雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

ナイジェリアのラゴスの想い出

2020-07-31 06:05:01 | 発想$感想

★ カワサキの二輪事業のお陰で世界のいろんな国へ行っているのだが、
 カワサキの中でもアフリカに行った人は多分少ないと思う。

 ナイジェリア、こんなところにある。
 Googleマップで遊んでいて、

 


 ナイジェリアのラゴスの地図など見ていたら、
 ずっと昔、ラゴスへの一人旅を想いだしたのだが、
 いろんな記憶はあるのだが、『なぜラゴスなどに行ったのか?』
 そんな基本的なことをよく覚えていないのである。

 人の記憶など、ホントにいい加減なものである

 


 そんなことで『旧い日記』をひっくり返して読んでみたら、
 いろんなことを思いだしたのである。


★ まずこれは1977年8月、私にとっては、初めてのヨーロッパ出張なのである。
 それも、タイのバンコックに最初に行ってそこからロンドンへ飛んだのである。

 ロンドンの空港でその『タイ廻り』を不審に思われたのか、
 徹底的にバッグをチェックされたりして、最初から大変だったのである。
 当時、カワサキUKがスタートしたばかりで、
 初代社長の内田さんと直接ロンドンに来ていた斉木君が空港に迎えてくれた。
 
 内田さんはメグロからカワサキに来た方で、
 ヨーロッパ市場はUKもドイツもスタートは、彼が開拓したのである。
 かっての国内市場で、カワサキの最初の鈴鹿のロードレースなども、
 一緒にやった仲間なのである。

 最初のヨーロッパだったし、ロンドンでは彼がいろいろ面倒見てくれて、
 ロンドンの街もウインザー城なども案内してくれたし、
 シルバーストーンのレース場で、本場のイングランドGPなども見たのである。
 世界各国いろんなところに行ってはいるのだが『観光』など珍しいのである。

 その後ロンドンには何度も行っているが、観光をしたのはこの時だけである。


★ ところで、ナイジェリア行きは、日記で調べてみると、
  PZという英国の大企業が世界各地でいろんな事業を展開しているのだが、
  ナイジェリアでカワサキのCKDをやろうという意志があったようで、
  当時、現地に駐在していた森田くんに頼まれての出張だった。

  そんな関係でまずマンチェスターのPZのヘッドオフイス訪問から始まっている。
  斉木君と二人だったが、
  まだ、英語も碌に話せなかった頃で、
  マンチェスターなまりの英語には、全く辟易したのを想い出す。
  

  ロンドンに戻り、そこからナイジェリアに飛ぶ予定だったのだが、
  ロンドンのヒースロー空港に行くと、乗るべき便が探してもないのである。
  いろいろ聞いてみたら、アフリカ行きの空港は場所が違うのだという。
  
  アフリカ行きは南の方のガトウィック空港からで、
  ロンドンに5つも空港があるとは知らなかったのである。

 
         


   そんなことで、乗り遅れてしまって、翌日ラゴスには独り旅となり、
 ラゴス入りは1日遅れとなったのだが、
 ラゴスの空港では、当時単身ラゴスに駐在していた森田くんが迎えてくれて、
 ナイジェリア駐在中は、ずっと彼と斉木くんとの3人での行動だった。

 PZという会社は結構な大会社で、既にベスパの生産工場を現地に持っていたし、
 自社の立派な寮のようなところも持っていてそこに泊めて頂いたりしたのである。

 今でもそうかも知れぬが、ナイジェリアに行くには、
 日本で出発前に『マナリアの注射』がMUSTなのである。
 今から40年以上も前の話なので、当時のナイジェリアは大変だったが、
 英語は誰もが喋れるのである。
 
 首都ラゴスから140キロも離れた『イバダン』にも販売網調査で行ってるのだが、
 そこでいろんな世間話などして、
 『こどもは何人?』と聞くので『二人』と答えたら、 非常に不思議がるのである。
 何となく解ったのは『避妊』という観念がないようなのである。
 
 そのあたり『コドモだらけ』だったが、非常にフランクで、
 ホントに『素朴な未開地?』といった感じだった。

 そんなナイジェリアで、ラゴスだけは結構立派な町で、
 車がいっぱいで1日ごとに『奇数か偶数』のどちらかのクルマしか走れなかった。
 そんなラゴスを覚えている。
  

   

 

★Google マップでラゴスの町を見るとこんな感じだが、

 




 同じラゴスでもいろいろあるものだと思う。

やはり40年も前とは様変わりしたところもあるし、
昔のイメージ通りのところもある。


 ラゴス島を見ると、なかなかの近代都市なのである。
 Googleマップもいろんなところが見えてオモシロい。

 

 
 



 ラゴス市の中には、こんな昔の儘のイメージが残っているところもある。

 


 



★このナイジェリア・プロジェクトは、結局成立しなかったのだが、
 現地では日曜日に『ホンダの駐在員』の方とデイナーをともにして
 いろんなことを彼から聞いて、『いい印象』を持っていたのだが、

   ホンダさんはどうなったのか、調べてみたら

 こんな記事があって、『ナイジェリア40周年』とあった。
 ちょうど、私が現地に行ったのが1977年なのだが、
 その2年後、1979年からの現地生産開始だったようである。

   

  

 カワサキは何故、このプロジェクト上手くいかなかったのか、
 覚えていないのだが、
 ナイジェリアのラゴスは『いい想い出』なのである。

 
  

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三木の天気予報の不思議?

2020-07-30 06:41:41 | 発想$感想

★ 長い今年の梅雨だが、
  ようやく近畿地方の雨は今日が最後のようで、
  明日からは、本格的な夏がやってくるらしい。






 
★  いまちょうど7月29日の14時だが、
 天気予報によるとあと30分余りで、三木にも強い雨雲が来るという予報。
 『黄色や赤い強い雨』が降る予報になっている。

 少々不謹慎かも知れぬが、『梅雨の最後
 三木にも『ざあっと降る強い雨』を期待したいのだが・・・・






 
 この地域は『雨が少ない』と言われていて、
 ホントに『大雨の経験』などそんなにない。


    閑なものだから、今から30分ほどこの天気図を追っかけてみたい。

 ●14時15分になって、最初の『14時35分の予想』を見ると
 こんな風になって、黄色や赤の部分は消えてしまった。
 そして全体に雨雲は南に下がり、神戸の方に行ってしまった。

 大体いつもこうなるのである。
 なぜ、三木には強い雨雲は来ないのだろうか?


  

 


★ もう14時35分は過ぎてしまったが、
 今回も『強い雨』はダメだった。

    私なりに考えるに、周囲に高い山がないので、雲が湧かないのかな
 と思っている。
 六甲山が少し東にあるのだが、 
 雲は大体西から来るので、播磨平野に来るとだんだんなくなってしまうのかな?


 


   雨が少ないから、
 この地域『播磨平野』は日本でも有数の『溜池が多い』地域なのである。

 大きな『溜池』がいっぱいなの、お解り頂けると思う。


 



 日本各地で『大雨の被害』で大変なのに、
 贅沢な悩みだとは思うのだが・・・・・・・


 

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新しことに物怖じしないのは・・・・

2020-07-29 06:27:55 | 私の生き方、考え方&意見

★ 今年の春以来『新しい生活のスタイル』が始まった。
 『新型コロナウイルス』の対策からである。

 できる限り人と会わない、話もしない。
 人の大勢いるところには出3密対策来るだけ行かない。
 こんな所謂『3密対策』の生活だが、
 全然問題なくスムースには入れたし、
 何の問題もなく対応できている。


 端的に言えば『新しいことへの対応』には全然問題がないというか
 『得意分野』だと言っていい。
 人生87年生きてきて、振り返ってみると、
 なぜか『新しいことばかり』をやってきて、全然『違和感』がないのである。



★ なぜかな? と思うが、
 これは少年時代、終戦直後の経験が
 『新しいこと』に物怖じさせなくなったのだと思う。


 戦前、というか終戦までは、結構豊かな『坊ちゃま生活』だったのだが、
 終戦で朝鮮京城(今のソウル)から明石に引き揚げてきて環境は一変した。
 食料難だったし、何よりも『トモダチ』が一人もいない生活だった。
 昭和20年12月8日(1945)に引き揚げてきて、
 翌年の4月1日に旧制神戸一中に入学するまで、
 ひとりの友達もいなくて、話し相手は伯父や大人の人ばかりだった。



   



 神戸一中に入学しても誰一人知ってる人がいない中に入っていったのだが、
 特に、それが気になったりせずに、すぐにトモダチも出来たし、
 野球部にも入ったりした。
 そういう意味では『神戸一中』は懐かしい。

 たまたま昭和21年から26年までの、私の中学・高校時代の
 野球部のことが纏められているのだが、
 当時の公立校は野球部も結構強かったのである。
 
 昭和25年、明石が優勝した時は、私は明石高校にいたのである。
 名前の出てる谷村さんや三輪さんなどよく存じ上げている。
 県一女と合併して男女共学になったのはちょうど3年になるときなのである。
 
   



 やっと3年間普通の学生になっていたのに、
 高校は学区制が出来て、また明石高校に変わらざるを得なかった。
 ここでも、またトモダチゼロからの再スタートだったが、
 それも結構スムースに、入っていけたのである。


 この時期の目まぐるしい『新しい経験』というか
 『環境の変化』が私の性格を変えたような気がする。
 
 どんな『新しいことでも大したことはない
 と思えるようになったのだと思う。
 
 

★ カワサキでの二輪事業も、会社にとって全くの新事業だったし、
 上司というか先輩たちも全く経験のないことばかりだったので、
 思い返すと『人生ずっと新しいことばかりをやってきた』ような気がする。

 定年になってから、初めてパソコンに出会ったし、 
 ネットの世界も、ブログもツイッターもFacebook 
 初めてのことばかりだったが、全然『物怖じ』することなく、
 それもすべて独学でやってきた。


 今年『コロナに出会って』 また新しい生活になった。
 時間が完全に自由になったので、朝は公園で運動し、
 午後は、パソコンか庭仕事。
 それも時間がいっぱいだから、調べ物をしたり、
 旧い日記を読み返したり、楽しんでいる。


 昨日は、アフリカのナイジェリアに初めて独りで行った時のことを懐かしんだ。
 Google マップがあるから、
 当時の写真はないのだが、今のラゴスが見えたりする。

  

 
 
 これは1977年8月に約1ヶ月、 
 バンコック・ロンドン・マンチェスター・ナイジェリアのラゴス
 初めてのヨーロッパ・アフリカの一人旅なのだが、
 なかなか、オモシロかったので、またの機会に纏めてみたい。

 大体海外出張など、それも初めて独りで行く人は少ないのだが、
 そんなのは一向気にならないのである。
 
 勿論、失敗もあるのだが、
 そんなのは『大したことではない』と思ってしまう。

 『コロナ』も大変だと言えば大変なのだが、
 まあ、何とかなるだろうし、
 それで『いいこと』もまたあるのだと、思っている。

 兎に角『反省などしない』性格なのである。


 
 
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炭酸水って、ホントに効くのかな?

2020-07-28 06:12:23 | 発想$感想

★海の向こうのアメリカで、娘婿が父の日に、
 次男に『炭酸水メーカー』をプレゼントして貰って悦に入っている。


  

 

・・・・真也が父の日に、炭酸水メーカーをプレゼントしてくれた。これはうれしい。
・・・・・・・朝晩作っては飲み、作っては飲み。家内はハイボール。・・・・
 これはやめられまへんな!
Thank you, Shinya!

 などとFacebook にアップしていて、
 この門野一家は、息子二人が健康や『体作りに』関心があって、
 『炭酸水はイイよ』などと言うものだから、

 我が家でも、家内が先日『炭酸水』を買ってきた。



★ 飲んでみたが、娘婿が言うほど「旨いものではない」ように思う。

 それでも、今『炭酸水』は流行のようで、
 『炭酸水』と検索すると、いろんな記事がいっぱい並ぶ。

 いいことがいっぱい書いてある。
 


 



 
  こんな記事もあったが、

  




 逆にこんなのもあった。


 

 

★ 飲みだしてから、4日目ぐらいだが、

  効果はもう一つ、よく解らない。

  ただ、体重はほんとに久しぶりに80キロを割って、79.8k を記録した。


  温度も上がって、朝のスロージョッギングで汗もいっぱいかくので、
  その効果かかも知れないが・・・・

  今夜は多分、ビールは止めて、『ハイボール』を飲むことになるのだろう。



★それは兎も角、
 海の向こうの娘婿は、折角の『炭酸水メーカー』を壊してしまったらしい。


  

 
 家内が 『あなたと一緒、ちゃんと説明書読まないから・・・
 と笑っていたが、

 私は、説明書は読まないが、『洗い物などしないから』大丈夫である。


   
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Facebook で並ぶ『いいね』の順  雑感

2020-07-27 06:26:39 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram

★Facebook に頂く『いいね』については、結構気になるし、
 毎日丁寧にその内容を見るのが日課になっている。

   私のFacebook の投稿は基本的に毎日発信しているブログの転写である。
 短文が普通のFacebookの投稿としては、間違いなく長い。
 全部読むのは『大変かな』とも思ったりする。

 ブログは毎日、結構時間をかけて書いていて、
 ブログ自体にも、ツイッターにも、それなりに沢山の方たちが訪れるので、
 それで一応はブログの役割は終わっているのだが、
 Facebookは『その数』においては少ないのだが、
 一番気になるのは、『いいね』を頂いた方が『明確に解る』からと
 面識のある方が多いからでもある。

 このあたりがFacebookの良さなのだろう。
 
 
 
★ 私自身は、人様のFacebook に『いいね』をすることは少ないのだが、
 自分の投稿に対する『いいね』はなぜか気になるのである。


 これが先日投稿した『私のGO TO 175 号線』に対する『いいね』の順番である。





 
 吉田純一・Toyama・Kobayashi・山本さんは親しいカワサキの仲間である。
 これは親しいし毎日、繋がっているからよく解る。

 高嶋正治さんはこの数か月のお付き合いだが結構密に繋がってる。
 Ogasaさんも二輪関連でそんなに旧くはないのだが毎日繋がっている。

 不思議なのは『樋渡啓祐』さんである。
 超有名人で武雄市長時代は密接な関係もあったのだが、今は特にない。
 なぜかな?と思うが『いいね』を頂いて『嬉しい』のも樋渡さんである。
 そんなに毎日も繋がっていないのに、不思議なのである。

 
 ネットの世界はいろいろあって、
 Facebook の『いいねに対する解説文』があったりする。

 そんな中にこんな一文があったりした。

ただ、それほど親しくはない相手や、しばらく疎遠になっている友達など、
どうしてこの人がFacebookでは上位に表示されているのだろうと不思議に感じることもあると思います。
これは、Facebookの投稿頻度が高い人や、
投稿に対する「いいね!」の獲得数が多い人、
また投稿内容の信頼度が高いと判断される人などが、
あなたにとってFacebook上での重要な人物だと判断され
上位に表示されている可能性があります。』


 間違いなくコレである。
 『樋渡啓祐さんのFacebook』には
 『1000人を超えるいいね』が寄せられたりするのである。

 

★これは別のFacebook の『いいね』の順番だが、
 門野真也古谷仁は孫だし、
 Tad Kadono は 娘婿である。
 滅多に『いいね』が来ることはないが、
 『息子・古谷大治』は間違いなく一番に現れる。






  
 家族・親戚などは上位に来るようになっているらしい。
 

 ★そんなFacebookの『いいね』だが、
 『現れる順番』もあるが、
 投稿した内容に対して、
 『珍しい方』から『いいね』を頂くこともあるのだが、

 『それはそれで非常に気になる』し、
 突然、新しい方からの『いいね』が始まるのも、嬉しいことなのである。

 こんなことが『非常に気になる』というか
 『関心がある』のは
 よく言えば『マーケッテング・マインドがあるんだ』と勝手に思っている。


 現役時代、ユーザーの愛乗者カードが毎日100枚も届いていたのだが、
 毎朝、出社すると『それをすべて見る』のが日課だった。
 それで、『何が解るのか?』と言われると困るのだが、
 毎日見ていると何となく『傾向が解ったりする』のである。
 
 そのあたりの評価は微妙だが、
 Facebook の『いいね』も、それに似たところがある。
 10日ぶり、1ヶ月ぶり、半年ぶりなどなど、何となく解るのである。

 まあ、大したことがあるのか、ないのか?
 兎に角、気になるのである。



 




 



 

















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全体最適値を求めた『仕組み創り』   雑感

2020-07-26 07:31:56 | カワサキ単車の昔話

★『岩手県』いま、コロナウイルス感染者ゼロで、話題である。

 そんな『岩手県』など東北6県を私は担当していた。
 旧い旧い時代だが、『実用車のカワサキの時代

    こんな車だった。



 



 
 当時、東北6県が最大の市場だったし、
 岩手カワサキはダントツの『全国1位』の販売台数を誇っていたのである。

 1972~76までの4年間、私も未だ、30代前半、初めての営業経験だった。

 実用車も売れたが、こんなC2SSもめちゃくちゃ売れたのである。
 なぜ?
 それは当時東北6県は全国で最もモトクロスが盛んで、
 このC2SSの仕様に関しては、
 当時の東北の意見が大いに取り入れられていたのである。


 


 当時のカワサキのモトクロスのファクトリーライダーたち、
 山本・歳森・梅津・岡部・星野などは毎月のように東北にやってきていたのである。




★そんな東北6県の中でも『岩手カワサキ』は群を抜いた実績だった。

 その岩手カワサキの社長が久保克夫さんで、
 私は久保さんから学んだことは多い。
 
 なぜ岩手県などの田舎県が日本一を続けたのか?
 まさに、その販売システムというか、『久保克夫さんの力』だったと言っていい。

 それはなんだったのか?
 ひとつは   『久保克夫さんと販売店の信頼関係
 もう一つは  『岩手カワサキ独特の仕組み』  だったと思う。

 

 若い時に、私は久保克夫さんに会えて本当によかったと思っている。
 1976年以降はカワサキも『スポーツのカワサキ』に脱皮して
 私は大阪市場を担当することになるのだが、
 そこで創った『カワサキ共栄会』や、日本で初めての『特約店制度』など
 すべて『久保克夫さんから学んだもの』なのである。
 

★仙台時代、私は岩手カワサキの久保さんと一緒に行動することが多かった。
 久保さんは運転がダメで、私が運転手で岩手県内の販売店廻りを一緒にして、
 久保さんが、販売店に対してどのように対応されるのかを見せて頂いた。

 久保さんは販売店を訪問しても雑談ばかりで、
 『売ってください』などとは全く仰らないのである。
 『売りたい』のは販売店の方だと言うのだが、これは間違いない。
 人間関係は『貸し>借り』の関係でないと、その逆ではうまくいかないのである。
 
 一般に『お願い』などするものだから、『借り>貸し』になってしまうのである。
 販売店にはお願いなどせずに、
 相手が『望むこと』を支援するのが、『いい信頼関係』を創る鉄則なのである。
 
 そんな久保さんの販売店との対応場面を数多く見て、
 こんな対応はその後の私の『人間関係の基盤』になっいて、
 『頼まれたこと』はどんなことでもまず『断ること』はないように心がけている。


 
   


 ところが、岩手県は南北200キロ、東西100キロもある大県なのである。
 販売店を訪問するといっても、そんなに簡単ではないのである。
 そんな販売店に社長が突然訪問するものだから、
 販売店の方が恐縮してしまうのは、ヨコで見ていてよく解かった。
 間違いなく『貸し>借りの関係』が成立するのである。
 

★ もう一つの『仕組み』の話だが、
 ちょっと専門的で、お解り難いかも知れぬが・・・

 ●当時は全て『委託販売』の時代である。
 ●今のような回収システムではなくて、なかなか現金にはならない時代
 ●委託-販売ー売掛金ー手形ー現金化 と結構時間が掛かる
 ●数を売ろうとすれば、普通では大量の資金が寝る
 ●そのための『資金繰り』が大変で、
 ●ちょっと油断すると営業外で赤字になってしまうのである

 そんな時代岩手カワサキは独特で、
 ●実際は『委託』なのだが、
 ●委託すると同時にその月から『売り上げに計上』し
 ●毎月『請求書』を発送する
 ●販売店としては即支払う訳ではないが、ずっと『貸して貰っている』ことになる
 ●従って売れると即『手形支払い』となるケースがほとんどで
 ●大量に売るのに結構『実質回転』はよかったのである

 岩手カワサキ側の経理処理としては
 ●売上が経つので『利益が計上』されるのだが
 ●それは『引当金』を計上して相殺する
 ●売り上げが経っているので在庫からは消えているのだが
 ●在庫が『極小』になっても一切気にしない

 そんな『仕組み』になっていた。
 そんな『岩手カワサキ独特の仕組みの創造』を非常に興味深く思っていて、
 私の二輪経営は常に『独特の仕組み』の上に成り立っていたのである。


★ 『いい仕組み』さえ創れたら、殆どいろんなことは解決できるのだが、
 一番大事なのはTOPの立場での『全体最適値』を求めることである。
 
 現在の国の『コロナ対策の仕組み』など見ていると、
 部分最適値が優先されていて、上手く機能していないように思う。

 日本の縦割り組織を見ていると、
 各省の立場からの『部分最適値』ばかりが優先されて、
 『全体最適値』になっていないことが殆どなのである。

 国と地方との関係も明確ではないし、
 日本の組織機能は、なかなかムツカシイ。
 
 今こそ『全体最適値』を求めた『仕組み創』が求められているのだが・・・・


 
 
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『私のGO TO 175 号線』  雑感

2020-07-25 06:28:34 | 発想$感想

★世の中4連休だが、コロナ対策で街に出かけることもなく、
 昨日はふと思って、『175号線』を走ってきた。

現役時代二輪事業に携わって、日本や世界の販売店など
車を自分で運転して走り回っていたものだから、
運転は好き』になったし、『運転が好きだったから』走り回ったのかも知れぬが、
日本では沖縄を除いてすべての県の道を走っている。

それも結構長い距離を走り回っていて、
大袈裟に言えば『日本の道』
北海道から九州各県まで、それも何度も走っていて、
何となく解っていると言えるほどである。


★そんなこともあって、『175号線を走ってみよう』と思い立って
 ちょっと走って写真を撮ってきたのである。

 175号線とはこんな道なのである。


 

 
 兵庫県の明石市を起点にして、北に舞鶴まで、
 カワサキの明石工場のすぐ横から北上している道なのである。

 175号線にはいろんな想い出があって、
 カワサキが二輪事業を始めたころ、B8やB1、J1などの
 『実用車のカワサキ』の時代には、
 175号線はカワサキの新製品のテストなどが行われていたのである。
 直線もあるし、曲がりくねった登り道もあったりして、
 格好の『テストロード』だった。

 1970年に三木市に土地を買って住所を三木に移してからは、
 私にとって『175号線』は毎日の通勤道路になったのである。
 当時の175号線は未だ二車線の細い道で、
 所謂『拡幅工事』が始まったばかりだったのだが、
 高速道路はあっという間に完成するが、
 この175号線の拡幅工事は、50年も経った2020年になっても、
 まだ、完全にはでき上っていないのである。


★それでも殆どは何とかでき上っていて、
 三木市辺りではこのような立派な道路になっている。

 

 
 そんな175号線なのだが、未だに昔の儘の2車線の坂道のままのところが、
 1kmぐらいあって、ひょっとしたら今年あたり新しくなってしまうのか?
 とふと思ったりして、
 『昔の儘の道の写真』をとっておこうと思ったのである。
 

 その昔のままの坂道は今でもこんな様子なのである。
  







 この坂道が昔、カワサキの実用車時代に、
 テストライダーたちが毎日走った道で、
 少なくとも、昔の儘で残っているのは、私の知る限りここだけである。

 あとは、昔の175号線も勿論あるのだが、並行してバイパスが走っている。


★この坂道、写真に残せてよかった。

 その前後の写真も撮ってきたので、ご覧ください。

 明石から来て、坂道の手前まではこのように出来上がっている。

 


 そして、ここまでで終わりで、
この先は昔の儘の175号線の坂道が約1km続くのである。

 



坂道を登りきると、旧175号線に並行してこんなバイパスが出来つつあって、
そこも勿論走ることが出来るのである。



 並行して走っている『旧175号線』は、こんな感じなのである。





★旧い道がそのまま残っていてよかった。
 いつになったら全線が開通するのだろう?
 
 どうやら、この坂道が一番最後の工事になるのかも知れない。

 旧いままの道の写真、他にもあるので、


    

   


 連休2日目の 『私のGO TO 175 号線』 だった。

 それにしても、昔の道は国道でも狭いな。

 この175号線、私の高校時代は舗装はされてなくて『砂利道』だった。
 小野工業との野球の試合にバスに乗って立ったまま行ったことがあるのだが、
 バスを降りてからも 『体が揺れ続いていた』のを覚えている。

 だんだん日本の道路も、広くよくなって、
 私が通勤してた時代は、明石まで40分は掛ったが、
 今は30分掛からずに行けるようになっている。

 新しい時代もいいが、旧い景観もまたいいと思った『175号線』である。


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ホテイ草に花が咲いた

2020-07-24 06:11:08 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ メダカを増やすのにいいという『ホテイ草
 夏は増えすぎるほど増えるのだが、今まで冬を越したことはなかった。

昨年の冬はメダカを飼ってる容器に入っていた『ホテイ草』をそのままにしていたら、枯れそうにはなっていたが、何とか持ちこたえて、
はじめて冬を越したのである。

 しょうもないことだが、『はじめての経験』は嬉しい。
今年も夏になってどんどん増えるので、
今は植え過ぎたのを『捨てる』くらいになっている。


これは1週間ほど前の写真だが、

 
 


 こんな小さなバケツの中で、
昨日二輪咲いたのである。


 

 

 こんな感じの花で、意外に綺麗である。






 ネットの中にあったのは流石に綺麗だが、
 それでも、まずまずの花である。







ほかにもいっぱいあるのだが、
花が咲いたのは、一つのバケツだけである。
これなどもよく育っているのだが、そのうち花も咲くのだろうか?






★それは兎も角、 
 昨年は、増えすぎるほど増えた『メダカ』だが、今年はそうでもない。
 昨年も、どんどん増えだしたのは8月ぐらいからだったから、
 今から増えるのかも知れない。

 コロナの時代、世の中大変だが、
 『ホテイ草』だとか『メダカ』だとか言ってるのは、
 幸せなことである。

 いよいよ、梅雨も明けて本格的な夏が来る。
 8月から、改めて『ホテイ草とメダカ』に付き合っていきたい。

 
 
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『ジョークサロン』別世界をみての  雑感

2020-07-23 07:06:38 | 発想$感想

★ 『ジョークサロン』というこんなグループがある。


このように紹介されている。
  
ジョークやユーモアを楽しむ仲間が、毎月第4水曜日夕方、内神田に集まり語らいのひとときを楽しみます。川柳、都々逸、小噺、駄洒落などなど笑品が披露されます。
 参加者の皆さんが持ち寄った笑作品は、サロン会報「伝笑鳩」で、日本全国へ飛んで行きます。読者投稿も充実してます。例会に参加するも良し、読者になるも良し。  楽しいひと時をご一緒しませんか。


 



 その『変集長』をされている野本浩一さんと、
 ひょんなことからFacebook で繋がって、
 先日二人で ZOOM Meeting などやったのだが、
 『ジョークサロン』にも参加しませんか? と誘われて、
 昨日、初めて参加してみた感想である。


★ 一言で言って、これは私にとっては『まさに別世界』なのである。

 『川柳、都々逸、小噺、駄洒落などなど笑品が披露されます』

 とあるのだが、私は文章を書くのは大丈夫だが、
 『俳句』も作ったことがないというか『全くそんな素養がない
 だから、参加は出来たが、その仲間には入れなかった。


 そこで披露されたいろいろの作品を並べてみる。


 読めば解るが、これを作れと言われたら、無理である。

 

 




 川柳とは、このようなモノらしい。

 



あいだみつを』の『にんげんだもの』から

 


 
 こんな今の世の中の事柄を扱っている。
 読んで『なるほど』とは思うが、
 これも『つくる』のは容易ではない。

 





★私が87年生きてきた世界には『全くなかった世界』なのである。

 私が『生きてきた世界』には、
 『ジョークはなかった』真面目な?世界だったのかも知れない。


 野本さんが気を遣って頂いて、
 こんな『披露』もして頂いたが、
 とても、仲間としてツイて行ける自信はない。
 
 



 ただ、ぼやーと見ているだけではなくて、
 『解らぬなりに』こんなブログの材料を『仕込んだ』のは
 私らしいのかも知れない。

 上記の他、こんなものなど『会員さん』からいろいろ発表があったのである。


 






 『ジョークサロン』別世界をみての雑感  である。 



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要は『蜜』でないことかな? コロナ対策  雑感

2020-07-22 06:45:17 | 発想$感想

★ 明日から世の中『4連休』である。
 普通なら『帰省ラッシュ』になるのだろうが、

 ネットに『絶対に帰るな『という、こんな情報が流れたという。

 岩手県で『感染第1号』になるということは、
 『ニュースだけではすまない』というのである。





 確かに、そうかも知れない。
 これは、ある意味なかなかの『プレッシャー』である。


 岩手県は未だに『感染者0』が続いている。

 
 





★ コロナ対策では『3蜜』と言われるが、

 3密(3つの密)とは、密閉、密集、密接から名づけられた言葉だとか。

 兎に角、『密集』がダメなようである。


 各県の感染者状況などを見ても、
 圧倒的に都会が多くて地方が少ないのは明らかなのである。

  



 
岩手県は0だが、青森も秋田も感染者は少ない。
 東北6県は昔担当してたこともあるので、その環境はよく解っている。
 全く関東・関西などと違って『蜜ではない
 コロナ対策には『いい環境』なのである。

 





★地図好きなので、岩手県だけアップしてみた。
 
 日本一の広大な広さだが、その環境は間違いなく『』ではない。


 


 
 いろいろ理由もあるのだろうが、
 『岩手県の感染者0』は
 まずはその『密度』というかその『環境の良さ』だろう。


 『同じ縮尺』で、東京はこうなる。
 この環境の違いは、『一目瞭然
 この『』の度合いは半端ではない。

  



大阪はこんな感じ。





 私の住んでる兵庫県でも、感染者が多いのは圧倒的に京阪神地区で、
 三木市の方はこんな感じになるし、
 日本海側に行くと『コロナ環境』は、さらによくなるはずである。

 



 
★『アメリカは広大』だというという先入観はあるのだが、
 人口が集中する大都会での密集度は日本とそんなに変わらない。
 『同じ縮尺』で、ロスアンゼルスはこんな感じ、


 
 


 多くの感染者を出した ニューヨークはこんな密度なのである。



 圧倒的にアメリカの感染者が多いのは、
 いろんな民族が集まっていて、単純な発想にはならないからかも知れない。

 少なくとも、『絶対に帰るな』『ニュースだけではすまない
 というような発想にはならないのが『アメリカ人』なのだろう。
 



★コロナ対策で『3蜜』とは、日本独特の発想のようだし、


 安倍首相は、記者会見で
クラスター対策を進める中で「3つの密を避けることによって、日々の仕事や暮らしを続けながら感染を予防できる」 との知見が得られたとし、また「3つの密」は3つのC(Three Cs)として、世界中で認識されるに至っているとの認識を述べた。 
ようだし、

米ニューヨーク市議会衛生委員長のマーク・レバインは「3つの密を避けましょう」というポスターを英訳版と共にツイッター上に掲載。
これが日本が取り組んでいること。何が最もリスクが高いかを強調する上で良い方法だ」と紹介している。


 このように、世界も認めているのだから、
 コロナ対策の成功』を安倍総理も、もっと胸を張って言えばいいのに、
 と思ったりする。
 多分、トランプさんなら、誇らかに大声で叫ぶはずである。

 
 コロナ対策、いろいろまだまだ続くようだが、
 
 岩手県が感染者0というのも、
 『要は密でないからかな?』と思ったりするのである。



 
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7万台への挑戦 新しいカワサキのイメージ戦略の時代 18

2020-07-21 06:30:25 | 私の生き方、考え方&意見

★ この時代はいろんなオモシロいことも多いのだが、
 当時は私はカメラを持っていなくて、写真が殆どないのである。
 
 将来、こんな時代が来ることが解っていたら、間違いなくカメラは使ったのだが、
 当時は、『カメラなどで写さなくても、この目で確り見ればいい』などと、
 エラそうなことを思っていて、海外などもいろんなところに行っているのだが、
 そんな写真が全くないのは残念なのである。

 この時代のことを想い出すのは、日記を見ると記録は残っているので、
 その当時、どんな風に思っていたのか、日記を切り取って紹介してみたい。


★これは当時のヤマハオートセンターの杉浦斎さんが、89年1月に
 明石に来られた時のことを書いている。

 今は『レッドバロン』になっているのだが、杉浦さんお元気なのだろうか?
 歳は私の方が上である。
 業界では『うるさ型』で知られていて、杉浦さんと『さしで』長時間話された方など、
 そんなに多いとは思わないが、私は結構何度もお話をさして頂いている。


  


 この時も、朝から晩まで二人きりで話しているのである。
 それも殆ど『仕事の話』から脱線しないところが素晴らしい。
 一言で言うと『猛烈に熱心』なのである。

 議論はかみ合わないことの方が多くて、激しい応酬になることが多いのだが、
 厳しく文句を言われるのは常に、杉浦さんの方で、
 私が『ヤマハオートセンター』に文句を言うことは少ないのである。


  今は『レッドバロン』 このようなホームページに、
 このように紹介されている。
 


  

  




★一番最初に杉浦さんにお会いしたのは、
 ヤマハを辞めて『ヤマハオートセンター』を岡崎でスタートされた未だ1店の頃で、
 カワサキの特約店制度に特約店として加入されたころである。

 そんな頃からのお付き合いだったが、当時1店だけの頃も、
 横に安全運転コースを持ち、認証工場の資格も取っておられて、
 『カワサキの特約店』などと言っても認証工場の資格のないところも多い。
 と厳しく指摘されて、『確かに』その時分はそうだったのである。
 大阪に戻って堺の伊藤モータースに『認証を』と言ったのは、
 杉浦さんにそのように言われたからなのである。

 確かに、言われることは正論が多くて、それが厳しいので、
 普通の人は話をするのを『嫌がる』方が多いのだが、
 私は『杉浦さんとの話』は、やられることも多いのだが、結構楽しんでいた。

 杉浦さんも、流石に『言い過ぎた』と思われるのか、
 最初にお会いした時は、すぐウイスキーか何かお酒が家に届いたし、

 我が家には『杉浦さんからの贈り物』それも結構立派なものが並んでいる。


 これも杉浦さんからの贈り物である。

 
 
 

 こちらも確か、そうである。
 まだ、このほかにもいろいろある。

 結構、何度も話しているということなのである。







★『7万台、450億円の売上高』を目標にしてたこの時代も、
 カワサキモータースジャパンとヤマハオートセンターは
 その売上高を競っていたりして、
 杉浦さんは『カワサキに負けないように』と言われていて、

 当時も、ちょっとだけだが、ヤマハオートセンターの方が売上高で多かったように
 記憶している。

 なかなか、スケールの大きい『世界一のオートバイ屋』さんになったと思う。

 私自身は、杉浦さんだけでなく、
 業界で『うるさい』と言われてた方とは、何故か親密なのである。
 船場の岡田博さんとは、ホントに身近な存在だったし、
 船場さんのお弟子さんのような『伊藤彰』さんとも昵懇なのである。

 現役時代には、こんな方たちと
 いろいろと意見を戦わしたのが懐かしい。

 杉浦さんとは、この日記を見ると
 昼は菊水の鮨、夜は金龍閣と『明石では最高の接待をする』と記録があるが、
 多分間違いなく二人だけである。
 そして、その後岡崎まで帰られたはずである。

 ホントに杉浦さん、今もご健在で頑張っておられるのだろうか?
 大きくされているので、『後を引き受ける方』が大変だと思ったりする。
 私にとっては『いい想い出』なのである。

 
 
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コロナ問題いろいろ  雑感

2020-07-20 05:35:14 | 発想$感想

★ 東京都を中心にまた感染者が増加傾向と世の中騒がしい。


 こんなグラフを初めて見たのだが、
 多分、皆さんもこんなグラフをご覧になるのは初めてのことだろう。


 これは『現在の感染者数』を追っかけているグラフである。
 世の中は、『累計感染者数』ばかりを言っていたのだが、
 私は4月の初めから、ずっとこの『現在の感染者数』を追っかけてきた。

 この数値が一番『実戦的』だと思ったからである。


 
 




 『現在感染者数』=『累計感染者数』-『死者数』-『累計退院者数』 である。

 この『現在感染者数』は一時1万人に達したが、その後1000人を割って
 コレで終わるのかなと思ったら、また増えだして今は4300人なのである。

 確かに、ちょっと警戒しないといけないとは思うのだが、
    2週間もすると、死なない限り『退院者数』も増えてくるので、
 そんなに『現在感染者数』は増えないはずなのである。
 少なくとも、アメリカみたいにはなったりはしない。



★ 世界の状況と比べるとこんな状況なのである。
 アメリカの360万人などとは、全く別次元の話で、
 同じグラフでは日本は消えてしまうようなレベルなのである。


  




 確かにコロナも大変だが、
 数字だけでいうと『インフルエンザの死者数の3分の1』なのである。







★ アメリカでは2日続けて『7万人の感染者』が出たという。
 日本の『500人とか600人』とは別次元の数値である。

 




    
 そのアメリカのカリフォルニアには、娘家族もいるのだが、

 米カリフォルニア州の新型コロナウイルス感染症の記録によると、
 直近24時間に報告された感染者数は1万1529人
 累計の感染者数は27万1684人、死者は約6300人だという。

 やはり人口が多い、都会周辺が中心のようで、




  


 
 娘家族や、大谷翔平が住んでいるIrvineはまだマシなのかも知れないが、

 こんなところなのである。



  



 何事も『自己責任』がベースで、
 国や州にだけその対策を求めないのもアメリカだが、

 これだけ大きくなってるのに、その騒ぎ方は日本とは比べられない。

  こんな中でも7月からはサッカーの練習も再開のようだったが、
 流石に2週間伸びたらしい。



   
 
 

 そんなことで未だ家にいるようだが、
 昨日は、マスクをしての『ゴルフ練習』だったらしい。




  




★ 国がどうの、東京都がどうのと、騒がしいが、
 日本は世界の中では『抜群に上手くやっている』

 こんな『コロナ対策』は、行政もさることながら、
 『個人の対応』がベースなのだろう。

 別に致死率も『インフルエンザ以下』なのだから、
 あまり騒ぎたてずに、個人個人が確り対応したらいいのではと思ったりする。

 私自身は、『三木市』といういい環境の中で、
 『定年後』という別に『人と話をしなくてもいい』そんな日常生活のなかで、
 私なりに自由に、思う通りに動いていて、別に退屈もしていない。


 世界の中で、こんなテレビ放送をやってるのは、日本だけかも知れない。
 テレビ局も『コロナ問題』などあまり取り上げない方がいいのかも知れない。
 そんなに『特効薬』みたいなものもないのだから・・・・・
 
 
 
 
 
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やれば結構ちゃんと出来る??

2020-07-18 14:40:00 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 私は妻のことを『家内』と表現する。
 そんな表現は間違いなくあるのだが、
 我が家では、家の中のことは100%家内がやってくれる。

 私は、『全く』と言っていいほど『何もしない
 強いて言えば、最近は洗濯物を二階に運ぶのを毎朝やってあげること、
 新聞の夕刊・朝刊を取りに行くことぐらいしかやらない。

 毎日着る服も、外出する時の服装も、すべて『家内』が揃えてくれるから、
 私は黙って、それを着ているだけである。
 そんな服装などは、今は全く気にならない。

 現役の頃は、背広もネクタイも自分で選んでいたが、
 その頃は、それは『仕事の一環』だと思っていたのだろう。


 
★ ただ、家の外のことは、『すべて』私がやることになっている。

 毎週の『ごみ捨て』もそうだし、庭のことなどは全て『私の担当』なのである。
 スーパーの買い物も、『家内』は運転免許を持っていないので、
 常に『私が同伴』しての買い物なのである。

 別に、家の中のことをするのが『イヤでも嫌い』でもないのだが、
 『私のやり方』では、家内が気に入らないだけのことである。
 だから、『洗い物ひとつ』もやったことがない。



★ 昨日台所の奥に置いてある『電子レンジの調子』が悪くなった。
  重くて動かせないようなので、
  『コンセントがどうのこうの』というので、見てやった。

  ずっと置いてあったので、その裏は、『油だらけ』だったが、
  それらを全部動かして『掃除をした



 


  これは掃除をしたあとで、この表の方は大して変わってはいないのだが、

 後ろの方は、こんなに綺麗になった。
 表と変わっていないのだが、
 油で『真っ黒』だったのである。

  



 ただ、こんな『油汚れおとし』のクリーナーも、
 『ふき取る専用の紙』も揃っていて、
 やはり『専用の小道具』は大したもので、
 この後ろが『真っ黒』だったとは、誰も思えないのである。
 
  


 
 やり方は『少々雑』だったかも知れぬが、
 自分で言うのも何だが、
 『やるのは結構手際よくて早い』のである。


 ただ、この写真の手前にある『布巾』が使ったままでたたんでいない。
 多分、このあたりの『雑さ加減』が気に入らないのだと思うが、

 昨日は、少々動かすのに力が言って『出来ないこと』をやったので、
 『有難う』と言って貰ったのである。



 ただ、残念ながら『電子レンジは寿命』のようで、新しく買うことになるのだろう。
 新品が来てもそのまま置けるように、その環境は綺麗になったのである。

 自己満足だが、『やれば結構ちゃんと出来る??』と思えた昨日の出来事だった。


 
 
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ネットの記録の素晴らしさ

2020-07-17 13:28:52 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram

★ネットの凄さというのはいろいろあるのだと思うのだが、
 その中の一つに『詳細な記録が残る』というのがある。

 記録を残すのは、日記やブログやFacebook など、
 私自身も毎日、続けているのだが、
 それを纏めて記録として残すのは、とても人の力ではできないことだと思う。


★ ツイッターは 2009年12月にスタートして、
 今現在『53万人』のフロワーがいて、
 放っておいてもフォロワーの集まる有名人を除くと
 『53万人は全国15位』レベルなのである。


  


 ツイッターをスタートした10年前は、
 フォローをすることに寛容で、
 毎日1000人のフォローが出来たのである。
 
 1000人フォローすると粗っぽく言って『500人のフォロー返し』があったので、
 
 10日で5000人
 1ヶ月で1万人
 1年で10万人
 それを6年続けたら60万人  にもなったのだが、
 
 その頃から、フォローが厳しくなって、
 最近は私だけではないのだが、
 毎月、少しづつだが『フォロワーは減少状態』なのである。
 


★ 少しづつ減少しているとは言え、
 毎日ツイートすると、50万人の人に届くのである。
 50万人といえば「神戸新聞」のレベルなのである。

 そんなツイッターだが、
 毎月一番反響の多かったトップツイートを記録してくれて、
 このように詳細に纏めてくれるのである。
 こんなことは『人の力』では到底無理である。



● これが1月の『トップツイート』で、
 398192人のツイートインプレッションがある。
 
 内容は
 『今年はカワサキが二輪事業をスタートして60周年になること』

 




● 2月は今年のテーマにもなった『コロナウイルス』のことを書いたら、
 それがトップになった。







● 3月はこれも『コロナ問題
 桜井よしこさんの意見を紹介したら、
 ツイートインプレッションは、443645となった。







● 4月も『コロナのこと』がトップになった。

 別に『コロナのこと』ばかり書いている訳ではないのだが・・・・
 世の中『コロナ問題に関心が高い』のである。







● 5月も緊急事態宣言のことがトップに来て、
 トップインプレッションは50万台を記録した。
 
 『ろくちゃん』というのは大学の野球部の後輩で女子のマネージャーだった人。
 孫のサッカーのことなど、見てくれてるのである。








● 6月はカワサキ時代の話、
  私の人生の恩人、『小野田滋郎さん』のことがトップに来た。

  『図示説明せよ』と言われたが、お蔭様で身に付いた。







★ 折角、毎月このようにツイッターが纏めてくれるので、
 自分のためにこのように纏めてみたのである。

 このブログも当然ながら、
 gooブログにアップされて1000人ぐらいの方が訪問されるし、
 Facebook でもいろんな方からコメントを頂いたりする。
 そして、勿論『ツイッター』にもアップするので、
 数としては断然多くの方たちの目に触れたりする。


 gooのブログも2006年9月からスターとしていて、殆ど毎日続いている、
 

 Googleで 『三木市 雑感日記』と検索すると
 こんな画面が現れるし、

 


 



レースライダー 雑感日記』と検索すると
こんな懐かしいライダーたちが現われるので、
写真帳など創らなくても検索したらどんな写真でも現れたりする。


 





 
サッカー 雑感日記』 と検索したら、


 孫も息子の写真も現れたりするのである。





★こんなことは『ネット』でなければ無理である。

 そういう意味では『ネットは上手に使う人』には
 それなりに『応えてくれる』のである。
 そんな『ネットに出会えてよかったな』と思っている。


 

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梅雨の晴れ間の1日

2020-07-17 06:00:19 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 毎年「梅雨はそんなに雨も降らないな」と思ったりしていたが、
 今年の梅雨は雨ばかりである。
 
 昨日はそんな『梅雨の晴れ間』がぴったりの天気だった。

 東京はコロナで大変だが、
 コロナとは全く無縁の『健全な毎日』が4ヶ月も続いている。

 今朝も朝から三木総合防災公園で2時間ほど動いてきた。
 公園が広いからか、都会に比べて人が少ないからか、
 大して人影も見えないし、殆どの人がマスクなどなしに、
 ジョッギングや散歩を楽しんでいる。

 勿論私もマスクなどしていない。
 東京などとは全く違った環境なのである。


★ この6,7月の季節、なぜ草はこんなに生えるのか?
 午後は、草抜きと植木の剪定などで、時間がつぶれた。

 
 名前も知らぬが、こんな樹に初めて花が咲いた。
 いつもは短く切ってしまうので、花芽も刈ってしまっていたのだろう。
 花が咲いてびっくりした。

 


 
 今年の春は赤い実をつけなかった万両、
 今年はいっぱいの花である。

 結構大きくなっているので、紅い実が付くと見事なのだが、
 その足元には草がいっぱいである。






 千両も花を付けている。





 草だけではない、今年初めて冬を越した『ホテイ草』

 


 草に負けずにどんどん増えて、バケツにいっぱい。

 このバケツ、メダカの卵が付いているであろうとバケツに入れている。
 20日ほど放っておくとメダカが泳いでいる。
 不精な増やし方である。

 



 今年もマスカットは実をつけなかったが、『ブルーベリー』はいっぱいである。

 



 毎年枝を切るのだが、それでもどんどん伸びて、
 こんなに沢山なっている。
 マスカットは枝は伸びて、確か4年目だが、4年ではならないのだろうか?






 そんな午後、隣のネコが遊びにやってくる。

 最近は、よくなれて寄ってくるようになった。


    



 昨日も、話をしたのは家内だけ、
 GO TO キャンペーンも無関係だし、コロナとは無縁の毎日なのである。

 
 忘れてた。
 今年挿し木したばら。
 鳥が運んできた山椒、梅の実、
 小さな新しい命がスタートしている。

   


       

 
 
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