雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

『熱中症』 昔はどうだったのだろう

2012-07-31 06:33:02 | 私の生き方、考え方&意見

★毎日暑い日が続く。

夏は暑くて当然で7月末が若し涼しかったら、それは天候不順である。

札幌に2年住んだが、札幌の事務所でクーラーを入れたのは、7月末の数日だけだった。

 

そんな7月末の昨今、

ニュースに毎日流れるのが、『熱中症』と『水の事故』なのである。

毎日、この二つの原因で死者のニュースが流れる。

 

交通事故死の統計などはちゃんと発表されていて、確かに毎日死者が出るが、

20年ほど前の15000人に達すると言われた時代に比べたら、

半減に近い数字に改善されているのである。

 

『熱中症』と『水の事故』は、昔に比べて増えているのか減っているのか?

『水の事故』はともかく、昔は『熱中症』などという言葉もなかったし、新聞にそんな記事など載ったりはしなかった。

 

 

こんなグラフが見つかった。

やはり昔は少なかったのである。

 

 

昔はプールなどで泳ぐよりは、泳ぐのは海か川でしかなかった。今思うと無謀なような泳ぎ方もした。

でも周囲で『水死』はあまり聞いたことはナイ。

 Wikipedia には

熱中症(ねっちゅうしょう、Hyperthermia)は、暑熱環境下においての身体適応の障害によっておこる状態の総称。屋内・屋外を問わず高温や多湿等が原因となって起こる。日射病とは違い、室内でも発症するケースが多く、年々増加傾向にある。その背景の一つとしてエアコンの増加による熱のこもりやすい建築物の構造の変化が挙げられる。

 

★一番、疑問に思うのは『熱中症』である。

もう60年も前の話だが、私は高校生だった。

野球部にいて、名門校と言われていて練習は今から言えば無茶苦茶だった。

何時間やっても『水は飲むな』が当時の運動部の通例で、水など飲まずに練習を続けた。

 

練習はともかく夏の予選の試合中も水など一切飲まなかったように思う。

科学的な根拠など一切なく、水は練習中には飲むな、夏は肩を冷やすから泳いではイケナイが常識だったのである。

 

エアコンなどない時代だから、扇風機やうちわはあったが、家の中でも暑いままのそんな状態の中で過ごしていた。

 

当時、昭和25年(1950年)ごろ熱中症の死者の統計数値などあるのだろうか?

少なくとも、周囲で熱中症や水死者の話は聞いたことがないのである

現在の熱中症の死者数の統計など、いつの時代からあるのだろう。

それは増加傾向にあるのか? 減少傾向なのか?

若し増えているのなら、その理由は?

 

世の中が暑くなり過ぎた? 人間の抵抗力がなくなった?  その他どんなことが考えられるのだろう?

 

 

 それともこのグラフを見ると

 

 

長寿社会の齎したモノなのだろうか?

 

 

★よく解らぬままに、勝手に意見を言わせてもらえば、

人間が弱くなり過ぎた。

いろんなことに『過保護』になり過ぎて、抵抗力を失ってしまって、『弱い人間』になってしまっているのではなかろうか?

 

世の中、全体に過保護過ぎると思う。

子どものころからもっと厳しく育てる方がいい。

家庭でも、学校でももっとビシビシやる方がいい。

先生や警察官も『優し過ぎる』  先生や警察官は『怖くて、厳しくて』当たり前なのである。

 

学校の先生に親が文句をつけたりするから、先生も子どももダメになる。

自己主張が強すぎるのだと思う。それもいいが度を越している。

『大阪市役所』だけではなく、日本国中が極端に言えば、おかしいのではないかと思う。

 

★熱中症も、水の事故死も、昔と比べて、今がどうなっているのか?

非常に粗っぽくて共感は得られないかも知れないが、それを恐れずに言えば、

夏ぐらいには耐えうる体力、体質を作ることに、むしろ頑張る方向がいい。

 

今回は少々暴論気味だが、

人間鍛えれば、どんどん抵抗力も付くし、環境にも適応できるのである。

そんな人たちの頂点が今オリンピックを戦っている人たちなのだろう。

体操など見ていると、人間、鍛えたらあんなことが出来るのである。

 

 

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2012 鈴鹿8耐 FBで観戦

2012-07-30 06:18:44 | M/Cレース

★昨日は鈴鹿4時間耐久だった。

パウダーパフレーシングを応援していたのだが、10周目に転倒リタイアしてしまった。

 

 

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忙しかった1日、7月28日

2012-07-29 06:19:09 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ロンドンオリンピックの開会式で1日が始まった。

こんなブログをアップしたら、通常の2倍のアクセスがあった。

 

古谷錬太郎‏ rfuruya1

オリンピック開会式。豪華で素晴らしいが、スポーツの祭典の入場式かと?ちょっと違和感を感じた。

 

そんな写真が、今貼付出来るのが、ネット社会なのである。ブログに添付してある。

 

まだ選手入場が続いているような時間に、Googlew の画像検索で、こんな写真がブログに貼付出来るのである。

ホントにGoogleの画像検索は素晴らしい。

 

★ただ、昨今のオリンピックの開会式はショ―化してしまって、ちょっとやり過ぎではないかと思ったりする。

そんなオリンピックの開会式を見た後、

昨日は三木総合防災公園で、昼はさんさんまつり、夜は花火があると言うので、どんなことになっているのか様子を観に行った。

イベントそのものよりも、むしろどんなやり方をされるのか、そちらの方にむしろ関心がある。

 

先日、『笑って遊ぼうミキランド』をやった同じ場所なのである。

昼やっている内容は、さんさんまつりの踊りと、ミニSL とこんなで店であった。

夜の花火はともかく、この夏の真っ盛りの日中の行事はもう一つであったと思う。

それにしても、行政のやるイベントは、人数が掛り過ぎだなと思った。

 

★戻る途中で、カバン屋さんに寄り、 KAWASAKI Z1 FAN CLUB の今後の展開について2時間ほど雑談する。

NPO The Good Times のプロジェクトとして展開するのだが、ホントに熱っぽくなってきた。

日本だけでなく世界展開なのだが、その核として、こんな店を登山さん借りてしまったのである。

 

 

 如何にも登山さんらしいジャッジである。

思い切りがいい。 こんな店借りたら、当然経費は発生する。『大丈夫か?』と思うのが普通である。

 NPO法人 The Good Times 古谷理事長スクープ・ブログ記事(笑)には少し驚きましたが、その方向で話を進めております。自分にとりましては、現在の会社を現住所で続けながらの二足の草鞋となります。周りからは「今更バイクで大丈夫ですか?」とか、「Z1/Z2のクラブなんて無理でしょ?」「店舗の固定費は馬鹿にならないよ?」「スタート資金は自腹で払うの?」等々・・と、熱いご声援(ご忠告?)が...届いております(笑)。

しかしながら、ネガティブな声が届けば届くほど、前例が無ければ無い程に・・何故か燃え上がって来ます。そう言えば誰かが言ってましたが、“足踏みしてても同じく靴底は減る・・ならば前へ歩き出そう♪”まさにそんな心境でございます。生来、机上の空論を唱える評論家等が大嫌いな性質ですし、自分の経歴を振り返って見ても・・一般の方からは、およそ理解不能なダイヴ人生♪ そのダイヴ人生の横には、いつもKAWASAKI Z1がございました。ならば人生最後のダイヴも華麗にKAWASAKI Z1と共に・・と思っています。 

採算ベースに乗せて、クラブ組織として運営出来るまでは、何かと大変だ思います。しかし、人生の大先輩たち、Zが大好きな仲間たちと共に、後世に残るクラブ組織にしていこうと計画してます。また、あくまでクラブの事務局として、裏方からクラブの発展を支えたいと思います。皆様、熱い応援をどうぞ宜しくお願い致します。

↓ は、今朝の古谷理事長のブログです。

http://rfuruya2.exblog.jp/18270353/

 

とFacebookに、こんな決意表明をされている。

世の中にない新しいことにチャレンジするのはオモシロイ。

NPO The Good Times も全く新しい仕組みのNPOだが、4年目を迎えるとこんなプロジェクトを展開しようというところまでは来た。

 

 

世界のZ1 FAN を視野に、

いろんな人やシステムを繋いで、『グッドタイム』の展開が出来ればおのずと道は開けると思う。

 

そんな夢いっぱいの雑談2時間だったのである。

 

★家に戻ってからは、7時半から、なでしこジャパンのスエ―デン戦を観ていた。

0-0の引き分けは残念だったがまた一歩前進したと思う。

忙しい1日であった。

 

 

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歳を取ると『痩せているよりは肥えている方がいい』

2012-07-28 05:57:53 | 発想$感想

★特にどうと言うことはなかったのだが、

時間もあるし、目がちょっとしょぼしょぼするし、昨年1月に白内障の手術をしてその後半年ぐらいは、術後の検査にも行ってたのだが、昨年夏からそのままになっているので、

一度、検査でもしてもらおうと、近くの山陽病院まで出かけたのである。

9時半ごろだったか、昼前までには十分戻れると思っていた。

 

 

沢山お客さんが居ても、この程度である。

いつものことだがホテルのように綺麗である。

 

待ってる間、雑誌『きょうの健康』を読んでいた。

 

テーマは『100歳まで歩ける体に』である。

ロコモ などと言う初めて聞く名前が出ていて、

 

運動器を長期間使い続けるための新しい概念「ロコモ」

日本は世界にさきがけて高齢社会を迎え平均寿命は約80歳になっています。これに伴い運動器の障害も増加しています。
入院して治療が必要となる運動器障害は50歳以降に多発しています。このことは多くの人にとって運動器を健康に保つことが難しいことを示しています。

多くの人々が、運動器をこれほど長期間使用し続ける時代は、これまでありませんでした。
長期間運動器を使い続ける新しい集団の出現です。従来の運動器機能障害対策の単なる延長線上では解決がつかない時代を迎えたことを意味します。

新たな時代には新たな言葉が必要になります。
そこで、日本整形外科学会では、運動器の障害による要介護の状態や要介護リスクの高い状態を表す新しい言葉として「ロコモティブシンドローム(以下「ロコモ」)(locomotive syndrome)」を提唱し、和文は「運動器症候群」としました。
Locomotive(ロコモティブ)は「運動の」の意味で、機関車という意味もあり、能動的な意味合いを持つ言葉です。運動器は広く人の健康の根幹であるという考えを背景として、年をとることに否定的なニュアンスを持ち込まないことが大事であると考え、この言葉を選びました。

自分で気付くためのツールとして「ロコチェック(ロコモーションチェック)」と、ロコモ対策としての運動「ロコトレ(ロコモーショントレーニング)」のパンフレットを作成しました。

 

その対応策として、骨や特に筋力を鍛えよと言われている。『70才以降は、痩せているより肥えている方がいい』と書いてある。これは私の持論であったが、こんな医学雑誌に書いてあると自信になる。

 

肥えると血圧が高くなったり、糖のの値が悪くなるからダメなので、私の場合は血液検査は何の問題もないのである。

今回の病院行きは、『肥えてる方がいい』これが解って大満足である。

 

★肝心の目の検査は、左右とも視力1.2 で問題なし。

目がしょぼしょぼして見難いと言ったら『瞼が垂れて目を小さくしているので、手術をして瞼を切ればいい』といとも簡単に仰るのである。

『30分ぐらいで簡単ですよ』と仰るので『じゃやります』と言うと、

待ちがあるので9月になるという。『9月はアメリカに行くのでダメですね』と言ったら、スケジュール表など見ていたが、『じゃ8月15と22日に片目づつやりましょう』ということになった。

 

目の検査は、そんなことで至極簡単、順調に終わったのだが、それからが大変なのである。

 

●まず、手術の同意書の説明

●血液検査

●胸の検査

●心電図

●おまけに身長体重まで

時間も昼過ぎまで掛って締めて2100円也である。

 

★丁寧と言えば、丁寧である。

病院の経営の立場から言えば、こんな検査は結構儲かるのだと思う。

それに訪れた患者をあまり手間のかからない検査などをやれば経営効率はいいのだろう。

 

つい先日も、胃カメラをと言ったらついでに大腸もと言われて、検査の結果は問題なかったが、ピロリ菌が居ると言って今その除去の手当てをやっている。

血液検査など先日やったところである。なぜこうも何回も同じことをやるのだろうか?

血液検査も、心電図も掛りつけの医者でもやっている。検査などしなくても大丈夫なのである。

 

国民番号制などにして、こんなデ―タ―も一括管理で共有すれば、検査代は減るし医療保険料も減るはずである。

こんなところにも、日本のタテ型社会の弊害が見られる。

病院にして見れば来院した客から如何に多くのお金を頂くかは、経営戦略上重要だろう。

多分、『検査をすること』はその目標に上がっているに違いない、

確かに初めての検査はともかく、心電図や血液検査など1年に一体何度やればいいのだろう?

 

★そんなこんなで、家に戻ったのは1時前だった。

今日の一番の収穫は、病院の雑誌の記事、

歳を取ると『痩せているよりは肥えている方がいい』

これが大収穫、然し80kgは重いので今78kぐを目指して減量中である。

 

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オリンピック サッカー

2012-07-27 06:39:56 | スポーツ

★少々、寝不足である。

一昨日は3時まで女子を、昨夜は10時から男子サッカーを観ていた。

 

なでしこジャパン2-1と快勝である。

前半に2点を入れこれで決まったと思った。

後半は1点を返されたが、危なげなく勝ち切ったと言っていいだろう。

 

 

テストマッチでフランスに敗れたりして、大丈夫かなと思ったが、昨日の試合を見る限り完勝に近いと言っていいだろう。

 

何と言ってもワールドカップの優勝が大きかった。

今まで殆ど注目もされなかった女子サッカーである。

アレが若し2位だったら、こんなに盛り上がったムードにはならなかっただろう。

ワールドカップ優勝までは、マスコミも殆ど取り上げなかったし、観客などまさに閑古鳥が鳴いていたのである。

 

今朝の朝日新聞の記事、同じ飛行機でロンドンへ向かった男子と女子、航空機の座席は、男子はビジネスなのに対して、女子選手はエコノミー。

『世界王者なのにエコノミー』と言う記事が地元紙に乗ったらしい。

協会の規定改正が間にあわなかったのだろうが、しゃくし定規な日本流のやり方だと思う。

 欧米の人たちから見ると、不思議な光景に映るのだと思う。

★このオリンピックで金メダルなど、メダルが狙えるかどうかでは、圧倒的に女子の評価が高いのだろう。

先日も書いたが、

現地ロンドンに造ったメダルを狙う選手へのサポート施設、『マルチサポートハウス』の利用は、女子はOK だが、男子はNO なのである。

 この施設、メダルが狙える選手にしか解放されないのである。

この1年で如何にその評価が変わったのかを現わしている事実なのである。

 

 

 

オリンピックのサッカーの成績は必ずしも好結果を得ていない。

いつまでも言われるのが1968年のメキシコ大会での銅メダル、釜本選手の活躍ですが、昔のサッカーと今とではレベルが違う。

ワールドカップに比べて、もう一つ熱の入っていないオリンピックサッカーだが、メダルを取るとなるとなかなか難しいのだろう。

そういう意味では、女子は頑張っていると思う。

 

 

★昨夜のスペイン戦、強豪スペインを下した金星スタート、男子も好発進である。

日本は本当に強くなった。

優勝候補とも言われるスペインを相手に遜色なく戦かった。

海外のクラブで活躍する選手も多く、気押されするところがないのがいい。

 

女子も男子も未だ先は長いが、当分寝不足は続きそうである。

 

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カワサキ悲願の8耐優勝の想い出

2012-07-26 06:18:16 | カワサキ単車の昔話

 

★こんな写真がFacebookのウオールに流れた。

カワサキモータースジャパン が7月からFacebookに参加した。

直ぐ、ツイッターでもリツイートしたし、

 

カワサキモータースジャパン@Kawasaki_JPN

カワサキモータースジャパンの公式フェイスブックページをオープンしました!内容はまだまだですが、これから充実させていきますのでぜひご覧ください!

 

Facebook でも紹介した。

220ほどだった『いいね』は、今270を超えた。

 

そんなKMJの FBの中にあった写真を取り上げて頂いた、中村貴志さんの写真をシェアさせて頂いたら、

それに山本靖さん がIMSの展示を見ました、などと懐かしいことを仰るものだから、もう一度思い出して書いてみようと思ったのである。

ホントに繋がるものである。

 

★伊藤ハムレーシングのこのマシン。

カワサキが8耐で唯一優勝を飾った93年の8耐のマシンなのである。

1993年7月25日、 ちょうど19年前の今日のことである。

 

私は3度目の国内市場担当の5年目、その前年には国内7万台の目標を達成して絶頂期であったが、かってのバブル時代のようなスポンサーの過熱ぶりも落ち着いた、そんな時期でもあった。

レースには、再び色濃く関係していた時期である。毎年7月末の8耐ウイークは鈴鹿で過ごすそんな時期だったのである。

世界の耐久レースを席巻していたチームフランスのKawasaki チームをしても、鈴鹿独特の高速8耐には優勝することが出来ずにいた。

この年初めて事業部にモータースポーツ推進部が出来て、故岩崎茂樹が初代の部長に就任した年なのである。

その時のレースチーム監督が大津信さんであったこと、覚えていなかったが、先日のFacebook の彼の記述で初めて確認した。

 

当時の日記を読み返してみると、今に繋がっていることが幾つかある。

Kawasaki、Good Times Concept が再度見直され採用された年でもある。

東京で今でもお世話になっている村島さんと本社総務の紹介で繫がったのはこの6月である。

技術部の藤井、大津くんなど当時の技術部トップと菊水で寿司を食ったりしている。250の2サイクルのレースを止めるという話が出たりしていた時期で、レースに関する話しであったことは間違いない。

 

 

★バブルがはじけて、スポンサーもちょっといっ時の派手さが失せた時代であった。

なかなかスポンサードが取れなくて、伊藤ハムとは本社のある方の紹介で成立したのである。そんなに大きな額ではなかったので、伊藤ハムにとっては宝くじに当たったようなものだったと思う。

カワサキの8耐については、『優勝を確実に狙える』ほどの実績がなかったのである。

よく勝てたとは思うが、まさに悲願の優勝であったと思う。

 

優勝当日は、現地ズズかで高橋鉄郎本部長らとともに、伊藤ハムの方たちと祝杯をあげたのである。

翌日朝早く鈴鹿を立ち明石に戻った。

午後の本部会議は冒頭、シャンパンの乾盃から始まったのである。会社の会議で酒を飲んだのはこの時だけである。

 

★当時は博多のイムズに常設の展示場を持っていた。

そこに8月1日から、伊藤ハムと『8耐優勝フェア』を開催したのである。

イムズでそれをご覧になったという、山本靖さんは、こんなコメントを寄せていただいた。

 

博多IMSで拝見しました。 
レース結果はこれですよね
 
このように記載されている
 
16度目を迎えた8耐だが、国内4大メーカーでは、唯一優勝がなく、1983年(昭58)の2位(ラフォン・イゴア組)が最高だった。ルマン24時間レースは2連覇中、米国で最も伝統のあるデイトナ200マイルも昨年制していた。だが、どうしても8耐だけは勝てなかった。84~86年までは、リストラのためワークス活動さえできない苦悩の時代もあったが、8耐優勝の希望は捨てなかった。
 
 ・・・・・・・このような記事も拝見しました。 当時は2輪に直接のご縁が無かったのですが、SPA直入の事は気に成っていました。 大分の中にサーキットが2つも出来るなんて!と嬉しいながらも少し驚きでした。 

 

 

それ以来カワサキの優勝はない。

今思えばよくぞ勝てたものである。実力だけでは勝てない8時間耐久レースである。

一度しか勝てなかった、そんな年に現場にいて優勝の美酒に酔えたことに感謝したい。

 

 

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ヤンキースのイチロー頑張れ!!

2012-07-25 06:28:04 | NPO The Good Times

★昨日の朝、イチローの突如、ヤンキースへのトレードのニュースにビックリした。

トレードの会見に現れたイチローの一言一言に感慨が込められていた。

昼のNHKニュースは、このイチローの会見姿から始まったのである。

こういうのを、衝撃的なニュースと言うのだろう。

 

昨年、200本安打の連続記録が途切れてから、何となく気が抜けて、

今シーズンのイチローも、もう一つ迫力がないなと思っていた矢先なのである。

移籍先としては最高のヤンキースである。

イチローにとっても心機一転やる気になるはずである。

 

ニューヨークのファンたちも期待するだろうし、勿論日本のファンたちも期待するだろう。

是非、ワールドチャンピオンチームの一員になって欲しいものである。

 

 

★そして、昨日の試合はヤンキ―スーマリナ―ス戦、

移籍が発表のその日にもうヤンキースのユニホームを着るという。

いつ、決まっていたのだろう。

背番号31番のユニホームは、何の違和感も感じられず似合っていた。

 

移籍の会見の背広姿のイチローもきりっとしていてよかったが、

ヤンキースのユニホームで登場したイチローもカッコよかった。

 

 

 

第1打席が誠に印象的だった。

スタンデイングオべ―ションでスタンドの観客が迎える中、イチローは2度、ファンに丁寧に感謝のお辞儀をして打席に入った。

 

 

そしてその打席で綺麗なセンター前のヒットを打った。

そして直ぐ、2盗を決めたのである。

 

スターの持っている何かを感じる。

めちゃカッコよかった。

 

 

 

こんな日本人大リーガーを応援するファンもいっぱいだった。

まさか、ヤンキースのイチローが見られるとは、夢にも思っていなかったファンたちである。

私もそうだが、こんな記念すべき試合が見れて幸せである。

 

★結果は4打数1安打であったが、あと2本もヒット性のいい当たりであったし、

バックホームも見られたし、ゲームセットのボールはイチローのグラブに収まった。

 

勝利投手は好投の黒田であった。

 

 

 

 試合後、インタビューを受けるイチロー

 

 

この球場で

明日、明後日の2日間試合をする。

明後日は岩隈との対戦になるらしい。

また、大リーグのテレビを見ようという気になった。

 

 

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昨今のいろんな意見

2012-07-24 05:57:36 | 発想$感想

★オスプレイが岩国基地に到着して、その反対運動などテレビ報道が騒がしい。

政府は、容認の構えだが、それについては、身内からも反論などがでtりる。

事故が多発して危ないというが、実際の事故率はそう危険な数値でもないようだ。

 

オスプレイの性能などを聞くと、防衛戦略上は是非必要ということになるのだろう。

Yahoo 調査の結果を見ると、50%は「防衛上は必要」と答えている。

そんなところが常識的な答えだろうが、質問の仕方ではまた変わった答えになるのかも知れない。

 

テレビの画面にも何度も写ったが、その着陸の様子を写した動画を見ると。ちょっと首をかしげてしまうような風である。

 

 

★安全性についていろいろ言われているが、

そんなに無茶苦茶な不安全なものをアメリカ自体が量産したりはしないはずである。

ただ従来のヘリコプターや飛行機に比べたら、二つの機能を持っているのだから、運転などが複雑になるのはよく解る。

 

滅多に落ちることはないのだろうが、着陸時に樹木の枝が折れるほどの強風である。

アレが毎回あんな状況なら、近くの方は大変だろうと思う。

 

中国などに対する防衛戦略上、オスプレイが果たす役割は大きいのだと思う。

いろんな反対があっても結果的には、日本全土に配備されるのだろう。

それは当然そうあるべきだと思う。

不要だとは、言い切れない。

 

その安全運航を是非お願いしたいものである。

自動車でも暴走すれば危険なのである。

 

★同じYahoo ニュースの意識調査に、WBC 問題があった。

今回の選手会のWBC不参加をどう思う? と言う設問である。

『納得出来る』と言う答えが68%もあったのには驚いた。

 

聞いてみて解ったことだがこれはアメリカ主宰のイベントであるその条件などはアメリカが定めて、それに納得して各国出場しているのである。

選手会が反対してもコミッショナーは出場する方向で先方に回答しているようである。

アメリカにとってみれば、交渉の相手はコミッショナーの方で、選手会の判断は直接アメリカへの答えにはなっていないようである。

結果はどうなるのだろうか?

 

 

 

 

★もう一つが原発問題、

こちらは『原発ゼロ』 の意見が50%に近かった

 

今回の福島の状況を見ると、『原発ゼロ』も当然かと思う。

同じ事故でもオスプレイの事故とは次元が全然違うと思う。一端事故が起きると何十年の単位で影響が出るし、

こんな発電方式を取る限り、その廃棄物の処理などには何百年の単位で影響を及ぼすのである。

産業界など、それこそ目先のことで判断してはダメだと思う。

 幾らでもほかに発電方式はあるのだから、こんな島国の、地震列島の日本が取るべき発電方式ではナイと思っている。

 

政府事故調査、検証委員会の最終報告は厳しいが、当然だと思う。

 

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カワサキのレース創成期の主役 山本隆

2012-07-23 06:14:19 | M/Cレース

★昨日は、NPO The Good Times の理事会だった。

山本隆君がこんなレースの旧い写真をいっぱい持ってやってきた。

そんな写真の中から、私にとっても懐かしい写真の何枚かをご紹介して、その想い出を語ってみたい。

 

●カワサキのレースのスタートは、

1963(昭和38年)5月19日の青野ケ原だと一般にはいわれている。

確かに、明石の工場の人たちがレースに関わって参戦したのは、その通りなのだが、

カワサキ自販ベースのレースはもっと古くB-7時代から自販の小野田滋郎さんや川航の井手哲也さんたちが三吉一行などとやっていたし、三橋実を契約したのは小野田滋郎さんのはずである。

先日東京でヤマハの本橋さんから、B-7のエンジン貰って、三室などとカワサキに乗っていたなどと聞いたし、その時本橋さんから井手さんの名前が出たりした。

当時、私は直接レースには関係していなかったが、小野田さんからはそんな話を何となく聞かされていたのである。

 

●明けて1964(昭和39年)春 第1回MFJ 日本グランプリが相馬が原で開催されたが、その成績は散々なものだったのである

 

★カワサキがモトクロス界にホントにデビューしたのは

1964(昭和39年)10月10日 東京オリンピックの開会式の当日伊豆丸の山高原のMCFAJ全日本で山本隆が久保和夫(スズキ)荒井市次(ヤマハ)の両雄を下して優勝を果たしたその日からだと思う。

その1カ月後のスポニチ主催の西日本モトクロスの紀の川モトクロスで、星野一義が初めてレース場を走ったリしたのである。

 

 

これは、その翌年

1965(昭和40年)4月、 MCFAJ 全日本の朝霧大会の時のメンバーである。

20番台のゼッケンが契約ライダーたちである。

右から梅津、岡部、山本、歳森、三橋、安良岡、

 54番が星野一義だが多分未だこの時は契約はしていないがカワサキコンバットのチーム員だったのである。カワサキコンバットは三橋実が主宰し、毎月運営費契約で、全国の有望ライダーを育成していたのである。星野以下は、野島、堀、三橋弟。

山本隆、歳森康師の二人は神戸木の実クラブ所属であった。

この大会で、星野は90ccノ―ビス で優勝を果たしている。

 

 

この年の5月3日

第1回ジュニアロードレースが鈴鹿サーキットで開催された。

トップが3位入賞の山本隆、ゴール直前の写真である。 その後ろがBSの滋野靖穂。優勝は神谷忠(ホンダ)2位もホンダ。

このレースがカワサキが初めて鈴鹿を走ったレースである。

会社からはロードレース参戦は許されていなかった。 青野ケ原のモトクロス同様、かってにマシンを作って、鈴鹿モトクロスに出場することにして、会社には内緒で出場したのである。

予想にもしなかったホンダに次ぐ成績で3位入賞を果たしたので、その結果を会社にも公表したら、

直ち『ロードレース参戦』の号令が下って、1ヶ月後の6月『鈴鹿アマチュア6時間耐久レース』に3台のマシンをエントリーさせることになったのである。

 

山本隆が既にジュニア資格を取っていたので、神戸木の実の歳森康師のパートナーとして無契約で登場したのが、金谷秀夫なのである。

そして、このレースではじめてカワサキに監督が登場した。

大槻幸雄監督、田崎雅元助監督なのである。

こんな経緯があるので、山本隆は、ロードレースのライダーたちに、カワサキのロードレースの道を開いたのは自分だと胸を張るのだがその通りなのである。

 

 

この時点、第4回MFJ 日本グランプリの大会後の福島オートでの記念撮影である。

1967(昭和42年)この年1月から私は東北6県担当に異動、この郡山のレース場はMFJに頼まれて中西社長と一緒に自衛隊にお願いに行き、その演習地を借りて行ったものである。

カワサキはF21M全盛期、確かヤマハがDT1を登場させた大会である。

この写真には私は写っていないが、殆ど全部顔見知りのメンバー達で懐かしい。

 

 

 

これはその翌年北海道ティネオリンピアで開催された第5回MFJ 日本GPである。

MFJの日本GP については第1回の相馬が原は知らないが、2回以降この第5回までは全て現地にいた。

星野も吉村ももうトップライダーになっていた。お二人はアマのデビュー時代のころからよく知っている。

一緒に走っている木村夏也は、第2回の日本GPでアマ優勝でデビューした時はカワサキにいたのだが、このころはスズキに移籍していたかも知れない。

カワサキ全盛時で、山本隆君はエ―スライダーであった。

 

★ご縁があってカワサキのレースにいろいろと関係した第一期は1963年から68年ごろまでの年間である。

後年もう一度レースに深く関係した時期もあるのだが、一番想い出の多いのはこの時期である。

そして一貫してカワサキのレースを支えてくれたのは山本隆君である。

 

 

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山本隆君がこのブログに寄せてくれたコメントです。 

 何故あんなに積極的になれたのか!

・コメント
私は元来石橋を叩いて渡る性分である。
二十歳前後に何故か積極的な行動をしている!
木の実クラブの片山学級生の歳森、金谷、村上、谷岡など六甲トレーニング組は、モトクロス専門だった私より遥かにロードの経験は多かった!あのプレイボーイの歳森でさえ、手を出さなかった85J-1を私はロード仕立てにしたのである。
木の実に加入して、師匠に六甲トレーニングを、日曜毎に特訓を受けたが、決してロードは得意では無かった。
なのに、カワサキを初めて鈴鹿サーキットのポーディアムに上げた男になった!
今あらためて思い起こすと感慨ひとしおである

 

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WBCとオリンピックと・・・・

2012-07-22 05:48:27 | スポーツ

★突如、プロ野球の選手会がWBC 不参加を表明してビックリした。

その感想など、昨日こんなブログに纏めた

 

オリンピックの開幕ももう1週間後に迫った。

昨日NHKの番組で『27億円で金メダル量産?』などという番組をやっていて見ていた。

日本の強化費は27億円で、従来と違うところはJOCを通じて渡していたものを、直接競技団体に予算が配布されるようになったことだという。

その金額についてはいろいろあるのだろうが、国も少しは考えるようになったのだなと思った。

 

テレビを観終わってから、いろいろ調べてみたら、

『スポーツ立国の実現』と題して、文部科学省からこんなサイトが出ていた

延々と続く長文のサイトだが、

50年ぶりに昨年超党派の議員で基本法を新しくした法案が可決されたようである。

 

そこにもいろいろ指摘されているし、NHKの番組でもいろんなことが語られていたが、

オリンピックも、その象徴でもあるメダルについても、すべての問題が

オリンピック憲章に書かれている個人のアスリートというモノから、『国』や『企業』や『金』などいろんな問題が絡んで、

今や、オリンピックにアマチュアなど皆無になってしまっているのである。

 

 

★理屈はともかく、現実のいろんな話を興味深く聞いた。

まず『マルチサポートハウス』という国がロンドンに造った選手のためのサポートハウスである。

それを画像検索するといっぱい写真が現れた。

 

こんな建物を借りて

 

  

日本食のメニューの食堂や

 

   

こんな酸素過給器や ジャグジー  などなどの設備や畳の環境などを選手のために準備したそうである。

 

ところが、ここを利用できるのは、金メダルなどを期待出来る有望選手だけで、例えば女子サッカーの選手はOKだが、男子サッカー選手はダメなようである。

不公平ではないかという意見もあるのだろうが、ここでも『選択と集中』がきっちりとやられている。

メダル獲得を目指すためには当然なのだろう。

 

今や企業の存在なしにオリンピックは成立しないのだろうが、

国別のメダルのほかにスポーツ企業は、ナイキ72  アディダス33  アシックス11  ミズノ6 らしい。

国の問題もいろいろあるが、選手の方も中国の卓球など中国にいては出られないのでヨーロッパの国籍を取得した帰化選手がいっぱいいるという。 これは夏の高校野球の地方校に有力選手が流れるのと同じような傾向だろう。

 国別とは言うが、監督などは外国人大丈夫なのである。

 

★日本はようやく25億の予算を27億に増やして対策を始めたが、韓国の500億円に比べたら全然比較にならないのである。

金、銀、銅の選手には報奨金もあたるようだが、世界の傾向は8位~10位の人たちにもという流れのようだし、年金制度なども全然違うようである。

世界の傾向は、国の権威を発揮する場として積極的に国が捉えているようだが、

国よりは個人という、何かそんな流れが強くなってしまった戦後の日本人の風潮からはどうも馴染まないのかも知れない。

『参加することに意義のある』大会なら、別に造らぬと今のオリンピックは全く別物である。

 

君が代を聞くことが出来るのは、こんな国際的なスポーチの会場だけになってしまった。

オリンピックを機会に、もう少し『国』という問題を、世界の普通の国のレベルで考えてみるのもいいだろう。

そういう意味では、メダルの可能性のある選手に『選択と集中』がなされるのは当然なのかも知れない。

 

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パウダーパフレーシング 腰山峰子監督

2012-07-21 05:34:31 | NPO The Good Times

 

 ★パウダーパフレーシング、SUZUKA 4耐に出走する。

こんなカッコいいホームページもあるし

是非、クリックしてみてください  カッコいい動画も現れます。

Facebook

ツイッターも

右上に緑のマークがあるものは、私がリツイートした記しです。

 

だいぶ先の話だと思っていたがもう目の前になってきた。

昔は毎年暑い夏を、熱い鈴鹿で過ごしたものである。

今年は鈴鹿サーキット50周年だという。

 

以下はパウダーパフレーシングのホームページからである。

 

Home > パウダーパフ・レーシングとは KAKO 1978-

 

パウダーパフ・レーシングとは KAKO 1978-

 

 

かつて、女性レーサーのパイオニアともいうべき人がいた。

彼女の名は、堀ひろ子。

 

一流商社をすっぱりとやめ、大型バイクで世界一周

25カ国4万kmの旅にでたのは、26才のときだった。

 

1976年、それまで男性に限るとされたロードレースの参加規程が彼女の活躍で見直され、

女性初の参戦を実現させた。

 

彼女はレースに没頭するかたわら、雑誌の評論、

ショップ経営などにもフィールドを拡げ

1978年には日本で初めて、女性ライダーだけのロードレース

「パウダーパフ・レース」を鈴鹿サーキットで主催した。

 

 

「パウダーパフ・レース」でデビューの後、

堀ひろ子とコンビを組み活動することになったのが、腰山(旧姓今里)峰子である。

 

1980〜81年、堀と腰山は鈴鹿4時間耐久レースにペアでエントリーし、2年目にして完走を果たした。

1982年には、男性でも完走が難しいとされるサハラ砂漠縦断8000kmを、同じくペアで走破した。

 

ふたりは単に、女性レーサーの市民権を獲得しただけではなく、

女性ならではのバイク文化の構築にも道筋をつけたといえよう。

 

そしていま、その志を継承すべく、腰山峰子が新たにチーム監督となって

「パウダーパフ・レーシング」を結成した。

 

ライダーの川原みちよ&中原優香は、奇しくもパウダーパフ・レースが産声をあげた年と同じ1978年生まれ。

 

Home > パウダーパフ・レーシングとは KAKO 1978

 

 

 ★ 先日 壮行会にも出席させていただいた。

その記事は、二輪車新聞にも流れた。

 

 

★腰山峰子さん

今でも現役で走っているらしいがそんな姿は見たことがない。

カワサキの想い出とそして未来でも

 

笑って遊ぼうミキランドでも

 

お世話になった。

 

たまたま写っているのは神戸木の実の

金谷秀夫  と  片山敬済  

神戸スーパースポーツには関係があったのかなかったのか。

平井稔男さんは、いつも『ミネコ、ミネコ』と呼び捨てである。

何となく飄々としているところがいい。

 

こうして、何となく応援したくなるのは、

またいつの日か、何かで『お世話になることがあるだろう』と思っているからである。

自然に、そうしたくなる、『いい雰囲気』をお持ちである。

 

記録よりも『記憶に残るレースを』と言われていた。

是非、そんなレースを演出して欲しいものである。

 

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KAWASAKI Z1 FAN CLUB

2012-07-20 05:49:13 | NPO The Good Times

★ KAWASAKI Z1 FAN CLUB が清水久美樹さんによってFacebook の中に立ち上げられたのは、先月の6月27日のことでした。

未だ1ヶ月にもなっていませんが、中味はどんどん進展しています。

 

 

東京で、北見紀生さんを中心にこんなメンバーがあちこちから集まったのは、その4日後の7月1日のことでした。

発起人の清水久美樹さんは勿論、北澤さんなど 『Z の真打ち』と言っていい方たちです。

全員がNPO The Good Times のメンバーでもあります。

このNPO の特別プロジェクトとして立ち上げたばかりの『二輪文化を伝える会』の村島、松島さんも参加でした。

 

 

その数日後、北澤さんは、ドイツのZ140周年のミーテングに参加し、沢山のレポートを送ってくれました。

その行動力にはビックリしてしまいます。

 

知る人ぞ知る ドイツ人のMicky Hesseさんから登山道夫さんにはこんなメッセージも届いています。

この会も間違いなく世界展開レベルで動きだしました。

スイスからも参加がありました。

 

ドイツのミッキーさんからメールが届きました。
ドイツのZファンで有る、彼から見たZミーティングの感想です。
ちょっと端折って転記しますが、こんな感じで大成功だったみたいですね。

Int. Z-meeting Edersee:
... It was the biggest Z-rally all over the world !!!
I expected 1000 people, now I guess ca. 5000 biker, newspaper says more.
Very good weather, all around other places thunder, lightning and heavy rain.
Many original Z-bikes and also many customs.
KMG offers testriding on new bikes.
Many foreign Z-friends from Norway, Sweden, Denmark, Great Britain, Holland,
Belgium, France, Swiss, Austria and only 2 men from Japan. One is working
for KMG, one is our new friend Pay-san.
I meet soooo many people -

To conclude: THE PERFECT Z-PARTY !!!

こんなメッセージです。

 

★こんな動きを受けて、Facebook の中だけではなくて、

現実にNPO The Good Times の特別プロジェクトとして、世界のZ1ファンたちを繋ごうと、

清水さんと登山さんが KAWASAKI Z1 FAN CLUB をNPO の団体会員として入会参加されました。

どんどん計画は具体的に進んでいます。

 

こんなインターナショナルな会員カードの制作を進めることになりそうです。

今度の日曜日、NPO The Good Times の理事会で正式承認を受けてさらに進めます。

8月9日には清水さんが、その打ち合わせのために三木まで来られます。

 

★9月8日、 Z 発祥の地アメリカで、40年前その旗を振った 浜脇洋二さんとアメリカ人のトップ マセックの招待で、100名に近い当時の関係者が記念イベントで集まります。

そのメンバー達をまず、この会員に参加頂くことで、スタートを切りたいな、と思っているのです。

現地のアメリカ人が中心ですが、日本からも大槻幸雄さん始め、開発のテストを担当した清原明彦、山本信行君らも参加しますし、

当時の技術やリンカ―ン工場を担当した斎藤さん、マーケッテング担当で後KMCの社長も務めた野田さんなど、

私も、出来ればKAWASAKI Z1 FAN CLUBU の日本代表という形で参加しようかな、と思っています。

 

昨日は西明石のホテルキャッスルで、登山幸雄さんが

本件について大槻幸雄さんにいろんなことを具体的に相談されましたので、私はその仲介役を務めたのです。

1時半から4時半まで3時間みっちり脱線することなく、熱い熱いト-クだったと思います。

Facebook にこんな速報を流しました。登山さんから早速コメントを頂いています。

 

つい先ほどまで、大槻幸雄さんと登山道夫さんと3人で、KAWASAKI Z1 FAN CLUB のことなどいろいろ3時間ほど、いい話が出来ました。
nice talking でした。カバン屋さん大満足だったようです。
明日また、ブログにでも詳しくアップしますが、まずは速報です。

<form id="un4ybo_54" class="live_499136983446590_131325686911214 commentable_item autoexpand_mode" action="/ajax/ufi/modify.php" method="post" data-live="{&quot;seq&quot;:499142660112689}">
  • 大槻さま、古谷さま、本当に大感激な時間を過ごせました♪
  • 大槻さまが、何故ミスターHPと呼ばれておられるかが、少し理解出来た気がしました。ありがとうございました。 
</form>

 

さらに、具体的にどんどん計画を進める予定です。

十分、ご期待頂いていい内容になるはずです。

80歳を超えたとはいえ、今尚意気盛んな大槻さんが、120%の協力をお約束頂いたので大丈夫です。

60年前のレース仲間の大槻さんと私に戻ってのホンネトークだったので、カバン屋さんのあんな感想になったのだと思います。

具体的な内容はまた、そのうちにお知らせいたします。

 

世界一の KAWASAKI Z1 FAN CLUB に育て上げるという目標で進めます。

 

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明石の想い出と明石公園

2012-07-18 18:20:40 | 自分史

★ 私の本籍は『明石市上の丸二丁目720番地』である。

生まれた、場所も同じである。  明石公園の東の外堀、『薬研堀』に面していた。

 

昨日は、兵庫県の夏の予選、母校明石と宝塚の試合があったので明石公園を訪ねた。2-1で明石は勝って、気分もよかったので、

2時間近く、明石公園を散策したのである。 いっぱい写真を撮ってきて、Facebook にアップした

 

★それぞれの写真に、いっぱい想い出が詰まっている。

ただ、その写真の想い出を語っても、それを共有した人たちの半分以上はもうこの世にはいない。

現存する仲間たちも、その殆どはこんなブログやFacebook とは無関係に生きている。

考えてみると、非常に寂しいことである。でもそんな想い出をどこかに残しておきたいと思ったりもする。

そんなことなので、つまらぬ年寄りの感傷みたいなものにお付き合い頂けば、幸いである。

 

想い出はともかく、写真もなかなか綺麗で眺めも素晴らしい。

 

 これは桜の木なのである。 

 

 明石公園の特徴これは木の大きさが一つの特徴だろう。

それはこの公園の歴史を感じさせる。

お城なのだから当然江戸時代、その樹齢が何百年なのかもよく解らない。兎に角大きい木は珍しくない。

 

この明石公園、戦時中は明石市民の恰好の避難場所だった。

明石という町がアメリカ空軍の激しい空爆を受けたのは、川崎航空機があったからである。

明石市民は少なからずその影響を受けている。

 

勿論、西明石の川崎航空機も激しい爆撃を受けたもだが、そこから5キロも離れている明石のまちも爆撃にも焼夷弾攻撃にもさらされたのである。

安全と思われた明石公園も爆撃で殆どの木がその被害を受けた。

樹木より先に公園に避難した人が多数犠牲にあったのである。

 

私事で言うなら叔父は川航で、叔母は上の丸のガレージの中でいずれも爆撃でなくなった。築山のガレージの中にいた祖母と伯母かは奇跡的に助かったのである。

 

 

沢山あった背の高い松の木は全滅したと言っていい。今そんな松は見られなくて、広葉樹の森に化している。

多分この木あたりが戦災の面影を残して いるのではないかと思う。

 

 

このお城の前あたりは、背の高い松林だったのだが、今はそんな面影はない。

ここが正面の芝生広場である。戦後初めての天皇行幸の際は、ここに明石市民が集まった。

天皇陛下はお城の上に立たれた。その場所がこちらである。

 

 

 

今、私は陛下が立たれた、その場所に立っている。

ちょっと東を向くと、

 

 

明石、淡路大橋も一望される。

 

 

 このブログの冒頭に

私の本籍は『明石市上の丸二丁目720番地』である。

生まれた、場所も同じである。  明石公園の東の外堀、『薬研堀』に面していた。

と書いた。

『上の丸2丁目720番地』 そんな番地は現存しないのである。

720番地は『薬研掘』から『自転車競技場』あたりまでの2、 3000坪ほどの一画を表していて当時はそんな広大な屋敷だったのである。

当時の『薬研掘』はずっと右の道まで延びていた外堀だったのである。庭がその堀に面していた。

 

 

今はこんな状態になっている。 2,30軒の住宅が建っていて、それぞれ分筆された番地になっているのである。

『上の丸2町目720番地』はそう言う意味では、記念すべき私だけに与えられている番地なのである。

 

この薬研堀、戦時中の空襲のときは、公園に避難してきた人たちが爆風で飛ばされて、池が死体で埋まったと伯父はよく言っていた。

当時屋敷内にも爆弾が3発、焼夷弾はそれこそ数メートル間隔で地面に突き刺さっていた。

この立地は大丈夫と、神戸の知人などから疎開の荷物を預かっていたらしいが、全て焼失してしまったらしい。

この薬研堀、庭と繋がっていたので、ずっとフナ釣りなど庭先でやってた感じだったのである。

 

 

明石公園の想い出話、いっぱいあり過ぎて書ききれないが、

これが剛ノ池である。

公園最大の池なのだが、この池を見るたびに、『ここの鯉は一体どれくらいの大きさになっているのだろうか?』 と思うのである。

 

この池の水を抜いて魚を採ったなどは聞いたことはない。

ただ昭和16年ごろ1回だけ水を抜いて魚を採ったことがある。戦時の食料にしたらしい。

その時、色鯉は流石に食料にはと、当時いろいろと顔の効いた伯父がそんな鯉を貰い受けてきて、庭のプールにいっぱいいたのである。その時でもビックリするほど大きかったのが、うじゃうじゃいたのである。

夏休みに朝鮮から戻ってきて、ある日セミをやったら一発で食うので、沢山とってきてどんどんやったら翌日大きな鯉が沢山死んで伯父にこっぴどく怒られたのを思い出す。

あんなに大きいのがいたのだから、剛ノ池にはビックリするようなのがいるに違いないと思うのである。

 

小学生のころの生活は、伯父に子どもがいなかったものだから、跡取りとしてめちゃ可愛がってくれた。庭に私のためにプールなど作ってくれたのである。

そんな生活も、終戦で一転した。

現在の韓国一帯の電力など南鮮電力の経営をやってた伯父はその全てを失ってしまったし、

明石の土地だけは残っていたが、家は焼けてしまっていたし、農地は小作に全部譲ってしまった。

そのうえ父が2年ほど病気で寝たものだから、それに打つマイシンなどを、土地を売りながらの生活になったのである。マイシン1本は土地1坪より高価であった。

 

★41枚の写真には、それぞれに想いがあるし、このほかにも想い出いっぱいである。

まさに私の故郷なのである。

 

もう一つのブログにも、明石公園のことを書いた

 

明石公園は、子どものころからホントに身近に感じていたし、高校のころはその明石球場で練習もした。

巨人は戦前も戦後も明石球場が春のキャンプ地だった。廣岡も藤田も長嶋もそして王の新人デビューは明石球場だったのである。

池の鮒釣りが好きになったのは、庭のすぐ前に堀があったからである。

魚釣りをしても、今のようにオコラレタリはしなかったのである。

高校生の頃競輪場が出来て塀が出来たが、直ぐ乗り越えれるようなものだった。そこから競輪場に入って高校の時友達と競輪の券を買って儲かったこともあったりした。

Facebookの写真には、1枚1枚説明をつけてみた。

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続 枠を超えて考える

2012-07-18 06:15:44 | 私の生き方、考え方&意見

★ 昨日、『枠を超えて考える』というブログをアップしたら、

樋渡啓祐さんが、

 
兵庫県三木市にお住まいの古谷錬太郎さんの名物ブログを読むと、歳やどこに住んでいるかなどは全く関係ないって思う。国定三条市長や倉田箕面市長とともに、武雄市から陸前高田市に出向している 古賀 龍一郎さんのことも触れてあるんだけど、みんな、「枠を超えて」考えているし、こういう人間ってすぐつながります。

ちょっと、CCC×武雄市立図書館を超える、大がかりな仕掛けを打とうと思っていますが、これもまたつながりあってこそなんですね。当たるも八卦、市民価値の向上につながるものだったら、枠を超えて躊躇無くやっていきたいと思います。

 

などとご紹介頂いたものだから、400を超す『いいね』とホントにいっぱいのコメントで賑やかだった。ブログのアクセスも900を越えた。

 

★日本の社会ではそうはなっていないのに、不思議なほど、殆どが賛成意見なのである。

『枠を超えた』余分なことをするな

というのが日本の社会の官や行政、それに大企業の体質だと思っている。

枠以外の、余分なことをしない方が、職位などが上がる近道のようにも思う。

 

今でも、行政や大企業では、Facebookなどを見ることすら禁止のところが殆どである。

そんなものは『枠外の余分なもの』と思っているに違いない。

でも、もうそろそろ、こんなタテ型の管理社会から抜け出さないと、日本の将来も明るくないと思うのである。

 

★橋下徹さん、樋渡啓祐さん、国定勇人さん、今回の倉田哲郎さん。

橋下さんを除く3人の市長さんとは、結構ちゃんと繋がっている。

樋渡さんなど、ホントに誰でもちゃんと応じて下さるのである。Facebook やツイッターというオープンなシステムのお陰もあるのだが、基本的に立ち位置がオープンなのである。

橋下さんは忙し過ぎて、一般の人たちに対応する時間などないのだろうと思う。

 

今は、樋渡啓祐さんも完全に全国区になって、6年前の樋渡啓祐さんではなくなってしまっている。かっては、こちらのブログにアップしたら『山彦』のように直ぐ跳ね返ってきたモノである。最近の動きや、一般からの対応を見ていると超過密なのだが、それでも末端に対するスタンスは素晴らしい。

今回は別に樋渡さんと直接関係のあった話ではないのだが、

倉田さん、国定さん、それに森田優くんという、樋渡さんに密接に関係のあった人たちでもあったので、さらに加えて、

たまたま古賀さんという樋渡さん直系の方のニュースも入れて、『仕掛けてみた』のである。

樋渡さんのいいところは、そんなことは『お見通しの上』でちゃんと乗ってくれるところがいい。

陸前高田市に武雄から出向中の古賀龍一郎さんからは、わざわざご丁寧なメッセージまで頂いたのである。

 

★昨日はFacebookで、こちらの方にも沢山の『いいね』とコメントなど頂いた。

この話も、ちょっと『枠を外れた』スケールで進行中である。

 

 

 

NPO The Good Times   の特別プロジェクトとして、

KAWASAKI Z1 FAN CLUB を立ちあげる方向で進めている。

Z1 に関しては今年が発売40周年記念に当たる。

Facebook の中に、清水久美樹さんや、登山道夫さんが、KAWASAKI Z1 FAN CLUB を立ちあげたら熱心なファンがいっぱい集まった。

流石、Z1である。流石Facebook である、日本人だけではなく、今回のドイツのイベントに関係した方や、スイスのファンたちも集まっている。

 

現実に、KAWASAKI Z1 FAN CLUB を立ちあげる方向に動き出した。

世界最高の権威ある KAWASAKI Z1 FAN CLUB を目指している。

NPO The Good Times  のシステムを生かして

日本語版とともにインターナショナルなカードも用意した。

9月8日、『Z1の真打ち』が集まるアメリカのイベントに間に合うように準備したいと思っている。

 

『二輪文化を伝える会』は既に発信している。

『KAWASAKI Z1 FAN CLUB』のスタートを受けて、

『二輪文化を語る会』という、すべての二輪の末端活動を統括推進し、支援する母体を近々スタートさせようとしている。

 

ちょっと世の中の枠からは超えているかも知れぬが、これはなかなかオモシロそうなのである。

別の機会にもう少し詳しくお伝えしたい。

Facebookの KAWASAKI Z1 FAN CLUB では順次進捗状況をアップすることにしている。

 

 

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枠を超えて考える

2012-07-17 06:21:36 | 私の生き方、考え方&意見

★どうもみんな『枠の範囲』で考え過ぎるから、オモシロイことにならないのだと、ずっとそう思っている。

現役のころから、『与えられた仕事=枠の中の仕事』を『ちょっとだけ越えた範囲』で動いてきたと思う。

 

『ちょっとだけ』がキ―だとは思うが、枠の外は『ちょっとだけ』でも結構大きいことが多い。

カワサキの二輪事業を担当していていたが、40年間どちらかというと『販売店』や、『業界』や『ユーザー』のことばかりを考えていたように思う。

カワサキを売ることなどもいいのだが、もっと枠の外のことをやる方が、結果的にはカワサキにも、好影響を与えることが多いものである。

 

日本人は、元来まともで、真面目すぎるように思う。  『枠を外れる』ことなどは、不得意であることは十分承知しているが、『枠の範囲』ばかりを追い過ぎるのがいろんな『弊害』や『停滞』に繋がって言うのではなかろうか?

特に政治家がダメだと言われるのは、

国会議員なども国のことよりは、『枠のさらに内側』の地元のことなど、自分の票に関するすることばかりに熱心過ぎるからである。

 

★この数日、市長さんと繋がっている。

市長さんは、文字通り担当する『○○市』のことをやるために市長をおやりになっているのはよく解るが、

『○○市』のことばかりやるので、いろんな行政の実務が、小さく纏ってしまって、結果的に市民のためになっていないのだと思っている。

 

 

昨日もちょっと触れたが、大阪の箕面の倉田哲郎市長から、お招きを受けて、講演会を聞きに行ってきたが、

そこでは、新潟三条の国定勇人市長にもお会い出来たりした。

翌日のFacebook には、

倉田哲郎   わざわざ遠くから本当にありがとうございました!うれしかったです~!

というコメントが流れたりした。

 ツイッターでは、

 倉田哲郎@KurataTetsuro

箕面市消防救助隊が、消防救助技術の近畿大会に出場。そして…なんと箕面市隊員の全国出場が決定!がんばれ~!

 

などと呟かれたので、

国定勇人@kunisadaisato

再会できて嬉しかったですっ!  「2度あることは…」を実現しましょう

RT : 『倉田哲郎』 ご存じですか?大阪箕面市の市長です。 1期4年を終わって未だ38才、2期目への挑戦とか。選挙は関係なくただ、一度会いたくて。会っ…

 

と一緒に『リツイート』した。 

 三木市の特に関係のない私が『リツ―ト』すると、この呟きは、全国24万人に流れていく。

それは、箕面や三条にとってもそんなに悪くない話のはずである。

 

★昨日、Facebook でこんな話題が流れたのである。

 今朝の神戸新聞の社会面に気になるコラムが、

樋渡市長率いる佐賀県武雄市の市長秘書官だった古賀龍一郎さんが岩手県陸前高田市へ出向してフェイスブックでの情報発信に奔走されている記事です。
流石、樋渡市長!
素晴らしい試みですね!
他市町村へも波及していけばイイですねぇ!

 

 ★佐賀県武雄市は、東日本大震災に関しては、当初から非常に積極的である。

被災者の受け入れ表明に始まり

瓦礫受け入れでは大きな議論を巻き起こしたり、

さらに陸前高田市と協働して、古賀さんを送りこんでいるのである。

 

武雄市に直接関係する『枠の中』のことでないことは間違いない。

『ちょっと』以上に『枠外のこと』に、非常に力を入れている。

樋渡啓祐さんの独特の発想だと思うが、武雄にとっていい影響を与えていることは間違いない。

 

極端に言えば、通常やっている『市政』など、別に市長が居なくても職員が十分こなせるのではなかろうか?

市長は、従来やっていない『新しい分野』など、『ちょっと枠の外』のことを視野に入れる方がいい。

 

その典型、先頭を走っているのが、大阪の橋下徹さんだと思う。

 

 

★この3人の市長さん、総務省出身ということで繋がっている。

そして、いろんなことでこの3人の市長さんと『三木市の市民』が不思議なことに繋がっているのである。

 

三木市長の『薮本吉秀』さんに、『ちょっと枠の外』の仕事もやって欲しくて、

樋渡啓祐さんを繋いだりしたのだが、また元通りの『枠の中』だけに戻ってしまわれたのである。

 

三条の国定勇人さんが、

「2度あることは…」を実現しましょう

と仰っているので、ちょっといろいろ考えてみようかと思っている。

 

行政と一般の市民は、なかなか組み難いかも知れぬが、

NPO The Good Times なら、 『未来にはばたくみっきぃタウン』という市民グループなら、

行政としても『繋がる絵』が描けるかもしれない。

 

この写真のメンバー、なかなかいい。

女性は、FM802  

『異種、異質、異地域をみんな繋いで楽しくいい時を過ごそう』

 

みんな繋がれば、オモシロイことは出来る。

それぞれみんな タレントで、システムも持っている。

などとまた、『枠の外』みたいなことを考えている。

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