雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

健康体であるということ

2024-01-31 05:53:38 | 発想$感想

フレイルとは 健康な状態要介護状態の中間に位置し、
身体的機能や認知機能の低下が見られる状態のことを指すのだというから、
人間いつかはそんな状態になるのかも知れぬが、
 極力「要介護状態」にはならずに生涯を終えたいなと思っている。

フレイルの基準としては
 1.体重減少
 2.疲れやすい;何をするのも面倒だと週に3,4日以上感じる
 3.歩行速度の低下
 4.握力の低下
 5.身体活動量の低下  などとあるが、
 
 体重は85kgまで増えたので今は減らそうと努力している。
 別に疲れやすいとも思わないし、歩行速度も握力もそんなに落ちたとは思わない。

  

 
 身体活動量の低下とあるが、 
 最近は毎日1万歩以上を目指しているので、
 今年になってからむしろ上がって、1日の平均歩数が9602歩となっているが、これを何とか1万歩にすべく頑張っている。
 この10日間だけでいうと間違いなく1万歩を越えている。

 
 


 ★昨日は久しぶりに主治医のところに健康診断に行ってきた。
 先週、血液検査をやったので、その結果を聞きに行ってきたのである。

 幾つかの項目は左右にずれているが、
 概ね真ん中のフェアウエイにあって、
 先生からも『大丈夫』と言う診断を頂いた。


 
  


★ 日本人の平均寿命の推移をみるとどんどん伸びて、
 2040年には女性は89,63歳となるとあるが、
 この3月には91歳になるので、既にそれを越えている。
 こんなに長く生きれたのは、本当に不思議なのだが、
 いろんなことはあるのだろうが、DNAなのかなと思っている。

  



 祖母は102歳、母は104歳まで生きて、
 それも殆ど要介護の時期はなかったから、そんなDNAを受け継いでいるのだと思う。
 逆に父も伯父50歳代に亡くなったから、本当にこんなに長く生きるとは思わなかったのである。
 いまのところ特に悪いところはないのだが、
 敢えて言えば、右膝がちょっと違和感があるのと、が聞こえ難くなったぐらいなのだが、耳は急にこの1年で聞こえ難くなったので、
 どこかほかでも急に弱るかも知れないと思っている。

 兎に角、今の状態を何とか続けたいと思って、
 自分なりには頑張っている。
 このブログが書けるうちは大丈夫かなと思うのだが・・・・
 
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私の二つの日記

2024-01-30 06:28:58 | 私の生き方、考え方&意見

★私は毎日二つの日記を書いている。
 昨今は殆ど毎日が同じことの繰り返しで、
 所謂日記の内容は毎日同じようなことが繰り返し書かれている。

 かってはこのように一般の普通の日記帳を使っていたのだが、

 

 
  昨今はあまり書くことも少ないのでこんな小さな5年連続日記帳を使っている。


    



 最初に日記を書きだしたのは大学2年の20歳の頃だから、
 もう70年も続いていて、書き出した理由が『蒋介石が30年も日記を書いている』と言うことだったから、もう完全にその期間を越えている。
 昨今は昔のこともよく忘れてしまったいるので、
 日記を読み返すことも多いのだが、いろんなことが想い出されて重宝している。
 人間の記憶などそんなに頼りにはできないなと思うのは、
 旧い日記を読み返してみると『そんなこともあったのか?』と思うからである。
 
★ もう一つ『雑感日記』というブログの日記がある。
 70歳を超えてからパソコンをやりだして何となく始めた雑感日記だが、
 スタートが2006年9月だから、これももう20年近くになる。
 最近はしなければならないことなど無くなってしまったので、
 この二つの日記を書くことの比重が1日の中でも増えてきた感じなのである。

 その名の通り、いろんな感想など綴っていしてるのだが、
 こちらの方はFacebookにも毎日転写してるので多くの方と繋がって、
 沢山の『いいね』など頂けるので、世の中と繋がっている感じになっている。

  




 どちらの日記も、果たして何歳まで続くのだろうと思ったりする昨今なのである。

 
  

 
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大阪国際女子マラソン、前田穂南・日本新記録で優勝

2024-01-29 05:30:29 | 発想$感想

★大阪国際女子マラソンを観ていた。
 ペースメーカーの走りが速くて、場内を出る時には既にトップグループと2位集団が離れているというスタートだった。
 
「日本陸連の設定タイム2時間21分41秒を突破した最速選手が、パリ五輪代表の残り1枠に選ばれる」とあってペースが速かったのかも知れない。
ペースメーカーには自己ベスト2時間19分24秒を持つ新谷仁美も入っていて、
勿論TOP集団を引っ張っているのだが、このまま走ってTOPになったらどうなるのか?
と気になって途中でネットで調べてみたりした。

 それほどTOP集団は速くて、それは5人ほどで構成され、2位集団のTOPが6位という状況だったので、余計に気になったのである。

  

  
 この写真の右に写っている前田穂南2時間18分59秒という日本新記録で優勝したので、
 パリのオリンピックの最後の1枠に入るのだろう。


 



 前田穂南さん優勝おめでとう
 さらに精進努力して、世界の舞台で活躍されることを期待したい。
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私の日記から 昭和58年(1983)~昭和60年(1985)

2024-01-28 05:49:09 | 自分史

★ この3年間は大庭浩本部長時代である。

 昭和58年年7月1日付で、
 再建屋と呼ばれていた大庭浩常務単車事業本部長として乗り込んでこられたのである。
 この3年間、私は大庭さんの番頭役としての職務を果たしたのである。

 大庭さんに対する周囲の評価は『めちゃめちゃ怖い』と言うのが一般的だったのだが、
 確かにそんな面もお持ちではあったが、大庭さんの3年間の単車本部長時代に私は一度も怒られたことはなく、絶大の信頼を得ていたのである。
 
★ 7月1日に来られるなり指示があったのは、
 「単車事業本部の意志決定と報告のシステムを図示説明せよ」というもので、
 それに対しての回答がこの1枚にこのように纏めて、
 
 


単車事業本部(概要説明)をこのような8項目に纏めて、ご説明したのである。




大庭さんとの初めてのこの3時間で『大庭さんの信頼』をまず得られたと思う。
 
★ 確かに事業業績は悪かったのだが、世界に独自の事業展開をしている海外事業を視察されたりしたのだが、
 恐い』と定評のある大庭さんに対しても、ズケズケ自分の意見を言う単車の風土を気に入られた節があって、
9月には『単車は意外に確りしている』との評価を頂いたりするのである。
 当時の単車事業本部はアメリカのKMCが毎年100億円を超える赤字で、そんな対策から川崎重工業本体も無配となる大変な時期だったのだが、
 前年10月からの半年間の対策で、先ず海外販社の赤字は止まり、事業本部の赤字も何とか目途が立つた、そんな時期に大庭本部長は来られたのである。
 そう言う意味では『いいツキ』を持っておられたなと思っている。

★私自身は当との時の山田副社長から『KMCの赤字は止まると思う』との質問に対して『直ぐ止まります』と答えたものだから、
それならお前が企画をや』と国内販社から川企画に連れ戻されたのだが、
それから半年の対策で海外販社の赤字は既に止まっていたのである。
 私は当時まだ新任部長だったのだが、山田副社長とはずっと以前の若いころのレースで関係があったし、もうお一人の大西副社長とは国内販社再建で密接な関係で、お二人の副社長に絶大な信頼があったのである。
 大庭本部長はそんなお二人の副社長推薦で単車に来られることになったのだが、大西副社長からは『大庭君をよろしく頼むな』とのお言葉も頂いたりしていたのである。

★当時の私の直接の上司は高橋鐵郎さんで、一番問題であったアメリカのKMCは田崎雅元さんが社長をしていたのだが、
大庭本部長の番頭役を私が担当し、高橋・古谷・田崎のトリオで大庭体制を支えたと言っていい。 

 当時の写真もいろいろあるのだが、
 これらはみんな田崎さんが私に送ってくれたものである。
 これは山田・高橋・田崎さんだし、


  

  こちらは大庭さんを囲んでの3人である。


   


★この大庭本部長時代の一番大きな出来事はアメリカのKMCの新社屋建設かも知れない。
 KMCはこの時期サンタアナに本社があったのだが、手狭だったので技術関連は別社屋などあちこちに分散していたのである。
 この本社の土地・建物を売却したら、隣町のアーヴァインに広大な土地が買えたので、そこに本社を移し、分散していた技術関連なども統合したのである。
 このプロジェクトはまだKMCに累損も残っていたので、時期尚早と反対論もあったのだが、これが実現したのは当時の大西副社長の推薦があったからで、
この写真が、大西副社長にその候補地をお見せした時の写真なのである。


  
 




★ 大庭浩本部長は3年間事業本部長を務められたのだが、
 再建なって川重専務で本社に戻られ、その後、川重社長を務められたのである。 
 単車での3年間で、単車事業の本質もご理解になり、
 単車事業のある意味真のファンになられたと言ってもいい。
 川崎重工業の中で単車事業がその中枢の事業として認められるようになったのは、
 大庭本部長が川重本社に戻られてからだと言ってもいい。
 
  

    

  
それ以降、当時単車事業本部の企画室長をされていた高橋鐵郎さんは、川重副社長になられたし、
KMC社長だった田崎さんは、川崎重工業社長になられるのである。
私自身のことでいえば、私の川重での最終職位は技監なのである。
技監とは役員待遇であるのだが、技術屋さんの博士号などをお持ちの方などの専門職位だったのだが、私が初めての事務屋の技監なのである。
大庭さん曰く『お前は専門のマーケッテング分野では技監に値する』と言って頂いたのである。
 そう言う意味で、私は大満足の技なのである。  


    

  
 カワサキの単車事業にとって、
 この大庭本部長時代の3年間は、非常に大きな意味を持つ3年間だったと言っていい。

 
  

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ファン心理  雑感

2024-01-27 06:42:06 | 発想$感想

★世の中には熱烈なファンもいる。
 私自身は熱烈なファンにはなれないが、
 野球やサッカーのスポーツ界でも、政界などにも何となく好感の持てる人たちはいる。
 こんなのを『ファン心理』と言うのだと思うのだが、
 なぜ『好感』を持つのかその理由は自分でもよく解らない。
 『何となく好感を持っている』のだと思っている。

★いま大相撲だが、大相撲の力士に対して、
 特に密接な関係などはないのだが、何となくだが
 ● 好きな力士
 ● 何となく好感の持てる力士
 ● 特に好き嫌いを感じない
 ● 何となく好きになれない力士
 ぐらいに分類されるのではないかと思う。

 『好きな力士』と言える力士では
 照ノ富士     これは相撲の取り口が横綱らしい

    


 朝乃山      一度下まで落ちて上がってきた


  


何となく好感の持てる力士』では
 貴景勝・宇良・阿炎・大の里などがいるのだが、
 理由はと言われると
 貴景は兵庫県出身だとか、宇良は息子と同じ関学だとかと言う理由だし、
 阿炎は四股が綺麗、


  
  
 
 大の里は相撲の取り口もいいが、今の髪型が髷も結えずに初々しい

 
   

 
  など他愛もない理由なのである。
  殆どの力士に特に好き嫌いを感じたりはしないが、
  一番一番どちらかが勝てばいいと思うから不思議である。

  『何となく好きになれない力士』もいるにはいるのだが、
  その理由はと言われると、自分でもよく解らない。

  今場所は、久しぶりに復帰の照ノ富士に優勝して欲しいのだが、
  果たしてどんな結果になるのだろう。

 
★いずれにしても大相撲を生で観たのは、もうずっと昔のことで3回ほどで、
 家でテレビを観ているだけなのだが、
 何となく『ファン心理』みたいなものがあるから不思議である。


  
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人生90歳代をどう生きるか?  2

2024-01-26 06:40:56 | 私の生き方、考え方&意見

★同じような日課が続く毎日なのだが、
 朝食後、毎朝の公園での散歩が1日のスタートになっている。
 70歳の後半位から続いているからもう10年以上になる。
 
 これが大晦日から今朝までの記録だが、
 28日間の平均が8741歩となっている。
 このところ10日間ほどは毎日『1万歩』は歩けている。
 兎に角、1万歩になるまで歩いているという方が当たっている。
 大体、1時間半、距離にすると7,5kmほどになる。
 歩くと言ってるが、普通に歩くのではなくてスロージョッギングしている。
 ゆっくり走っているのだが、そのスピードは歩くよりは遅いぐらいである。
 歩くよりは消費カロリーは多いのだろう、この寒さでも汗をかく。
 普通のランニングと違って『息が上がらない』のがいい。


 
 

  
 
 『人生90歳代をどう生きるか?
 この朝のスロージョッギングが果たして何歳まで出来るのだろう?
 いまの自分の感じでは『あと5年』は生きてる限り大丈夫だと思う。
 10年前の80歳の頃と比べて全然変わらないので、
 今後5年ぐらいなら大丈夫のような気がするのである。


★ 1万歩を続けて歩いているのではなくて、10回ぐらい休んでいる。
 時間はほんの1分程度だが、ちょっとベンチに腰を下ろすと安心する。
 大体、1000歩ごとに休んでいる感じである。
 毎朝のように行っている三木総防災公園は広大だから同じコースを歩かなくても、1万歩は大丈夫である。
 普通の公園だったら何回かの周回は避けられない。

 こんな神戸の丹生山が望める中央の駐車場に今朝は車を止めたのだが、
 あちこち歩いて戻ってきたら、6800歩ほどだった。
 
 
 
 
 あと3000歩を写真を撮りながら、歩いてきた。
 3000歩とはこんな感じになるから、結構な距離ではある。

 ここからスタートした。

 
 
  
 
この写真の右側が陸上競技場なのだが、その方向に向かってスタート。

この先を突き当たって左に曲がる。
この先までで1000歩には少し足りない。

 


  突き当りを左に曲がるとこんな景観になる。
  下って行ったそのずっと先に休憩所があるので、
  そこまで行くと1500歩ほど。
  3000歩の半分になるのでそこから戻ってくる感じになる。





 その休憩所はこんな陸上競技場の端で、
 そこから撮った写真なのだが、
 この競技場の右側を周って戻って行く。






 そして、車が止まっている手前の登り道まで来た。
 この登りだけで約500歩ほどである。





 3000歩とは結構な距離だというのが、お判りいただけたと思うが、
 1万歩はこの3倍ちょっと歩かないと届かないのである。

★ こんな毎朝の散歩だが、公園には散歩やジョッギングをされている人も多く、
 高齢者のご夫婦などもおられるが、90歳は間違いなく最高齢だと思っている。
 見かけは私よりお歳を召しているヨチヨチ歩きの高齢者の方もおられるが、
 私は多分『ヨチヨチ歩き』になったら散歩は止めるだろう。
 
 私の散歩の目的は足の筋肉を保つというか、つけることである。
 そのために50メートルほどのダッシュを遣ったりするが、
 結構スムースに走れる。
 こんな「毎朝の散歩でスタートする90歳代」を続けたいなと思っている。

  
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今年一番の寒気到来

2024-01-25 06:48:59 | 発想$感想

★今年は暖冬だったのに一転、今年一番の寒気がやって来た。
 昨日(24日)はこの辺りでもマイナス2度ほどだったし、
 三木総合防災公園でのスロージョッギングも流石に寒かった。

 
 北陸辺りでは大雪のようだし、
 能登半島地震のあった被災地は大変だと思う。

 


 これからが雪のピークのようで、
 近畿地方でもほとんどの地域で雪が降るようだが、
 この三木辺りはどうなるのだろうか。
 降るか降らないか、ギリギリのようなことになっている。

 


★25日が一番ひどいようだから、
 果たして、どんなことになるのか?

  朝6時、気温は低いがこの辺りは雪は降っていない。
 心配したが何とか大丈夫なようである。
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ニュースで流れるがよく解らないこと

2024-01-24 05:41:18 | 発想$感想

★このところ毎日のようにニュースで流れるが、本当のところよく解らない問題がある。
 一つは自民党の派閥問題
 もう一つはパレスチナ問題である。

★ 政治自体がもう一つよく解っていないのだが、
 その中にいろんな政党があって、
 一番多数の議員を占めているのが『自民党』なのだが、
 その自民党の中に幾つもの『派閥』がある。


 


  政治評論家なるものが解説をしているが、
  それを読んでももう一つよく解らない。

  カネの問題、それも億単位のカネの問題から発生したのだが、
  なぜ、同じ党の中にいろんな派閥があるのだろう?
  考え方が違うのなら、同じ党にいること自体がおかしいし、
  今回問題になった、安倍派、二階派、岸田派は解散するという。
  派閥に問題があるのかと思ったら
  麻生派などはそのまま残るのだという。
  どう考えてもスッキリしない。

  自民党の政治家自体がよく解っていないのかも知れない。


★もう一つは『パレスチナ問題』である。
 今回の問題が発生して、その地理と言うかどこにあるのかということなど、何となく解ったが、
 国の形を見ても複雑極まりない。



 



 国がこのように分かれているのは、かっての歴史の産物のようで、
 イスラエル・パレスチナ間の対立は、民族、宗教、政治、経済など、色々な要因が絡み合った複雑な問題なのである。
 19世紀末、国家を持たなかったユダヤ人が、世界各地で起こった迫害から逃れ、イスラエルの地(パレスチナ)に祖国を作りたいという運動を起こし、イスラエルが独立を宣言。
 これに対して周辺のアラブ諸国が強く反発し、第一次中東戦争が起こったという。

 確かに戦時中だったか、ドイツで起こった『ユダヤ人迫害』は覚えている。
 もともとは『ユダヤ教の信者の集まり』だったのが、国を持つようになったので、それが紛争に繋がるのは解らぬではない。
 いまは戦争になっているが、どちらが勝っても根本的な問題の解決にはならないだろうから、この問題の解決はないのかも知れない。
 

  


  こんな解説記事もあるが、
  解ること自体がムツカシイのかも知れない。

  世の中にはムツカシイ問題がいっぱいあるものだ。











   
 
 

  

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人生90歳代をどう生きるか?  1

2024-01-23 06:47:58 | 私の生き方、考え方&意見

人生100年の時代だという。
 昨年3月に90歳になったのだが、
 この1年振り返ってみて、あまり以前と変わりのない生き方をしてきたのか?
 或いは、90代になると流石に変わったのか?
 70歳代や80歳代とあまり変わっていないのでは?
 と思ったりする。

 大村崑ちゃんが『90歳、今が一番健康です』という本を出してるが、
 何となくそれに近いのである。



  


 
★ 石原慎太郎・石原裕次郎兄は、私の1年上と1年下で、大学時代に彼らは世に出たので、何となく身近な存在だったのだが、
  裕次郎は突然亡くなってしまったし、
  慎太郎さんも89歳で亡くなられたとは、実は知らなかったのである。


  


 何となく身近な存在と書いたのは
 大学の野球部の先輩の住所が当時まだ有名にはなっていなかった石原慎太郎宅だったので、
 それが突然有名になったので、そんなに感じたのである。
 その野球部の先輩は、私の明石高校の先輩でもあったので特にそう思ったのかも知れない。
 兎に角、私はあの有名な『石原兄弟と同じ年代』なのである。


★ 大村崑さんは、若いころ肺結核で死にかけている。
私も若いころ肺結核をやって、長くは生きられないと思ったのだが、
彼は神戸市の出身だし、筋トレなどもするようで、何となく身近に感じたりしている。

今が一番健康だ』と言われているから、100歳までは生きられるのでは?
 人生、誰でもいつかは亡くなってしまうのだが、
 『長生きする』かどうかは、その人が持っている運命のような気もする。
 私も、実は今のところ悪いところは全くないし、
 90歳だが80歳の頃と殆ど変わっていないような気もする。
  
 だが、90歳代であることは間違いないので、
 『人生90歳代をどう生きるか』と考えてみてもいいのかな?
 と思ったりして、こんなテーマ自分自身に与えてみた
  
 これが今年の正月、孫・門野真也とのツーショットである。

   



 自分で言うのもおかしいが、90歳には見えないと思う。
 サッカーのボールもそんなにおかしくないレベルで蹴れたりする。

 そんなことなので、『90歳代をどう生きるか?
 今年から時々、このテーマで考えてみたいと思っている。
 
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駅伝と大相撲

2024-01-22 06:24:28 | 発想$感想

★昨日の日曜日の午後は駅伝と大相撲を観ていた。
 駅伝も大相撲も、日本独特で世界にはない。
 考えてみると日本ほどスポーツの種類が多い国は世界でも珍しいのではなかろうか?

 相撲が世界にないのは解らぬではないが、
 日本でこれほど人気の駅伝が世界で普及しないのは何故かなと思ったりする。
 箱根駅伝などはテレビ中継の視聴率は往路復路ともに30%超えたという。
 沿道では100万人ともいわれる観衆がランナーに声援を送った。

  
  
  

  
 「柔道」「空手」「競輪」などの日本発祥競技が世界へ広がり、
 五輪種目にもなっているのと比べると「不思議」と言わざるをえない。
 一昨年あたりから中国の大学で箱根駅伝の「コピー」が始まったとか。
 韓国も駅伝自体はあるがかなりマイナーだという。

 日本で駅伝が誕生したのは今から100年以上前のことで、
 駅伝という名称は、古代日本で使者と馬が中継所をつないで中央の文書を送り届けた「駅制」が由来だとか。

 昨日の都道府県対抗駅伝は長野県が大会新記録で三連覇した。
 この大会は中学・高校・大学・一般のそれぞれのメンバーが走るので、
 選手育成の効果もあるだろう。
 兵庫県も頑張ったが、もう一息だった。
  

  


★ そんな男子駅伝で、地震のこともあって応援だけはすごかったが、
1区からずっと最下位だったのが石川県だったのだが、
 大相撲の世界では、特に石川・富山県からは出身力士がいっぱいなのである。

 いま売り出しの大の里が石川県だし、

 
 

 
  優勝争いのトップを走っている朝乃山は富山県出身である。
  
 走るのはダメだが、相撲は人気力士の遠藤もいるし、
 北陸3県は大したものである。
 朝乃山も大の里もこれからの大相撲を背負っていくだろう。

 そんなことを想いながら大相撲を観ていた。



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私の日記から 昭和57年(1982)

2024-01-21 06:03:35 | 自分史

★昭和57年(1982)は私は49歳、40歳代の最後の年である。
 会社では二輪の国内担当だったが、カワサキの二輪事業は危機的な時期だったと言っていい。
 前回にも述べたが、特にアメリカのKMCが大変で、毎期100億円もの赤字が続いていて、
 川崎重工業本社の財務事業本部もその対策に300億円単位の資金対策などやっていたのだが、
 なかなかその効果が上がらないのである。
 川崎重工業にとっての二輪事業は全く新しい分野でTOPの方たちを含め、その経営経験がないものだから、どうすればいいのか具体策が出てこない、そんな状況が続いていたのである。

 私自身は、二輪事業スタートの時期に東北の販売会社を横からだが観てきたし、
 その後近畿地区での第1線を経験して、当時の川重籍の中では唯一第一線の販社経験者でもあったのである。
 そして、当時担当していた国内販社カワサキオートバイ販売は、唯一黒字経営で、過去にあった10億近い累積赤字も消去して、本社筋からの信頼も厚かったそんな時期だった。

★ この年の7月1日に、単車再建委員長になられた山田副社長から呼び出しがあって、
 アメリカのKMCの赤字経営は止まると思うか?と仰るので、
 『それは直ぐ止まると思います』とお答えしたのだが、
 『それなら、お前が企画戻って旗を振れ』と仰って、
 私はこの年の10月1日付で単車事業部企画部長として、復帰することになるのである。
 その時私が山田副社長にお願いした条件はただ一つ、
 『アメリカに行かれている高橋鐵郎さんを企画室長で戻して欲しい』とお願いをしたのである。
 それは、アメリカをはじめ世界の販社の経営再建の具体策は創れるとは、思うのだが、それを全軍に指揮命令するのは、新米部長としては荷が重すぎて、
 高橋鐵郎さんの力が必要だと思ったのである。
 
 当時、高橋さんはアメリカKMCの会長として、田崎雅元社長の後ろ盾として出向されていたのだが、
 山田さんは『KMCを田崎だけでできるか?』と仰るので、
 「私は田崎さんよりは1年先輩だけですから、
 若し田崎さんがKMCの経営をできないのなら、
 単車事業全体旗振りなどとてもできません』と言って
 強引に高橋鐵郎さんに戻って頂いたのである。

 この人事は川崎重工業のその後の経営に大きく影響したと思うのである。
 これたら約2年の間にアメリカのKMCも立ち直ったし、世界の販社はすべて黒字になって、
 そんな功績から高橋鐵郎さんの取締役も実現して、副社長にもなられたし、
 田崎さんもその後いろいろあったが、川重社長にもなられたのである。


    


 そんなご縁から、高橋鐵郎さんとはそれ以降、
 退職するまでずっとコンビのような形が続いて、
 現役時代一番お世話になった上司なのである。


★この年は長男・古谷大治が関学に入学した年でもある。
 1回生の時からサッカー部のレギュラーで出場したので、
息子のサッカーに入れ込んだ何年間かが始まった1年目になった。
 会社も含めていい年の始まりだった1年だと言っていい。
 
 
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今年は蜜柑がいっぱいなった

2024-01-20 07:47:04 | 発想$感想

蜜柑の樹を植えてからもう10年以上にもなるのだが、
 この冬は蜜柑がいっぱい成った。
 みかんは隔年などとよく言われるがホントにそうである。
 昨年は1個しか成らなかったのに昨年秋からこの冬にかけてこんなにいっぱいの実を付けた。

 これが昨年の秋口、


  


  冬にはこんなに大きくなった。

   


  12月からお陰様でいっぱい蜜柑を頂いたのだが、
  これが最後の収穫である。


  


  結構大きくなったし甘さも抜群で、いい出来だったと言っていい。

  こんなに沢山成ったのは初めてのことである。
  どうすれば、毎年成るのか?
  いろいろ読んでみるのだが、書いてあることがよく理解できない。

  そんなことで、すっきり剪定をして、肥料をやったのだが、
  よかったのか、悪かったのかよく解らない。


    

  
 こちらは2年ほど前に植えた蜜柑だが、
 まだ実を付けたことがない。
 来年は成るのだろうか?

  



  

★ 実の成るものは、植えると楽しいのだが、
 なかなか思うようには成ってくれない。
 ブドウのマスカットもあるのだが、花を付けたことがないので、
 勿論実はならない。
 今年の春は、果たして花を付けるだろうか?
 毎年、楽しみにはしているのだが、なかなか上手くいかないものである。

 そう言う意味では、今年の蜜柑は大成功だった。
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協同学苑を一万歩

2024-01-19 06:07:59 | 発想$感想

★雨になりそうなので、雨が降っても大丈夫な協同学苑をスロー・ジョッギングしてきた。

 結構広いのだが、一万歩を歩くのはなかなか大変である。
 いつも行く防災公園ならどこかをぐるっと回ると一万歩になるのだが、
 ここでは3周ぐらいしないとその歩数にはならない。

 いまにも雨が降りそうな中を

 


  こんな竹林の横や


 かってはカブトムシがいっぱい取れた横を通って
 1周するのだが、






 雨が若し降ってきたら、すぐ横にこんな廊下が延々と続いている。


 


 これが結構長いので、





 こんな廊下伝いに






 ぐるっと回ると1500歩ぐらいにはなるので、






  雨が降り出したら、ここに移ればいいのだが、
  今朝は、まだ雨には降られずに、写真だけ撮ってきた。

  家に戻った9時半ごろから、雨になった。
  冷たい、しとしとと降る冬の雨である。


   
   
  

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炬燵で見る大相撲

2024-01-18 06:43:03 | 発想$感想

★ 寒い日が続く。
 冬だから当たり前のことなのだが、若いころはめっぽう寒さには強かったのに、このところの寒さはこたえる。
 暖房は石油ストーブ・エアコンでやってたが、
 ふと思って小さな炬燵を買って来た。
 
 日本独特の暖房器具で、室町時代に禅宗から広まり、
 古くは、やぐらそのものをこたつと呼んだとか。
 今日では電気炬燵が一般的である。

 部屋の感じがこんなになった。


 
 

★ 入ってみるとなかなか暖かくていい。
 今日からは炬燵に入ってみる大相撲となる。

 
 

 

 大相撲初場所、久しぶりに横綱照ノ富士復帰したのに、
 人気力士の高安と貴景勝が早くも休場してしまった。

 


 日本古来の大相撲炬燵で見るのもなかなかいいのではと思っている。
 初めてのことだが、どんなことになるのだろう。
 日本の冬らしくていい。
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阪神・淡路大震災と能登半島地震

2024-01-17 05:47:45 | 発想$感想

★連日テレビでは地震のニュースが流れているが、
 1月17日は阪神・淡路大震災から29年になる。
 
 当時はまだ現役時代だったが、早朝突然の大きな揺れで目を覚ました。
 当日の日記を読み返してみたが、このように書いている。

  

 

「6時少し前、大地震。約1分ほど家が倒れるのか、これはすごい。本当にこれは地震なのか、地震とは別の何か別のものではないかと短い時間の間に思った。大変なものだった。会社に出たが事務所は散乱、部品庫は被害特になし、新車倉庫600台が転倒、ショールームの建物は2,3階窓ガラスが割れる。電気が通じてTVを観てからこの地震の凄さが解った。神戸・西宮あたりは凄まじい。門野君宅は二つとも潰れたという。典子はそこに手伝いに行って連絡があったが、今はどうしているのか。火災はまだ神戸市内で続いている。」


今までに経験したことのないような揺れで、地震ではなく爆発でもあったのではないかと思った。
 直ぐ停電になってしまって、どんな状況なのか解らなかったので、いつものように犬の散歩もしたり、会社にも出社したのである。
 会社は明石だったが、窓ガラスが割れたりはしていたが、そんなに大したことはなかった。

上司の高橋鐵郎さんに自宅が芦屋の山すそだったので、電話をしてみると、
お前は今どこにいるのか?』と仰るので『会社です』と答えたのだが、
西宮あたりは凄いことになてるぞ』と言われるのである。
 ホントにビックリしたのはその後、電気が通じてテレビを観てからである。
 神戸市内が凄まじかったし、長田辺りは大火事だった。
 こんな状況では会社にいても仕方がないと家に戻ったのである。

★ この震災による死者は6000人を越え、多くの犠牲者が出たのだが、
 今回の能登半島地震に比べると、被害のあった地域の面積は小さかったように思う。
 阪神・淡路大震災と名付けられてはいるが、
 大被害のあったのは長田から以東、西宮あたりまでで、
 明石や須磨も何とか大丈夫だったし、
 六甲山の裏・三木辺りは揺れたけれども家屋の倒壊などはなかったのである。

  

 
★それに比べて今回の『能登半島地震』は半島全体に被害があって、
 過疎地と言えるので死者の数などは少ないが。
 半島全体のそれぞれの町で大変な被害なのである。

 これは同じ縮尺での地図だが、こんなに広い範囲での被害なのである。

 
  

  阪神大震災とは全く異なる広い範囲での被害なのである。
  道も寸断されたようだし、その救助も都会と違って大変なようである。

  現役時代、北陸3県も担当地域だったので、よく知っているし、
  能登半島も羽咋シーサイドレースなどジェットスキーのレースでよく行ったので、
  輪島あたりも知っているし、本当に素晴らしい景観なのだが、
  今回の地震では大変のようである。

  何のお手伝いも出来ないのだが、1日も早い復旧を願うものである。
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