雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

カワサキ単車物語50年 その12 ダンピング問題

2013-05-31 05:31:02 | カワサキ単車の昔話

 

★1976年は、小型車問題での市場開発プロジェクト問題に明け暮れて11月には『市場開発プロジェクト室』が発足しこの問題については具体的に動き出すのである。

そして1977年4月には、市場開発プロジェクト室がヨーロッパ営業部を吸収する形で、高橋鉄郎営業総括部長体制となった。

 

この時点での各販売会社の体制は

国内のカワサキオートバイ販売田中社長、苧野専務、清水屋、加茂常務などこれはずっと上の先輩ばかりで、その体制は400名を有していた。

アメリカKMCは、浜脇洋二社長で、浜脇―マセック体制がまだ続いていたが、その経営には多くの陰りが見え出した時期である。

その他のヨーロッパなどは、

UKが内田博社長(昭和34年入社メグロ出身)KMG 種子島経(35年入社) KMA 井川清次(38年入社)などの若手社長で、東南アジアのメンバーもみんな若手ばかりだったのである。

事業部中枢としては、(32年入社)田崎雅元、那波義治(33年入社)などが企画、営業部門にいて、

事業本部の今後の方向などについては、こんなメンバーの意見が結構ちゃんと反映されるそんな状況だったのである。

 

 

★ 昭和53年(1978)4月には、非常に大きな職制変更が行われ、実質的に単車事業部の新体制でのスタートが切られることになるのである

 

その大改組は、

● 事業本部長は塚本碩春本部長のままだったが

● 山本副本部長、酒井企画室長と川重他部門からの移籍があり、堀川運平企画室長が本社財務に戻られたのである。

● そして単車事業部と発動部事業部に分かれて, 高橋鉄郎単車事業部長、前田副事業部長体制となった。

● さらに従来の単車の中枢として活動されたKMCの浜脇洋二、Z開発の大槻幸雄、CMCの田中秋夫さん3人が単車事業部を去られたのである。

● この時点でのアメリカKMCは山田晴二社長、高橋宏副社長体制になった。

 

そういう意味で、単車事業の第1期は、ここで終わり、新体制がスタートした と言うべきなのかも知れない。

 

●そして単車の企画とも言うべき管理部

古谷、田崎、野田、坪井の4課長体制となって、私自身は1年で企画を離れたのだが、半年でまた本社などとのお付き合いのある管理分門を担当することになるのである。

私自身も入社20年となり、その他の若手課長もそれなりの単車事業の経験を積んで、それぞれが広い範囲で活動を展開するそんな時期になったのである。

ただ単車事業の経営環境はなかなか厳しくて、特にアメリカ市場中心で伸びてきたカワサキとしては、

そのアメリカ市場で起こったハ―レ―のダンピング訴訟問題が、国内市場の対策を巻き込んで大きな問題となるのである。

 

 

★この時期に、高橋さんから『事業部の長期計画策定』の指示が出たのだが、そのメモである。

この指示書の中にもあるように、この時点ではまだ、CMC計画(小型車プロジェクト)はまだ生きていたのだが、東南アジアのCKDプロジェクトが順調に進んだこともあって、高橋さんの頭には、明石で完成車として生産する小型車は、あくまでも戦略的な車種に位置付けたいと言うのが本音だった思う。

私自身はこのプロジェクトはリスクが大き過ぎると思ったので、東南アジアのCKDプロジェクトを推進したもので、

この時期に技術部に開発提案したKH110 (GTO)が軌道に乗れば、そちらの方を主力に進めたい と思っていたし、現実はそのような思惑通りに推移してゆくのである。

 

 

高橋事業部長の指示に対して、7月末にその素案を30ページぐらいのものに纏めているが、この素案の大綱は認められたのだが、

私自身が9月からはダンピング対策で 国内対策の方に巻き込まれてしまって、この長期計画は正規計画としては認められたものにはならなかったのである。

 

 

単車事業部の現状を次の7項目に纏めている

1.総括  2.売上高規模  3.シェア  4.諸費用  4.損益分岐点と限界利益率  5.直販会社を含めた事業規模 6.シーズン性と労務問題

 

その中の総括の部分だけご紹介すると

● 昭和50年までは、アメリカ中心に順調に事業は伸張した。

● 昭和51年以降は、北米偏重を脱するべく欧州市場、東南アジア市場などで台数的には50%になったが、利益的にはまだまだ不安定。

● 経営環境としては円高に加え、輸入規制と表現しているが、アメリカのダンピング訴訟など厳しい。

など大変だったのである。

 

 

 

 

ダンピングとは、なかなか難しいのだが、以下のような解説がある。

 

 

 ダンピングとは、ある商品の輸出向け販売価格が、その商品の国内販売価格を下回る状態のこと。

1997年以降、米国は日本などの鉄鋼輸出に対し、米国鉄鋼メーカの提訴に基づき13件のアンチ・ダンピング調査を開始した

 

 

要は、日本での国内価格に対して、アメリカで売っている価格が『安すぎるのではないか』という提訴なのだが、

その価格を単純に比較するだけではなくて、日本での流通経費の価格に占める比率が、アメリカの流通経費比率に対して高過ぎる場合は、それを認めない と言うようなことなのである。

日本の流通経路は、メーカー 地方代理店(販売会社)―販売店 -ユーザーなのだが、当時のカワサキだけが、別にカワサキオートバイ販売 があって他メーカーに比べて、その流通経費率が高くなるので、このままでは、ダンピングが成立する可能性があると言うのである。

そういう意味でアメリカで起こったダンピン訴訟なのだが、それがカワサキの場合は国内販社体制の問題になったのである。

 

このようなややこしいダンピング訴訟問題を担当していたのが、事務屋ではなくてアメリカを担当していた技術屋の田崎雅元さんだったのである。

勿論、中心市場のアメリカの問題なので、本社財務のメンバーも一緒になってその対策を起案したのだが、経験のない販売会社の構造対策なので、

トータルの経費率を下げると言う問題は、そんなに簡単には行かなかったのである。

さらに、カワサキオートバイ販売と言う会社のそれもトップの人たちの体制が中心課題になるので、そこに10年も出向していた『古谷はちょっと外れておけ』と気を遣って頂いていたのだが、なかなか具体的な対応策が見つからず、船が山に登ってしまうようなそんな状況になったのである。

 

★9月半ばになって、突如塚本事業本部長から、『この問題を手伝え』と言う直接の指示が出て、このカワ販問題に没頭してしまうことになるのである。

以下の資料が2週間で纏めた提言書である。

その項目にあるように、

6月の常務会で大筋が提案され承認されて進んだのだが、9月18日に纏めた常務会資料で財務本部との間で、了解が取れず頓挫してしまったのである。

 

私の纏めた提言の方向は、6月の常務会の承認の方向をひっくり返してしまった、全く新しい方向だったのだが、

なぜ、そうでなければならないか、

どこに問題があるのか、

その対策案も含めて

対策の方向を纏めたものである。

 

これを塚本本部長に答申したら、その方向でいいと仰るので、10月からはこの問題に専念して12月末までに仕上げ、

経営会議、常務会の承認も得て、翌年1月1日には国内の新体制がスタートするのである。

 

 

 

これを塚本本部長に答申したら、その方向でいいと仰るので、

10月からはこの問題に専念して12月末までに仕上げ、経営会議、常務会の承認も得て、翌年1月1日には国内の新体制がスタートするのである。

 

そんなことで、開発途上国の市場調査からスタートした新体制での営業や管理部門の仕事も9月でおわってしまって、、10月からは国内の構造改革問題に没頭することになるのである。

これは国内対策と言うより最も大きなアメリカ市場対策と密接に繋がっていて、本社財務部門の長大西副社長管轄だったので、新体制スタート後毎月大西副社長への直接報告が義務付けられた、そんなレベルのプロジェクトだったのである。

 

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川崎重工が稲わらからバイオエタノールを

2013-05-30 19:23:38 | 発想$感想

 

川崎重工が稲わらからバイオエタノールをと言うニュースが流れた。

 

 

なぜ、そんなことがニュースになるのかと思ったら、

ここにあるように、

現在のバイオエタノールの原料は、トウモロコシやサトウキビで、その広がりによって、世界的な食糧不足問題が引き起こされる懸念がある。

今回は稲わらが原料だからそんな懸念が払しょくされるところがいいのである

 

 

一般に原料は、なぜか食料品ばかりである

 

 

 

★久しぶりに川崎重工いいニュースである。

株価が上がったりするだろうか?

 

Facebook で流したら、いっぱい『いいね』がきたし、 戎さんはひょっとしたらその部品加工したかも? とコメントが来たりした。

 

 

 

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野球とレスリング

2013-05-30 08:18:00 | 発想$感想

 

★今朝のニュースです。

オリンピックの競技候補に『野球とレスリング』が残ったそうです。

よかったのですが、実際に残るのは一つだけです

 

 

 

こんな比較表が出ていましたが、

一つだけと言えば、なかなか難しいところです。

スカッシュを抜いてどちらかに決まって欲しいのですが、

あなたなら、どちらを推しますか?

 

Yahoo の意識調査 でもやればいいと思いますが・・・

 

 

 

今回は、レスリングの方が妥当かな?  と思いますが・・・

レスリングが外れた方に、不思議な気さえ感じます。

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うなぎとムツゴロウ

2013-05-30 05:42:35 | 発想$感想

 

有明海に生息するムツゴロウ  見たこともないし、勿論食べたこともない。

絶滅危惧種だそうだが16年ぶりに8倍に増えたという

漁獲量で言うと10分の1に減ったところも大きいのだと思う。

 

 

 

 

★同じ魚だが、こちらは『うなぎ』   稚魚が獲れなくなったという。

子どものころは明石川でも幾らでも獲れたのに・・・・人間が、特に日本人がうなぎを食い過ぎなのだと思う。

昔は養殖などしなかったはずだから、土曜の丑の日などにしか食わなかったのに、今は日本国中、1年中うなぎのかば焼きをスーパーでも売っている

うなぎの保護は、昔のように人間がちょっと辛抱しなければいけないのではと思う。

 

私個人のことを言うなら、多分この1年間、うなぎは食っていない。

つい先日も、家内がスーパーでうなぎを買うと言ったが、何気なく他のものに代えてしまった。

別にうなぎなど食わなくても幾らでも旨いものはある

 

 

 

★Wikipedia で『うなぎ』のことを調べてみた

次のような記述があたt。

 

日本では奈良時代の『万葉集』に「武奈伎(むなぎ)」として見えるのが初出で、これがウナギの古称である。

  • 家屋の「棟木(むなぎ)」のように丸くて細長いから
  • 胸が黄色い「胸黄(むなぎ)」から
  • 料理の際に胸を開く「むなびらき」からなど、いくつかの説がある。近畿地方の方言では「まむし」と呼ぶ。

日本ではウナギは重要な食用魚の一つで、年間11万トンものウナギが消費されている。20世紀後半頃には養殖技術が確立され、輸入も行われるようになったとはいえ、野生のウナギ(天然もの)の人気は根強く、釣りや延縄などで漁獲されている。

遊漁としての釣りにおいてはミミズ等を餌にした釣り方が一般的。ウナギは主に匂いで餌を探すので匂いの強い餌が効果的である。

日本のウナギ養殖(養鰻)は、1879年(明治12年)に東京深川で試みられたが、太平洋戦争によって一時衰退する。後に養鰻の中心地は浜名湖周辺へ移った。温暖な気候や地下水などウナギの生育に適した環境に加え、浜名湖や天竜川河口でシラスウナギが多く獲れたことが、この地で養鰻業が盛んになった理由とされている。ウナギの養殖はまず、天然のシラスウナギを捕ることから始まる。

ウナギを素材とする料理は多くある。日本各地で漁が行われ、その地方独自の食文化によって様々な料理が発達している。料理の味はそれぞれ好き嫌いなどの個人差はあるが全般的には「旨い料理」扱いされる。

 

★同じ魚だが、一方は増え、一方は減る。

どんどん高値になればいいのかも知れない。

 

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『橋下問題』誤報から始まった

2013-05-29 10:06:36 | 発想$感想

 

★鈴木ムネオさんのムネオ日記、 お気に入り に入っているので、毎朝見せて頂いている。

殆どのこと共感できるのだが、

最近ずっと取り上げられている、『橋下問題』については、鈴木ムネオさんもちゃんと最初の記者会見のノ―カットの動画はご覧になっていないのだと思う。

今朝はこんなブログである。

 

 

 

この事件の発端は、間違いなく橋下さんの言う『誤報』から始まっているのである

あの日の会見で、橋下さんは、『慰安婦制度は必要』などとは間違いなく言っていない。

 

この問題は、橋下さんの登庁時の記者会見の中で、

高石さんの『侵略発言』についての意見を聞かれた中で、橋下さんの方から例として語られたものである。

その『ノ―カット版』がこれなのだが、(ちゃんとリンクしたのだが、今は削除されてしまっている)確かに新聞報道で書かれたことを言ってはいるのだが、

その真意は新聞の見出しになっているようなものではナイ

そして退庁時に記者からの『慰安婦問題』の質問があって、その中でもホントに最後の方に『慰安婦制度はいいとは言わないが、当時としては必要だった』と一言話の流れの中で発言したら、それが見出しになってしまったのである

 

 ★然し、世の中の方たちは、そんな源の話など調べる時間もないから、新聞に書かれたことが全て、でそこから議論が始まるのでおかしくなってしまうのである。

でも、ムネオさんの言うとおり、 『大誤報』 と言われているのだから、大新聞も誤報でははないと言えばいいのに、ウソを見出しにしたことは解っているので言えないのだろう。

と書いてたら、今朝のニュースで朝日新聞がこんな記事を流した

こんな話ではない。  でもなぜ、あの日の記者会見のノ―カット版が、ネットから消されてしまったのか

私のブログにもリンクしてあったのに。 誰が削除したのだろう。

 

 

★私は昨日も言ったように応援してあげたいと思っている。

世の中には、私と同じような人も多いのかもしれない。

 

Facebook にアップしたら60人近くが『いいね』と言ってれてるし、まだ増えそうな勢いである。

 

 

 

 

それに紹介したツイッターは発信後10分のものだが、今朝見たら『リツイート』は20を超えていた。

 

 

世の中にはいろんな人がいるものである。

ちょっと安心した。

 

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Ui America

2013-05-29 06:02:40 | NPO The Good Times

 

★ アメリカのカリフォルニアに Ui America  と言う小さな会社がある。

その名前の意味するところは、 You & I  あなたと私   給湯器の会社だから『お湯を愛する』 などなど・・・

日本文化、給湯器の文化、日本の風呂文化をアメリカに・・・などと夢は大きく張り切っている。

 

 

 

 

そんな会社と、日本のイラストレーター菊澤こゆりさんが

何か新しい流れが出来ないかな? とスタートしようとしている。

 

 

『菊澤こゆり』さん、  いろんなことを手掛けておられるイラストレーターさんである。

 

 

昨日は、Skype で、アメリカのTad Kadono と3人で約1時間、話をした

話をしたと言っても、第1回で、もっぱらTad Kadono の説明を聞いていたのだが、これがなかなかオモシロかったので、

みなさんにもご紹介しようかと思ったのである。

 

 

以下現れる画面は、パソコンの画面に写ったSkypeの画面を写真に撮ったもので、こんな説明を受けたのである。

 

 

アメリカの家庭は未だ一番左が一般的、バスタブはあるが、お湯に浸かったりは少なく、シャワーが普通。

それがちょっと進化すると、シャワー室が別にあるバスルーム、さらに進むとジャグジー完備だが、これらはまだまだ少数派。

 

 

 水に硬水と軟水とがあるとは聞いたことはあったのだが、

日本は沖縄を除いては、全て軟水だから、問題が起こらない のだと言う。

硬水だと、処理をしないとパイプが詰まってしまったり、飲むと下痢をおこしたりするらしい。

アメリカは硬水の地域と軟水の地域がこのような分布になっているのだとか、青いところが軟水、茶色いところが硬水だそうである。

 

 

硬水だと、パイプの中がこんなに詰まるので、軟水にするための余分の器具が要るのだとか。

 

 

アメリカでは今でも、大きなタンクにお湯を貯めてそれを使う方式が殆どで、

日本のような『瞬間湯沸かし器』方式は未だ1割しか普及率はない。

『瞬間湯沸かし器』を苦労して英訳してみたが、通じないのでいつしか『タンクレス』と言う言葉になった。

ちなみに日本は『タンクレス』の普及率99%なのである。

 

 

アメリカで一般的なタンクウオーターヒ―タ―は、こんな構造でずっと種火が付いている。

大量にお湯を使うとだんだんと水になってしまうので、バスタブにお湯など張ったりは出来ないのである。

 

 

タンクレス=瞬間湯沸かし器方式は、ご存じの通りの方式で、いつでも、幾らでもお湯が使える。

 

 

こんな特徴がある上に、国やガス会社からの補助があって、その普及を後押ししている。

 

 

これがカリフォルニアの一般の家庭で、日本と違うところは、家の中に大きなガレージスペースがある。

そして、そんな中にタンクが取り付けられている。

 

 

タンクレスにすると、一番左のように、こんなタンクのあったスペースが殆ど空いてしまう。狭い場所にも取り付け可能なのは、日本で実証済みで、日本の場合は殆どが外部設置だから雨風には十分耐えられる仕様になっている。

 

ここまでが、ハード面の説明であった。

 

 

そして、Ui America という会社は、こんなメンバーで運営されている。

主役は未だ20代のカップルである。未だ結婚はしていないが、婚約者で、昨秋は私も何度かご一緒した。アメリカ育ちだが日本語は喋れる。女性の方は日本字OKである。

 

ノーリツから譲り受けたこんなトラックを使って活動中である。

 

 

アメリカノーリツはデ―ラ―を通じての全米展開だが、Ui はこの地域に絞っての密着サービスである。

会社設立後もうすぐ2年だが、その間もう200軒のお宅に設置した。

設置したお宅のユーザーさんはNPO The Good Times の会員さんで会員カードもお持ちなのである。

この200件のユーザーの内70%は、日本人のお宅か、日本人の主婦夫は多国籍の家庭だと言うのは如何にもカリフォルニアである。残りの30%はアメリカの裕福な家庭が多いとか。

 

そんなことで、なかなかオモシロイ 有望市場なのである。

新しい市場開拓は、現役の時の専門分野だから、お手伝いしているのである。

そんなマーケッテングの基本コンセプトが『日本の風呂文化』のアメリカ進出なので、

日本独特のキャラクターを駆使した菊澤こゆりさんとのコラボで、

こゆりさん自身も初の海外進出だし、

ネットやSkype など最先端のシステムを駆使しての活動だから、

話題性もあり  Good Time  の演出が出来ると思っている。

 

昨日が、『けりだしの第1歩』であった。

このブログお読みになる方は、特に関係はないのだが、アタマの片隅に覚えておいて頂きたい。

半年後には多分、もっとオモシロいことになっていると思うのである

 

昨日は、電話が終わって直ぐ、Facebook にニュースでアップして、『いいね』を頂いたりしている。

 

 

 

その続きなのである。

 

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私は橋下徹を今後も応援したい

2013-05-28 20:32:23 | 発想$感想

 

政治の世界と言うのは普通の人の普通の発想では務まらない特殊なもの かなと思う。

今回の橋下さんの一連の事件と言ってもいい出来ごとを見ているとつくづくそのように思ってしまう。

今回の件は、なぜかその当初のスタートの時点からずっと追っかけていた。

 

慰安婦制度は必要だった

とその一言だけが大きく見出しで踊って記事になったのだが、

橋下さんがあの日話した論調はそんなことではなかったことは、朝夕の記者会見のノ―カットのテープを聞けば解るのだが、政治家はそんなことは言っておれないのである。

マスコミの見出しは記者の特権みたいなもので、自分が言いたいことしか書かないのである。

それが政治家はみんな解っているから、みんな建前しか言わないのだろう。

最初に、書いたブログでは、 これは危ないな』と思ったが、それ以上の展開で事件になってしまった

 

★世の中の評論家も、マスコミも、テレビやラジオの番組なども、みんな自分のための、視聴率を上げるための評論に終始してしまっているように思う。

今回の橋下さんの問題を裁判所で裁いたら、ひょっとしたら橋下さんが勝つかも知れぬが、一般のマスコミの中で取り上げられたら、勝ち目など全くない話なのである。

何となく流れが出来たら、それに乗らないと、自分が危ないと思ってしまうのだろう。

それに、最初の発言ではなくて、その後マスコミに流れる論調が、メインになってしまうのでどう仕様もないのである。

 

★それにしても橋下徹さんは、大したものである。

東京の記者会見では、300人以上の内外の記者たちが集まって、2時間半に亘って最後まで応えたようである。

そんなことをする政治家は、今まではいなかった。

そういう意味では、橋下さんは政治家ではないのかも知れない。

 

 

この事件で、橋下さんも点を落としたし、維新の会もその支持を落としたと言われている。

然し、私は橋下徹を今まで以上に応援したいと思っている

渡米は止めたらしいが、それでよかったのかも知れない。

参議院選挙でも『維新の会』の勢いは出ないかも知れないが、今まで通りの普通の政治家ではない政治家橋下徹であって欲しいと思う。

 

今回の事件は、従来の政治家では決して起こらなかった事件である。

内外の記者たちが、300名も集まって、そのニュースは世界中を駆け巡ったのである。

名前も覚えても貰えない総理大臣も多い中で、『橋下徹』の名は世界に聞こえたであろうし、少なくとも何となく橋下さんの言いたかったことは、解ってくれた人たちもいたことは確かなのである。

聞く値打ちもないというのなら、そんなに記者たちも集まったりはしない。

 

前向きに捉えて、橋下さんらしく胸を張って堂々と歩いて欲しい。

決して、間違ったことなど言ってはいないと、私は思っている

 

 

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5月27日 我が家の薔薇

2013-05-28 05:33:07 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

 

★薔薇も満開に近づいた。

どうしても若い木や新しい薔薇は一斉には咲かないように思う。

今年は冬のスタート時期から、薔薇の成長を追っかけられたのはよかった。

このところは、毎日旧い花柄積みで忙しい。 毎日ごみ袋が咲き終わった花や、つる薔薇の枝でいっぱいになる。

 

 ダブルデライト。 これくらいになると1輪でも存在感がある。

 

 

これは名前が解らない。

 

 

カクテル と バレリーナ  これは放っておいても幾らでも咲く。

それにてっせんが絡んでいる。

 

 

アンジェラ  これもあまり手間は掛らないし強い。 これは刺し木から育てた。

今は枝を短く切って、かっての半分ぐらいの大きさに育てている。 特に高さは脚立の要らぬまでに抑えている。整枝が大変なのである。

 

 

表からみたアンジェラ  大きく育てたら、屋根までも届くのかも知れない。 秋までもずっと咲いている。

左はイングリッシュローズ アブラハムダービー これも刺し木からである。

 

 

 

ピエール・ドゥ・ロンサール 人気のつる薔薇。 

4本あるがこれは刺し木から、今は刺し木の2本が一番大きい。

 

 

イングリッシュローズ  ヘリテ―ジ 

 名前、違うかも知れないが、イングリッシュローズであることは間違いない。

 

 

 

これは裏側からだが、ここには5種類ぐらいが群れている。

これは、ピエール・ドゥ・ロンサール

 

 

    

 

こんな枝を『シュート』と言う。

今どき、元気なシュートが出たら、薔薇は元気に順調に育っているということである。

つる薔薇のシュートは、来年の主枝になる。今から秋口まで、何メートルも伸びる。

左3つは、いずれもつる薔薇のシュート、

 

右が木薔薇のシュートである。

葉を7枚ぐらいのところで先を積んでやると、途中から元気な枝を出す。

そして、こちらは今年中に花も咲かせるのである。

 

花柄積み、施肥、整枝、シュートの手入れ、水やり、

みんなそんなに難しくはないのだが、手間を掛けないと、薔薇はなかなか言うことを聞かない。

 

 

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カワサキ単車物語50年 その11 小型車市場開発プロジェクトー2

2013-05-27 05:24:28 | カワサキ単車の昔話

 

★この小型車市場開発プロジェクトは1976年の5月から6月に亘って、インドネシア、タイ、イランの3カ国を中心に約1ヶ月の現地調査を行って、その報告対策を纏めたことにより具体的に大きな展開となるのである。

 

その調査団のメンバーは次のような構成だった。

 団長  高橋鉄郎   技術本部長

     安藤佶朗    製造部部長

     川崎芳夫    技術部 商品企画  部長

     山辺 昂    営業部 東南アジア担当  課長

     古谷錬太郎  企画室 企画グループ  課長

     松田与市    カワサキオートバイ販売部長

     の6人で、東南アジア担当の多賀井係長が案内役を務めたのである。

 

高橋鉄郎さんは、後単車事業本部長、川崎重工副社長も務められ、私とはこの10年前のファクトリーレースチーム時代からの関係だが、このプロジェクト以来ずっと直接的に関係があって、今現在もNPO The Good Times の相談役もお願いしたりしているのである。

安藤佶朗 さんは、ファクトリーレース、F21Mを造られた当時の監督、アメリカリンカーン工場経営やカワサキ独自の生産方式を造られたりした。

川崎芳夫さんは、川崎重工業の祖、川崎正蔵さんのお孫さんに当たる方である。青野ケ原のモトクロスなどは川崎さんなどが実質の活動舞台であった。この時期は商品企画を担当されていた。

山辺昂さん、 私と同期入社、当時は東南アジアの営業担当であった。不思議なご縁で入社試験は隣の席だった。

松田与市さん、 当時はカワサキオートバイ販売の第1線担当、カワサキ九州出身のマーケッテング専門家で、国内営業では長い経験をお持ちだった。

このような当時のカワサキの各部門を代表するいいメンバーであったと思う。 

 

5月17日に日本を出発し、台湾ーインドネシアタイーイランーマレーシア と現地で―ラ―を始め末端市場までを実際に見て回った。

この調査団の報告と、その後の対策提案によって、具体的に「市場開発プロジェクト室」と言う新しい職制が11月にスタートすることになるのである。

 

 

★インドネシア、タイ、イランそれぞれ末端の市場まで足を伸ばした強行軍だったし、仏教国のタイはともかく、回教徒主体のインドネシア、イランなどの考え方の相違なども顕著で、初めて体験することも多く、世界は広いなと思ったものである。

タイ、インドネシアでも、いろんな見聞をしたのだが、特に回教国イランの習慣や考え方の違いには驚いた。

話をしていてもお祈りの時間になるとお構いなくお祈りに没頭だし、長期計画など、それは神様の分野だと仰るのである。文字はともかく数字が違うのにはビックリした。領収書を貰っても幾らなのか解らない。ハートの模様が確か5で、ゼロは・ なのである。

イランのイスファーハーンからテヘランに戻ろうとしたら飛行機が飛ばないという。『いつ飛ぶのですか』と聞いても返事はただ『解らない』と言うだけで、テヘランまで600キロの砂漠の中の道をタクシーに分乗してテヘランまで戻ってきたりした。

市場調査などみんな初めての経験であったが、私は特に各地のデ―ラ―の経営姿勢や販売網のコンセプト、具体的な商売の仕方、ユーザー体質などなど、各地独特のモノがあって得るところ非常に大きかった

一言で言うと 商売は、「いろんな形」があって、どれが正しいなどとは言えないものだ と言うことを実感した。

 

★この調査団ほど真面目な海外出張は、あまり例がないのではと思ったりする。普通ではないような真面目さと熱っぽさで、観光地見学などは一切なかったのである。

特に副団長格の安藤さんと川崎さんはまさに熱心で、夜飯を食った後で、その日の検討、反省会などをやろうなどと言うものだから、営業関係の私や松田さん、山辺さんなどは少々辟易したようなところもあったのである。現地の商社やデ―ラ―の人たちも、従来のカワサキの人たちの態度とは一変した真面目で熱っぽい調査団の行動に、半ばビックリしたような感さえあったのである。

一番この東南アジアを「気に入られた」のは、高橋鉄郎団長で、このプロジェクトの推進役の私としては、これは間違いなく成功したと、思ったものである。

 1ヶ月に亘る現地調査を終わって、

『将来性のある有望な市場なので、市場参入すべし』と言う方向で纏めて、吉田専務、塚本事業部長などへの報告を行ったのである。

その結果、 「市場開発プロジェクト室」の組織を造り、その室長には高橋技術本部長が兼務することまでは直ぐ決まって、その陣容や基本コンセプトまでは、お手伝いをしたのだが、最後まで決まらなかったのが、私自身の去就であった

自分自身のことではあるし、一切意見を言わずに上の判断に任していたのだが、高橋さんからは貰いが掛ったのだが、企画がなかなか「うん」と言わなかったのだと思う。それが最終的にはプロジェクト室への異動となり、復職後企画室勤務はちょうど1年でまた、現場復帰となったのである

 

現地展開の特別プロジェクト

● 「イランプロジェクト」 総括 山辺昂    現地駐在がテヘラン岩崎茂樹、現地工場佐伯武彦さん(後リンカーン社長、川重副社長)、明石での管理キャッチャー役が鶴谷将俊さん(後アメリカ、ヨーロッパの現地販社社長、川重常務)。今思うと大モノが担当したのだが、こんな経験をしたので大モノになったのかも知れない。

● 「インドネシアプロジェクト」 総括 石井三代治  現地駐在が 資材から参加した大竹国雄さんらの実力者で、国内販社から久後淳一郎君らが参加した。

● 「タイプロジェクト」 総括 私が兼務で担当   私は『市場開発プロジェクト室』の総合的な企画、管理を主務としながら、『タイプロジェクト』を担当して、タイに初めてのカワサキとの合弁会社が出来るまで、現地に出向した小池博信君や国内販社からタイに出向した耕守正昭君などを手伝ったのである。

● これら3つの主要プロジェクトのほかに、開発途上国市場の台湾、フィリッピン、マレーシア、パキスタンなどの一般市場は山辺さんと佐藤君が担当し、この地域の技術サービスなどを担当したのは、後単車の製造部門や建機部門を統括した藤浦堯士さんなどもいて、ホントに単車事業のいいメンバーが集められたものだと思うのである。

 

 

この時期1976年からの4,5年

オイルショックハ―レ―のダンピング訴訟、さらにはHY戦争などと続いて、二輪業界にとっては激動の時代だった。

カワサキにとってもその中心のアメリカ市場でカワサキ独自のスノ―モービルが雪不足での在庫過剰問題やら、ダンピング訴訟などの対策で、その対策に追われた時期でもあったのである

この開発途上国の新市場対策もそんな一環ではあったのだが、過去10年は、実質的にはアメリカに本部があったようなもので、Zの開発など新機種の開発もアメリカ主導であったし、アメリカKMCの浜脇洋二社長の基本戦略通りに明石の事業本部がフォローすればいいというような状況であった

そういうカワサキ独特の事業環境が一変して、アメリカKMCの経営に陰りが見え始め、さらには経営も悪化し、事業部も1975年には大きな赤字を計上するそんな状況に変わっていたのである。

 

1976年から数年の事業本部内の職制変更の動きを見ても、それがどのようなものだったのか、想像頂けると思う。

その最初が「市場開発プロジェクト室」なのである。

 

1976年10月  市場開発プロジェクト室 発足   

高橋鉄郎室長が技術本部長の兼務として担当、事業部各部から人材を異動し、タイ、イラン、インドネシアプロジェクトをそれぞれ現地で立ちあげ活動に入った。

 

1977年7月  営業本部としてヨーロッパを含めて、高橋鉄郎本部長が担当  

実質は、『市場開発プロジェクト室』に従来のヨーロッパ営業部を吸収して、名前は営業本部とし、高橋鉄郎さん管轄となったのである。ヨーロッパにについては佐野部長が、CKDビジネスと営業本部のトータル管理は私が担当した。 

この時点ではまだ、アメリカ、国内については企画室で田崎雅元さんなどが担当していた。

 

1978年4月 発動機事業本部の中に単車事業部を組織し、高橋鉄郎事業部長 

この事業部の中に管理部が出来て、田崎雅元、野田浩志、坪井孝之課長と私の4課長体制となった。

私は開発途上国に加え、ヨーロッパも含め、トータルの管理面では担当し、アメリカ、国内の直販会社は田崎、野田さんの担当だった。そして、この時点でアメリカのハ―レ―ダンピング訴訟が起こり、これは田崎さんが担当したのである。

この時期は国内、アメリカ、ヨーロッパとも、多くの経営的な課題を含んでいて、その結果が事業部の損益を圧迫し大変な時代であった。

 

 

 

 

★この時期、順調に進んでいたのは、新しくスタートした開発途上国ぐらいで、新開発のKH110 GTOが売れだしていたのである。 

CKDなのでカワサキの明石工場の生産台数にはカウントされていないが、カワサキの車種の中で最も大量に販売したのは、FX400でもZEPHYR でもZでもなくKH110 GTO ではなかったかと思っている。

私自身は殆ど、車種開発などには関与したことはないのだが、ただ1機種だけ間違いなく私が技術部に開発をお願いしたクルマがこのGTOなのである。

当時のタイ市場では首都バンコックでは、カワサキの車は見ることが出来なかった。カワサキは全くの実用車でタイの田舎でしか売れていなかったのである。そのバンコックの市場開拓をする上で都会向きの車がいると、当時のタイプロジェクトの現地責任者のチャンチャイさんが『兎に角110キロ以上スピードが出る高馬力スポーツ車』 を開発して欲しいと言うのである。

 このコンセプトを当時の大槻幸雄技術部長主催のの技術部の課長会議に乗りこんで、『こんな車を造って欲しい』と頼んだのだが、肝心の大槻さんが『そんなのやれるか』と猛反対なのである。

大槻さんは『Mrホースパワー』とあだ名されてはいたが関心は大型スポーツ車で、こんな125ccなどは、関心がなかったのである。大槻さんとは昔のレース仲間なので、言いたいことは言える仲なので、粘っていたら、『カワサキの2サイクルなら松本』と言われている松本博之さんが、『私がやりましょう』と助け船を出してくれて、この開発が決定したのである。この話、つい2,3日前当の大槻幸雄さんにお会いした時言ったのだが、ちゃんと覚えてもおられなかった。

私が、最初に頼んだ時は『馬力さえ出て、スピードが110キロ以上でたら、少々音などやかましくてもいい』などと、チャンチャイさんが言った通りに伝えたのだが、この開発プロジェクトを引き継いでくれた石井三代治さんが、、その後丁寧に音などの問題も全て解決したイイものに仕上げてくれたのである。

 それにしても、めちゃくちゃ売れた車で、GTOが売りたいからと、バンコックの大手デーラーがカワサキに次々に訪れて、バンコックのまちの交差点は『カワサキのGTOであふれる』ほど売れたし、インドネシアでも大ヒットになったのである。

 

 

 

当時のタイの広告写真。 『カワサキGTO』 で画像検索したら、こんな写真が現れたのである。

いずれにしても当時先進国市場が軒並み問題があった時期に、カワサキでヒットした商品は東南アジアではこのGTO 、そして国内ではFX400が大ヒットするのだが、その台数ではGTOに確か遠く及ばなかったように記憶している。

 

 

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NPO The Good Times の総会

2013-05-26 05:31:03 | NPO The Good Times

 

★昨日はNPO法人 The Good Times の総会でした。

今年で設立以来ちょうど4年が経ったことになります。

日本でも、世界にもあまり例のないNPO法人ですから、なかなか説明が難しいのですが、無事4年を経過し、一応順調に推移しています。

 

ホームページは、こちらです

 

 

基本コンセプトは

『異種、異質、異地域をみんな繋いで、楽しくいい時を過ごそう』  です。

世の中に同種を繋ぐ、グループはいっぱい存在しますが、同種が群れ過ぎると、どうしても利権に繋がったりします。

 

 

 会員さんは、団体会員と個人会員の2種類だけ、それぞれ入会金1万円と1000円1回限りで終身会員です。年会費などは一切頂きません

そんなことでNPO法人は成り立つのか? 十分に成り立つのです

ネットがベースですから、どんなに高度な仕組みを、どのように使っても、全て無料です。

 

 

 

Facebook も、

会員さんのブログも、

ツイッターも、

Tumblrも   結構高いレベルで展開中です。

 

ツイッターのフォロワーは、つい最近30万人を超えました

毎朝5時には、会員さんのブログを集めたThe Good Times 新聞が発行されます。

Tumblr も見ごとですが、

それを集めたArchive はこちらです

 

 

 

★NPO 法人The Good Times 自体は、こんな仕組みの充実を図るだけで何もしません。

積極的に動く会員さんを支援フォローするだけです。

そんな支援のシステムを造っているのです。

 

本体自体の経費は、殆ど要りませんので、会費収入の殆どを、会員さんの活動支援金に充てています。

今期も約93万円の支援を行っています。

収入は、団体会員さんと個人会員さんの入会金以外一切ありません。

支援はしますが、行政から補助金を貰ったり、どなたかから寄付を募ったりは一切しません。

 

ネットベースですから、当然世界展開です。

 

 

これは会員さん同士の、アメリカと日本を結んでの活動で、Skypeベースですから無料です。 ツイッターにこんなニュースで流れたりします。

それをNPOの公式ツイッターで広報などして、お手伝いしているのです。

ネットの世界は、アメリカも神戸も同じ隣町なのです。

 

★こんな会員さんの活動や、イベントはいろんな仕組みで積極的にフォローします。

何ごとも、自ら積極的に、前向きに、継続性をもって、きちんとした基本コンセプト、想いをもっておられる方には最高の仕組みに仕上がっています。

 

そんな5年目がスタートしました。

 

 

 

こんなメンバーが集まりました。

総会後、和やかな昼食会を、本格的なインド人の経営するカレー屋さんで・・・

いいスタートが切れました。

 

 

早速、監事の小川優さんがツイッターで、こんな風に呟いています。 直ぐリツイートしました

事務局長の登山道夫さんはFacebook で、直ぐ情報発信、アメリカの娘や娘婿や東京のNPOアドバイザーの松島さんなどから多数の『いいね』が届いています。

こんな調子で、どんどん情報は広がります

 

 

 

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私と関係のあった世界のまち

2013-05-25 05:20:19 | 自分史

★暇にまかせてBing地図で、自分に関係のあった世界のまちを探してみた。

Bing地図 なかなかいい

 

居ながらにして世界が見れるのは素晴らしい。

 

 

 

 

● まずは生まれ故郷、明石市上の丸である。

明石公園の東側、今は競輪場から、陸上競技場に変わっているが、子どものころはここはずっと上の方まで、外堀だった。

その池の直ぐヨコが本籍、生まれ故郷である。

そのころは、池の横は本家と我が家の2軒だけだった。今は住宅地になっている。

戦後引き揚げてきて、中学、高校、大学と結婚するまでここで過ごした。

 

 

● 小学校から中学1年まで過ごした、現在のソウル、昔の京城府城東区

 

昔とは道など様変わりしているが、丸いドームの左側が奨忠壇公園の池だと思う。

まず、間違いないと思う。

小学校のころ冬にはスケートを楽しんだ。

道が立派に変わっているが、右上ののサッカーコートがあるところが、かっての桜が丘国民学校、家はそのちょっと下あたりだと思う。

 

 

● そして、今住んでいる、三木市緑が丘 

左のゴルフ場が名門廣野ゴルフ倶楽部である。廣野は三木市だがその下の三木スイミングスクールは神戸市、ここが神戸市と三木市の境界線なのである。

自宅は上の方にあるト―ホ―ストアや岡歯科医院は直ぐ近くなのである。

なぜ病院ばかりの名前が載っているのか不明だが、KAWASAKI Z1 FAN CLUB の事務局、Good Time Plaza は伊藤耳鼻咽喉科の直ぐ上あたりなのである。

 

 

 ● これは息子が今住んでいる鎌倉の由比ヶ浜。 住んでいるマンションも見えている。

海岸通りの直ぐヨコ、津波が来たら、まずダメだな。

 

 

● どーんと海を渡ってアメリカ California Irvin   娘一家が住んでいる。

綺麗な人造湖のある住宅地である。

家内は毎年2ヶ月も遊びに行ってるが、私は昨秋2週間ほど、初めてお世話になった。

いいまちである。

 

● 拡大したら、赤いクルマの止まっている家のはずである。

 

 

 

 

● アメリカついでに。

30年も前、土地を買って建物も建てた時代は色濃く関係した、カワサキのアメリカの本拠地KMC.

当時は、このあたり何にもなくて、広々とした土地だけが広がっていた。

Santana の土地建物を売却したら、その何倍もの土地が買えたのである。

KMC が一番苦しい時代に買ったので、懐かしくいい思い出になっている。

KMC田崎社長、単車事業本部長大庭浩さんの時代だった。

405と5号が一緒になって直ぐ左なので、直ぐ見つかった。

この地図では解り難いが、

 

 

● 拡大すると、Kawasaki と屋根にロゴのあるトラックがいっぱい並んでいる。

懐かしい社屋である。 土地は半分は売ってしまったと思うが、それでもまだ、広いものである。

 

 

 

 

● 明石市川崎町1-1  長年お世話になった川崎重工業明石工場である。

カワサキの単車事業の本拠地である。

今でも大きいが、昭和32年、川崎航空機二入社した時代は土地は今の2倍ほどもあった。

 

●ちょっと見難いが、仙台のカワサキプラザ、この土地は昭和42年(1977)私の時代に買った。未だこのバイパス、クルマの通りも少なかった45年も前の話である。

もう少し大きな土地を買えば四角の土地がいっぱいあったのだが、『300坪しかダメ』と仰るものだから、斜めの土地になってしまったのである。

でも、懐かしい。当時は水道も来ていなかったのである。 青い●がついているところである。

 

 

●そして現役最後は、北海道のこの会社に2年間、その経営を頼まれた。

札幌のすぐ南、北広島のインタ―の直ぐヨコである。

北海道川重建機  優良企業で、川重の子会社のように思われるだろうが、地元資本の会社である。

道内に10幾つも支店があるので、お陰さまで、北海道は隅々まで知っている。

 最後の2年間、いい思い出である。

 

 

まだまだ、思い出の地は世界にいっぱいだが、どこでも居ながらにして、そこが覗けるいい時代なのである。

 

 

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二つの快挙 大谷初登板 と 80歳エベレスト登頂  

2013-05-24 07:09:26 | スポーツ

 

★ 大谷投手初登板、残念ながらテレビの実況はなかったが、

マスコミはその経過を異例の対応で追っかけ、報道した。

 

こちらは明けて今朝の産経フォトからの写真である。

 

 

2点を取られて、勝ち投手にはならなかったが、負け投手にもならなかったところに大谷の強運も感じる。

 

 

 

 このように今朝の新聞は伝えている。

 

 

★ ここからは、昨夜未だ途中経過であった時の、マスコミの報道ぶりである。

途中経過をこんなに詳細に伝えることはまず異例のことなので、追っかけてみた。

 

プロ野球交流戦たけなわである。

日ハムの大谷投手が登板しているが、残念ながらテレビ放送がナイ

ところが途中経過なのに、ネットではいろいろ詳しい情報が流れている

 

 

 

 未だ途中経過だが、こんなに詳しいのも珍しい

 

 

 

現時点の途中経過、今7時40分である。

テレビは阪神―ロッテ戦を実況している。ロッテが1点を返して、5-1となっている。

 

 

★昨夜はテレビで阪神ーロッテ戦を見ながら、大谷の報道をチェックしていた。

高校卒業直後に、1軍登録されることだけでもすごいのに、先にデビューしている打者では3割をキープして打者としての逸材ぶりを発揮している。

投手ではどうかな? と思っていたが、予想以上の健闘だと思う。

157キロの速球 これは素質がない限り、練習を積めば投げられるというようなものではない。

 

投手と打者の二刀流  今まで誰もなし得なかったことへのチャレンジである。

ムツカシイことは解ってはいるが、チャレンジして欲しいと思っている。

 

 

 

 

こちらは、同じ日に、『80歳でエベレスト登頂成功! 三浦雄一郎さんの快挙』である。

どちらも『スゴイ』ニュースである。

年齢だけは同じ80歳  少しでもお二人のチャレンジ精神にあやかりたい。

 

 

 

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私の趣味 鯉と池と薔薇  

2013-05-23 05:50:11 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

 

★子どもの頃から、魚が好きだった。

特に庭の池に泳ぐ鯉は、いつかはと思い続けていたのである。

なぜ、そんなに魚が好きになったのかはよく解らない。

子どもの頃から、鮒釣りや、じゃこ釣りは好きだったし、釣ってきた魚を小学校のころは池もあったのでそこに離して飼ったりしていた。

 

戦後、引き揚げてきて、生活は一変して鯉などは全くの高値の花になってしまったのだが、ずっと水槽で熱帯魚などを飼っていた。

それも結構凝って、特別の水槽を造って、肺結核で1年間療養所に入った時も水槽を持ち込んだりしていたし、阪神大震災の時停電になってしまって、このあたりは揺れがなくなったあとの一番の関心事は熱帯魚の水槽の温度をどう保つかなどと言う、ちょっと外には言えない悩みだったのである。

 

★三木に移ってきて40年になるのだが、まずガレージの奥を小さな池にして魚を飼ったりした。

そのうちその池をT字型にしてもクルマを入れるには問題ないとそんな形にしたのである。

 

今現在もそんな形で現存している。

然しこの池ではどんどん大きくなる鯉はちょっと無理なので、いつかは池をと言う想いは半ばしか実現せずに終わっていたのだが、

いつ頃だったか、一念発起して小さな庭だが池をつくることにしたのである。

結構本格的なもので、水深は1メートル、約6トンの水量で循環装置なども付けて、池だけで約200万円もかかったのである。

その池があった期間が15年もあっただろうか、その間鯉には大分金も掛ったが、こんなのは上を見たらきりがないので、そこそこにしていたがそれでも万もするのは結構いた。

現役の最後の方に札幌に2年ほどいたので、その間に殆ど死なせてしまったのである。

 

札幌から戻って、ちょうど定年になって、そんなに金も掛けられないので、5~10cmほどの鯉を500円位で買ってきて育てたのがこの写真の鯉である。

 

 

 

 

鯉は直ぐ大きくなり100年生きると言われている。

これくらいまでには育っていたのだが、3年ほど前、鯉ヘルペスに罹って全滅してしまったのである。

どうしようかな?と思ったのだが、もう年だしまた一から育てるのもと思って思い切って池を潰すことに決心したのである。

 

 

パソコンの前に坐っているとこんな感じで鯉は見ることが出来たのだが・・・

まず埋め立てたらこんな形になった。  ここまでは業者の人にして貰った。

 

 

同じ角度だが、今パソコンの前に坐るとこんな感じに変わっている。

 

 

今の感じは、こんな様子なのである。

埋め立ててからここまでは、みんな独りでやった。

今は完全に薔薇の庭に様変わりである。

家内は、今の方がよっぽどいいとい言う。

 

鯉も薔薇も、私の趣味で、やっているのだが、

鯉がいないのは、ふと寂しい時もある。

でも、循環器の電気代だけでも1ヶ月万に近かったし、経済的には薔薇の方がよほど安くつく。

 

鯉に興味などない人は、みんな今の方がMuch Better だと言うのだが・・・・・

 

 

薔薇と鯉が両方見れるのが、夢みたいだったのだが、そんなこと言ってみてもそれこそ夢なのである。

何年間かでも、鯉と過ごせたのをいいとしなければならない。

今は、ガレージの池でメダカとエビと田螺と、フナと過ごしている。

 

 

 

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5月22日  我が家の薔薇

2013-05-22 10:27:44 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

 

5月22日、今朝の我が家の薔薇です。

 

 

 

 

つい先日、60おじさんこと山本隆くんが。こんなコメントをくれました。

 

 

全く、ご指摘の通りで、兎に角シャッターを押すだけでした。

改めて、使用説明書読んでみました。  ピントが合うと色が変わったりするんだ  初めて知りました。

上の写真、ピントあってるのでしょうか?

 

 

 

アンジェラ がやっと咲きだしました。

 

 

 

 

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イベントいろいろ

2013-05-22 08:43:18 | NPO The Good Times

 

★ 昨日、カワサキワールドのこんなニュースが飛び込んできました。

 

 

 

ミニ鉄道フェスタin神戸メリケンパーク2013  というニュースです。

 

 

 

★今ではすっかり定着しいて、メリケンパークとカワサキワールドの定例行事になっていますが、

もう何年前になるのだろう。

このイベントの発案者は 福井昇君で、それをサポートしたのが私と、当時は未だ川崎重工業の会長職だった田崎雅元さんです。

神戸市の副市長さんに繋いで貰って、メリケンパークが使えるようになったのです。

初年度は、ずっと準備会議にも出席して第1回が開催されました。

こんなイベントは、経験を積めば積むほど、上手に運営されるようになるので、今は何も関わってはいません。

こんな広報のお手伝いみたいなことをしています。

このブログは勿論、Facebook にも、ツイッターでも流すので、相当の広報力はあると思います。

 

 

 

★そして今年は、7月から8月にかけて

NPO The Good Times 関連のイベント3連発です。

 

 

既に何度か広報もしたので、参加者も相当数、既に確定済みです。

Zの40周年を記念して、三樹書房から、 「カワサキZの源流と軌跡」も発刊されるので、その紹介も、執筆者のサイン入り記念販売も行う予定です。

その執筆者10数名の内、浜脇洋二、大槻幸雄さんほか多数参加の予定です。

日本だけからではない、ドイツからはミッキイ・ヘッセも参加だし、その他海外からビッグネームも参加するかも知れません。

期待を裏切らない内容に仕上げる積りです。

150名限定ですが、ご参加希望の方は、こちらからどうぞ。未だ少し余裕があります。

 

 

 

★これは、7月21日、東京で一般公開はしませんが、

二輪文化を伝える会 と 山本隆くんが主宰して

日本のモトクロス界を支えたセニアライダーを一堂に集める本邦初めてのイベントを行います。

どんなことになるか未だ解っては居ませんが、

久保和夫、鈴木忠雄、星野一義、吉村太一などなど、有名ライダーたちが集まるのだろうと期待しています

 

 

 

 

そして、8月4日には、Organizational Synergy   O'S主催の初イベントが、開催される予定です。

二輪と音楽のコラボで相乗効果を!!

 

Run デ Booooo!!! 2013   です。

 

 

 

 

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