雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

豊平川に 野生のサケ定着目指せ

2014-11-05 05:37:03 | 北海道&建機

 

★こんな記事を昨日目にした。

 

 『豊平川に  野生のサケの定着目指せ!!』

昨年秋、豊平川に遡上(そじょう)したサケ(札幌市豊平川さけ科学館提供)

市民団体の稚魚放流でサケの遡上(そじょう)が復活した札幌市の豊平川で、野生のサケが増え始めている。ゆくゆくは放流をやめて野生のサケを定着させようという「札幌ワイルドサーモンプロジェクト」が2016年春から始まる。
 

豊平川は札幌市の中心部を流れており、戦後市内の人口が急増すると、生活排水などの流入で水質が悪化。河川の改修も進み、1950年ごろにはサケの遡上が途絶えた。
 危機感を持った市民団体が「カムバックサーモン運動」を始め、79年以降100万匹超の稚魚を放流した結果、81年にはサケが遡上。全国的にも大きな話題となった。
 

85年には自然産卵によるサケを確認。その後の調査で、近年は7割が自然産卵による野生であることが分かった。
 現在、毎年春に20万匹を放流しているが、野生の方が環境への適応能力は高い。このため、市民団体は放流する稚魚の数を減らすことを決定

ただ、急激に減らすと絶滅の恐れがあることから、野生の遡上数を確認しながら放流数を調整するという。(2014/11/04-04:44)

 

90年代の現役最後の2年間を、札幌で暮らした

毎日、豊平川を渡って、勤めに出ていたので、豊平川は懐かしい川である

 

豊平川は、まさに札幌の街を分断するように流れ、石狩川に合流し、北の海に注いでいる

 

    

 

源流は定山渓の山の中だが、札幌の街の中ではこんな感じで街を分断して流れているのだが、

淀川などのように

ゆったりと満々と水を蓄えて流れる都会の川の風情ではなくて、鮭が上るに相応しいせせらぎが見える川らしい『川』なのである。

 

        

 

 そういう意味では仙台市内を流れる『広瀬川』と同じ趣を持っていると云っていい。

 

   

 

 私は、仙台にも4年間住んだことがあるし、川とはご縁があるように思う

 『私の人生、川のなかから始まった?』  http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/0eb1fe9ca92e259185492739fdc97367

と ブログにもアップしてるのだが、私の人生で一番最初の記憶が朝鮮、太田の川の中なのである。

 その川も、せせらぎがあって、3~4歳の私でも入れて遊べたような川だったので、なぜかせせらぎの流れの音が聞こえる昔ながらの川が大好きなのである

 

そんな、想い出のある札幌の豊平川に、野生のサケを定着させようという「札幌ワイルドサーモンプロジェクト」は、非常に嬉しいニュースなのである。

豊平川には、『野生の鮭』 が似合うような気がしてならない。

いろんなことが、人の手で創られているいまの世で、 自然のままに戻すのは、ある意味人間の知恵でなければならないような気がするのである。

世界をいま人間の手で触り過ぎて、 温暖化だとか、原発事故だとか、ちょっと人間が傲慢になり過ぎているのではないかと思うのは、私だけだろうか?

 

私の人生の記憶は、自然の川の中で始まった

人生の終盤も、出来る限り自然の中で、自然に過ごしたいと思っているのである。

 

 

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そうだ北海道に行こう

2009-08-11 04:07:20 | 北海道&建機
そうだ北海道に行こう』で検索すると山のように出てきますが

で始まる大西宏さんのブログ、ホントかなと検索してみた。

Googleで110万件、Yahooでは420万件もある。

それぞれ1ページのトップに現れるブログはこれである。
Yahoo

Google


夏の北海道に遊びに行こうというのではない。
確かに、北海道の夏は快適である。
2年間だけ札幌で過ごしたが、エアコンが要るのは7月末からの1週間程度である。
湿気もないし暑いなどと感じることもない。

そんな北海道の夏も懐かしいのだが、
こんな風に『そうだ北海道に行こう』などと検索するのだということに、興味関心があったのである。

何でも検索するものである。
先日『エコポイント申請書』のことをアップしたらこのところ毎日この検索用語で沢山のアクセスが集中している。

『エコポイント申請書』に対して『そうだ北海道に行こう』は総数で数倍だからひょっとしたら、これでまたアクセスが増えたりはしないかと実験しているのである。


それは、ともかく北海道の自然はすごい。
大西さんのブログにある『羊蹄山の湧き水』内地で言う湧き水とはそのスケールが全然違う。

立地も札幌から適当な時間のドライブで、山自体の景観もいいしお勧めコースであろう。2年の間に5回ほど訪ねたような気がする。

北海道で、印象に残っているのは、道東のどこまでも続くまっすぐな道、
先日の遭難事故で名前の出た、『トムラウシ山』ではなくて『トムラウシ温泉』
その近くにあった『日本一大きいと言う牧場』などである。
北のほうの、それこそ何もない湿原など、何もないのも北海道らしいのかも知れない。

でも、2年もいて、あちこち行っては見たが、地図の上での大きな道はほとんど全部走っては見たが、それでもちょっと見たという感じである。


『そうだ、北海道に行こう』と仮に思っても、
1週間ぐらいなら、どこに行くのだろうか?
知っている人がいっぱいいる、札幌に行って夏のゴルフでもするかというようなことになってしまいそうである。

でも、夏は快適だが、冬が厳し過ぎるように思う北海道である。

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北海道 トムラウシ温泉

2008-11-14 04:31:01 | 北海道&建機
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北海道はサラリーマンの最後の2年間、札幌でお世話になった。

北海道にほんの短い間だが、住めて良かったと思っている。
2年の間に、あちこちと行った積りだが、ほんのちょっとしか解っていないのである。
自分では、西も東も、北も南も行ったつもりだし、事実行ったのだが。


先週、ふとしたことで、こんなブログに出会ったのである。

北海道をこよなく愛し、北海道の温泉を殆ど制覇したと仰る『温泉マン』さんのブログを見て、
北海道の奥の深さがよく解った。
本当に素晴らしいところいっぱいである。

このブログ、実はこんなところから出会ったのである。
増毛の国稀の酒『鬼ころし』の記述に、三木の酒米『山田錦』のことなどもあって、引用させて頂いたし、コメントも頂いたのである。


じっくり、ブログを見せていただいて、本当にビックリしている。
いろんな、地域紹介のブログはあるが、こんなに徹底して、詳細に、広範囲に纏まっているものは珍しい。
これは貴重な資料である。

このブログ,2006年6月のスタートである。
そして、温泉第1号の紹介が、『トムラウシ温泉』である。
これはビックリしたし、嬉しかった。
2年間北海道にいてあちこちの温泉に行ったのだが、一番印象に残っている温泉を一つ上げるとすれば『トムラウシ』である。

こんな風に紹介されている。
『山間の林道をひたすら走る、「こんな所に温泉があるのかな?」、不安に
なっても、戻ってはいけません。 大自然の中にひっそりと、十勝の秘湯・
トムラウシ温泉が貴方のお越しをお待ちしています。』

本当にその通りである。大雪山の山懐、川の直ぐヨコに一軒だけ、遠かったが行ってよかったと思っている。


そんなことで、自分だけで観ているのはもったいないので、ご紹介しているのである。
内地の人がツアーなどで行っても、とても解らぬ北海道のよさがあちこちが紹介されている。
私なども殆どが知らないところである。
ただ、写真など見ると、北海道の雰囲気がよく出ている、北海道はそんなところだったと懐かしく思い出している。


ここは私も何度も行った、結構詳しく知っているという『羊蹄山の湧き水』の記事を見つけた。

家内とも行ったし、倶知安(くっちゃん)には支店もあったので独りでも行った。息子の家族も連れて行った。
その頃は、ブログも勿論、パソコンも写真も、何にもやっていなかったので、
思い出だけしか残っていない。

別名蝦夷富士と呼ばれる『羊蹄山』どの方向から見ても美しかった。
湧き水はあちこちに信じられないように湧いていた。

そんな湧き水の里をこんな風に紹介されている。

他にもどこか思い出の場所があるに違いない。
もうなかなか、実際に足を運ぶことは難しいので、ブログの中の旅を続けてみたい。
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洞爺湖サミットのホテルで思うこと

2008-07-11 04:45:37 | 北海道&建機
北海道の洞爺湖サミットは温室効果ガスの削減の長期目標について議論された。

洞爺湖の丘と言うか山にそびえるホテルを会場に、サミットは開かれた。
これに掛かった費用が400億円で、沖縄の600億から200億円の削減とか、削減額も凄いが400億円掛かるとはビックリしてしまう。

世界のトップが集まるとやはりこれくらいは掛かるのかと思ってしまう。



サミットについては、高度すぎて私などが口を挟む余地はない。
個人的に一番気になっていたのは、あの山の上のホテルのことである。

97年から99年まで2年とちょっと札幌にいた。
バブルの後遺症などが原因で、拓銀が破綻したあの頃である。

洞爺湖には何度も行ったが
あの山の上の豪華なホテルも倒産して閉められたまま、黒い姿を晒していたのである。

そのホテルでサミットが開かれることは早くから決まっていたが、何時再開したのだろうとぼんやりと思っていた。
まさか、警護上の問題で国が再開を支援したわけでもないだろうと思っていた。

今日、サミットも終わるので今調べないと解らぬままになってしまうと思って調べてみた。
こんな記事を見つけたのである。



『北海道サミットでよみがえる「ザ・ウィンザーホテル洞爺」

拓銀破たんから10年 “悪魔の黒いマント”は“優雅な羽”に
 

洞爺湖町での2008年サミット開催が決定し、今回の北海道サミットのメイン会場となる「ザ・ウィンザーホテル洞爺」は、バブル崩壊と拓銀の経営破たんの荒波を乗り越えて、いま、主要国首脳会議サミットの会場として表舞台に再登場しようとしている。

 93年6月に開業した当初の名前は「エイペックスリゾート洞爺」。
当時の経営会社は札幌の「エイペックス・リゾート」で、総事業費は700億円以上投じられた。

 拓銀のずさんな融資とバブル崩壊を背景に、その余波からホテル利用者は伸び悩み「エイペックス・リゾート」は98年に倒産する。
その直前、97年には「ザ・ウィンザー・ホテルズインターナショナル」の管理下となる。
それから2年半の間空き家となり、“バブル崩壊の象徴”としてホテルは残された。
当時、洞爺湖から見上げると、全体が黒い造りだったこともあり、
悪魔が黒いマントを広げて山頂から挑みかかってくるように見えた。
まさにバブル崩壊の象徴的建物であった。

 その後、セコムグループが施設を買い取り、
内外装を変更し、引き続きウィンザーホテルズ社の運営で、2002年6月1日に再開業する。
この時の買い取り価格は50億円とも言われ、投資額700億円に遠く及ばなかった。

05年度に初めて単年度黒字を達成し、建設から12年を経て経営が安定してきた。
波乱に富んだ丘の上のホテルが、サミットのメイン会場になる。
拓銀の破たんから10年、サミットの桧舞台に踊り出た。

 ザ・ウィンザーホテル洞爺」は“悪魔の黒いマント”ではなく「エーゲ海に捧ぐ」のジュディ・オングのように、優雅に羽を広げて洞爺湖を見下ろすことになるだろう。バブル崩壊の象徴からサミットの象徴としてイメージチャンジしていくことになる。』



この記事を読むと、拓銀の破綻と共にこのホテルも倒産し、
丁度私が北海道にいた2年間だけ眠っていたようである。

洞爺湖の下から見上げると、この記事の通り『巨大な黒い異様とも思える建物』だった印象だけが残っている。

700億円が50億円で買い取られたとか。
そういえば400億円もの投資であったオートポリスもカワサキの買取額は10億円程度だったとか。
まさにバブル崩壊である。


ついこの間のことと思うが、北海道にいたのも10年前である。
まだ札幌ドームは建設中で完成していなかった。
プロ野球と言えば巨人の時代であった。

10年経つと世の中も変わるものである。
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北海道川重建機

2008-06-25 04:24:14 | 北海道&建機
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久しぶり北海道の話である。

今、梅雨の真っ盛り毎日が鬱陶しい。
梅雨のない北海道、それに続く爽快な真夏、こんな北海道の一番いい季節を2年間満喫した。

この時期になると、特に北海道が懐かしく思い出される。
先日東京のカワサキOB会で誰だったか来週は樽前でゴルフだなどと羨ましいことを言っていた。

実は最近、アクセス解析で『北海道川重建機』からのアクセスが多いのである。
不思議に思って検索してみると、
こんな風に会社の正規案内の次に雑感日記が現れるのである。

Yahooの検索でも二つ現れるのである。

昨年秋息子と道東に鮭つりに行った時に書いたブログである。
別に悪く書いた覚えもないし、それはそれでいいのだが、少なくとも2年間もお世話になった会社であるだけに、商売先からの検索もあるだろうしちょっとぐらいは気になるのである。。



然し、基本的に大丈夫である。
私自身、本当にサラリーマン生活の最後を全うするには最高の舞台であったと思うし、何十年間の経験を私なりにお役に立つように頑張った積りである。
何よりも、一緒に協力してくれた北海道の人たちは最高であった。

私は川崎航空機に入社し、3社合併して川崎重工業に勤めた。
二輪事業に従事したこともあって、川重から出向して外の会社に勤めた年数も長い。ほぼ半々だがどちらかと言うと、販社の経験などのほうが永く、その経験が必要な時に販社からメーカーに逆出向したという言い方のほうが当たっている。

サラリーマン生活で付き合った人たちも圧倒的に外の人たちのほうが多い。
私自身が少々変わっているのかも知れない。
今でもどちらかと言うと末端の人が好きで、そんな人を選んで付き合っている。

最後の北海道の人たちも、メーカーの人たちとはまた違った良さがいっぱいあって、好きになれたと言うかウマがあったのである。


今、私のいた当時営業を担当していた大滝さんが代表取締役で旗を振っておられるようである。
根っからの営業マンだがバイクなども好きで、お得意さんの息子さんか誰かをビートのレーシングチームに紹介したりした。
川重からの出向でやはり当時営業を担当していた花房君は、私の野球部の後輩でもあるのだが、今は建機事業のトップになっている。
そんな人たちと一緒に仕事が出来たのは、私にとって幸運であった。


管理をやっていた佐藤君にもお世話になったが、今は『ひょこむ』のトモダチでもある。彼一人だけジョインしているのである。
ホンネで言うと、建機のお客さんの管理やお付き合いには『ひょこむ』のシステムは最高に機能するのにと思っている。
最近のカワサキマイスターの動きなどは、参考になると思うのだが。
オートバイ屋建機など人間関係を大事な事業には「この上なくいいツール」である。


ゴルフもよくやったものである。
たった数年前の話なのだが、今と比べるとずっといい時代であった。
夏が来ると、あの爽快な北海道の広くて長いフェアウエイでゴルフをもう一度と思ったりする。
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さよなら北海道ー4

2007-10-20 06:27:16 | 北海道&建機
さよなら北海道と札幌に別れを告げたのは、99年6月5日である。

5月末日までが任期であった。
株主総会や挨拶ビジネスなどを全て終えて、6月に入ってからは、送別ゴルフや引継ぎや、家内が来ていたので札幌市内の散策や、夜の個人的な会食などで最後の札幌を楽しんだ。

帰りの便は、申し込みが始まった途端に直ぐ売り切れるという、
人気の「トワイライトエキスプレス」の切符を大滝さんが取ってくれて、22時間の汽車の旅で戻ってきた・


6月5日、午後2時5分札幌発だったが、
余程、嬉しかったんだろうと思う。その日の日記には、
大滝、花房、松田、佐藤、紺井、鈴木、近江谷、広田、重森、野村君などと見送りに来てくれた人たちの名前が書かれている。
もう少し居られたと思うがーー。女性の人たちもいたのに名前はここにない。
その名前も今では忘れてしまった。

流石に、名前を書いてみるといろんなことを思い出す。
みんな、大会社にはなかなか居ない、個性のあるいい人たちであった。
今でも、北海道川重建機はそんな人たちで支えられているのだろう。



永くサラリーマン生活をした。  お付き合いのあった人たち。

旧川崎航空機、川崎重工業に合併になってからの人たち。
カワサキオートバイ、旧メグロ、旧メイハツの人たち。
カワサキモータースジャパンになってからの若い人たち。
レース関係のライダーやメカニックや、関係者。
二輪業界のH、S、Yの方たち。
CKDのタイやインドネシヤの現地の人。
世界各地の販売店、特に日本の販売店の人たち。
末端の二輪やジェットスキーのユーザーたち。
お世話になった旅館の人たち。

などなど、考えてみると意外に籍を置いた川重よりもっと遠いところでの親しいお付き合いが多かった。
そんな人たちとの想い出を今となっては鮮明に覚えている。


短かったが、北海道の人たちともちゃんとお付き合いが出来た。
担当期間中は、間違いなく川重よりも川重建機を中心に考えた。

川重建機では、意外に株主の発言力や比重が高い会社であったが、
株主よりは従業員を、会社自体のことを考えていたと思うし、その通り出来たと思っているのだが。

とにかく、面白かったサラリーマン生活の最後が、
北海道で、「仕事をして終えられた」ことは幸せであったと感謝している。

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北海道、ゴルフ、紅葉、雪、温泉ー3

2007-10-19 06:25:58 | 北海道&建機
北海道でのゴルフ、思い出いっぱいである。

冬の間、11月から3月まで5ヶ月間もゴルフが出来ないためか、
北海道の人たちのゴルフに掛ける情熱はハンパではない。
シーズン中は回数も多いし、みんな一生懸命だし、みんな上手である。
沢山あるコンペでもグロスで3桁になる人が少ないのに驚いた。

今年日本女子オープンのあった樽前CCは川崎重工の子会社でありメンバーにもして頂いたので、よくプレーさせて頂いた。
特に、夏のゴルフは快適である。
北海道独特の芝でアイアンは難しいが、広々としているし、ゴルフは北海道と言うのもよく解る。


秋の紅葉がまたいい。
山は勿論だが、ゴルフ場の紅葉も綺麗だし、街路樹のナナカマドの赤も、その赤い実も美しい。
夏から短い秋を経て、この時期にはもう氷点下の気温を記録したりする厳しさが、紅葉の見事さを演出しているのである。

ホントに一度だけでいい。
本物の紅葉をご覧になっておくべきである。
関西などの紅葉も確かに綺麗ではあるが、北海道のそれとはレベルが違う。

プロとアマの差があると言っていいだろう。


雪、これが商売の大きな要素であった。
雪は大変だが、除雪が商売の原点みたいなこともあって、大雪はある意味有り難かった。

40年ほど前に5年ほど東北で雪を経験したのだが、40年も経つと世の中の要求レベルが全然変わってしまっている。
雪は当然北海道のほうが多いのだが、徹底的な除雪で、その後の車の走り易さは、40年前の東北のほうが数段難しかったのである。
除雪のレベルもそうだし、クルマの性能も4輪駆動が当たり前になりタイヤの性能が飛躍的に向上して、今回の2年の冬の間、道路で怖い思いをしたことがなかった。


温泉。
北海道と温泉も切っても切れない関係にある。
今更、改めて言う必要もないと思う。
どこか一つと言われたら、
大雪山の山懐深く意外に走り易い整備された道を1時間以上も走ったところにある

十勝の秘湯 「トムラウシ温泉」 を上げておこう。

流石にここは出張ではなく、休みにプライベートで行ったのだが、これは想い出に残っている。
レンタカーなら行けるだろう。お勧めである。


2年間遊んでばかりでいたのではなく、
仕事もそれなりにやったことは、川重建機の皆さんも、多分認めてくれるとは思うが、
なかなか経験することの出来ないいい2年間であった。
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北海道川重建機-2

2007-10-18 06:21:43 | 北海道&建機
北海道は広い。
その広い北海道に物を売りサービスを展開するためには出先の拠点がいる。

全道に15ほどの支店や営業所があった。

その出先を訪問するだけでも、数も多いし大変ではあったが、ある意味楽しみでもあった。
北海道は広いが道路は車で走れば快適である。
信号など殆どないし、周囲の景観が素晴らしい。

元々クルマの運転は好きであったし、長距離を走るのも苦にならなかったので、出先への出張は殆どがクルマで飛行機はたまに乗ったぐらいである。
社員の人たちもみんなクルマで、会社の経費の中でクルマに関するものの比重は高かった。

ただ、かっての社長さんはご自分では運転をされなかったようで、必ず運転手が必要であったようである。
これはこれで大変だなと思った。
例えば、北見支店と釧路支店を訪問する際には丁度真ん中の美幌峠あたりで両支店で社長の受け渡しをしていたとか。


私の場合は、単車時代の習慣で飛行機とレンタカーで全部自分で運転していた。
これは慣れると便利である。

北見と釧路の道東地区を廻ったことがあるが、女満別空港でレンタカーを借りて北見へ行き、北見から釧路もいい景色の中いいドライブを楽しんだ。
美幌峠辺りでヒッチハイクの関西から来た学生を乗せて、彼が釧路湿原に行くというので、ついでに送ってあげた。お陰で釧路湿原も見ることが出来た。
釧路に着くのが30分ほど遅れたので道に迷ったのではないかと、心配してくれたようである。

位置関係はこんな具合である。近いようだが距離は結構ある。
先日行った標津も載っているのでご参考までに。


こんな調子であったので、北海道のほとんどと言っていい位、いろんな道を走れたし、あちこちに支店があったのでいろんなところを見ることが出来た。

北は宗谷岬、南は襟裳岬、東は知床5湖や羅臼、西は積丹半島の岩内町と行くことが出来たし、稚内から知床まで東海岸線も、稚内から留萌までの西海岸線も走ることが出来た。
極端に言えば、観光旅行をさせて貰ったような2年間で有難かった。


唯一つ、訪問できなかったのが、中標津営業所だったのである。
それが今度の鮭つりでたまたま、場所を見つけてメモを置いてきたのである。



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北海道川重建機-1

2007-10-17 05:31:24 | 北海道&建機
サラリーマン生活の最後の2年間を北海道川重建機でお世話になった。
川重建機と称しているが、川重の子会社ではない自前の優良会社である。

ずっと遡って、東北の仙台にいた40年も前の話だが、
その頃には、地方の二輪デーラーもメーカーの直販会社ではない自前の資本の販社が存在していた。
今はそんな性格の会社は殆どなくなって、メーカーの部下のような直販販社ばかりになってしまった。

歴史を振り返ってみると、直販会社になっていく過程は、
「経営不振ー資金援助ーメーカー出資」となって最後全額メーカー資本というのが、大体の流れである。

北海道川重建機はそんなことにならなかった優良会社であったのだが、
オーナー社長さんが亡くなったりして、適当な経営者が居られなかったのか。
2年のお約束で経営を担当することになった。


これは私にとって非常に面白い経験だった。
興味もあったし川重とは関係のない現地籍の人たちと一緒に仕事をするのは、
生まれつきの太平楽な性格で、特に興味があった。
個性の強いうるさい人もいたが、そんな方とのお付き合いは遣り甲斐があった。
心配しなくとも必ず上手く行くであろうという自信みたいなものもあったし、結果もまあまあ上手くいった。

今まで経験した二輪とかジェットスキーとは性格が全然異なる商品だから、
今更商品など覚えてみても仕方がないと、一切商品の名前なども覚えないように務めた。

その代わり、
そこに勤めている人と仲良くなること、
経営数値の内容は、社内で一番詳しくなるようにと新しい管理方式を導入して、
この二つだけの課題にしぼった経営に心掛けた。

これは直ぐ、出来た。
この二つだけで、2年間まあ上手く行ったと思っている。
私自身も、結構楽しかったし、少なくとも現地の人に煙たがられたりはしなかった。
はじめて経験する事業であったが、二輪の経験は意外に役に立った。

それは、二輪事業はある意味昔から 「世界の常識で進められていた」 からだと思う。
この時期あたりから、日本の社会がどちらかと言うと世界の流れへの追随であったために、
二輪事業の考え方は、日本の社会の新しい考え方に合致する部分が非常に多かったのである。

具体的な営業活動など、みんな任せて一切しなかった。
それでも、取引先の重要な方たちとは商売の話はしなかったが、
間違いなく仲良くはなれたし、ちゃんと話は出来た。
官公庁も銀行も業界も、私のスタイルで大丈夫であった。
あんまりぺこぺこアタマを下げることだけはしたくなかったし、しなかった。



なぜ、急に思い出したようにこんなことを書いているのかと言うと、

先日、息子と標津の忠類川に鮭つりに行ったとき、
中標津で北海道川重建機の営業所を見つけて、休みであったがメモだけ置いてきたのである。

直ぐ、「北海道川重、佐藤です」 と佐藤敏行君からメールが届いた。
「北海道に来ておられたのですね。雑感日記、ブログ読んでます。これからも読みますが、もう少し北海道のことを書いて欲しい」と注文がついたのである。

営業所に置いてきたメモで、或いはブログで、北海道に遊びにいったことを知ったのか解らないが、
このブログにも、北海道のことを書くべく「北海道&建機」というカテゴリーまで設けているのだが、なかなか手が廻らずにいる。


そんなことで、少し纏めて書いてみるかと思ったのである。

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息子と二人の北海道

2007-10-09 07:13:30 | 北海道&建機
6日から3日間、北海道の標津に鮭釣り旅行に行ってきた。

たった3日間の旅行であったが、中味充実のいい想い出がいっぱいできた。
昨夜、帰宅して3日間の日記を書いたが、5年連続の日記帳のスペースではとれも、書き切れなかった。

丁度、3連休と一緒になって、往復の飛行機も満席であった。
三木では、お祭りがあったようである。
それも見たかったが、それを上回るいい旅行であったと思う。


この間、ブログをはじめてから、初めてブログを休んだ。
帰宅して、直ぐチェックはしてみた。

流石に、アクセスは1日に40~50ずつ減っていったのに、3日目は逆に50ほど前日を上回っている。
不思議だなと一瞬思ったが、多分留守中に届いた「相信会」の会報のせいであろう。
これに「ブログ 人と繋がる面白さ」と題してブログのことを書いている。
川重のOBの方たちが、初めてご覧になったに違いない。


三木のkkamoikeさんが、先日来はじめられたブログの中で、「せがない」(はげみみがない)と題して、雑感日記に触れて頂いている。
いつも、習慣になっていることが異なると何となく落ち着かないのだろう。
R175というネームで、よくコメントを頂いていた方である。



3日間の留守で溜まっていることも多いので、

北海道の話は、一度では書ききれないので、他のブログにアップして、写真付きで順次ここにリンクすることにしたい。

1.北海道3日間 Yahoo
2.忠類川の鮭釣り旅行  村ぶろ
3.5年の歳月  FC2  
4.鮭釣り旅行の感想  excite
5.ナナカマド   村ぶろ
 
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標津町忠類川サケマス有効利用調査

2007-10-05 18:23:41 | 北海道&建機
先月、北海道に鮭つりに行かないかと、息子から誘いがあった。

行こうということだけ返事していたのだが、「サッカーの試合が入ったので」と断わりの電話が入ってそのままになっていたが、10月6日からの2泊3日の予定にしたからと連絡が来た。

これは本当に北海道まで鮭つりに行くことになりそうである。

何となくぼんやりと聞いていたのだが、行くとなるとどこへどのような形でと調べてみた。
確か北海道にいたときに鮭つりの話は聞いたがそれは謂わば密漁で禁止されていたのではなかったか?



調べてみると、かって不可能であった国内河川での鮭つりが可能になっているのである。
こんな立派なホームページに出会って驚いた。

単なる鮭つりではなく「平成19年度忠類川サケマス有効利用調査」に行くのである。
そして全て事前の申し込みが必要だという。

今回、行くことになっている標津町(しべつちょう)の5河川は、日本の鮭の6~10%が獲れて、その回帰率も一般の3%に対して12~14%と圧倒的に高い鮭のメッカのようなところである。

その他このホームページを読むと知らないことばかりである。

毎年延べ2300人もの人が鮭つりに訪れて、平成17年度は2533匹の鮭を釣った、その内訳はルア(1686匹)フライ(197匹)えさ(650匹)と記録されている。調査であるからこのように解かるのだろう。



昔は、禁漁であったものを、地元や漁業組合や行政が知恵を絞って、
「忠類川サケマス有効利用釣獲調査」というシステムを作り出し、町にも漁協にも行政にもプラスになるようにして、鮭つりに訪れる人を楽しませるように仕組んだようである。

平成7年8月11日、この日は日本の川ではじめて鮭つりが出来るようになった日ですと書かれている。
私が北海道にいたのは平成9,10年だがその頃には、標津では解禁になっていたのだが、そんな話は聞かなかった。

久しぶりの北海道である。
来週末だが、はじめての鮭つりを楽しんで来たいものである。
息子は昨年も行ったようだ、7匹釣れて1匹だけ持って帰ったとか。

鮭釣りも面白そうだが、このヨコに繋いだ仕組みも非常に興味があるので、もう少し勉強してみたい。


感動、体験、標津町!

そんなことで明日から3日間、北海道に行って来ます。
その間、ブログは休みます。
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もぎたてさっぽろ

2007-05-14 07:27:50 | 北海道&建機
情報収集は私の趣味みたいなものである。

インターネットは情報収集にはこれ以上のものはない。
セットしておけば先方の方から幾らでも情報を届けてくれる。

毎日沢山のメルマガが届くが、
その中で、札幌から届く 「もぎたてさっぽろ」 は毎回楽しみにして待っている。


「みなさま、こんにちは。札幌市観光企画課の屋中です。」 で始まる記名記事はなかなかの力作である。

丁度2000年ごろ、札幌ドームや札幌駅はまだ建設途上であった頃、札幌に2年間ほど単身赴任した。
北海道の夏は本当に爽やかである。
ゴールデンウイークに桜が咲いて、5月爽やかな季節の幕開けである。

そんな季節の札幌を今回は、纏めて紹介している。
その一部をお裾分けしよう。

雪祭りで有名な大通り公園で雪解け後最初のまつりが400本のライラックが咲き誇る「ライラックまつり」で5月23日から、もう直ぐである。
もう今年で49回を数えるとか。
大通り公園は、直ぐ近くの散歩コースだったので、このライラックの花も懐かしい。

祭りと言えば、「雪祭り」と並んで最近では「YOSAKOI そーらん祭り」が素晴らしい。
札幌を真似て各地で同じような催しがあるが、その規模も、踊りのレベルも比較にならないだろう。これに懸ける意気込みの差だと思う。

昨年は350チーム45000人が参加して、観光客の動員は180万人に上ったようである。
若い仲間たちでスタートしたこの祭りも今年で16回目を迎え、札幌のみなならず道内全体を巻き込んだ素晴らしいものに発展している。

そのほか、札幌のワイン、お奨めの写真スポット
極最近2005年から始まった「藻岩山の日
そのアクセスマップなど、
ようこそさっぽろ5月の特集
イベントカレンダーなど盛り沢山である。


観光都市札幌らしく、市民以外に焦点をあてた編集となっており、
今から札幌を訪れる人には非常に役に立つ内容になっている。

市の広報もこのくらいのレベルになると他市との差別化もできて、民間レベルを上回っているように思う。

札幌を思い出して懐かしく楽しい時間を過ごさせて頂いた。 屋中さんに拍手を送りたい。

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除雪

2007-02-14 06:36:54 | 北海道&建機
2年ほど、北海道川重建機にお世話になった。

札幌の冬を二度経験した。
北海道の冬の除雪のエネルギーは、そこに住んでみないと解らないと思う。

日常生活で除雪なしには暮らせないのだが、その規模と頻度は関西の人などにとっては想像できないレベルである。

その除雪の道具として、建設機械を商売にしていたのだが、こんな機械のなかった昔、人々はどのように除雪に対応していたのであろうか。


札幌に赴任するとき、夏の爽快な北海道をイメージして、出来れば庭付きの一戸建てをと言ったら、言下に否定された。

冬を迎えて「なるほど」と思った。
若し一人暮らしなら、駐車場やその周囲の雪かきだけで生活のエネルギーを使い果たしてしまうだろうと思う。

単身赴任者専用で、駐車場の管理は専任の人がやってくれるマンションに住んだのだが、屋根の無い部分では、大雪の翌朝の車に積もった雪だけを落とすのも大変であった。
駐車場に屋根があるなしでは雲泥の差である。
然し、関西などのような屋根では雪の重みで間違いなく潰れてしまうだろう。

そんな雪国であったが、北海道のあの広いところで、車が走るところは全てと言っていいほど、完璧な除雪がなされている。

そんな機械を売る会社にいながら、この除雪のエネルギーの強大さに、ただただ驚嘆したふた冬であった。

そんな懐かしい札幌だが、TVなどに映る映像を見ても今年の雪は大したことはないように見える。
暖冬の方向に世界は向かっているのか。そうなると会社にとっては余りいい傾向ではない。

なかなか、難しいものである。それでもまだまだ、雪の季節である。
スノータイヤをはずしたのは、4月のいつ頃だったか。
それまでは、除雪のシーズンが続くのである。

札幌の雪祭りも終わって、今朝ニュースで作品を取り壊す映像が流れた。
今年は昨年より10万多い210万人の観光客が訪れたとか。

雪、直接仕事にも関係したし、幾つもある北海道の懐かしい思い出の一つである。



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4駆のクラウンの想い出

2007-01-31 06:12:58 | 北海道&建機
札幌での2年間、私の仕事と毎日の生活にずっと付き合ってくれたのは、4駆のトヨタクラウンだった。

札幌に赴任したその夜に、専務の中本さんから「4駆のほうがいいですね。運転手はつけますか」とびっくりするような質問があった。

運転手は即座にお断りした。
雪道は4駆が絶対というので、それはお任せした。
クラウンに4輪駆動があるのは始めて知った。そして車とのお付き合いが始まった。

北海道は広い。
ちょっとそこまで、といっても100キロ位は直ぐ走る。
道内の支店が10ヶ所以上もあったので、お陰様で北海道の殆どの道を走ることができた。

赴任が6月だったから、北海道の一番いい季節を車と共に満喫させて頂いた。
もともと、車も運転も好きだったので長距離のドライブも全然苦にならなかった。

11月になるとタイヤを履き替える。いよいよ北国の雪道走行の時期を迎える。

若い頃、東北で4年間雪道は経験した。
難しい雪道走行に「山本隆、直伝の運転テクニック」は役に立ったが、「はっとしたシーン」も何回かはあった。

北海道の冬は、特に気温は東北の比ではない。
冬のドライブを迎えるに当たってそれなりの覚悟で望んだのだが、それは杞憂であった。

20年の年月を経て、技術の進歩、タイヤの性能向上の素晴らしいさを実感した。
後輪駆動独特の車の流れをカウンターをあてて修正するなどの必要は皆無で、ブレーキングも非常に楽だった。

そんな4輪駆動、ブレーキ性能、タイヤのお陰で本当に一度も怖い目にも遭わずに、むしろ冬のドライブが楽しめた。

ただ、ひどい吹雪に遭わなかったのは幸いであった。
特に夜、車が舞い上がっていくような経験を東北では何度か味わったのだが、
ニセコの近くの倶知安の営業所開店披露の帰り道、少し吹雪いたぐらいである。

会社では、営業マンは冬道のドライブで50台もの車が毎日走っていることになる。
全ての車が4駆でもないので大変だったと思うが、幸い事故も無かったのは基本的に運転が上手いのだろう。

北海道川重建機の皆さん、冬真っ盛りです。くれぐれも安全運転を祈ります。
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大滝さんからのメールで思うこと

2007-01-25 06:57:45 | 北海道&建機
大滝幹夫さんから丁寧なメールを頂いた。

サラリーマン最後の2年間を札幌の北海道川重建機でお世話になったが、
大滝さんは今、この会社の代表取締役という肩書きらしい。普通の会社で言う社長さんではない。
もう一人の代表取締役丹野さんとお二人で会社を支えておられるようである。

なるほど、と思った。グッドアイデアである。
私の2年間、お二人には本当に支えて頂いた。あれからもう10年になろうとしている。

当時、大滝さんは営業を統括する常務だった。
それを直接支えていた営業部長の花房君が、今は川重の建機事業部長である。
10年経つと人は10年をとる。

北海道川重建機は川重の子会社ではない。このような会社の人事は本当にむつかしい。
いいアイデアだと思う。そんなことはどうでもいい話かも知れぬ。

大滝さんのメールには、建機のことよりも、延々とデグナーのことやバイクの話が書いてあった。大滝さんがそんなにバイクに詳しかったとは知らなかった。
そういえば、どこかの取引先に頼まれてレースをやりたいという息子さんか誰かを、大阪のBEETに紹介したような記憶もあるのだが。

私自身は、お世話になった2年間、殆ど建機の商品知識など勉強せず、建機独特のことについては、覚える努力も一切せずに過ごした。
営業活動など全て大滝さん以下の経験豊かな人がやってくれた。
お役所の挨拶廻りや銀行にも行くに行ったが、あまりぺこぺこせずに自分のスタイルで通したが、意外とそれで十分通用した。

何の経験も無い建機業界のことなど今更真似してやってみても、うまく身に付くはずはないと思っただけである。

建機一筋で育ってきた人たちには、二輪業界で育った私の発想や行動は意外に新鮮に映ったのであろうか、極端に言えば宇宙から来たと見えたのかも知れない。
取引先もお役所も、会社の中でもあまり苦労することなく、自由気ままに過ごさせて頂いた。

会社のベースが確りしていたから出来たと思う。非常に幸せな2年間であった。

メールには、建機業界はもうひとつ芳しくないような、そんなくだりもあった。
確かに暖冬で雪が少なくなったり、お役所の関係などもいろいろとあるのだろうが、まだまだ大丈夫と何となく思っている。

個性豊かな元気な人たちが、柔軟に考えれば、北海道の大地のように世界は拓けると思うのである。

ほんとにまだ顔を忘れられないうちに、北海道にも行ってみたいものである。



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