雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

昭和57年(1982)後半、48歳 単車事業部再建スタート

2011-06-30 05:39:35 | 自分史

★昭和57年前半は、アメリカ市場低迷による大きな問題はあったのだが、国内市場担当であったのでヨコから応援している立場であった。

その年の7月1日早朝、本社の山田専務から自宅に直接電話があり、神戸本社に出頭するよう指示があったのである。

幾らかは、予想されたことではあったが、山田さんからは、10月から事業部の企画をやれと言うご指示であった。

これは大変なことである、その時点で単車事業部は勿論、国内とオーストラリアを除く直営販売会社は全て赤字、特に主力市場のアメリカの赤字は膨大で、二輪事業そのものの存立さえ危ぶまれていた時期である。本社、企画、財務部門から若手10人ほどのKMC調査チームが派遣されて、KMCの経営状況については詳細に調査されていて実態は解っていたのである。財務対策としても100億円単位の額が用意されはしていたのだが、

『それを実施したら果たして現地は生き返るのかどうか』の判断が、本社のエリートたちにもなかなか難しかったのである。

山田専務からは、『その辺の見解』を中心に聞かれたのである。

私自身はこの時点の二輪事業経営は各部門が部分最適値ばかりを追っかけてトータルの仕組みを考えない、日本独特のタテ型経営の結果の『人災』だと思っていたので、ちゃんとやることさえやれば、そんなに時間も掛らずに大丈夫再建できるとずっと思っていた。

二輪事業経営は世界に展開するトータル事業経営なのであるから、全軍を見つめたトータル企画機能の確立と、中央集権体制が敷けるかどうかがMUST条件だと思っていたのである。

 

★企画を引き受ける条件を山田専務に、二つだけお願いをした。

一つは、KMCの会長をしておられる高橋鉄郎さんに戻って貰って、企画室長をお願いしたいこと。

もう一つは、企画のメンバーの中に、技術、生産が解る人材を入れて欲しい、と言う二点であった。

 

私はまだ新米部長で、仮に政策は立案できても、それを中央集権体制で世界の全軍に指示するには、高橋鉄郎さんのような生え抜きの人望のある指揮官がいないと、特に事業部内は個性豊かな先輩部長さんに旗などとても振れないのである。

以前にちょっとだけ、企画を担当したが、本社からの設備のヒヤリングなどの時間が大変だし、事業部内の技術やさんの諸要求に対応するためには此方に技術的知識、判断能力がないとなかなか難しいのである。今回の企画は明石工場よりはむしろ海外の比重が殆どなので、そんな明石での対応を大前太さんに頼んだのである。

私は、異動時点で条件など出したのはこの時だけである。この役職は失敗したら事業がなくなると思っていた。絶対に成功しなければならないのである。本社がこれにかけようとしている対策額も半端なものではなかったのである。

紆余曲折はあったが、10月1日には、高橋鉄郎企画室長をトップに私、北村、大前さんと言う若いメンバーでの企画部門がスタートしたのである。

 

★この年の7月以降約4年間、企画の職務にあった。

事業本部長も、青野さん、大庭さんそして、高橋鉄郎さんと続いて、いろんなことがあったが、二輪事業再建は成功し、大庭さんは副社長で本社に戻られて、高橋鉄郎本部長の時代に移ったのである。

 

この4年間の資料がこんな3冊のファイルに纏められて手元に残っている。

一番いろいろなことがあった、大庭本部長時代がこのファイルである。

当時の仲間や先輩たちはみんなそれぞれ偉くおなりになった。

大庭さんと田崎さんは川崎重工業の社長を務められたし、高橋鉄郎さんは副社長、そしていまは相信会の会長さんである。

大前くんも常務さんに、そしてさらに1年下の当時はリンカーン工場にいた佐伯くんは副社長になられたのである。

 

★こんな単車再建の4年間のスタートがこの年の7月から急遽始まったのである。

この月ごとの纏めに書かれている通りの進行であった。

高橋さんの企画室長はアメリカに行かれたばかりだからダメだと、最初は断られたのである。

そして9月までは、本社主導で対策が練られていた。

ほんの一部の人しかご存じないと思うが9月の初めまでは本社案で、KMC以下の海外販社を、国内のカワ販の子会社にするというような案が本当に進められていた。

これは、とても実務的に無理と言う前田祐作君の進言でボツになって、急遽当方で9月20日までに再建の具体案を纏め、殆どそのままの形で、

10月1日の新体制になったのである。

 

★いま読み返してみても、短期間によく纏めていると思う。

経営全般に亘っているが、一番特徴的なのは、資金対策、銀行借入金対策、現地販社の営業外対策が骨子になっている。

そして、12月末までの3カ月間に、ほぼその対策は完了して、大丈夫再建できると私自身は確信したのである。

前のスケジュール表に 『DKBの説明』とあるが、当時の第一勧銀の本店への説明なのである。当時の本社の佐藤さんと一緒に出かけたのだが、

KMCの赤字の大きな原因の一つがDKBからの借入金で、300億円もの額に上っていた。当時のアメリカの金利は年率20%に近く、金利だけでも60億円に達していたのである。これを少なくすれば負担は軽くなるのは誰でも解っているのだが、どうしたら少なくなるかが解らないと言うか『出来ない』のである。

このあたりがトータルでどうするのか?本部が旗を振らない限り解決しないのである。この解決には自信があった。

DKBさんはKHIの主力銀行だから、赤字会社でも300億円の貸し付けをしてくれるのだが、貸してくれるから赤字が増えるのである。『DKBさんが貸さないと言って頂いたらいいんですが…』そんなことを言ってDKB本社の担当の方を煙に巻いてきたが、これは10年ほど前の東北での銀行さんとのお付き合いや、カワ販での銀行さんとの経験が大いに役に立ったのである。

 

★中央集権体制の尤も骨子は、企画室の中に世界の販売会社経営を統括する関連事業課を新設し、直販会社は全て営業部から外し関連事業課の管轄下に置いたのである。 事業計画の立案、出荷台数などのコントロールも、現地の末端消化を見ながら、すべて明石の企画で立案コントロールするようにした。

それには、現地との信頼関係がなければできない。アメリカの社長は田崎さんだったからできたと思っている。レース時代からの付き合いだったし、アメリカは彼が行かなかったら、私が行くようなことになっていたような当時の雰囲気だったのである。

カワ販の富永君を現地に逆出向させたのも、高橋、田崎コンビだったからである。

関連事業課は五百井、湯朝君の専門経理と、私と一緒にずっと国内再建をやってくれた前田祐作くんが担当してくれたし、KMCの窓口担当は繁治君というメンバーだったので、KMCとの信頼関係は万全だったのである。KMCに富永、日野と言うカワ販の二輪のマーケッテングや販社管理を熟知しているメンバーがいたことも大いに機能した。直接は富永―繁治ラインで具体的事項は繋がっていたのである。

12月1日には田崎さんに、KMCの再建計画の骨子案みたいなものを送っている。

この年の後半の6ヶ月、いろいろと大変ではあったが現地のアメリカのKMCも、リンカーン工場にも行ったし、当時はまだアメリカに残っていた、本社の若手メンバーとも会っている。

そして年末の12月24日には60百万ドルのKMCに対する増資と、180日のユーザンス期間の延長を本社財務に申請したのである。

そして、本社資金からお目付け役で明石に派遣されていた小川優君を正式に単車事業部に転籍して貰って、本格的な国際資金機能を事業部が果たせるような仕組みがほぼ出来上がったのである。

多分川崎重工の事業部で、資金機能や、関連事業部などの本社機能を備えたのは、単車事業部が初めてだったはずである。

そんなご縁で、この年から30年経った今も小川君には、NPO The Good Times の監事としてお世話になっているのである。

 

ドラスチックに二輪事業の事業構造が一変した、激動の3ヶ月だったのである。後の何年かはその具体的な実行だけだった。基本路線は3ヶ月で完成したのである。

山田専務が単車再建委員長であったこと、財務を中心とした本社スタッフが非常に好意的に動いてくれて、殆どの案を、殆どそのまま、スムースに受け入れてくれたので、実現したのだと思っている。

当時の本社松本新さん、私と同期だった横山さん、田中吉正さん、などなど本当にお世話になった。動かして頂いた金も何百億円の単位だったのである。

 

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● ちょっと余談だが、ホンダやヤマハ、スズキは当然ながら本社があって、その機能を果たしている。

世界展開をする上で、本社機能の充実が必要だとずっと思っているのだが、本社機能はどちらかと言うと事務屋さんの範疇なのである。

カワサキの場合はどうもその辺が抜け落ちてしまっているのでは?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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母102歳、孫17歳? 誕生日おめでとう

2011-06-29 05:34:32 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★昨日は、6月28日であった。

母と、アメリカにいる孫たち3人の一番上の『力也の誕生日』なのである。

孫たちの誕生日などそんなにちゃんと覚えてはいないのだが、母と同じ6月28日であることから覚えているのである。

 

明治42年6月28日が母の誕生日である。 102歳になった。

 

 この写真は、1週間ほど前に撮ったものである。

いまは、家から車で5分は掛らない『りんどうの里』と言う特別老人ホームにお世話になっている。

亡くなった父と10歳違い、父は52歳で亡くなったので、その時は母まだ42歳だったのである。

あまり、そんな風に思ったことはないのだが、まだ私が高校3年生のころで私の下に妹たち4人が居て、5人の子供たちを昔流に言うなら女手ひとつで育て上げてきた。

私が殆ど家の手助けにはならないような生き方をしたので、いま思えば母も大変だったのだと思う。

明治の人で確かに確りとはしている。

 昨日は妹のうち3人が、誕生日祝いにと訪ねてくれた。

妹たちは、ちゃんと明石の菊水の寿司を買ってきて昼食をともにしたようである。

この写真は、私も写っているが私はたまたまプールに泳ぎに行った帰りにちょっと寄っただけである。

どうも格式ばったことをするのは嫌いで、誘われたのだが、私はしょっちゅう会っているのだから、妹たちだけでやるように頼んでおいたのである。

りんどうの里の所長さんの高橋さんもお祝いの挨拶に来てくださっていた。

 

★昨年の6月28日は、101歳の誕生日を明石の妹宅に、4人の娘たちが集まって開いたのである。

その時も、任してしまって行かなかった。幾つになっても女の話は独特で、その話の輪の中に入っていくのは大変なのである。

昨年の今頃はまだ、結構元気だった。ちゃんと歩けたし、介護度で言うと『介護1』だったが、普通に認定されると『要介護』ぐらいだったと思う。

明石に行った時、ちょっと目がおかしいなどと言っていたと言う。

 

そんなことで、西神の病院の眼科に連れて行って、目の検査と治療をやりだしてから、急に弱りだしたような気がする。

眼科の先生は、眼底出血だが神経がダメになっていて101歳だから、もう良くならない、治療して進まないようにだけと目の手術や治療を定期的に行ったのだが、病院に通い出してから、急に元気がなくなったのである。駐車場から、ちょっと距離はあったが歩いていたのに、1ヶ月過ぎたころから、歩くのがつらいと言うので車椅子にしたりした。

そして去年の8月14日、『私のお盆休み』と言うブログを書いているが、

この日から母の調子が一変したのである、急に足か膝がが痛くて歩けないと言うのである。お盆の真っ只中病院は開いていないだろうし、救急車にお願いして病院に入院したのである。不思議なもので、いままで入院などしたことのない母が入院した途端に日に日におかしくなってちょうど介護度認定の更新時期で入院中に診断してもらったら、最高の介護5までになってしまったのである。

2カ月ほど入院して、いままでショートステイでお願いしていた『りんどうの里』で介護5になったものだから、順位が1番になって、入所が可能になりいまお世話になっている。

 

★いまは元気になって、いまならとても介護5などにはならないのだろうが、目の方は1年前に比べて見え難くなっている。

それでも認知症にはなっていないし、妹たちがたまに訪ねてきてもちゃんと解るだけいい。でもこの1年でだいぶ弱ってしまったが、知らぬ人がご覧になったら90歳ぐらいには見えるのだろうと思う。

ただ、みなさんが仰るように、誕生日が『おめでたいかどうか』は、何とも言い難い。

誕生日も来ずに年も取らなければいいににと思ったりする。近くにいるだけで何もしてやれないが、昔と違ってこういう福祉施設があるのは本当に有難い。

元気ではあるのだが、老々介護で家で一緒に住むなどは、とても無理だと思う。自宅での介護などとよく言われているが、100歳を超えた親の介護は、介護する人の方が既に高齢過ぎるのである。

 

★そんな6月28日はアメリカの孫も誕生日、アメリカは日本の1日遅れだから、今日が誕生日である。

多分、17歳の誕生日だろうから、これは間違いなく『誕生日おめでとう』である。

 

殆ど毎日アップされるこのブログだが、次男と末っ子は毎回のように登場するのに、

長男力也は滅多に現れないのである。  この写真を探すのに4月まで遡った。

でも、夏休みを利用して8月には独りで遊びに来るらしいから、その時に写真いっぱい撮っておこうと思っている。

 

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昭和57年(1982)48歳  前半 嵐の前の何とやら、静かであった

2011-06-28 05:44:25 | 自分史

★国内市場を担当して4年目を迎えた。

入社以来、9回目の異動で、大体3年で動いている。

まるまる4年間、同じ職場にいたことはない。 この年あたりもうそろそろ次の舞台へ移るのではと自分自身でも感じていたし、周囲もそう見ていたようである。

そしてその方向は、アメリカか事業部の中枢か、そのどちらかだと言うこともよく解っていた。

国内関係は、その担当1年目が無茶苦茶に良くて、累損も消去出来たし台数も稼げたのだが、それに比べて主力のアメリカ市場の実績は年々悪化の一途出会ったしその影響を受けて、事業部の状況も散々だったのである。

前年度に高橋鉄郎さんと田崎さんがKMC担当でアメリカに渡られたのだが、3月に出張で帰国された時には、

『ちょっとアメリカに来て、手伝え』などと言われて、『6月には出張で一度現地を見に来い』などと言われたりしていたのである。

大がかりな財務対策の手を打った本社も、末端のKMCの状況がどうにも改善しないので困り果てていたようである。

4月には本社の山田常務が元々の単車出身ということもあって、単車担当と言うことになったのである。

山田さんは、神戸一中、一高、東大(航空機)と言うまさに秀才コースを歩かれた方なのだが、中学の先輩でもあり、単車の部長時代はレースを担当されて、一緒にライダー契約やいろんなことをやったレース仲間の先輩でもあり、気心も知れていて、山田さんが単車担当になられたら、どこになるかは別にして声が掛るのは間違いないとも感じたのである。

 

★カワサキの技術陣はホントに優秀なのだが、事販売などに関しては経験をした人がホントに少ないのである。

6月アメリカから高橋さんが来られて、国内のカワ販籍の富永君を正式にKMCに出してくれとの依頼を受けたのである。

富永君はこの年東京対策で明石から東京に異動したばかりで、ご本人の意向も解らなかったが、それも聞かずに内諾をしたのである。それほどKMCの状況はひどかったし、彼は国内のマーケッテングの頭脳のような立場だったのだが、必ずKMCではお役に立つと思ったのである。

ただ、彼一人で出すと潰れてしまってはいけないと、管理畑の日野君とのペアで川崎重工への販社からの逆出向を決めたのである。これが5月末のことだった。

そして7月1日に、その時点では専務に昇格されていた山田さんに本社に呼び出されて、10月から事業部の企画に戻れと言う指示を受けたのである。

10月から事業部企画に戻ってアメリカを担当することになったので、彼らと一緒に仕事をすることになるのだが、彼らのアメリカ出向が決まった時点では、私自身の話はまだなかったのである。結果論として、彼らがアメリカにいてくれたお陰で、販売関係に関する日本とアメリカの会話が、あるレベル以上で話が出来たことは事実なのである。

残念ながら、事業部の人たちと販売関係の話をするときには、半分以上が説明をしないと先に進めないのである。これは逆に私などに技術の話をしても、説明が入らぬとそこから先は何も解らないのである。

ある一定以上の水準の人同士の話は、そんな説明抜きで高いレベルの話に終始出来るはずである。 仲間同士の会話がスムースなのはこんな事からだといまでもそう思っている。

 

★そんなこの年の前半、一般社会では2月8日に東京でホテルニュージャパンの火災があり、翌9日には羽田でJALの墜落事故があった年である。

キヨさん、清原明彦くんが3月6日に初めてのバイク屋の店をオープンしたりしている。オープンセレモニーにはカワサキのレース関係者など多数参列している。勿論参加した。彼の店の申請を受けたのは私なのである。『レースと違うのだから、ちゃんと事業計画を出せ』と言ったら、誠に綺麗な字の計画書が提出されたのである。『誰に書いてもらった?』と聞いたら『私が書きました』と言う答えが戻ってきて、びっくりした。

もうあれから30年が経とうとしているのである。

業界活動も特にホンダ、ヤマハの競争が表面化する直前で、いろいろと厳しかった。

ホンダ佐藤さん、ヤマハ角川さん、スズキ開発さんという論客ぞろいで、なかなかオモシロかった。こういう場では、いつもカワサキはちょっと離れていてと言うか、3社さんからは本当のライバルと思われていない節もあって、カワサキがまあまあと言うと何とかなるのである。

特にホンダの佐藤英明さんとは、この数年前からその後10年以上も、ずっと自工会企画部会などでのお付き合いで、いろいろお世話になったのだが、いまどうしておられるのだろう。佐藤さんも長かったが、私も結構業界関係は長かったのである。

 

★この年息子は、関学のサッカー部?に入学した。当時は、いまのように推薦入学制度がなくて、受験でしか入学の道がなかったのである。

高校3年の夏まではサッカーばかりに熱中していたのに、夏を過ぎたころから一転受験勉強を始めた。

それもちゃんと毎日の日課をスケジュール化して、それをきっちりと守るのである。秋の国体選抜の推薦も断って半年間勉強ばかりしていた。そのスケジュールは正月三ヶ日も崩していない。 これは私のいい加減な性格ではない。間違いなく母親譲りである。

大学は関学と同志社に通って、同志社は1部、関学は2部だったのに、何故か関学を選んだ。理由を聞いたらヤンマーで釜本とコンビを組んでいた阿部さんがドイツでコーチ留学をして帰国して関学のコーチになるからだと言う。

私はこのころ息子の大学の進路相談も、このような決定もみんな蚊帳の外で一切相談にも乗っていないし、相談も受けていない。

それ以降も、いままで息子とは、釣りに行ったり、サッカーを見たりよく一緒に遊んではいるが、相談を受けたことは就職も、結婚も一度もない。

多分、小学校のころに『男の子は自分のことは自分で判断して、チャンと決めろ』と言ったことがあるが、これが効き過ぎているのだと思う。

 

昭和57年前半は、こんな年であった。 後半は一転大変なことになるのである。

 

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自然エネルギーにエネルギーを

2011-06-27 05:49:27 | みっきぃふるさとふれあい公園

★NPO The Good Times のアドバイザーをしてくれているbunCさん、ツイッターのハンドルネーム fchozi さんから、ツイッターでこんなつぶやきを頂いた。

@rfuruya1 「自然エネルギーにエネルギーを」という話が現在、読めないようです。結構気になるので、またその手のお話をお願いします、、、。

確かに、『自然エネルギーにエネルギーを』と言うブログは一時書いていたのだが、途中でアップするのをやめてしまった経緯がある。

『自然エネルギーにエネルギーを』と言うフレーズは、先日の関西のABCテレビの中の『潮流発電』の特集の中で語られていた言葉である。

自然エネルギーと言う言葉は、昨今いろいろ取り上げられるが、政府関係者を始め本当にそれを育てる気持ちがあるのか?

英国などの対応に比べて、日本の場合は口ばっかりで、そこにエネルギーが感じられないと言うのである。

番組の中では馬淵さんのスピーチが紹介されていたが、迫力が全然感じられないのである。

 

★2年前の6月に、ノバエネルギーと出会ってそれ以来、NPO The Good Times としても広報を中心に応援を続けてきた。昨年の6月までは迂余曲折はあったものの順調に来たのである。

3月には環境省の援助認定も受けて億の単位の支援が受けられるようになり、6月にはそれまで韓国で開発を続けてきたマグロタービンの現物が着いて、淡路岩屋で実験開始までこぎ着けたのである。

マスコミも注目し、各社のテレビ取材も受けた。先日のテレビの映像もその時撮られたものの編集であった。

その後、実験の途中にマグロタービンが流れてしまって、

そこからお役所の態度が一変して、自分たちの立場を守るだけのタテ型発想で、こんな事では、小さなベンチャー企業がが新しい自然エネルギーの開発などとてもできないのである。

環境省の億を超える援助枠も、そのお金が貰えるわけではなくて、使った額だけ後から申請で補填すると言うのである。

1億のお金の援助を受けるためには、自力で1億のお金を都合しなければならないのである。大企業ならともかくベンチャーには銀行も仮に政府の認定があっても、1億円のお金など貸してはくれないのである。

 

★日本のエネルギー政策は、政府も電力会社もそれに群がる利権集団も、『原発一筋』それが唯一無二のものとして、進められてきた。

今回、東日本大震災で福島原発事故もあって、あの原発の事故の影響などを見ては、国民もこれはちょっと危険すぎると思ったのだろう。

 未だに、電力会社や、原発推進派の人たちは、原発主体に進めたいのであろうが、如何に、原発支持者が頑張ってみても、多分国民は『脱原発』の方向に舵を切るだろう。

ただ、その時本当に、原発のの代替エネルギーとして、『太陽光と風力で大丈夫賄えるのであろうか?』

土地の狭い日本で、風があまり吹かない日本で、夜は発電しない、風が吹かぬと廻らない効率の悪い基本システムで、

『原発に代わるエネルギーを求めたら、どれくらいの土地が要るのだろうか?』

 

★私は、技術は特に弱い。そんなに難しい技術的根拠を持って言っているわけではない。

ただ、若いころから二輪業界にいて、日本で初めてというような『ネットワーク』とか『システム』の創造ばかりをやってきた。

世の中で初めてのことばかりを担当してきたのである。

 

78才になったい今でも、日本では珍しい『システムそのもののNPO The Good Times 』を2年前に立ちあげた。

来月にはアメリカで新しくプロジェクトがスタートするし、首都圏東京でもいろいろ考えている。

ネットシステムなどは、世界展開が常識なのである。

前例のない、世の中で初めてのコンセプトが正しいかどうかの『判断』は、『専門的な知識などではなくて、常識で判断されるべきである。』

『常識で、判断して、大丈夫なら、その実現性はある。』 と確信しているのである。

 

 

『原発に代わる自然エネルギーは、原発の発電量を上回る発電量が可能である』ことがMUST 条件なのである。

私は川崎重工業にいたのだが、バイクを造っている二輪事業と、航空機や、造船など高価な製品を造っている事業部の売上高がどちらが大きいと思われますか?

売上高では圧倒的に単価は低いが量で、二輪事業なのである。 

航空機、造船、プラントなどなどいろんなものを扱っている重工業の川崎重工と、軽四輪が主体のスズキとどちらが売上高は大きいのか?

圧倒的にスズキなのである。

 

発電量とは売上高みたいなものである。

原発の発電量が如何に大きくとも、

太平洋の黒潮を利用して、24時間休むことなく発電できる。そんなに難しい技術ではない。マグロタービンが回りさえすれば発電するのである。1台あたりの発電量が幾らであっても、発電さえすれば、原発に見合うだけ数を増やせばいい。

太陽光や風力と違って、海流発電は、幅100キロもある黒潮を幾ら大きく使っても、土地代も利権などややこしいことは一切発生しないのである。

量産事業を経験された方はよくお分かりであろうが、同じモノを量産するとコストはビックリするほど下がるのである。発電量の効率もやっていればどんどん改良されるのである。

理屈から言って、間違いなく原発を凌駕する、『発電量の確保』は大丈夫なのである。

 

 

★ただ、ノバエネルギーの鈴木清美さんとも話をしていたのだが、これはベンチャー企業が発想し、構想は描けても、国や大企業がとりくまないと、とても、実現性はないと思っていた。

だが鈴木さんの構想は壮大なのである。 是非どんなコンセプトなのか覗いてみて欲しい。

 

今回、造船工業会が、再生エネルギーに取り組むそうである。

潮流、海流、波力などいろいろあるが、今の原発の発電量に代わり得るものは『海流発電』だけだと思っている。

これはスズキの軽四輪事業みたいなものである。

小さなものでも数を合わすと、重工業の売上高を大きく凌駕し、世界事業として展開できるのである。

造船事業の体質を根本的に見直して、世界に新しく羽ばたくチャンスである。

造船工業会の中に、量産事業経験のあるカワサキがいることは大きな力なのである。

 

 そんなに難しいことではない。

『回転すれば電気は発生する。』 『原発の発電量まで数を増やせばいい』だけの話である。

使うところは太平洋、漁業権など発生しないはずである。

送電方式だけは、どんな方法があるのか?

 

『利権が発生しないから、動かないのだ』  そんなこと思う政治家は、直ぐ止めて貰わねばなるまい。

 

 

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朝の散歩

2011-06-26 05:43:41 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★毎日ではないが朝散歩をしている。

どうも町の中を歩いてみても気分はもう一つだと、市内にある幾つかの公園まで車で行ってそこで歩いたりしていた。

町の中を歩いてみたら、車で通っていては気がつかない新しい発見もあって、最近は3,40分の散歩を楽しんでいる。

 

 

★住んでいる町の名前は『緑が丘』と言うのだが、町はどちらかと言うとこの写真のように、高台から見下ろすような一帯に広がっている。

下に見えるグランドから階段を上ってきたのである。こんな場所に来たのは、40年住んでいるが多分3度目ぐらいである。

ご覧のように町は、マンションなどの建築は規制されていて、だから土地の値段が上がらないなどと言う人もいるが、

ずっと住むつもりなら土地の評価など安い方が、固定資産税も安くていいと思ったりしている。高いマンションなどないのは、落ちついた町の雰囲気があっていい。

この高台と同じ位置を神戸電鉄は走っているし、その前が廣野ゴルフ倶楽部である。

家からここまで、20分ぐらい掛っている。

振り返るとこんな風景である。 まだ5時前で、少し暗いが、池の向こうには電車が走っていて、その向こうに見えている林は、廣野ゴルフ倶楽部である。

廣野が高い台地にあるのかも知れない。 三木の旧市内も美嚢川も『緑が丘のまち』よりはずっと低い位置にある。

 

 

緑が丘駅からの通りに出てくると、一変してこんな風景になる。流石5時には人通りも少ない。

 

緩やかな坂道を下ってコープの横に出てきたら、5時10分をちょっと廻っていた。

向こうに見えるのは、トイレット。  かよちん教室のかよちん先生と子供たちのペインテングなのである。 

かよちん先生は仲間の一人で、いろんなイベントを手伝ってくれている。 NPO The Good Times  のメンバーでもある。

 

朝の5時と言うのに不思議なことに、コープの駐車場に車いっぱいである。

ある団体の『早起き何とか…』なのだと思う。

 

西を見ると、まだこんなに暗い。

ずっと向こうは、志染の住宅街である。

この一帯で三木の人口の半分ぐらいが住んでいるのかもしれない。

 

約40分の散歩で家に戻った。

バラは、返り咲きである。

7月まで咲き続ける。

ちょっと汗ばむぐらいの、梅雨の合間の散歩だった。

次はまた、違うコースを歩こうと思っている。

 

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Who is mikkyj?

2011-06-25 05:28:58 | みっきぃふるさとふれあい公園

 ★ 昨日、ツイッターで 『mikkyj』 なる方からフォローされました。

私のツイッターでは、毎日新しくフォローして下さる方が4~500人、フォローを解除なさる方が2~300人ぐらいおられて、差し引き200人ちょっとが毎日増えていくような状況です。

フォローして頂いた方を、チェックはしますが、沢山おられるので、そんなに詳しく見ることはありません。

 

でも、このmikkyJ さんは、何故か直ぐ目に止まりました。

サイトを開いてみましたら、こんな状況です。    

 

名前はみっきぃ  場所は兵庫県三木市です。

参加されたばかりで何のツイートもありません。 週末に入りましたから、実際の活動は来週になるのかも知れません。

誰かな?と一瞬思いましたが、フォローされている14名の名前を見て、

これは大体想像がつきました。

14名は、この下の通りです。ちょうど順番は逆になっていますが、

私を一番先に、続いてさるとるさんと、続いていて、the-good-times のそれも「三木に関係あるメンバー」ばかりをフォローしています。

 

大体想像はつきましたので、よく解っていないのですが、勝手にその人と決めて、the-good -times 2 の リストに入れることにしました。

the-good-times 2 は、 NPO The Good Times の個人会員さんです。

The-good- times は、 NPO The Good Times の団体会員さん及び、理事、アシスタントの方を入れているのです。

 

 
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m_moteki
もて木みち子 | 兵庫県三木市  フォロー中
今日2時から図書館活性化委員会 #goo_orangen0808 http://goo.gl/aLbqk  10:46 AM Jun 19th
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金澤美鈴 | 京都府京都市  フォロー中
@vira_zelus なんて素敵な絵なの♡ 綺麗な絵描けるのほんと、うらやましい!  5:02 AM Jun 19th
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NPO法人三木スポーツクラブ | 兵庫県三木市  フォロー中
北播少年リーグ http://gingar.blog29.fc2.com/blog-entry-800.html  約13時間前
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山田和広 | 兵庫県三木市 フォロー中
ラミレスのホームラン後のパフォーマンス、今年はどんなのかなと思って見てたら、「私達は一つ」という熱いメッセージ。心がこもっているのが一目で分かる。何回も何回も伝えるために、ホームランを打ち続けたいだろう。決して巨人ファンという訳ではないが、ラミレスは好きだ。彼は、あたたかい。  12:28 AM Apr 13th
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米田 和彦 | 酒米の王者☆山田錦の産地:兵庫県三木市 フォロー中
本日の入場者数448名。少なっ!三木の人、何人知ってるんやろ?今季から代表選手が増えて有料試合が増えた中での無料試合やのに。  7:39 PM Jun 10th
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森田和彦 | 兵庫県 フォロー中
本日は長女の誕生日。陣痛室で医者がいない間に生まれて21年。プレゼントといっても娘のほうが私より金持ちだし・・・(汗)  約1時間前
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いいおんがく三木 | 兵庫県三木市 フォロー中
"♪ジャズカフェ・ベイシー開店8周年記念♪  ~MSBO Live at Basie Vol.2~ 三木サウンドブラストOrchがおとどけするビッグバンドJazzをお楽しみください!..." http://tumblr.com/xcr34tqndt  約15時間前
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小巻 健 | 兵庫県三木市 フォロー中
同感!目が据わってました RT @chiki2913: 同感。個人的に一番ツボでした(笑) RT @nobuyoyagi: しかし、なんといっても会場を沸かせたのは、元暴言検事市川寛氏の、「大阪地検時代の思い出」.....あやうく全部持っていかれるところでした  約1時間前
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Hirofumi Ikeda | 兵庫県三木市 フォロー中
たまには、ゆっくりと音楽鑑賞はいかが?今度の日曜日・26日の14時〜三木高校吹奏楽部の演奏会があります。曲目は、クラシックから、AKBまで。場所は、三木市文化会館、入場無料です。 http://t.co/cosfFCY  約11時間前
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河田明彦 | 兵庫県三木市 フォロー中
[exblog] 「顔」雑感 http://bit.ly/lSiKnG  約12時間前
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鈴木 清美 | 兵庫県三木市 フォロー中
世は再生可能エネルギーの時代に突入、潮流発電・海流発電は諸々の理由で明石海峡での実験の再開ができません。 海外での開発を視野に入れて考えてます。黒潮という膨大で無尽蔵のエネルギー源があるのに。  4:34 PM May 14th
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さるとる | 兵庫県三木市 フォロー中
Musicroom761 http://t.co/cCoBNbJ インターネット放送はこちらhttp://t.co/RcFsjbY #e_miki  約14時間前
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rfuruya1  
京の話ですが、京都の話ではなくて、『京 けいの話』です。ダントツの世界一のシステムですが、それを使う方も一番であって欲しいものです。関係者の方から『二番ではダメなんですか』などとは、決して仰らないように。http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1  30分前

 

★参加されたばかりで、何の呟きもありませんが、

これは間違いなく、JJさんだと思ってこのブログを書いています。

もし万一間違っていたら、mikkyjさん、お許しください。

 

JJさんとは、

三木市の広報、、ブログdeみっきぃ を担当しているJJさんです。

 

三木市のいろんな情報を綺麗な写真とともに情報発信してくれます。

 

 

 

 

いつも三木の綺麗な写真と記事がいっぱいです。

勿論最初からのNPOの仲間です。

ツイッターをおやりになるようにお誘いをしていたのですが、やっと動き出しました。

ツイッターで ブログde みっきぃ を リンク して頂いたら、毎日でもリツ―トします。

 

私たちの仲間のブログを集めた  『三木 おもろいわ』 でも  ブログde みっきぃ は別格の扱いになっています。

ホントによくいらっしゃいました。

いつかまた、三木市のFacebookが出来たらいいのに、と思っています。

 

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京の話

2011-06-24 05:25:17 | 発想$感想

 ★『京=けい』と読むらしい。

今『京』と検索すると、

京都とともに『京 けい』の方も現れる。

生まれて初めて聞く言葉である。

 

★ 『京 Wikipedia』 で検索すると 、次の様な文章が現れた。

 

『京(けい)は漢字文化圏における単位の一つ。 京がいくつを示すかは時代や地域により異なる。

現在、日本台湾韓国では1016を示し、中華人民共和国では用いられていない。

当初は、10倍ごとに位取りの名称を定める「下数」が行われていたので、・京で「京」は107となる。

後に行われた「上数」では、京は兆(1016)の兆倍で1032を指した。「中数」の万万進では兆(1016)の億倍で1024万進では兆(1012)の万倍で1016となる。

日本では江戸時代に万進に統一されたので1016となり、かつて日本統治下にあった台湾・韓国でも1016となった。ただし、いずれの国でも京まで使われることは稀であり、台湾・韓国では京以上の命数はあまり知られていない。

中華人民共和国では、近代まで万進と万万進が混用されており、京以上の命数についてはどの数を指すのかを確定することができなかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・』 とまだ続くのだが、

 

一応は読んでみたが、よく解らない。

小学校の頃、算数は得意な学科だったのだが、対数log あたりから俄然嫌いになってしまって、勉強する気にもならなくなった。

所謂、理数科は全くダメなのである。

と言って、文化系の法律なども、これまたダメで、一番いい加減な経済でも、さらにぼんやりとした経営学科の方へ行ってしまった。

要はきっちりしたこと、学問や学者、専門家の分野はダメと言うことなのである。

 

★京 けい なるものが、世界一の話題として、それも地元のような神戸のまちから流れた。

『京 けい』に関するニュースでも、いっぱい記事が現れる

 

とても全部は読み切れないが、

そんな中で北海道新聞のコラム、何となく解る気がする。

 

大要次の様に書かれている。

『理化学研究所と富士通が共同開発中のスーパーコンピューターが、計算速度で世界一になった。名前は「京(けい)」。来夏に完成すると、その名のごとく毎秒1京(1兆の1万倍)回の計算をこなすそうだ。きっと、すごいことなのだろう。

スパコンといえば、SF作家小松左京さんと谷甲州さんの共著「日本沈没 第二部」(「地球シミュレータ」を連想する。・・・・・・・・

あの震災で東北の太平洋岸の一部は地盤沈下した。 原発災害で周辺住民は故郷を追われ、避難生活を余儀なくされた。

SF「日本沈没」が問うた試練は、現実のものとして私たちに突きつけられている

▼巨費を投じて「2位じゃなくて1位」になった「京」は、人々をどう幸福にするのか。 いくら頭が良くても、彼は答えを持ちえない。  使う側の知恵と志と説明能力もトップ級でなくては。』

 

その通りなのである。 同感である。

『使う側の知恵と志と説明能力もトップ級でなくては』 宝の持ち腐れである。

 

 

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『潮流発電』 造船工業会、動くかな?

2011-06-23 05:15:02 | みっきぃふるさとふれあい公園

★『造船工業会、新会長風力発電に意欲 』と言うニュースが流れた。

その記事の内容を見ると、次のように書かれている。

『日本造船工業会の会長に21日就任したIHIの釜和明社長が同日、記者会見し、造船以外の有望な事業として再生可能エネルギー分野を挙げ「洋上風力発電や潮流発電、波力発電などに挑戦したい」との意欲を述べた。

 洋上風力発電は大型風車の土台となる浮体を海上に設けるので、造船の技術や生産能力が生かせる。潮流発電や波力発電にも、船舶の設計技術などを応用できるとして、造船業界の期待が高まっている。』

 

★潮流、海流発電は、ノヴァエネルギーが淡路岩屋での実験を昨年来続けているが、

幾らそのコンセプトが良くても小さなベンチャー企業が、『事業化』を目論むことは現実問題として難しい問題が山積しているようである。

造船工業会が一丸となって得意なめがフロートなどの技術を駆使して、洋上での風力発電、潮流発電、海流発電など海上に基地を作って、海底資源の発掘など多角的に考えたらいいと思う。

早速、仲間たちがツイートしている。

 

秋定泰雄 yakisada   造船工業会の新会長、IHIの釜社長が記者会見で、有望事業として再生可能エネルギー分野をあげ「洋上風力発電や潮流発電、波力発電に挑戦したい」との意欲を述べた。船舶の設計技術などを応用できるとして造船業界の期待が高まっている。との記事が今朝の神戸新聞に出ていた。楽しみである。    

 ちゅかだえちゅこ平元 正久アツコtadokoroミィコ少年クラシックのオウイチロウjimmy 釣山 固定概念破壊党 党首放射性廃棄物ふじたつなみいつきマダム・タラ古市裕一魚々丸ニコン[今月の魚:マイワシ]古谷錬太郎竹中345  showing latest 15

渡部達也 tmmrwata  造船工業会が再生可能エネルギーに着目。 新エネルギー分野が日本造船業界の将来を決めてくれるだろう。既存の造船など中国や韓国に譲るくらいのつもりで取り組むべきだ。
2Km×2Kmのメガフロートを太平洋上に10基浮かべ、下は海流発電、上は風力・太陽光と水素工場だ。世界を変えよう!  
Soul ArchromezomisaすなおちゅかだえちゅこEikanandaミィコemkumama池山 弘徳ふじたつなみいつきてれきゃす古市裕一古谷錬太郎竹中345
 
 
★ 二人ともカワサキの仲間である。
特に、tmmrwata さん(タッチャん)は、つい先日まで、淡路の現場でノヴァエネルギーを手伝っていたのである。
 
 
 
 
太陽光も、風力発電も、日本の狭い土地ではなくて、大海原を使った壮大な夢を実現して欲しいものである。
海の面積を入れたら、日本の広さは確か世界で7番目の大国なのである。
 
海流発電、その黒潮の幅は100キロと言う壮大さである。
 
故郷の川崎重工業も造船工業会の一員なのである。
是非、頑張って欲しいと思っている。
 
造船工業会、ホントに動くかな?
 
NPO The Good Times としてもずっと、このブログに『潮流、海流発電』というカテゴリーを作って応援してきたプロジェクトなのだから、ぜひ夢を実現して欲しいのである。
 
 
 
 
 
 
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Twitter & Facebook & Blog

2011-06-21 15:38:31 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram

★ 70を超えて出会ったネットの社会だが、今は完全に私の日常生活の中に入ってしまっている。

毎日、どれくらいパソコンの前に坐っているのだろうか?

6時間以上であることは間違いない。

パンダ碁を5局も打った日には、多分8時間を超えるだろう。

 

一体何をしているのか? とお思いであろうが、

ベースにあるのは、ネットをベースにしたシステム、 NPO The Good Times である。

その管理人をしているみたいなものだから、

全国に既に2500人の会員さんが居て、実際に動いている人はその1割ぐらいだろうとは思うが、

まず会員さんのツイッターとかブログとかが、ホームページに更新されるたびに現れてくる。

それをまず目を通している。

 

★自分自身でも、このブログと、もう一つexciteのブログを毎日更新している。

このブログは、前日の内に書きあげておいて、朝起きると同時に発信するだけだが、

excite の方は起きていろんなブログやツイッターなど情報をチェックしてから改めて書いている。

 

チェックする時間が結構掛かる。  

会員さんのツイッターの中からチェックして毎日『リツイート』している。

 

Facebook の方は専ら眺めるだけである。 なかなかの労作なのに『いいね』が意外に少ないのはまだfacebookをやっている人が日本では少ないのだろうか?

KMCのfacebookは1日に500人以上も増えて既に28万人に達している。

こちらと、Goodtimes Tumblr の方は、NPO のアドバイザーのbunCさんが担当してくれている。

 

NPOのホームページそのものは、まっしま さんが担当してくれていて、

私は専ら簡単な作業ばかりをやっている、と言うよりそれしかできないのである。

 

★一番時間が掛っているのはツイッターかも知れない。

これは単純作業だが、なかなか手間が要るのである。

今155000人ほどのフォロワーがいるのだが、毎日何故か0.1%ぐらいはやめてしまうのである。0.1%と言っても150人くらいにはなるので、毎日それ以上増えないと維持できないのである。

半ば毎日意地のように幾らかでも増やすように頑張っている。

 

ところでツイッターをやっているみなさんは、新しい方式、旧い方式、どちらでおやりなのだろうか?

私は旧い方でやっている。何となく旧い方が使いやすいのである。特にリスト記号が表示されるのがいい。

昨日だったか、突然新しい方に移ってしまって、悶絶してしまったのだが、やっと旧い方式への戻り方を発見して、ホッとしているところである。

 

★ネットをやっているとアクセス数とか順位とかは、やはり気になるものである。

いろんなデーターがあるのだが、これは間違っているのはよく解っているのだが、解っていても、こんな位置に表示されると気分のいいものである。

まず、フォロー数、全国まさに上位にランクされている。 ゴルフでないが片手シングルなのである

鳩山さんより上にいるのは気持ちがいい。

 

こちらは、フォロワー数である。 河野太郎、修造ーbot、原口一博の次48位にいる

なぜこんなことになっているのか解らぬが、

大体順位などは、こんなモノで一番と威張ってみても、必ず「何かの中での一番」、と言う条件付きで、ホントに一番などよく解らないものである。

 

それでも、小学校の徒競争でも一番は気持ちのいいものである。

年を取ってからも、こんな事で一喜一憂出来るのは有難い世の中だと思っている。

 

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協議会とか委員会 雑感

2011-06-21 05:27:00 | 発想$感想

★政府関連とか、行政でよく組織される、『協議会とか委員会』

こんなのは大体が政府や行政のお抱え委員がメンバーで、『なあ、なあの検討』がされているのだとばっかり思っていた。

昨日の朝、ブログを見ていたら、元三木市議をされていたもて木さんが、

『総務文教委員会でも論議されたが、活性化委員会での論議を待ってというようなことなので、ぜひこの活性化委員会傍聴してください。傍聴するとよくわかります。
14時から、場所は教育センターです。
最初は、今回でまとめてしまおうという事務局案だったようですが、委員さんたちがそれに異議を唱え、事務局案に反対していました。
いろいろな委員会がともすれば、事務局案を承認する形になっているので、注目です。』

と書かれていましたので、傍聴に行ってきました、

 

★議論された案件は、殆ど筋書きは決まっていると思われる『三木市図書館の移転問題』です。

表面上は『三木市図書館の活性化構想』なのですが、この案件は今月末の議会にに500万円の調査費案が提出され、若しそれが通れば、何ヶ月かの調査期間を経て、なし崩し的に、『図書館の移転』が決まるだろうとみんな思っている案件なのです。

私は図書館問題は全くの素人ですし、今の図書館のアクセスは確かによくないし、半ば移転も仕方がないかなと思っていたのですが、

昨日傍聴した委員会は、熱気あふれる議論が展開されて、『三木市の思惑』が、180%ひっくり変えるような結論になりました。

 

★傍聴していたtakekake9833さんがツイッターで、 こんな実況中継です

●今から図書館活性化構想検討委員会傍聴。今日は移転案になっている教育センターにて。

● 教育センターの耐震構造計算が意味わかりにくい。専門家による説明責任、また法的根拠も明らかにする必要があるとの委員さんからの指摘。

開始から1時間半経過したけど、委員さんからの熱心な議論で肝心の移転までまだいっていない。  

休憩はさんで今から移転問題を巡っての本丸論議。  

委員長「これだけ意見が対立してまとめられない委員会の長をするのは初めてで、胃が痛い思い」「委員さんの人柄や思いを聞くことは勉強になった」  3時間の熱のこもった委員会でした。委員さんの熱意スゴイ!  

 

★私も全く同感です。

本来中立であるべき大学の先生の委員長まで、『この案件はおかしい』と言うようなことで、検討に参加した委員全員が『移転反対』の意思表明 でした。

三木市側からの出席者のホンネも大体その対応ぶりから解ります。

議案が『三木市図書館の活性化構想』 ですので 、その対応策としては、単なる移転ではなくて、『活性化に見合う』白紙からの検討が当然なのだと思います。

 

★然し、なかなかそうはいかないのが政治なのかも知れません。

結論は既にあるのです。

この委員会も検討をしたと言う実績を残すためのものだったのでしょうが、この委員さんたちが正論を展開したのですが、

月末の市議会では、500万円の調査費は多分通るのでしょう。ホントは500万円の調査費こそ無駄なのです。

そしてどんどん実績を積み上げて、最終的には、三木市教育センターへの移転は決定するのかも知れません。

 

教育センターは図書館用に建てたものでありませんので、図書を置く重量に耐えきれず億を越す補強費が要ると言うのです。

さらに移転費用を含めると4億を超す費用が発生してそんなことなら新しく図書館を建てる方が安いのですが、有余った市のの土地を使おうとせずに、新たに買う土地代を入れて今の移転の方が若干安いなどと言うことなのです。

 

★もっと極言すると、現市長は前市長の残したものは、全部つぶそうとしているのかと疑いたくなるような、進め方なのです。

政治とはそんな権力闘争的な一面もあるのでしょうが、昨日の議論には市民の傍聴者は沢山いたのですが、三木市の市会議員さんは二人だけでした。

議員さんたちは、こんな熱心な議論など、聞いても聞かなくても結論は既にあるのかも知れません。

 

一般の市民は無関心です。

ただ、普通の人がこの議論を聞けば多分100%、昨日の委員さんと同じ結論になると思います。

委員長が言われたように、ハコものも市民が本当に認めたら『そんな金は問題ない』 これはそんな問題なのですが、どんなことになるのでしょうか?

 

昨日の私のツイッター

●菅さん、『みっともない』と言う以外に言いようがない。政治課題いっぱいあるのに・・・ 政治家もいろいろ。  

「国民は一流、官僚は二流、政治家は三流」、朝日の社説の中の言葉だが、いずれも例外はある。

 

などと書いたが、三木市長も、このままでは三流であること、間違いない。

自分の住むまちの市長さんは、一流であって欲しいものだが・・・・

 

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昭和56年(1981)48歳  KMC危機、川重もよくなかった  

2011-06-20 06:07:31 | 自分史

★昭和56年(1981) 大変な年であった。

カワサキの単車事業の主力市場のアメリカKMCが大赤字で、プラント事業部の赤字受注の問題も発生して、川重全体の経営にも大きな影響が出てきていた年だった。

年初から、KMCをどうするか本社財務も入って検討されており、高橋鉄郎さんがアメリカにいくらしいとか、田崎さんのアメリカ行きなども、ずっと話題に上っていた。

兎に角、今まで経験したことのない海外の、それも販売会社経営の話だから、本社財務もいろいろ案はあっても財務対策からのものであり、経営そのものについてはよく解らなかったのだろうと思う。

 

二輪事業はカワサキにとって、全く初めての事業だったし、KMCはその設立以来10年、浜脇洋二さんがずっと先頭で走って築いてきたものだから、浜脇さんが戻られアメリカ人のマセックも辞めて、現地に経験者がいなかったと言うのは間違いない事実であった。

この当時の2年間、これも大赤字であった国内市場だが、FX400の大ヒットもあって、2年の間に黒字どころか累損、含み損も消去し、売上高100億円は200億円以上に倍増したりして、

国内の連中が海外もやればなどと、ホントにそんなことも、特に本社の人たちは思っていたようでもある。1月の国内の新年会には長谷川副社長も大西常務も出席されたりしたのだが、パ―ティーの立ち話だが、大西さんはしきりにそんなことを言われていた。

こんな状況の中で、塚本本部長は6月で退任され、新たに青野本部長体制になったり、人事職制もいろいろあって、本社も財務的にKMCへの資金的なテコ入れもやったりしたのである。

この年の8月には、高橋さん田崎さんがKMCを担当されることになり、アメリカに渡られることになったのである。

 

★ 2年間好調であった国内もその伸び方が急激過ぎて、物流問題など構造的に見直さねばならぬ問題など、過去の2年と比べてそんなに楽ではなかったが、期間損益だけは何とかなった状態であった。

一番末端の市場に詳しい藤田孝明君を大市場の東京に抜擢したりして、翌年への対策などを講じていた。

販社の経営などは、末端の状況がちゃん解ることが第一で、、その成否は『マーケッテングマインド』があるかないかに掛っていると思っている。 何よりもそれが必要なのである。

それは現場の経験から得られるのだろうが、カワサキの場合はそんな経験を積んだ人が、極端に少なかったことが、苦しい時代が長く続いた大きな原因の一つなのだろう。

6月に、青野さんが本部長で戻られて、カワ販の社長にも就任された。 (青野さんは技研所長からだったが、2年前まで二輪の副本部長をされていた)

 

その時の社長報告の中から、抜粋してみる。 当時のカワサキ国内の状況なのである。

 

 

 

 

 

★国内のこの時点の状況報告だが、

カワ販本社自体は10人ほどの小さな会社だったが、組織機能はちゃんとあって、当時の管理面は前田祐作君、マーケッテングは富永君という素晴らしいスタッフが、トータルシステムを創ってくれたのだが、

『基本コンセプト』や『自分で報告すること』は、『自筆で自分で書く』 これは退社するまで一貫して続けている。

そんなことで現役のころは一切パソコンなどは使っていない。パソコンに出会ったのは70歳を超えてからである。

そのコンセプトが企画部門のスタッフと遊離していたことなどはない。  そうすることが、『リーダーの責務』 だと思っていた。

 

国内は何とかこれくらいで済んだのだが、

主力のアメリカ市場のKMC の経営は、さらに悪化して年末ごろには、赤字100億円と言うような噂まで流れた。

ただ、横で眺めているだけの立場だったが、当時のアメリカの金利は20%に近く、その借入金は300億円に達していたので、金利の支払いだけで60億円もあったりした。 別に営業利益が無茶苦茶悪い状況でもなかったので、営業外の構造対策さえすれば、直ぐよくなるとは思っていた。 そのトータルシステムの絵が描けないのである。

当時の田崎さんとは、そんな話ばかりしていた。 そして翌年10月には、本当に事業本部企画を担当することになるのである。

 

★この年ごろは、ゴルフにも一生懸命だった。

播磨カントリーの会員権を買って、初めてメンバーにもなったし、ゴルフを始めて5年、ようやく80台も出て一番熱の入った時期でもある。

先日こんなブログをアップしたのだが

 

 

このカップの取り切り戦があったのは、この年の7月30日、城山CC。  ちなみに優勝スコアは43:42の85だった。

播磨CCで、初めてもらたオフィシャルスコアが18だった。 

それ以降翌年にかけて月例にもずっと出ていたが、播磨CCはコースレートが高いのでアンダー分はそのまま、オフィシャルハンデイは減っていくのである。 

グロス90が18だから、 月例で、翌年グロス87. 85. 82. と連続して出て、半年ほどで オフィシャル10 までにはなった。

普通は、そこからシングルを狙うのだろうが、どうもシングルは何となくイヤでそれ以降はあまり月例にも出ていない。

幾ら頑張ってみても、70台を維持するのは大変だし、

ゴルフに限らず、『専門家の域』には、あまりなりたくない、極めるためには楽しさよりも苦労の方が大き過ぎると思ってしまうのである。。

 

★家庭は息子は高校3年、娘が高校1年になった年である。

あれだけサッカーに熱中していた息子は、大学に入るためにと突如受験勉強をし出して、秋の国体選抜の招待が来たのに断ってしまっている。これにはビックリした。

これは、間違いなく家内の性格を受け継いでいると思っている。

そういう意味では、娘の方が私に近い、何事も大雑把である。

そんな子供たちも、もう45を過ぎた。

 

と言うことは金婚式ももう近いのである。

昭和56年の話は、ついこの前のことのようにも思うが、もうずっと以前の昔話なのである。

 

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住めば都

2011-06-19 05:34:26 | 発想$感想

 

 ★昨日は、こちらのブログは 『緑爽やか 三木のまち』

もう一つの、excite  のブログも 『みっきいふるさとふれあい公園』 と

どちらも、三木のまちのことについて書きました。

 

ツイッターで、こんなに沢山の方から、いろんな感想を頂きました。

いろんな感想を寄せて頂いていますが

三木を褒めて頂いて、非常に嬉しく思います。

 

今日はちょっと別の観点から、思うことを纏めてみます。

 

 

シンヤ エマリ shinyaemari   @rfuruya1 私は、福岡・東京そして神奈川に住みました、今 歴史と緑豊かな文化のまち に住んでいます、いいところです。

かっちゃん Takadakavoce    @rfuruya1 おはようございます。三木市のことをゆっくり読ませていただきました。広々として緑豊かで素敵な町ですね!  

赤ずきんちゃん akagetto     @rfuruya1 おはようございます。本当に素敵な街ですね~三木は高速道路よく通過しますが、街の中まで降りたことありませんでした。でも是非!訪れてみたい~m(__)m 

田中ピンチ mint2025        @rfuruya1 おはようございます。私もスタートは明石市でした。よろしくお願いします。

miho 57_sakura       @rfuruya1 仙台は私も住みましたが、感想はどうですか?

ポナ pona77       @rfuruya1 おはようございます。この三木のまちで 緩やかな坂道の画像が好きです。私は函館住みですが。同じような坂道があります^^函館の場合は 海が見えますよ^^穏やかで 緑が多い三木。朝からいい物を観させていただきました^^  

MM _Sapporo_     @rfuruya1 温暖化で札幌も暖かくなったのかな。 #Sapporo 

ToysTree 乳幼児向けトイショップ yoshimitaguchi        @rfuruya1 すてきな公園ですね。航空公園もお勧めですよ。埼玉ですが。http://t.co/rmq5mER 

トレジャーショップ treasure_shop        @rfuruya1 イチバンはいいよね(^-^)

 

内塔友二 yujinaitou       @rfuruya1 自然は素敵ですよね~。自然があって人間が生きてゆける。今日も頑張ろう♪     緑の中の音楽。素晴らしい!

 

 

★ 昨日は、私は、明石、仙台、高槻、札幌、そして三木に住んだと書きましたが、

もっと言うと、 朝鮮、今の韓国の太田にも京城(ソウル)にも、1年間の療養でしたが、三田にもいました。

みんなそれぞれ、いいところいっぱいです。

 

『住めば都』とはよくいったものだと思います。

いま、『三木が一番』と思っているのは、 今三木に住んでいるし、多分このまま三木で老後を過ごすと思っているからだと思います。

自分が今住んでいる町の『いいところだけ』を探して、満足して生きたいと思っているのです。

 

人それぞれ、自分の一生をいろんな形で過ごすのですが、

『今に、不満を持つ』よりは、 『今に、満足して生きる』 方がよほど楽しく生きられると思っていますし、そのように生きてきました。

 

ちょっと鈍感なのかも知れませんが、自分の生きた境遇に、そんなに不満など持ったことはありません。

そんなにいいことばかりではなかったのですが、悪いことでも、それはいい経験になります。

カワサキに長く、お世話になりましたが、そんなに給料がよかったわけでもないし、トップメーカーでもなかったのですが、『だからオモシロイ』と思っていました。

もう一度、人生がやり直せたら、歩いてきた人生をそのまま、もう一度やってもいいと思うほど満足しています。

 

今住んでいる三木のことを、『三木は田舎だ』と何故かダメなようにいう人も多いのですが、自分が選んで住んでいることを、そんなに不満を持って言ってみても、どうにもならないのですから、

『三木のいいところ』を見つけて、『三木は最高』と思っている方が、間違いなく気持ちよく生きられます。

 

★今までに過ごしたまち、それぞれ

明石は、生まれ故郷だし、海も明石公園も、何よりも多くのトモダチがいました。 子供の頃の想い出が最高です。

仙台は、東北の人が最高でした。 人はいいなとホントに人を改めて見直しました。 自然も温泉も、民謡も。

高槻では、芥川、淀川、川のもつよさを、子供と一緒に改めて感じましたし、京都、奈良に直ぐ行ける立地の良さ、仕事場の本拠は大阪でしたが、都会と言うものが解ったような気がします。

札幌は、2年ほどでしたが、初めての単身経験でした。札幌の冬は、子供の頃のソウルを思いだしました。支店が沢山あったお陰で、北海道は殆ど知っています。あの冬の厳しさがあるから快適な夏がより爽快なのだと思います。

三田は、1年だけですが、療養期間中、普通の人が一生掛って食べる松茸の何倍も頂きました。 50年以上も前の話ですが、山に生えている松茸、『みんなのものだった』ような時代でした。

 

『住めば都』 みんな都だと思います。

 

★ツイッターやブログというネットのお陰で、こんなに沢山の方と、何となく会話できる時代や、そのシステムに感謝です。

 

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緑爽やか 三木のまち

2011-06-18 05:22:23 | みっきぃふるさとふれあい公園

★私は兵庫県三木市に住んでいる。

まちの名前は『緑が丘町』と言う。

『丘』とか『台』とかというネーミングのところは、そのほとんどが開拓された造成地だが、この町もちょうど40年ほど前に、大規模に造成された街である。

続いている志染、青山と合わせると、このあたり4万人を超える人が住んでいて、新興住宅地を形成しているのである。

40年の月日が流れて、当時30代の青年たちもそれなりの年を重ねて、今は高年齢層が主体のまちになった感はあるのだが・・・・・

 

三木市そのものは、人口8万人の昔からの城下町だが、日本一の酒米『山田錦』のそれこそ日本一の生産量を誇る吉川町とも合併して、

これくらい緑の多いまちも珍しいのでは、と思われるほど、いい環境なのである。

 

ゴルフ場は市内に25もあるし、

グリーンピア三木三木綜合防災公園三木山森林公園三木ホースランドパーク、そのほかにも市営の公園があって、この面積だけでも、ゴルフ場が10は悠に入る広大さなのである。

公園の緑が綺麗なのは当然の話だが、それ以外の一般の環境がそれこそ素晴らしいと思っている。

 

★日本人の住む場所に対する価値観は、『通勤に便利』などが最優先されて、欧米の『住む環境の良さ』を重く見るのと決定的に差があるのだが、

神戸に一番長く接している神戸の隣まち三木は、私は非常に気に入っている。

日本では、明石、仙台、高槻、札幌、そして三木に住んだのだが、みんなそれぞれいいまちであったが、三木はその中でも飛び抜けていいと思っている。

特に、『定年後住む町』としては、全て面で最高である。

 

三木に 『みっきいふるさとふれあい公園』 というコンセプトがある。

三木市役所に勤める『さるとるさん』の提案の『市長表彰』を受けたコンセプトなのだが、

『三木市全体を公園と見立てて、そこに住む人たちのふれあいが美しい』、そんなまちづくり構想で、私はそれがスタートした時から、このブログにも「カテゴリー』を設けてフォローしているのである。

 

★昨日は、梅雨の合間、田植えも終わって、緑も若葉から一段と濃さを増した、三木のまちを、写真を撮るために1時間ちょっと車で走ってきた。

敢えて、公園を避けて、三木の緑を撮ってきたので、ご覧ください。

三木の緑と、その広さがお分かり頂けると思います。背景に自然の緑が常に入るのが最高です。

人の住むところだと思っています。

写真は、グル―と廻った順序です。   吉川町と東の方が抜けています。

 

兵庫国体で天皇陛下が通られた道です。

この眺めは、お気に入りです。向こうの山は丹生山、三木ではありません神戸です。

この道の右手に4万人が住む新興住宅地があります。 

 

 三木市のスポーツ公園を眺めています。

向こうに見えるのは、広大な庭園つきのプールです。 こんなのは札幌にも有りません。

 

 

 

 向こうに白く見えるのは高速道路、山陽道です。

そのずっと先が吉川町、そこには高速道路中国道が走っています。

三木は結構便利です。 伊丹空港までも、神戸にも、50分は掛りません。

1時間ちょっと走れば、大阪も、奈良も、京都も、徳島も、日本海も、岡山にも行けます。 逆に言えば三木に来ることが出来ます。

 

 三木市役所の広大な、それこそ広大な、多分日本一だと思います。その駐車場の端から、見下ろす旧三木市街です。

ずっと以前はここだけが中心でした。

金物の町です。

 

 

これは残念な写真です。 こんな素晴らしい風景の中を三木鉄道は走っていました。

100年前に造られた当時のままの環境で(架線もガードレールもない)走っていた遺跡のような鉄道だったのですが、

廃線になってしまいました。

せめてレールだけでも残しておけば、いろんな使い道もあったのでしょうが・・・・

見るも無残な風景になってしまいました。 

 そんな三木鉄道が走っていた別所町の田園風景です。

 

はるか神戸の方から流れてきた、美嚢川です。

この1キロ先ぐらいで、加古川に合流します。

旧い三木のまちのド真ん中を流れてきましたが、このあたりに来ると自然の川の趣を留めています。 

 

 向こうに見えるのが三木の旧市内、右手の丘の上に三木城址や市役所があります。

向こうの山は、神戸、丹生山です。

 

 

橋の上から眺めていますが、下は川ではありません。

ホースランドパークの馬の散歩道です。

工場公園と言う広大で綺麗な工場群からの道の途中です。

こんな道です。

向こうの山は雌岡山(オッコサン、メッコサン)の一つ、そこはもう神戸です。

 

 これは今はもうあまり使われていない旧175号線です。

もう50年近く前の話ですが、カワサキのモペットの広告写真を撮りにここに来ました。

そのころは明石に住んでいたのですが。

 

 日本一の名門ゴルフ場、廣野ゴルフ倶楽部です。

そのすぐ前に、神戸電鉄、廣野ゴルフ場前駅は有ります。

野球のベース間ぐらいの距離で、正門に達します。

 

 

 

 

その廣野ゴルフ場は、神戸三木線と神戸電鉄の前に、1キロ以上にわたって続いています。

廣野ゴルフ倶楽部は三木ですが、ちょうどこの裏側の境界線の向こうは神戸です。

緑の写真ばかり並べましたので、『単なる田舎町』と思われるかも知れませんが、

不思議な事ですが、「このあたりの神戸のまち」よりは三木のまちの方が数段賑やかで活気があります。

 

 

 廣野のゴルフ場のすぐ前に、私の住んでいる『緑が丘町』はあります。

 コープも商店街も一応はありますし、

 直ぐ続いている、青山には IONも。

 

 

でも、町はずれ、野球の強い関西国際大学の前から東はこんな緑の風景、

この向こうに、世界一の防災公園や、屋内テニスコートブルボンビーンズドームなど、この防災公園だけでゴルフ場3つぐらい入る大きさです。

 

三木の緑の爽やかさ、何となくお解りいただけたでしょうか?

各公園のホームページリンクしておきましたから、ご覧ください。

どれもみな、一流です。 勿論緑いっぱいです。

 

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別冊モーターサイクリスト

2011-06-17 05:41:45 | NPO The Good Times

★現役の頃は、二輪の雑誌関係の方にはいろいろお世話になった。

雑誌と言ってもオートバイ誌とモ―ターサイクリストの2誌だけだった。

オートバイは横内一馬、サイクリストは大久保力さんの大御所がニューモデルの試乗などをやられていた時代である。

記者さんともいろいろお付き合いがあって、

二輪車新聞の衛藤さんやベタータイムスの森田さんからはいまだに新聞や機関紙を家まで送ってくださっている。

二輪業界の今が、何とか解っているのも、そのお陰なのである。

今年の3月には、「神戸木の実クラブの50周年記念」や、「カワサキの想い出そして未来」などのイベントに、それぞれ東京からも取材があって、雑誌記者さんとのお付きあいが復活したりした。

そんな関係で、カワサキバイクマガジンや、風まかせなどにも記事が載ってその雑誌を贈っていただいたりしたのである。

昨日も、別冊モーターサイクリストの400号増大記念号が送られてきた。

 

お礼の意味も込めて、ブログに書いている。

 

★長い期間、二輪事業に携わったし、レース界にも関係をしたのだが、バイクにも乗れるし大型二輪の免許も持っているが、バイクを所有したことはない。

二輪業界全体には興味関心は有るのだが、正直マシンの技術的なことなどには全くのオンチであまり興味もないのである。

そんなことでバイク雑誌などもそんなに詳しく読んだこともないのも事実である。

バイクの専門誌だから、確かに詳しいことを知りたい人もいるのだろうが、どんどん専門的な分野に入っていくと、だんだん間口が小さくなってしまうような、矛盾するところがあるようにも思う。

なかなか難しいところである。

同じ雑誌スタイルでも、KAZEの機関誌などの記事レベルなら、私のレベルでもなんとなくツイテイケルのだが、その辺の割り切りと言うか『編集方針』が難しいのだと思う。

 

★今回は、宮城県からの要請を受けて被災地で活動した、全国オートバイ協同組合連合会の活動の様子や、被害状況などの記事があったりした。

この支援活動は、吉田会長に頼まれて最初の活動から応援したりしたので、非常に身近に感じたものである。

 

鈴鹿8耐の特集も、知った名前がいっぱい出ていて懐かしかった。

1978~1983年年と言うと、今ちょうど自分史に書いている時期で、『一番レ―ス』から離れた時期だったのだが、カワサキが2位に入ったこともあったり、月木博康さんがヤマハで8耐を走ったりしたのも初めて知ったり、杉野順三が徳野博人とのコンビで8耐を走ったことなども初耳だったのである。

杉野君は大阪所長時代、販売店の紹介でカワサキに入ってきて、レースなど走れるのかと思うほど物静かな青年だったのに、カーブを見ると走りたがるのである。須磨の高速のカーブで、会社のトラックをひっくり返して、当時の神戸所長のthiraiさんにいろいろお世話になった。 会社にバレないように上手く処理してお咎めなしだったが、『いいカーブだったので、つい』 というのが杉野君の言い訳だった。何の記録だったか忘れてしまったが、鈴鹿の記録を持っていたはずである。

 

 

こんなポストカードも付録にツイテいた。

 

 

★今回特に、別冊モーターサイクリスト誌に関心があったのは、ごく最近になって、『ツイッター』で繋がっているのである。

 

カワサキイチバン kawasaki1ban

[250TR]2012年モデルは新色イエローと漢字ロゴを採用したホワイトの2色 - http://bit.ly/k1gEtc - カワサキイチバン ALTガガる古谷錬太郎

別冊モーターサイクリスト BessatsuMC 別冊モーターサイクリストNo.400(7月号)、本日発売です! 増ページしつつも価格据え置き、もちろん内容も充実させたつもりですので、是非ご一読下さいませ。近くの本屋さんになければアマゾンでも買えますので、何卒よろしくお願いします‼ ツーリングクラブDCC上田 周平古谷錬太郎R  

 

カワサキバイクマガジン と別冊モーターサイクリストのツイッターだが こんなツイートを『リツイート』したばかりだったのである。

改めてホームページを見たり、ブログもやっておられるのも発見した。

こんなサイトもあった。 ネットから直接雑誌も買えるようである。

 

雑誌の世界も、ネットの世界のシステムを無視できなくなってきている。

当然だと思う。

いまどき、ネットの諸システムを無視しての流通など、時代錯誤も甚だしいと思う。

 

Kawasakiでも、KMCのFacebookなど、28万人のユーザーが集まってきている。

日本でもFacebookは、今年からだが、NPO The Good Times は既に持っているし、会員さんの中にも幾つかはスタートした。兵庫メグロも創ろうかと言う話もある。

別冊モ―タサイクルでも、ブログ、ツイッターに続いて、Facebookもおやりになればいいと思っている。

 

★せっかく今年に入ってまた、雑誌社とも繋がったりしたので、さらに一歩進めて、オモシロイことできないかなと思っている昨今である。

 

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杉沼浩さん80歳お誕生日おめでとう

2011-06-16 06:08:04 | カワサキワールド

 

★ひょこむに、『フレッド、杉沼浩さん、6月15日、80歳のお誕生日おめでとう』 と出ていた。

杉沼浩さん、晩年はMFJの専務理事としてご活躍であったが、多分それまではレースの世界にはあまり関係がなかったのではなかろうか?

カワサキでずっとご一緒させて頂いたが、

 

カワサキがアメリカ市場に進出し、当時の浜脇さん以下『7人の侍』と世に言われている中で、あまり名前は出てこないが、

7人の侍の中のそれこそ『真打ち』みたいな人だったようである。

カワサキの前はト―ハツにおられて、アメリカ市場におられたのだと思う。

カワサキがアメリカ市場に進出した時、みんな英語もろくに喋れなかったし、市場の状況も解らなかったときの中心人物だったのだろう。

当時のアメリカ人のトップ、マセックの当時の「想い出のスト―リー」今年の春書かれたものが、不思議なことに私の手元にある。

マセックはいまフランスにお住まいだが、ドイツ経由ーカバン屋さん(NPO事務局長)経由、私のところに届いたものである。

勿論、英文だが、その中の記述を見ても、MR.Suginumaは特別扱いなのである。

 

★そんな杉沼さんだが、それから時が流れて、二輪事業が危機的状況だったときに、大庭浩さん(元川重社長、故人)が事業再建屋として単車事業本部長に就任されたのである。

大庭さんは、それこそ世界中を走り回られたのだが、その時ずっとそばについて、通訳の役を果たされていたのが杉沼さんなのである。

新車の試乗発表会など、世界のあちこちのサーキットで行われたのだが、杉沼さんがサーキットと出会われたのは、そんなことが最初でなかったのかなと勝手に思っている。

私より年上なので先に会社を去られることになったのだが、

MFJへの紹介をしたのは、実は私なのである。

 

私は、他メーカーの方とも直ぐ仲良くなるのだが、

ホンダの佐藤英明さんと言う当時の実力者?がずっと自工会の企画部会メンバーに出ておられて、若いころからのお付き合いだったのだが、

『MFJの専務理事はずっとホンダさんが引き受けておられるが、世界のレースを担当するのだから、英語ぐらいペラペラの人が表舞台に出なくては・・・』と話をしたら、予想外にスムースに、

その話は、杉沼さんに決まったのである。

多分、ホンダさん以外でMFJの専務理事をやられたのは、杉沼浩さんが初めてのはずである。

 

★MFJの専務時代は、それこそよく活躍されたと思う。

その杉沼さんを、thirai さんがひょこむの中でこのように紹介している。

『フレッドさんをご紹介致します。永年MFJの専務理事をされ、東南アジヤはもとより世界のスポーツに貢献されたました。

語学力はもとより博学なお方です、私は個人的にもお世話になりました。素晴らしい方です。ご紹介致します。 HANAMOMO1400こと平井稔男 』

thiraiさんは、韓国のサーキット建設の時も、確かお世話になったはずである。

 

★、二輪事業の黎明期は、いろんなメーカーが参画していて、その後次々と事業撤退されたために、川崎にもいろんな方がジョインされたのである。

ト―ハツからも杉沼さんやケン鈴木さん、BSからもダイハツからも、それにメイハツやメグロの人たちも大勢いたし、そんな方たちとお付き合いする機会が多かったのである。

レース担当から、さらに営業で代理店や販売店など、川崎籍以外の方ととお付き合いする機会のほうがむしろが多かったので、業界の人たちはみんな仲間と言うような感じがあった。

 

他メーカーの方とのお付き合いも結構あった。

そんなことから、4輪はアコード、ゴルフクラブはヤマハ、娘に買ってやったモペットはスズキだったりした。

ヤマハさんとは、ウオータークラフト業界関係で、新しい業界活動を始めたりもした。

スズキさんとは、レース関係おでいろいろあった。

特に、ホンダの方たちとは、安全運転関係では前述の佐藤英明さんと、NMCAを創るときには水島さんや、のち自動車工業会の会長までされた宗国さんたちといろいろオモシロかったし、ホンダさんの青山で企画の人たちと何度も検討会を持ったりした。

その水島さんは、奥さんとバイクで世界一周の旅を楽しんでおられるようである。

この数年は、ホンダでレースをやっておられた、今は日本の5つ目のバイクメーカである『こざる』さんや

今年は、やはりファクトリーレース関係の渡辺さんと『カワサキの想い出そして未来』でお会いした。なかなか楽しい方がいっぱいなのである。

渡辺さんとはキヨさんやthiraiさん関係で、また何かオモシロイイベントが実現するかも知れない。

 

★杉沼浩さん80歳、お誕生日おめでとうございます。

一昨年、東京の慶睦会でお会いして、NPO The Good Times の個人会員にもジョインして頂いている。

そんな杉沼さんのことからいろいろ思いだした。

メーカーの枠を超えて、オモシロイことが出来たらいいのだが、今でもそう思っている。

 

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