雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

カワサキ特約店制ー2

2017-10-31 07:06:18 | 発想$感想

★衛藤さんの『カワサキ特約店制』の編集部だよりのエッセイは翌年の1972年度についても、詳細に書かれている。

衛藤さんがこの件について詳しいのは、私が詳細をお伝えしていることもあるのだが、このプロジェクトの影の推進者であったと言っていい船場モータースの岡田博さんとは親しくて、岡田さんからの取材が頻繁に行われたからだと思う。

 

  

 

 2回目の記事は以下の通りだが、

  

古谷氏の狙い通り、事はトントン拍子に進み、「半年あれば物事はある程度の現実をみる」とおっしゃる通り、この年の5月には大阪府下の主要な販売店25店が参加して「大阪カワサキ共栄会」の結成総会にこぎつけ、カワサキオートバイ販売から田中誠社長の出席もみた。

名称の「大阪カワサキ共栄会」は、その文字通り“カワサキとその販売店が共に栄える”という願いを込めたもの。また、その会長には船場モータース(現・船場)の岡田博社長が就任した。さらに5カ月後の10月には、同共栄会の2回目の会合が開かれ、東京カワサキ会から北多摩モータース、城東カワサキの両社の社長さんも来賓で出席し、東京の組織活動などの情報を話し、相互に意見交換を行った。

このあと、カワ販大阪営業所は、カワサキ共栄会メンバーを軸とした販売強化策を展開して、府下の販売店のうち約500店もの販売店との取引中止を実施した。同時に「カワサキ特約店制度の基本構想」の検討にも着手した。これにはカワ販本社の田中社長も大阪の展開に強い関心を示し、その取り組みを側面から支援したこともテンポを早める要因になったようである。

おりしもカワサキは、この年(71年)、“二輪車事業10周年” を記念して、全国的な「二輪車事業10周年記念セール」を展開し、このセール成約の優良店100店を“KMC&米国市場視察旅行”に招待することにした。

このセールの主催は全国カワサキ会(小野寺和夫会長)。この会は、全国のカワサキ代理店(ディストリビューター)組織で、カワ販の各地区母店もこのメンバーに含まれており、大阪母店長の古谷氏は同会の副会長に就任していた。

「米国視察旅行」は、72年(昭和47年)1月8日から15日までの7泊8日で、KMC(カリフォルニア)とサンフランシスコなど西海岸の旅で、参加した100店のうち、約50店は東京地区、残る50店が大阪をはじめとする関西と、名古屋地区の販売店であった。この帰国直後には、京都カワサキ共栄会も結成をみた。

このあと、4月にはカワサキ本社に東京・大阪・名古屋地区を統括する直営部が社長直轄として設けられ、直営部長に大阪母店長から古谷錬太郎氏が赴いた。前年から検討されていた「カワサキ特約店制度」の構想も急ピッチで進み、8月中にはその概要がまとまり、二輪車新聞の8月31日付けに掲載。9月8日、大阪の厚生年金会館で、この正式な発表説明会を開いた。まずは直営部管内の東京・大阪・名古屋地区で先行することにして、正式なスタートは72年10月1日からだった。

契約第1号は、説明会を行った翌日の9月9日、大阪の船場モータースで、しかも船場モータースの岡田博社長は自店の契約だけでなく、東・名・阪各地で契約促進をバックアップした。さらに翌年の73年9月からは、この「カワサキ特約店制度」を全国的に導入することになり、首都圏全域や広島、福岡などで積極的な活動が展開された。

これには、東京・大阪・名古屋地区で特約店契約を結んでいた販売店も積極的な協力を行ったという。また、当時のカワサキは“ZⅡ”をはじめとする中・大型車の販売が好調で、これも特約店契約促進の追い風になったようである。

カワサキが現在取り組んでいる新しい販売網政策の「カワサキ・ネットワーク」と、46年前に取り組んだ「カワサキ特約店制度」は、新しい販売網を構築しようという狙いは共通している。しかし、唯一異なる点を挙げると、現在進めている制度は、寺西猛社長、清水泰博取締役を中心に、本社で綿密な計画を練り、これを全国展開している点と、46年前の制度は、販売店の声などを汲み入れる形で地域の営業所長などが考え、これを可能な地域から全国的に拡大しようとした点だと思われる

この差異は、混沌とした46年前の二輪車市場と、すでに成熟しきっている現在の二輪車市場という、全く異なる時代的な背景がもたらすものだと思う。

なお、カワサキ・プラザネットワークは、15年11月に計画が発表され、16年4月に内容の説明会、16年12月8日、大阪にモデル店第1号がグランドオープン。17年4月から正式スタートし、17年中には全国で25店前後のカワサキ・プラザネットワークをみる予定。そうして当面の目標である20年4月までには全国で120店のカワサキ・プラザネットワークを実現させたいとしている。

二輪車新聞 大阪支社顧問 衛藤誠

  

 

 ホントに細かいことをご存じで、契約第1号は船場モータースの岡田博さんで、契約内容は当時としては非常に厳しかった担保設定を含めて、説明会の翌日の朝、わざわざ営業所までお越しになって契約されているのである。

 契約内容は非常に厳しかったにも拘わらず、カワサキの基本コンセプトを非常によく理解されて、この年以降逐次全国的に各県ごとの展開を図ったのだが、その説明会には岡田さん自らが率先説明をして頂いたので、他県の販売店の理解も納得も非常にスムースだったのである。

 この『特約店制度』は、カワサキ本社で2年も前に取締役会決裁事項として決まってはいたのだが、東京を除いては、各地区非常にリスクも大きいので、具体的に推進する営業所がなかったのである。

 そんな状況の中で、大阪・京都・名古屋など、私自身が関係した地域が実施に踏み切り、その成果が出てきたので、これからの数年間は私自身は『カワサキ特約店制推進担当』のような形で、その職位は大阪母店長から、中日本営業部長・東名阪直営部長・本社企画部長とその担当範囲はどんどん広がっていったのだが、その間ずっと支えて頂いたのが岡田博さんであり、東京の城東カワサキ・北多摩モータースなど主力販売店の人たちだったのである。

その間の事情を衛藤さんはよくご存じで、現在推進中のカワサキの新しい販売網政策について、このように指摘されているのだと思う。

 新しい販売網を構築しようという狙いは共通している。しかし、唯一異なる点を挙げると、現在進めている制度は、寺西猛社長、清水泰博取締役を中心に、本社で綿密な計画を練り、これを全国展開している点と、46年前の制度は、販売店の声などを汲み入れる形で地域の営業所長などが考え、これを可能な地域から全国的に拡大しようとした点だと思われる

 

★ 販売網と言うのは単にメーカーの所有物ではなくて、それは勿論メーカーや完売会社が色濃く関与するのは勿論だが、同時にそれは販売店自らのものでもあり、そのネットワークを利用するユーザーにとっても、充分納得でき満足する内容であることがMUSTだと思っている。

 何度も言っているが、日本の顧客満足のCSは、Custmer Satisfaction 顧客の満足=取引先である顧客の満足 であることが多く、本来のCS Consumer Satisfaction 顧客の満足=末端消費者の満足 になっていないことが多いのである。

 そのあたりの基本コンセプトが新しい施策を実施する時、最も留意されるべきことではないかと思っている。

 

  

 

 この当時の『カワサキ特約店制度』がその内容の厳しさにも関わらず、順調に推移した理由の一つに国内Z2の新発売が寄与したことは間違いない。

 カワサキと契約をした特約店が順調にその業容を延ばすことができた最大の要因なのである。

 当時は、日本の二輪車市場は今とは全く違ってまちの自転車屋さんが主力だったのである。4メーカーの中で二輪専門店網を持っていたのは、カワサキだけだったのである。

 カワサキにとっても、当時参加された特約店にとっても、非常に『懐かしい時代』だったのである。

 そのお手伝いをして頂いた『衛藤誠さん』にとってもそれは非常に懐かしい想い出なので、2回に亘る連載のエッセイになったのだと思う、改めて衛藤さんに感謝したい。

 

 その当時昭和47年(1972)はこんな年であった。

 興味・ご関心のある方は『カワサキの二輪事業と私 昭和47年』 をご覧ください。

    http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/b4c80c126cdb64cbad6562b6ae1b63cb

 

 

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カワサキ特約店制-1

2017-10-30 05:39:44 | 発想$感想

 ★ 衛藤誠さん、昭和36年(1961)新設された単車営業部に私が異動した時すでに衛藤さんはそこに出入りされていた。それ以来、もう60年に近いお付き合いである。まだ二輪車新聞の現役記者をおやりだからカワサキの単車の歴史は衛藤さんが一番詳しいのかも知れない。

 二輪車新聞のネット版を見ていたら、そんな衛藤誠さんがこんな旧いカワサキのことを書いていた

  http://www.nirin.co.jp/column/

 もうずっと昔の話、昭和46年(1971)のことである。

 私も未だ30代で、近畿地区の母店長で大阪所長を兼務していたころのことである。

 

  

 

その頃からずっとお付き合いのある衛藤誠さんは、当時のことをこのように書かれている。

 

カワサキモータースジャパン(KMJ/寺西猛社長)は現在、新しい全国販売網政策に基づく「カワサキ・プラザネットワーク」づくりに取り組んでいる。思えばカワサキは今から46年前の1971年(昭和46年)、現行の「カワサキ特約店」制度の基盤ともいえる全国販売店の組織化が胎動の気配を見せていた。

これは、これまでの“実用車のカワサキ”から脱皮し、“中・大型スポーツ車”を中心とする販売展開を目指すため、新しい販売方式を模索しての動きであり、特に東京・大阪・名古屋など大都市市場で見られてきた。既にこの前年、70年(昭和45年)には東京で、中・大型機種の販売を指向する販売店約50店による「東京カワサキ会」(正式な名称は違うかも?)が結成された。

これに触発された大阪でも、カワサキオートバイ販売(カワ販=現KMJの前身/田中誠社長)大阪母店(近畿地区を統括)大阪営業所が1月、府下の主力20店を和歌山の勝浦温泉に招待して新年会。この席上、古谷錬太郎所長(大阪母店長も兼任)が“中・大型機種を指向する販売店の組織化”を相談したところ、出席者の大半が賛成し「早急に準備を進めてほしい」ということになったという。

この直後、古谷氏から私に声がかかり、古谷氏が考える新しい全国の“カワサキ販売店組織化構想”を示し「この早急な実施を図りたい」との話。そこで私も「この構想を二輪車新聞に掲載していいのか」と問いかけると、「是非大きく書いて」ということになり、本社でも“面白い”ということで、2月5日付で、1面トップで大きく扱ってくれた

ところがカワ販でこの記事が大問題となり、私と古谷氏が明石のカワ販本社に呼びつけられ、当時の荢野豊秋専務から“大目玉”。

荢野専務曰く「現在、全国にカワサキ車を販売してくれている販売店は1000店以上ある。この販売店は、何の前触れもなくこの記事がいきなり舞い込んできたら何とする。販売店の今後の経営方針にも大きく影響するばかりか、カワサキの今後の営業活動にも大きく支障が出る」というような主旨のお叱りの言葉を約3時間。私は荢野専務のお叱りは“ごもっとも”と思い、大いに反省させられた。

ところが一方の古谷氏も、その場では“ハイ、ハイ”と平身低頭していたが、後々、古谷氏の言葉から、これは“確信犯”だと感じさせられた。

難問題にチャレンジするには、まず、事を公に発表してから進める。当然リスクはあるだろうが、そのくらいのことは最初から覚悟している。私は物事を半年刻みに考えており、半年で出来ないものは、10年経っても出来る保証はない。これは私の信念であり、今度のことでは、衛藤さんには迷惑をかけたが、“事を急ぐため”の常套手段であり、物事の実現には大きな“追い風”になります。もちろん、これには多くの人たちを納得させる正当性がある限りです」とのこと。全く恐れいりました。

 

  

 

  私は昭和45年の10月に仙台事務所長から大阪母店長に異動した。初めての第1線営業だった。

 カワサキが50ccを止めて中大型スポーツの世界に転身しようとしていたころで、それまでは一番弱体だった東・名・阪の大都会の市場開拓をスタートさせた時期なのである。

「うるさい」ということで定評のあった大阪の販売店ではあったが、それまでの東北の代理店の社長さん連に比べると、そんなにムツカシイとも思わずに、すぐ仲良くなっていったのである。

 3ヶ月ほどたった1月に船場モータースの岡田博さんなど大阪地区の20店ほどを和歌山の勝浦温泉に招待して、今後の新しい二輪専門の販売網を創ろうとしたのである。

 その構想のコンセプトを当時の二輪車新聞の衛藤さんに書いて頂いたのである。販売店1店1店に説明して回るより新聞にちゃんと書いてもらうほうが説得力もあると思ったからである。当時から衛藤さんの記事は非常に詳細で、的を外さず、非常に解りやすいことで定評があったので、販売店に話すよりは衛藤さんに話すほうが的確に伝わるはずだという私の想いであった。

 確かに、この記事のことで明石の本部から苦情があったのは覚えているのだが、衛藤さんが言われるように苧野専務に呼ばれて怒られたという意識は私は全くもっていない。

 私は仙台に行くときに3年と言う約束みたいなものがあったのだが、それが4年になったし、明石に戻して貰えるかと思ったら、大阪に途中下車で、その人事については仙台時代に直接当時のカワ販社長田中誠さんから、大阪で何をすべきかを直接伺っていたので、当時カワ販本社ですでに答申されていた『特約店制度』をどの地区の営業所長もやらないので、『私がやろう』と思っただけのことで、それを実現すべく『わたしなりのやり方』で進めただけのことなのである。

 

 ★昨年 『カワサキの二輪事業と私』と言う自分史をこのブログにもアップしたが、昭和46年(1971)のそれにはこの件に関してもこのように記述しているのである。

 http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/a17f4f57cab75c640c0a6a6d400066d8

 

この年の1月23日に和歌山の勝浦温泉に大阪の今後の有力店候補20店を招いて会合を持ったのである。

この勝浦温泉での会合で、年の取引額1000万円などの『カワサキの新方針』を明言しそのスタートを切ったのだが、船場モータース・西形自動車・イズシン商会・浜寺モータース・吉永オートサービス・野崎輪業など 招待したお店は十分にその可能性のある店ばかりだったのである。

その会合で、お店の方から『カワサキ会を創ろう』という提案が出されたのである。

この実行に当たって、二輪車新聞の衛藤誠さんの取材に応じ、2月5日の二輪車新聞トップ記事としてカワサキの大阪の新政策大々的且つ詳細に報道され、一挙に二輪業界注目の的となったのである。『ムツカシイことにチャレンジ』するときは、自らの退路を断つべく公に発表するのは私の常道であり、それくらいの覚悟でやらない限り世の中で初めての新しいことなどは実現しないのだと思っている。これはカワサキの新政策が二輪業界の注目度も上がることにもなるのだが、その論理に周囲を納得させる正当性がある限り、それは『ものごと実現のための追い風』になることは間違いないのである。

完全に無視されていた『大阪のカワサキ』だったのだが、ホンダの営業会議で『カワサキが話題になった』などの情報が流れるなど順調なスタートを切ったのである。10月に赴任して未だ半年にもならなかったが、『半年あれば物事はある程度実現する』というのは私自身の信念で、常に『半年単位』で物事を考えている。『半年ではできないが、10年経ったらできる』保証などはどこにもなくて、それは殆どが錯覚だと思っている。

このプロジェクトも、このあと伊藤モータースなど新しい店も加わって5月には約25店でカワ販の田中誠社長も出席の下『大阪カワサキ共栄会』の結成総会が開催されるという速いテンポで進んだのである。

 

昭和46年度、この1年で大阪のカワサキは様変わりした と言ってもいい。

半年前には『ホンダは別格、世界のヤマハ・日本のスズキ・明石のカワサキ』と言われていた船場モータㇲの岡田博さんは、このカワサキ共栄会制度の推進者にとなって自ら会長職を引き受けて、各販売店をリードして頂いたのである。10月には2回目の共栄会総会を開催し、このあとに続く『カワサキ特約店制度の基本構想』を発表し、大阪市場の500店の取引店との取引を中止し、契約した特約店とのみの契約にする方向を内示してさらに進めることにしたのである。

この会議には東京から北多摩モータースの根来さん、城東カワサキの高橋さんも応援に来てくれて、東京の実情なども話してくれたのである。東京の市場規模と比べると大阪では25店の候補に絞る方向とし、共栄会加盟メンバーを優先する方向で進めてゆくことにしたのある。この時点でも二輪車新聞に『カワサキ特約店制度の基本構想』の詳細が報道され、その実現に向けて販売店と共に具体的な検討が続いたのである。

大阪営業所管内では、北地区には西形自動車、南地区では小泉製作所の立地に、10月には素晴らしい『ショールーム』を持つ北営業所、南営業所が開設されるのである。また、カワ販本社も特に田中誠社長が大阪の展開には非常に関心を持たれて、10月には平井稔男さん率いる兵庫営業所も大阪母店管轄とすることを決められて、この新政策は兵庫県も含めての展開となるのである。

私自身のことで言うと、未だ39歳の若さではあったが、6月に全国カワサキ会役員人事の改選があり小野寺和夫新会長の下私は副会長として支え、その経営委員長を任命されて全国的な販売網経営戦略についても担当することになったのである。二輪事業10周年を記念して、全国的な『10周年記念セール』を起案し『KMCとアメリカ市場視察計画』をぶち上げたのである。世の中はまだ海外など行く人は殆どいない時代で、これも画期的な催しで、翌年1月早々のアメリカ視察旅行が実現するのである。

全国カワサキ会副会長などと言う肩書を頂いたおかげで、11月9日には東京で開催された本田宗一郎さんが歓迎委員長をされ、高松の宮様などもご出席になり、日本4メーカーのトップ役員が出席されたBPICMの世界の総会に夫婦でご招待を受けたりもして、全く初めての貴重な経験もしたのである。

  

こんな想いで多い、昭和46年だったのである。

 

 

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私の独身生活

2017-10-29 07:40:00 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ アメリカの娘一家のところに遊びに行って、月半ばに帰国したのに、もう月末近い。

1ヶ月ほどの滞在であったが、それはそれなりに命の洗濯をしたような部分もあってよかったのだが、日本に戻っての独身生活もまたいいものである。

家内はまだアメリカにいて11月の半ばに戻ってくるのだが、それまでの1ヶ月が独りなのである。

私は家内がいる時は、家の中のことは一切しない。『しない』と言うよりはさせて貰えないのである

炊事でもやれば間違いなく、結構上手くやれるはずだが、家内とは流儀が違うので、炊事など一切手伝ったことも、したこともない。全て家内任せで、毎日着る服も、毎朝家内が揃えてくれたものを着ることにしている。

 炊事でも、服装でも、そんなに大したことではなくて、どれでも同じだと思っている。

 味覚に関しても、非常に疎くて『旨い』とは思うのだが、『香り』などの繊細な部分は一向に解らないのである。

 ただ、好き嫌いなどは一切ないので、家内であろうと、娘だろうと、造ってくれたものは、ちゃんと『美味しい』と言って頂くことは間違いないのである。

 

★ 食物など、高価なものが旨いなどではなくて、品薄なものが高価なだけである。

 安いモノでも旨いものはいっぱいある。

 その最たるものが、魚のアラである。

 

  

 

 アメリカで肉ばかり食ってきたものだから、その反動で日本の魚を食っているが、このタイの頭、2つで150円である

 上品に言えば『タイの兜煮』だろうが、まあ魚のアラ煮なのである。

 

 昨今はネットを見たら、なんでも作れるようになっていて、その通りにやれば、殆どの料理ができる。

 これはその通りに造ったもので、『ぶりのアラ煮』なども何回もやっている。

 これもみんな200円以下で結構量もあるし旨いのがいい。

 

★ そんな家の中の炊事で、一つだけ私が担当しているものが出来た。

 アメリカの娘のところでは、パンは毎日、日本のパン焼き器で焼いているのだが、それが結構旨い。毎朝焼きたてのパンを食っている。

我が家も去年だったか、娘が日本に来た時に、小型のパン焼き器を買って、それ以来これだけは私が担当している。

家内は結構運動神経はいいのだが、自転車も、車の免許も、パソコンも、、何となく器械ものは苦手でこんなのは粉など書かれている通りにいれてスイッチを押すだけだが、何故か私がやることになっている。

 

  

 

 

 

 こんな具合に結構上手く焼けるのである。少なくともスーパーで売ってるパンよりは旨い。

 独身生活になっても1週間に一度ぐらい、こんなパンを焼いている。

 

★これらは『アラ煮』も『パン』も、書かれたとおりにやっているが、私の家事は炊事も洗濯も掃除もその他一切全く私流で、結構スムースにウマくいっているのだが、こんなやり方は決して家内には受け入れられないのである。

 

        

 

   この頃は、いろんないいものが出ていて、この二つは大いに役立っている。

 昼には冷凍のうどんを使って、このふかひれスープにちょっと『味覇』を入れてあと野菜・ねぎ・卵などとあらびきの肉などいれると、即旨い肉うどんが出来る。

 別に日本のうどんだから、日本流のだしを使わねばならぬことはない。

 兎に角、早くて・簡単で・旨かったらいいのである。

 『味覇』はなかなか便利で、炒め物などもコレで味付けすれば簡単で且つうまい。

 少なくとも、これらは素人ではない会社の専門家が創ったものだから、素人がいろいろやるよりはそのほうが早いのである。

 

★ 食事のあとの洗い物がなどと言うが、そんなのは至って簡単、すべて分単位で解決である。でも、これも若し家内がいたら、洗い方がどうのこうのとモンクが付くことは間違いない。昨今は、どうも匂いがどうの、菌がどうのと、繊細過ぎるのである。

 人間は太古の昔から、川で洗濯したりその水を飲んだりして生きてきてるのに、現代人が神経質すぎると思っている

 栄養素など取らなくても、好きなものを食って好きなように生きてたら、平均年齢までは生きてこれた。

 あまり細かいことに拘らずに生きるのが、多分長生きのコツだと思う。ひょっとしたらあと10年は大丈夫かも知れない。

 幾つまで生きれるかは、運みたいなものだからあまり気にしないことである。

そんな自由な生活をしているが、家内が戻ってきたら家の中のことは一切任して、何も意見など言わないのが一番である。女性と言う生き物は、若い時は兎も角、歳をとるにつれて男のいうことは聞かなくなってくるように思うので、それに逆らわないほうが、至極円満なのである。

 

 そんな独身生活も、あと半月ぐらいになってきた。

 ホントに時の過ぎるのは早いものである。

 今日は台風だというので昨日のうちに買い物は全て済ませた。 無事に台風が過ぎることを願っている。

 

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三木市体育館の トレーニングジムに入会してきた

2017-10-28 07:57:49 | 発想$感想

★昨日は、朝から三木市民プールに泳ぎに行った。

 プールのすぐ隣に1ヶ月ほど前に三木市の体育館が完成した。

 

 

 

   

  こんな立派な体育館のヨコに、トレーニングジムもオープンした。

 

   

 

 そんなに大きくはないが、毎週来ているプールに隣接しているので、今まで一度もやったことがない、器械を使ってのトレーニングでもやってみるかと、『ふと思ったのである』私の場合は『ふと思ったら』=『やる』ということである。

 聞いてみたら、やるには30分の事前講習がMUST だという。 いつ空いてるかと聞いたら、12時からは大丈夫と言うので、家に戻らずに 焼き肉こざるで 昼飯を食って12時からの講習を受けて、そのあとここにあるすべての器械を一応一通り使い方を教えて貰ってきた。

 すべての器械が、すべてスムースに使えたので、結構自信になった

 

 つい先日、『ハラをへこます対策』 http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/fcb46870000dceedd9770227d5ce1439

 と言うブログをアップして、こんな Slim Chair なるものを購入して、何となく腹がしまってきたのを実感しているのだが、この際、さらに一歩踏み込んでみようと思っている。

  

 

 料金がまためちゃくちゃ安いのである。

1回2時間が200円が一般価格だが、1ヶ月定期を買うと1000円で、何回でも何時間でも大丈夫と言うから、11月1日に11月分を買って、1ヶ月どんなことになるか試してみたいと思っている。

すべての器械を試したのだが、大丈夫使えるしウオーキングマシンで50メートルダッシュもできそうである。

 どうもまた、多分に『ハマってしまう』ような予感がしている。

 兎に角、時間は幾らでもあるので、体力増進に頑張ってみたいなと思っているのだが、果たしてどうなるだろうか?

 

 

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焼き肉 こざる 新店舗

2017-10-28 07:28:32 | 発想$感想

★三木にある「焼き肉こざる」は、孫たちにとって憧れの店である。

 三木に来たらどうしても行きたいというのが『こざる』なのだが、何ヶ月か前から、三木のスイミングプールのヨコに新しい店が出来て、一度は行って見ようと思っていたのだが、昼初めて覗いてみたのである。

 ホントにすぐ近くに『焼き肉こざる』があるのになぜ新しく店を出したのか、不思議に思っていたのだが、元の店はそのまま残っているようで、こちらは本来の肉屋さんなのである。

 肉も売っているのだがすぐ横に焼き肉が出来るテーブルが並んでいて、そこから肉を選んで焼き肉が出来るようになっている。

 

基本的にお肉屋さんである。
そのすぐ横に焼き肉のセットのあるテーブルが出来ていてそこで選んだ肉で焼き肉をすると言うスタイルである。
お任せで、選んでもらって昼飯を食ってきた。
スープ・サラダ・こんにゃくの味噌煮も付いて、選んでもらった結構立派な肉で、締めて1800円也。
 
旨かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 お客は私一人だったのでいろんな話もできた。

 肉は山形産など日本各地の肉がいろいろ、アメリカ産もあるし、こざるのタレなども売っている。

 『一般のお肉屋さんと比べて安いのですか?』とズケズケ聞いたら、

 『卸ですから、幾らか』という返事だった。

 

  肉は、ホントにいろいろあったので、自分の好きなものを選べばいいのである。

 立地もいいし、なかなかいいと思った。

 

     こちらはその動画である。

      http://www.nicovideo.jp/watch/sm32172023

 

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清宮 日ハム へ

2017-10-27 06:25:07 | 発想$感想

★日経新聞に 山本昌 さんがこんな記事を書いていた。

   https://www.nikkei.com/article/DGXMZO21597720X20C17A9000000/?df=2

 

  

 10月1日に記事だから、これは日ハムのことではなくて、『日本のプロ野球界』のことである。

 非常にいい記事だから、ぜひ読んでみて欲しい。

 最初に大谷のことに触れ、そのあと清宮のことを書いている。

 

  

 

★ 昨日は10月26日、今年のドラフト会議だった。

  

 

  7球団から1位指名を受けた 清宮幸太郎は そのくじを 日ハムが引き当てた。

 いみじくも、大谷が大リーグに巣立った後に、清宮が入団することになった。

 

 7球団の中で、最高にいいチームに行くことになったと思う。

 何をおいても栗山秀樹と言う監督がいる。 この環境は最高だと思う。

 大谷も若し、他の球団だったら二刀流をやらせて貰えたかどうか解らない。

 栗山監督だったからこそ、世界でただ一人の二刀流大リーガーが生まれる可能性を秘めているのである。

 

 DH制のある パリーグだったこともよかった。

 阪神も1位指名だったが、若し阪神だったら1塁しかないし有望若手と重複してどちらか一人がダメになる。

 北海道の大地で名監督の下、のびのびと育ってほしいと思う。

 

 大谷は来シーズン、大リーグに行くのだろうか?

 山本昌さんは、記事の中でこのように言っている。

 彼はいまなお発展途上にある。既に投打とも大リーグで十分通用するレベルにあるが、さらに大きくなる可能性を秘めている。ポスティング金額は多くの球団が上限で横並びになる可能性が高く、そうなれば大谷が行き先を決められる立場になる。ぜひとも二刀流を認めてくれるチームを選んでほしい。

ホントにそう思う。

大リーグでも二刀流で通用する実力なのだから、従来の常識外の選手になって欲しいと思う。

 

清宮も伸び伸びと育って、ぜひ大リーグでホームラン王が狙えるようになって欲しいものである。

 

 

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DeNa 日本シリーズへ

2017-10-26 07:34:53 | 発想$感想

★ DeNa は嫌いではない。むしろ好きな球団なのだが、

今回の日本シリーズへの出場には『おめでとう』とは言いたいが、広島のあの熱烈なファンはこのシステムをどのように思っているのだろうか?

 

   

 

 この記事には  https://news.yahoo.co.jp/pickup/6258675 このような記述があるが、

 ・・・ただ、今回の結果に「もやもや」を感じるファンは多いかもしれない。何しろ、ペナントを制した広島とDeNAのゲーム差は14・5。広島ファンは「長い戦いの価値は何だったのか――」という思いだろう。・・・・・

 

私自身は このシステムには、「もやもやを感じる」どころか。『即刻止めるべき』だと思っている。

6か月を戦って優勝を勝ち得たチーム同士の日本シリーズでないと『日本一』の意味などないと思う。

アメリカの大リーグとは、リーグ戦自体のシステムも違うし、これはまさに猿真似システムである。

 

試合数を増やして観客動員を求めたいのなら、サッカーのような天皇杯システムのトーナメントを別に設けるほうがいい。

 

★それは兎も角、DeNa には、ソフトバンクも破って、日本一になって欲しい。

 そうすれば、このシリーズのシステムについても再検討の機会になるのかも知れない。

 ずっと昔だが、巨人ー南海、巨人―西鉄時代の日本シリーズはもっと盛り上がりがあったと思う。

 

 本場アメリカのワールドシリーズが始まっている。

 こちらは ダルビッシュ有、前田健太両投手を擁するナ・リーグのドジャースに頑張って欲しい。

 ドジャース初球をホームランしてシリーズの幕が明けた。

 1回戦は前田投手は登板しなかったが、3-1でドジャースが制した。

 

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腹をへこます対策

2017-10-25 06:31:04 | 発想$感想

★ つい最近、ロスの空港で一緒に撮った息子と孫との3人での写真です。

 結構、身体の特に筋肉についてはストレッチもやってるし、84歳の割には自信もあるのですが、今回アメリカに遊びに行って、孫たちに『ハラ』のことを散々言われたのですが、やはり出てますかね?

   

 

 帰国して 一念発起 腹を引き締めようとこんなものを買いました。

    

 

    

 

    

 

  ゆらゆら揺れる小さな椅子です。 腹の筋肉を引き締めるのに効果あるようですし、ウソかホントか4週間でこれくらい腹回りが減ったとか。

    

 

 ホントかな?と思いますが、ちょうど4週間後には家内もアメリカから戻りますので、それまでに幾らかでもすっきりしたいと思っています。

 1回3分ほど、日に何回かやればいいのでしょうが、やってみると結構気持ちがいいので、続きそうです。

 

 

★最近は、ぐっと回数が減ってしまったゴルフですが、腹回りが邪魔して『スムースに振る』ことが出来なくなってます。

ついでにこちらももう一度やってみようと、ゴルフの練習場に行って、無理行って『練習マット』の旧いのを分けて貰ってきました。

      

 

 Slim Chair は約1万円、このマットは1000円、 

 締めて11000円の投資ですが、果たしてどんな結果になるのでしょうか?

 

 1か月後に、ご報告をしたいと思います。ご期待ください。

 

 

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自民圧勝の結果だが・・・各紙は

2017-10-24 07:58:13 | 私の生き方、考え方&意見

★今回の選挙の結果は、どう見ても自民圧勝である。

その結果をどう見るかは、自由だが、基本的には民意の結果として選挙の結果があるのだから、もう少し素直に見てはどうかと思うが、各紙や評論家はそれでもいろいろと言いたいようである。

 

 こんな各紙の報道分析をやったところがある。

 https://news.yahoo.co.jp/pickup/6258493

 

   

 

   

 

 

    

 

 

     

 

 

      

 

 

       

 

 

 

      

 

 ★中国ではないのだから、100%同じ方向にならないの当然だが、国民が自分の意志として投票した結果なのだから、

 それは素直に受け入れないと、何のための選挙なのかと思うのである

 朝日や毎日や東京新聞は、自らの論調と違った結果になったので、駄々をこねている感がする。

 

昨日は各民放も選挙の結果の報道が主流だったが、登場する解説者や評論家もいろいろ仰るが、一体この方たちはどこのどなたに投票したのだろう。 いろんな意見は仰るのだが、自らがどこの党を支持し、どんな方に投票したのかは決して仰らない。

それがマスコミの公平性だと言いたいのだろうが、昨今のマスコミの思惑みたいなものはすぐバレてしまうのである。

この番組は、まだマシなほうである。

 

    

 

  この番組では、若し『希望』と『市民』が分裂していなかったら、自民の大勝などなかったと分析しているのだが、どうかな?

 

      

 

 前回の都議選は自民党が大敗だというが、アレは安倍自民党ではなく『ドン自民党』に対する反対票だったのだろう。

 兎に角、いろんなことを言うものである。

 

 でも、大衆はそんなにバカではないと思う。

 そんな大衆の一人として『そう思っている』

 新聞を書く記者や、評論家は、自分がエライと思い上がっているのではないだろうか?

 

 

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今回の衆議院選挙の結果 雑感

2017-10-23 05:50:18 | 発想$感想

★『大義がない』というマスコミの大合唱で始まった今回の衆議院選挙、今日がその投票日だった。

 いま 8時、NHKは、8時になると同時にこのような結果を流した

 

    

 

  自民党の圧倒的勝利である。

 

    

 

  この兵庫4区は自民党の 藤井比早之さんが予想通りの当選を早々と決めた。

 

     

 

★朝日・毎日などはこの選挙を『大義がない』などと大騒ぎをしたし、野党は『安倍政権打倒』を旗印にこの選挙に臨んだのだが、森友・加計などの既に十分な説明があって決着がついているような小さい問題を取り上げていたが、国民はそんな小さな問題にはホントは関心はないのだが、アンケートで質問されるのでそれに答えただけのことを、世の中の趨勢だと見誤ったのではなかろうか?

世界各国の政治事情が不安定な中で、世界で最も安定しているとされる『安倍政権』を選択しないなどは、普通の常識では考えられないと思う。北朝鮮問題などもあり、非常に難しい世界情勢の中で、不安定極まる民進党系の野党などに国政を任せられないと思うのは当然ではなかろうか。

 

 

★一夜明けて、朝日の朝刊の一面の見出し

 ●自公3分の2 首相続投

 ●立憲躍進、希望伸び悩み

 ●改憲議論今後の焦点   などとある。

 

 自民党の圧勝と言っていい。安倍さんの続投を心から願っていたので、予想された結果だが満足である。

 『立憲躍進、希望伸び悩み』とあるがホントにそうなのか?

 

 

  解散前の何となく訳の分からなかった民進党は88議席も持っていたのだがそれがはっきりと思想的に分かれて 今後の焦点と言われる改憲議論には明確に憲法改正に前向きの希望の党と維新が加わって、より明確になったし、共産党も社民も議席を減らしたので日本の保守勢力の圧勝と言っていいのではなかろうか?

安倍内閣に真正面から反対する勢力は、選挙前に比べて、立憲・共産党・社民党に無所属を加えても激減なのである。

小池さんの希望の党が苦戦というが、新しく立ち上げた新党が一挙に100議席を確保するなどと思うほうが間違っていて、この結果は順当と見るべきではなかろうか?

 維新の動きは従来からと同じだろうし、今後『希望の党』がどのように動くかが焦点である。

 この分裂を仕掛けた前原さんも無所属だがどう動くのかが注目である。

 

 

★全然違う観点だが、毎日新聞が「えらぼーと」というサイトを出してたのでやってみた。

 選挙区の立候補議員といっても、ホントはよく解っていないのでこのシステムはなかなかいい。

  https://vote.mainichi.jp/48shu/

 

 自分が考えていることと候補者の主張とを合わせてみることができて『投票判断』として参考になる。

 こんなシステムである。

     

 

 

 その回答をしたら私はこのようなことになった

 

  

 

  それぞれの政党の主張との合致度で 自民ー公明―大地ー維新などの順になった。 まあそんなところである。

  そして、兵庫4区の候補者との関係で言うとこういうことになるらしい。

 

    

 

  この兵庫4区は藤井さんで決まりだと思っていたが、結果もその通りになった。

  今回の総選挙の私なりの雑感である。

 

 

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東京オリンピック 日本代表キーパーを目指す孫、門野哲也

2017-10-22 05:56:12 | 発想$感想

★約1ヶ月アメリカの娘一家のところに滞在していた。

10月20日は 孫、門野哲也の17歳の誕生日だったのである。

 

 Facebook に娘がこんな写真をアップしていた。

 

日本の代表キーパーも務める 川島永嗣著 『準備する力』を 誕生日を迎えた、孫門野哲也に誕生日のお祝いに贈ったようである。

  

 

 

  

  本日末っ子17歳の誕生日🎂🎉
  日本の守護神になれるようお誕生日のプレゼントに贈った一冊。

      漢字が多くて大変だけど頑張って読んでね

 

 

★17歳、日本で言えばまだ高校2年生である。185cmと背は高い。キーパーをしていている。

アメリカには US Soccer Development Accademy というアメリカ統一の組織があって、アメリカのトップクラスの選手の育成を目指している。

    

 

★アメリカで育って、小学生の頃からメキシコ代表のキーパーをしていた ジョバーニ ・ヘルナンデスさんにずっと個人指導を受けてきたこともあって、そこそこのレベルには来ている。今はジョバーニ さんは、FC Strikersのゴールキーパーコーチをされているので、その指導が続いているのである。

アメリカの『選手を育てるシステム』はホントに確りしていて Strikers FC でも元アメリカ代表選手が優秀選手だけを集めて、年齢別のチームで指導している。

 

孫門野哲也は Irvine の Strikers FC という Accademy公認チームで、この数年ずっと一つ年上のチームでプレーしていて、17歳になったところだが U18/19の一番上のチームでプレイしている。

 

 

 

 

そんな環境の中で育ってきた孫は 全くアメリカ人のような発想で『自分を売る』ことには躊躇しないし、ホントに『プロを目指す』と言って憚らない。

 『オリンピックの日本代表のキーパー』が夢のようである。

 2年ほど前、まだ中学生だったが、ヴィッセル神戸の高校生のチームの練習にも参加して、そのレベルを見て自信を持ったようである。

   

 

 

★アメリカに 『誕生日までいて』と言われていたのだが、戻ってきてしまったので、

 誕生日のお祝いの贈り物として、こんなブログにをップしているのである。

 

 これはアメリカ滞在中に私が撮った You Tube だが、門野哲也の試合前の練習風景である。

 赤い服のコーチが 元メキシコ代表キーパーの ジョバーニ ・ヘルナンデス さんである。

  https://www.youtube.com/watch?v=aw1U9R4ddkg

 

  

  3年後は、まだアメリカの大学だとは思うが、果たして夢は叶うだろうか?

  

  

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静かな1日

2017-10-21 13:28:18 | 発想$感想

★選挙前の土曜日、雨が降っている。

 雨の心配などしなくていい毎日青空のカリフォルニアでの1ヶ月の生活は、娘家族や孫たちに囲まれて賑やかだったが、日本に戻ってきて、家内はまだもう1ヶ月向うに残ったので、ホントに家の中で独り、静かに暮らしている。

賑やかなのも好きだが、独り静かなのも嫌いではない。

退屈などは一切せずに、文字通り自由に自分の好きなようにやれるのがいい。

 

 3度の食事の用意をするだけでも、その準備の買い物から入れると結構かかるが、これもあまり苦にはならない。私流に好きなようにやっている。

 

  

 

朝のパンは自分で前の晩から焼くところからやっているし、昨日は食いたかったブリのアラ煮も自分で作ったが、作り方など最近はネットで調べたら、幾らでも出ているから、そんなに難しくはない。結構上手くできた。

 アメリカで使っていたノートパソコンは現地でも調子が悪かったのだが、戻ってきた途端に充電能力の接触が悪くなって使えなくなってしまったが、本来のパソコンがあるので問題なくやっている。

 ただ、向うにいる時は周囲に娘婿など、ネットやパソコン技術に達者なのがいて重宝したのだが、向うでスタートしたGoogle Earth をこちらでやろうとすると、私のレベルではできないのである。昨日も娘婿にFBのメッセンジャーでいろいろ教えて貰ったのだが、どうももう一つダメなのである。

 

★それはそうと、明日は総選挙の投票日である。

日本に戻れば幾らか、選挙らしい動きでもあるのかなと思ったが、全くもって静かである。

選挙などやってる気配はない。新聞やテレビではいろいろ言ってはいるのだが・・・もうどうやら自民党の圧勝は揺るがないようである。朝日新聞の論調など見ていても、もうあきらめムードのように思う。

明日は投票日だが、どなたに投票するかはまだ決めていない。投票場で決めることにしたい。三木では共産党の市会議員の方とお付き合いのある関係で、共産党からの『留守番電話』が入っていたりしたが、兵庫4区は個人は自民党の候補者で決まりのような予想である。こういう時の1票は、どなたに投票すると言っても、もう一つ意気上がらないというのがホンネである。

私自身は、『安倍政権』というか『安倍さん』は好きだし、いまの日本で『安倍政権が続くこと』が日本のためだと思っているのだが、安倍さん個人には投票できないのでどうしようもない。

自民党自体はどうももう一つ100%好きにもなれないので、比例では『維新にでも入れるかな』と思ったりもしている。

もう何年も前になるが、この4区からも民主党の高橋さんが出ていて、応援して投票したら当選したころが懐かしい。民主党が政権を取ったころのことである。

どうも今は、あの当時の雰囲気が全くないのである。

 

★昼からは、日本シリーズ前哨戦など見ているが、もう一つ熱が入らない。

6か月も戦ったシリーズの優勝チームがそのまま代表になれないシステムは、どうもピンとこないのである。

今から、ネット碁でも打とうかなと思っている。

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ホンダスーパーカブ1億台

2017-10-21 07:05:52 | 発想$感想

★こんなニュースが流れた。

   

 

「スーパーカブは1958年の誕生以来、各国の文化の違いや多様化するお客様のニーズに合わせて進化を続け、160か国以上で販売された、まさにロングセラーモデル」と紹介した上で、「需要のあるところで生産するという考えのもと1961年には台湾での生産を開始し、現在では世界15か国、16拠点で生産され、今月上旬で生産台数が1億台にいたった」

 

1958年生産開始とある。

1958年といえば、昭和33年、私が川崎航空機に入社した翌年のことである。カワサキはバイクのエンジンはメイ発に提供などはしていたが、まだオートバイ事業には参入はしていなかった時代である。

当時はオートバイメーカーと言っても、自転車にエンジンをつけるだけのものなど、その数100社以上もあって、当時の川崎航空機は本田さんに確かミッションの部品など提供していたのだが、私の入社したころは社内にホンダのオートバイが何台もあって『なぜ?』と聞いたら、『部品代の一部に・・』などと言っていたそんな時代だったのである。

そんな時代に『50ccカブ』の出現は、当時のオートバイ業界を一変させたのである。

当時は浜松の『スズキ』も中間車種と言われた80㏄のオートバイが堅調だったが、業界の競争が激しかったのか、100社以上あったメーカーも、カワサキが二輪事業に進出しようとした1960年には、殆ど消え失せて、ヤマハ・三菱・富士重・トートーハツ・メグロなど10社ほどになっていたのである。

 

そんな時代に出たカブは、いろんな意味で画期的で、業界の文字通りの先駆者となり『50ccモペット』という分野を確立したのである。

 鈴木もヤマハもモペットの分野に追随したし、二輪事業をスタートさせた当時のカワサキもM5というモペットも持っていたし、井関農機のタフ50という空水冷の50ccのエンジン提供もしていたのである。

ニュースの中でも紹介していたが、先頭を走った『ホンダスーパーカブ』は世界で始めてといういろんな特徴を持っていた。

 

    

 

    

 

    

 

 そんな数々の特徴を持ったカブだったが、本田宗一郎社長自らがこのプロジェクトの先頭に立たれていたのである。

    

 

このカブの生産工場として『鈴鹿工場』が新しく建設されたし、同じ鈴鹿に鈴鹿サーキットの建設も同時進行していたのである。

ちなみに鈴鹿サーキットは、1962年9月にサーキットが完成し、同年11月3日 - 4日にかけてオープニングレースとして第1回全日本選手権ロードレースが開催されたのである。そのレースにカワサキの製造部の人たちがバスを仕立てて観に行って、そのレースに感動して、中村治道、高橋鐵郎、川崎芳夫、松尾勇さんなどが翌年、青野ヶ原のモトクロスに出場し優勝して、カワサキの二輪事業部の雰囲気は一変したのである。若し鈴鹿のロードレースがなかったら、カワサキはひょっとしたら二輪事業から撤退していたかも知れないのである。

 

販売網でも、大量生産される『カブ』を大量販売する『知恵』として全国に何万店もあった『まちの自転車屋』を利用したのは世界で初めてのことで、画期的だったと思っている。

 自転車屋だから、『エンジンのこと』など本来解っていないし、『資金力』もないので、その販売方式は「委託販売」で買取り方式ではなく、モペットを展示していて売れたら『手数料・マージン』を支払う方式をとっていて、当時の日本で『モペット』の取扱店は、5万店もあると言われたのである。

 こんな販売方式がその後何十年も続いて、日本の二輪業界の独特の販売形態として続いたのである。

 

★そんな『ホンダスーパーカブ』は日本だけでなく、台湾をはじめ東南アジア各国でも生産販売が進められて、60年経ってその数『1億台』とは、素晴らしい快挙である。

 文字通り『1億人以上の人たち』がホンダスーパーカブに乗ったことになるのである。

 その形も部分的な進化はあったのだろうが、基本的にはスタート時点の形が継承されている。

スゴイなと思うし、こんな商品を世に出された本田宗一郎さんの『先見の明』に改めて心からの敬意を表したいのである。

 

 

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1ヶ月の空白と植物

2017-10-20 05:06:35 | 発想$感想

★アメリカに行っていて、1ヶ月家を空けるとどんなことになるのか?

そこで実際に起こったことの感想を纏めてみたい。

 

家庭というのは、日常生活の場なのだからそこに人がいることが前提で、誰もいないとなると家はあっても、そこには生活がなかったのである。

1ヶ月空き家同然になっていた我が家だが、戻ってみると当然ながら家は出発した時と同じ状況で何の変化もなかったのだが、

まず目についたのが、玄関の正面に置いていたシュロ竹が、水切れでこんな状況になっていた。

    

 これは帰宅して、水をやって1日経っているので、幾らか回復の兆しは見えているのだが、何とか大丈夫とは思うが、下の方の小さな葉は持たないかも知れない、そんな状況なのである。

 もう2,3日経つと回復するとは思うが、生き物を可哀想なことをしたと思っている。

 昨年は外に置いていたので雨で水分は補給されて大丈夫だったのだと思う。

 

 こちらもいつもは家の中に置いているのだが、雨戸を閉めていくので水よりはむしろ光が不足することを心配して、わざわざ外に出しておいたのだが、どうやら9月初めの台風の時に倒れたのであろう。横倒しになっていた。

  

 

  その結果がこちらにように、横倒しのまま1ヶ月近くを過ごしたので、葉が横を向きかけている。

 生きているものは光・太陽を求めてそちらの方を向うとするのだ。

 方向はおかしくなっているが、水は雨で足りたのか、元気さは全然問題なかった。

 

★今日は雨である。雨に日本を感慨深く感じている帰国2日目である。

  

 

 日本の9月は、秋雨の時期でバラなどは大丈夫だったが、雑草は庭中いっぱいに大きく育っていた。

 これを取るのが大変だが、いつもは何とかなっているのは、そこに人の生活があるからだと思う。

 

★1ヶ月、全く雨の心配はない青い空のカリフォルニアIrvine は、スプランクラ―の給水でまちの緑が保たれている。

そのシステムと労働力で、緑を綺麗に保つレベルは見事とというほかはない。

日本のように、街路樹の下など雑草が生えると除去しているが、一切雑草が見えないほどに素晴らしい管理がなされている。1ヶ月の滞在期間、Irvine のどこに行っても雑草を見ることがなかったのである。

一切雑草が見えないほどに緑の芝生などの維持がなされていてそんな労働力を安価で提供しているのが、メキシカンである。ある意味、農業国であるアメリカが、広大な農地で果物などの栽培の果実の収穫などを支えているのが、大量に不法に入国しているとも言われているメキシカンであることも事実のようで、なかなかアメリカは複雑なところもあるようである。

 

 日本に戻ってきてそんなことを考えている。

 

 

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日本に戻ってきた

2017-10-19 08:25:25 | 発想$感想

★ アメリカから11時間のフライトで朝5時前に羽田に、羽田から神戸空港に、そして三宮からバスに乗って9時半には1ヶ月ぶりに家に着いた。

久しぶりの日本だが違和感は全くないのが不思議に思う。

家の中は、勿論そのままだが鉢植えの棕櫚竹が水切れでちょっと元気がないぐらい。

 

      

 

      

 

       放っておいたバラも何とか咲いていたが、庭の雑草も同じように伸びている。

  その手入れに少し時間が掛るだろう。

  家の中は、1ヶ月前と同じだが、自然や季節は動いている。

 

 

★ ノートパソコンから、いつものパソコンに戻って、ホッとしている。

 字も大きいし、接触がどうだ、電池がなどの面倒なことが無くなった。 

 逆に、昨日まで何とかなっていたノートパソコンがもう一つ調子が悪い。帰国した途端に動かなくなってしまった。

 でも、こちらにいる限りは使わないので、大した問題ではないのだが・・

 

 

★ 今回のアメリカ滞在の主たる目的は、アメリカの孫たちのサッカーの試合を観ることが一番だったのだが、帰る間際になって、孫たちの小学生時代のサッカーの師匠の息子と孫が参加して一挙に賑やかになった。

 

 

  

   こちらは、これは門野夫妻と孫門野哲也 私と息子そして孫古谷仁 の3:3である。

 

 そして最終日は、ウイークデイで門野は会社、孫は学校だったので、昼はこんなメンバーでラグナビーチへ。

   

 

 一番の目的だった、Berleley -Washington 戦は孫門野真也が先制点を挙げて2-1で勝利、

 試合後みんなと写真も撮れたし、

    

 

  こんなかわいいファンに囲まれる孫の姿も見れてよかった。

       

 

  こんな最高のアメリカ滞在も終わって、

 これから1ヶ月、家内が戻ってくるまでの独身生活が始まる。

 

 

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