雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

山本隆、歳森康師、星野一義

2008-07-31 04:22:33 | カワサキワールド
山本隆君とは今でもずっと頻繁に付き合いがある、
歳森康師君とは昨年、ON ANY SANDA で久しぶりに出会って、その後Z1会のゴルフなど楽しんだ。
星野一義君とは鈴鹿の2&4の時に会ったのだがもう10年も前である。


山本隆君はブログもやっている。
結構いろんなことに手を出して忙し過ぎるのか、いっぱいいいネタを持っているのに、ブログの更新は忘れたころにやっと出る。

最近、にほんブログ村に誘って、無理やりブログをアップするように仕掛けているのだが、

その結果出たのがこのブログである。懐かしい3枚の写真つきである。



左から山本、星野、歳森である。
カワサキの創成期のライダーはこのほかにも沢山いるのだが、この3人は関西に住んで、星野も後、山本、歳森と同じも神戸木の実に所属したこともあって、会社にも毎日のように顔を出していた。

いつも練習をしていた加古川の川原での写真ということだが、ヘルメットを見るとこのときは星野はまだ三橋、安良岡、などのいたカワサキコンバットの所属である。
星野については、みんなよくご存知だが、このころはまだ新人時代でずっと山本が面倒を見ていた。まだ星野一義20歳ぐらいだと思う。

山本はずっと2輪の世界で過ごしたが、一番早く4輪に転向したのは歳森である。
天才肌のライダーで器用だった。
日産に入り星野を4輪の世界へ引っ張ったのも歳森ではなかったのではないか。
目を悪くして引退しているが、惜しいと思っている。


山本が書いている、MFJの第1回全日本モトクロスは、担当部門ではあったが現地には、行かなかった。
カワサキがレースを始めたころで、地方の草レースで連戦連勝だったのに、なぜぼろ負けしたのか解らない、そんな程度のレース知識であった。

第2回は名古屋、この年に星野は新人でデビューしている。
第3回の四国までは直接のレース担当であった。
名古屋から第5回の札幌まで、すべて現地でレースを見たので懐かしい。

3人ともこの時期油の乗り切った全盛期であったと言っていい。
この3人に東京の岡部、梅津を加えた5人がモトクロスの中心選手であった。
誰がトップに来てもおかしくなかったし、事実みんながアタマを取っていた。

後半はF21Mがデビューして最高によかった時代である。
まだ私も30代で元気盛んなころであった。
山本隆のブログで、いろんなことを思い出した。




昨日,ひょこむに簡単にこの記事に関してアップしたら、山本隆君からこんなコメントが入った。

『rfuruyaさん有難う御座います。
一枚目と2枚目の写真は直ぐそばに、榊さん、古谷さんが居たはずです、たしか「神戸っこ」とかの取材撮影だったと思います!

3枚目は懐かしの手稲オリンピアです。
ボチボチにアップして行きます。 』

「神戸っこの取材」で思い出した。
当時はまだ、モトクロスはまだ一般によく知られていなかった。
何とか世に知らせるべく、スポニチに働きかけてスポニチ主催のモトクロスを開催したのである。
その第1回大会は和歌山の紀ノ川であった。星野一義のデビュー戦である。
それがスポニチに大きく報じられて、それを見た「神戸っこ」の取材になったのである。




もし60おじさんのブログ、ご覧になったら、
是非『バイクモータースポーツ』のバナーをぽちっと、クリックしてあげてください。
それで、順位が上がります。





コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キリンチャレンジカップ2008

2008-07-30 04:46:58 | スポーツ
今夜はキリンチャレンジカップ2008、アルゼンチン戦である。

反町ジャパンもなでしこジャパンも、北京オリンピックに備えての最終調整の大事な一戦である。
世界のトップクラスのアルゼンチンに対し、男子は守備を試す好機と位置づけている。
女子は、勝って勢いをと言っている。

オリンピックは男子が16チーム、女子が12チームだから、出場できるのは、ベスト16以内に入っているということである。
予選突破を目指しそれがダメな場合は、正直『なーんだ』と思ったりするが、
考えてみると世界のベスト8に入るということだから大変なことなのである。

つい先日、神戸でオーストラリア戦を観たばかりだから、余計に身近に感じる。
今夜は、テレビだが内田を注目して観てみたい。
先日の試合で、内田の動きは新鮮であった。
その後サッカー関係で、内田篤人を調べてみたら、私が知らなかっただけで、注目株であることがよく解った。

ひょっとして勝ったりしたら、南アフリカ大陸にも、サッカーの本場南米にも勝つことになる。

女子は、ホントに勝つのではないかと思ったりする。
先日のオーストラリア戦では、安心してみていられるほどの差があったように思う。

果たしてどんな結果になるのだろうか?



と朝ここまで書いて、夜、今試合後である。

期待通りの熱戦であった。前半はほぼ互角の展開にも見えたが、地力の差か後半は押されっぱなしになった。
よく守っていたのだが、一瞬の隙を突かれての失点だった。

然し、アルゼンチンのFWのゴール前での粘りと動きは素晴らしい。
得点が決まるときは、素晴らしいから決まるのだが、それにしても世界のトップ水準の動きを感じた。

そんなアルゼンチンを相手に善戦であったと思う。
選手の動きも、守備の組織も全体としては機能していたと思う
日本も惜しいチャンスが前後半を通じ幾つかあった。
ひとつでも決まっていたらと思うが、それは 『たら』 である。
試合は後半雨になって雷雨、最後はサッカーの試合では見たこともない、中断そしてそのまま再開されることなく終了となった。


女子は予想通り、2-0と快勝である。
世界の中でも結構やれると思う。
是非、オリンピックではメダルを狙って欲しいと思う。

それにしても、日本のサッカーは強くなった。
試合を観ての実感である。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

変わる自動車産業

2008-07-29 05:06:34 | 発想$感想
昨日から連載で 『変わる自動車産業』 という特集が組まれている。

原油高や環境問題で大型車から小型車への移行が急速に進んでいると言う。
また、クルマをもつことに対するユーザーの価値観も様変わりしているようである。

その結果、クルマは必需品と言われた地方でも 『クルマ離れ』 が広がりつつあると言う。
全国の都道府県のうち約20の府県で乗用車の保有台数が減っている。
近畿2府4県では滋賀を除いて軒並み減少である。
私の住んでいる兵庫県も例外ではないのだが、
三木市に住んでいる私にとってはまだ、必需品である。


クルマが一般家庭というか、普通の人が持とうと思うようになったのは、多分1960年ころからだと思う。
会社でも何人かの人が個人で 『自家用車』 を持つようになったころのことを鮮明に覚えている。

みんながクルマを欲しがった。
私が自分で初めてクルマを買ったのは10年後の1970年だった。
このころになると、クルマを持っていることは、そんなに珍しくなくて、
「どんなクルマに乗るか」 に関心が変っていったように思う。
今では、普通になっている 『3ナンバー』 が特別のもののように言われた時もあった。

考えて見ると、この50年車と共に生きてきた。
クルマではないが、同じ自動車工業会の中の二輪車の世界にずっといた。

クルマ自体の台数も減りだしたり、小型が大型に変ってそれがまた小型に戻りつつある。
ユーザーの価値観も変り、ライフスタイルも変った。
同じクルマを使うにしても「カーシェアリング」など新しいサービスに目を向ける人もいるようだ。


小型車もそうだが、電気自動車な度、エコカーへの関心も高いようである。
特集には「新車も考えたけどこんなにガソリンが高いと維持費が大変」と通勤に使う2台目のクルマをバイクに変えた宮城県の人の例が載っている。

移動に使うならバイクは早いし、燃費はいいし、省資源、省エネーーーと
時代の要請にも応えている。

一番大事なのは、イメージ戦略だと思う。
バイクが 『かっこいい』 と思うかどうかである。
日本人の場合は、世論とか世の中の流れがそう変れば一挙に変る。


誰か、『上手に仕掛ければいいのに』 と思うが、
どうも真面目すぎて業界の会合などで言っているだけである。
それも、当然必要だが、
そんな程度では、今の福田政権みたいで、ちっとも面白くないのである。

もっと、戦略的な動きが出来ないものか?
官房長官に起用したらと人気のある 『環境大臣でもあった小池百合子さん』 などバイクの理解者はいっぱいいるのに。

会議や対談だけでは、と思ってしまうのである。


こんな、トップセールスが出きる戦略家のトップが欲しいですね。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蝉は世界中にいますか?

2008-07-28 05:01:47 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
夏になった。
家の庭でも近所でも朝から蝉の鳴き声が聞こえる。

つまらぬことだが、ちゃんと答えられないことは多い。
蝉などについてもそうである。

子供のころ、朝鮮の今のソウルにいたが、蝉取りをした覚えはない。
夏休み明石に帰省したら庭も明石公園も蝉だらけであった。
夢中に蝉取りをしたのを覚えている。

蝉は今の韓国にはいないのだろうか?

韓国にいるのかどうか知らぬが、『イギリスにはいないそうである』
ずっと昔のことだが、イギリスの人が来ていて、夜会食した場所の庭に蝉の抜け殻があった。
それを見て、これは何かと言う。
皆さん蝉を英語でなんと言うか知っていますか?
私はそのとき覚えたので知っているのですが、cicada[sikeida]と言うのです。

ホントにイギリスに蝉がいるのか、いないのかちゃんと知っているわけではないが、
少なくともその人は『イギリスに蝉はいない』と言っていた。
確かに、せみは蝉と書く。7年も土の中にいて1週間の命とか。
禅という字に似ているし、日本の文化の中にはいっぱい蝉に関係のあるものは多いので、日本独特のものだろうか?

などと解らぬままの会話をしたのを覚えている。
当時よく行っていた東南アジアにはいなかったし、ロス近郊でもいなかった気がする。
孫に聞いてもロスにはいないと言う。昔砂漠だったからだろうか?


その後、アメリカのカナダに近いところでは、町中せみで真っ黒になるなどと言うニュースを聞いたので、日本だけではないのだとは、解っていたが、それくらいの知識であった。


なぜ急にそんなことを思い出したのかと言うと、
今朝、6時犬の散歩に近くの公園までいつものように行ったのだが、
昨日初めて公園で蝉が鳴いてるのに気がついた。
今朝は、家の庭から公園までずっと蝉の声が途切れずに聞こえた。

庭に木が植えられていないと蝉はいない。
『ずっと蝉の声が聞かれる環境は、今の日本ならいい環境』と言えるのだろうか?
これずっと一日中ないているのだろうか、などと他愛もないつまらぬことを思いながら、散歩していて先のことを思い出したのである。


以前なら、それで終わっていたのだが、最近は便利に出来ている。
ちょっと調べてみた。
私と同じようなことを質問している人もいるのである。

この他にも、蝉についてこんなにいろいろなことが解った。
まことに、便利な世の中である。
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年も鈴鹿8耐が始まります

2008-07-27 11:02:33 | M/Cレース
ひょこむのブログに、カブトムシなどののんびりしたブログをアップしていたら、

久留米はラーメンさんからこんなコメントを頂いた。


『こんにちは。
カブトムシ良いですね。子供達は大喜びするでしょうね。

泳げる川がこんなに減っていったのは、哀しいことですが、きっと元に戻すことが出来ると私は信じています。

今日は鈴鹿で8時間耐久レース決勝、が行なわれます。
カワサキ勢の健闘を応援しています。
ガレージ原田さんがクラブの写真を貼って、決勝を走ってくれます。

http://roadrace.jp/blogsquare/g-harada/all/id17554/comment.as…

すっかり忘れていたが、今年も鈴鹿では8耐が始まるのである。

7月末、4耐、6耐、8耐、全国安全運転大会と3週続けて週末を鈴鹿で過ごす年が続いた一時期があったのだが、現場を離れてしまうとすっかり他人ごとである。
然しハラダさんのようにずっとレースに賭けて活動されているチームも、それを応援するファンもいるのである。


最近は、レース事情にもすっかり疎くなってしまったが、
カワサキの8耐体制はどうなのだろう?
MOTO GPのほうは、力が入っているように思うが。


今11時。まだスタートしたばかりである。
原田さん、頑張って下さい。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人は死ぬまで夢をもて

2008-07-27 05:01:40 | 樋渡啓祐さんのこと
『人は死ぬまで夢をもて! その夢が叶わなくても しょせん夢だから』 
と背中に書いてある。

佐賀のがばいばあちゃんの黄色いTシャツである。
武雄の樋渡さんが初めて三木に来られたときに、お土産に頂いた。



今アメリカのいる娘と3人の孫たちが、夏休みに戻ってきて、その対応に毎日、追われている。
流石に中学生になると、友達のほうが圧倒的にいいようで一番上は独りで行動することが多い。
一番下はまだ小学2年生で、末っ子だからか『お母さん子』のところもある。
真ん中が放ったかされるので、もっぱら私に付いて来ることが多い。

それでも先々週はカワサキワールド、
先週はモリチャンところのカワサキ夏祭りに、3人を連れて行った。
なでしこジャパンと反町ジャパンも、観に行った。

そして、昨日は三木のホースランドであった子ども会のともだちキャンプの中で行われた 「竹細工教室」を見に行ったのである。

そのとき、一番下の孫が着ていったTシャツがこれである。
何がよかったのか、イタク気に入っていて、アメリカまで持って帰るようである。
そんなことで、『がばいばあちゃん海を渡るかも』 などと書いているのである。


そんなことで、結構忙しく過ごしているのだが、今まで孫を案内したところは、
今年になってからの私の 『夢の跡』みたいなところばかりである。
みんなそれぞれ、いろいろとやってきた。
そしてホントにいろいろと繋がっているのである。

それを何らかの形で孫に引き継いでいる。
一昨夜は、孫たちが案内して、カバン屋さんと子供さんと一緒に『カブトムシ採り』に行ったりしている。一晩で10匹ほど採ってきた。



昨日からは川崎重工の人気の福利施設、有馬温泉の泉郷荘に一泊旅行に行っている。
別にカワサキとは何の関係もないのだが、アメリカのKMCがアーヴァインのすぐ近くなので、クラスに何人もカワサキ関係のともだちがいるのである。
そのともだちの家族と一緒の温泉旅行である。


なぜ、こんなに繋がるのか、不思議なほどである。
ひょっとして、海を渡った『がばいばあちゃん』がまた何かを起こさないとも限らない。

このブログで繋がった、
それこそ、がばい『カルフォルニアのおばあさん』chibilitsさんは、このブログだけでなく、
こちらのほうまで足を伸ばして頂いたりして、びっくりしている今日この頃である。


世界も狭く、近くなりました。
『死ぬまで夢を持ちたい』ものです。




コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なでしこジャパンと反町ジャパン

2008-07-26 04:39:46 | スポーツ
神戸まで 「なでしこジャパン」 と 「反町ジャパン」のオーストラリアとの親善試合を観に行った。

自分は野球をしていたのだが、プレーするのは全然だが、観るなら断然サッカーである。
あの45分間ハーフの一瞬も気の抜けない緊張感が好きである。
テレビではなくスタジアムで見ると、その面白さは倍増する。
特に最近の新しいスタジアムはグランド全体が自然に一望できるように、出来ていてこの神戸も例外でない。
全体の動きが本当によく解って面白い。

最近の日本のトップレベルの動きは、そんなスタジアムの造りに対応するように、戦略的によく動く。ボールを持っていない人の動きが素晴らしい。


なでしこジャパンはオーストラリアを圧倒して、危なげなく3-0と完勝。
反町ジャパンは、逆転で2-1と勝利した。
約5時間スタジアムにいたが、ほとんど時間を忘れて試合や、練習を見ることができた。
試合に限らず、その練習スタイルも、素晴らしいと思った。

サッカーはヤンマーに釜本や阿部がいたころからよく見ている。
そのころと比べて、今のレベルは格段の差である。

反町ジャパンの反町君はそのころはまだ小学生で、オール清水の一員として、この御崎公園の競技場に夏になると毎年やってきていたのである。
そのころのオール清水は小学生だが無茶苦茶強くて、望月、後藤、佐野といったスター選手がいて、反町君はそんなに目立った存在でもなかったような気がする。
そんな子供のころの夏休みを過ごした地で、今はU23の日本を率いる監督である。
今は兎に角、こんな人たちの中でも一番の有名人である。
息子とは同学年だったし、何度も試合などしたり見たりしていた。
全日空ではチームメートだったりして、今でも何かと接触があって反町と一緒にプレーしたと自慢できる存在のようである。お陰様で私まで自慢できるのである。
先日、息子の家に初めて行ってみたのだが、孫は立派な反町監督のサイン入り色紙を貰っていた。


そんなことで、個人的にも反町ジャパンには、大いに関心がある。
ひょっとしたらA代表とやっても、面白いのではと思ったりしている。
動きの早さや、組み立ての面白さはA代表以上ではないかと思ったりする。

昨日もそんな動きの得点だったし、初めて目の前で見た香川真司や内田篤人は素晴らしいと思った。
特に内田の動きはスポーツ選手独特の頭の良さを感じさせるもので、今までにない新しいサイドバックの動きのように思えた。
説明が難しいのだが、こんな動きができることがサッカーのまた面白さでもある。
29日は両チームとも強豪アルゼンチンとの対戦だが、楽しみである。



ちょっと違った観点から、このサッカー観戦でこのほかに二つブログアップしています。

朝、なでしこジャパンの練習を見に行って、神戸まで観に行くことになりました。
もうひとつひょこむのブログ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

このまちにすみたい

2008-07-25 04:42:34 | みっきぃふるさとふれあい公園
『このまちにすみたい』というブログがスタートした。

今週の21日に始まったばかりである。
さるとるさんのブログに紹介されていた。

ローバーさんである。
間違いなく有望な三木市役所の若手と言えるだろう。
いつも毅然としているようなところもあるのに、サッカーを愛するスポーツマンでもある。
このブログの右に何冊かの本が紹介されている。
その本の題名を見ても、私は期待したい。

真っ先に、武雄市長の樋渡さんの本がある。世耕さんの広告論もあるし、マーケッテング関連の本が並んでいる。広報やマーケッテングに関心があるようだ。
本と言えば、ローバーさんは仲間と一緒にたった1年で三木の図書館を様変わりさせた実績も持っている。

広報の解る人が、リーダー的立場に立てば、
『目指す目標は実現するものだ』と私は勝手に信じている。

樋渡さんがそうだし、大阪の橋下さんがそうである。
ちょっと前、世耕さんが広報を担当した小泉さんもそうである。

それは『人の気持ちを読もうする心』があるからだと思っている。
賢い人ほど『人の気持ちが解らぬ』ことも、世の中多いと思っている。

ブログは三木山森林公園で遊ぶ子供の写真付きで始まっている。

写真も上手そうである。今回のブログも必ず1枚写真を入れると宣言している。
樋渡さんのブログみたいである。

その樋渡さんは、すでにローバーさんのブログにコメントを入れている。
それも7月21日のトップ記事に写真をほめてのコメントである。
いつもながら、末端の状況や心が読めるのだと思う。
どこを押さえるべきか、そのカンどころが素晴らしい。
武雄市長の公務ではもちろんないが、三木市と人事提携をしている関係で無縁とは言えないだろう。



私も 『このまちに住みたい』 と思っている。
自然や、環境や立地がいいからと思っていたのだが、
最近、いい人たちに出会ってその感をさらに強くしている。

さるとるさんもローバーさんもそのほかにも沢山、いい人との出会いがある。
『ひょこむ』のトモダチもいっぱいいる。

三木の情報も回りかけた。
ローバーさんが、その輪の中に入ってくれたのは心強いと思っている。

コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の私の情報いろいろ

2008-07-24 04:45:18 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
情報社会と言われている、世の中に情報は満ち溢れている。

その中から、必要で、役に立つ、面白いモノを見つけたり、
限りなく自分に関係があったり、共通の関心事であったりするものを見つけるには、ブログはいたって重宝である。
そんなブログを集めてお気に入りに入れておけば、それを見ることでいろんな情報が得られるのである。
これは、それを体験してみると、実感としてよく解る。


先日来、武雄、三条などの市長さんのことに触れていたら、
市のホームページのブログの中に紹介していただいて、今朝のアクセスはいつもより、100近く増えたりした。
箕面市長選挙など全然関係もなかったのに、箕面の方からコメントが来たりした。


今朝の私のいろんなお気に入りブログの中だけでも、いっぱい新しい情報が載っている。

一般社会情勢としての分析ではこんな風に、いろんなデーターがある。
マーケッテングの専門家のブログなので、使用されているデータやリンクの中身も面白い。
自分でこれを見つけようとしたら大変である。



でもこのデーターなら、まだ見つけられるかも知れぬが、
こんなのは、ブログの中になかったら、永久に見ないかも知れない。
『カルフォルニア州の登録性犯罪者を検索』するシステムが紹介されている。

こんなことになっていることは知っていた。
それがどのようにすれば解るのかと言うのである。
これがブログに書かれている。
書いた方はカルフォルニアに住むごく普通の日本人のおばあさんで、
いつもは料理の内容が多いのだが、今回はこんな話題であるのが面白い。

にほんブログ村でつい先日繋がった。
ブログがユニークなのでお気に入りに入っているのである。
性犯罪者の具体的な検索方法も載っている。ご関心のある方は試してみてください。



今朝の、身近で面白そうなニュースは、さるとる君のこれである。
スクープと題しているがまさにスクープである。
武雄の樋渡さんが8月4日に三木に来られるというのである。
JCの講演会だとか。
先日、JCの方がわざわざ武雄を訪問されたご縁であろう。
そんなニュース源も、私の場合みんなブログである。


こんな話は、新聞には載っていないし、と言って検索でいちいち拾うのも大変である。
自分に関心がありそうなことを、ブログは勝手に運んできてくれる。
そしてまたそこから新しい世界が広がるのである。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カワサキの4輪スポーツ車、X-11

2008-07-23 04:48:52 | 7万台の挑戦の時代
現役の最後のころ、こんな面白いプロジェクトばかりやっていた。
かっこよく言えば 『ソフトの事業化』
平たく言えば 『遊びの事業化』

バイクもジェットスキーも、 遊び道具である。
モノを造るだけの時代は、 もう旧いと思っていた。

今でも、そう信じている。
一生懸命やったら売れたりは決してしないのである。
商品が受け入れられたら、遊んでいても売れるのである。

今、250が遊んでいても売れているこの時期に、一度考えてみてはと思っている。
 



1991年前後、今から思うと一番活気があって面白かった時代である。
7万台の挑戦もその目標を達成したし、いろんなことをカワサキの国内グループは手がけていた。

91年、いろんなことがあったが、カワサキのサーキット走行専用の4輪スポーツ車の開発とその対策は結局は実現しなかったがその最右翼であったかも知れない。
この年の資料をひっくり返しているとX-11資料がいっぱい出てくるのである。
それだけ力が入っていたのだろう。

このことは一度ブログにも取り上げたことはあるのだが、
自分のためにも一度整理しておこうと思う。

このプロジェクトは、90年4月23日に事業本部の高橋本部長以下の会議で、
『015』という開発コードでスタートされている。

単車のエンジンを使ったサーキット専用のスポーツ走行マシンで、開発が進められることになった。
スポーツ走行、サーキットに関係があることなどから当初から、ケイスポーツシステムが深く関連をすることになった。
約1年の開発期間を経て翌年4月には試作車の完成を見ている。

このプロジェクトに携わった人たちは、エンジン関係はもちろんカワサキのエンジニアたちだが、シャーシーは鈴鹿のウエストレーシングの神谷社長が当初から担当をしてくれた。
ウエストレーシングの神谷さんはJ1600の創始者でもあり会社としても高い技術実績を有していた。
そんな関係もあってマシンテストは元F3チャンピオンの佐々木さんが勤めてくれるなど本格的なメンバーで構成されていた。

試走したサーキットは岡山に出来たばかりのTIサーキットで、ホンダから来られたMFJ関係で面識のあった千々岩さんや国井さんが開発当初からマシンにも非常に情味を持っておられた。
星野インパルの金子豊君やダンロップの京極さんなど日本レース界の錚々たる人たちが相談に乗ってくれたのである。


開発開始から1年半後の91年9月に、TIサーキットの月例会でX-11という名称で発表された。
カーグラフィックの熊谷さんたちも乗られて音も走りも素晴らしいとの評価を受け雑誌にもインプレッション記事が発表されたりしたのである。

そして翌月の10月17日には川崎重工業の最高意思決定機関である経営会議に上程されているのである。
その資料のなかにある仕様の数値は次のようなものである。

ZX1100ccのエンジンを使用、排気量1052cc、最高出力160PS/10500rpm、
全長8000、全巾1640、全高1057、車重409kg
元F3チャンピオン佐々木氏は『限りなくF3に近い性能』と評価している。
コストは490万円ぐらいで、販売価格はまだ未定であったが、翌年当初からの販売を予定していた。


そこまでの記録はあるのだが、それから先あまり記録がないのである。
当時は面白いことがいっぱいあって、このプロジェクトもその『one of them』であったためか、そのあとどうなってしまったのか。
カタログまで作ったのになぜ販売まで至らなかったのか、よく解らないのである。

最近よく思うのだが、『記憶にございません』 というのも満更ウソではないと思うこともしばしばなのである。

日記があるから何とかなっているのである。


その後、92年3月7日の日記に、
『TIで中江先生にX-11を乗せる』と書いている。
そしてそのとき始めて自分でもサーキットをX-11で走っている。
『10000回転のエンジンを私の技量では持て余してしまう。とてもそこまで使い切れない。かって乗ったFJ1600のほうが乗りやすかった。』とエラそうに感想を述べたりしている。

中江先生とは、当時『好感企業の時代』という本を出版されていて、
当時のカワサキの企業活動に興味を持たれて、先方から取材を申し込んでこられたことのある、中央大学教授の中江剛毅先生のことでである。

先生は4輪の国内A級ライセンスも持たれて、世界のサーキットを飛び回っているという面白い方なので、これはこちらから声をかけたのだと思う。
 


プロジェクトは潰れてしまったが、そのころお付き合いした人とは今でも関係がある。
ハンドルネーム『胡蝶さん』はこのプロジェクトのメンバーの一人である。
彼はまだ現役で昨年賞に輝いたジェットスキーの開発責任者でもある
『胡蝶さん』またいいもの造って下さい。
 



コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思い出の場所

2008-07-22 10:49:10 | カワサキ単車の昔話
昨日、カワサキマイスターの恒例夏祭りがあって出かけてきた。

立派なイベントに仕上がっていたし、その内容もバイクの安全運転の要素が随所に盛り込まれていて、非常によかった。
excite と ひょこむ にその様子と感想などアップした。





gooでは、ちょっと観点を変えて、昨日このイベントを実施したカワサキライデングスクール近辺の場所についての昔話に触れてみたい。
カワサキの関係者でもこの経緯をご存知の方は少ないはずである。


ご存知の通り、正門横の2号線に面した1等地である。今はショールームなど整備されて非常にきれいである。
然し、昔はそうでもなかったのである。

今の安全運転コースの場所は、クルマで通勤する従業員の駐車場で確か舗装もされていなかった。


今のような形に長い年月を経て変貌してゆくのだが、何となく関係があったのである。


まず、1980年ごろ私は国内を担当していた。
国内市場でホンダさんを中心に安全運転活動が活発になりかけたころである。
中大型車の対策も暴走族問題などもあって注目されだした。
『中大型車はカワサキさんですよ』と業界でよく言われたものだが、
当時、カワサキの安全運転に関しては、ただただメグロ出身のベテランの秋元さん一人の人力と知識にひとえに頼っていた時代だったのである。
各社に安全運転普及本部が設置されカワサキは前田浩さんが本部長になられた。


事業部の副事業部長でもあった前田さんに、安全運転コースの設置をと耳打ちしたのは私である。
『どこに造る?』とおっしゃるので『門の横の駐車場』と答えた。

これは簡単なようで難しいのである。特に勤労や組合が絡む問題は、普通一般の人が普通にやってもとても実現出きる話ではない。
前田さんが安全運転本部長になられた機会に、何とか強引にトップダウンで動いて貰ったのである。
通勤自動車の駐車場は工場のど真ん中の3研南の空き地に移動したのである。
そして、正門横に安全運転コースを造って、
『一般社会の人の安全運転にも提供する』というコンセプトにしたのである。
そのコンセプト通りに、外から自由に出入りできるようになっている。


そんな経緯で、あの安全コースが出来たのである。
前田さんが居られなかったら、あのコースは出来ていなかったかも知れないと思ったりする。


二度目にあのあたりが改修されたのは、大庭本部長の時である。大庭さんはカワサキオートバイ販売の社長も兼務されていた。
大庭さんは、この社長の職責がお気に入りで熱心であった。そのころ事務所はちょっと離れた玉津にあったのだが、本社だけでも近くに置きたいとこのあたり一帯が候補に上がったのである。
これも普通なら難しい話であった。労働組合の事務所などがあったのである。
この移動などは簡単なようで難しいと思っていたら、大庭さん流でいとも簡単に中央突破で出来てしまったのである。

今のショールームつきのカワサキオートバイ販売の本社社屋が建って、ほぼ現状のような形態に綺麗に生まれ変わったのである。
1985年前後のことである。

私は国内は離れていたが、企画にいて大庭さんのすぐ近くにいたので、よく経緯が解っていたのである。



さらに、この安全コースを使って二輪専門の自動車学校を造ろうと動いたのは、1995年ちょうど10年後の話である。
これは阪神ライデングスクールの有馬さんに手伝って貰って、直接担当したのは私である。
この許認可は33人一般の生徒を試験場に送り込んで、2人滑ったらダメというほんとに難しい関門をくぐって許認可を受けたのである。

一般の受験希望者を指導して、その人たちに受験させるのである。
今大分で言われている様なことは一切なしである。飛び込みで受けに来た人たちと一緒の受験である。
何とか1年でクリアして、私は初代の設置者(校長先生のようなもの)になったのである。


昨日は、そんな思い出いっぱいの場所での、マイスターのイベントであった。
懐かしい人にもいっぱい会えたし、この場所についてこんなことを書いてみる気にもなった。
前田さんも、大庭さんにもお世話になったが、もう故人になってしまわれた。
そんな方たちのお陰で、
当初のコンセプト通りに、一般の人々にも解放された場所として機能しているのである。



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

60おじさん今トップです

2008-07-22 04:49:30 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
これは『ひょこむ』に書いたブログの転記である。
半ば遊びもみたいなものだが、半ば本気である。

いろんな面白い話題や、ちゃんとした知識はみんなに情報提供すべきだと思っている。
元全日本モトクロスチャンピオン、60おじさん、山本隆君のことバイクに関する知識の豊富さは、そのライデングテクニックとともに、半端なレベルではないと思っているのである。




60おじさんとは長年の付き合いである。
昔はモトクロスの日本チャンピオンで、その道では有名選手であった。

2年ほど前まで、20年近くご無沙汰だったのだが、ブログのお陰でお付き合いが復活した。
三木のON ANY SANDAも、今年の4月にやった『どこ竹の竹とんぼ教室』も、
60おじさんが居なかったら私にとっては出会うことの出来なかったイベントだったかも知れない。


今年のON ANY SANDA でトップを走る山本隆君、63才になっても崩れないライデンフォームは流石です。

最近は、「ひょこむのごまどうふさん」からオフロード教室をというご希望もあって、この秋には、「60おじさんのオフロード教室」が実現するかも知れない。
シリーズでやれたらいいなと、密かに思っている。

もう40年も前だが、まだ山本隆が現役ぱりぱりのころ、東北のどこかのの県警に頼まれて白バイ隊員の技能講習をやったことがある。
講義と実技の半日ほどの講習だったが大好評で県警内で話題になって、東北6県の白バイ隊の講習をシリーズでやったのを思い出す。
信じられないかも知れぬが、そのころの白バイのほとんどは、カワサキだったのである。カワサキと言ってもメグロだが。



そんな60おじさんだが、何がそんなに忙しいのか、ブログのほうはさっぱりである。
何ヶ月に一度ぐらいしか更新しないのである。
然し更新したらその内容は、確かなのである。

せっかく山ほど知識も話題も持っているのに惜しいと思って先日勝手に、
『にほんブログ村にジョインしてみませんか?トップ10以内は保証します』と仕掛けてみた。
見事引っかかったのである。

『にほんブログ村』というのがある。
『小学校の徒競走』というテーマでブログを書いたりしたが、カテゴリーがいっぱいなのですぐ1位が狙えるのである。
私などと違ってかっては、レースで順位に生活を賭けていたプロだから1位とかベスト3には、関心があるのではと思ったのである。


それが今朝見たら1位にいる。トップである。
これはブログのバナーをクリックした数を1週間の移動値数で争っているのだが、いまの週間移動値数は350である。
350というのはゼロをひとつ加えてあるので実質35である。
1週かに延べ35人の人がクリックしてくれたということである。
1日に5人、本人のクリックも有効だから4人ということになる。

今、私とカバン屋さんが毎日クリックしているから、あとどなたか2人ほどの方が押しているというレベルの遊びなのである。

(ゼッケンは60おじさんにちなんで060である)

60おじさんのカテゴリーは『バイクモータースポーツ』である。
彼の得意、本職の分野だし、彼のモータースポーツ知識は、仕舞っておかないで広く公開して欲しいと正直、思っているのである。

ちなみに、もうひとつ上のランクの『バイクブログ』のトップは
あの『バイクヌポーツ』が入っている。
『スポーツ』ではなく『ヌポーツ』である。
私のgooのブログのアクセスが一挙に増えた最初のきっかけは、ここにリンクして貰ったことである。
一挙に100ほど増えてびっくりしたのを覚えている。

ON ANY SANDAの『ヴィンテージな走り、荒井市次、山本隆』という私のブログもリンクしてくれたりしたのである。


これは60おじさんもブログから借りてきた写真である。名選手荒井市次の生涯最後のレースだったのかも知れない。


そんなダートヌポーツが1位だから、それに続いて山本隆のブログが2位に続くなら、これはまたかっこいいと勝手に思って、半ばお願いでこのブログ書いている。

今回はこの原稿、私の主力ブログgooにも、最近ずっと続けているmixiのカワサキにテーマを絞ったブログにもアップしてみます。

このブログの『バイクモータースポーツ』のバナーを是非クリックしてみてください

60おじさんも、1ヶ月単位でなくせめて1週間単位でブログ更新お願いします。








コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪府の予算通るようですね

2008-07-21 04:50:40 | 大阪維新の会、橋下徹氏
大阪府の橋下知事が7月の臨時議会に提出していた08年度一般会計予算案は、削減幅18億円の修正で23日にも成立する見通しであるらしい。

『徹夜微修正に満足 橋下知事』と新聞の見出しである。

徹夜の18時間に亘る審議の中で40人の委員たちと論戦を戦わせた結果である。
大阪には何の関係もないが、2月以来橋下さんの発想とそのスタンスに100%共感して応援をしてきたので、自分のことのように嬉しい。

周囲の人に間違いなくやりきるだろうと思うと言ったら、
議会運営などに詳しい人ほど、ちょっと難しいのではないかというご意見であった。



今、夏の大会各地で予選たけなわであるが、
今回の大阪も快挙は、公立高校が並み居る強い私立の強豪を破って甲子園の切符を手にしたような『すがすがしさ』がある。

流石、ラグビーの運動選手らしい堂々たる前進振りであった。
おかしな政治慣習などものともせず、常識に基づいた戦法であったと思う。
府の職員の方もよくやったと思う。

お役所仕事などとよく言うが、最近の職員の方は大阪府に限らず優秀な人たちであるはずである。
それが、おかしな慣習や、前例のあること以外はやらないという旧態依然とした組織体質の中で眠ってしまっているのである。


行政に限らず、大きな組織になるほど動きが悪いのが一般的である。
一言で言えば、組織が機能するかしないかは、リーダー次第だと思う。
どんな組織でも、リーダーがちゃんと旗を振れば途端に動き出すはずである。
2月の時点で橋下徹は単なるタレント弁護士ではなく、立派なリーダーだと思った。

その通りになった。いよいよ予算が通って本番の甲子園の晴れ舞台での活躍が待っている。
大阪に限らず応援者は多いはずである。
その期待を裏切らない実績を残して欲しいものである。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野茂引退に思うこと

2008-07-20 04:57:16 | スポーツ
野茂が大リーグ引退を決めた。
ひとつの時代が終わって、それを引き継ぐ新しい時代になりつつある。

プロ野球選手は、野球と言うスポーツ競技の中で、自らの記録を中心にチームへの貢献も考えながら毎日プレーしている。
プロ選手であるから、個人の成績が一番である。
世間の選手への評価も当然のことながら、個々の選手の記録に対してのものが一番重要視されるのである。

金田、長島、王。
旧くは川上、藤村、別当、現役で言えば、イチロー、松井、松坂など。
みんな素晴らしい選手であったし、みんな素晴らしい記録を持っている。
その記録が故に評価されているのである。


野茂秀雄。
彼への評価は、これらのスターたちと違って、ちょっと別次元のもののような気がする。
もちろん選手としても大選手であることには間違いない。
日米での新人賞をはじめ輝かしい多くの記録を持っている。
日米通算で201勝とは今回始めて知ったが、
野茂の評価はそんな個人の成績の次元を超えた先にあると思っている。

まだ誰も大リーグなどに目を向けなかった時代に、日本のプロ野球界の常識を破って独り海を渡った。
何の保証があったわけではない、誰かが支援したわけでもない。
自らがやりたいことを、自らの力で切り拓いたのである。



人の生き方はいろいろある。
目標の定め方もいろいろあって当然である。

企業や行政の世界でも、
『何になりたいか』を望む人は多い。むしろそれが一般的で、

『何をやりたいか』は本来真っ先に考えるべきかと思うが、
意外に『なりたい』ほうが優先されて、
それになれた途端に『何をやりたかったか忘れてしまった』ような生き方の人たちも多いものである。

政治家は、本来『何かをやりたくて』その道に入るのだと思うが、
『何になりたい』人の集団に成り下がってしまっているような気もする。


野茂の生き方は明らかに『何かをやりたい』意識が明確であった。
アメリカでもマイナーチームを持ったり、日本でもチームを持っている。
引退をしたからと言って、『やりたいこと』がなくなってしまったわけではない。

一時の職位や記録を超えた次元で『また、やりたいことを』見つけたらいいのである。


野茂秀雄が見つけるであろう、今後の『何か』に期待したいものである。
野茂にとって引退は単なる区切りのひとつである。
今からまた新しいものに向かって、多分既にそのスタートは切られているだろうと思う。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

倉田哲郎34歳

2008-07-19 04:46:10 | 政治

倉田哲郎34歳。今朝まで名前も知らなかった。
今、夕方だが結構解っている。

今朝、樋渡さんのブログで初めて知ったのである。
今回の箕面市の市長選挙に立候補するらしい。
総務省出身34歳。先日触れた三条市の国定市長の同期で応援演説に行かれるらしい。

当選すれば国定市長を抜いて全国最年少市長が誕生することになる。

最近の地方行政は国と違って新風が吹き始めた。
旧来型の市会議員からたたき上げて政治家になるそんな政治スタイルから、
大阪府知事の橋本さんなどは、まさに落下傘で天から降りてきたようなデビュー振りである。

今回の倉田哲郎氏は総務省からの箕面市出向からもう一度市長としての立候補である。

総務省から各市へ出向そして地方の市長へ立候補という道筋は、樋渡さんもそうだし、国定さんもそうである。
みんな若いということも共通している。
さらに共通しているのは、ブログでちゃんと自分の想いを述べていることである。


箕面市は現市長が立候補していて、今から選挙戦だが、
多分、倉田さんが勝つのではないかと思う。
何にも解っていないのだが、今年の3月5日まだ33歳のときに立ち上げたブログを7月の分まで全部目を通してみた。
それを読んでみての感想というか、私のカンである。

ウソを言っていない、自分に正直であるというのがすぐ解る。
ブログは入社試験の論文などとは違って、ごまかしが効かないのである。
倉田さんのブログは自分の思いを正直に語っている。

逆に言うとちゃんと自分の考えを持っている。
最近の有権者はそんな思いや人柄を鋭く見抜く目を持っている。


現在の市長さんは市会議員からの転進でまあ普通の経歴である。
ホームページにある経歴や豊富も従来型の言葉が多い文章である。

大阪がまた面白くなりそうだ。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする