雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

高橋鐵郎さんを忍んで

2016-04-30 20:05:51 | カワサキワールド

★ 高橋鐵郎 さん、『カワサキの二輪事業をスタートの時期から育て上げた方』と言っていい。

4月26日、89歳でその生涯を閉じられた。

 高橋鐵郎さんを想い、手元にある写真からその功績を忍びたい。

 

  

 

 神戸のカワサキワールドに飾られた写真である。

昭和38年(1963)5月、兵庫県青野ヶ原のモトクロスでカワサキは1位から6位までを独占勝利した。

カワサキの二輪事業の存続を日本能率協会が調査中の出来事である。

この写真の一番左がそのリーダーの中村治道さんその隣が高橋鐵郎さん当日現場で指揮を取られたのである。

この勝利が日能の『この事業やるべし』という判断に繋がった一つの出来事だったのである。

 

  

 

それから25年カワサキファクトリーチームのOB会

真ん中が兵庫メグロの西海さん、その両隣が山田煕明、高橋鐵郎元川重副社長、私の横が元川重社長田崎雅元さん、大槻幸雄さんも、ライダーでは安良岡健、山本隆、金谷秀夫、星野一義、も清原明彦さんもいる。

カワサキの創成期のレースチームに関係したメンバーたちである。

当時高橋さんは、どちらかと言うと『営業不信』だったのだが、それが一変して『マーケッテング重視』に変わるのは、昭和43年(1968)当時のカワサキオートバイ販売に2年間ほど出向されてからである。

末端のオートバイ販売店やユーザーと直接接して、その後はマーケット大好きの技術屋さんに変身され、それがカワサキのイメージ創造に大きく貢献したと言っていい。

 

   

 当時の珍しい写真を平井稔男さんが持っていた。左は田中誠社長、その隣が高橋鐵郎さんである。

今の大阪のショールームの土地高橋鐵郎・岩崎茂樹コンビで見つけて購入され、新装なった営業所には私が大阪所長として仙台から異動した。

昭和45年(1970)大阪万博の年である。

 

 

★その後、高橋さんは、技術本部長として川重に復帰されるのだが、私も昭和50年には川重企画に復帰し、その翌年小型車市場進出のために『市場開発プロジェクト』を立ち上げ市場開発室が出来たのだが、その長を高橋さんは技術本部長兼務で引き受けて下さって、それ以降長く直接の上司ー部下の関係が続くのである。

今は、先進国よりは開発途上国が主体の事業展開となっているが、当時のタイ・イラン・インドネシア市場への進出の旗は高橋さんが降られたのである。

その後、そのまま開発途上国だけでなく全市場担当の『営業本部』となりその営業本部長となられたのである。そこには私や田崎さんや岩崎さんなどのかってのレース仲間も顔を揃えていた。

 

昭和54年(1979)ハーレーのダンピング訴訟がありその対応としての国内対策が大問題となり、私は営業本部の課長籍のまま、カワ販の常務も兼務するのだが、高橋鐵郎さんにはその副社長として援けて頂いたのである。

FX400のころで大赤字だったカワ販が一挙に優良販社に様変わりした時期である。

ところが、アメリカ市場で突如日本から飛び火したHY戦争の影響を受けて、アメリカの販売会社KMCは大変なことになり、高橋会長・田崎社長のコンビで昭和56年(1981)にアメリカに出向されるのだが、赤字が続いて川重は無配に転落した時期、これら海外販社の赤字対策のために私は当時の川重の山田副社長に企画に戻るように指示されるのである。

その時、私が企画部長を引き受ける条件として、企画室長に高橋さんをアメリカから戻って頂くことをお願いしたのである。部長に成りたての私には旗を振るには荷が重すぎると思ったからである。

さらにその半年後二輪事業再建に大庭本部長(後川重社長)が来られて高橋さんは副本部長に昇格され、そんな体制の下で単車再建がなされたのである。

 

★この時期、昭和58年(1983)から私が現役を退任するまでの16年間、私の直接の上司が高橋鐵郎さんの時代が続くのである。

高橋さんは、大庭本部長の後、二輪事業本部長として二輪事業の安定拡大に務められるのだが、1988年10月、私は突如高橋さんに国内カワ販の専務を指示され、国内市場7万台の目標を与えられるのである。

そんな途方もない目標実現の第一歩として10月15日に創世期のレースメンバーたちのOB会を開催し、国内レースの復活など『カワサキイメージ戦略』など積極策の推進を誓ったのである。

それから3年後の1991年に国内7万台の目標も達成し、当時の事業本部の経営の柱として国内市場が活動したそんな時期であった。

 

 

 

★当時のカワ販高橋鐵郎社長の KAZEの機関誌に掲載されたインタビュー記事である。

大企業のトップで、技術屋さんでありながら、マーケットマインド溢れるこのような高次元のインタビューの語り口は『我が上司、高橋鐵郎ならではの面目躍如』たるものである。

若し、現役諸君でこのブログお読みになる方がおられたら、是非この記事は熟読してほしい。

これが『カワサキの二輪事業展開の企業理念』なのである。

当時の『カワサキのイメージ戦略の発想のベース』がここにある。

 

 

   

 ZEPHYR の時期、カワ販高橋鐵郎社長さんである。

 

  

 

   

 

 長い高橋鐵郎さんとのお付き合いだったが、不思議なことにツーショットの写真はこの1枚だけである

Kawasaki    Let the good times roll! 

というカワサキの基本コンセプトを復活して全世界に展開されたのも高橋さんなのである。

 

  

 

★ 現役引退をしていまも尚、私は『NPO The Good Times 』というNPO法人をベースに活動している。

これを立ち上げたのはいまから7年前だが高橋鐵郎さんには、『相談役』をお願いをし、昔のプロ野球の監督NO.である30番の会員カードを差し上げたのである。

そしてかってのカワサキのレース仲間たちの名前が続いている。

NO.36番の衛藤誠さんは、『二輪車新聞』の記者さん、もう私とは50年以上のお付き合いでカワサキの二輪事業のことはひょっとしたら今でも現役の衛藤さんが一番詳しいかも知れないのである。

 

    

 

 そんな仲間たちの親分的な存在が高橋鐵郎さんだった

川崎重工業の副社長を、引退後はそのOB会『相信会』の会長も長く務められ、われわれが企画するいイベントなどにも気安く出席して頂いたのである

 

 

 これは何年か前、有馬 泉郷荘でキヨさんが幹事で開催された、第2回目のカワサキファクトリーOB会

 

  

 こちらは、カワ販の OB会『慶睦会』でかっての大阪の仲間、宮本、竹内くんと。

 

 2011年3月、あの東日本大震災のあった年、平井稔男さんが主宰した『カワサキの想い出、そして未来

その時、100名を超えるレース仲間たちが集まった。

一番右が H2Ninja の開発責任者山田浩平くん、この時は現役の技術本部長だったが・・何故か、川重のメンバーの中に山本隆くんが入っている。

 

  

 

 高橋鐵郎さんと田崎雅元さん、女性は単車時代その秘書を務められた長尾さん。

    

 

 その『カワサキの想い出、そして未来』の催しの『幕開けのご挨拶』を高橋鐵郎さんにお願いをした。

 そこまでの司会は、私がさせて頂いたのである。

 高橋さんとの長いコンビの最後の1日になってしまった

 

  

 

高橋鐵郎さんがおられたから、私のわがままが通ったし、いろんなことが出来たのである。

心からご冥福をお祈りしたい。 高橋さん、さようなら。

ありがとうございました。

 

 

  

 

 

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私のゴールデンウイーク

2016-04-30 06:54:52 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ ゴールデン・ウイーク』が始まった。

新幹線は満員だし、高速道路は恒例の渋滞が始まったし、海外に遊びに行く人も多い。

 

今月の14日に大きな地震に見舞われた熊本県だが、新幹線も高速道路も全線開通とのニュースが流れた。

 毎日余震が続く中で、15日で全線開通というスピードは素晴らしい。今月中にガスなどは全面復旧を目指しているようで、こんな作業に従事する人たちにとっては、ゴールド・ウイークも無縁なのだろう。

 

   

 

新幹線も道路も開通したが、このゴールデンウイークに九州に観光に行く人は少ないだろうから、そういう意味では九州地域の観光業も大きな被害を受けたと言っていい。ゴールデンウイーク中九州に観光に行かれる方は少ないだろうが、地震の災害支援で現地に行かれる方は多いのだろう。

 

 

★ そんな人それぞれのゴールデンウイークだが、年中休みの私は、いつものことながら全く静かで殆ど予定もない。

ゴールデンウイークには周りの方々がそれぞれ予定が入って忙しいものだから、逆に私に予定が入らないのだろう。

今年も連休最後の5月8日に、関西国際大学の野球の応援に行くことだけが決まっている。

昨年秋から関西国際大学の野球部の後援会に入っていて、この春のシーズンは大阪体育大学、天理大学、大阪産業大学にそれぞれ勝って勝ち点3、5月に入っての追手門大学、帝塚山大戦が残っているのだが5月8日の追手門大学戦でひょとすると優勝が決まって、神宮行きが決まるかも知れないのである。

是非、この二つにも勝って完全優勝で優勝を飾って欲しいものである。

 

それまでの9日間は、何の予定もないのだが、そのうちに何かが入ってくるかも知れない。

もし何もなければ、庭仕事や薔薇の手入れや、パンダ碁などパソコンの前に座っていれば、時間を潰すのには別に苦労することもない。

特にバラはいまこんな状態なのでゴールデンウイークの後半には花も開いて、花柄積みなど忙しくなるに違いないのである。

 

 

 

 今年は久しぶりに今まではちゃんと世話が出来たので、育ちは順調なので、どんな花が咲くのか、いまから楽しみなのである。

 

 

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余生 雑感

2016-04-29 06:34:39 | 私の生き方、考え方&意見

★余生 とは?  どんな生き方がいいのだろう。

ちょっと調べていたら、『二文字熟語』という http://ameblo.jp/kdoba2716/ こんなブログに出会った。

その中の『余生』の記述である。

 

      

 

 ★一般には、 

よ‐せい【余生】

盛りの時期を過ぎた残りの生涯。残された人生。「静かに―を送る」「―を楽しむ」

 

 などと言われているのだが、上述のように『前向きに捉える』ほうがいい。

 一般的に使われている”余生を送る”の意味は、人生の活動期を過ぎた残りの部分ということになるそうですが、そんな後ろ向きの事は考えず、自分の新たな可能性を伸ばす、人生の次のステップと理解したいものです

と書かれている。

 

★私自身のことに関していうと、83歳を迎えて、確かに残された人生であることには違いはないのだが、

余生を静かに送る』などとは、ちょっと違って、なかなか忙しいのである

その『忙しさ』が現役の時のような、『会社の動きの中』のものではなくて『自分でやりたいこと』だけをやれることがいい。

最近では、『現役時代にやってたこと』がそんなに大きく大事なことだったのか? と思うことすらあるのである。

いま周囲の人と一緒にやってることは、なかなか壮大なのである。

それが若し『実現すれば』楽しくオモシロいし、『若し実現しなくても』誰にも『怒られたりしない』ところがいい。

 

これを支えてくれているのは『健康』である

60歳所謂『還暦』を過ぎてからを若し『余生』というのなら、そのベースになるのは『学歴』や『職位』や『知識・経験』などではなくて、一番大事なのは、体と心が『健康』でありさえすれば、大丈夫『前向き』に生きられると思っている。

今のところ、間違いなく『健康である』と言い切れるところがいい。

そして、『支えてくれている周囲の人』が非常にいい。

出会って、何年も経っているわけではないのだが、『余生』を迎えても幾らでも新しい人たちに出会えるのである

それが、『現役のころの会社の仕事』と言った枠がないから、自由に『オモシロい』と思える人が選べるのがいい

まさに、一般の余生ではない、

自分の新たな可能性を伸ばす、人生の次のステップ』 があるように思っている。

 

それは『健康』である限り大丈夫のようである。

だから、人生にとって一番大事なのは『心と身体の健康』なのだと思っている。

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オートバイ神社 プロジェクト

2016-04-28 08:54:16 | 発想$感想

★『オートバイ神社』のことを吉田純一さんから最初に聞いたのは、もう何年前になるのだろう。

 

   

 

 『オートバイ神社』と画像検索すると、こんなにいっぱいの写真が現れる。

  https://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%90%E3%82%A4%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E3%80%80%E9%9B%91%E6%84%9F%E6%97%A5%E8%A8%98&biw=1275&bih=764&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwjHiqTU9a_MAhWlFaYKHWpsCW4Q_AUIBygC#tbm=isch&q=%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%90%E3%82%A4%E7%A5%9E%E7%A4%BE&imgrc=TLSkQOw6_DH5_M%3A

   

     

 

どんどん進行しているようである。

その推進者の全国オートバイ協同組合連合会長の吉田純一さんから私のところにこんな写真が送られてきた。

 

       

 

 お守りを制作中でその見本だそうである。

 

   

 

 このプロジェクトに協賛する方たちも、どんどん増えているようである。

 吉田さんからのメッセージにはこんなことが付されていた。

オートバイ神社が次々話しが出て千葉の神社が商工会を通じ認定して欲しいとか熊野の方で百五銀行の偉いさんと地元の有力者が是非会いたいとか今回一般社団法人日本二輪車文化協会を利用してやって見たいです。

きっと成功すると思います。是非お知恵と力をお貸し下さい。よろしくお願いします(オートバイ神社のお守りの見本が出来ました(^^) .表裏です(^^)今注文して取りに会えず600ずつ1200注文しました。又写真や現状をお知らせします 。』

 

★具体的なお手伝いはなかなか出来ないが、NPO The Good Times の『異種、異質、異地域をみんな結んで・・』という基本コンセプトにでも、その情報発信力でも、広報的には幾らでもお手伝いが出来ると思っているのである。

まさに『たまたま』だがごく最近神戸ベンチャー研究会で、こんな『日本の伝統文化、神社・仏閣』を真面目に取り上げようとする種田成昭さんという30歳のベンチャー企業家に出会ったのである。

 
       
 
 
 
   Flucle というこんなベンチャー企業を昨年立ち上げたばかりなのである。
 
 
若いし、情熱もあるし、『オートバイ神社』のことを話したら『非常に興味がある』と言うのでFacebook で吉田純一さんを紹介した。八尾にお住まいと言うので近いうちに、お二人はお会いになるかも知れない。
 
種田成昭さんに、コンセプトも情熱も、おやりになってるイベントもいいのだが『仕組みと情報発信力』が欠けていると指摘したら、すぐにNPO The Good Times の会員にもなられたし、新しくツイッター  https://twitter.com/cW9p4R4HldDFN0C も創られたし、いまブログも準備中という。
 
そんな素早い行動力がいい。
 
 
吉田純一さんという『実力者』と組んだら、お互いプラスばかりだろうし、『オートバイ神社プロジェクト』もより具体的に進行するかも知れない。
昨日のNPO The Good Times の理事会には、神戸ベンチャー研究会の主宰者の松本茂樹先生も出席だった。
 
『異種、異質の実力者』が組むから、オモシロいのである。
 
オートバイ神社プロジェクト』 今年はより具体的に、よりオモシロい展開になるかも知れない。
 
 
 
 
 

 

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NPO The Good Times 7周年

2016-04-28 06:59:05 | NPO The Good Times

★昨日はNPO The Good Times の総会前の理事会だった。

法人であるから、年に一度は決算があるし総会もある。

NPO The Good Times 自体は、ネットをベースにした「仕組み」そのもので、その仕組みは殆ど100%出来上がっているので、『異種、異質、異地域をみんな繋いでいい時を過ごそう』という基本コンセプトの具体的な展開はその特別プロジェクトであるWorld Good Riders Association や地域活性化のプロジェクト燦々SunSun のほうでの展開になっている。

特に昨年度から立ち上げた燦々SunSun の動きは、今年はオモシロくなりそうで、地元の関西国際大学との協働でいろいろ進みそうなのである。

そんなこともあって今年度から関西国際大学の経営学科長松本茂樹先生緑が丘のサンロード商店街の広報担当殿界寿子さん、三木緑が丘の日曜マルシェの実行委員長を務めた向山信吾さんの3人に新しく理事に参加いただいたのである。

 

昨日は、そんなお三方の初めての 理事会出席でもあったのである。

 

  

   

三木緑が丘サンロードを愛する人のカイ!』 https://www.facebook.com/ganbarou.midorigaoka/   という殿界寿子さんが世話人代表を務めるグループも、いろんな活動を始めるし、

 

  

 

健康食品『オオムギのこなhttp://www3.hp-ez.com/hp/konaya3/page1    大麦の無農薬栽培ー製粉ー商品化ー販売などの一貫の動きも垂井健さんが主宰して既にスタートしている。

それに松本茂樹先生の『地域活性化の大学の授業』と絡めて推進しようという、ちょっと先進的な取り組みなのである。

   

  

その『広報』は神戸新聞の三木版編集長の大島光貴さんの『みきトレインFC』が絡んでくれるし、https://www.facebook.com/groups/1053687644641479/

さらにそれをNPO The Good Times の情報発信力でフォローしようというのである。

 

NPO The Good Times は今年で7周年を迎えることになり、まさに『異種、異質』な人たちが繋がる日本でも初めてのオモシロいプロジェクトになりそうなのである。

 

★理事会の議題は、今年度の総会に懸ける議題などだけだったので特に問題もなく承認されて、あとは集まったメンバーでの気の置けないトークで、夜の9時までいろいろと喋っていた。

 理事会は山本隆議長で、こんな感じで進行し、無事終了した。

 

 

 

     

    

 

  今回集まったメンバーたちである。

 

 

  NPO の理事会の議題ではなかったが、WGRA のこんなイベントの話でも盛り上がったのである。

 5月21日 今年は伊勢で開催されることになっている。

 

   

 

   

 

今年第1回の理事会も無事終わって、次回は5月29日の総会で今年度 NPO 7周年の方向が承認されることになる。

 

  

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昭和の日 雑感

2016-04-27 06:50:52 | 発想$感想

★ もう直ぐゴールデンウイークが始まる。

そのスタート4月29日が『昭和の日

私が子供の頃は、4大節と言われて、紀元節、明治節と並んで『天長節』と呼ばれていた。

 

  

 

昭和の時代は、昭和64年まで64年間続いた、日本では勿論、世界でも一番長い時代だそうである。

私自身が、昭和8年の生まれなので、生涯の大きな部分を昭和の時代とともに生きたという実感を有していて、『昭和』については特別の想いを持っているのである

 

● 昭和20年8月の終戦までの『戦前・戦中』時代                     

● 昭和20年代の『戦後の時代

● 昭和30年代 『もはや戦後ではない』で始まり東京オリンピックで締めくくった『成長期』           

● 昭和40年代は『躍進の時代

● 昭和50年代には『安定成長期

 

自分の年代で言うなら、終戦の年が12歳、中学1年だった。

食い盛りの10代後半は、戦後の食糧難の時代であった。

昭和32年に川崎航空機に入社し、昭和36年から会社としての新事業『単車事業』に関わったのである。

昭和の最後の年、昭和64年は私も52歳現役も最終段階の時期になっていた。

昭和の年代に学び、結婚し子供も生まれて、昭和とともに人生を歩んだという感じを強く持っている

 

子供の頃の昭和20年までは、満州事変(昭和6年)、支那事変(昭和12年)、第二次世界大戦(昭和12年)、大東亜戦争(昭和16年)と日本だけでなく世界中が『戦争の時代』だったと言っていい。

そんな時代とそれ以降の 平和な躍進・安定の時代を経験したし、いろんなものの進歩で『世の中は一変』したそんな時代が昭和だったのだろう。

昭和天皇が崩御されて、昭和の御代はは終わり『平成』となるのだが、

昭和の日』とはこんなことのようである

 

 

  

 天皇陛下は、今は平成天皇の時代なのだが、私とは同い年だし、どうしても『天皇陛下』と言うと『昭和天皇』を思い浮かべてしまうのである。

子どものころは、天皇陛下は『神の存在』であったし、あの玉音放送も炎天下の運動場で直立不動の姿勢で聞いたし、さらに戦後初めての神戸行幸の時は、宿舎がなくて今の神戸高校、当時の神戸一中の教室を改造されて泊まられたのである。

そして、中学2年生であったが、私たちのクラスは天覧授業の栄に浴し、天皇陛下はほんとにすぐ近くに立たれて授業参観をされたのである。

そんなこともあって、私にとっては『昭和の日・昭和天皇』には特別の想いもある。

戦後朝鮮からの引き揚げによる生活の一変など大変なこともあったが、沢山の経験ができたた『いい昭和時代』に生きられたことに感謝なのである。

 

 

★特に『昭和一桁』世代は、戦前を確りと『知っている』特別の世代で、『昭和二桁』になるとまさに『戦後派』でちょっと感じが違ってくるのである。

 

私より『2つ若い』昭和10年生まれの田崎雅元さん(元川重社長)がいつも言っていた。

昭和一桁は、早飯で、英語と女性に弱く、ダンスが出来ない』 確かにそんな傾向なのである。

食糧難の時代に育ったのでみんな食うのは早い。男女共学は、私は中学3年生からで、男女共学の経験のない女性と話すのも『苦手な』方もおられるのである。戦時中は英語教育はどうだったのか?戦後の何年間は教科書ももう一つ方向が決まってない時代で、授業は先生次第のようなところがあった。少なくとも中学校の頃は、歴史の授業はなかったと思う。多分教科書がまだ、整備されていなかったのだろう。

中学校や女学校が、昭和一桁世代は旧制中学で、二ケタになると新制中学入学なのである。

 

そんなこともあって、所謂『戦後派』と言われた昭和二桁世代とはちょっと違うのだが、

段々と昭和一桁は周囲にも少なくなって、寂しい想いもしている昨今なのである

 

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孫 古谷仁と過ごした1日

2016-04-26 06:23:32 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 昨日は1日、孫 古谷仁と一緒に過ごした。

突然やってきて、1日付き合って欲しいという。

何をするのかと思ったら、大学の卒論を書く材料を集めるのだという。

何のことかよく解らなかったが、空間というか広場の『ランドスケープデザイン』の研究とか、訳の分からぬことを言うのだが、要は『神戸のメリケンパーク』や『天王寺公園』、『千里のセルシー広場』の状況を調べるので、『そこまで車で連れて行って欲しい』ということなのである。

  

 

 

 メリケンパークでは、『広場』としての空間、段の高さなど尤もらしく調べたりしていた。

 

  

 

  私は、カワサキワールドもあるし、何度も来ているのだが、こんな石碑があるのも、初めて解ったし、

 

  

 

 ハーバーランドから見るメリケンパークの景色も再認識した。

 

  

 

  そのすぐ横の川崎重工には珍しく、潜水艦が2隻も泊まっていた。

   行く先々で、大学在学中ずっとはまっていたダンスを自分で動画に撮っていた。

  あとで彼なりに音楽も入れて編集するのだという。

 

 

★ メリケンパークから天王寺公園まで、約40分。 意外に近いなと思った。

ここは初めてで、動物園は日曜日で休みだったが、それでも大阪、流石にいっぱいの人だった。

 

 

    

 

  高いビルがあるなと思ったらそれが日本一の高いビル『あべのハルカス』だった。

 

    

 

 そのあとさらに北に移動して、『千里のセルシー広場』 ここは特に何もなかったが、聞いてみたら40周年も経っている旧い広場だという。

千里ニュータウンが出来たころからある広場だそうである。

 

    

 

★ 『広場』 確かにそこには人の集まる要素もあるし、集まった人たちが快適に過ごせるような配慮もいろいろある。

 階段の高さや、ベンチの高さなど、いろいろ測ったりしていたが、私自身は『広場』ももっと自然なほうがいいので、最後は三木の『三木山森林公園』に連れて行った。 この自然の広さには孫もななかな気に入ったようである。

 

昨日回った広場のあちこちで、その景観をバックに、踊ったりしているのだが、それをちょっとだけ動画に纏めてみた。

同じこの素材に音楽を別途入れて纏めるようだが、こんな1日だったのである。

 

   

 

 予定にはなかった『三木山森林公園』 その自然の豊かさが気に入ったようである。

 

  

 

     

 

 最後のダンスは「、広場ではないが もみじ谷のこ径で。

 

   

 

 

  どんな風に纏めるのか?

  それはそれとして、孫古谷仁と過ごした1日、 1万歩近く歩いたし、車は150キロ以上走行した。

  『いい1日だった』と思っている。

 

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健忘症 と 認知症

2016-04-25 08:26:59 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

 

★年々『物忘れ』がひどくなる。

『認知症』になっているのではないかと思うほどである。

そんなことで、ちょっと調べてみた。

この頃は、何でも検索で現れる。 検索すること自体が結構楽しいのである。

 

 『健忘症 と 認知症 』で検索すると、こんな風に現れた。

 

    

 これで見る限り、加齢による物忘れ であって 認知症ではない。

 

 

    

 

 こんなのもあって、まずは安心だが、それにしても名前が出てこない。

最近、さっぱり解らなくなってしまったのが、花や植物、 沢山育てている薔薇の名前。

殆どが、名前が出てこないので、最近は名前を、覚えようとしなくなってしまっている。

 

   

 

 

いまの時期、咲き出したこれは『ハーブ』の一種だが、花の名前は勿論解らないのだが、『ハーブ』を思いだすのに大変だったのである。

 

 

   

 

 

  これもそんなに珍しい花ではないのだが、名前が全然出てこない。

  そんな中で、 いつもちゃんと思い出す名の植物があったりする。

  そんなにポピュラーな 名前ではない。

  ご存じの方のほうが少ないだろう。

  『京鹿の子』

        5月になると庭のあちこちに咲く こんな花である。

 

   

 

  なぜか 忘れないから 不思議である。

 

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神戸ベンチャー研究会  雑感

2016-04-24 07:42:59 | 発想$感想

★ 昨日は今年度最初の神戸ベンチャー研究会だった。

 

  こんなスピーカーのこんなテーマの発表だった。

 

  

 

 活字から見ると何か固そうでオモシロくないと思われるかも知れないが、それぞれのスピーカーのお人柄もあって、なかなかオモシロかったのである。

 

まずは兵庫県の産業振興局の宮口新産業課長さんからスタートした。

 

  

 

 宮口さん、3月末までは洲本市に出向されていたこともあって、今の職場は新任課長さんなのだが、官僚らしくなくて非常によかったと云えば、おかしいのかも知れないが率直にそう思ったのである。

終了後の懇親会でも率直に話が出来てよかったと思っている。

 

 田中久義さんは、神戸ベンチャー研究会の世話人で、公認会計士の資格をお持ちだが、具体的にベンチャー支援に取り組んでおられて、現場を解ったうえでのお話だった。

 

  

 

 

3番目に話された、種田さんは30歳の若さで、ベンチャー企業も昨秋立ち上げたばかりで、そのテーマも

『神社やお寺仏閣とベンチャー企業を繋ぐ』という不思議なテーマだったが、なかなかオモシロかった。

懇親会では意気投合してNPO The Good Times の個人会員にもなって貰ったし、Facebook でもトモダチで繋がった。

『オートバイ神社』の話にも非常に関心をお持ちなので、吉田純一さんにもご紹介しようと思っている。

その話しぶりは『教祖』のような説得力があって、日本だけでなくアメリカでも勉強されたりしていて、世界を視野に入れている『広さ』がいいなと思った。

 

  

 

 そんな感じが少しだけお解り頂ける動画である。

 

 

 

★ 昨日は、この20日で『土林水庵』のお店のほうは辞めて、新しい形で文字通り『ベンチャー企業』として出発しようとしている『向山信吾』くんも、初めて参加していて、神戸ベンチャー研究会に大いに好感を持ったようである。

確かに、昨日の神戸ベンチャー研究会の雰囲気は、アメリカかの本場のシリコンバレーでいろんなことをおやりの Ted Tomonaga(友永哲夫)さんも飛び入り参加で、この方ともFacebook でトモダチになった。

  https://www.facebook.com/ted.tomonaga

このスピード感がいい。

 

今年度『神戸ベンチャー研究会』は、非常にいいスタートを切ったと言っていい。

 

 

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KMC50周年と浜脇洋二さんそして、カワサキ二輪事業

2016-04-23 05:22:07 | 私の生き方、考え方&意見

★一昨日の会合の議題である。

 

 

 その4番目の議題がKMC創業50周年記念行事、今年はKMC50周年なのである。

50年前とは旧い話だから、現役諸君ももう一つお分かりにならないだろう。カワサキの二輪事業はその5,6年前がスタートと言っていい。

その頃のことを話せる人は、どんどん減っていく。

 

  

 

戦後の空白があって川崎航空機工業、定期採用再開で入社されたトップグループの中のお二人浜脇洋二さんと大槻幸雄さん、多分昭和28年の入社だから、私よりは4年先輩なのである。

 

大企業の事業の歴史など、そこに関わった人たちはみんな一つの駒でしかないと云えばその通りなのだが、浜脇洋二、大槻幸雄のお二人がおられなかったら、カワサキの二輪事業は間違いなく異なる道を歩いたに違いないのである。

私が入社した昭和32年には、大槻さんは日本ジェットに出向中で確か34年ごろお帰りになったのだが、その時の大槻さんの机と椅子は、当時財産課にいた私が都合したのでよく覚えている。

浜さんは、本社企画におられたのだがその頃は本社企画は明石工場にいたので入社したころよく碁など打ったのだが覚えておられるだろうか?

浜脇さんが二輪に関係されたのは、本社企画としてブラジル市場アメリカの市場調査からどんどんハマりこんで、とうとうご自身でアメリカ進出を当時の川崎航空機のトップを動かして二輪事業に引きずり込んでいったのである。

 

そのスケールというか迫力は見事であった

そんな浜脇さんを後ろで支えたのは3社合併で社長になられた四本潔さんだった。未だ係長のころから常に会社トップを説得して新しい事業を立ち上げていったのである。

KMCは、今年50周年を迎えるのだが、その初代社長は当時の本部長岩城良三常務なのだが、実質社長は浜脇洋二さんであったことは周囲みんなが認めるところなのである。

KMCを立ち上げてから、販売会社であったにも拘わらず即座に社内に技術部門R&D を創ったり、さらにはネブラスカにホンダより5年も早くリンカーン工場を立ち上げたりしたし、ニューヨーク市場からの資金調達を目指すなど、そのスケールは、一サラリーマンとしてのレベルを遙かに超えていたのである

商品開発も二輪車だけでなくジェットスキースノーモ―ビルの開発・生産・販売を目指したりしたのだが、四本社長退陣後は、川崎重工内、特に本社部門でもいろいろあって、KMCを退陣し、その後川重のニューヨーク社長など務めるのだが、そんなサラリーマン然とした職種には飽き足らず、日本BMWの社長に転身されて、カワサキからは去られてしまうのである。

そんな浜脇さんだったが、KMC時代一緒に開発したZ1との関連で、大槻幸雄さんが会長を務めるゴルフのZ1会のメンバーとしてカワサキの連中とも繋がっているのである。

 

  

 

★私は大槻幸雄さんとはレースなどを通じて密接に繋がっていたのだが、浜脇洋二さんとは仕事上では全くと言っていいほど関係はなかったのだが、いろんなことはあるにせよ『浜脇洋二』さんは好きだったし、ある意味『憧れの人』だったのである。 

私がBMWを乗り継いでいるのも、浜脇さんが日本BMWの社長をされてからのことなのである。ちなみにそれまで乗っていた車は、ホンダアコードでカワサキでは、とかくいろいろ言われたりしたが『本田宗一郎』さんも私は『憧れの師』と仰ぐ方だと思っていたからである。

私が浜脇さんと何らかの関係が出来たのは、4年ほど前、Z40周年の記念行事をアメリカで当時のアメリカ人たちを集めてReunion(同窓会)を開いたのだが、その会合に大槻さんがぜひ出て来いと引っ張り出されてからである。浜脇さんからは『古谷はなぜ関係あるのか?』と言われたりしたのだが、大槻さんに引っ張って頂いて、浜脇さんとも何となく確りと繋がったのである。

日本の一般のサラリーマンの発想から言うと桁外れと言うか、枠が外れていて、今回のKMCの50周年も当時のアメリカ人を中心に浜脇さんを囲んでReunion を開催することになっている。

前回のZ1のReunion は、当時のKMCも協力してくれたのだが、主催はあくまでも浜脇・マセックなどの有志が主催だったのだが、今回は川崎重工としても公式にKMC50周年は開催する方向のようで、一緒に合同しての開催の方向で進んでいるのである。

昨日集まったメンバーの中でも百合草・野田くんたちはKMCの社長を務めた人だから、勿論招待枠に入るのだろうが、キヨさんや、メーちゃんもKMCには大いに寄与しているし、スタート時点では種さんも色濃く噛んでいるのである。そんな出席メンバーなどについての意見交換など、忌憚ない意見などが述べられたのである。

 

★浜脇洋二さん、若かりし頃、開発・生産・販売も、資金調達もアメリカでと、そんな壮大なシステムを考えられたのは、『二輪事業の展開は大企業のメーカー体質ではムツカシイ』と思われたに違いないのである。

二輪業界から『自動車殿堂入り』を果たされているのは

ホンダの 本田宗一郎さん

スズキの 鈴木修さん

ヤマハの 川上源一さん

カワサキからは誰も入っていなかったのだが、川崎重工業の職位で言うと部長格の浜脇洋二さんが選ばれているのである。 みなさんそれぞれ経営のプロである。

 

 

    

開発・生産もメーカーはプロが担当しているのだが、現在の『大企業・メーカ体質』では本来の事業展開にならないのは、『経営のプロ』が育たないからである。

健全な黒字経営を目指すだけなら、出来るのだろうが、自動車殿堂入りを果たすような人は普通では現れないのである。

二輪事業を本来の姿で展開するには、浜脇さんが描いたような大企業のメーカー体質からは脱皮した、少なくとも別会社方式で、日産のカルロス・ゴーンさんのような、プロの経営者が必要なのだろう。

今のままでは経営に一番大事な『本社機能』と『経営者』が育たない仕組みになってしまっているのだが、この枠を壊すのはなかなかムツカシイ。

 

昨日の年寄りの会合で、飛び出した話の一つは『川重はなぜ航空機を造らないのか?』大槻さんも、百合ちゃんも、『航空機』にあこがれて、川崎重工業ではなくて、『川崎航空機に入社』したのである。

そんな年寄りたちの話は、なかなか壮大ではあったが、もうその実現は難しい。

現役諸君の誰かが、浜脇洋二さんや大槻幸雄さん、百合草三佐雄さんのようなオモシロい発想を持ってほしいものである。

事業など、『トップ』独りでその方向は変わる と私は思っているのである。

 

 

  

 

 

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カワサキZの源流と軌跡

2016-04-22 06:23:03 | カワサキワールド

★昨日は、明石キャッスルホテルにこんなメンバーが集まった。

カワサキZの源流と軌跡』の執筆者たちである。

みんなカワサキの創世期を支えたメンバーたちと三栄書房の小林社長である。

 

 

 

 この本が発刊されたのは、Zの40周年を記念したものであったのだが、

カワサキの二輪事業がいまあるのは、アメリカ市場での成功があったからであることは間違いない。 世界の名車と言われるZの開発も、当時のKMCのアメリカ人たちと日本の技術部門等との協働があったからである。

今年はそのKMCの創立50周年に当たるのである。

集まったメンバーたちも当時は今より50年も若かったのだから一番年長者の浜脇洋二さんや大槻幸雄さんですら、当時は35、6歳だったのである。

 

 

★当時の川崎航空機自体が戦後の空白を経て、再開された若い企業であったからか、会社全体に自由に動ける雰囲気があったのだと思う。20代、30代の人たちが自らの判断で、結構大きなことを任されてやることが出来た、そんな環境がよかったなと思っている。

 

 

 

当時のトップは、若い人たちに自由に仕事を任せたところがあったし、若い連中もガムシャラに動いたところから『カワサキ独特』の自由なムードが生まれたのだと思う。

昨日も正午から3時まで、昔話も含めて途切れることのないトークが続いたのだが・・・

 

カワサキだけでなく、二輪業界自体が若かったのかも知れない

150社を超えるメーカーが林立した時代からほんの少ししか経っていない時代だった。

その中には三菱重工業も、富士重も、ト―ハツも、ブリジストンという大企業もいたのだが、何故かこんな大企業は、大企業ゆえの重たい動きで、ホンダ、スズキについていけなかったのである。

当時はヤマハとカワサキがどちらが先に止めるか? などとの噂が流れたりもしたのである。

そんな状況の中で、ヤマハはともかく、カワサキが残ったのにはそれなりの理由があるのだろうが、一言で云えば『大企業的な動きではないモノ』を当時のカワサキの二輪事業は持っていたと思うのである。

 

★昨日は、Zの車体を担当した富樫さんが、私のヨコにいた。

彼はメグロからカワサキにやってきたのだが、『カワサキに行っても多分何もさせて貰えないだろう』と思ってカワサキに来たという。ところがそんな雰囲気は『全然なかった』と言っていた。

当時のカワサキの技術屋さんは大槻さんにしても、百合草さんもエンジン屋で車体など何にも解っていなかったのである。もっと極端に云えば、オートバイが解っていなかったのかも知れない。

そんな当時のカワサキを援けてくれたのはメグロの技術屋さんであったり、KMCのオートバイに詳しいアメリカ人だったのだと思う。

その人たちがみんな若かったのである。

カワサキだけでなく、ホンダもスズキもヤマハも、みんな若かったのだと思う。

 

昨今、二輪業界もカワサキも、そんな雰囲気、オモシロさに欠けていると思うのだが、それはまともな大企業体質に近づいているのかも知れない

昨日集まった人たちは、50年経った今もなかなか若々しいのである。そんな体質が身についていると言っていい。

 

 

3時間、途切れることなく続いた会話の中の、ほんの2分ほど、一番大人しかった会話の部分かも知れない。

それでも、何となくいい雰囲気なのである

このブログのカテゴリーは『カワサキワールド』 カワサキの世界、それは独特のものを持っていると思っているのである。

 

 

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三木の里山開拓プロジェクト 第2回

2016-04-21 06:48:59 | 発想$感想

★昨日は、『三木の里山開拓プロジェクト』の第2回目だった。

 

 

 

 

 こんな耕作放棄地と言っていい結構大きな面積を借り上げて、そこを農業の素人集団が再開拓を試みようとしているのである。

竹藪なども綺麗に整備しようというのである。

枯れた松の木のさらに上にも1枚の田んぼがあるらしい。

いま、綺麗に見えているところは、第1回目に刈ったところで、昨日のうちに松の木のところまでは整備できたはずである。

 

参加の方がFacebook にアップされた写真のご紹介

 

   

 

    

 

 お二人は、2回ともご参加である。

 

 

★お昼は『水曜マルシェ』でうどんや、オオムギのお好み焼きや、焼きそばを楽しんだのである。

集まった人たちが、三木の方だけではなくて、西宮高砂東京の方もおられたのはビックリだった。

このプロジェクトの主宰者の垂井健さんが、Facebook のイベント欄で呼びかけただけでこんなに集まったのである。

所謂、ボランテイア とはちょっと違った感じで、『自分がやりたいから』というのが一番先にあるように思う。

 

私は、垂井健さんが、

● 『オオムギのこな』のためのオオムギの栽培でお世話になってる三木の戸田地区の活性化

● 補助金などは一切申請せずに、『独自の方法』で

● 何年掛かっても、自分一人でも、『やってみる

というコンセプトに共感して、特に何にも出来ないが、広報面ぐらいならお手伝いできるかなと思っているのである。

ベースにある『オオムギのこな』のプロジェクトも、健康食品だし、なかなかほかの地域では出来ない『差別化されたプロジェクト』であることも魅力なのである。

冬に種を蒔いた『オオムギ』は、8月には間違いなく収穫されるし、ひょっとしたら今年の『田植えの時期』までに幾つかの荒れ地が整備されて、田植えが出来るかも知れないのである。

 

 

★昨日のあさの作業と、お昼の水曜マルシェ の動画である。

参加されてる方が、こころから『幸せでーす』と言っておられるのが、印象的です。

 

 

午後からは参加しなかったが

次回は1回、2回ともウイークデイの作業だったので参加できない方もいたので、ゴールデンウイークの最後5月8日の日曜日にやるらしい。

 

その時は、枯れた松を伐採する計画だそうである。

 

今まで参加できなかった方、是非ご参加ください。

 

 

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忙しいことはいいことか?

2016-04-19 13:27:59 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 季節は最高にいいゴールデンウイーク前の4月後半、退職後の83歳の年寄りのくせに今日からの週末、結構予定が詰まって忙しい

何もすることがないよりは『忙しい』のはいいことかも知れない。

 

● 4月20日 水曜日

 

 

 まずは朝9時から三木の戸田地区の耕作放棄地の整備である。

垂井健さんがFacebook で案内したら今回も20名は集まるのだろう。ウイークデイなのに、いつもながら『ちょっと不思議』に思ってしまう。

午後は『水曜マルシェ』 垂井さん、わざわざ水曜日にしたのは、昼飯は水曜マルシェの土林水庵の饂飩でという計画なのである。今日の水曜マルシェは賑やかになりそうである。

 

 

 

 4月21日 木曜日

 

 

 もう何年か前、Zの40周年記念にこんな本が発刊されているのだが、その中心になられた浜脇洋二さんや大槻幸雄さんなどと一緒に執筆した仲間たちの会合が明石のキャッスルホテルである。

幹事の野田さんからの案内には、本の印税で会費を賄うから無料とある。Zの開発など全く関係はなかったのだが、販売させて頂いた私や野田さんも仲間に入れて頂いて、アメリカと日本のマーケットの状況を紹介させて頂いたことでお招き頂いているのである。

 

 

  

 

 

● 4月22日 金曜日

 これは、予定といえば予定だが、このところ月、水、金と週3日、三木市民プールに泳ぎに行くことにしている。水曜日は午前中予定が入って行けなかったが、金曜日は是非行きたいと思っている。

 

 

 4月23日  土曜日

 

   

  

この日は、毎月第3土曜日に開催されている『神戸ベンチャー研究会』で殆ど毎月出席している。主宰者は関西国際大学の松本茂樹先生で、松本先生も今年からNPO The Good Times の理事をお願いしていろんなところで協働する仲間のお一人なのである。

今年は関西国際大学の学生さんとの協働で『地域活性化』に取り組むが、冒頭の垂井健さんの『オオムギの栽培や商品化』も、殿界寿子さんの『三木緑が丘サンロードを愛する人のカイ!』も大学の授業の一環として取り上げられ、5月からいよいよスタートなのである。

そんなこともあって、殿界寿子さんと一緒に参加なのである。

 

 

● 4月24日  日曜日

 

  

 

 カワサキワールドで開催される『ミニ鉄道フェスタ』 もう何回目になるのだろう。

すっかり今では定着したが、このイベントの発起人は 福井昇君と私なのである。そして、この場所を借りるために神戸市と繋いでくれたのは、元川重社長でカワサキワールド産みの親、田崎雅元さんである。

 

そんなこともあって、カワサキワールドからは毎年招待券を送って下さるのである。

今年は鉄道マニアの周囲の人たちが行かれるというので、私も鉄道マニアの一人殿界さんと一緒に参加することにした。

 

こんなに予定が詰まるのも珍しいのだが、『忙しいのは張りがあっていいこと』かも知れない。

 

 

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三木緑が丘の土林水庵 明日閉店

2016-04-19 06:21:49 | 発想$感想

 

★三木緑が丘のうどん屋さん 『土水林庵』が 今週20日で閉店するという。

 

  

 

 店主 向山信吾くんの『拘りの饂飩』で常連客の人気を集めていたのだが、今後はちょっと変わった形での新しい形の『うどん屋』にチャレンジするらしい。

 

この1年、いろんな形で動いて、仲間たちが情報発信した成果で、『土林水庵』と画像検索するとこんな写真がずらりと並ぶのである。

 

 

 

 

 

い先日は、こんな からくり人形の話題で、テレビにも結構長く紹介されたりもした。

 

  

 

 どんな関係があるのかなと思ったら、同級生の作家がこの店の開店祝いにこの『からくり人形』を贈ったそうである

 

もうあと2日しかないので、昨日の昼は家内と店を訪ねた。

こんな感じだった。顔見知りの常連客がいた。

 

 

   

 

 

 

 こんな拘りの釜で茹でた こんなうどんを食させて頂いた。

 

  

 

  

冷たいうどんのほうから選んだのである。

 

  

 

 

店にはこんな張り紙があった。

 

   

 

 

今後は、特に『うどん』そのモノに拘った展開になるとか・・・

 

   

 

    

 

 

 ★明日20日が最後だが、店の営業は夜だけで、昼は恒例の『水曜マルシェ』に店を出す。

水曜マルシェ』には、今後もずっと出店するそうなので、『土林水庵の饂飩』が食べたい方は、水曜日に緑が丘のさんさん広場に来られたら、大丈夫のようである。

 

 好漢 向山信吾くんの今後に期待したいと思っている。

 

 

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オスプレイ 熊本地震救援

2016-04-18 21:11:38 | 発想$感想

 

★『オスプレイが熊本地震への救援』という各社の記事の内容をチェックしてみた。

各社それぞれニューアンスに微妙な違いがあってオモシロい。

 

 

毎日新聞は さらーっと流した感じ。事実だけを紹介している。

 

 

 

 

 

読売新聞は 客観的に捉えていて、これは普通かなと思う。

 

 

 

 

朝日新聞は いやいや記事にした感じ。 過去の事故のことなど今更なぜ書くのか?

 

 

 

 

 

● 産経新聞はは好意的に、オスプレイの能力の高さなど産経新聞の記事を紹介している。

 

 

 

★ 従来の各紙のオスプレイに対する対応態度などもあるのだろうが、今回は災害救助対策で明らかにそのスピードも、飛行距離も、搭載量でも役に立っているのだから。アメリカ空軍に対する感謝の気持ちを素直に出すべきかなと思った。

 

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