雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

相信会に出席して

2013-07-31 06:01:07 | カワサキワールド

 

★昨日は川崎重工のOB会である『相信会』に出席した。

川崎重工の騒動があって新体制になってから初めての会合であった。

 

 

 

新しい体制になって、その経緯など説明があるのかと思ったりしたが、

殆ど、それらしいことはなくて、新 村山滋社長の乾杯の音頭で会は和やかにスタートした。

 

会の始まる前に、相信会の年次総会があり、ここでも新しいメンバーが紹介された。

高橋鉄郎会長時代から長く相信会の世話をされた北村敏さんも今回で退任のようである。

『何年やった?』と聞いたら『12年』という答えが返ってきた。

 

みんな歳をとるはずである。

懐かしい方にも沢山お会いできたが、この1年でお亡くなりになった会員の方も多くて寂しい。

特にお世話になった山田煕明さんに続いて岡田愿介さんもお亡くなりになった。お二人とも中学校の先輩でいろいろと面倒を見て頂いたし、いろんな想い出いっぱいなのである。

勿論、お元気な方はいっぱいだが、私の周りでも最近は顔をお見せにならない方も多い。

 

 

そんな中で、こんな3人の方とお会いできた。

 

みんな,かっての単車の仲間で、いろいろと関係もあったのだが、みんな川重の、相信会の中心でご活躍である。

左から三原さん、松岡さん、原田さん。  みんな『さん付』で書いているが、面と向かって雑談するときは、どうしても『くん』になってしまう。

私よりはずっと後輩だし、原田など大学の野球部の後輩だから、『くん』もとって、『原田』と呼ばないとどうもしっくりしない。。

 

三原さんは、元川重の副社長、と言うより元Kawasaki UKの社長さんでもある。 そのころからいろいろとあった関係なのである。

松岡さんは、現川重副社長、今回の騒動の中心人物だが、30年も前KMCに出向中は、いろいろ単車再建を手伝ってくれた若手の中心だった。今後の川重の経営にもあの頃の経験が生かされると期待している。

原田くん、単車から当時再建中の建機事業部の事業部長などもやっていた。

そんな彼の時代に、高橋鉄郎さんに頼まれて私は現役の最後の2年間を北海道川重建機の経営で原田君のお手伝いで、札幌で2年間を過ごしたりした。 今彼は相信会の常任幹事か何かで頑張っている。

 

こんな3人が、顔を揃えるのも珍しいので、写真を撮ってきた。

いろんな過去の歴史の上に今の川崎重工がある。

昨日はお会いできなかったが、もう一人の現役副社長は単車出身の高田さんなのである。

 

 

★もう一人久しぶりに珍しい人にあった。

富田健司くん、今は執行役員で企画本部長である。

相信会の総会の後川崎重工の経営状況の説明をしてくれた。

ちょっとこの数年足を引っ張った単車事業も前期は黒字転換をしたし、今期は100億の利益を目指すようでご同慶の至りである。

この富田くんも、30年前単車の再建時代は、KMCに出向して手伝ってくれた本社の若手の一人であった。

 

私のような単車のスタート時期の苦しいことばかりの時代に育った者から見ると、

今の川崎重工の経営の真ん中には、川崎重工業は重工業であることには間違いないが、

単車の、民需量産事業海外での事業展開などのノウハウがいっぱい詰まった会社になっているはずである。

かって、本社の中枢には単車事業など解る方など、殆どおられなかったのである。

時代は変わったな とつくづくそんなことを思った。

 

富田君の説明の中には、当面は500億の利益計画だが、近い将来1000億円の利益を目指すと言っていた。

多分、このような経営陣が引っ張るならその可能性は高いのでは、とそんなことを思いながら戻ってきた相信会であった。

 

 

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二輪文化を伝える会

2013-07-30 05:54:22 | NPO The Good Times

 ★二輪文化を伝える会  という特別プロジェクトが昨年の7月にスタートしました。

ちょうど1年が経過しましたが、1年間と言うのは相当な時間で、その気でやればいろんなことが出来るものだと思いました。

以下に、その内容をそのまま転記してみますが、松島裕さんが、殆ど独りで創り上げた記録です。

 

あと1年経った来年にはどんな状況になっているのでしょうか?

松島さんは、『30年掛けて完成させる』と言う長期の計画で取り組んでいます。

 

 

 二輪文化を伝える会について

「二輪文化を伝える会」は、ホームページやソーシャルネットワーキングサービス(SNS)などを通じ、それらと連動したイベント等を開催し、多くの方々に参加していただくことで、二輪の素晴らしさ、オートバイやレースの歴史などを、世代・地域・業種などの垣根を越え、分野を問わず伝え広めていく活動を行います。

NPO法人 The Good Times古谷錬太郎理事長)の「二輪文化を語る会」の団体プロジェクトとして、2012年6月より活動を開始しました。

日本の二輪文化バイク文化には誇るべき点はたくさんあるはず

日本には、世界の4大メーカーが存在し、全世界における日本メーカーのシェアは約40%。モーターサイクルスポーツの世界でも、長年にわたりチャンピオンマ シンとして君臨し、数多くの世界チャンピオンライダーも輩出してきました。
そう、世界の誰もが認めるオートバイ王国なのです。
ところが実際に国内を見てみると、どうもオートバイ王国というにはほど遠いのが現状です。
そこで、ただ単に欧米と比べるのではなく、まず日本の二輪文化の誇るべき点は何なのか?ということに焦点を当て、オートバイに情熱を燃やした方々や歴史的な出来事をもう一度整理して焦点を当ててみようと思いたちました。
するとどうでしょう。ちょっとバイクには詳しいつもりでしたが、あまりに知らないことばかりに驚かされます。

「三ない運動」により失われた時間を取り戻そう

その背景には様々な事情があるとは言え、かつて一部教育界が推し進めた「三ない運動(バイクを運転させない、買わせない、免許を取らせない)」により、もっとも乗り物に興味を示す年代の少年少女たちを、バイク(車も)から遠ざけてしまうことになりました。
悲しいかなその効果は十分すぎるほど十分で、オートバイをはじめとする乗り物に「夢とロマン」を感じた経験のない人たち・世代が増えてしまいました。
この約三十年の間に失われてしまったものを取り戻すためには、「夢とロマン」の詰まった二輪車の魅力について、やはり三十年くらいの年月をかけるつもりで、語り伝え続けることが必要なのではないでしょうか。

郷土史や民族史を学ぶのと同じように

懐かしい話題が多くなりますが、懐古主義というわけではありません。
多くの国や民族が、子供世代に郷土史や民族史を学ばせるのと同じように、日本に生まれ、オートバイに興味を持った人には、世界に誇る日本のオートバイについて、その歴史を知ってもらい、バイクを愛するものとしてのアイデンティティを確立し、それを誇りに感じながら充実したバイクライフを送っていただきたい。
今後三十年かかっても、そんな誇り高いバイクライフのための道しるべとなることが「二輪文化を伝える会」の本分でもあります。

まずは私たちが知ることから、そしてそれを伝えていく

日本のオートバイが世界を席巻するようになったのは、オートバイに情熱を注ぎ、発展や普及に尽力された方々がたくさんいるからにほかなりません。
そんな方々にいろいろなエピソードや苦労話を語っていただくこと、そしてそれを今現在オートバイに興味を持っている私たちが知ること・感じること、さらにそれを次世代や異業種、異地域の人たちに伝えることができたら、日本の二輪文化はもっと発展成熟し、世界に誇れる文化に進化していくことでしょう。
より深く心に残せるように、諸先輩方にできるだけ直接お話を聞けるトークイベントなどの機会を作りたいと思っています。

現代の情報ツール・インターネットを活用して

今はインターネット時代。ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)などのサービスも普及し、日本のみならず世界中の人たちと簡単に繋がることができる時代です。
これらのサービスをうまく活用し、活動主旨に基づいて多くの方たちに日本の二輪文化に関する情報を届けることができれば、その進化発展に少なからず影響を及ぼすことができるかもしれません。
ただし、失った三十年を取り戻すには、やはり三世代三十年はかかるとは思いますが・・・。

まずはTwitterでフォロー、Facebookで「いいね!」から

Twitterで二輪文化を伝える会のアカウントをフォローしてください。
二輪文化を伝える会のFacebookページの「いいね!」を押してください。
そんな緩い繋がりからスタートです。

そして、リツイートしたり、シェアしたりして、あなたのフォロワー・友だちにも伝わるようにしてください。

カード会員と協賛

カード会員になると、二輪文化を伝える会のイベントや協賛企業(今後予定)の特典を受けられるようになります。
(※カード会員はNPO法人The Good Timesの会員システムを利用しています。入会金1,000円のみで年会費等はありません。)
カード会員は個人だけでなく法人・団体も入会できます。

また継続的な運営のために、ホームページのバナー協賛やイベントの協賛企業様も順次募集します。

運営メンバー

「二輪文化を伝える会」の運営は、

 

統括 村島 邦彦(株式会社インターナショナルトレーディングムラシマ
広報 松島 裕(松島企画
企画 早川 浩人(スクリーンアウト)
伊藤 洋一(ベストコレクター
事務局 東京都杉並区浜田山1-23-7
(株)インターナショナルトレーディングムラシマ 内
Tel : 03-3304-8503
相談役 古谷錬太郎(元川崎重工技監、NPO法人The Good Times理事長)

資料・写真ご協力

数々の貴重な写真や映像、資料等のご協力をいただいた皆様です。ありがとうございます!

 
 
 
 
 
 
★こちらは バイク年表  と 人物伝 です。
 
勿論、まだ未完成でしょうが、相当のレベルだと思います。
 
 
 
 

日本バイク年表

 

1896年(明治29年)〜1912年(明治45年)

1896年(明治29年) モーターサイクル伝来。日本で初めてオートバイが人の前に姿を見せたのがこの時と言われています。
1909年(明治42年) 島津楢蔵が国産1号車 NS号を完成させる

1912年(大正元年)〜1926(大正15年)

1913年(大正2年) 鳴尾競馬場でオートバイレースが開催される
1914年(大正3年) 宮田製作所 国産初の市販車アサヒ号を発売
1923年(大正12年) 月刊オートバイ 創刊
1926年(大正15年) 第1回全国オートバイ競争開催(愛知県津島)

1926年(昭和元年)〜1945年(昭和20年)

1930年(昭和5年) 多田健蔵 日本人初のマン島TTレース出場
1933年(昭和8年) 宮田製作所 アサヒ号AA型発売(初の国産量産車)
1936年(昭和11年) 陸王内燃機 陸王号の生産を開始
多摩川スピードウェイ 開業(日本初の常設サーキット)
1937年(昭和12年) メグロ メグロ号(Z97)発売
1945年(昭和20年) 第二次世界大戦終結

1945年(昭和20年)〜1949年(昭和24年)

1946年(昭和21年) 富士産業(富士重工)がラビットS-1を発売
みづほ自動車 自転車用バイクモーター「ビス・モーター」発売
宮田製作所「アサヒ号DC型」(200cc)発売
1947年(昭和22年) 中日本重工業(三菱重工)がシルバーピジョンC-10を発売
ホンダ、A型自転車用補助エンジン生産開始
1948年(昭和23年) 二輪車免許区分(小型第三種・第四種)新設
本田技研工業設立
1949年(昭和24年) ホンダ ドリームD型発売
自動二輪車免許(名称)新設
日本小型自動車工業会 設立
第1回全日本モーターサイクル選手権が多摩川スピードウェイで開催

1950年(昭和25年)〜1952年(昭和27年)

1950年(昭和25年) 6月 朝鮮戦争(〜1953年)朝鮮特需
7月 第2回全日本モーターサイクル選手権(多摩川スピードウェイ)で大村美樹雄が優勝
1951年(昭和26年) 3月 丸正自動車ライラックML号発売
10月 ホンダ、4サイクル146ccのドリーム号E型発売
1952年(昭和27年) 1月 富士精密工業 自転車補助エンジン BSバンピー号発売
3月 ホンダ 自転車補助エンジンキットカブF型(50cc)発売
4月 スズキ 自転車補助エンジン パワーフリー号(36cc)発売
7月 ガソリン統制解除

1953年(昭和28年)〜1954年(昭和29年)

1953年(昭和28年) 3月 名古屋TTレース開催
3月 スズキ ダイヤモンドフリー号(2st 60cc)発売
7月 第1回富士登山レース開催
川崎機械工業が自転車補助エンジンの生産開始、明発工業(メイハツ)設立
1954年(昭和29年) 2月 ホンダ・メグロ 戦後初の海外レース(ブラジル・サンパウロ)に挑戦
3月 ホンダ マン島TTレース出場宣言
6月 スズキ 4サイクル90ccのコレダ号CP型を発売。社名も鈴木式織機から鈴木自動車工業に変更。
第2回富士登山レース開催
日本楽器 オートバイの開発に着手

浅間時代:1955年(昭和30年)〜1959年(昭和34年)

1955年(昭和30年) 2月 ヤマハ(当時:日本楽器)二輪事業参入 YA-1発売
7月 ヤマハ発動機創立
7月 第3回富士登山レース
11月 第1回浅間高原レース開催
1956年(昭和31年) 6月 浅間高原テストコース協会 設立、コース建設開始
7月 第4回富士登山レース
1957年(昭和32年) 7月 浅間高原自動車テストコース完成
10月 第2回 浅間火山レース
1958年(昭和33年) ヤマハ アメリカ・カタリナGP出場、伊藤史朗6位
MCFAJ 設立
第1回全日本クラブマンレース開催(浅間高原テストコース)
ホンダ スーパーカブC100発売
1959年(昭和34年) 第1回全日本モトクロス大会(大阪信太山)開催
ホンダ マン島TTレース初出場
谷口尚己 世界選手権初ポイント獲得(マン島TTレース6位)
第3回浅間火山レース+第2回全日本クラブマンレース開催

1960年(昭和35年)〜1964年(昭和39年)

1960年(昭和35年) 第2回MCFAJ全日本モトクロス(朝霧高原)
1961年(昭和36年) MFJ 設立
高橋国光 世界グランプリ初優勝(西ドイツ 250cc ホンダ)
1962年(昭和37年) 鈴鹿サーキット誕生
第1回全日本ロードレース大会開催(鈴鹿サーキット)
1963年(昭和38年) 伊藤史朗 デイトナ250ccクラス初優勝(ヤマハ海外レース初優勝)
伊藤光夫 マン島TTレース日本人初優勝(50cc スズキ)
伊藤史朗 ベルギーGPでWGP初優勝(250cc ヤマハ)
名神高速道路 一部開通
1964年(昭和39年) 川崎重工 メグロを吸収
トーハツが倒産
東京オリンピック開催・東海道新幹線開業
1965年(昭和40年) 高速道路でのヘルメット着用義務化と二人乗り禁止
1966年(昭和41年) 富士スピードウェイ開業
1968年(昭和43年) 富士重工 ラビットの生産終了(4メーカー時代へ)
東名高速道路 一部開通
1970年(昭和45年) 筑波サーキット開業
1977年(昭和52年) 片山敬済 世界チャンピオン獲得(WGP350)
1978年(昭和53年) 自動二輪車のヘルメット着用義務化
渡辺明 世界チャンピオン獲得(WMX125)
1982年(昭和57年) 三ない運動 全国に広まる
1993年(平成5年) 原田哲也 世界チャンピオン獲得(WGP250)
1994年(平成6年) 坂田和人 世界チャンピオン獲得(WGP125)
1995年(平成7年) 青木治親 世界チャンピオン獲得(WGP125)
1996年(平成8年) 青木治親 世界チャンピオン獲得(WGP125)
1998年(平成10年) 坂田和人 世界チャンピオン獲得(WGP125)
2001年(平成13年) 加藤大治郎 世界チャンピオン獲得(WGP250)
2004年(平成16年) 藤波貴久 世界チャンピオン獲得(トライアル)
2006年(平成18年) 高速道路二人乗り解禁
 
 
 
 
 
 

人物伝

2013.7.2 更新

  • 安良岡健(1960〜70年代に3メーカーのワークスライダーとして活躍)
  • 伊藤史朗(第1回浅間高原レースで優勝した幻の天才ライダー)
  • 伊藤 正(丸正自動車の創業者)
  • 伊藤光夫(1963年にマン島TTレースで優勝した初の日本人)
  • 宇野順一郎
  • 大村美樹雄(1954年ブラジル・サンパウロ市政400年記念レースに出場)

  • 糟野雅治
  • 片山敬済(1977年ロードレース世界グランプリ350ccチャンピオン)
  • 片山義美
  • 金谷秀夫
  • 川上源一(ヤマハ発動機株式会社の創業者)
  • 北野晶夫(大藪春彦の小説「汚れた英雄」の主人公)
  • 北野 元(1954年全日本モトクロスでデビューウイン。元ホンダワークスライダー)
  • 久保和夫(1965年日本人として初めてモトクロス世界GPに出場)
  • 黒澤元治(1962年第1回全日本選手権ロードレース・鈴鹿、ノービス50cc&125cc優勝)
  • 小嶋松久(1964年第1回MFJモトクロス日本GP50cc優勝。マウンテンライダース初代代表)

  • 島津楢蔵(明治42年にオートバイ国産一号機を完成させた技術者)
  • 十文字信介(明治29年に初めて日本にオートバイを輸入し走らせた人)
  • 菅家安智(昭和40年第2回MFJモトクロス日本GP 50ccクラス優勝)
  • 鈴木高治(村田延治と共に目黒製作所を創立)
  • 鈴木忠男(1970年インターナショナルロードレースオランダ戦日本人初優勝)

  • 高橋国光(1961年に世界グランプリで日本人初の優勝)
  • 多田健蔵(昭和5年にマン島TTレースを走った初の日本人)
  • 谷口尚己(1959年マン島TTレースで6位入賞、日本人初のポイント獲得)
  • 田代勝弘(メグロのライダーとしてブラジルに派遣、浅間高原レースにも出場)

  • 根本 健
  • 野口種晴(ヤマハ初代ワークスライダー。スポーツライダー代表として多くのライダーを輩出)
  • 野村順亮(野村モータース創業者。ヤマハの創業時に大変な功績のあった人で野口種晴さんの義兄)

  • 長谷見昌弘(1962年 高校生ながら全日本モトクロス50ccクラス優勝)
  • 本田宗一郎(本田技研工業の創業者)
  • 星野一義(1968年全日本モトクロス90,125ccチャンピオン。4輪転向後は「日本一速い男」の異名をとる)

  • 村田延治(鈴木高治と共に目黒製作所を創立)
  • 本橋明泰(元ヤマハファクトリーチーム)

  • 山本 隆(昭和42年MFJ全日本モトクロス初代チャンピオン)
  • 吉村太一(1967年MFJ全日本MX 125チャンピオン、70年全日本MX125、250チャンピオン。RS TAICHI創業者)

  • 渡辺 明(1978年モトクロス世界グランプリ125ccチャンピオン)

 

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粟生線の未来を考える市民の会

2013-07-29 06:20:37 | 発想$感想

★『粟生線の未来を考える市民の会』の総会が小野市の好古館で行われたので、昨日の午後出席した。

 

 

2011年、粟生線の存続が騒がしかったころ、いろんな動きがあった中の一つで、

何となく、その最初の段階から関わっている。

 

所詮は神戸電鉄自体の問題だから、その存続についてどうこう言うこと自体がムツカシイのだが、

『粟生線の未来を考える』と言う立場は、いろんな側面もあるのだろうから、 『存続を』と言うことではなくて『その未来を』いろんな側面から考えてみようと言うことだと思っている。

企業の考え方行政の取る方向などなかなかムツカシイのだが、ホンネで、本気に取り組んでいるところは、少ないような気もする。

 

そんな環境の中で、『粟生線の未来を考える市民の会』自体は、それなりに真面目に取り組んできたことだけは確かである

ちょうど2年が経過したが、これからの1年が最も大事な1年なのかなと思ったりする。

 

 

★ものごとは、 『想いが実現』しなければ、あまり意味がナイと思っている。

一般には、『想い』や『基本コンセプト』は実現していないが、いろいろと具体的なイベントや、努力もしたし、真面目に取り組んだから、それで満足してしまっていることの方が多いのだが、

私自身は『実現の可能性がない』ものには、どうしても興味、関心は薄まってしまうのである。

 

昨日の総会では、大藤武彦さんと言う交通の専門家の講演も聞いたのだが、確かに仰ることはその通りなのだが、それを実行することは現実にはムツカシイことが多すぎると思ったりした。

昨日の会合のメンバーは、三木市民の粟生線問題に関心のあるひとたちに加え、議員さんも、市役所の担当部門の人も、交通問題の専門家に近い人たちもいるのだが、その人たちが協働出来る仕組みにはまだなっていない ように思う。

私自身は、

この問題は『異種、異質、異地域の人達』が 『粟生線』という一つの問題を、単に存続と言うことではなくて、『地域の活性化』も含めて『その未来を考える』方向だから、

NPO The Good Times のトータルシステムは、最高に機能するというように思っていたし、今でもそう思っている。

 

★今年から世話人代表の山本先生が Y's フォトコンテストをスタートされているが、このシステムがどのように機能するのか?
これはなかなかいいと思っているのだが、どうしても具体的な写真と言うことに集中してしまうので、大きな波になり難い状況になっている。

なかなか説明は難しいのだが、同種の人たちよりは異種の人たちの方がキーパーソンかも知れないのである。

何ごとも、関心の強いキーパーソンばかりに目が行って、その周辺にいるアマチユアを見逃してしまう傾向がある。

ものごとの実現には、

オピニオンリーダーと同じくらいその周辺にいるアマチュア軍団の参加意識を徹底する方が成功の早道なのである。

 

 

★先日グリーンピア三木で、KAWASAKI THE LEGENDS & FUTURE というKAWASAKI Z1 FAN CLUB のイベントを行った。

世界からZのプロたちも勿論集まったのだが、その周辺に集まったアマチュアたちの参加があって、初めて今までのZ1イベントと差別化された大成功のイベントになったのである。

これが同種ではない、異種の力なのだと思っている。

 

その会合には、たまたまだが『粟生線の未来を考える市民の会』の板東聖悟ペアも出席されていた。板東さんはバイク乗りだがZの世界には何の関係もないのである

冒頭のプロたちのご紹介の時に、板東さんも、神戸市役所の藤田さんも、この世界のプロたちと同じレベルでみなさんにご紹介をさせて頂いた。

同種だけではナイよ、異種もいるよ との私自身の宣言だったのである。

でも、なぜ、Zの世界とは直接関係のない板東さんや、藤田さんが5000円もの会費を払って参加されるのか?そこのところをご本人に聞いてみたいのだが・・・ なぜ関心があったのか? これはトータルの仕組みと、過去の取り組みの積み上げの結果だろうと思っている。

そんな大きな仕組みがナイと、ただ単にものごとを積み上げただけでは、なかなか部外者を引きこむことは難しい。

理屈をつけて、Zを販売したことのあると言う営業の連中などなど、従来のZの世界から見ると部外者がいっぱいいたことで、逆にZの世界が強調されたし、Zのプロたちが映えて見えた ような感じであった。

そんなカラメテからの、一般の無関心の人たちを引っ張りこむ戦略で臨まない限り、真面目一方では難しいと思っている。

 

大体、粟生線問題など関心がある人は、元々そんなに多くはないのである。関心のない人を、『写真で取り込む』発想はいい。  さらに一歩進めて、その周囲の人たちをさらに取り込んで、いつか『粟生線』を関心事にする、そんな方向がいいと思う。

せめて、5000人ぐらいイナイと、ダメだと思うと申し上げてるのだが・・・

板東さんも、藤田さんもNPO The Good Times の10000人近くいる会員のなかの一人なのである。 そんなに誰もが関心など持ってはくれないのである。昨日の総会も200人の会員さんの10%ほどの出席だったのである。

 

 このY'sフォトコンテスト  の主催は Dr. Y's Office だが

NPO The Good Times と、 『粟生線の未来を考える市民の会』とは、その共催者とされているので、ちょっと意見を申し上げているのである。

 

 

★昨日の総会は無事終了した。

世間一般の総会とはちょっと差別化出来ていることはいい。

あとは、あまり具体的なことばかりに、例えばイベントのそのことばかりに集中しないことである。

終わってしまえば、それで終わりというイベントはお祭りと同じである。

 

イベントは単なるロケ、 目的はそんなロケを繋いで、 如何に立派な映画が創れたか と言う仕組みの問題なのである。

 

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球根にして残すこと

2013-07-28 05:53:10 | 私の生き方、考え方&意見

 

今日は、私の勝手な想いを・・・・

 

 

★ 池澤文隆さん、Kakogawalionyaという加古川の老舗のカバン屋さん のご主人なのだが、

私との関係は、むしろ 山本隆くんの熱烈なファンの一人であり、

NPO The Good Timesの団体会員さんとしての二輪関連でのお付き合いなのである。

 

 こんなバナーがNPO The Good Times のホームページにホントに早い時期から貼られている。

 

『ホントに星野インパルの下に、並んでバナーが貼られるのですか?』などと言われたりした

本職は立派なカバン屋さんだが、 加古川の商店街の活性化 などおやりになっている。

 

 

 

★ つい先日このブログで 『モノの整理』と言うテーマで意見を述べて、

Facebook にもアップしたのだが、 それをシェアして頂いているのである。

 

 

 

 

ここでは、モノの整理について、『捨てること』を中心に述べている

そして、池澤さんそのコメントでこんな風に仰っている。

 

 

 

 

★確かに私は、何でも捨ててしまうのだが、

『形のないもの』 『場所を取らないもの』など、『ソフト分野』は、

捨ててしまわずに、球根の形で残しておく』 といつか時期が来れば、水さえやればちゃんと生き返るのである

 池澤文隆さん、Kakogawalionyaさんは、私にとっては大事な『球根』のひとつなのである。

 

      

 

なぜ?

なぜ?と言われても困るのだが、何となく可能性があると思っている。

その理由を敢えて並べてみると、

● まず、バイクファンである。 山本隆に対しては特別なものを持っている。

● NPO の初期からの団体会員さんで、ある意味関心をお持ちである。

● 冒頭、ご紹介したようなブログもずっと続けられていて、FBもおやりだし、ネットの関心もお持ちである。

● 加古川の地域商店街の活性化に関係しておられて、イベントなどいろいろ関係したこともあった。

● 生き方が兎に角真面目なのである。

 

こんな方だから、NPO The Good Times のシステムを本格的に、利用されたら、多分池澤さんの想いの実現は容易だと、私は思っているのだが、池澤さんはそのことには、多分まだ気付いておられないのではと思うのである。

それなのに、私のFBのサイトをシェアしたりはなさるのである。

何の関心もなければ、シェアなどされる訳はないのだが・・・・

上手く仕組みを使われたら、『人生が変わる』 と言っても過言ではない。

 

『二輪文化を伝える会』の松島裕さんも、そんなお一人だと言っていい。

もう5年近いお付き合いだが、『二輪文化を伝える会』をスタートされたのは昨年の7月のことなのである。

1年と言う月日があれば、こんなに変わるという見本みたいなものである。

 

 

★来年4月、あともう少しだが、

来年4月には、私はNPO The Good Times の理事長職を山本隆くんに譲る と宣言してこの1年をスタートしている。

はじめは、冗談みたいに思っていた、山本隆くんも最近では何となくその気になってきた。

彼の地元加古川で、何か町の活性化のようなそんなプロジェクトでもスタートしたらいいなと、勝手にそんなことを思っている。

 

その時は、Kakogawalionya さんにも球根から目を覚まして、などと思っているのである。

加古川、それ以外にも 私の球根で眠っているところは、沢山あるのだが・・・・

 

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日本の政治 雑感

2013-07-27 05:52:23 | 政治

 

 

日本の政治』 と検索したらこんなサイトが現れた。  

後でゆっくり読んでみたい。

 

『日本の政治COM とは  こんなコンセプトのようである

 

 

 

★ それとは一切関係ない、私の日本の政治雑感である。

 

参議院選挙の結果は予想通りの自民党の圧勝に終わった。

今後、日本の政治はどのようになっていくのであろうか?

 

なかなか理屈通りには行かないものである。

2大政党になるはずであった選挙制度だが、自民党とその他の政党と言う1党突出の構図になってしまった。

安倍政権が、国民のために、国のために、いい政治をして行くのであれば、こんな構図もいいのだが・・・

 

『自民党』と言うけど、1枚岩ではない。  いろんな人たちの集まりなのである。

旧い利権や、自らの地盤を守ろうとする人たちと、新しい改革にチャレンジする人たちが混ざっている。

 

 

アメリカなどは、なぜ2大政党が存在し、それがずっと続いているのだろうか?

アメリカには共産党や、社会党のような発想をする人たちはいないのだろうか?

よく解らないが、不思議である。

 

 

★政治について言うなら、兎に角 議員の数が多すぎる

国会議員のレベルが低くなってしまうのも、数が多いからだと思う。

今の議員数の半分もあればいい

日本の国で『議員』と言う国民の税金で生活しながら、国や地域のためには働いていない人が多すぎる。

 

自分のために、票集めばかりやってる人が多いから、みんな政治に関心がないのだと思う。

思想や、やり方は少々異質だが、『橋下徹さん』のような型やぶりの政治家がいっぱい現れないと、日本の政治は変わらないのではと思ったりする。

 

 

★政治は党員にならないと、党がナイと機能しないような仕組みになってはいるのだが、

その党がどうもはっきりしないので、私などは党よりは人、『無党派層』になってしまうのである。

兎に角、政治の世界は、よく解らない。

どうやればよくなるのかもよく解らない。

 

だから信頼できるような、あまり言うことが変わらない人に乗ってみたいと思っている。

安倍さんも、橋下さんも、そんな一人だと思っている。

他にも信頼できそうな人はいろいろいるのだが、それが集まって党になると、ホントに大丈夫かなと思ってしまうのである。

何年か前に、あれだけ国民が期待した民主党が馬脚を現してしまった。 リーダーがダメだったのだと思う。

 

やはり 傑出したリーダー次第 だと思う。

 

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モノの整理

2013-07-26 06:31:11 | 私の生き方、考え方&意見

★『モノの整理』とはどういうことなのであろうか?

 

永く生きてきたが、ものごとの整理や、書類の整理などは、得意の方だと思っている。

ホントに要るものだけを残して行かないので、結局は、何にも解らぬ状態になってしまうのだと思う。

要は、自分が管理出来るレベルを維持しない限り、整理をしたことにはならないのである

 

そのためには要らないものを、どんどん捨てること である。

 

 ★2か月前に母が亡くなった。

103歳だったから長生きだったのだが、長く生きていた分いろんなものを持ったままの生活であった。

なぜ、あんなにモノ持ちがいいのかと思うほどいろんなものを持っている。

 

私と正反対で、捨てきれないのである。

その母の部屋の整理を、昨日妹たち4人が来てやってくれた。

その総指揮は長男である私がやった。

母の持ちモノの内、残さねばならぬものは?  結果は殆ど不要のものに選別されたのである。

妹達が幾つか遺品を持って帰った。私も出てきた父の写真や財布など幾つかは残したが、息子や孫に引き継ぎたいものだけにした

 

 

 

 その結果が翌朝の庭先、こんな状態である。

よくまあ、6帖の部屋にこれだけ入っていたものである。

その整理を昨日の内に三木市の処分場まで3回往復して全部綺麗になったのである。

 

確かに、まだまだ使えたり、着れたりするものもあったのだが、思いきってみんな処分してしまった。遺品だと言ってみても私がそう思うだけで、息子や孫たちには大したものにはならないのである。

だから、息子や娘や孫たちに私が残してやりたいものだけに絞った。

息子や娘よりはむしろ孫たちに残してあげたいものだけにした と言う方が当たっている。

 

 

 

★沢山のアルバムもあったが、その中から数枚だけを残した。

これは、伯父と父の写真である。 私は子どものころ見たことはあったが、それ以来初めてである。写真もいっぱいあったのだが引揚げの時みんな置いてきてしまったから、父の写真など私も見たことがなかった。

私が見ていないのだから、息子たちや孫たちが知る由もない。子どもたちにとってはおじいさん、孫たちにとっては曾祖父に当たる。

これは明石の錦江ホテルの庭先で多分写真屋が撮ったのだろうと思う。なぜか正装である。

多分アラウンドフォーティ― ぐらいだと思う。

 

 

 

これはもう少し旧い。

上は母方の実家  岡山の西田町で母の長兄一家と母の父 などと。

下は明石細工町にあった伯父の家で、なぜか母のすぐ上の兄夫婦もいる。

どの写真も真ん中にいるのはである。

 

今、この写真の主たちを説明できるのは私ぐらいになってしまった

もし機会があれば、子どもや孫たちに、どこのどなたかと言うことを伝えるのも私の責任なのかも知れない。

みんな、私などよりは社会的にも数段著名な人たちなのである。

 

昔はこんな風によく親戚が集まって写真など撮ったのだと思う。

写真は写真屋が撮る時代だから、こんなにちゃんとしているので、ずっとこんな恰好で暮らしていた訳ではないだろう。

これらの父の写真など、戦後多分母の実家の親戚たちから頂いたのだと思う。

 

 

 

もう一つ、父の遺品が出てきた。

この財布も覚えがある。

 

私は今更使うこともないのだが、これはもし息子が所望すれば息子に、『要らん』と言ったら鎌倉の孫にあげようと思う。

昨日のモノの整理で、私が残したのはこのほかに写真数点、

そして父が色紙に描いた絵を2枚ほど、

妹たちも何点かづつ持って帰ったが、殆どは処分してしまった。

 

あちこちから、大金ではないが36000円ほどお金が出てきて、妹4人で分けていた。

モノの整理大変だったので、母が日当にと残していたのかもしれない。大金でもないのにみんな至極ご機嫌であった。

 

 

 

★5月31日に母は亡くなって、2ヶ月になろうとしている。

いろいろとあったが、これでホントに一段落である。

亡くなるその日まで、確りと意識はあったし、痛いなど辛い想いもなかったので母は大往生だったと言っていい。

 

伯父には、父以上に世話になったのだが、父は52歳、伯父も50代で亡くなってしまった。

男はみんな早く亡くなる、そんな家系だとてっきり思っていたのに、もう80歳になってしまった。

祖母102歳、母は103歳まで生きたので、そのDNAでも受け継いでいたら、もう少しは生きておれるかも知れない。

 

然し、ものごとの整理は、ちゃんと自分でしないとイケナイと思っている。

今年から、自分の人生の、生き方の整理に入っている。

身の周りのことも、出来る限り整理して、より気楽に楽しく人生を過ごしたいと思っている。

 

 

 

★昨日は、モノの整理に、朝2回、午後1回 この処分場を訪れた。

お陰さまで庭先はすっかり綺麗になった。

モノの整理だけは、大丈夫出来たのだが・・・・・・・

 

 

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カワサキ単車物語50年  その18 コーヒーブレイク 

2013-07-25 05:53:44 | カワサキ単車の昔話

 カワサキ単車物語50年  その18 コーヒーブレイク  カワサキコンバット のこと

 

1963年と言えば、カワサキがB8で青野ケ原のモトクロスで1位~6位を独占して、一般にはそれがカワサキのレースのスタートだと言われている。

神戸のカワサキワールドにもその時の写真が飾られていて、そのように説明されている。

 

私自身は当時すでに単車事業部の営業にはいたので、直接レースには関わっていなかったが、いろんな情報だけは持っていた。

カワサキとしてのモトクロスレースは、もう一つ以前の機種、B7でも行われていたのは間違いないのである。

昨年7月、ヤマハの本橋さんから『カワサキのB7に乗ったことがあります。井手さんと言う方がおられました』と言う話を聞いて、本橋さんがB7に乗ったとは意外だったのある。井手哲也さんは確かに当時レースに関係されていて、三吉一行などとの関係も深かった。

その時代は、まだ川崎航空機ではレースなどやっていなくて、カワサキ自動車販売関係でレースらしきことに取り組んでいたのである。

 

●カワサキ自販でレースに関係していたのは、当時の企画、宣伝課長の小野田滋郎さんであったことは間違いない。

●ライだ―としては、三吉一行も関係があったのだと思うが、小野田滋郎さんが直接接触したのが三橋実で、彼を50万円でヤマハからひっこ抜いたと言う話は、私は小野田さんから直接聞いている。

三橋実は1962年の日本初の鈴鹿のロードレースの250ccのチャンピオンである。ちなみに350ccは片山義美が優勝していて、この二人のライダーが後カワサキのレースに色濃く関係するのである。

●翌年5月に青野ケ原のレースに工場の人たちが出場しようと思ったのは、前年度の鈴鹿ロードレースをバスを仕立てて見学に行ってレースに感動したのがそのきっかけなのである。

●カワサキのレースが具体的には、営業部門の中でスタートしていくのだが、その最初の時期、東は三橋実が主宰するカワサキコンバット、そして西は片山義美が主宰する神戸木の実クラブのライダーたちで、カワサキのレースチームが構成されたのである。

●当時私のグループの中にいた川合寿一さんが、そのレースチームらしきものの面倒を見ていたが、ライダ―との契約がどんな形で、どのような額で行われたのか、よく解っていない。契約第1号は神戸木の実の歳森康師であったことは間違いない。

●そして東では、小野田滋郎さんが三橋との関係で『カワサキコンバット』をスタートさせていたのだと思う。

 

 

小野田滋郎さんは、あのフィリッピンの小野田寛郎中尉の実の弟さんなのである。

雁の巣や厚木や八戸など米軍の基地の近くから、日本のレースはスタートしているようにも思うのだが、三橋がいたのが厚木で、私が気が付いた時は、既に『カワサキコンバット』と言うカワサキのレースチームは出来ていたのである。

『コンバット』と言うテレビか映画の番組があって、そのヘルメットには縦にⅠの字が入っていて、それと同じの字の入ったヘルメットだったのである。

三橋実、梅津次郎、岡部能夫、加藤清丸などでスタートしていたのがカワサキコンバットだったのである。

 

1963年秋ごろのことである。

 

神戸木の実からは、は歳森康師に次いで山本隆が契約した。

川崎航空機の単車事業部に広告宣伝課が創られて、動き出したのがちょうどこの時期、1964年からのことで、ファクトリーチームと呼べるのは、この年開催されたMFJの第1回全日本モトクロス相馬ヶ原への出場からだと言うべきだろうと思っている。

その広告宣伝課が私の担当であったし、同僚の川合寿一さんがその中のレースを直接担当していたのである。

 

★当時のカワサキのレースチーム運営は、『カワサキコンバット』が主体で、現地でのチーム監督的な役割は、三橋実君が果たしていたのである。

そして、そのチーム運営のために月間20万円の運営費で全国から有望ライダーを集め、厚木にアパートも準備して練習費なども一切含めて三橋実君に任せていたのである。

副将格で安良岡健もメンバーに入り三橋、安良岡、梅津、岡部が最初の契約選手で星野一義三橋弟、栗山、野島、金子など最盛期には何人ライダーがいたのか解らぬほどの大所帯だったのである。

 

 

 

1965年富士の裾野の朝霧高原でのMCFAJ 全日本モトクロスの時の写真である。

 

山本隆、歳森康師(右から3,4番目神戸木の実クラブ)以外は全員がカワサキコンバットのメンバーで、

右から梅津次郎、岡部能夫、三橋実、安良岡健、星野一義、そして野島、栗山、三橋弟だと思う。

 

 

これは昨年11月、『二輪文化を伝える会』の第1回トークショーの時に集まったメンバーで、

星野一義、岡部能夫、山本隆、金子豊なのである。

 

金子豊は今は星野インパルの経営を担当しているのだが、当時は秋田から厚木までやってきて、カワサキコンバットの一員として活躍していたのである。

 

 

 

★つい先日、7月21日には東京品川で、

『二輪文化を伝える会』が 主宰して

全日本MX Legend Riders 記念パーティ―が行われたのだが、その時集まった中にもカワサキコンバットの懐かしいメンバーがいた。

これは開会前の顔合わせの時の写真だが、

 

 

これはカワサキコンバットのメンバー

星野、野島、金子、栗山なのである。

もう40年以上も会っていなかったのだが、昔のままに喋れるレース仲間は懐かしいものである。

 

カワサキコンバットは、1966年までは存続したのだが、三橋実との契約が切れて、世のレースもMCFAJからMFJにその主力が移るようになって、だんだんとその存在が薄れて行くのである。

梅津、岡部がレース界から引退した時でカワサキコンバットが無くなり、

星野一義も神戸木の実クラブへ移籍して、カワサキとの契約を続けた時代へと移っていくのである。

 

 

 

 

この二人とも、7月21日に久しぶりに会った。

増田耕二と従野孝司君である。

カワサキコンバットではなく、神戸木の実のメンバーであった。

従野はモトクロスでカワサキとファクトリー契約まで結んだのだが、増田耕二がカワサキからレースをスタートさせたことを知っている人は少ないかも知れない。

 

カワサキのレースの主力は、『カワサキコンバット』から『神戸木の実』にその中心が移っていくのである。

モトクロスのだけではなくてロードレースの世界で、金谷秀夫、和田将宏、清原明彦なども、神戸木の実からカワサキとのライダー契約を結んでいたのである。

 

カワサキコンバットと神戸木の実レーシング、そのクラブを主宰した三橋実と片山義美、その二人が日本で最初に開催された鈴鹿ロードレースのxチャンピオンであることも、ご縁なのである。

 

 

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ミッキーヘッセさん

2013-07-24 10:16:26 | NPO The Good Times

★ドイツ人のミッキー・ヘッセさん、7月4日に日本にやってきた。

 

Zの世界ではなかなかの有名人である。

 

  

 

カワサキのZについて、既に2冊の本を執筆している著者でもある。

 

      

 

7月7日のKAWASAKI THE LEGENDS &  FUTURE のゲストとしての来日だったのだが、

三木のGood Times Plaza を本拠にしての活動だったので、毎日のようにお会いしたので、人柄などホントによく解った。

四国の山下さんと彼のZを前に、

アメリカIrvineからやってきたTad Kadono と ヨーロッパとアメリカにZ1ファンクラブの支部が出来ることになった。

 

連日、いろんな方と会われた、ミッキーさんだったが、いつもいい笑顔だった。

ナイスガイである。

 

 

 

★三木の登山道夫さんが、この20日間付きっきりで面倒を見たのだが、登山さんとミッキーさんを結びつけているのは、カワサキのZなのである。

そして、私と登山さんを結びつけたのは、故岩崎茂樹君なのである。

2007年に書いた『岩崎茂樹君のこと』と言うブログ

 

 

 

登山さんからこんなコメントを頂いて、登山さんと私は6年前に、繋がっていったのである。

 

その時は、登山さんが三木に住んでいることも

ミッキー・ヘッセを岩崎が面倒を見たことで

登山さんがミッキーとつながっていたことも   全然知らなかったのである。

 

ミッキーさんのZの本には、岩崎茂樹が箸袋に書いたという『温故知新』と言う文字 が大きく書かれている。

 

その後、ご縁があって、NPO The Good Times を立ち上げた時は、登山さんに事務所の提供もして頂いたり、いろんなお世話になったのである。

 

 

 

7月6日のKAWASAKI THE LEGENDS & FUTURE の前夜祭でのミッキーさんである。

 

 

 

 世界中あちこちを歩いたという、ミッキーさん、インドもネパールも詳しいのだが、

私がご紹介した緑が丘のネパールの本格的なカレー屋さんはいたくお気に入りで何度も一緒に訪れたりした。

ネパール人の店長さんと、

 

 

 

ミッキーさん、今3冊目のZの本の執筆を計画中なのである。

Zの真打ち  大槻幸雄さんに直接お話しが聞きたいと、1日大槻さんとお付き合いをした。

 

 

 これも、マッハの本に使いたいと言うことで撮った大槻さんとのツーショットである。

大槻さん、マッハもその開発責任者なのである。

 

 

 カワサキワールドから六甲山に場所を移して、終日大槻さんとの会話を楽しんだのである。

 

 

昨日、一昨日と私は、東京に行ってたりして、ミッキーさんと会えていない。

今日は、もう10時に日本を飛び立つそうである。

昨夕は、KAWASAKI  Z1 FAN CLUB の渡部代表がお別れにわざわざ来られたようである。

 

そんなことが直ぐ解る、ネットの世界の身軽さなのである。

 

   

 

 朝5時に関空に向けて出発すると言うミッキーさん、 5時だと言うので 『ダメかな』と思ったが、目が覚めたので、

登山さん宅まで『サヨナラ』を言いに行ってきた。

『サヨナラ』が言えてホッとしている朝なのである。

 

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マンチェスターユーナイテッド -横浜マリノス

2013-07-24 05:34:48 | スポーツ

★昨夜は

マンチェスターユーナイテッド -横浜マリノス のサッカーを見ていた。

マンチェスターユーナイテッド

言わずと知れた香川真司が所属する世界最強のクラブチームである。

 

 

当然、最初から試合に登場かと思っていたら、香川はベンチスタートだった。

 

 

★日本のJリーグも相当の実力である。

ずっと互角の戦いが続いた。

試合開始30秒で一点を先取したが、途中追いつかれて前半は2-1とリードされて後半を迎えた。

 

 

後半4分、2-2と追いついた後、14分あたりから香川は登場して、直ぐシュートを放ったりしたが、

 

 

マリノスは終了間際に1点を加え、マンU 相手に 3―2と勝利したのである。

 

 

香川のシュートで同点をという場内は香川のゴールを期待する雰囲気だったが、そのまま3―2で横浜マリノスが勝利した。

 

 

前半1分に先制、後半4分に同点に追い付き、終了間際の42分に突き放す。

王者を相手に横浜マリノス 堂々の勝利であった。

 

 

香川は『マン・オブ・ザ マッチ』に選ばれたが、今度の26日セレッソ戦はぜひ先発で頑張って欲しい。

 

 

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孫のアメリカでのサッカー

2013-07-23 05:56:27 | スポーツ

 

★ 娘のブログ  Danthree in California に孫のサッカーのことが載っていた。

自らを遠慮せずに堂々自分を売り込む如何にもアメリカらしいのだが、

いい大学の運動部などに自薦するために、自分のプレイをビデオに編集して送りつけるらしい。

 

どのようにしたらそれが出来るのか?

その方法など書いているのだが、そんなレベルのことはまさにギブアップなのである。

 

このgooのブログに載せることが出来るかとチャレンジしてみたら、どうやら出来たようである。

 

 

Shinya Kadono #5 Strikers FC U-15/16 Dallas Showcase 2013

 

 

いいところばかりを編集しているからだとは思うが、なかなかのものである。

 

 

 

こんな画面の「goo」のところをクリックしただけのことだが、なかなかこの『共有画面』が現れないのである。

現れても上のような「goo」 の印のある画面が出てこないことも、多いのでそれらの仕組みがどうなっているのかが、サッパリ解っていないレベルなのである。

そんなことだから、このようにブログに共有出来たこと自体が大成功なのである。

 

 

動画が共有は出来たが画面が大きくならない。

 

http://www.youtube.com/watch?v=mGKb2lV_WVc&feature=youtu.be

 こちらのリンクの方はどうなのだろう。

こちらのリンクの方は大きくなるので見易くなる。

動画の共有した方はなぜ大きくならないのだろう?

 

 

★先日来いろんなイベントが続いて、昨日は東京日帰りだったから何となく疲れた感じでもある。

こんな遊び半分のブログや、パンダ碁で時間を潰した。

まあ、1年の内にはこんな、何もない日があっていい。

 

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全日本MX Legend Riders 記念パ―ティ―

2013-07-22 06:16:03 | NPO The Good Times

★昨日は 全日本MX Legend Riders 記念パ―ティー が東京品川で開催されました。

二輪文化を伝える会がお手伝いをして、発起人の一人山本隆くんの労作です。

 

彼も早速ブログをアップしています

7月7日の KAWASAKI THE LEGENDS & FUTURE に続いて、

NPO The Good Timesのメンバー達、特に東京の村島さんたちが陰で支えたイベントでしたが、大成功でした。

 

オートバイ誌、モーターサイクリストの専門誌のlegend も著名ライターや写真家たちもいっぱいでした。

二輪のモトクロスレース界のこんな豪華メンバーは、どこが主催しても集まったりはしないのではないかと思ったりしています。

 

久保和夫、山本隆、吉村太一、鈴木忠雄、小嶋松久と言う超有名ライダーが発起人です。

そんなことでまさに全日本の日本を代表するモトクロスライダーたちが集まりました。

 

 

 スタート前から、こんな豪華メンバーです。 山本隆ファンの会と言うべきか? NPO The Good Times 友の会か?

かってのカワサキコンバットゆかりのメンバーとも言えます。

 

 

久保和夫さんの開会の挨拶で始まりました。

 

 

 星野一義はやはり存在感はありましたが、昔の星野のままなのがよかったです。

後ろの方ボケていますが、スターばかりです。

 

 

この一団、かってのカワサキコンバットのメンバーたちです。

左から栗山か星野かと言われた栗山。ヨコは星野インパルの金子、私の仙台時代二人でトヨタ800で走り歩いた仲です。そして野島

星野は言うに及ばずみんな立派になりました。

 

 

増田耕二がカワサキだったのご存じの方は少ないと思います。岡山から神戸木の実にきてレースのスタートはカワサキでした。覚えていてくれてよかったです。

今は超有名人です。

その横は従野孝司。同じ時代に同じ神戸木の実からのスタートでした。

二人とも40年ぶりの再会でした。

 

 

 

従野孝司、片山義美さんのお母さんに頼まれてカワサキに入れたのは私です。

ただ、1年間製造のラインに入ることが条件でした。従野1年間ラインで頑張ったのちレース職場にやってきました。

彼のようなのを天性があると言うのでしょう。

モトクロスの世界から、カワサキのファクトリライダーにもなりましたが、4輪の従野が有名です。

 

 

鈴木忠さんが何か喋ってますが、

右のカメラマンは打田 稔さん、後ろ姿はKAWASAKI Z1 FAN CLUB のAtushi Sunayamaさん、

また、Facebook にもいっぱい写真紹介されることでしょう。

 

 

 

 

最後の集合写真です。

私はこのライダーたち殆どと面識も共通の思い出があるのが自慢です

カメラマンの数、凄かったです。

20人ぐらいいたかも知れません。

 

山本隆が持っているのは、

 

素晴らしい、イベントでした。

 

 

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16歳、アメリカと日本と

2013-07-21 05:40:04 | 私の生き方、考え方&意見

 

★連日、広島の16歳の子どもたちの事件が報道されている。

21歳の一人を除いてみんな16歳の未成年なのである。

事件の詳細はまだ明らかにはされていいが、今回の事件そのものも大問題なのだが、

この未青年たちがずっと過ごしてきた毎日の生活態度こそが問題であり、この事件の基本的なベースがこの生活態度に原因するのだと思う。

 

毎日の多くの時間を繁華街の中で、それも夜遅く過ごす生活態度をこの子たちの親はどのように見ていたのであろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

★昨年秋、アメリカの娘のところで2週間ほどを過ごした。

アメリカの孫たち3人、18歳の長男と15歳以下の弟たちの3人兄弟だが、高校生たちが毎日どのように過ごしているのか?

 アメリカの日常生活をまじかで見る機会があった。

 

確か、16歳までだと思ったが、アメリカでは子どもは社会の中で独りで行動することも、友達同士で遊ぶことも許されていない。

16歳までは親か大人が帯同することがMUST条件で、それがまたきっちりと守られている。

親は、大変なのである。

娘は、朝まず子どもたちを学校に送り届けねばならない。それも小学校と、高校と別々だから2回学校まで車で送り届けるのである。小学校の低学年の場合は学校の教室まで送り届けるそうである。そして下校時はお迎えが必要なのである。

そして、帰宅後夕方から始まるスポーツクラブの練習には、やはり送迎が義務付けされている。

18歳の長男だけが独りでの行動が許されていて、自分で登下校しているのである。

 

子どもの間は、ちゃんと大人になるまで、親が面倒を見ることと法律で規定されているのである。

子どもは、常に親の監視下の下で成長する。

共働きも当然あるのだろうが、ずっと働きたい人は、子どもの面倒を見る人を雇わねばならないのである。

そんなルールがきっちりと日常生活の中で守られている

 

小学校の送り迎えの風景である。

学校の周りは、一時車がいっぱいになる。一番末っ子を迎えに行った時車から撮った写真である。

 

 

 

★日本の場合、最近は共稼ぎが一般的で、子どもは家に戻ってもひとりだけという鍵っ子も多いし、中学生ぐらいから盛り場を歩きまわったりすることの方が普通になっている。

アメリカのルールも大変だとは思うが、『子どもは確りと親が育てる』そういう態度が必要なのかも知れない。

動物の世界でも、子どもが『独り立ち』するまでは。親が面倒を見るのが普通なのである。

日本の親たちは、『子ども育てる』ことを他人に頼り過ぎているように思う

 

いろんなな子どもの面倒を見る施設や、

学校の先生に任してしまって、何かあると学校や、先生が悪いという。

子どもがちゃんと育たないのは、他人や学校の先生が悪いのではなくて、親自身の子どもの育て方に問題があると言うべきなのだろう。

アメリカの先生は、権威があったし、今も尊敬されている。先生への文句など考えられないようである。

 

 

★今回の広島の事件をみても、この子たちの親がどんな態度なのかと思ってしまう。

我が家は家計は確かに苦しかったが、家内が専業主婦で子どもたちの面倒を見てくれた。

4人の孫たちも、それぞれ親が育てている と言える環境の中で育った。

 

 

確かに、共稼ぎで、金銭的にも豊かな生活が望まれるのだろうが、親が働きやすい環境を創ることもいいのだが、もっと基本的にどのようにすれば子どもはちゃんと育つのか? 

そのような面にも政治家は気を配るべきだろう。  

 

日本も、アメリカの制度を取り入れる、というようなことにはならないのかも知れぬが、

こんな事件が多発する現状から、政治家たちも子どもたちのことを、その基本から考えてみる そんな姿勢が必要なのだろう。

 

それは、政治家の票には繋がらないから、考えないのだろうか?

 

広島の事件を見ての感想である。

 

 

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Z1 ファンクラブ と この1年

2013-07-20 06:08:47 | NPO The Good Times

★Facebook に、 戎さん がこんなことを書かれていた。

 

 

 

 

 

★ KAWASAKI Z1 FAN CLUB 正式には、昨年の9月1日に発足した

創ろうと思い立ったのは7月だったから、ちょうど1年経ったことになる。

このクラブを創る時のきっかけなどには、色濃く関係はしたのだが、

Zに関しては、発売された当時ちょっと販売に関係しただけで、Z1, Z2 などのマシンそのものについては、殆ど興味も、関心もない門外漢なのである。

然し、振り返ってこの1年を考えてみると、KAWASAKI Z1 FAN CLUB のお陰で充実した1年を過ごすことが出来たなと思っている。

 

 

● このクラブのお陰で、

昨年9月6日のアメリカで開催されたZのReunion に参加することが出来て、久しぶりにアメリカにも行けたし、KMCも訪ねることが出来た。

何よりも娘のところに2週間ほど滞在もして、孫たちのサッカーも見れたし、アメリカの日常生活も堪能出来たのである。

この2週間は貴重であった。

いろんな繋がりも出来て、この1年現実にいろんなことが出来たし、今後もまた何かが発展するかも知れない。

 

 

 

 

 

● これがご縁で、 カワサキZの源流と軌跡』と言う14人の方の共著の本のそれこそ末席に加えて頂いた。

最後の章を担当しているが、その最後の10行ほどは

『兵庫県三木市には、世界への情報発信基地機能としてGood Times Plazaが開設され、その機能の充実が図られている。ベースがネットであるためそのホームページもFacebookページも創られている。アクセスの半数以上が海外からである。国内外のカワサキに関係するいろんな方たちの応援を受けて活動展開を行っている。

2013年は国内にとっては、Z2発売40周年に当たる年であり、Z1 FAN CLUB では「KAWASAKI THE LEGENDS & FUTUR 」と題したイベントを予定している。Zの販売に尽力した人間として、このイベントがZの開発者・Zのファンたちが一堂に会するグッドタイムなひとときになることを祈念している。』

とこの文章がこの本の締めくくりに結果的になっているのである。

 

 

●今年の春ころに書いた文章だが、

春以降はこの開催準備ににいろいろと忙しかったが、充実した毎日を過ごすことが出来た。

ミッキー・ヘッセ、クロスビーや、モリワキさんご夫婦にも、初めてお会いできたし、旧友にも沢山会えて大成功だった。

 

 

そのあともこのように、Facebook などでは、このイベントでお会いした方たちの交流が続いていて、それを見ているだけでも楽しい。

同じ『いいね』でも、同じグッドタイムを共有した人たちの間では、また格別なのである。

 

 

 

 

 

★まだその余韻が冷めやらぬ毎日だが、

今日は、大槻幸雄さんに、Micky ・Hesse さんが今後の本の発行のための取材でお会いすることになっている。

登山道夫さんと私も、ご一緒することになり、カワサキワールドで朝からである。

また、楽しい1日になることは間違いない。

 

 

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ちょっとおかしい天気です

2013-07-19 06:17:39 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★今年の天気、ちょっとおかしいように思います。

例年になく早い梅雨入りだったのですが、梅雨入り宣言から一向に雨の降らない日が続きました。

いつもは6月は梅雨とは言うのですが、そんなに雨は降らないもの、大雨は7月に入ってからだと思っていたのですが、よく降りました。

そして7月に入ると、あっけなく早い梅雨明け宣言でした。

 

梅雨が明けたら、かんかん照りの天気が続くのかと思ったら、

日本国中あちこちで大雨で大変です。

 

 

あちこちにこんな警報が出ています。

 

 

関西は大丈夫なのですが、あちこちに大雨を降らす雲があります。

 

同じ近畿地方でも和歌山の方は雨がいっぱいで大変です。

日本は災害の多い国で、地震や水害や、山崩れなど、しょっちゅう何かが起こります。

 

 

 

これは三木の空ですが、殆ど雨は降りそうにありません。

三木に住んで40年になります。

一生で一番長く住んだまちになりました。

 

もうどこかへ移ることもないので、一生を三木で終わることになるのでしょう。

別に安全だからという理由で越してきたわけではないのですが、三木は災害は殆どありません。

40年住んで、台風も、阪神大震災の時の地震も、神戸の隣町なのに大丈夫でした。

 

三木でも今住んでいるまちはなだらかな台地ですから、水害は大丈夫です。水が溜まったりはしません。

涼しくなるのなら、少しぐらいの雨は降っても大丈夫なのですが、あまりひどい雨も経験がありません。

 

世界が温暖化とかで、全体に天気がおかしくなっているような、そんな気がします。

 

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毎日少しづつ

2013-07-18 05:49:05 | 私の生き方、考え方&意見

 

★トイレに

 相田みつお の名言集が掛っている。

 

 

 

毎日少しずつ それがなかなか できねんだなあ

 

今日はこんな言葉が掛っていた。

相田みつおの言葉、いろいろあるが、結構そのように生きていて、半分ぐらいはちゃんとそのように出来ているように思ったりもする。

 

 

いろんな言葉があるのだが、一つ一つは、そんなに難しいことではないのだが、

私自身は、ちょっと変わっているのか、大体 相田みつおが言っているような 生き方をしてきたように思う。

 

特に 毎日少しずつ 継続する。

これは、得意と言っていい。

ムツカシイことはダメだが、あまり苦しくなくて、ただ継続するぐらいなら、自信がある

ただし、 自分がやろう と決心したことだけである。

自分が嫌なこと、は

どちらかと言えば、一切やらないのである。

 

★ じゃ、どんなことをやっているのか?

● 日記は20才の時に書き始めて、80歳の今まで、ちょうど60年続いている

 書きだした動機は、蒋介石が30年日記を書いているのはエライと朝日新聞に書いてあったからである。 そんなことでエライと言うなら自分でも出来るだろうと、その日のうちに大学ノ―トでスタートして今まで続いている。

 

● 同じようなことだが、このブログも、開設から2503日とあったから、もうすぐ7年になろうとしている。

多分、1日も休んでいない

 

● ストレッチは、定年後70歳ぐらいから始めたから、もう10年になろうとしている。

毎日40分以上は時間を掛けてやっている。お陰さまで体力測定時の柔軟性は20才と評価される。

 

● ツイッターのフォロワーは、毎日フォローを続けてそのフォロー返しで増やし続けたら、32万人を超えるところまで来た、多分50万人ぐらいまではイケルかも知れない。

 

●  庭の草抜きや、薔薇を育てたり、庭木の剪定なども、 毎日少しずつだが、楽しみながらやっている。

 

 

★そのほかにも、こんなことは、結構やれている。

 

     

 

 

   

 

 

★ やれているけど、大したことでないから出来ているんだと思う。

自分では出来ないと思うことは、 手を付けないのだと思う。

 

人の生き方いろいろだけど、 あまり欲張らないことだと思う。

 

 

こんなこと、言われたたことはないが、 私がそう思っている人はいっぱいいる

そんな人は、ひょっとすると、そう思っていてくれるかも、知れない。

 

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コメント (2)
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