雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

三木の桜巡り  雑感

2024-04-05 06:03:56 | みっきぃふるさとふれあい公園

★ 4月になって桜の季節である。
  まだ先始めで満開ではないが、三木市の桜を写真に撮ってきた。
  毎年この季節になると思うのだが、ひょっとしたら三木市は日本で一番の本数が多いのではないかと、私は密かにそう思っている。
  『日本一美しいまちをめざす三木』なのだが、
  『日本一桜の多いまち三木』と言うのも悪くない。

  桜の本数は『植える場所』の問題だと思う。
  三木市はホントに広いから『植える場所』には事欠かない。


  今朝は3時間ほどかけて、三木市の桜の写真を撮ってきた。
  もっと他にもゴルフ場など桜が植わっている場所は多いのだと思うが、
  今朝廻って来たところは一応は桜並木なのである。
  この地図の赤い線を引いているところの写真である。


  


  ちょっと枚数が多いが、撮ってきた順番に並べてみる。


  1枚目は我が家の目の前のおうちの桜の木である。
  大きくて見事である。


  



  これはさくら公園の桜たち


  




  協同学苑の桜並木である。
  この時期になると春爛漫、花見をされる方も多い。




   500メートルほどあるかも知れない。






   ここは緑ヶ丘と  の境の川沿いの桜、
   
  


  大きくて見事である。
  隣接する公園の名前も『さくら公園』、
  『さくら公園』がいっぱいある。




  ここは防災公園の Eデイフェンス の敷地の桜
  その本数が素晴らしい。

  


 これは防災公園の桜並木の一つ





  なだらかな坂道の下まで桜並木で、
  神戸の丹生山をバックに美しい。




★ ちょっと足を延ばして吉川の川沿いの桜を撮りに行ってきた。
  延々と川沿いに植えられていて、何キロメートルあるのか、
  何本あるのか解らない。

  兎に角、桜並木が続いている。
  この4枚の桜がすべて繋がっている。
 
    






  これも川沿いの桜だが、
  これは三木市内を流れる 美嚢川河川敷の桜並木である。





 これも何キロあるのだろう?




  これは三木の街から市役所に通ずる旧い桜並木。





  ここからの何枚かは三木山総合公園の桜。
  ここだけでも樹は若いが本数はいっぱいである。














 そして最後の1枚は、わが町緑ヶ丘に降りる『桜坂の桜
 



 
 ★ その名の通りの『チェリーヒルズ・カントリー』は桜がウリである。
  このゴルフ場一つで5000本の桜が植えられているというので、
  ご覧の通り、三木は桜がいっぱいなのである。
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施設いっぱいの広大な公園

2023-09-16 06:01:16 | みっきぃふるさとふれあい公園

★ 公園とはどこも広大でいろんな施設があるのだが、
 三木総合防災公園も広大であると同時に多彩な施設がいっぱいである。

 これは日本でもちょっと珍しい公園だと言っていい。
 その広さも半端ではなくて、よく甲子園球場が幾つと言うが、
 球場だと数が数えきれないので、
 私はいつも『ゴルフ場が3つほど』とその広さを表現している。

 もともとは山だったのだが開拓されて、
 住宅地に隣接しているので、朝など散歩に来る人で賑わっている。

 


 公園は4車線の一般道路で東と西に分かれていて、
 園内にもこんな立派な道が

  


  縦横に走っていて、マラソン大会なども行われるのだが、
  一般道と違って整理がし易くていいようだ





★ 先ず西のメイン施設は屋内テニスコートのある「ブルボン・ビーンズドー」で、多分世界一と言ってもいいのだろう。
 
こんな豆のような形から、名付けられていて、

  


  こんなメインコートのほか、6つほどのテニスコートがあり、

  

 
 
  災害時には支援物資などの貯蔵庫になるという。
 これは阪神大震災の時に全国から集まった支援物資の置き場所に困った経験からだとか。


 そのほかこんなに広い高齢者のためのグランドゴルフ場もある。
  
  
  


★ 東の方のメインは本格的な陸上競技場である。

 


  中央はサッカーコートになっている。
 
 


  そのすぐ横にもサブの陸上競技場があるし、
  ここもその中央はサッカー場である。

  



 サッカーコートはこのほかに3面本格的な広さのコートがあって、
 そのほかにもフットサル競技場がある。
 野球場も勿論あるのだが東の一番端にあって、その存在が目立たない。

 


★ 防災公園と名付けられている所以は
 兵庫県の広域防災センターがあって、
 こんな建物の耐震度などが図れる、
 
   
 

 
 日本一の施設、EーDefenceがあるし
 

 



 その隣には消防学校などがあって


 
 

 朝早くから隊員さんの訓練が行われたりしている。


  

 
★殆ど毎朝、散歩に来るのだが、
 広すぎて全部はとても回れないので
 その日によって、いろんなコースを楽しんでいる。
 多分、全国でもこんな多彩な公園は珍しいのだと思う。

 家からはクルマで10分は掛らな距離にあるので重宝している。
 



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粟生線の未来を考える市民の会

2023-09-12 05:18:03 | みっきぃふるさとふれあい公園


★ つい先日、三木でいろいろと活躍されている『ジーン景虎』さんから

 
   
   



 突然、こんなメッセージが届いた。

10月から、エフエムみっきぃで、「あおせん情報局」という番組が始まります。
 収録は私がボランティアで出演している奇数週の月曜日の2時間生出演が終わる、夜7時からになります。 
つきましては、10月16日の収録に
粟生線の未来を考える市民の会の発足当時 を知るメンバーとして
ゲスト出演いただけないでしょうか? 
よろしくお願いします。



★別にほかに予定もないので出席することにはしたのだが、
 「粟生線の未来を考える市民の会の発足当時を知るメンバー」であることはとは間違いないのだが、
 もう10年以上も前のことではあるし、ちゃんと覚えているかどうかが問題なのである。

 単なる雑談会ではなくて『FMみっきい』というラジオ番組だから、
 あまりいい加減なことは言えないのである。
  
  



 そんなことで、過去のブログ日記からいろいろ調べたら
 時系列的にどのような経緯から発足に至ったのか、
 何となくだが解ってきたのである。

 アタマの中だけではまた忘れてしまうので、
 その経緯だけはここに纏めておこうと思う。


 神戸電鉄の粟生線とは神戸電鉄の鈴蘭台から三木・小野を通って粟生までの路線を言うのだが、
 乗客減などから赤字続きで廃線問題が生じていたのは2011年当時のことなのである。



  
 

  そんな時期、確か和歌山の方だと思ったが
 『ふるさと線を残そうという会』の方たちが三木に来られて会合があったのだが、
 その会に市会議員の板東しょうごさんからお誘いがあって出席したのが始まりなのである。

  



 それは2011年10月10日のことなのだが、
 その日の日記にはこのように書いている。
 
 ●ふるさと線を残そうという人たちが三木に来て神戸電鉄問題を議論した。
この話は住民の力を結集したら流れが出来る。
単なる署名運動などではない実質的なものを創ればいい有志が頑張る方向がいい。


 そんな想いだったので、板東さんと相談して、
 『神戸電鉄を残そう会』などにすると賛成者もいるが、反対者も出るので、
 政党色などはなく名前も「粟生線問題を考える市民の会」を創って、
 と板東さんと相談したのが、この問題のスタートだったと思う。

 そして早速、11月11日には開催された
 「粟生線問題を考える市民の会」に出席しているのだが、
 この会には小野の河島美奈さんや井上章二さんも出席されているのだが、
 確かこの席で会長には山本医院の山本篤 先生に意向を聞いてはと、言うことになったのだと思う。

 そして11月25日には山本篤会長が実現
 名前も正式に「粟生線の未来を考える市民の会」と決まって、
 正規に賛同者を集めることになったのである。
  
 
 こんな経緯なのだが、実は私自身はもっと以前、この年の6月7日に
私の神戸電鉄問題』と題して大要こんなブログをアップしている。
 
●アタマの中に全然無かった『神戸電鉄』ですが、この半月、ずっと考えていました。『神戸電鉄粟生線廃止問題』です。
この半月間、私なりに出来る限り積極的に、真面目に動いてみました。
5月22日から、3日間連続でブログなどに、神戸電鉄粟生線問題をアップし、
三木市長に市長メールで連絡しています。
お隣の小野市の市長さんにも市長メールしました。
神戸電鉄の鉄道本部の副本部長さんと企画部長さんと3時間ほどお話をしました。
既に何度も検討が進められていますが、解決の名案が出ている訳ではありません。
神戸電鉄の『KOBE』というネーミングも最高ですし、
調べてみたら、車両は全て川崎重工製のようですから、
昨日は神戸電鉄の方と和やかにそんな話をしてきました。

★多分板東さんはこんなブログも読んでおられて、私を最初の会合に誘われたのではないかと思う。
 私は問題を考え出すと、それなりに積極的に動いてみるのだが、
 そうすると何か具体的な対策に繋がるものなのである。
ひとりで動き回っていたこの問題も半年後だが、具体的に動き出したのである。

★ 何度かの集会があって、これは市民が一度考えてみるべき大きな課題だということで、
粟生線の未来を考える市民の会』準備会が立ちあげられて、
そのFacebookページも完成して動きだしたのである。
同時にこのようなチラシを作って、広く賛同者を集める運動を起こす事になった。

   


★ そして、明けて2012年4月15日に 
 粟生線の未来を考える市民の会結成総会を粟生駅に隣接する『あお陶遊館』で行い、

  
  


 この会合には岡山の公共の交通ラクダの岡将男さんが講演をされたし、
 関西国際大学の松本茂樹先生ともお会いできて、
 お二人とも繋がったりしたのである。

 
 

 午後からは三木に舞台を移しての懇親会
 これはその粟生から三木への電車の中でのメンバー達である。






 そして、懇談会での記念写真。
 山本篤 先生は所用があって出られなかった。
 私がシャッターを切ったので私は写っていない。






 ざっと、ここまでが「粟生線の未来を考える市民の会」の発足当時の経緯かなと思う。

 会の関係者ににとっては約半年
 粟生線問題を考えて、動き出した私自身にとっては1年近くの期間の動きだたのかなと思う。

 こういう風に調べてみるには、
 ブログや日記は重宝で、これなしにはとてもここまでは纏められないし、特に時系列には全く覚えてなどいないのである。

  


★ 粟生線の未来を考える市民の会
  スタートまでの経緯を改めて時系列で並べてみる。

 ●2011年6月 私なりに粟生線廃止問題に対して個人的に動いている。
 ●2011年10月 ふるさと線を残そう会の会合が三木であって出席。
 ●2011年11月 粟生線を考える市民の会 板東・井上・私ほか
 ●2011年12月 粟生線の未来を考える市民の会 山本篤会長
 ●2011年12月以降 会員募集活動スタート 170名になったので 
 ●2012年4月  粟生線の未来を考える市民の会結成総会開催




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雨の朝も協同学苑で・・・

2023-07-10 06:08:07 | みっきぃふるさとふれあい公園

★ 昨日の朝は結構雨も降っていた。
 いつも日蔭の道を歩く協同学苑はこんな雨の掛らぬ屋根のある通路があるので
 そこを中心にスロージョッギングしてきた。

 



 いつもは周囲の散歩道を歩いているのだが、
 この施設はもともとがco-opの従業員の教育施設なので、
 そのあたりの学校以上に教室など整っている、
 
 



 運動場は二つもあって、
 昨日は小さいほうのグランドで雨の中、子どもたちがサッカーをやっていた。

 
  
  
 
 サッカーは野球と違って、雨の中でもやるスポーツなのである。




  父兄の方も雨の中熱心に応援をされていた。


★ 協同学苑はこんな環境の中にある。
 こうしてみるとこの辺りの住宅街も含めて、
 大きな自然の環境の中にあると言っていい。
 都会ではなかなかこのような広大な敷地をこんなに余裕をもって使うことは出来ないと思う。

 三木にずっとお住まいの地元の方はは「三木は田舎町」と仰るのだが、
 私はいつも「アメリカのような街」と言っている。
 




 ご覧のように緑がいっぱいだし、
 三木市内にはゴルフ場が25もあるし、道は広いし、
 日本では考えられないような広さの公園がいっぱいあって、
 広さでだけで言うと、この協同学苑が公園のような施設としては一番小さいのだが、
 若しこれが神戸市なら最大の公園になることは間違いないのである。

 そんな広さについていえば、
 三木はホントに「アメリカみたいなまち」なのである。


 


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三木市が SDGs未来都市に選ばれた

2023-06-02 07:46:15 | みっきぃふるさとふれあい公園

★ごく最近、5月22日に三木市が「SDGs未来都市」に選ばれ認定されたとか。

 「100年後も誇りを持って暮らせる町三木」という
 三木市が掲げた基本コンセプトが認められて、
 内閣府から5月22日に 「SDGs未来都市」に選定されたという。



 
SDGs未来都市」とは、内閣府がSDGsの達成に向けた取組を公募し、優れた提案する都市を、内閣府が選定する制度で、
2018年から2023年までに合計182都市が「SDGs未来都市」に選ばれている。

 SDGsとは、国連サミットで採択されたもので、
 より良い世界を目指す国際的な取り組みのようである。
 
 


★これは三木にとって、非常に名誉なことであることは間違いない。

 三木市に移り住んだのは1973年のことだから、ちょうど50年前のことなのである。
 広大な山地を住宅地に開拓するという事業で出来た街・緑ヶ丘もホントに何もなくて、
 買い物も旧三木市街に電車に乗って行かなければならぬような、
 今では信じられないような状態だったのである。
 この『緑ヶ丘の開拓事業』を皮切りに、この50年の間に宅地造成もどんどん進んだし、
 三木山総合公園・三木山森林公園・三木総合防災公園と広大な公園も次々に創られて、
 本当に田舎町三木が様変わりしたと言っていい。

 そして今回は「SDGs未来都市に選ばれた」と言うのである。

★三木市の立地は、まさに神戸市の隣町でその境界線は延々と神戸市と接しているのである。
 人口8万人の街なのだが、
 面積は結構広くて自然がそのまま残っていて、緑いっぱいのまちである。
 この中に西日本では一番の25のゴルフ場がある。
 高層住宅はないし、道は広くて、
 日本独特の露地などもほとんどないし、
 アメリカの大都市に隣接する郊外都市と同じような環境なのである。

 地図でご覧になっても、周辺の各市とは全く違った環境だということがお解り頂けると思う。




 私は、ホントに何となく三木に移り住んだので、
 こんなにスマートな街になるとは全く思わなかったので、
 その点は「運が良かった」といっていい。


★そして、今回 SDGs未来都市の認定である。
 間違いなく「100年後も誇りをもって暮らせるまち」だと思う。

 もう20年以上も前のことだが、
 私は三木市に『日本一美しいまちをめざそう』と言う
 提言をして取り上げて頂いた。

  
   
 
 
 「金物のまち」として知られてはいたが、
 「三木は田舎町」だと言われる方が多かったのである。

 当時から私は「アメリカの大都市に隣接する郊外都市と同じような環境」だと思っていたし、
 神戸市の隣町だということもいい立地だと思っていた。

 今回、SDGs未来都市に選ばれた ことは本当に良かったなと思っている。
 
 



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協同学苑の梅と・・・・

2023-03-15 07:25:05 | みっきぃふるさとふれあい公園

★梅にも早咲き遅咲きがあるのか、協同学苑の梅は丁度見ごろになった。

 この紅梅は満開で見事である。
 
 
 

 白い梅たちは今からが開花のようである





梅は今が見ごろの季節のようである。




 苔は強いのだろうか?
 もともとは芝生のはずだが、一面苔で覆われている。
 日当たりはいいのに不思議だ。





 山の坂道は両面苔で、





 ずっと下のほうまで続いている。

  


下りきったところの池の雰囲気が好きで癒される。




 最近は特に水が澄んで綺麗になった。




 魚釣り禁止などの看板もあるのだが、魚はいるのだろうか?
 私は子どものころから「魚が好き」なので、気になるのである。


 この1本の山つつじだけが何故か花を付けている。

 
 

 山つつじが咲きだせば、春爛漫と言える時期なのである。



 

 その時期ももうそこまで来ている。


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志染の石室 と 六地蔵

2022-12-31 07:33:26 | みっきぃふるさとふれあい公園

★1年間殆ど毎朝お世話になった「三木総合防災公園」だが、
 この公園に隣接してというか、中にあると言ってもいい位置に、
 「志染の石室 と 六地蔵」はある。

 孫・門野真也は行ったことがないというので、案内してきた。
 彼が毎朝10本の「坂道ダッシュ」をする坂道を更に下ったところにある。

 「志染の石室」とはこんなところである。

 

 
 短い歴史のアメリカに住んでいる孫にとっては
 アメリカではこんな遺跡は観られない。

 石室の中にはこんな黄金の水が常に溜まっている。
 
 


 
 今は公園のほうから簡単に行けるのだが、
 昔は逆に里のほうから山道を登って
 こんなところに二人の天皇になられた方が身を潜めたというから
 不思議なことである。

 
 
  
志染の石室」と検索するとこんな説明文が現れる。
 
 志染の石室しじみのいわむろ)は、兵庫県三木市にある説話伝承地。
『播磨国風土記』美嚢郡志深里(しじみのさと)条によると5世紀頃、皇位継承争いで雄略天皇派に殺された市辺押磐皇子の二人の王子、後の23代顕宗天である袁奚と後の24代仁賢天皇である意奚の兄弟は志深(志染)の石室に隠れ住んだとされる。(『日本書紀』では「縮見山石室」と表記)。
ひかり藻が生息する石室の湧水は水面が金色に輝くことから「窟屋の金水」と呼ばれる。
この現象は永らく観察できていなかったが、2002年頃から再び見られるようになった。

 

★「志染の石室」は公園のホントに外れの位置にあるのだが、

 「六地蔵・どっこいさん」は公園の中にあると言ってもいい。

 こんな感じだが、

 


  こんな説明版に詳しく説明されている。





 新興住宅や新しい公園のすぐ横にこんな旧い遺跡があるのが三木である。

 

 
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11月末の三木山森林公園

2022-11-29 06:37:51 | みっきぃふるさとふれあい公園

★ 毎年のことだが「11月末」には三木山森林公園紅葉を観に行くことにしている。
 
 公園の山全体もこんなに紅葉だし


 


  紅いところはこのように見事である。

 



ちょっと紅葉の遅い「もみじ谷」もその葉を紅く染めるからである。





 地面いっぱい、落ち葉で埋め尽くされている。






 谷あいの樹々の紅葉が素晴らしい。




 結構きついこんな登り道が続いて、この道は殆ど人は歩かない。
 果たして何歳までこの道を登れるだろうか?
 



  深い山の中はこのような大自然の紅葉で、
 なかなか普通では見られない景色だが、




 
  最後の登りは、こんな急こう配なのである。





 約4000歩の行程なのである。
 来年は90歳になるので、
 上るのではなく下ることにしようかとも思っているのだが、
 果たしてどうなるだろうか?


三木山森林公園は、かつては、普通に見られた、東播磨. 地域の里地・里山の復元を目指し、
森と暮らすがコンセプトの森林公園 で、
甲子園球場のおよそ20倍、80万平方メートルの広さなのである。

そんな舗装ではない地道の山道を約8000歩歩いて戻ってきた。
三木には公園はいくつもあるのだが、私が一番好きな公園は「三木山森林公園」なのである。
その名の通り「もみじ谷」以外も自然がいっぱい残されていて、日本でただ一つの広大な「自然公園」なのかも知れない。


 
 

 

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桜いっぱい

2022-04-03 06:19:30 | みっきぃふるさとふれあい公園

★今年ももう4月になった。
 三木はいつもそうだが、4月になると桜の季節となる。
 神戸などと比べて2日ほど遅い感じである。

 そんな4月1日、朝のスロージョッギングを防災公園から
 桜並木のある協同学苑に移して、桜の写真を撮りながら、
 家の近くの桜のある公園などを回ったら、歩数は7000歩を越えた。

★ まずは協同学苑の桜並木

 


 ここの散歩道は桜は両側に植えられている。
 かってはこの時期花見の客が多かったのだが、
 コロナになって全然そんな風景は見られなくなった。

 


 こんな見事な枝垂桜もある。




 
 この公園だけで400本ぐらいの桜はあるだろう。


★ 車でちょっと動いたところのスポーツ公園辺りも桜はいっぱいである。




 すぐ隣の公園は名前があるのだろうが、みんな『さくら公園』と言っている。



 最初は小さな桜だったが、40年も経つと結構大きくなった。
 こんな感じで並んでいる。






 さくら公園のすぐ隣の『桜並木の桜』は大きくて立派である。
 Google Map にも『桜並木』という表示が現れる。





★もう一度車で移動して、 
 わが町緑ヶ丘の入り口の坂の桜は見事である。





 住宅街よりは入り口のほうが高いので、
 町も一望できる位置にある。





 急坂なのでS字カーブになっているので、春は桜を見ながらの運転になる。






★ 新興住宅地のわが町の桜をご紹介したが、
 三木の旧い街には桜の名所はいっぱいで、
 Google で『三木の桜』と検索するとこんなにいっぱい現れる。

 三木の町の桜は、50年の歴史の新しい街の桜とは違って、
 旧い歴史を背負っているので、それは見事なのである。

 


 中でも北上川の桜は両岸に約1km、1000本以上の桜はまさに見事』なのである。

 

 
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三木山森林公園を歩いてきた

2021-10-14 07:08:38 | みっきぃふるさとふれあい公園
★ 昨日は三木山総合公園のジムで筋力トレーニングをしたあと、
  隣接する『三木山森林公園』を久しぶりに歩いてきた。

      50年前までは、廣野ゴルフ倶楽部を除いて。
  この一帯は壮大な『三木山』だったのだが、今は宅地造成がされて、
  幾つもの公園が並んでいる。

  左から、三木ホースランド・パーク
      三木山森林公園
      三木山総合公園
  これは三つ並んでいて、
  ずっと離れて一番右が、三木総合防災公園である。

 
 

   週に3回行っているジムは、三木山総合公園にあるのだが、
 すぐ左隣が『三木山森林公園』である。

  


 自然がそのまま残っている、私の一番好きな公園で、
 まだ今はアメリカにいる娘家族が日本にいたころは、
 孫たちとよく行ったし、犬の散歩もしょっちゅうだった。

 こんな広大な公園で、
 昨日はその一部の広場と『もみじ谷』を歩いてきた。
 これでも約3km、1時間ほど掛ったから、その広さがお解り頂けるだろう。 
  三木の公園はどれも、兎に角広いのである。
 

 
★ 歩いたルートの写真を撮ってきた。

 まずは駐車場からすぐ横の前庭である。

 


 
 建物の向う側には池がある。
  
 

 
この公園のコンセプトを2年ほど前から『自然に戻す』としたこともあって、
かってはいっぱいいた錦鯉などは居なくなって、
今は睡蓮と自然に生えた藻だけである。 




 広大な芝生広場も、今は草が生え放題に放置しているので、
 こんなになった。
 幼稚園のコドモたちが流れで何か採っていた。
 



 上の池から、下の池までの小さな流れには、
 メダカがいっぱいいた。
 これはかってはいなかったのだが・・・・





 これが下の池で

 



 その右手からが『もみじ谷』である。
 11月の『もみじ谷の紅葉』はそれは見事である。





 もみじ谷の山道にこんな看板が立っていた。
 開園以来25年もたって、森林が鬱蒼としてしまったので、
 木を切って『森林の若返り』を目指すという取り組みを始めている。

 


 すぐ横の山は樹を伐採して丸坊主になっていたが、
 1年ちょっとで、こんなに若木が生えていた。

  


 こんなもみじ谷である。





 急な坂道もある。
 いま体重が2キロほど増えて83kgあるのだが、
 この坂道は、以前と比べてきつかった。
 体重を元の81k台に落とそうとしているのだが、
 毎日、運動しているのに『落ちない』
 『食いすぎ』なのである。

 でも、88歳でこのコース1周出来る人は少ないのでは。
 昨日も沢山の方がほかの緩やかな散歩道はいっぱいだったが、
 もみじ谷では一人も出会わなかった
 

 


 山道を登りきると、こんな広場に出る。

 



 そこからこんな広い道を下ると駐車場である。




 約3キロの行程、
 1時間ほど掛った。

 今度は11月の紅葉の時期だと思う。
 それまでに『体重を落として』『スムースに山道を歩くこと』を
 目標に頑張ってみたい。

 どうなるかな?


 
 



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三木市長選挙の結果

2021-06-07 06:45:08 | みっきぃふるさとふれあい公園
★昨日の日曜日は市長選挙の投票日だった。

 仲田さん支持はFacebook でも明確にしていたのだが、
 夜8時には神戸新聞が『三木市長選 現職仲田氏が当選確実』と伝えたのである。

     仲田一彦さん、当選おめでとうございます。


   

    
 投票結果は仲さん約2万薮本さんの約約1万票と圧倒した完勝だった。








★これから4年間『仲田市政』が続くことになる。

 三木市に移り住んだのは 1973年1月だからもう48年にもなる。
 人生で一番長く住んだ町になった。
  現役時代は夜眠るために帰ってくるまさに『ベッドタウン』で、
 三木市の市長選挙など無縁だったし、市長がどなたかもよく解っていなかったのである。

 三木市に関心を持ちだしたのは、パソコンやネットをやり始めた2006年からで、その年から初めて三木市に関心を持つようになったし、
当時の三木市長の薮本吉秀市長ともお会いすることにもなったし、
三木市のいろんな方たちとも繋がりが出来たのである。

当時は薮本市長の応援などもしていたのだが、
どうも『ワンマン市長』の薮本さんのやり方にはついては行けなくて、
仲田市長になってからは『仲田さん支援』を明確に表明しているのである。


2期目の抱負について
「まずは新型コロナ対策として、65歳以上の市民のワクチン接種7月中に終え、1人でも多くの市民が早く打てるようにしたい。疲弊している地元経済についても、状況に応じた対策をとっていく」と述べたとあるが、

 5月に入ってから市長が先頭に立った『コロナワクチン接種対策』は、
それまでの状況とは様変わりして見事であった。

 1期目はどちらかと言えば、控えめな市政であったが、
 是非2期目は『三木をまもる』だけではなく、
 より積極的に陣頭指揮で『三木を全国区のまち』にして欲しいと思っている。

 50年近く住んだ『三木』はなかなか『いい環境のいいまち』なのである。

 
 
 



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三木総合防災公園東の桜並木です

2021-04-24 06:01:24 | みっきぃふるさとふれあい公園

★三木総合防災公園の色々な動画をシリーズでアップしてきましたが、
この『東の桜並木』が最後になります。




広大な防災公園ですが、西地区に始まって東地区、北地区の史跡、山の中の小道などシリーズで撮ってきました。

これで三木総合防災公園の殆ど全ての道をご紹介したつもりです。


 こんな中央の芝生広場の東側に『桜並木』は位置します。


 


 
向うに見える山は『丹生山』で神戸市なのです。
そんな山をバックに200本ほどの桜並木です。




 ソメイヨシノはもう葉桜ですが、
 牡丹桜は未だ花を残しています。

 



 こんな下り坂の両端に桜が植えられています。

 





 緑いっぱいの景色です。




 この動画は、青い線を辿って撮ってあります。
 公園の本当に東の端だということがお解り頂けると思います。

  



 Google で 『三木総合防災公園 ・動画』と検索すると、
 今までアップしてきた、4つの動画がこのように」並びます。

 このブログをアップしたら、5つの動画が並ぶことになるでしょう。


  
 

 

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三木総合防災公園の山地の動画です

2021-04-22 07:15:42 | みっきぃふるさとふれあい公園

★ 兵庫県立三木総合防災公園はこんな幹線道路を挟んで東と西地区に分かれています。

 もともと山地を開拓した公園だから自然もいっぱい残っていますし、
 山のままのところもあります。
 
 まずはこの道の右の山道を歩いてきました。

 



 こんな動画を撮ってきました。




 まずはこんな坂道を上っていくと直ぐ山道に変わります。

 



 公園の整備された風景から一転、こんな山の中の道になります。




 このような細い道の両側は、昔の山そのままで残っています。





 こんな山つつじもそのまま残っています。




 山道から見える公園の風景です。





 こんな野球場も見下ろせます。




  
 東に見える山は 丹生山 そこはもう神戸市なのです。





  これは雨の少ないこの東播地区に北の方から延々とこんなパイプで水を運んでくる『東播用水淡河幹線水路』でその水路が公園の中を通っています。

 



★この写真だけではお解り難いと思うので、
 若干説明を加えると『淡河川山田川疎水』は
 明治・大正時代に行われた大工事で、このような説明があります。

 

 
 
 御坂サイフォン橋は、人が渡る橋ではありません。
 このような橋の中を水が流れています。

  
   


 遠く向うの山から流れてきて、
 御坂サイフォン橋を通り上ってくるのです。



  



 そして防災公園の中を通り、
 さらに遠く西の方、廣野ゴルフ倶楽部の裏の大きな池に運ばれています。
 




   これが呉錦堂が造ったというその『呉錦堂池』です。
 池の向うが『廣野ゴルフ倶楽部』です。




 
 
 
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三木総合防災公園の北地区の史跡の動画です

2021-04-20 06:04:53 | みっきぃふるさとふれあい公園

★ 三木総合防災公園は近代的なスポーツ施設がいっぱいの公園ですが、
 北サイドは一転、史跡が二つほどあります。

 三木は新しい町と旧い歴史のある町の二つの側面を持っています。

 まずは動画をご覧ください。




こんな緩やかな下り坂を下っていくと、








 こんな古墳『六地蔵・どっこいさん』があります。




 
 この右側を下ってきたのですが、
 橋を渡って左側に行くと、



  



 こんな急な坂道に出会い、
 それを下って、





 さらにこんな急な階段を下ったところに
 




『志染の石室・金水』が見られます。

 日本書紀によると、飛鳥時代に顕宗天皇と仁顕天皇が幼少の頃、
 政変の難を逃れて隠れた石室だとか。

 春、金色に輝く水に変わることから窟屋の金水ともよばれています。
 
 



 今回初めてそれらしき色に輝く金水を見ました。





 近代的な公園のすぐ下に、隣接してこんな史跡があります。

 


 こんなに急な坂道を200メートル歩くと
 元の公園に出ます。
  




 これは公園の橋ですが、
 『窟屋の金水』はこの森の先に位置します。
 



 
 
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三木総合防災公園の東地区の動画です

2021-04-18 06:39:46 | みっきぃふるさとふれあい公園

★ 三木総合防災公園、東地区はメイン競技場をはじめ野球場・サッカーコートなどスポーツ施設が目白押しです。

 まず動画をご覧ください。





     この南北に走る4車線のこの写真では右側が東地区です。

   



 こちらがメイン競技場の入口付近ですが、広々としたスペースです。

 


  その競技場の東側には広大な駐車場があります。

  



そしてその横には陸上競技場とサッカー・コートが併設されています。




 メイン競技場の北側は、広大な芝生広場が広がっています。
 



  野球場は一つですが、
 サッカーコートはメイン・会場の他、4つもあって
 そのほかにフットサル用のコートも2つあり、
 休日には子どもたちで一杯です。

  



  この4車線の道路は高速道路ではありません。
 中国自動車道の三木東入口まで1kmぐらいの距離で、
 この写真の左側が東地区、右側が西地区になります。
 

 


 そして車を止めていた駐車場に戻ってきました。
 このような駐車場が幾つもありますので、
 車が満杯になることは殆どありません。

 


  因みに、この公園は入場料無料ですし、駐車場も勿論無料です。


   三木総合防災公園には、毎日走りに行ってますが、
 我が家から 3.5km
   こんな位置関係にあります。

 


 もう50年も前になりますが、この一帯は全て丘陵地帯だったのですが、
 新興住宅地として開拓され、
 阪神大震災の後、『三木総合防災公園』が出来ました。



 
 
 
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