雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

雨の午後の庭

2023-04-30 06:48:15 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 昨今の天気予報は本当によく合う。
 今日も午後からは雨になると言ってたが、間違いなくそうなった。
 我が家の庭にはいっぱい植物が植わっている。
 こんなに植えている家はまず少ないだろう。
 数えたことはないが300本以上はある。

  この時期樹々はどんどん新芽を出すので、放っておいたら鬱蒼としてしまって、どうしようもなくなってしまうに違いない。

 雨の午後庭を眺めている。
 今年は家内がこんな場所を新しく創ってくれたので、
 庭を眺めるにはほん都合がいい。
 手前の鉢にはメダカが入っている。このところ毎日卵を産むのだがまだ孵らない。
 
 

 
 今朝も午後から雨だというので、朝のうちに葉刈りをした。
 真ん中のさつきなど花が終わったので、結構短く切ってしまった。
 これ位切らないと空間がなくなってしまう。
 幾らかでも空間があるのは、毎日切っているからだ。




 5月になると薔薇で華やかになる。
 いまこんな状態だが、この一帯薔薇で埋まるはずである。





 昨年はミカンは1個しか成らなかったが、
 今年はいっぱい花を付けてるので、沢山のみかんが成ることを祈りたい。




 
 いまこんな天気図である。
 いつものことだが、この辺りは雨は少ない。




 でも雨の石畳は何となく情緒がある。




   手前の鉢はバラの挿し木である。
 我が家の庭の植物たち、殆どが挿し木株分けでこんなに増えたのである。



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我が家には大谷翔平がいっぱい

2023-04-29 06:57:52 | 発想$感想

★ 昨日も大谷翔平大活躍でテレビでもいっぱい取り上げていたのだが、
 そんな「大谷翔平くん」は我が家にはいっぱいいるのだが、

 昨日はまた一つ「今年の大谷翔平くん」がやって来た。
 今年は13三振を奪ったとかで、
 ボールを13個持っての登場である。

    



  こんな人形は毎年一個ずつ増えて
 今まですでに3人の大谷翔平クンがいるのだが
 これに4人目の「大谷翔平人形」が仲間入なのである。


  



  人形だけではなくて
  こんな大谷翔平くん額縁もある。


 


 
★ これはエンゼルスのスポンサーをしている JAE・日本航空電子さんとちょっとだけ関係があるので、毎年一つづつ贈って下さるのである。

 テレビでこんなJAEの広告が現れるエンゼルス球場の画面をご覧になった方も多いと思うが、


 


 このJAEさんのアメリカ支社に娘婿がいる関係で、
 日本航空電子さんが毎年贈って下さるのである。


 これは何年か前のことだが、エンゼルスの球場の一等席で
 大谷翔平をナマで観たこともある。

 ここに写っているのが娘夫婦と私と家内なのである。
 

  



 それは兎も角、大谷翔平の活躍ぶりは本当にスゴイ。
 まだ、大谷翔平がエンゼルスに入団してすぐ、エンゼルスのスポンサー企業になった「日本航空電子」さんの先見の明も素晴らしい。

 我が家の大谷翔平くん、こんな調子で増えていくとホントに
我が家の宝物」になるだろう。


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明石球場での100周年野球大会

2023-04-28 06:12:22 | 発想$感想

★ 突然だが、こんなハガキが届いた。
 明石高校創立100周年実行委員会がその記念に
 明石球場で現役の野球部が中京と報徳との記念野球試合を行うので、
 観戦に来られませんかと言うのである。

 このハガキは明石高校野球部OBに出されたもののようだから、
 我々の年代以下でも元気な人は観戦にやってくるかも知れない。
 
 5月7日だからもうすぐの話だが、是非行ってみようと思っている。





★ 私は明石高校4回卒業で、野球部出身なのである。
  これは昭和25年の夏、2年生の頃の甲子園出場の写真だが、
  私の知る限り殆どの方がなくなってしまって、
  いま生存しているのは多分同期の溝畑圭一郎だけだと思っている。


  


  これはこの年の夏の予選で灘高を相手に完全試合をした時の
  溝畑圭一郎とバッテリーを組んでた新納さんとの写真だが、

  
   

  彼は5月7日にやってくるだろうか?


★ ところで明石球場はこんな立地にあって、
  われわれが現役時代は殆どの練習を明石球場で行っていた。
  途中に赤く塗っているのは、当時の我が家で、そこから高校に通い、球場で練習する毎日だった。
 今は小さくなってしまったが、今でも「本家」はそこにある。

 今の写真には住宅がいっぱいだが、当時はこの辺り一帯は家など殆ど建っていなくて、まだ農地が殆どだったのだが、変わるものである。

  
  
  
★ これは家から明石公園に散歩のときに撮った写真だが、
 明石城跡からはこのように見えるし、

  



逆に球場側から見ると明石城がこのように見えるのである。


  


 いま思うと懐かしい球場だが、
 当時はの夏はサマータイム制で8時ごろまでは明るいので、
 練習の最後のノックが始まるのがそんな時間からで練習が終わるのは9時過ぎだったのである。
 今の高校生とは打撃のレベルなどは全然違うように思うが、
 守備だけは毎日確り絞られたので大変だったのを想い出す、
 私はショートをしてたので、守備の練習では一番ハードなポジションだったが、お陰で守備だけは結構自信があったように思う。

 それもこんないい球場で練習が出来たからだと思っている。
 当日は当時の仲間やちょっと下の後輩連中も来ると思うので、
 お会いできるのが楽しみである。

★肝心の野球の試合は、25回戦の時の相手の中京商業と、
 何故か報徳学園なのである。
 我々現役時代は2年の時は優勝、3年の時は準決勝で報徳に4-2で敗れたのだが、決勝では報徳は「芦屋高」に敗れて、
 その夏は芦屋が全国優勝したので、
 いま思うと兵庫県のレベルは結構高かったのだと思う。

 
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私の海外での運転歴

2023-04-27 07:04:02 | 私の運転歴

★現役時代はカワサキの二輪事業の創成を担当したので、
 国際免許を取って世界の各国の道を走ることが出来たのである。
 1980年代当時のことだが年に5,6回の海外出張があって、
 現地ではレンタカーを借りて走り回っていたので、世界各国の「ろんな道」を知っている。
 そんな中でも1986年9月26日から10月9日までのヨーロッパ各国のジェットスキーの市場調査が一番で、なかなかこんな経験をされた方は少ないと思う。
 日本ードイツースイスーフランスースペインーイギリス―フランスー日本という行程で、
 ドイツではボーデン湖の近くであったボートショーにジェットスキーを展示し、ボーデン湖で実地体験試乗会などやったし、
 スペインのジブラルタル海峡からの海岸線の避暑地を車を運転して走っている。

★ドイツでの販社のあったフランクフルトからボーデン湖まで
 アウトバーンをレンタカーだがBMWで180kmの高速運転だったから、
 200kmちょっとあったボーデン湖までも1時間半ほどで着いてしまった。

 


 そのあとボーデン湖を船で渡ってスイスに入り、
 チューリッヒでレンタカーを返したのだが、
 この運転が海外の運転で一番印象に残っているし、
 私自身の高速運転はすべてドイツのアウトバーンでのものである。
 アウトバーンではホントに200km以上で走る車がいるのだが、
 走行レーンの守り方などは徹底していて、そんなに不安感などは感じなかった。

 ドイツからベルギー、ベルギーからフランスなど、
 レンタカーで2国間を往来など何度かしたが、ヨーロッパの国境はそんなに難しくもなく往来できるのである。
 
★この時はチューリッヒからパリまでは列車で移動したのだが、
 パリからスペインのマドリッド、さらにジブラルタル海峡までは飛行機だが、
そこからは夏の行楽地帯の海岸線をまたレンタカーで走ったのである。

 
 

 ヨーロッパの夏の行楽地帯であるマラガまでの海岸線はこの時期でもまだ行楽客がいっぱいで、みんな家族や恋人同士ばかりだから、
 男ばかり5人の日本人の一行は異様に思われたのだと思う。
 ホテルでも食事時など周囲から不思議そうに眺められていたのを想い出す。





★ この後ロンドンに行き、さらパリにもう一度戻ったりしたのだが、
 ヨーロッパの人達の休暇の過ごし方は、日本人と違って「ホントに何もしない」のだということがよく解かった。
 海岸でホントに何もせずにただ何時間も過ごしているのである。

 いろいろなことがあった出張だったが
 この出張での海外での運転が一番楽しかった想い出だと言っていい。

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季節が解る街

2023-04-26 07:01:55 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 千昌夫の 北国の春の一節に「季節が都会では解らないだろが」と言うのがあるが、
 確かにその通りで私の住んでる三木は、折々の季節が解る田舎街である。
 結構近代的な広大な住宅街なのだが、周辺には自然がいっぱいである。

 振り返ってみると子供のころから 
 ● 朝鮮京城(今のソウル)
 ● 明石市上ノ丸
 ● 東北仙台
 ● 関西高槻市
 ● 今の三木市
 と5回ほど移り住んでいるのだが、仙台の時も今の仙台球場の近くだったがその頃はまだ周辺には田んぼがいっぱいで畔でドジョウがいっぱい取れたし、
高槻も芥川のすぐ横で街の外側だったから田舎に近い環境だった。

そんなことだから、都会の「マンション生活」も2年だけだが札幌で経験したが、便利ではあるが、やはり自然に近い地上の生活のほうが似合っている。
家庭」とは家と庭と書くように庭のある生活をしてると、
季節の移り変わりがよく解かる。

★ところで今は春たけなわである。
 桜の季節はもう過ぎて若葉の季節だが、
 協同学苑には二つの竹林があって、





 孟宗竹と普通の竹との竹林が並んでいて
 すぐその横を通るのだが、
  


 そこにはたけのこがアタマを出していた。
 孟宗竹のほうは流石に大きく立派である。

 

 

 こちらの方もあちこちにいっぱい頭を出していた。




 たけのこもまさに春の季節ものである。
 この三木周辺にはまだ竹林がいっぱい残っていて、
 神戸の阪神大震災の追悼イベントで使われる竹も
 確か「三木の竹」なのである。


 


 そんな三木の協同学苑の竹林のたけのこのご紹介である。
 これらのたけのこが、今後どのように成長するかも見てみたい。

 
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はじめてのヨーロッパとナイジェリア

2023-04-25 06:29:20 | カワサキ単車の昔話

★1977年(昭和52)8月のことだから、もう50年近くも前の話だが、
 私は当時カワサキの新規事業CKDを担当していて、東南アジアや世界の開発途上国の担当だった。
タイ・イラン・インドネシアなどとともにアフリカのナイジェリアでも二輪のCKDの話があってイギリス経由で単身ナイジェリアのラゴスを訪れていて、これが初めてのヨーロッパ訪問だった。

 まっすぐにアフリカに行ったのではなくて、タイのバンコックにも寄ってからフランクフルト経由でロンドンに、
そしてイギリスではラゴスに事業を展開していたPZの本社のあったマンチェスターを訪問してからのアフリカだった。

  


 約20日間の行程ではあったが、よく独りで行ったものだと思うが、
 当時のカワサキの二輪事業はスタートの時期で、私だけでなくみんな世界が初めての経験だったのである。
 ロンドンの空港では日本人だがバンコック経由と言うことで「怪しい」と思われたのか、徹底的に荷物の検査をされて1時間近く掛ったのである。
 ロンドンではスタートしたばかりの英国カワサキの内田社長が迎えてくれて、たまたま土日だったのでロンドン見物などお世話になったりした。

 マンチェスターのPZ本社では、勿論英語での会話だが、たどたどしい私の英語だが何とか話だけは出来たのである。
みんな一人旅で解らぬことばかりなのだが、第1の失敗がラゴス行の飛行機の搭乗だった。
 ロンドンに空港が二つもあるなどとは全く思わずに、ヒースロー空に行ったら、ラゴスに飛ぶ飛行機がないので、よく聞いてみたら、
 ラゴス行はガトウイック空港から出ているということで、その日は乗れずに翌日の便になってしまったのである。
 そんなことで当時ラゴスに単身赴任していた森田君はラゴスで二日続けて私の出迎えをしてくれたのである。

★アフリカのナイジェリアの首都ラゴスは当時は発展の最中だったが、
 こんな町で結構な大都会なのである。

 


 ラゴス島の中は綺麗だが、ちょっとはずれるとこんな状況で、
 当時はクルマが大渋滞で1日おきに奇数と偶数の車番のクルマしか走れないのだが、
 それでもこんな状態で森田君も奇数と偶数の車番の2台の車を持っていたのである。

 


 ナイジェリアではPZとの方たちとの交渉がいろいろあったが、
 140km離れたIBADANPZの支店も訪ねたのだが、

 
 

 一歩ラゴスを出ると、渋滞などは全くなくて快適ドライブだったが、
 まさにこれがアフリカで、このような写真のままの風景で、
 車は少なかったがどこに行ってもいっぱいの人達だった。

  
 

 兎に角、子どもたちが多いのである。
 「こどもは何人いるのか?」と聞くので「」と答えると
 「なぜ2人しかいないのか」と不思議がるのである。
 どうも「避妊」などの風習がないようなのだったが、今はどうなっているのだろう?
 
 


 そんなナイジェリアのラゴスでの想い出だが、
 このプロジェクトは結局実ることはないまま終わってしまったのだが、
 当時すでに進出していたホンダさんはめでたく40周年・100万を記録されたようである。

  
 
 そんなナイジェリアでの経験なのだが、
 なぜPZとの話が実らなかったのか?
 そのあたりのことが全く解っていないのである。


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今回の選挙   雑感

2023-04-24 07:43:18 | 政治

★今回の選挙で私自身の投票権は三木の市会議員の1票だけなのだが、
一番関心があったのは「維新の会の動向」だったかも知れない。

 


 「維新はやる、ますぐに改革を。」と言っているがホントにやると思う。
 

★日本の政党は自民党を中心に動いてきたが、最近になって目立って頭角を現してきたのが「維新の会」である。
 関西地区では大阪を中心に維新を支持する人が中心になっているような気もする。
 私自身も永年「自民党」を支持してきたが、昨今ではどちらかと言われると
 「維新の会支持」だと言っていい。確かに有言実行なのがいい。

★ 当地の三木市の市会議員選挙には、知ってる方が多く立候補されているので、みんな通って欲しいと思いながら開票速報を見ていたが結果はなかなか厳しかったようである。

 三木でも「維新の会候補者」が新人ながらトップ当選を果たしたようである。
  

  

 日本の政治も「自民一強」の時代は過ぎて、関西などでは維新旋風が吹いているように思われる。


★明石市の市長選挙にも関心があった。
 明石市は生まれ故郷だし、今も本籍は明石市上ノ丸である。
 そんな明石が昨今全国的に知名度が上がったのは前市長の泉市長になってからだが、今回の市長選挙でも市長が誰になるかは非常に関心持っていたが、自民党の推す候補ではなく、泉さんも応援している丸谷さんの圧勝だったようである。

  


 全国では自民党も何とか面目を保ったようだが、
 かっての「自民一強の時代」ではなくなったのは事実である。
 関西での「維新旋風」は今後どのようになって行くのだろうか?

 それにしても三木市会議員での維新の新人候補「おぎはら吉江」さんのTOP当選にはびっくりした。
 

 






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伊豆半島の想い出

2023-04-23 05:40:08 | カワサキ単車の昔話

★ 昨日テレビを観ていたら、名門川奈で女子プロがやっていた。
 1回だけだが川奈でプレーしたことがある。
 昨日のテレビにも映っていた、16・17・18番の最終3ホールはよく覚えている。

 


 川奈ホテルに前日から一泊でのゴルフだったので、人生の中でも一番贅沢なゴルフだったかも知れない。

関東には住んだことはないのだが、なぜかこの辺りとはいろいろとご縁がある。
 御殿場にはFISCOがあって、そのスタート時代からよく行ってたし、
 伊豆半島の丸の山高原では2年続けてモトクロスの全日本があった。
 この辺りでクルマで走ったコースだが、結構よく走っていて、
 大体の地図はあたまに入っている。
 
 

 
 特に伊豆半島とはいろいろとご縁があってよく車で走ったものである。
 最初に走ったのは青森のモトクロスの特に往復した箱根越えだが、
 そのあとすぐ丸の山高原での全日本モトクロスが2年続けてあったので、
 2年続けて訪れている。
 ちょうど東京オリンピックが開催されたころのことである。

 


 それからずっと後のことだが、カワサキもマリンを扱った時代があって、
 松崎にあった「松崎マリーナ」を訪問したことがあるのだが、
 その時は沼津から海岸線を走ってそのまま伊豆半島を1周したのである。
 熱海にはいろんな会合で何回もいったことがる。

 川奈に行ったのはいつのことだったか忘れてしまったが、それが一番最後の伊豆半島だったと思う。

★二輪に関係があったお陰で、全国の販売店を訪問する機会も多かったし、各地でのレース関係などもあって、全国すべての県を車で走っているのだが、
この辺りも結構走っているものである。
 ただ最近はクルマには毎日乗ってはいるが、遠出をすることは無くなってしまって、
 日本の道も想い出だけが残っている。


 

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日記を付けだした20歳のころから・・・

2023-04-22 06:00:12 | 私の生き方、考え方&意見

★今でも毎日日記を付けている。
 永年の習慣だから何ということはないのだが、最近になって昔のことを想いだすのによく旧い日記を読み返したりしている。
昔のことは覚えていることも多いのだが、やはりそれ以上に忘れてしまっていることも多くて、日記は貴重な存在なのである。

★ところで、日記を付けだしたのは、もうずっと旧くて70年も前の20歳の頃のことで、まだ大学の2回生の頃のことなのである。
秋のリーグ戦の頃から何となく体調がおかしくて、
 リーグ戦が終ってから医者に診て貰ったら「肺浸潤」と言う診断で、
 当時はまだ「結核」に掛かる人は多く「肺浸潤」はその一歩手前なのである。
 明治以来、日本は結核に悩まされ続け、特に若い人がたくさん死に「国民」と呼ばれるほどだったので、ひょっとしたら長くは生きられないかなと本当にそう思っていたのだが、
 ちょうどそんな時期、朝日新聞に「蒋介石は30年間も日記をつけていて偉い」などと言う記事が出たものだから、
 日記ぐらいなら「俺でも書ける」とその日から日記を付けだしたのである。
 「肺浸潤でひょっとしたら長くは生きられない」と思ってたのと重なって、
 何かこの世に残しておこうかと思ったのだと思う。

★ 突然の日記だったのでこんな大学ノートに書きだしたのである。
 1953年(昭和28)11月8日から年末まで、大学2回生の20歳のころの事で、
 よく続いているなと我ながら想うが、習慣になってしまうとそれほど大変でもないのである。


 


 これはその第1日目の11月8日の日記だが、
 
  

 このように記述している。

 「昭和28年も早いものでもう霜月8日、この1年もこの月と師走を余すのみである。今日の新聞で蒋介石主席が30年間日記を付けているとかの記事を読んだので、自分も真似事ながら日々のよしなしごとを記してみようかという気になったのである。
 先月の28日胸が悪いと医者に宣告されてからはや10日間の養生生活が続いている。・・・・大体生まれてこの方医者の手を借りることなしに20歳のこの年まで育ってきただけに自分の健康に自信を持ち過ぎたのが悪かったのである。好きな野球でこうなったのではどこに文句のもって行き処もない。まあ運命とでも諦めるほかはあるまい。・・・・」などと書いている。

 実はこの年の夏の合宿の1日目に夏風邪をひいたのだが、
ちょっと熱もあったが練習を続けたし、そのまま秋のリーグ戦に入ったので、何となく体調が悪かったのである。
 自分から医者に行ったのは初めてのことだったし、その結果が「肺浸潤」と言われて結構なショックだったのだと思う。

★「肺浸潤のまま」その後も野球は続けていたのだが、
 運よく川崎航空機工業にも就職出来たが、その頃には「空洞」が出来ていて、診療所の先生には野球は禁じられていたのに、
先生にユニホーム姿を見つかって「結核療養所」に入院させられてしまうのである。
 これが昭和35年10月のことなのだが、それから1年の療養生活で空洞も消えてすっかり完治して社会復帰したのである。
 その昭和36年11月にはカワサキが二輪事業をスタートさせた時で、
 私は初めて出来た「単車営業課」への復帰が実現したのである。
 そんなことからの「二輪事業とのご縁」で、若し入院していなかったら、新事業の単車に行けたかどうかは解らないのである。
 
 早死するかなと思ったら、90歳までも生きられて、
 その間の日記があるお陰で、自分の人生を正確に振り返ってみることが出来るので、まさに「運のいい人生」だったと思っているのである。

 これらが70年間の日記帳だが

  

  
 最近は5年連用のものを使っているので、
 
 
 

 
 あと1冊新しいものが買えたら大満足なのである。
  


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毎日1万歩   雑感

2023-04-21 06:14:11 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★最近は毎朝公園を1万歩歩いている。
 28日間の実績が9000歩だから、歩く日は1万歩を越えている。
 1万歩は私の場合、大体7km、時間にして1時間40分の運動なのだが、
 90歳の高齢者としては極めてハードなのか知れない。

 果たてそれがいいのか、どうなのか?





 「1万歩くとどうなる?」と検索しててみると「1万歩は歩き過ぎかも?」と言う説もあったりした。

 このような論なのである。
 
「実際に取り組んでみればわかりますが、1万歩のウォーキングは容易ではありません。ずいぶん長い時間がかかりますし、歩く距離もかなりのものです。
そんな中、それほどたくさん歩かなくても健康効果があると提言する学術論文が最近発表されました。
7500歩を超えると平均寿命を伸ばす効果はほぼ変わらなくなる
平均歩数が増えるにつれて平均寿命も比例するように伸びます。しかし7500歩を超えると、それ以上はほとんど変化しなくなるということです。」

★そんな説もあるが、私の場合は「1万歩歩けるうちは歩くことにしようか」と思っている。
 実は昨年までは7000歩ぐらいだったのを、今年になって「1万歩」と言う目標に変えたのである。
 人生の目標にしてきた生き方が「差別化」なので、
 世間一般の常識とはちょっと変わった生き方をしたいと思っているし、
 90歳代という高齢者でも、「進歩することがある」と言う実績を付けてみたいと思っている。
 「1万歩」歩くと1時間40分での「消費カロリー」は約800カロリーで、そうすることで1日消費カロリーは2500カロリーぐらいにはなる。
 これくらい動けば、体重も減ってもいいと思うのだが、
 それが体重は増えはしないが減らないのである。

 ホントの目標は今の体重82kgを何とか70キロ台に2kg落としたいのだが、それが出来ないのは「食いすぎ」だと思っている。
 食うのを我慢すればいいのだが、戦後の食糧難時代に育って、
 どうしても「食を控える」ことがムツカシイのである。

 ひょっとすると、これからは「汗をかく季節」に向かうから、
 体重落ちるかも知れない。
 
 
                
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紅羊歯  1年

2023-04-20 07:02:24 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 何を思ったのか「紅羊歯」をAmazonの通販で買って庭に植えたのは昨年2月のことである。
 「紅羊歯」とあるが当時はこんなに緑色だった。

 


★それからほぼ1年が経って、ごく最近のことだが
 こんな珍しい形の新芽らしいものが現れて、


 


 果たしてどんなことになるのだろうか?
 と思ったのだが、
 「紅羊歯」をご存じの方から、
 それは新しい赤い葉になると教えて頂いたのだが、
 ホントにそのように進んでいる。

 4月19日現在の「紅羊歯」の様子で
 まさに紅色の新葉が現れたのである。



  

 

 
 なかなか風情があって気に入っている。
 この紅い葉が青くなるのだろうか?
 それとも紅の葉になるのか?
 
 人生長く生きても、知らないことも多いものである。



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東南アジア調査団の想い出

2023-04-19 07:04:07 | カワサキ単車の昔話

★カワサキの二輪事業の国内市場を担当して、オモシロいことばかりだったのだが、
10年間の国内市場の出向から事業本部の企画室に戻ったのである。
サラリーマンの動くルートとしては最高の部門で、企画でじっと大人しくしていたら、昇格・出世は間違いないいい部門なのだが、
 性格的にどうも「じっとはしておれない」のである。

 当時は川重の吉田専務が先頭で旗を振られていて、
 ちょっと陰りの出たアメリカ市場の大型車に代わって、
 効率的な生産設備による安価な小型車を大量に生産・販売するという
 「小型車プロジェクト」が真っ盛りで、1980年に50万台を売るという構想で進められていたのである。
 10年間販売分野を担当してきて、開発・生産とはちょっと異なる販売分野のムツカシさは解っていて、こんな構想はとても実現するわけはないと思ったのだが、
 専務が先頭で走っているプロジェクトなので真正面から反対は出来ないのである。
 
 企画部門という基本計画の推進部門担当なので、具体的な反対は諦めて、
 「東南アジアの小型車のCKDプロジェクト」を提言し、
 先ずはその市場調査を行う計画を上程したのである。
 ちょうど企画に戻って5か月目の1976年春のことである。

 CKDプロジェクトなら明石に膨大な設備投資は必要ないし、 
 東南アジアの小型車は日本の50ccと違って100㏄なのである。

 技術本部長の高橋鐵郎さんを団長に生産の安藤、技術部の川崎、営業の山辺さんに加えて国内販売から松田さんと、
私が纏めの事務局という調査団を創り、
 5月17日から6月18日までの1か月間、
 台湾・インドネシア・タイ・イラン・マレーシア・フィリッピンの各国の市場調査を行ったのである。




 

その結果は秋には「市場開発プロジェクト室」という新職制ができて、
 私もその一員として折角の企画部門を1年で自ら飛び出した結果となったのである。


★二輪事業の調査は各地のデーラー訪問が中心になるので、
 各国の末端の状況も解るし、車での移動が中心なので、
 非常に面白いのだが、世界の各国のこんな末端を1か月かけて観た人などはそう多くはないと思う。

 先ずはインドネシアではジャカルタ・スラバヤなど当時ネシアは、
 二輪車の市場としては最大で、どの町も二輪車であふれていたのである。

 
 

 そのあとのタイでは、北の都・チェンマイにも行ったし、
 バンコク周辺では観光地バタヤにも行けて
 ある意味観光旅行のようだった。





 
 一番大変だったのがイランで、まだ王政が敷かれていた時代なのだが、
 サベイにすでに大きな工場を持ったデイーラ―と契約が交わされていて、
 テヘランから約100kmの現地まで車で往復したし、
 この地図を見てもお解りのように、緑地は全くないと言っていい。
 延々と広大な砂漠が広がっていて、
 突然現れるシーラーズなどは人が創った美しい街なのである。

 


 南のシラーズアスファハーンのデイーラ―訪問もしたのだが、
 アスファハーンでは突然飛行機が欠航になって、
 空港の係の方に聞いても、いつ飛ぶのか解らない」のである。
 この辺りが「イランらしさ」で、神様だけが知っていると仰るし、
 当時のデーラーに「事業計画」がないのである。
 そんな先の話は、「神様の世界」だとホントにまじめに仰るのである。
 
 仕方がないのでテヘランまで400kmの距離だったが、
 タクシー2台でテヘランまで戻ってきたのである。
 どこまで行っても真っすぐな砂漠の中の道だった。

 今はイランなどなかなか行けないので、貴重な経験だったと思っている。


★この1か月の調査団の出張で、私がつくづく思ったのは
 「世界は広いな」と言うことと
 「世界にはいろんな考え方」があって、特に日本人は自分の方から他人を観ることが多いのだが、
 世界の人口では日本人よりはアラブの宗教を信じる人たちが圧倒的なので、それが「おかしい」などとは言えないのである。
 先方から見ると「日本人のほうがおかしい」のかも知れないのである。

 そんなことが、よく解った1か月で
 この調査団の現地報告から、カワサキの小型車のCKD事業はイラン・タイ・インドネシアの3国を中心に新たにスタートしたのである。
 この調査団の報告を契機にカワサキのCKD事業本格化して、
 今では事業の中心になっているし、日本への逆輸入なども行われているようである。


 
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三木の市会議員選挙

2023-04-18 05:42:47 | 発想$感想

三木市の市会議員選挙が始まった。
 いろんな選挙があるが、何となく一番気持ちのうえでスッキリしない選挙が
 「三木市の市会議員選挙」なのである。

 


 今回も20人に近い候補がおられて、
 個人的にも存じ上げている方が何人もおられるのだが、
 投票できるのは、当たり前の話だが「お一人」だけなのである。

 今回の立候補者の名簿である。

  


 国会議員選挙でも、市長選挙でも、「投票する人」は決まっていて、
 投票に迷いなどは全くないのだが、
 市会議員選挙は「出来ることなら1票を投じたい」方は何人もおられるので、
 そんな中から「1票」を投じるというより「投じねばならない」ので、
 いつものことだが、何となく「後味が悪い」のである。

★三木に住んでからもう長いので、
 個人的にもいろんな方と繋がりが出来たし、
 市会議員の方たちともお会いしたら「お話をする」方も多いのだが、
 この選挙の時は、どうしても「お一人」に絞らなければならないのである。

 ずっと以前のことだが「投票しようと思ってた方」がおられたのだが、
 ふとしたことで「別の方」に投票したら、
 「投票しようと思ってた方」が落選されてしまったことがあって、
 それ以来、どうも「三木の市会議員選挙」だけは、
 投票はするのだが、何となくスッキリしないのである。
 「1票」ではなく「0.2票」や「0.3票」などと分散出来たらいいのにと思ったりする。
 
 そんな「三木市会議員選挙」が始まった。
 「投票する人」は決めてはいるのだが
 何となく「すっきりした気持ち」になれない「市会議員選挙」である。
 

 


 
 
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4月半ばの我が家の庭

2023-04-17 06:43:51 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 昨年から庭に苔を植えた。
 苔を植えだしてからの目標は「土が見えない庭づくり」だが、
 1年経ってその目標は達成できて、
 小さな庭だが、結構綺麗に仕上がっている。

 いろんな樹や草花を300本以上は植えているので、
 この時期になると葉刈りや剪定で、結構忙しい。
 ちょっと放っておくと鬱蒼としてしまう。
 毎日特にすることもない身分だから出来ることで、
 勤めなどあるととても出来ないと思う。

 

 
昨年までは土だったところに苔を植えた。

 


 苔を植えると、小さな草でも目立つので、
 毎日、草と格闘している。
 お陰様で、庭には殆ど草が生えていない。




★今年は暖かくて桜も早かったが、
 早咲きの薔薇・モッコウバラが咲きだしたし、


  
 

 たった一輪だが、つる薔薇・アンジェラが花開いた。
 もう20年近く薔薇を育てているが、
 4月半ばにこんな様子になったのは初めてのことである。
 例年より10日は早い感じかな。

 



 昨日は夕立があって、
 苔を植えてから毎日やっている「水遣り」をやらずに済んだ。

  
 

★いまから、夏までは樹々も、薔薇も毎日成長するので、
 1年で一番忙しい時期になる。
 毎年「ちゃんと遣ろう」と思うのだが、思うだけでなかなかできない。
 今年はなんとか「今のところ」出来ているので、
 是非、頑張ってやり遂げたいと思っている。
 こんなことアップするのも、書けば幾らかでも励みになるかなと思っているのである。
 
 
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最初の国内出向の10年間

2023-04-16 06:20:51 | カワサキワールド

★昨日まで運転免許を取ってからの「私の運転歴」をアップしてきたのだが、
 この運転免許を取ってからの10年間は、
 私の「国内市場出向」の最初の10年間なのである。
 
 現役時代の40年間のうち、ご縁があって国内市場には3度の出向をしているのだが、
 その最初の出向が昭和40年(1965)1月なのだが、
 その年の5月に運転免許を取っているのである。

 販売会社に出向になったから、免許を取ったと言えないこともない。

★この10年間は
 ● 最初の3年が広告宣伝とレース担当
 ● 次の4年間が仙台で東北6県の代理店担当
 ● そしてそのあとの3年間が第1線の販売店担当営業

 で、この10年間の経験が私のその後の仕事のベースになったし、
 もっと言えば、「私の人生」の「生き方のベース」になったと言っていい。

 年齢でいえば、33歳から43歳までの10年間なのである。
 新婚時代から始まって、子どもの小学校時代の頃で、
 会社の想い出も多いし、子どもたちの想い出も多い時代だった。

 カワサキのバイクでいえば、
 W1・250A1 の時代から、

  
  

 Z1・Z2 のカワサキの本当にいい時代に、
 本当に「いい経験」をさせて頂いたと思っている。


   

★ この10年間には、北陸や東北、九州などは二輪業界にまだ代理店制度が残っていて、
 末端の販売網を代理店が担当していたし、
 メーカーよりも販売第1線が格上の状態だったのである。



 その後は、末端販売網がメーカーに吸収されていって 
 今では末端よりメーカーが上位の状況になってしまっているのである。
 どちらがいいのかは「定かではない」が
 私自身は、その両方を経験できたことが、非常に良かったと思っているし、
 最初の「国内出向の10年間の経験」は今のメーカーの人達には経験できないことなので、
 そんな経験が出来たのは「運がよかったな」と思っている。


 
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