雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

ブランドイメージ

2007-05-31 09:06:48 | 樋渡啓祐さんのこと
NO.124 ブランドイメージ

三木市長 藪本吉秀様
cc  三木市に関心のある方々に


昨日のブログ「コメント」に三木市に関心のある方々から沢山のコメントを頂きました。
先日三木市を訪問された樋渡さんからは、武雄市長と三木ファンの二つの立場で二つのコメントを頂きました。

特に、三木ファンの立場で 
僕は活かしきれないというよりは、ブランドイメージが統一されていないような感じを受けました。」 とのコメントは、
私が124回続けている 「三木市長メール」 の核心に触れる部分です。

樋渡さんのコメントは、私が続けてきた市長メールの中味をご存知のようなコメントでした。



最初からの市長メールを、もう一度眺めて見ました。

第1回には、三木は一番がいっぱいの町である。三木の顔であるホームページが駄目ですね。広報的な発想で、末端の立場で考える。

第2回目はヨコに繋ぐ、トータルシステムで。

NO.3は、市長メールは続くと思いましたのでNOを付すこと、テーマは「三木市のイメージ向上について」と絞って続ける。そして市長がお読み頂ければそれでいい。各部門からの回答は不要です、と書いています。


以降、いろいろありますが、最も核心を書いているのは、NO.57です。
これは、初めて市長とお会いしたタウンミーテングの会場で4ページのメモに纏め、お渡しした内容を正規の市長メールで原文のまま打ち直したものです。

その項目だけを羅列します。

1.高い目標の設定
 (1)一番
 (2)美しい
2.情報発信の方法(表現の方法)
3.現状認識と現状打破の方向
(1)無関心
(2)打破の方向
(3)具体的な展開の方向
(4)既に三木にある利用出来そうなツール
4.最終目標
 「MIKI] 「みき」 のブランドの確立。
 単なる商品のブランドを超えて 「三木」「みき」 そのもののブランドの確立が最終目標でなければならない。



「ブランドの確立」は難しい課題ですが、その統一を図るために広報があります。

そして上記でも触れた既に三木にある利用できそうな広報ツールとして、
その後、「ネーミング」、「ロゴ」、「レタリング」、「パブリシテイ」、「広報戦略」など広報に関するメールを、NO.69,73,111,114で具体的に触れています。


今朝の武雄市営業部戦略課のブログはたまたまですが、ロゴに関するものでした

樋渡さんは、高槻のこちら部長室の中で「全てはネーミング」というコメントも出しておられます。
ネーミングとかロゴという広報の基本の部分を大事にしておられるのだと思います。



管理されないネーミング、統一されないロゴのままですと、
その間発信される情報は、無駄とは言いませんが、一つのイメージ、さらにはブランドの確立に繋がらないと思います。

三木の方が、市民の方も含めて、何となく納得されて使っている 「みっきい」 というネーミングがあります。
今これを管理している部門とか、使用規定とかがはっきりと決まっていないようです。
その 「レタリング」 は決まっていなくて何種類かあって、自由のようです。

これは強化された広報部門で統一すべき課題であり、その認識はお有りのようですが具体的にどんな状況にあるのか。


これは、私が勝手に提案していることで、多分三木市民の方も、市役所の職員の方も殆ど、ご存知ないと思いますが。
「みっきーず」というネーミングがあります。
「FMみっきい」でボランテァデ働いている人たちのことを、「FMみっきい」では「みっきーず」と称して放送の中でも使っています。

これは、非常にいいネーミングなので正規に採り上げ、三木に関心をもち、三木に集う三木ファンの人たちを市民も市民以外も含めてのネーミング「呼び名」にしてはと提案しています。
市の方針のなかにも「集客」や「賑わい」があり年間400万人の人たちがみきを訪れます。
その中でリピートする三木ファンを何となく「総称するネーミング」として、個人的にいいと思っているのですが、樋渡さんも三木ファンと自認されているので「みっきーず」と言えるのだろうと思っています

三木にはいいところ、いいもの、いい環境、いっぱいです。
薮本市長さんも前向きです。
 少しだけ、手順や方向を考えられてはと、思っています。



樋渡さんのコメントが、
私のメールの応援歌のように聞こえましたので、再度まとめてみました。

三木市に関心のある方はどのようにお考えでしょうか。
新しい議員の方々も、新しい感性で三木をいい方向に、引っ張ってください。





コメント (3)
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高野連と西武で思うこと

2007-05-31 05:39:53 | 発想$感想
若い頃から、野球をやっていた。
旧制中学でも春の甲子園大会には出場したが、ベンチには入れずスタンド応援だった。
高校でも、夏の全国大会に出場できた。

そんなことで、高野連にはいろいろとお世話になった筈であるが、
私自身、正直直接何か影響を受けたとか、感化されたという実感はない。


この春辺りから、推薦入学とかいろんなことで多くの有名校が問題になって、軽い?処分を受けている。
出場停止は春の地方大会だけで、本命の夏には関係ないのである。

昔、私の高校でも、確かに地区以外からの入学者も沢山居たが、余り気にも留めず「そんなものだ」と思っていた。当時は、プロ野球も今のような過熱したスカウト合戦はなかったような気もする。
あの金田正一でも特にすごい競争もなく、静かに国鉄スワローズに入ったようである。(伯父が初代の国鉄総監督をしていたので、そんな話も聞いた。)



最近の加熱振りはやはり行き過ぎだと思う。
そんなことで、西武がコミッショナーから処罰を受けた。

高野連と西武の話は、立場は違うが関連はある。
どちらも時代の流れにあっていないし、やり過ぎ、行き過ぎのような気がする。

世の中にいろんな意見があるようだが、
もう一つ中に立ち入って積極的に考えてみようという気になれない。
なにを今更と、 「しらけた感じ」 である。


決められたルールを破った西武は勿論悪いのだが、
高野連も旧い体質の上に成り立っていて、今の時代に世の共感を得られないのではないか。
高野連だけが特別で、他のスポーツで普通に行われていることが野球だけには適用出来ないというのも、もう一つよく解らないのである。

基本的な旧い体質やシステムを改革せずに、
小手先だけで一時の出場停止や罰金などのの処罰をやってみても、世間の納得は得られないのではと思う。

少なくとも、それで 「問題が解決した」 と思う人は、極端に言えば皆無ではなかろうか。


何事でも、本質を見ずにうわべをつくろってみても、真の解決には程遠いと思う。
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コメント

2007-05-30 05:45:12 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
オンブズマン三木というブログがある。
今年の3月に立ち上げられたまだ新しいブログだが、当初から関心もあって注目していた。

何度かコメントも差し上げたのだが、先日「先行投資」に関してコメントしたのだが、予想外の広がりを見せている
一つのテーマに関連して、時間、地域、職業、地位、立場などを超えて、ヨコ一線に自由に意見が交わせるブログというツールは面白い。

ここに、武雄市長、樋渡さんも参加されている。
樋渡さんの発想や、そのスタンス、行動力は一般の水準をはるかに超えている。

三木市は武雄市にとって、人事交流の提携をする市ではあるが、一般の市民やオンブズマンに直接コメントを入れられるのは普通ではなかなか出来ないことだと思う。



その樋渡さんとお会いすることが出来た。

10年も前から親しくお付き合いをしてきたような、自然な会話ができた。
今回の出張中にも頻繁に私のブログにコメントを頂いたので、お聞きすると「1日に4回ぐらい覗く」と多分仰った。
はずんだ会話の一こまだったので確かな記憶ではないが。

私のブログに登場する三木の人たちを殆どご存知のようである。
オンブズマン三木もそうだし28才の市議米田さんのこともご存知だった
ひょっとしたら、そのブログを覗いておられるかも知れない。
大西ひできさんのことも

 奇人、変人を自認する樋渡さんらしい一面である。



武雄市と三木市は人事交流の提携をした。

三木市の記者発表の資料によると、 
「広域的な視野に立ったもの見方、考え方が出来る職員を育成する」 のが目的のようである。

人事交流の先に、何かの 「仕掛け」 か 「戦略的な先行投資」 という明確な意思があるようにも思う。 



今まで見つけることが難しかったのだが、
武雄市の営業部戦略課が毎日更新を続けている素晴らしい内容のブログがある
その戦略課に所属する「ひゃー3号さん」が、出張中の台湾から私のブログにコメントを寄せられた。

ひゃーとは平、どうも平社員ということのようである。、
平社員だが、市長譲りの広い視野で物事を見て、積極的に戦略的に行動されているのだろうか。
武雄市以外のブログにもコメントすることを、ご自分の仕事に関係があると認識しておられるのかも知れません。

三木から派遣される職員の勤務先は、この戦略課のようである。


樋渡さんが、三木市の市民のブログにコメントする。
「それは武雄市長としての仕事ですか」 と若し訊ねたら 
「重要な、戦略的意味を持つ仕事です」 と応えられるかも知れない。


コメントをすることは、 「広域的な視野に立ったものの見方、考え方」 があれば、そんなに難しいことではないだろう。
ただ、行動に移すのは自分の仕事の外のような気がして 「勇気が要ること」 なのかも知れない。


(追伸)
この記事を朝の5時45分に発信したのだが、6時28分に武雄市戦略課ひゃーさんからコメントが入った。
情報収集力、対応の敏速性、気持ちがいい。(6時34分記)

(追伸ー2)
9時51分に樋渡さんご本人から「さすが」とコメント。
流石です。 (10時4分記)

(追伸ー3)
今日はゴルフだった、オンブズマン三木からも夕方にコメントが。

(追伸ー4)
夕方にはパソコンの電源を落としてしまうので気がつかなかったが、
この後、樋渡さん、米田さン、大西さんからもコメントを頂いた。
「三木ファン」と最後に書かれた樋渡さんの今日2度目のコメントは、私への応援歌のようにも思える。三木市長メールをアップしたいと思う。(31日、5時35分)

年寄りは早寝早起きです。
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KAZE  VOL。182

2007-05-29 05:46:34 | ジェットスキー&KAZE
KAZE VOL.182号が届いた。
今月はじめの181号がなかなかの力作で、褒めてご紹介したのだが、今回もなかなかのものである。

半ば以上身内なので、あまり褒めるのもーーーと思うが、何となく落ち着きもあり中味もいろいろと面白くていい。

ただ、ご紹介しても、購入するわけにもいかず、
KAZEの会員がどこか近くにいないと読めないのか、
販売店かどこか適当なところに行けば読むことが出来るのか。

その辺が解っていないままのご紹介だが、お許し願いたい。


VULCAN900CUSTOM にまたがる36歳の佐伯さんが、しぶい神社を背景の写真で始まっている。
今までNinjaZX-9Rのオーナーであった佐伯さんが2台目のバイクにVULCUN900を購入したのは一見ユニークな選択だけど、それにはきちんとした訳があった。

と、そのことによって 「変る生活の面白さ」を紹介している。
「バイクと人とのいい関係」 昔、確かこんなキャッチコピーがあったような気がするが、それについての物語である。

続いて、
昨年の5月、カワサキの企業ミュージアムとしてオープンした「カワサキワールド」は1周年、入館者数24万人。 今や神戸の新名所として定着した。
これはその通りで、期待を裏切らぬものだと思う。立地も最高である。
是非、一度は覗いてみる価値ありである。

そのあと、今年で10年目を迎える「カワサキコーヒーブレークミーテング」や、
もっと前から続いている、KAZE北海道レンタルツーリング、
KAZE海外ツーリング、USAワイルドウエスト7日間、USA横断14日間など
カワサキ独自のイベントの紹介。

そして最後に前回、「単行ものにしても大丈夫」と評した韓国、釜山から慶州へのツーリングの後編が前編と同じく6ページだてで掲載されている。
中学1年まで、韓国で育ったので特に関心があるのかも知れぬが、それを割り引いても、力作であること間違いない。


バイクでの、一味違った生活を楽しみたい方に、いろんな献立を提供してくれる 「KAZE」 はお奨めであると思う。


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BUG IN MIKI

2007-05-28 05:29:03 | みっきぃふるさとふれあい公園
NO.123 BUG IN MIKI

三木市長 藪本吉秀様

   cc BUG IN MIKI 関係者の皆様


BUG IN MIKI を見ての感想を、迷いましたが 「市長メール」 の形でアップします。


第7回BUG IN MIKIが道の駅みきで開催された。
晴天に恵まれて、若い人たちのカップルや子供連れの人たちが大勢訪れた。

もう今年で7回になるというのに、三木に住んでいて知らなかったのだが、
昨年「Wikipedia三木」のなかで出会って、
今年の春ブログで主催者の松原さんに出会って、
今日はじめて見せて頂いた。

当然のことながら、ホントに沢山のVWが集まって賑やかな雰囲気であったが、
会場ではいろんな方と出会えて、楽しい会話が出来たのは大収穫であった。



先日、ON ANY SANDAのヴィンテージMXでお世話になった貴島さんが店を出していて、先日の写真を沢山頂いた。

このイベントの主催者の松原さんとは、ブログやメールだけのお付き合いだったが、
是非とのお誘いで、テントに伺っていろんなお話をさせて頂いた。

「こんにちは。」 と突然声を掛けられて、一瞬解らなかったが、
「こちらロジウラ探偵局」 を三木で発行している井上さんだった。
以前一度だけ、30分ほど市役所のロビーでお話をしたことがあるのだが、よく覚えておられた。 このイベントに協力の立場で手伝っておられるようである。


昼前には市長の藪本さんも会場に来られて、
秘書の藤田さんともども、いろんな話をさせて頂いた。

更には、市議の大西さんとはお会いできなかったが、ブログに書いておられたご自身で製作されたフォトフレームに、現場でどなたかが即興で描かれた絵も見せて貰った。



考えてみると、今日お会いした人たちはみんな何らかの形で、インターネット、ブログでのお知り合いである。
いろんな方たちの努力と協力で、このイベントも出来上がっているのである。


一般市民の主催するイベントに行政が協力する、新しい形の 「行政参画」は、 
「美しい調和、協働」 を目指す三木市のコンセプトにピッタリである。

関係者の方は、何かとご苦労もあるのだろうが、


伝統的なイベントが圧倒的に多い三木で、 
「新しく若々しいイベント」 としてここまで成長してきている。
三木全体で支えて、より永くより立派なイベントに育って欲しいものである。

薮本さんは昨年も来られたとか、
来年はより盛大に、「日本一美しいまち」 で 「日本一のBUG IN MIKI」  を目指して欲しい。
薮本さん、是非来年もお願いしますよ。

たった1日かも知れぬが、
三木市に若い人たちが集うことは、
まちそのものを若返えらせる、気持ちの若返る一日だと思った。
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身のまわりにこそ「宝物」

2007-05-27 05:35:36 | 樋渡啓祐さんのこと
「身のまわりにこそ宝物」 西日本新聞藤通彦佐賀総局長が書いた推薦文の中の字句である。

世の中には本当にたくさんの宝物が身のまわりに散らばっているのだが、殆どのひとが、殆どの場合それを見逃してしまうものである。
これを見つけるのには、アタマのよさも、学歴も、経歴もあまり関係のないことである。
何事も注意深く見つけようとする態度、それが習慣になった感性みたいなものさえあればいい。

少しかっこよく言えば、マーケッテングマインドがあればいい。



5月24日の「武雄市長物語」 「僕の写真館が出来ました」の最後に 「武雄の四季」写真館ご覧下さいとある。 それを見た感想である。


この写真館、樋渡さんが武雄で写し、ブログで紹介された写真を西日本新聞主催でいろんなスタッフが協力して作り上げたもので、本当にきれいな写真で構成されている。

非常に素晴らしく立派な出来映えである。
写真館を造られた本来の目的はこのWEB写真館をさらっと見て貰ったただけで十分に達成できていると思う。


左下に 「一ノ瀬泰造写真展ブログ」 が観光協会などとさりげなく一緒に並んでいた。
4月13日にスタートしているブログで、現在までほぼ毎日更新されている。
「武雄市営業部の戦略家ブログ」 と銘打って報道カメラマン一ノ瀬泰造氏と組んでの? [武雄のイメージ戦略] を意識したブログである。

戦略課、観光課、農林商工課、競輪課で構成されている営業部が、
ゆほほやレモングラスや競輪の写真なども入れて 「楽しめる仕掛けをたくさん」 と明確に意識して、武雄だけに止まらず、湯布院、福岡などや更に世界から写真を募集する発想など、ヨコいっぱいに視野を広げて展開されているのは流石だと思った。

観光会議には樋渡さんの写真もあって 「営業部には市長はしょっちゅう現れる」 とも書かれている。
「なるほど、いいものが出来るはずだ。」 と思った。



その下にある
江森浩子共同テレビプロデユーサーと、
西日本新聞藤井通彦佐賀総局長の「推薦の言葉」は是非ご一読をお奨めしたいのだが。

藤井さんの言葉の中に
「市長個人の宣伝の場、PRという次元を超えた写真、被写体がある武雄という土地自体の魅力があふれている。」
と特に
「身のまわりにこそ宝物」 を見つける繊細な心とセンスがなくては成立し得ない点で、まさにここに展示された写真と同根だと言える。」

写真館もよかったが、私にとっては、「営業部の戦略ブログ」と二つの推薦文が印象に残った。


営業部の戦略ブログ」は武雄市と人材交流協定を提携しようとする、三木市役所の方々も参考になると思う。

特に「みきのお庭番日記」の広報担当の皆さんには、是非ご一読をお奨めです。
新しい方も入られて、また新しくスタートされたように思える「みきのお庭番日記」に期待しています。


まさに「身のまわりにある宝物」だと思うのだが。



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カワサキ単車の昔話-61

2007-05-26 05:29:16 | M/Cレース
 
 仙台時代ー3  モトクロスレース


仙台には1967年から4年間居たのだが、
この前半の2年間は、カワサキの国内モトクロスが最も充実していた黄金時代といっていい。

マシンもF21Mなどのほか 90,125ccも充実していたし、
メカニック陣も松尾勇さん以下経験豊かな人材が揃っていた。

何よりも、ライダー布陣が他メーカーを圧倒して、質量共に揃っていたのである。

神戸木の実の山本隆、歳森康師、
カワサキコンバットの梅津次郎、岡部能夫、星野一義、
ジュニアには清原明彦、従野孝司。
誰が優勝してもおかしくないメンバーであった。

その頃、東北は毎月のようにレースがあって、これらのライダーたちが大げさに言うと殆どのレースで優勝している。

例えば67年の東北でのレースの優勝回数は、私の日記の記録によると、
山本5回、星野6回、歳森3回、岡部3回、梅津2回と凄まじいし、
68年も同じような傾向で、更にジュニアに清原、従野の名前が出てきている。

たまたま67年は郡山、68年は札幌と、
MFJ日本グランプリが北で開催され観戦の機会に恵まれたが、

67年は90cc山本125cc星野、
68年は逆に90cc星野、125cc山本が優勝している。
250ccはこの頃からヤマハのDT1が登場して互角の戦いとなっている。

いずれにしても、初期のレース担当として契約やレース運営で苦労してきたが、
レースを離れて仙台に来て、花開いた時期のレースが目の前で展開されたのは感慨ひとしおであった。

仙台での後半は、優勝の回数は減少したが、
山本隆君による各県の白バイ隊員の指導や、
今の菅生の前身である宮城県の村田町に東北MFJに関係していた佐藤さんが個人で造った仙台テクニカルハイランドなどへの協力や、
ジュニアの東北チャンピオンであった服部謙治君への援助、などレース仲間との交流が多かったのである。
現在、星野インパル社長の金子豊君などもその頃はまだ秋田に居て、しょっちゅう出入りしていた。


仙台での4年間、レースばかりで遊んでばかりいた訳ではないが、レースに割いた時間は結構多かったと思う。
それが即販促に繋がったそんな環境であったし、デーラーの関心も高かった。


この時代に活躍した山本隆君がつい先日、三木のアネックスパークで開催されたヴィンテージモトクロス 「ON ANY SANDA」 で当時のマシンF21Mで、昔を彷彿させる走りを見せてくれたのは、私にとって40年前を懐かしく思い出させてくれた出来事であった。
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続 繋がり

2007-05-25 06:28:43 | 政治
ヨコへの展開は、枠がないから面白い。
枠の中だけの活動は、ある意味エゴでもあると思っている。

昨日のブログの横の展開は、自治体の枠を超えて、人々のおかれた立場職業などを越えて自由に繋がっていく可能性を見せてくれた。

加古川市、武雄市、三木市のことがその中で述べられている。
言われていることが、正しいとか正しくないということは、そんなに大きな問題ではない。
それらは自由な主張であり、そのように考える人が居ることは間違いない事実である。

価値観が多様化し、そんな人たちを纏めて市政を展開することは、ある意味難しいのだが、「いろんな意見があること」、 「どんな意見があるのか」、 それを知る努力=マーケッテングの考え方は機能すると思う。


そういう意味でブログは、本当にいいツールである。
いいツールを生かすためには、ブロガーは 「正直に自分を出すべきだ」 と思う。

樋渡さんの仰るとおり、「自分の言葉で」「自分の想いを」
三木市の小西部長がいいブログを発信された
私は直ぐコメントした。続いて「くのいち」さんがコメントされた。
「自分の言葉で自分の考えを述べたかどうか」 何となく直ぐ解るところがまた面白い。

いずれにしても、いろいろな考え方を述べ合いながら、
それを集約するのではなく 「一段高いところへ導くスタンス」 が必要だと思っている。


ON ANY SANDAで繋がったRM250さん、ブログで繋がった樋渡さん、
オンブズマン三木の皆さん、有難うございました。

RM250さんとはお会いできたし、樋渡さんとも来週三木でお会いできそうである。



オンブズマン三木での樋渡さんのコメントを見つけてスタートした昨日は、私にとっていい1日になりました。
この他にも、広がりが期待できそうなことに出会っています。いつかご紹介できると思います。

もう一つ,昨日のゴルフ。硬式と軟式の野球部の対抗コンペだったのですが、
硬式は勝ちましたし、久々にいいゴルフで40-42、82でべスグロが取れました。
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繋がり

2007-05-24 06:58:22 | 樋渡啓祐さんのこと
この前のブログ(ブログに夢と理想の種をまくこと)とも、至極関連があるのだが、
今朝、いろんなブログを見ていて、ビックリするようなことに出会った。


オンブズマン三木のコメントを何となく見ていたら、武雄市長樋渡さんのコメントに出会ったのである。
それも同じ日に2回丁寧なコメントで、オンブズマン三木とやり取りがされている。

内容は、省略するがご関心のある方はご覧下さい

私が常に思っているブログの広がりと、人の繋がりがここでも見られた。
ブログの面白さであり、本当にいろんなことを動かす力があると思う。

5月20日、0時44分  樋渡市長さんのコメント発信
5月20日、10時49分 オンブズマン返信
5月20日、16時53分 樋渡市長さんさんの2度目のコメント
5月20日、20時21分 オンブズマンのお礼

「遅くなりました」と4月28日のオンブズマンの記事に応える形で始まっている。
この記事には、私も関心があって、コメントを差し上げたりしたのだが、

推測するに、樋渡さんは、
5月19日の私のブログ「武雄市へのお礼と三木市のブログ」のなかで「オンブズマン三木」に触れたので、それをご覧になってコメントされたのだと思う。



それにしても、樋渡さんの「一般の人からの情報や意見に対する反応、対応の姿勢」は、他に例を見ないレベルである。
これは、 「市長が一番にやるべき仕事」 「市長だけに出来る仕事」 という認識がおありなのだと思う。

それにしても、ブログは 「その気になれば」 よく繋がるものである。


(今から、ゴルフです。時間がないので。この辺で一応切ります。)
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ブログに夢と理想の種をまくこと

2007-05-24 05:36:38 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
Googleアラートで 「ブログ」 に関して、毎日沢山の情報が届く。
ビジネス2.0の視点に林雅之氏の 「ブログに夢と理想の種をまくこと」 と題したコメントが掲載されている。

非常に前向きで面白いと思うが、 「現実には難しいという」 所謂 「出来ない理由」 ばかりを見つけようとするコメントも多いようで、それに応える形のコメントになっている。

特に、
「自治体と口コミ、地域ブロガーによる地域活性化の可能性を探る」 と
「SNSを学校教育に活用する」  の2点は私自身が何となく思っている発想と同じ方向で興味を惹かれた。


その内容は非常に丁寧に纏められているが、私の感想としては 「より自由に、自然発生的に」  何となく出来上がっていくものに少し手を加えたりして造り上げていくほうがいいのではないかと思っている。

然し、このような考え方は世の中の流れ、個人が主体の社会への移行という趨勢から見て至極当然の流れだと思う。

まだ今でも、ピラミッド型の組織を造りたがるが、これが機能する時代は過ぎてしまった。
特に、不特定多数の末端をタテ型で組織化しようというのは、まず難しいだろう。
それは過去の遺産であると言えば言い過ぎであろうか。機能すると若し思っていたらそれは妄想であると思う。


これだけインターネットが普及して、それを中心に世の中が動いている。
これを利用する人たちの比率は高まる一方であろう。

昨年、博報堂は未来予測で今年のブログ開設者は785万人と予測したが、5月の時点で既に850万人を越え年末には1000万人は間違いなく越える勢いである。
1日に75000個の新しいブログが生まれ、1日に120万個の記事が書かれると言われている。


少し堅くて、難しいがご関心のある方はどうぞご一読下さい。

「ブログに夢と理想の種をまくこと」 林雅之氏

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あぁ夫婦 ええ夫婦

2007-05-23 05:31:20 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
昨日の朝日の夕刊  「あぁ夫婦 ええ夫婦」  に、

「訪れた夫婦の危機を、バイクという共通の趣味を持つことで乗り越えた」 夫婦の話が,バイクにまたがる写真と共に紹介されている。

「二人ともバイク暦は数年しかない。 きっかけは夫婦の危機だった。」
「一人の時間を持つのも良い」  と先に免許を取ったのは夫の片平博三さん(48)。
そして、それを追いかけるように、自転車にも乗ったことのない妻の幸代さん(46)が教習所に通い、2ヵ月後に免許を取ってしまった。

それからはバイクを通して夫婦の距離が戻っていった。

上達した幸代さんは大型免許も取得。
今ではメーカー主催のレースに参加したり、淡路島や六甲山などにツーリングに出かけたりしている。



いい話である。
40年近く、二輪一筋に現役生活を送った私にとって、
こんな風に、二輪車がいいイメージで紹介されることは、本当に嬉しいことである。

その上に、写真の愛車は博三さんが 1200ccのカワサキZRX、 幸代さんが 650ccのカワサキER-6f。
カラーで写し出されたバイクにまたがるご夫婦の笑顔がまた良かった。

大型バイクといえば暴走族、 大型バイクといえばカワサキと
「芳しくなかった、三ナイ運動時代のバイクのイメージ」 を何とか改善しようと、本当に長い間各メーカーが協力して努力してきた甲斐があったと思える嬉しい記事だった。



記事にはなかったが、片平さんが芦屋に住まれていることから、
「自転車にも乗れなかった幸代さんに」 大型免許まで取らせた教習所は、
多分、二輪車専門の教習所「阪神ライデングスクール」でなかろうか。

と、これは私の勝手な想像である。

「阪神ライデングスクール」 は有馬さんが経営する、本当に優秀な二輪専門の教習所である。
カワサキが明石に、やはり二輪専門の自動車教習所を作るときに、本当に有馬さんにお世話になった。

そんなことを、私に思い出させた昨日の夕刊の記事だった。
「大学生の長男と次男も免許を取った。 三男(14)にも免許を取らせて家族全員でレースに出るのが、いま二人の夢だ。」  と記事は結ばれている。


バイクは、本当に一人の時間が持てる「いい乗り物ですよ」
夫婦の危機でなくても、若し興味がおありなら、お近くの学校の門を気軽に叩かれたらと思います。
懇切丁寧に教えてくれると思います。


関西の方には、ご参考までに。

阪神ライデングスクール
カワサキライデングスクール




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びっくりした

2007-05-22 05:36:51 | スポーツ
本当にびっくりした。

たまたま、TVの中継も見ていたのだが、まさか本当に優勝するとは思わなかった。
17番でバンカーに入った時点で、正直ここまで、と思った。
それが、まさかのチップインでバーデイとトップに抜け出した。

確かにツキもあったとは思うが15歳の少年が、多くのプロを相手に初出場のトーナメント本番で優勝するなど普通では考えられないことである。

石川遼君、高校1年15歳、埼玉県出身で小学校1年生からゴルフをはじめ、数々の実績があっての推薦出場であったようである。

背はそんなに大きくない167cmはむしろ小柄である。
なのに、常にドライバーは300ヤードを越えるという。

テレビでそのショットを見たが、バネというか基礎体力から来る躍動感はハンパでない。
まさに 「ゴルフはスポーツ」と感じさせる素晴らしいものだった。



これは、陸上競技の短距離選手として鍛え上げた下半身の強靭さから来るのだろう。
今のスポーツ選手はどの競技でも、基礎の筋トレとか基礎体力の向上に時間を割くようになった。
そして、それがどんなスポーツであっても、動きをスムースにしているのだと思う。

この年になって気付いても遅いような気もするが、意外にそうでもなくて70歳を過ぎてからのストレッチも十分に効果はあるように思う。

自慢であるが、今、物心ついてから一番からだが柔らかい。毎日欠かさず行うストレッチのお陰である。
300ヤードなど夢のまた夢であるが、結構ドライバーは飛んでいる。
ひょっとしたら、今一番飛んでいるのかも知れない。

昨日の、石川君のゴルフスイングを見て、今更ながら基礎は重要だと思った。
スポーツに限らず、何でも基本とか基礎が一番と改めて思った。


それにしても、びっくりした。
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数字などデーターの管理

2007-05-21 08:14:48 | 発想$感想
NO.122   数字などデーターの管理

三木市長  藪本吉秀様
    
     cc 西山部長様


マーケッテングのベースに数値やデーターがあります。
三木市でもいろんな数値やデーターを持っておられます。

実績としてある数値ですが、これをどのように管理するかによって、対応とか結果が変ると思っています。
1年間三木市の数値などを見せて頂きましたが、何となく思っている感想を申し上げたいと思います。


タテ型の発想はそこで一つ一つ完結して終わり、また来年はということになります。
数値やデーターの管理も、決算などの方式はその期で完結する方向です。

同じ数値やデーターを、 
「もう少し長い目で見てトレンドとして捉え、目標管理の観点から現状を的確に捉え、目標達成に寄与出来るような方式」 をを取り入れられたらと思います。

また、いろんなデーターを蓄えていくことで、
「当初は未完成であっても年月を重ねることで、どんどん完成度が高まっていく」 ようなことが出来ないか。
こんなちょっとした差が、 「将来大きな差」 になるのだと思っています。
そんなことを考えての、提案です。



市政も企業も、ある目標に向かって進められているわけですから、今のトレンドは目標に対して、どんなレベルにあるのか。
今のトレンドで目標に到達するレベルにあるのかどうかが、はっきりと認識できる方が対策も早く的確になる筈です。
そんな観点から 「移動値による数値目標管理」を採用されてはと思います。
        


例えば、まちづくり部でのみっきいバスの目標は月5000人、年間60000人です。
金物祭りのある11月が突出するのですが、年間移動値で管理すると非常にはっきりすると思います。

数値は既に1年分以上ありますから、簡単に可能です。
年間移動値で追っかけると今のトレンドではいつ達成できるか、できないかはグラフにすると即座に判定できます。
(今年のトレンドで行けば、来年の2月には6万台になるでしょう。4月の実績のようなトレンドが続けば、年内6万台OKです。グラフにして見ると誰の目にも明らかです。
今の表にもう一行、年間移動値の数字を入れるようにされたらどうですか。1月から、47141,47669,48100,49184という数字が並びます。確実に増えているのが実感されます。
日毎の表も土、日が極端に減少しますので週間移動値にされると見やすくトレンドが解ると思います。)

移動値は株価のトレンドなどの分析(年間,6ヶ月、3ヶ月1ヶ月、週間移動値など)によく使われていますが、年間移動値のほか週間移動値でも管理できます。

また、ホームページのアクセス数などは普通の日は2000人、休日は600人ぐらいの差がありますので、現在のようなその日の実績の表示ではどんなトレンドなのか解りません。
週間移動値との併記にすれば、どんな傾向か誰でも解ります。


端的に言えば、役所の中で目標数値のあるものは、若し目標達成をホントに狙うのであれば、全て移動値管理をすべきと思います。
最初だけ数値の準備をすれば、その後の管理は簡単で手間もかかりません。

500万人を目指す、観光客の数値も月ごとに把握できるのかどうかわかりませんが、目指すなら月ごとの数値をつかみ、移動値管理をされてはと思います。

また、500万人は各イベントの単なる集計でしょうから、
本来のマーケッテングの立場から言えば、実際には何人の人が (リピートして、いろんな行事、イベントに) どのように関係しているのか。
直ぐにはつかめませんが、そんな傾向をつかむ方向での対策が要ると思います。

三木にリピートする人は「ファン」と呼べるでしょう。
ファンの数をつかみ、特定する努力がマーケッテングです。つかめるような仕組みがシステムだと思います。

三木のイメージの向上にファンは大きな要素と思います。





少し異なる観点から、
昨年市長メールNO.56で 「Wikipedia」 のことを申し上げました。8月16日でしたから9ヶ月経ちました。

あの時点で、 「三木市 Wikipedia」 は全国のレベルで間違いなくトップレベルの記述内容でした。三木市より確実にいいと思われたのは、仙台市ぐらいでした。
 三木市のホームページにも掲載されていた時期もありました。
(何故か解りませんが、三木市の記述は以前より現在は省略されているように思います。)


9ヶ月経って、各市の状況を見ると様変わりしています。
以前ののままの市も勿論ありますが、多くの市の内容は見違えるような充実ぶりです。
現在では三木市がトップレベルだとはとても言えないと思います。

勿論、これは市の仕事ではないと思いますし、三木市の責任などではありません。
然し、内容がいいことはプラスになってもマイナスにはなりません。


Wikipediaは、いろんなデーターを入れて管理するのには格好のツールです。
最初から完全でなくていいところが特にいいと思います。
いろんな人が自由に参加して、どんどんいいものに仕上げていこうという発想は、流石マーケッテングの本場アメリカだと思います。


いろんなデーターを山ほど持っておられる市役所は上手に利用されてはと思います。より関心のある人たちがより質の高いものへ仕上げてくれます。
そんな 「きっかけ」 を役所は率先して果たされてはと思います。

この記入は誰がやっても差し支えないわけですから、市の職員の方でも市民でも 「三木市Wikipediaを充実する方向」 への動きが出てくればどんどんよくなるのだと思います。
仙台市や横浜市、姫路市などのこの9ヶ月間の変化を見てそう思いました。



余り、詳しくは解っていませんがどんな情報でも入れれる筈です。
例えば、今桜の植樹を熱心にやられていますが、三木市には何本の桜があるのでしょうか。三木山総合公園には何本ですか?
解らないよりは解る方がいいに決まっていますが、データーを大事に積み上げていくスタンスがない限り解るようになりません。
限られた地域から始めて、ゴルフ場などの桜を足していけば可能なはずです。チェリーヒルズGCは桜いっぱいですが、多分何本あるか把握していると思います。
こんな数値をまとめていくツールとしてWikipediaは非常にいいと思います。
桜の本数は結構、県下でもいいところにいるのではないか。

「5万本のチューリップ」 などの表現は、観光客の誘致にも、広報にも使えますが、 「沢山のチューリップ」 ではあまり役に立ちません。
5万本か4万7千本かという論争になったりはしません。ある程度のデーターさえあれば機能するのです。その仕組みが必要で、ツールとしてWikipediaは可能性を秘めています。


先日、申し上げた無料駐車場の駐車可能台数とか。 「みっきいふるさとふれあい公園内のデーター」 をWikipediaを利用して入れていけば、どうかと思います。
何事にも積極的な、 「景観シェルパたち」 ならおやりになるかもしれません。
Wikipediaが広い意味で 「みっきいふるさとふれあい公園のホームページ」 と位置づけたらいいと思います。
そしてそれをみんなで充実する方向にすればいいのです。

森田さん、やりませんか。
私はパソコン操作に弱いのでWikipediaに記事を入れたりは出来ませんが、アイデアなどなら、幾らでもあります。お手伝い出きると思います。

市役所内に、 「実際にWikipediaに記述された実績のある詳しい方」 もいらっしゃるのですから、知恵を借りて、いろんな方に参画して貰って、いい内容の 「三木市Wikipedia」 にしてはと思います。

実際に、いろんなことに利用出来ると思います。
数値とデーターとアタマがあれば、お金は要りません。

少し違ったアプローチですが、広い意味で誰でも参加出来る「市民参画」と思います。


参考までに幾つかリンクします。

以前から詳しかった仙台市。さらに詳しくなりました。
すごく良くなった横浜市

余り変っていない小野市
参考までに、武雄市。

Wikipediaの中でも最高との評価の高い姫路城
姫路市も良くなりました


三木市も、日本一美しいまちを目指しているのですから、
姫路城のレベルを目指してはどうですか。
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カワサキ単車の昔話-60

2007-05-20 05:31:34 | カワサキ単車の昔話
仙台時代ー2   東北での昔話

仙台を拠点に東北6県を担当した。
商売としては、代理店営業であったがその先の販売店の訪問もあったので、車を使っての出張であった。

今は高速道路も出来ているが、1967年当時の東北は峠越えなどまだ地道のところが殆どで大変であった。
それにとにかく関西などでは想像できないほど広いのである。
仙台ー盛岡は隣だが200キロ。盛岡ー青森も200キロ。
200キロとは兵庫県明石を基点にすると名古屋までの距離である。
兵庫、大阪、京都、滋賀、岐阜、やっと愛知、五つの県をまたいでの距離なのである。

それでも人間慣れで、200キロはそんなに遠いとは思わぬようになり、夕方まで秋田に居て300キロの道を夜車を飛ばして帰ってきたりしていた。
冬場になると雪道で、それこそ大変だったのだが、雪の舗装で夏の砂利道よりいいと思ったりした。

レース担当直後だったし、アウトイン、アウト。スローイン、ファーストアウト。ダブルクラッチ、ヒール&トウ、カウンターなどのレーステクニックは結構雪道では重宝した。
ある意味、安全運転テクニックでもあった。

まだ珍しかったミシュランのラジアルタイヤをはいて、回転計をセットして、東北6県走り廻った。お陰で殆どの道も、温泉もを知っている。

その車に、一本500円の二級酒をいっぱい積んでいた。
販売店といっても自転車屋さんが殆どだったが、訪問して酒を二本お土産に上げると大体なんでも解決した。
金の多寡ではなく、気持ちが何よりも優先した。
関西から行って、人に二級酒を思ったが、一本は駄目で二本なら二級酒で十分というそんな時代であった。

仙台で肉といえば、豚肉のことで、すき焼きも豚肉、牛肉は殆どなかった。
仙台の牛タンなど、あろう筈はない1967年から70年頃の話である。

仙台の家に雨戸がないので、「用心が悪い」と言ったら、大家さん曰く「ここは泥棒はいない」と仰った。そんなのどかな時代でもあった。

確かに東北の人たちは、人間本来の良さを沢山身につけていて、東北で4年間過ごせたのは本当によかったと思っている。
その最後の一年、隣の北海道もついでに担当してくれと言われて引き受けた。


然し、これには本当に困り果てた。北海道そのものが広く大きい上に、関西から見ると確かに隣だが、仙台ー明石と仙台ー札幌は電話代が一通話同じなのである。
ということは、距離が一緒丁度1000キロ離れている、という事である。

更に冬場は、飛行機が飛ばず汽車と船を乗り継いでの札幌への移動で、動くだけでバテテシマッタ。

後年、国内を担当したとき、北海道は迷うことなく東京の担当とした。
まだどこも、そんなテリトリー制を敷いているところはなかった、1979年の話である。札幌は東京が一番近く便利なのである。

今は、そんなテリトリーも珍しくなくなったが、これは経験が生み出した知恵だった。
私も30代後半、若くて元気であった時代の昔話だが、40年ほど前の話である。
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5月19日

2007-05-19 14:55:00 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
5月19日 

別のブログい画像を貼り付けてリンクしました。
  



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