貯金は無かったが逆に結構な消費はしていたと思う

家を建てたのも消費だろうし、衣服などにも結構金が掛ったし、何よりも子育ての学費なども大きな消費だったのである。

家計は家内に任せきりだったが、貯金などあるはずもなかったのである。

貯金が出来たのは、50歳を超えてからである

子どもたちが学校を卒業した、家のローンが終わった、年功序列の日本の給与体系から収入が増えた、退職金が入った。

消費の絶対額が減って、収入が増えたから、突如貯金が出来たのが現実で、『貯金をしよう』と言う意思があったわけではないと思う

 

 

★ 現実に高齢者になってみて、いま金を使えと言われてみても、なかなか金が使えないのが現実なのである。

将来が不安だから、金を使わないと言うよりは、若いころのような消費の必要性がナイと言う方が当たっている。

そんなに旨いものを食い歩こうと言うような意欲もないし、服飾などに贅沢をしようという気が消え失せた

『残された子どもたちに遺産を残してやろう』と言う気持ちなど殆どないが、結果的にはそうなるのかも知れない

いまは、家内と二人の生活だが、私が死んだ時に家内には幾らかでも残しておいてやらないとと思っているのは確かである。

 

80歳を超えて、不安はないのか? と言われると、金のことよりも人生の最後の何年間かがどんな形になるのか? と言うことである。

昨年、102歳の母を亡くしたが、母の最後の1年半は特別養護老人施設で介護されて人生を全うできたのがよかったと思っている。

若しこの家でならとてもあんなにちゃんとした介護など出来なかった 思うのである。

 

「家庭内介護」などは、みんな50歳代の壮健な人たちの錯覚 だと思っている。

こんな超高齢者社会では、子供たちが既に老人なのだから、老人に老人の介護などを求めること自体に無理がある。

 

特別養護老人施設に入所 できれば、月10万円ぐらいで大丈夫だから、この保証があれば、殆ど将来の不安など皆無なのだが、いまは 特別養護老人施設 に入所することは至難の業なのである。  

子どもが一緒に親と住むことがなくなって、独りで人生の最後をどのように迎えるのか?

そのあたりのことについて、政治も社会もきっちりとは答えていないと思っている。

 

高齢者は、例えば90歳以上は、希望すれば特養に入所できる と言うことなら別に多額の貯金など持つこともないのだと思うのだが・・・

90歳以上の行方不明者などが出るのも、超高齢者社会へのホントの対応の仕組みが出来ていないと思っている。

 いま、民間の施設に入ろうとすると、それこそ何千万円 の貯えがなければ・・・と言われている。

これでは、貯金もちょっと残しておくか と言うことになってしまうのではなかろうか?

 

 

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