雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

日記

2011-09-30 17:13:36 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

 

 

★新しい来年からの日記帳が届いた。

2012年から2016年までの、5年の当用日記である。

 

★5年間毎日使っても、大丈夫なように装丁は非常に確りとしている。

今、書いている日記がちょうど5年目なのだが、もう残すところあと2カ月になった。

この日記帳を書き始める時、ちゃんと5年間書けるかな?と思った。

この頃は、ブログもツイッターもFacebookもやっているので、昔のように日記だけが人生の記録ということでもなくなってしまった。

別に大したことも書いていないのだが、もう永年の惰性みたいなものである。

 

★こんな調子で、特にどうということもないのだが、去年の今日。4年前の今日どうであったかと解るのはいろいろと重宝しているのである。

ブログのように、『何を書こうか』などと、考えることは全然ない。

寝床に入る前に、さっと机に向かって書くだけである。モノの5分も掛らない。

もうずっと前になるが、1年1冊の当用日記の時代とは、書く分量が全然異なるのである。

 

こんな日記を書き続けてきたお陰で、文章を書くのは全然苦にならない。

思ったことは直ぐ文章にして残しておく習慣が完全に身についているのである。

 

 

★何時から日記を書いているのか?

昭和28年11月8日(1953)、大学2回生20才の時からだから。この新しい日記帳の途中で60周年を迎えることになる。

 

昭和28年11月8日、最初の書きだしは

『早いもので昭和28年も今日は霜月8日、この1年もこの月と師走を残すのみである。今日の新聞に蒋介石主席が30年間日記を付けているとか、の記事を読んだので自分も真似ごとながら日々のよしなしごとを記してみようかという気になったのである。・・・・・・・』

と書きだしている。

新聞には30年続くのは大したものだというような論調だったのである。

『そんなのそんなに難しいことか???』と思ったのを今でもよく覚えている。

大学ノートにその日のうちにスタートしたのである。 60年に近くなったので蒋介石の2倍に近づいたから、まず初心は貫徹出来たと言っていい。

 

★そんな格好いいことを言ってはいるが、その頃ちょっと落ち込んでいたのである。

その年の夏、彦根の合宿の初日辺りに風邪を引いて、そのまま練習して、秋のリーグ戦に入ったのだが、7回ごろで無茶苦茶しんどいのである。

10月の28日に生まれて初めて、自分から医者に行って診て貰ったら肺結核の診断なのである。

静かに療養をと言われてちょうど10日目ぐらいであった。

当時は結核は大層な病気だったから、『ひょっとしたら死ぬかも知れない』と思ったのも日記を書こうと思ったきっかけの一つであったことも確かである。

 

この肺結核の療養などしていたのは、ほんの数ヶ月である。春からは野球も再開したし普通にしていたら『空洞』が出来てしまったのである。

昭和32年川崎航空機に入社する頃は空洞があったのを何とかごまかして入社した。そしてさらに2年後会社の診療所の先生に菌が出ているから会社に置くわけにはいかぬと三田の療養所に放りこまれたのだが、その時もずっと日記は書いていた。

ところが1年でウソのように空洞は消えて、78歳まで何とか生きているのである。

何事も『くよくよしない』のが一番、神様はその人にちゃんと背負えるだけの運命を与えて下さっているのだと思うことにしている。

 

★日記を書きだした翌朝、こんな感想を書いている。

『いつまでも続くことを祈るや切である』と結んでいるが、

死ぬまで書き続けるので、どうかそれが長くなりますように、ぐらいの気持ちであった。

 

★そんな私の日記だが、この次の日記帳が終わるのは、あと5年後83歳である。

不思議なもので、83歳は大丈夫だと思っている。

なぜ?  と言われたら、よく解らぬが、そんな気がするのである。

 

でも5年後、そのころ元気なら、83ならゴルフの『エイジシュート』、ヨセとパターをちゃんともう一度やったらイケルかも知れない。

ドライバーの距離は20年前とあまり変わっていないのである。 クラブやボールがよくなってもっと伸びるかも知れない。

ゴルフは気分の持ち方なのである。

ちゃんとした目標を持って、身体の柔軟性を今のまま保ったら大丈夫だと思っている

 

どんなことになっているのだろうか?

 

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2011年度Z1会、第3回コンペ

2011-09-29 06:42:16 | カワサキワールド

★昨日速報で、

『異種、異質、異地域をみんな繋いでいい時を過ごそう。』に当日の写真をアルバムでアップしています

速報もいいところです。翌朝、その詳細を今から流します。

いつものことですが、カワサキの創成期の猛者達、結構有名人が集まります。

 

 

絶好の晴天に恵まれました。年4回、もう何年続いているのかよく解りませんが、一度も雨に振られたことがないのが自慢です。

現在の監事は仲さんと藤原良さんがずっと変わらず面倒を見てくれています。藤原良さんは、カワサキのレース創成期の山本隆、星野一義、金谷秀夫等のレースメカニックを務めたのですが、今はZ1会の縁の下を支えてくれています。

昨日は欠席でしたが、この会の優勝杯は、あのカワサキのデザイナー栗島君の制作によるものです。

今回はこんなメンバーが参加でした。

 

 

特に今回は、カワサキがアメリカ市場に進出した時の『7人の侍』のリーダー浜脇洋二氏が東京から参加。

この人が若しいなかったら、カワサキの二輪事業はなかったのかも知れません。

写真左から2番目です。その横はあのZ1のエンジン開発者稲村さん、世界の名ライダー金谷秀夫の顔も見えますし、

NPO The Good Times の副理事長渡部タッチャんの顔も見えます。

殆どの方がNPO の個人会員ですし、コンペの舞台、『三木セブンハンドレッドクラブ』はNPOの団体会員さんです。

 

 

 そんなことで、浜さんの写真が多いのですが、横はZ1会長のZ1開発責任者の大槻幸雄さんです。

お二人とももう80歳を超えておられるのですが、なかなかの元気、80を超えているとは、とても見えません。

その横は、ご存じキヨさん、清原明彦です。

 

 スタート前に、浜脇さんと大槻さんを囲んでの記念撮影、たまたまこんなメンバーがいました。

 

 

ほんとは、この写真を私が撮ったのですが、キヨが代わりますと言ってその場所に私が入ったのが上の写真です。

キヨさんは、そんな細かいところに、意外に気の付くナイスガイです。 

 

 

 これは第1組のメ―ちゃんのテイ―ショットです。ホントに300ヤード近く飛びます。

メ―ちゃん、清原の後輩のテストライダーですが、若いころはアメリカ市場でZ1開発担当でしたし、全日本グランプリモトクロスにW1で出場したりしました。

兎に角、豪快です。

それを見ているのは、キヨさんと、金谷、そしてその右は、吉田一郎かっての明石カワサキのオ―ナ―。カワサキ陣営の方はよくご存じと思います。昨日は私のパートナーでもありました。

そう言うことで、昨日のラウンドは終始賑やかだったのですが、どれくらいのレベルだったのかは、カワサキ陣営の方は容易に想像できると思います。

 パ―テ―は所用があると先に帰った『イッチャン』ですが、

 昨日の優勝者は浜脇さん、百合草さん、森田さんというカワサキの二輪事業を支えた人と一緒に回った『メ―ちゃん』でしたので、

優勝スピーチも豪快で独りでパ―テ―を仕切ったようなものです。

メ―ちゃんと気安く呼んでいますが、

山本信行君、今はエントリーというバイクプラザを何店も経営するオ―ナ―です。

 

 真ん中にいるのは、飯原武志君、キヨさんが『師匠』と呼ぶ、バイクもゴルフもキヨさんの先輩です。

カワサキのモトクロスも、鈴鹿のロードレースにも出場したライダーfです。

最後に、会長の大槻さんが締めて、パ―テ―は終わったのですが、

川崎重工業の常務取締役を務めた人がメンバーの中には何人もいて、BMWジャパンの社長などをされた浜さんなど、社会的な地位の高い人や、世界のとか、日本のと名前の前に称されるライダーなど有名人いっぱいなのですが、

ビックリするほど参加者全員が横一線で、40年前の昔に帰った仲間の付き合いになっているのが、一番いいところだと思います。

そんな雰囲気が好きで、私もたった1回だけの欠席で、後は全て参加しています。

昨日も、楽しい1日でした。

 

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DANTHREE in America

2011-09-28 05:40:07 | NPO The Good Times

★このところすっかりFacebook にハマってしまっている。

『異種、異質、異地域をみんな繋いでいい時を過ごそう』

というFacebookを立ち上げてからである。 

独力で訳も解らず立ち上げたのだが、その後極めて順調である。『いいね』をクリックして頂いた人が60人を超えた。そんなの簡単だろうとと思われるだろうが、25人の正規枠までが、なかなか到達しないのが、Facebookの世界なのである。

まだ10日あまりだから、なかなかのモノだし、これが誰がクリックしたか解るところがミソである。

この数をまず100にして、さらに1000にして、などと思っている。

そのためにどうすればいいのか?  

19万人になろうとする『ツイッター』でひとえにお願いすれば効果があることは、よく解っているのだが、そんなことではなくて自然にどんどん増える手はないものか?

 

★アメリカのKMCのFacebook、『Kawasaki US』は最初気がついた時の『いいね』数は19万人だった。その数にまず驚いたが、それが毎日500人ぐらい増えるのである。 全然、日本とはケタが違う。

今は314159人とビックリするくらいの数になっている。

 ベースにアメリカのFacebookの人口の底辺の広さがあるのだろう。

アメリカにいる私の孫は、ブログなどはやっていないのにFacebookだけはちゃんとやっている。   こちら  と  こちら である。

 

★そんなアメリカ社会で、NPO The Good Times の繋がりで、先日ソフト会社を立ち上げたDANTHREEは、いろいろと、ネット社会での展開を見据えて準備中なのである。

● まず、ホームページは綺麗に出来あがった

綺麗だけではなしに、ちゃんと項目だけは機能も備えている。

アメリカのメンバーも、日本からのメンバーのバナーも貼られた。

ツイッターも公式ブログも備えている。

ツイッターは既にフォロワーは4000人を超えたので、まず順調と言っていい。

こちらはEnglishと日本語の両建てのブログである。

 

★そんなところへ昨日あたりからFacebook ページへの挑戦である。

今、こんなサイトになって、どんどん進んでいる

『いいね』を押してくれている人はまだ10人である。25人にならないと正規のURLを取得する権利が生じないのである。

Facebook をおやりでない方は、『何のことか』と思われるだろうが、要はムチャ難しいということなのである。

ところが 『danthree のFacebookページ』 は10人なのに、既に短い正規のURLが取得されているのである。

 

★これには、私だけが理解できるわけがあったのである。 

 『FacebookページのURL変更がファン25人未満でも可能に!ただし、1回だけしかできません!2つ目以降のFacebookページは25人以上必  要です。..』というニュースが横浜の『まっしま』さんから飛び込んできた。

こんなことが書かれているブログを昨日の朝、見つけた。

横浜の『まっしま』さん。NPO仲間のブログである。『まっしま』さんは、DANTHREEのホームページの制作者でもある。その『まっしま』さんがFacebookページを作られたのである。

それを朝、ブログにこのようにに書いたのである。

その私のブログは、ツイッターや、Facebookなどで世界に拡散した。

それを、多分アメリカで発見したのだろう。

夕方までに、DANTHREEのFacebookのURLは見事に短縮された正規のモノになっていた。

 

今のネットの世界のスピードはこんなに速く、距離を感じさせないのである。横浜と三木とアメリカは隣町のように繋がったし、その他岡山の方からもこれに関する質問が届いたりしたのである。

☆Seven Stars☆
いつもリツイートありがとうございます!そんなことができるんですね♪今職場のFacebookページの作成をしているところなので凄く為になりました!ありがとうございます!あと職場のサークル活動の会議をFacebookのグループ内でやってしまおうと企んでいます。
とお礼のツイッターを頂いたのは、三木のNPO仲間である。

ブログや、ツイッターが、どんどん絡んでいて、それにFacebookが繋がって、それも自動的に勝手に拡散するのである。

★ Ui America Inc この会社も立ち上がったばかりである。 

●『Ui 』アメリカで日本のノーリツの給湯器を扱って、頑張ってる会社、スタートしたばかりです。Facebookページ作りましたので、日本の皆さん『いいね』よろしくお願いします。NPO The Good Timesの仲間です。  
 

日本でツイッターでお願いしたら、Facebookの25人は見事にクリアしたのである。19万人のフォロワーを持つツイッターの威力である。今『いいね』は27人だが、多分日本人の方が殆どのはずである。

兎に角、世の中は坐っていても、動くのである。

 

★尤も、日本のノーリツとは、いろいろと関係はある。

ノーリツの創業者の太田さんは高橋鉄郎さんの海兵の同期だし、その弟の副社長をしておられた太田武郎さんは私の大学の野球部の2年先輩である。

それとは関係なく、アメリカノーリツが、NPO The Good Times と繋がっているので、お手伝いをしているのである。アメリカの給湯器市場はまだまだ開拓期だから、アメリカ市場はオモシロイと思っている。

 

今は、『ネットを利用したいいシステム』が創れたら、坐っていても幾らでもモノが売れる時代である。

NPO The Good Times の事務局長のカバン屋さん、seaz company は、今までにヨーロッパからカワサキのZなど1000台以上も輸入して売ってたのだが、それに加えて、今年からアメリカのハーレーもスタートしたばかりである。従業員もいないし店舗もない。ネットを使った『いい仕組み』での商売である。月木レーシングのアメリカ支店が絡んでいるが、そこはDANTHREEとも繋がっている。

DANTHREEのホームページをご覧になればお分かりのように、既に『雷神マッハ』さんや『大和屋嘉平』さんのようにアメリカの進出したい夢を持つNPOの仲間たちが参画しているし、NPO The Good Times の世界展開も始まったのである。別に驚くことはないネットの世界はどれも常に世界と繋がっている。

それなのに、それをわざわざタテ型に枠に閉じこもって使っている」人が殆どである。幾ら大きく使っても無料なのがいい。

 時代が読めて、流れに乗れる人には、いい時代になったのである。その流れに乗り遅れないことである。

Facebookは、その中心になるかも知れない既に目先の効くところは動きだしている。

 

 

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構造改革雑感

2011-09-27 05:56:36 | 発想$感想

★昨日のブログ『霞が関の省庁は腐敗しているか?』の続きだが、

構造改革など難しいか?

粗っぽく言えば、『そんなに難しくはナイ』と思っている。

人には向き向きがあって、私など専門知識や堅苦しいこと、奥の深いこと、技術的な知識は大の苦手である。

そんな面倒な話は、専門家と言う人に任したらいいと思っている。

 

★『構造改革など』はそんなに難しいことではナイ。

会社に入って新入社員の頃から、構造改革と言えるかどうかは別にして、それに近いそんなことばかりやってきた。

●入社してすぐ、まだ日本にIBMなどが入ってくる10年も前に、たまたまアメリカ空軍が居て川崎航空機にはIBM室があった。財産物件の償却計算をIBM化、それも本社も岐阜製作所も巻き込んでやったら、10人もいた財産課の人が要らなくなったし、続いて給与計算も、そこにいた15人、給与係が消えてなくなった。(それで、私も藤田孝明君も単車に異動したのである) 入社2年目昭和33年のことである。

●大阪で全国に先駆けて自転車屋さんから二輪専門店育成方針に切り替えて、500店余りの店を25店に絞る代わりに、担保も保証金も取る特約店制を業界トップでやったのが、日本の二輪の流通機構の構造改革の最初だったと思っている。オートバイ屋の質が変わるきっかけにはなった。

●部品の流通構造を直すために営業所の部品在庫をゼロにして、明石に大きな部品倉庫を持ち、今で言う宅急便で運ぶことにしたのも、全国初だった。

 

★以上は若いころの至極単純な例だが、

その後もより複雑な経営次元の問題などいろいろ、構造改革ばかりで会社生活45年を終わったみたいなものである。

なぜできたのか? 

基本コンセプトは自分一人で考え続け、自分で旗を振り続けたからである。

勿論実施をしてくれたのは多数の人たちである。

その旗の方向に上司がさらに大きく旗を振って頂いたし、心底協力してくれた人たちはいっぱいいた。

然し、そのコンセプトは、間違いなく独りで考え続けたのである。

 

何か今も、NPO法人 The Good Times で、共感する仲間たちと一緒に、同じようなことをやっているが、やり遂げねばならぬ悲壮感などはなく楽しくやっているのである。

 少々難しいことでも独りで考えて、それを周囲の人に理解させ、協力者が出てきたら、間違いなく構造改革は出来るのだと思っている。

● 佐賀県の樋渡啓祐さんは、間違いなく独りで発想されている。

● 大阪の橋下さんも、独りの発想のはずである。今はもう維新の会というオピニオンリーダーたちの集まりが出来たりした。

● 小泉さんも、あの当時の少なくとも基本コンセプトは小泉さんご自身の強烈なコンセプトでひっぱった。そばで支えた人は勿論いるが、旗振りが強烈だったのである。

 

★リーダーが口で『みんなの衆知を集めて』というのはいい。 だが、衆知を集めたようなものでは構造改革などは出来ないのである。

みんなが集まって出来ることなど改善のレベルで構造改革などではナイと思う。

リーダーは、特に構造改革をやろうというリーダーは、4、6時中そのことを集中して考え続けるべきである。

そうすれば、新しい発想など湯水のごとく出てくるのである。

会議に出て、『その時だけ、そのことを考える』そのレベルの知恵はでは、構造改革など出来はしない。

 

★『世の中には原因のある問題と原因のない問題の二つがある。
原因のある問題は、原因の追究、把握、対策と言う思考ステップで課題を解決する。原因のある問題の解決に必要な能力は創造力と呼ばない。
創造力の源泉はアイデアであり思考ステップの特徴は「絞り込んで考え続けるというところにある。』

これは、もう20年前の現役最後のころの服部吉伸さんの言葉である。

『思考ステップの特徴は、絞りこんで考え続けることである』というところに至極共感を覚えた。

独りで考えるからちゃんと整合性もあるし、確りとしたモノに仕上がるのである。その具体化をいろんな人に手伝ってもらえばいい。

国難の時期である。評論家は要らない。毅然としたリーダーが毅然としたやり方で旗を振るべきである。

旗の振り方は小泉流、橋本流、樋渡啓祐流といろいろあって、いいのである。

野田流がひょっとしてあるのでは、と期待しているのである。 大きな舞台だからゆっくり回す必要がある。

 

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霞が関の各省庁、腐敗しているのだろうか?

2011-09-26 05:13:23 | 発想$感想

★昨日の

『たかじんのそこまで言って委員会』

あなたが最も腐敗していると思う省庁はどこですか?

が今週のテーマで、経済通産省をクビになった、いま話題の『古賀茂明』さんや、

元官僚の岸 博幸さん(経済産業省)、太田述正さん(防衛省)、中野雅至さん(厚生労働省)をゲストに迎えての議論はオモシロかった。

 

第1位  経産省、  第2位外務省、  第3位財務省、 第4位防衛省、 第5位厚生労働省

などの順位はともかく、各省庁が『腐敗』しているのか、どうか?  はこんなテーマの番組だからオモシロおかしく言われるのはよく解るが、

これは構造問題だから、いま省庁に働く官僚たちが、一人一人頑張ってみても、どうにもならない問題なのだなと思った。

腐敗しているのではなくて、今の構造ではどうしてもその方向に動いてしまう構造問題で、その構造の中に長くいるとそれは体質として身についてしまうのである。

 

★このブログの中でも、何度も私見を述べているが、

今の政治社会経済構造は、戦後GHQの命令で、憲法を始め、農地改革なども、有無を言わさずに命令により施行されたものからスタートしている。

戦後の廃墟の中から、軍国主義から民主主義に体制も変わって、世のいろいろな仕組みや構造を、一言でいえば『護送船団方式』に意識的に作り上げたのである。

経済界でも同種の事業体が集まって『業界』を形成し、当時では『前向きの利権集団』を形成して、輸出立国を目指したのである。

世界への輸出には当時の通産省が支援した。

4輪産業などはメーカーを絞って、当時のホンダには二輪に専念するように圧力を掛けたりしたのである。

それをはねのけてホンダは4輪進出のために、当時の軽4輪のトップを走っていたN360を止めてまで4輪分野に自力で進出を果たしたのである。

4輪業界は輸出に通産省の支援を受けたが、二輪業界は一切支援など受けず、独力で輸出ではなく世界に二輪事業を展開したのである。

そんな関係で二輪は『お上に強かった』し、世界で90%のシェアを持った時でも常に競争、HY戦争もあったし、国内でも談合体質のカケラもなくて、公取などにも非常に強い体質だったのである。

同じ、自動車工業会にいたが、『2輪はお上のお世話になっていない』と仰る本田宗一郎さんの生の声を何度も聞いている。

二輪業界だけが、異質の業界だったのだが、それは本田宗一郎さんがリ―ダ―で引っ張ったからである。川崎重工業全体で言えば『護送船団方式』『談合体質』の中にいたが、独り単車事業部だけが、『異質な体質』だったのである。

日本全体の『護送船団方式』やそれを後押しした政治構造や、国内の農業を守る政策が、ある時期までは非常に効率的に機能したことは認めるが、世界第2位の経済大国になり、世界との密接な関係がインターネットで繋がれる時期になってもまだ、

戦後60年来の構造体質が通用すると思っているところに『大きな錯覚』があるのである。

 

★若いころから、

アメリカ、ヨーロッパ、東南アジア、イランなどのアラブの回教国、ナイジェリアなどの現地での事業展開を体験したが、

端的に言って、日本の発想は世界で突出して『異質』なのに、日本人という人種はなかなかそれに気付かないというか、『他の国はおかしい』という『上から目線』でしかモノが見えない国民性だなと、ずっと思っていた。

日本人は確かに優秀で立派だが、世界の中ではたった1億人しかいない『少数民族』なのである。

確かにアラブの人たちの発想は、不思議なところもあるが、それを信じて生きている人たちは圧倒的に日本人よりは多い『その世界での常識』なのである。 それを一言のもとに『おかしい』と言い切る日本人の発想こそ『おかしい』ということに気付いていない。

 

官僚は腐敗しているとか、いろいろ言う前に、

民間も含めてのタテ型組織、タテ型発想が政治の世界までおかしくしているし、官僚の省益を追求する体質もみんなそこに起因していると思っている。

国会議員なのに、地元への利益還元さえしていれば票に繋がる。国会議員なのに地元サービスや訪問の時間が一番多い。議員の数が多すぎるからこんな事になる。今の半分以下ぐらいにすればいい。国のことを考える議員に票が集まるような流れを造ることである。

そんなレベルは、地方の市長や議員に任しておけばいいと思うが、日本の知事さんの大部分が国からの天下りで成り立っている。

そのあたりの構造を、戦後のように大ナタを振って改革するリーダー、『構造改革』を意識する政治家が出現しない限り難しいと思う。

逆にそんな人が出て、国民がその人に乗ったら、それはそんなに難しくなく簡単に解決すると思ったりする。

 

★大阪の橋下さんは、まだ4年も経っていないのに、大阪は変わった。 

小泉さんの改革がいい悪いは別にして、5年間の任期で日本の政治は変わりかけたのに、『利権を守りたい集団』が元の政治構造に戻してしまったように思う。

民主党も国民の何となく現状を改革したいという期待にこたえられなかったのは、リーダーに問題があったのだと思う。

あの時小沢一郎さんが先頭に立っていたら、また違った形になったのでは思う。

 

要は、リーダーなのである。

その人のやり方や思想や方策に100%賛同出来るリーダーなど、世の中に存在しないと思う方がいい。

『リーダーとしての資質があるかどうか?』 なのである。

『リーダーの資質がある』そんな人は、いっぱいいるはずである。

 

★野田さんは、いろいろ言われているが、『リーダーの資質あり』と私は思っている。

なぜ?  と言われたらそんなによく知っているわけではないので、困ってしまうが、一言で言えば、『周りが見えている』

成功するリーダーは、『周りが見えているかどうか』も大きな要素なのである。

『周りには優秀な官僚も沢山いる』 財務官僚の言いなりとは言うが、官僚は優秀である。その人たちをやる気にさせるのが第一である。

そっぽを向かれたのでは、一歩も前に進まない。

私は、久方ぶりに日本の総理、野田さんに期待しているのだが、どうなるであろうか?

評論家たちは、いろいろ言うが、大丈夫上手く船は動きだしたと思って見ている。

直ぐ、国会が始まるが、どんな対応か、楽しみである。

 

★そんなことで、

『異種、異質、異地域をみんな繋いで楽しくいい時を過ごそう』

と小さいながらもNPO The Good Times というNPO法人を造って、『新しい公共』という大きな目標を掲げている。

『これはシステムそのものである。』

 

ブログでも、ツイッターでも、Facebook でも、これはみんな『システム』である。

一般の個人でも、大メーカーでも、お上でも、総理大臣でも、同じ条件なのである。

少々、大きなところでも十分使えるシステムに既に完成している。

ヨコ展開の、従来の日本にはなかったシステムなのである。 構造改革には、有効に機能すると思っている。

 

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Kawasaki  Let the good times roll ! 

2011-09-25 06:00:37 | 発想$感想

★昨日は、自分史というカテゴリーで、平成3年(1991)58歳の1年のことを書いきました。

この年の2月に、当時の事業本部の幹部200名以上の方に対して、

『新しいカワサキのイメージ戦略』 

   『副題 7万台への挑戦 』      と題した講演会が開催されました。

 

当時の高橋鉄郎事業本部長(カワサキオートバイ販売社長)の指示で開催されたもので、

講師としては私と、ソフト会社ケイスポーツシステム南常務、カワ販スポーツ推進部の重本部長、小林広告宣伝課長で、殆ど打ち合わせなしのぶっつけ本番で行われたものです。

少し前のブログで紹介しましたが、その時のスピーチは小冊子に纏められて、川崎重工内部にも、英訳されて海外販社にも配られたりしています。

Kawasaki  Let the good times roll .   (広告宣伝的には、人と車と遊びのいい関係 と訳しています)が中心テーマでした。

 

この2時間の講演会の最後を締めくくって、私がこのように喋っています。

今読み返してみても、いまもその発想は変わっていないと思います。

今、このころの仲間たちと一緒に活動しているNPO法人 The Good Times は当時のこのような発想やコンセプトをそのまま受け継いでいるのです。

 

出来れば、ちょっと字が小さいのですが、貼り付けた内容をお読み頂きたいのです。

 

★今月14日に、10日ほどまえですが、

 『異種、異質、異地域をみんな繋いで楽しい時を過ごそう』 というFacebook のコミユニテイページを立ち上げました

NPO The Good Times の公式Facebook コミユニテイページを捕捉するものです。

カワサキのOBたちや三木の人たちとのコラボで、2年前に立ちあげたNPO法人 The Good Times ですが、

『Kawasakiに出会った人たちがみんなハッピーになるような活動をKawasaki は展開していこう』

という訳は、いつも高橋鉄郎さんが言われていた言葉です。  

 

『Kawasaki 』 のところに何が入ってもいいのです。例えば『三木』に出会った人がハッピーになるような『三木』であって欲しいと思っているのです。

そんな精神で活動したいと思っています。

設立時点から、高橋鉄郎さんに、『相談役』をお願いしたのも、それに見合うレベルの高質な活動をと思ったからです。

このNPOも2年を経過して、3年目を迎えています。

今年の目標は『新しい公共』という非常に高い目標を掲げています。

昨日のexcite のブログは、『新しい公共』動きだしそうです でした。

 

★現役時代の1991年の講演会から、ちょうど20年、今も『出来たと言えない』高い目標に向かって挑戦出来ることに、大きな喜びを感じています。

 

会員の人たちが、世界中でそれぞれ、自由な活動を展開していますが、ネットの世界には距離は存在しません。みんな隣町の出来事です。

そんな中で新しいプロジェクトも産声を上げようとしています。

『孫中山記念会』の田崎雅元理事長と、昔の仲間時代に戻って、これに関わる人たちが『みんなグッドタイム』になるようなそんな活動になればと思います。

中山記念会は、井戸知事も貝原前知事も神戸の華僑の団体など色濃く関係されています。

さらに国際的な展望を見据えての大きな活動になっても、十分に耐え得るNPO The Good Times のシステムに既に出来上がっています。

ベースにある精神は、

○○○○○ Let the good times yoll. !!    です。

 

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平成3年(1991) 人生最高?の年、58歳

2011-09-24 05:49:17 | 自分史

★人生78年も生きてきたが、最高の年を選べと言われたら、この年を挙げるのかも知れない。

新しい職務で一番解りやすい挑戦目標であった7万台が達成した年である。

『カワサキの新しいイメージ戦略』のいろんな施策が、ほぼ順調に進んで、当時の国内市場はCP事業本部(コンス―マープロダクト)の中でも確固たる地位を築いたし、川崎重工業の中でも、カワ販(カワサキオートバイ販売)というネーミングは、有名になったし、

業界の中でも注目を浴びたのである。 中大型車の分野だが、ホンダ、ヤマハ、スズキを抜いてトップの座に君臨したのである。

トップに立ったのがカワサキだったから、ヤマハさんがホンダを追撃した時のようにHY戦争に発展することもなく、業界の会合でも柔らかい雰囲気の中で『1強3弱だ』などと言われたりしたのである。

ジェットスキーも快調であったし、X-11というサーキット専用の4輪車などもスタートした年である。

円高傾向が続く中で、国内市場の充実強化で永年目標にしてきた7万台だから、それが達成できたのは、最高の年と言ってもいいのだろう。

 

★家では息子が9月28日に結婚している。

息子の言う通りにしたのだが、

仲人はなし、今なら普通かも知れぬが『人前結婚式』。集まったのは両家の親戚だけ、ホテルは大阪の全日空ホテル、これは普通だが、この年の9月28日は仏滅で、結婚式があったのはこの1組だけだった。 お陰でサービスはバッチリ、会もカラオケなどもあって、身内が主役で結構楽しかった。

なぜ9月28日かというと、息子の誕生日なのである。

結婚式の後、関東から来られたノンちゃんの親戚の方々は、みんなで有馬温泉へ、新郎新婦は関西のトモダチばかりを集めた披露パ―テ―を何処かでやったようである。これには娘は招ばれたが、年寄り連中には招待なし、日を変えて関東では、会社や全日空のサッカー部の人たちと披露パ―テ―を別にやっているのである。

結婚式の費用をどうしたかは、あまり覚えていない。

結納?そんなもの要るのか?というのを無理に100万円出した以外は・・・

結婚式はたぶん親戚からのお祝い金で足りたと思う。 招んでも貰えない若い人たちだけの披露パ―テ―などの金など出していないと思う。ひょっとしたら家内が何かしたかも知れぬが・・・

息子には小学校時代に『男の子は、自分のことは自分で決めろ』といったのが効き過ぎたきらいがある。進学も、就職も、結婚も、それ以降も相談を受けたことは一切ない。 今となってはちょっと寂しい気もする。 少しぐらい相談に来たら、ちゃんと相談に乗ってやるのにと思うが、よほどのことがないと、それはないだろう。

この年娘には、今の旦那から結婚申し込みがあったりした。

公私とも、おめでたい年だったのである。

 

 

★『6月1日 午前11時55分  エリート上 7万台突破    グループ全員にマグカップを贈る  』

と下の表に書かれているが、

当時は販売台数は、全て年間移動値で管理されており、『エリート』と名付けられたコンピュータ―システムで管理されていたので、全国での売上台数など、インプットされる度に、刻々その変化が解るのである。

明石の本社のデーターが7万台を記録した時間が11時55分なのである。

当時まだ若手だった富田君など事務所にいた連中から『万歳』の声が上がったのをよく覚えている。

ZEPHYR  やジェットスキーなどの好調に支えられた結果ではあったが、就任3年目で達成できた7万台であった。

業界全体は、むしろ縮小傾向の中での目標達成だったから、逆にシェアは30%を超えてトップが維持できたのである。

 

 

 

★これがそのマグカップである。 これは一人1個しか配らなかったが、

当時のカワサキオートバイ販売の従業員には全員に配った。当時は350人ぐらいだったと思うが、川崎重工のお世話になったというか、7万台を担って頂いた商品企画のメンバーやファクトリ―レース関係など、カワ販の前社長大庭さんにも贈らせて頂いた。

400個か500個ほども作ったのか、よく覚えていない。

確か、現KMJ社長の河野君は当時川重営業部でカワ販担当だったので差し上げただろう。現KMJの人たちで平成3年に在籍した人には全員差し上げたはずである。

 

みんなで達成できた7万台だから、みんなで『祝杯』を上げたかったのである。

 

★6月に7万台を達成して、翌月7月には新しい目標に向かってスタートしている。

川崎重工の企画の時も、この時点も、そしてもっと後の札幌での建機の時代も、私が経営を担当した時の管理方式は全て、

『年間移動値』での管理方式である。

『決算期』というのが自然体でなく『決算期』に無理して売上げを上げたり、余った予算を使ったり、これが経営をおかしくしてしまうと思っている。あまり決算を意識せずに、常にトレンドを重視していた。

『年間移動値』での管理方式とは、毎月決算をしているようなものである。

その値は、前年同期に比べて伸びればその差額だけ伸びるし、減少すれば下がるのである。毎月1行だけ前年同期との対比をするだけだから、数字を入れたら自動的に計算されるはずである。当時はパソコンなど一切やっていなかったが、それぐらいは解っていた。

経営の傾向値でがよく解る。グラフなどでこれを管理すれば、現在の状況が変わらない限りその傾向線を辿るのである。極端にいえば期末予想など簡単に予想できる。まあ言えば、台風の進路予想みたいなものである。

 

当時の売上高も総利益も経費も営業外も、全て資料はあるのだが、当時の台数だけ、 約 7年間の実績は下表の通りなのである。

最初の3年間はヨコから見ていた期間だが、後の4年間が私の担当した期間である。

確かに、商品には恵まれたが、それだけではないと思っている。ただ、表からも解るようにこの1,2年がピークではあった。

 

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「新しい公共」に明け暮れた1日

2011-09-23 06:01:03 | NPO The Good Times

★ 今年のNPO法人 The  Good Times の目標は、「新しい公共」なのである。

結構大上段に振りかぶった目標だが、現実の動きもこれに近い動きになっている。

昨日のこのgooのブログは、Facebook について記述したが、その内容は『新しい公共』に近いものばかりだったし、

もう一つの、excite のブログも、『三木さんさんまつり と With Me 』もイベント話題だが、その方向は『新しい公共』であった。

 

★そんな「新しい公共」で幕を開けた1日だったのだが、

 

excite の方に

兵庫県東播磨県民局にて、『循環する水の路』と題して映像を作成しておられる方  からのコメントが届いたのである。

私のブログの中からの写真を使わして欲しいという、簡単なご要望だったので、100%お応えをしたのである。

 

 東播磨はため池の王国である。

『いなみ野ため池ミュージアム』 というこんなホームページもある

確か玉岡かおるさんが会長で、山本隆君(NPO The Good Times 理事)60おじさんが副会長を務める、ため池団体もあったようなので、

山本君の名前を出したらよくご存じだったので、いろんな雑談をしたのである。

『ひょこむ』のこたつねこさんをよくご存じだったリした。

こんなことでお近づきになったので、60おじさんなどが上手に対応し、

NPO The Good Times のシステムを使っての展開にすれば、『いなみ野ため池ミュージアム』の活動や運営は上手くいくのに、と思ったりしている。

 

 

★直ぐ続いて、兵庫県の県民文化局協働推進室NPO法人係の方から電話が掛った。

『NPO法人The Good  Times の具体的な活動について、教えて頂きたい』と仰るのである。

『これは困ったな。どう説明するか?』と一瞬思ったのだが、1分ほど説明すると、なかなか解りがいいのである。

結構長く喋ったが、ちゃんと理解をして頂いたと、思っている。

その時も、『新しい公共』を目指しているので、『県の推進室と協働しませんか?』

『NPO The Good Times の個人会員に参加なさいませんか?』などと言って電話を切ったのである。

共感してもらえると思える人にしか、お誘いなど決してしないのである。

『共感ネットワーキング』を目指しているのである。

 

 

★電話を切ってから、県の推進室のホームページを覗いてみた

そこには概略こんな風に記述されている。

 

『 平成22年11月26日、「新しい公共」の自立的な発展の促進のため、国において補正予算(87.5億円)が成立しました。

 都道府県は、国からこの交付金を受けて、「新しい公共」の担い手であるNPO等  の自立的活動を後押しするための事業である

「新しい公共支援事業」を実施することで、「新しい公共」の拡大と定着を図ります。  

「新しい公共」とは
 「新しい公共」とは、NPOや企業等が積極的に公共的な財・サービスの提案及び提供主体となり、福祉、教育、まちづくり、学術・文化、環境、雇用、国際協力等の身近な分野において共助の精神で行う仕組み、体制、活動などのことである。

兵庫県では、国の「新しい公共支援事業交付金」を活用し、「新しい公共」の担い手となるNPO等の自立的活動を支援するため「地域づくり活動支援事業」という名称でNPO等の活動基盤整備支援や地域における行政、NPO等と多様な主体における協働の仕組みによるモデル事業等を実施することとしています。

◇地域づくり活動支援モデル事業 (県モデル事業、市町モデル事業) NPO等と県・市町が協働により地域課題を解決するモデル事業を実施 』

 

その事業計画の中にはこんな記述まである。

これがほんとなら、NPO The Good Times のシステムは、補助金など頂かなくても、

『直ぐにでも県の推進室と協働出来るレベルにあるシステム』なのだが、

朝の担当者の方に 、『県の推進室と協働しませんか?』 と言ったのは、間違いではなかったのだが、なかなかそうはいかないのはよく解っている。

それが日本の行政の『発想が旧い』のだと思う。

世のなかには、佐賀県武雄市の樋渡啓祐さんのような市長さんもおられるのだが、これは例外だろう。

 

 

 

★午後、滋賀県米原市の『水源の里推進室』から

チラシが10数枚送られてきた。『田舎でいきる 人材募集』なのである。

このチラシを配って欲しいということなのだろう。

NPO 法人に送られてきたので、ちゃんと処理すべきだと電話して聞いてみた。

 

こんなに沢山チラシを送ってこられたのだが、採用はたった3人だけだそうである。

昨年は100人ほど応募があって採用は5人だという。

何かメリットは? いろいろ条件はあるのだが、毎月15万円を2年間援助するようだ。

 

 ★伊吹山の麓あたりが指定される地域である。

そのあたりで、米原市が望む活動をしながら、田舎生活にも慣れて欲しいということのようである。

チラシにいっぱい書き過ぎてよく解りませんね、と言ったのだが、

担当の方は真面目な方の様だった。

『大体のことは解ったので、ブログにアップして、ツイッターで流しておきます』ということにした。

 

●私の補足説明よりも、ご関心のある方は、チラシの文章をよくお読みください。

 

 

 

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私の周り Facebookが賑やか

2011-09-22 07:01:06 | NPO The Good Times

★このところ、私の周りはFacebook ブームである。

 何事もそこそこまでは、熱中する性格である。

ネットの世界でも、当初ハマったブログでは、多い時は1日10以上のブログをアップしていた。

それぞれのブログの特徴に関心があっていろいろやっているうちに10にもなった。、だからいろんなブログの特徴だけはよく解っている。解って納得すると関心も薄れて、今はこのブログとexciteの二つになってしまった。

その後、ツイッターを一生懸命この2年ほどやっている。

これは自分自身のためというよりは、NPO The Good Times のメンバーの方たちの『ツイートをリツイート』するためで、去年フォロワー10万人を目標に日本人に絞って達成したのだが、最近はアメリカからの参加があったので、アメリカ人を集めなくてはとまた頑張っている。

もうすぐ19万人になるし、年内には20万人は達成するだろう。20万人を超えたらアメリカ人も2万人を超えるはずである。

 

★そこに、Facebook である。

Facebookはやりかけてもう8カ月になるのだが、これは個人よりは企業とかグループの方が機能すると思っていたので、ただ、何もせずに眺めていたのである。

それがこの1ヶ月、俄然熱っぽく、Facebookにハマっている

 

●一つのきっかけは佐賀県武雄の樋渡さんである。武雄市のホームページがFacebookに完全移行したのである。

実は、ブログを始めたのも、高槻市役所の市長公室長時代の『ブログ、ブログ、ブログ』という樋渡さんの文章を読んだのがきっかけなのである。当時世耕さんもやっておられたし、ホントに広報が解る方の判断には、フォローして間違いないと思ったのである。

●ちょうど1ヶ月前に、NPO The Good Times にCUSTOM INFECTIONの綿谷さんというネットのプロが参加して、すぐFacebookの講習会をやったのが、二つ目のきっかけである。技術的に確りと教えて貰える人が側にいれば、間違いない。綿谷さんには直ぐNPOのアドバイザーになって貰ったのである。

●さらに、ボランタリー活動プラザみきが 主宰した『地域SNSで地域活性化を考えるラーニングバー』があった。それをFacebook のコミユニテイページを使ってやろうということになり、実際に造り出したのである。技術的なことはダメだとヨコから見ていたのだが、そんなに難しそうでもないのである。

●そんなところに、神戸市の『ぼっけもん修』さんが、FacebookでKANSAI GENKI!PROJECT を立ち上げて、『手伝え』と仰るのである。いろんな人、それも日本人だけではなくて、東洋の人も繋ぐというプロジェクトが魅力だった。

これら4つのことが重なって自分でも『Facebook のコミユニテイ』を立ちあげてみようかと思ったのが、ちょうど1週間前である。

 

★ちょうど1週間経って、結構順調なのである。 

もう『ハマってしまっているのである』

私が、殆ど個人の立場で立ち上げたFacebook のコミユニテイのページのネーミングは。

『異種、異質、異地域をみんな繋いでいい時を過ごそう』 ちょっと長いが、今の私の活動の『基本コンセプト』なのである。

今、こんな状態に仕上がって、1週間で直ぐ25人枠を超えて49人に『いいね』と言って頂いている。 正規のURLも取れて大満足「なのである。

ちなみに、49人目の『いいね』はカリフォルニアの孫の真也なのである。

皆さんも、「いいね」と思ったら、『いいね』を是非押してください。

 

★私の周辺にも、いっぱいFacebook のコミユニテイページがごく最近立ちあがった。

 

 

ぼっけもん修』さんがこんなブログをアップされている。

KANSAI GENKI! PROJECT

こちらは神戸市が中心になった関西圏だが、

こちらは、ボランタリー活動プラザみき が主宰して、立ちあがったばかりの

e-まちネット@みき』 のFacebook コミユニテイページだし、

こちらは、三木の市民の有志たちで造っている

グループ三木』 なのである

 

 ★私の周りは今こんなに賑やかで、一つの流れになっている。

そんな活動の中心はみんな

NPO The Good Times の仲間たちである。

そのコンセプト

『異種、異質、異地域をみんな繋いで楽しい時を過ごそう』と頑張っている。

あと1カ月後、どのようになっているのか、楽しみである。

 

★今年のNPO The Good Timesの目標は『新しい公共』です。

ぼっけもん修さんが、ご自身のブログの中で、次の様に言っておられます

『これらの大きな仕組みと、生活者の間に、小型サイズのより利用者のニーズに応じられるコミュニティバスとでも言ったような、小回りがきき、かつ生活者の目線にも行政や企業の目線にも立てる柔軟性をもった仕組みがこれからは必要と感じています。

この仕組みを『新しい公共』といえるかもしれません。

そして、行政、企業、新しい仕組み、そのいずれもが、双方向のオープンな繋がりを求められる社会になってきたのではないかと思っています。』 

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人間国宝とトモダチです

2011-09-21 04:46:38 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ Facebookは、これでもかと言うほど次から次にオモシロイ情報が流れます。

こんな情報が流れました。『よーいドン』は関西の人気テレビ番組です。

この情報も一見私が流したようですが、NPO The Good Times のFacebookの管理者のどなたかが流したニュースだと思います。

 

今年3月に、兵庫メグロ主催のイベント「カワサキの思い出そして 未来」で司会をしていただきました腰山 峰子さんが「よーいドン 」に出演されるそうです!!

<form class="live_285414521469189_131325686911214 commentable_item autoexpand_mode" action="/ajax/ufi/modify.php" enctype="application/x-www-form-urlencoded" method="post">山本 隆さん、吉野 哲矢さん、腰山 峰子さん、他5人が「いいね!」と言っています。

    •  
      腰山 峰子 古谷さん、ご紹介いただきありがとうございます!感激で す。どんな風に放映していただけるのかわかりませんが「 ふ~ん、こんなオバちゃんでも大きなバイクに乗れるのね え~。」と、思ってもらい、たくさんの方がバイクに興味 を持ってもらうことができればいいなあ・・・と思ってい ます。バイクに全く関係のない番組や、雑誌に取り上げて いただけることがありがたいです。
    • 古谷錬太郎 おはようございます。テレビ出演ですか?見せて頂きます。この記事私ではありません。NPO The Good Timesの管理人のどなたかです、まさか平井さんではナイでしうが、どなたですかね。丁子君ぐらいじゃないですか。いずれにしてもスゴイですね。
    • 井上 章二 関テレ毎日見ていますが、今日の放送に限って大雨のせいで受信状況が悪くほとんど見えませんでした……残念!
    • 古谷錬太郎 朝こんなこと書きながら、ブログやFacebookで、バタバタしていたら、見逃してしまいました。峰子さんごめんなさい。でも人間国宝になっておめでとう。『panmyu あーるのりよ
      友達のねこさんが人間国宝さんに(^0^)/』これツイッターからでです。

と腰山さんの私へのお礼から始まったコメント付きで流れました。

見逃した罪滅ぼしにこのブログ書いています。

この番組で腰山峰子さん、『人間国宝』になられたようです。

 

関西の人気番組ですが、

こんな証拠写真もありました。

</form>

 

ロケ中のこんな写真もあるのですが、大きな画面ししようとすると、

<label class="uiUfiLikeIcon" title="いいね!"></label>『 山本 隆さん、関 初太郎さん、Sonoko Kusumotoさん、他22人が「いいね!」と言っています。 』 などのコメントの文字数 が邪魔して、コピー出来ません。

なかなかの人気です。

みんないいね。『かっこいい』などの沢山のコメントが続く中で、わがタッチャんこと、渡部達也君が、こんなコメントで締めています

渡部 達也 『カッコイイ』と言う方、『危ない・怖い・うるさい』と 言う方。バイク愛好家バイク関連業界はバイクの魅力をい っぱい発信しよう。  社会との調和・融和が大切。

 

★これは関西テレビで毎朝流れている

『よーいドン  国宝さん』 という番組です。

それにしてもFacebookは繋がりますね。 東京の関君にもしょっちゅう会っています。

腰山峰子さんには、この春、『カワサキの想い出、そして未来』で、いろいろお世話になりましたが、

『人間国宝』になってしまわれると、『ミネコ、ミネコ』と気安く呼びつけにしている、自称親分のthirai さんも、早く『人間国宝』になって貰わぬといけません。

それにしても、いいニュースでした。

 

どなたか、You Tubeでも撮っておられたらまたネットの世界で流して下さい。

『拡散』は引き受けます。 もうすぐ19万人のフォロワーになります。

腰山峰子さん、おめでとうございました。

 

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旧い明石の想い出

2011-09-20 05:58:55 | 自分史

★お彼岸のお墓参りのついでに、子どもの頃の想い出を辿って、旧い明石のまちを訪ねてきました。

その写真の内、20枚をFacebookのアルバムに入れました

このブログのカテゴリーを何にしようか、迷いましたが、『自分史』として、子どもの頃の明石を想い出してみます。

 

昭和8年(1933)明石の上の丸、今の本籍で私は生まれています。

中学校1年生までは、当時の朝鮮京城、今のソウルにいたのですが、小学4年生までは毎年夏と冬明石に帰省していましたから、旧い明石をよく覚えています。

そのころの本籍は明石市細工町でした。

今、有名になっている『魚の棚』(うおんたな)のすぐ横でした。

明石は、当時の川崎航空機の飛行機工場があったお陰で、空襲で上の丸あたりも焼けましたし、魚の棚あたりは、戦後の大火事で焼けています。

そんなことで、昔のままには残っていないのです。

 

★明石藩松平家の菩提寺長寿院は明石の天文科学館のすぐ下、人丸神社の下にあります。

入り口から門までの道は立派なのですが、

城下町ですから、ここに来るまでの道は、細くて車もすれ違えないような、細い道です。

祖父、祖母、伯父、伯母などの本家の墓と、高校3年の時に亡くなった父の墓が並んでいます。

このほかに先祖の墓が20ほどあちこちにあったのですが、阪神大震災の時にみんな崩れてしまって、どうなったのか解りません。

そんなこともあって、今はその後建てられた新しいお墓が半分を占めるようになりました。

昨日は、こんな道具を持っての墓参りでした。

お盆にお参りした時、いっぱい草が石の割れ目から生えていたのですが、道具がなくて取れませんでした。昨日は三木金物の隙間専門の草抜き道具と根まで枯れると称する液体を持って約2時間掛りましたが頑張りました。

まだ隙間には根が残っているのですが、専門の液体なので大丈夫でしょうか?

まあ、何年か後には私もここで眠ることになります。でも日本のお墓の制度もどうなるのでしょうか?

明石は、私にとっては育った町ですが、息子には殆ど何の関係もありません。墓の場所を知っているぐらいです。

 

★墓参の後、明石の旧いまちを訪ねてみました。

 

これは中崎公会堂です。

名勝、須磨明石と言われた中崎海岸はこの道の続きです。

昔はそこから先が海岸で海水浴場でした。その名残の道です。

今は大きく埋め立てられて明石市役所になっています。

今の海岸通りのすぐ裏手にこんな道や、松林があることなど、明石の方でもあまりご存じないと思います。

 

★その先にある、いまは明石市立勤労福祉会館になっているところは、

戦時中は伯父がオーナーだった『錦江ホテルの』あったところです。外人客が来たり結婚式など行われる当時としてはかっこいいホテルでした。

このホテルは戦時中に、川崎航空機に訪れる軍の人たちの宿舎になってしまいました。 

当時の川崎航空機の総務部長さんが後、川重の3社合併をしたときの社長、砂野仁さんで、伯父との間に売買契約がなされています。

気があったのか、伯父はその後も砂野さんと親交がありました。終戦直後お酒などなかなか貴重な時期にも、酒好きの伯父のところには、何故かお酒があって、当時明石におられた砂野さんと家でお酒をよく飲んだりしていました。

そんなことがなかったら、私は川崎航空機に入社していませんし、二輪の世界とも関係しなかったと思います。

そう言う意味では、私の人生を左右したホテルだったかも知れません。

子どもの頃の夏休みは、特にこのホテルから毎日のように海岸に泳ぎに行ったものです。すぐ横が海でした。

このホテルの直ぐ裏には、お稲荷さんのあるお宅があります。このお稲荷さんは子どもの頃からありました。

そこはホテルの支配人をしていた叔父夫婦の家でしたが、叔父はその後勤めた川崎航空機の空襲で、叔母は明石の空襲時上の丸で、二人とも空襲で亡くなってしまいましたので、空き地になっていたのです。

今は、戦後京都の宇治から明石に来られて、後明石の商工会議所の会頭をされた故辻勝一さんのお宅になっています。酒好きだった伯父が飲み屋で出会ったとか・・・何かそんなご縁で明石に来られたようです。

当時は、今の関西建設の前の工作所をスタートされたばかりの時代で作業所になっていました。伯父が毎日のように当時の疎開先だった伊川谷からここに来ていていました。 

よく伯父に連れられてきてましたので、憲兵大尉だったという当時の元気な辻さんをよく覚えています。12月に引揚げてきて4月に神戸一中に入学するまでの4ヶ月ぐらいのことですが・・

神戸一中に入学したのは、砂野さんのご長男が神戸一中に通っておられて、ぜひ一中に行くように勧めて頂いたのは砂野さんでした。

砂野さんも、辻さんも、そのころの私にとってはどちらも『ただのおっちゃん』で、可愛がって頂いたのですが、伯父も大学の時に亡くなりましたので、その後の私の人生には、いろいろ影響や関係ののあったお二人です。

辻勝一さんは、伯父のあと、長寿院の檀家総代を務められて、長寿院にお墓があります。 昨日お参りしてきました。

 

★そのあと、訪ねてみたのが、今は明石で一番有名になった『魚の棚』(うおんたな)界隈です。

子どもの頃の本籍は明石市細工町でした。 小学校の2年生までぐらいだったと思いますので、そんなに詳しく覚えていませんが、

家のあった道筋などはよく覚えています。今はちょっとした町になっていますが、当時は「コの字」型の中庭や泉水があった料亭のような家だったと思います。お隣が朝日新聞の『クロイシ』さんだったことなど妙に覚えているのです。

今も明石の商店街本町のすぐ横です。

車の中からですが、明石の分大の娘さんは高校の同級生でした。同窓会ではお会いします。

魚の棚から入った通りです。

これが『魚の棚』 、魚の棚は流石に賑やかです。

 

魚の棚のすぐ横にこんなお店がありましたので、そこのおばさんにいろいろ伺いました。

『もう細工町と言うのは無くなったのですか?』

『ここも魚の棚も細工町ですよ』 と聞いてほっとしました。

『朝日新聞のクロイシさんはどうされました?』

『新聞の方は止められて、喫茶店をおやりです。

そのお店がこれでした。今は影も形も残っていませんが、このお店の手前だったのは間違いありません。戦後の区画整理で道になってしまったのではと思ったりします。

何となく覚えている、魚の棚の弁天さんは、こんな形で残っていました。

このすぐ横には、高校大学と一緒だった森沢君の家があって、『アイスキャンデー』をよく買いに行きました。

高校の野球部の同期だった山本寿男君親友でした。大学を7年も掛って卒業するなど、やんちゃでしたが、一昨年急に亡くなりました。

住友系の運輸会社の社長をしていたのですが、葬儀は社葬でした

なかなか、社葬はやって貰えないと思います。後を継がれた美人の社長さんが泣きながらの弔辞も『最後までヤンチ』らしいなどと思って、そのことをブログに書いたら、

丁寧なメールを頂いたりしました。

 彼の実家のお店も細工町にあるのですが、もう今はお店は」閉めていました。

 

 

★そんな想い出いっぱいの明石ですが、だんだんとその想い出も薄れていきます。

何となくいい1日でした。

草抜きをさぼっていた結果ですが、親父や伯父の墓の前に何時間もいたのは、もう何十年ぶりです。

独身の一人のころは、ぶらっと長寿院を訪ねて、墓の前に長くいたこともよくあったのですが・・・

ほんとに久しぶりでした。

 

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Facebookのコミユニテイページ

2011-09-19 06:44:49 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram

★ 『異種、異質、異地域をみんな繋いでいい時を過ごそう』

というFacebookの所謂ファンページを造ってみた。

まだ1週間も経っていないが、自分でやってみると、結構オモシロイのである。

なぜそんなに興味が湧いたのか?

NPO The Good Times にFacebookなどのネットのことにめちゃ詳しい綿谷さんが参加されて、すぐNPOのアドバイザーになってもらった。

そして、すぐFacebookの講習会も開催したし、

ボランテイァ活動プラザみき が主催した『地域SNSで地域活性化を考えるNet ラーニングバー』でも綿谷さんは推進役を務めてくれて、

e-まちネットみき』というコミユニテイが正式にスタートしたのである。

 

そんな環境の中にいて、『一度やってみるか』と思い立って、ちょうど1週間ぐらいなのである。

もう一度リンクしておきますので、どんなものか、覗いてみて下さい。

そして『いいね』と言うのが現れていたら、クリックしてください。

その数が25人に達しないと、一人前と認めて貰えないのである。

25人に達すると正規の短いURLが貰えて、例えばそれを名刺にメールアドレスのように印刷も出来るのである。

 

既に30人以上になって、正規のURLが貰えるのだが、その手続きをやっていないので、こんなに長いURLなのである。

http://www.facebook.com/?ref=home#!/pages/%E7%95%B0%E7%A8%AE%E7%95%B0%E8%B3%AA%E7%95%B0%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E3%82%92%E3%81%BF%E3%82%93%E3%81%AA%E7%B9%8B%E3%81%84%E3%81%A7%E3%81%84%E3%81%84%E6%99%82%E3%82%92%E9%81%8E%E3%81%94%E3%81%9D%E3%81%86/291155510899523 

 人数はそんなに違わないのだが、正規の手続きをした 『 e-まちねっと@みき』のURLはこんなに短いのである。

 http://www.facebook.com/e.machinet.miki

こんな知識を幾らでも教えてくれる綿谷さんと、

既に管理人になっていていろいろ手伝ってくれている、やはりNPOのアドバイザー丁子文仁君がそばにいるので、やってみようと思いたったのである

 

 

★使った写真の原板はこの写真である。

カワサキの明石のショールームに飾ってあった。

私が現役のころこのショールームの装飾を、やり直した時一緒に造られたものである。

その時の装飾のレベルは、東京モーターショーのトップレベルのモノだったから、確か5000万円に近かったと記憶している。このプレートもそのレベルで造られていると思う。

もう20年も前の話だがこの写真を撮ったのは、まだショールームも教習所も残っていた数年前である。

今、そのころの志を引き継いで、NPO 法人 The The Good Times をそのころの仲間たちと一緒に展開している。

このコミユニテイページもNPO The Good Times と並んで、それを支えるモノだから、

ネーミングも写真も、私の心の故郷からのモノを選んだのである。

 

★ブログも、ツイッターも始めるときは『おそるおそる』始めたものである。

このブログも、今は6~700のアクセスは普通のレベルになった。

ツイッターのフォロワーは最近またやる気になったら、186000人を超えて、年末までには間違いなく20万人の大台に乗るだろう。

このFacebookもやるからには、そこそこの目標を立てて、やってみたい。

だけど、どのようなコンセプトで望むべきなのか? もう一つよく解っていない。

 

このブログに『カワサキ単車の昔話』と言うカテゴリーがあって、いままで100回ほどアップしているのだが、その時のコンセプトが残っていた。

参考にしてみたい。

 

「カワサキ単車の昔話」のおおまかなコンセプトを次のようなものにした。

1.面白かった、苦しかった、喜んだなど、とにかく、雑談に類する気楽なものとする。

2.時系列に並べることにはこだわらないが、出来るかぎり年月日が解れば、明示する。

3.読者の対象はカワサキに関係のあった人たちと意識して記述する。

4.従って、登場人物も読んだ人は当然分かる昔話なので、詳しい紹介は敢えてしない。

5.一般の人も、少しは興味が湧くような配慮も当然する。

それでは、スタートする。

何故、「単車の」としたか。
一番事業が苦しかった時代、懐かしい時代の事業部の呼び名は「単車事業部」だった。
その後、ジェットスキーやATVが入って単車が合わなくなり、コンシューマー、プロダクトの「CP事業本部」とか、エンジンも入って「汎用機事業本部」などと変遷を重ねているが、一番想い出のある昔話に似合うのは「単車」という言葉だと思うのである。

私の記憶が正しければ、1960年ごろ「単車準備室」なるものが造られ、単車事業への本格参入が検討されはじめたと思う。三浪さんなどがおられた。

私が単車に関係したのは、1962年1月,営業部の単車係である。
この頃から、単車に関係した人は、意外に少ないはずである。まだイセキのモペットもあり、所謂単車はカワサキ自販の元メイハツやメグロの人が営業全般をやってくれていた。輸出など多分なかったから、国内が全事業であった。

その当時、「単車」という名称が使われていた。

などと書いている。

 

もう少し考えて、『Facebookのコミユニテイページ』のコンセプトを纏める事にしよう。

 

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平成2年(1990)新体制2年目順調 57歳

2011-09-18 06:12:19 | 自分史

★会社の生活で何度も転籍をしているが、1年単位と言うよりも半年、6ヶ月単位でずっと動いてきたような気がする。

今でもそう思うが、1年は長すぎるように思う。3年計画とか4年計画では長期過ぎるように思っている。

大体、4年もすれば世の中は変わってしまっているのである。

半年あれば大体、少々難しいことでも目途は付く。半年で目途の付かないことはまず実現しないのではと思ったりしている。

 

平成2年も振り返ってみれば、前半6ヶ月に大きな問題を一挙にやった感じなのである。

 

★「ジェットスキー」と言うのは、カワサキの商品名である。

これは元々単車ではなくて発動機事業部のエンジンビジネスから生まれた商品で、明石の発動機事業部からアメリカのリンカーン工場にエンジンを輸出し、そこで船体を造ってアメリカのKMCだけが、アメリカだけで販売していたのである。

明石の単車事業部には、全然関係がなくて誰ひとり担当も部署もなかったのである。

日本では西武自動車がアメリカから輸入して、年間200台ぐらいをカワサキの孫会社と一緒に細々と売っていたのをこの年の5年ほど前、私が企画室長の頃に、ジェットスキーを事業部のちゃんとした商品に育てようと言い出したのは、当時の企画課長故武本一郎君で、それを担当して育てたのは鶴谷将俊君である。当時個人の趣味でジェットスキーを乗っていた福井昇君が、唯一明石でジェットスキーに乗れたような状況であった。その福井君を発動機から貰い受け、どこも担当する部門がなかったから、企画室ですべてのことを企画実践していたのである。

この年ぐらいになると、国内にカワサキジェットスキー販売なる会社も出来て、前年の1月からはその社長も引き受けていた。 元来が遊びの商品であったし、JJSBAというレース組織についても大いに関与して、この年も鶴谷君は事業部の営業として、大いに手伝ってくれたのである。

たった、200台ぐらいしか売れていなかった商品だから、販売網など皆無だったのだが、従来のボートやさんに頼むような販売網ではダメだと、無鉄砲にも専門店構想を打ち出し、その第1号店は福井昇君が独立開業してスタートしたのである。

台数の推移で言うと1986年300台だったのが、87年1117台、88年3096台と2年間で10倍になり孫会社から子会社KJSを組織したのである。300台で成り立っていた会社が10倍の売上になるとどんな利益になるか想像してみて欲しい。孫会社を子会社に組み替えるときに利益がある過ぎると何億円の単位の配当をして利益を減らすなどの対策をしたのである。

それが89年には、5145台になり、この年90年には、8757台まで急上昇したので、販売会社も販売店もこの時期ぐらい儲かったことはなかったと思う。

 

 

★同じ1月には、二輪業界の販売構造の大転換『委託制度から受注買い取り制度』への転換を決意し、カワサキが先頭を切って実施したのである。

この制度については、業界の反響も大きく経済誌などの取材を受けたりしている。

 

 ホンダ、ヤマハ、スズキさんなどに比べて、50ccの小型車を持っていなかったからカワサキはやり易かったとも言えるが、それでも全国一斉などとても無理だった。この施策の先頭を切って走ったのは西日本地区の谷沢常務だったのである。

ZEPHYRの持つ意味『西からの風』と同じく西からのスタートであった。

当時はその規模と新鮮さが珍しくて、他メーカーの見学など相次いだ、『岡山ショップ』などもこの対策の一環だったのである。

このショップを初めて見られた高橋本部長(カワ販社長)ですら、当時はビックリされたのである。 確か20年経った今もそのまま使われているようである。

 

★SPA直入りのtレース場の開幕がこの年4月である。 4000人のライダーたちが自分の愛車に乗って直入町に集まって、日本で初めて4000台のバイクがサーキットコースを走った。

直入り町長は、祝辞で『有史以来直入町に一番多くの人が集まった』と挨拶されたのである。

ケイスポーツシステムが運営したが、順調に会員は増えて11月にはSPA直入りCUPを開催するまでになったのである。

 

レースも6時間耐久は優勝を飾ったし、F3シリーズでは鶴田がシリーズチャンピオンをとって、その祝賀会には和田、山本などのOBライダーも参加してくれたし、最後を万歳で締めてくれたのは、当時はまだヤマハ籍の金谷秀夫が、YSPの会合を断って、カワサキのために駆けつけてくれたりしたのである。

SPA直入りが簡単に成功したので、関東にもサーキットをと春先から手掛けたのが益子町の営林局の土地を」借りてのサーキット建設であった。益子町とも営林局ともさらに川重内の経営会議も全てクリアしたのだが、最後町民の反対運動があって、益子プロジェクトは実現しなかったのである。

 

★この年396億円の売上高12億円の利益をグループで上げ、7万台の目標もほぼ大丈夫達成できるという目途はたった。

6月にはホンダを抜いてシェアトップになったし、オートバイ誌の年間最優秀車には

ZX1100, ZXR750,ZEPHYR400と3機種が独占したりした。

こんな商品の裏打ちがあったからいろんな構造改革が出来たのは事実である

そういう意味ではツイテいる。

 

国内のヒット商品、Z2 藻、FX400もそしてこの時代も、私は国内グループ担当であった。

 

★家庭では、息子も娘も結婚前の時期だった。

干渉も、相談にも一切乗っていないが、間違いなくそう言う雰囲気であった。

家のローンも終わって、家計が苦しくボーナスを貰っても何も買えなかった時代は終わって、

春には小さな庭に本格的な池を造って、子どものころから好きだった鯉を飼いだしたりしている。

百万以上も池に掛けたのだからと、何万円もする鯉を次々に飼ったりしている。

鯉は百年も、生きるのだからと理屈をこねて買ってくるのだが、なかなかその通りにはいかないのである。

2年前までは、その池もあったのだが、鯉ヘルペスに罹って全部死んでしまったので、昨年諦めて池は潰してしまった。

 

 

当時。BMWには元カワサキにおられた浜脇さんが社長をしておられて、若いころ仙台で一緒だった中田君がセールスでBMWを買えというものだから、秋にBMWを買っている。

それから約20年ずっとBMを乗りつでいる。

 

★このころ兵庫県でサーキットを造っていたのが平井さんだし、

益子町のサーキット関係で手伝ってくれたのが小川君である。

そして、ジェットスキーの福井君やJSも、ケイスポーツシステムも手伝ってくれた渡部タッチャん、そして吉田君。

みんな今、NPO The Good Times の理事さんで一緒にやっている。

ライダーの山本隆君も、金谷も和田も清原も星野も金子も、みんな今年もいろいろお世話になった。

そんな長いお付き合いが出来ていることが、『いいな』と思っている。

 

一部の人は、ツイッターやFacebookで毎日お会いしているのである。

 

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なでしこジャパンではないけれど

2011-09-16 16:27:24 | スポーツ

★女子サッカーの盛り上がり方は大変なものである。

世界一の効力だろう。これが世界二だったら、こうはなっていないかも知れない。

もう40年来のサッカーファンとしては、大いにご同慶の至りなのである。

 

その『なでしこジャパンではないけれど』 

 神戸のINAC というチームには、なでしこジャパンの主力メンバーが7人もいて、いまリーグ戦をトップで走っているのである。

Wikipeda で調べてみると、

INAC神戸レオネッサは、 日本女子サッカーリーグ(なでしこリーグ)に所属する女子サッカークラブ。
本拠地は兵庫県神戸市。
愛称「レオネッサ」はイタリア語で雌ライオンを意味する。

所属選手とのプロ契約を積極的に進めながらチームの強化を図り、昼間と夕方の2部練習や長期合宿を定期的に行なうなど、プロチームに近い形態を取っている。

現在、所属している日本人選手では澤穂希と大野忍の2人がプロ契約選手、その他の日本人選手は協賛企業の社員選手だが、基本的には社業にはつかず、サッカーに専念できる環境である。

関連組織として、小学3年生以上を対象にしたトレーニングセンター、中・高校生を対象にしたジュニアコース、若手育成の「INACレオネッサU-18」がある。 また、東京にスクール、レオネッサ、ジュニア、ジュニアユース、ユースを対象にしたINAC多摩川がある。

 

 娯楽・飲食・スポーツ事業などを手掛ける「アスコホールディングス」(神戸市)が設立。

アイナック(INAC)とはInternational Athletic Clubの略で、神戸市および兵庫県におけるスポーツコミュニティの担い手を育成し、さらには国際的な活動も展開していく総合スポーツクラブとして

2001年4月に設立された。

2003年に「平成15年度兵庫県女子サッカー選手権」で優勝を果たし、

2004年にはチームの運営団体である「アイナック」をNPO法人化し「特定非営利活動法人アイナック」を設立。関西女子サッカーリーグ1部を制し、全日本女子サッカー選手権大会にも出場を果たし、、

2005年のL・リーグ加盟が承認された。わずか1年でL2優勝と2006年のL1(現Div.1)昇格を決めた。

2008年には日本代表GK海堀あゆみスペランツァF.C.高槻から獲得して上位争いに加わり、Div.1の優勝争いの一角を占めるほどの強豪チームとなる。

2009年にチーム名をINAC神戸レオネッサに改称した。

2011年1月全日本女子サッカー選手権大会で優勝し、チーム発足後初のタイトルを手にした。

2011年7月、日本代表が歴史的な優勝を果たした2011 FIFA女子ワールドカップには、最多となる7人の選手がINACより招集され、準決勝スウェーデン戦、決勝アメリカ戦にはINACの選手5人が日本代表のスターティングメンバーとしてピッチに立った。

と記述されている。

多分こんなに詳しくご存じの方は、おられないと思う。私も初めて知ったのである。

 

★そのINACの選手たちが、一昨日三木の防災公園のサッカー場で練習をしたというニュースがテレビに流れたので、昨日もあるはずだ、何時からだろうと、ネットで調べていたら、

三木市役所にお勤めのこの人『さるとるさん』から電話で、『11時からINACの練習がありますよ』と電話が入ったのである。

これは、ぜひ行かねばと、いっぱい写真を撮ってきた。

上のポスターもそうだし、何枚かをご披露すると、

 

 

 

 

写真いっぱい撮ってきたので、Facebookのアルバムに纏めて入れたので、じっくりご覧ください。

 特に、芝の面よくご覧ください。手入れが良くて最高です。

5面のサッカーコートがありますが、多分日本でも最高の状態だと思います。

 

 

 

★このサッカー場、休みの日には、子どもたちが使っています。

誰にでも解放されているところが、いいと思います。

ゴルフ場が三つも入る広大な敷地の中に、世界一の地震の試験場も、多分世界一だと思われるビーンズドームもあります。

 

 

これは世界選手権も出来るテニスコートがこの中に8面もあるのです。

 

★三木市役所の『さるとるさん』の写真がなぜあるのか?

お昼休みの間に、『現場の空気を』と駆けつけていたのである。

彼は NPO The Good Times のスタート時点からのアドバイザーである。

三木のいろんなイベント、大袈裟にいえば『みんな関わっている』と言っていい。

彼のブログ、をご覧になれば、よく解る。

『三木おもろいわ』も彼の主宰なのである。

 

ブログ de みっきぃ のJJさんも取材に来ていたから、多分明日のブログには、もっといい写真が出るだろう。

 

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東京の天然ガス発電 と 電話代

2011-09-16 06:11:02 | 発想$感想

★東京都の天然ガス発電が話題である。

原発1基分の発電量が、小さな面積でたった250億円の建設費で可能だという。原発1基分の10分の1なのである。天然ガスの埋蔵量も400年分もあるというし、場所も取らないから水辺に土地さえあれば、どこでも造れる。

東京都が率先して独自で計画を進めるようである。東京都の電力消費量の6%に当たるらしい。

都が自ら進めるものであるから、いろんな認可を含む問題や、送電料の問題の解決もそんなに難しくないだろう。水辺だから津波の心配はあるが、事故になっても原発のようなことはないだろう。

 

大体、電力会社の独占経営状況で、競争がないというのが一番の問題で、世界で一番高い電気料を国民は仕方なく払わされてきたのである。

日本人はその点、大人しいので、そんなことすら知らぬままに、文句ひとつ言わずに、高い電気料を払ってきた。

『なぜ、天然ガス発電など発展しなかったのか?』

国や政治家や電力会社や経済界まで、みんなが一団となった『大利権集団』を形成して、他の発電を弾き飛ばしてきた『構造問題』なのである。

 

★電力でなくても、世の中何でも、『独占』とか『独裁』がダメなシステムであることは、間違いない。

『独占』でも、『政治構造』でも『霞が関の官僚構造』でも『民間グループ』などでも、出来てしまえば、なかなか住み心地がいいのである。

そう言うタテ型の、護送船団方式なのである。

一番、割りを食っているのは、一般大衆、消費者なのである。

 今の日本の政治、社会経済構造は、その発想も、ホントに民主国家かと思うほど、おかしいと思ったりする。

 

 ★全然、話は変わるが、

昨日から私個人で Facebook のファンページを立ち上げた。

なんでも新しいことに飛びつくのは至って好きなのだが、誰でも使っている携帯電話は家にはあるが殆ど使ったことはない。

どうも携帯電話で、年から年中追っかけられるのが嫌なのである。

 

毎月の電話代は、大体3000円~5000円ぐらいで、あまり請求書の中身など見たこともない。世のなかの電話代として多いのか少ないのかもよく解らない。

ところが今月の電話代が一挙に2万円に近いのである。

何故かと思って見てみると、FOMA通話料が高いのである。FOMAと言うこと自体が何のことか理解出来ないのである。

サービスセンターに電話して聞いてみたら、『携帯の通話料とかメール代金』だという。

8月にアメリカから日本に遊びに来ていた孫が家の携帯を貸してくれと持っていたから、『孫が使ったのである』 

 

じゃ仕方がないなと思っていたら、先方から『毎月4200円限度の使い放題』に契約しませんか?と言うのである。

それに契約したら今回の電話代もそのほとんどが戻ってくるという。

さらに『4200円』は枠だから、何も使わなければ、毎月390円だけでいいという。さらに知らなかったが、従来も1000円のFOMAの定額通信料を払っているから、それは不要だというのである。

 

要は、この高額のFOMA通話料は殆ど戻ってきて、

1ヶ月390円払えば、最高4200円でかけ放題。

孫がいなければ携帯など一切使わないやら390円だけ払えばいい。仮に来年の夏孫がかえってきて携帯をいっぱい使っても、4200円でいい。

さらに今まで払っていた1000円は要らないから、毎月今までに比べて600円プラスである。

『でも、これは今月中に契約する』ことが条件だという。『契約書があるのですか?』『イヤこの電話で結構です』

 

★東電の保証支払費用の複雑極まる様式が話題になっていたが、かってのNTTには考えられないサービスの良さである。

競争状態におかれると、こんな考えられないことになるのである。

今の東京電力は、とても民間企業とは思えない。

ただ、東電の人たちが、悪いのではなくて、温室の中にずっといると、『賢い人』でも世の中が解らなくなってしまうのだと思う。

今、求められているのは、新しい時代にあった『消費者目線』 の構造改革なのだろう。

 

 

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