出来ないこと。

武雄市長物語、今日のテーマは『椅子』

『以前は、パソコンに向かうのにちゃぶ台で胡坐をかいてパソコンとにらめっこしていたが、奨められて椅子に変えた。
すっかり椅子マニアになってしまいました。』
とあるのだが、

前段にあるさりげないコメントは、基本である。
武雄の快進撃の原動力だと思う。

そんなに難しいことではない。
誰でもやろうと思えば出来ることである。
然し、それがなかなか出来ないのである。


ブログには、こんな風に綴られている。

例によって短いので、全文をご紹介すると

『一日にメールは少なくとも100通。返信に1週間くらいかかるときもありますが、ほとんど返信をしています。そして、ブログも毎日20~30はチェックしています。

ただ、職場では、市長室には打合せ以外こもらず、どこかのフロアーにいるので、自分のパソコンにはほとんど触れません。

で、90%以上は、このブログもそうですが、自宅のパソコンで一日平均2時間にらめっこ。』

とあって後段の椅子に繋がるのである。


1.メールには自ら返答する。至極当然のことだが、やっている人は殆どいない。
能力の差ではない。スタンスの差だと思う。

2.「職場ではどこかのフロアー」ホントの情報は出先にいっぱい落ちている。
市長室などでの報告は報告であって、なかなか本音の話は聞けないものである。
緊張のない会話の中にふと真実が落ちている。
落ちていても見逃す人もいる。

樋渡さんは自然に、『情報収集の極意』を身につけておられる。


これは職場だけの問題ではない。
全てがそんな対応姿勢なのである。
樋渡さんの本の中には、そんな『スタンスの事例』がいっぱいである。

私には『椅子の話』よりは、前段の『さりげない導入部分』のほうが面白かった。


私も胡坐をかいて、パソコンと相対している。椅子もいいなと時々思ったりしている。
私の場合は、仕事ではないので、どちらが『落ち着くかな』と思っている。


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メタボで思うこと

2008-03-27 04:56:23 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
メタボリックシンドローム。

最近よく出てくる言葉である。4月から特定検診がスタートするようである。

このような基準は健康問題でよく言われる。
『血圧は幾ら』『血液検査の値は』などなどである。医学の進歩や医療器具の進歩でいろんなことがよく解る。

幾らかでもいい方向に改善する努力は、これは大事なことであるとは認める。
然し、必要以上に過度に神経質になるのはかえってマイナス面も多いのではと思っている。


腹回り85センチ以上という基準なら私は当てはまる。

然し、血液検査の結果は、医者が不思議がるほどいいのである。
血圧も、ずっと以前に怒ってアタマに血が上り突然『くも膜下出血』をやたことがあるので、薬を飲んではいるが、正常すぎるほど正常である。

人生、寿命と言うのがあって、交通事故に会う人もいるし、不摂生でも長生きする人もいる。
そこそこ注意をして、自然に健康に留意するのが一番であると思っている。


私自身は、自分勝手にこんな風に思っている。
毎日、気分爽快であるし、今後もそんなに生き方を変えたりはしない積りである。

1.人にはその人についた運や寿命がある。自然に生きるのが一番。
2.健康は留意すべきである。努力はすべきである。
3.努力の方向は、筋力をバランスよくつけること、身体を柔らかく保つこと。
綺麗にあること、スムースに動くためにMUSTです。
4.体重などはコントロールは必要だが、神経質にならぬこと。
5.年をとって、痩せすぎているのは貧素に見えて嫌である。
6.血圧や血液などは生まれつきの体質がベースである。
7.そんなにいいものを食いたいとは思わぬが、何でも食べたい。
8.定期健診など、自分からは進んでやりたくない。

などと勝手なことを言っているのは、今健康であるからかも知れぬが、
『くも膜下出血』のあと病院で寝ていたときも、そんなにくよくよしたりはしなかった。
手術も何もせずに1ヶ月ほど入院して、そのまま治って元気にしていられるのも運命だと思っている。

脳外科の先生が25人もいる札幌の専門病院で、『手術が難しい箇所なので手術をしない』と会議で決めた。
他の病院なら必ず『手術をした』だろうという。
確かに、当時写真をこの近くの大きな病院の先生に見せたら『すぐ手術を』と言われたものである。

そんなことを聞くと余計に『運命』『寿命』を感じてしまうのである。

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故郷、地球

2008-03-26 18:26:16 | 発想$感想
土井さんの宇宙からのメッセージをテレビが伝えていた。

『もうすぐ故郷地球に戻ります』

宇宙にいると、「故郷は地球だと思うのだ」 解る気がする。

海外へ行くと、「故郷は日本だと思う」 のが自然である。

東北や札幌にいたときは、『関西、兵庫の出身』を意識した。


これは平和なのだと思う。
チベットの人たちは、チベットにいながら、
『祖国はチベット、故郷はチベット』と思っているのだろう。

チベットの人たちが、海外にいても『故郷は中国と思わない』とすれば不幸なことである。

中国もその辺のところを少し考えたらと思う。
昔、日本は中国から多くを学んだ。
今、中国から学ぶこと、何だろう。

もともと、優秀な民族と思うのだが。
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インターナショナルトレーデイング村島

2008-03-26 07:30:39 | 7万台の挑戦の時代
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インターナショナルトレーデイング村島については何度かこのブログでも触れた。

カワサキの部品などを幅広く扱っておられる。
ただの部品屋さんではなくて、インターナショナルの看板通り世界を視野に入れた面白い展開をされている。

このブログで再会をして、最近はひょこむでも『大和屋嘉平』というハンドルネームでお付き合い頂いている。
『大和屋嘉平とは』と思っていたらこれは昔、神戸のみなと関係などで船具屋など手広く事業を展開されていた村島家の屋号のようである。
その末裔の村島さんは今部品の世界で、世界規模での事業展開である。


その村島さんが、今回新しくホームページを刷新されるという話を聞いていた。
そのホームページに『雑感日記』をリンクで載せたいがという話を頂いていた。

その新しいホームページが昨日オープンした。

早速今朝のURL元アクセスでこのページのものが現れた。
折角、リンクしていただいたが、最近はカワサキの二輪話題が少なくなっている。
これを機会にまた何か、連続で取り上げてみたいと思っている。


村島さんのホームページを見ると、この商売を始められたのは1989年とある。
私の旧い日記に『1989年5月11日、RPMの兄弟に会う』と言う記述がある。この弟さんのほうが村島さんだと思う。
RPMは当時ジェットスキーを扱っていたので、知らぬわけではなかったのだが、
村島さんに改めてお会いしたのは、川重本社総務からの依頼であった。
その日から、新しい部品などでのお付き合いが始まることになるのである。


この年は、私の3回目の国内市場担当の1年目で面白い時代のスタートであった。
雑感日記をリンクして頂いたのを機に、この時代の出来事を別途
綴ってみたいと思っている。
服部カワサキ、名西カワサキ、モトボックスセキさんなど、ずっと以前からリンクして頂いて毎日アクセスのある二輪の読者の方に『カワサキのある時代の出来事』を思い出して頂ければと思っている。


新ホームページ完成おめでとう。
『雑感日記』リンク有難う。
そして、新しいカワサキの物語を綴るきっかけを与えてくれたことにも感謝したい。

新しい連載ブログのカテゴリーは『7万台への挑戦の時代』にしたいと思っています。


写真は村島さんが贈ってくれたZ1のダイキャストモデルです。
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矢祭町、議員報酬

2008-03-26 04:58:57 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
福島県に矢祭町という町がある。
その議員さんの報酬が年間幾らではなく1日3万円と言うことで話題になっている。

平成13年に『市町村合併をしないと宣言』している。

更にこれを推進するために、『議会宣言町民とともに立たん』を宣言されている。


その文章は長いが抜粋してご紹介する。



『 矢祭町議会は平成13年10月31日、議員提案により、「合併しない矢祭町宣言」を全国に先駆けて全会一致で議決した。

そして今、我々矢祭町議員は自身の報酬を日当制にすることを決意した。
今、議員たるのその原点に帰る。

我々の「合併しない宣言」は全国に熱烈な感動をもって受け入れられた。

同年11月13日、総務省行政体制整備室長が来町し、翻意を促された。
室長の語る合併のメリットは、「首長や特別職、議員などを削減することによって大きな財源が生まれ、その削減によって生まれた大きな余財を高齢化社会の軍資金できる」という内容だった。

平成14年7月4日、議員定数を18人から一挙に8人減らし、10人にした。そして、平成16年3月の改選期から実施した。

ここ矢祭町に限っては、役場、議会、町民が三位一体となって町づくりを進めてきた。
我々が受ける報酬は、町民が汗を流してかせいだ税金であることを忘れてはならない。

そして、我々は報酬制度を根本から考え直すことを決意した。

 私たちが描く日当制は実費支給が原則であるから、議員の活動状況も分かりやすく、評価もしやすくなる。
また、これから議員になろうとする人も、真摯に町を思う若い人や女性も進出しやすくなるなど、有権者の選択肢が拡大するに違いない。

この日当制の導入によって、「金のかからない選挙」が実現できるだろう。

今、我々矢祭町議は宣言する。町民とともに立たん。 』



世の趨勢は、道州制の方向に動いている
より大きな単位での効率化を図る方向は正しいと思う。

こういう流れの中でも自らの故郷を残そうと、宣言しているかどうかは別として、独特の努力をしている『武雄市』や『北山村』を応援してきたが、『矢祭町』もその心意気に共感して応援したいと思う。


政治のあり方、議員のあり方などは、この道州制の流れの中でも検討されるべきだとは思う。

選挙の方法、利権との絡み、談合、裏金、議会のあり方どれを見ても、現状の政治のあり方は『従来の政治の常識』を変える必要があると思っている。

そういう意味で、注目すべき動きであることは確かである。


議員の仕事はどんなことなんだろう。
議会、ならびに関連行事に出席は義務づけられているが、その他の自由な時間はいろんな動きがあるのだが、『何をしたいのか』という発信が一般に少なすぎると思う。

議会で質問する以前に、自分はこうしたいと言う理念が欲しいと思う

矢祭町の議員さんはどんな活動をしているのであろうか。
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武雄市からのヒント

2008-03-25 13:11:09 | 樋渡啓祐さんのこと
三木市議のもて木みち子さんが、
『武雄市からのヒント』というブログをアップされている。


三木市と武雄市は人事交流をされていて、現実に1人づつ交流が実施されている。
お互いのいいところをそれぞれが学ぼうということだろうと推察される。

然し、もて木さんが言われるように、公式に三木市のホームページなどで武雄市が語られることは少ない。

この人事交流が何のためにどんなコンセプトで行なわれているのか、発表されていない。
どちらからの提案か?多分三木側からではなかろうかと思っている。単なる推測だが。


私は樋渡ファンである。高槻時代からそうだった。
三木の中にも、樋渡ファンは何人かは居られるる。
樋渡さんは、市のホームページに登場しなくても、市民のブログには頻繁に登場するのである。
『オンブズマン三木』にも
『R175さんのブログ』にも よく登場するし今回はもて木さんのブログにも登場した。

『とだけ書いていたら、コメントでさるとるさんから私を忘れていませんかとクレームが入った。忘れてなどいなかったのだが、何となくホントに何となく迷った上で書かなかったのである。
樋渡さんのサイン入りの本を一番最初に読んだのも、それをブログで紹介したのも彼であることは間違いない。
でも、何となく書き難かったのである』



別に面識がなくても、発想や行動が解りやすいのである。
そして支持されている。
残念なことだが、武雄市は支持するのだが、三木市に批判的になることが多いのは三木市民として不幸であると思っている。

毎日継続しているブログがその解説の役割を果たしている。
難しい筈の、議会での武雄の総合計画がブログの延長と思えば非常に解り易いのである。

今回の本は、その解説書みたいなもので、樋渡さんの発想の根幹みたいなものがいっぱい見られて楽しかった。


人事交流の基本がお互いのいいところを真似ようと言うことなら、三木はもっと積極的に武雄を見習うべきであると思う。
折角、武雄を見習ってはじめられた、三木市のホームページのブログたちも、今はその機能を殆ど果たしていない。

武雄の幾つものブログと対照的である。

もて木さん、是非一度議会で『武雄市の人事交流について』質問して見て下さい。
1.基本的なコンセプトは
2.どちらの提案ですか
3.1年経って、どんなメリットがありましたか
4.武雄から学ぶものがあるとすれば何ですか
などなど

私や市民が本当に知りたいのは、ホンネのトークです。


コメント (2)
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