雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

アタマと身体を鍛える

2016-11-30 05:42:23 | 発想$感想

★ このところ、ちょっと時間も出来たので、『アタマと身体を鍛える』時間を出来る限り取ろうかなと思っている。

アタマを鍛える』 のは「パンダ碁」で碁を打つのが一番いい。

 http://www.pandanet.co.jp/?k=m

 

  

 

  パンダ碁とは、月に2000円ちょっとを払って置けば、ネットで世界の人といつでも、何局でも自由に打てる。

もう登録して10年にもなるが、15000局以上打っている。勝てば級は上がるし負けると下がる。その辺はみんな器械が計算してやってくれる。

スタートした時は初段で登録し、一番いい時は二段にもなったが、ごく最近はのんびり打ってたら3級まで下がったりした。自分の実力で言うと『初段』ぐらいかなと思うが、初段を保つには常に一生懸命打たねばならない。

いろいろ試しながら2級ぐらいで打ってるのが一番気が楽である、一昨日まで3級だったが、昨日、今日と頑張って20局ほど打って15勝ほどしたら1級まで戻っている。

1局30分もあれば打てるから、『時間つぶし』にはもってこいである。

 

 自分が打つだけでなく、強い人の対局も見ることが出来る。

 

 

 

 トップクラスは、十段まであるのだが、最近はトップにはプロもいるので、全体のレベルは上がっているのかも知れない。

 最終の寄せや、死活はどうも面倒だが、序盤から布石までは好きである。全体を眺めて大局観が養われると思っている。

 今更、そんなに強くなったりはしないが、間違いなく『アタマの体操』にはなると思う。

 

★ 『身体を鍛える』ほうは、『ストレッチと体幹トレーニング』 に 『公園でのランニング』をやっている。

 『ストレッチ』はもう15年も続いているので、『柔軟性は20歳代』と出るし、『年々柔らかさ』は増している。

  昨年あたりから、最近はやりの『体幹運動』を取り入れている。

  こんな『体幹トレーニング50選』などもあるので、それにゴムバンドや、バーベルも使って、自分流にやっている。

  http://stretchpole-blog.com/core-training-menu-3599

 

      

 

   毎日、少しづつだがやってると『体のしっかり感』は自分でも実感できるし、気持ちよく『歩ける』。

 『公園でのランニング』は毎朝やっていたのだが、10月16日にストレッチもせずに走ったら、右ふくらはぎに『激痛』が走って筋肉を伸ばしてしまった。

 

 

 1ヶ月半も経ったので何とか走れるだろうと昨日から再開した。

 走ってるコースがこんなにV字になっていたのだが、1ヶ月半も休んでいたので草ぼうぼうになっているだろうと思っていたのに、この間にどうやら公園の掃除、草抜きがあったようでこんなに綺麗にグランドらしく変わっていた。

 

  

 

  久しぶりに走ってみたが、やはり体が重いし足ももう一つである。

 こちらの『ダッシュ』のほうは、再発しないように、注意しながらやってみたい。

 

★ 今年はゴルフは機会がなくて、2回しかやらなかったし、スコアも全然だったが、来年は84歳にもなるので、

  本気で『エイジシュート』を狙いたい。 

 『84』なら60歳代には普通のスコアだったので、寄せとパターを確りやれば大丈夫狙えると思うのである。

 このように、『宣言』しておいて、少し練習場に行けば、『大丈夫』だと思っている。

 

 

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政治家 と 金

2016-11-29 06:55:37 | 発想$感想

NHKのニュース政務活動費の問題を取り上げていた。

宮城県では二人続けて議長が政務活動費の問題で辞任したという。

その内容がタクシー代に、白紙の領収書を要求して3000円のタクシー代を4500円と書いていたという。白紙の領収証もさることながら、たかが1500円のお金が欲しいような人が議員をしているのが情けない。議長辞任とあったが、なぜ議員辞職ではないのだろうか?

兵庫県のあの事件から全国の議員の『政務活動費』問題が全国に広がっている。ある意味、彼のお蔭で多大の税金の無駄遣いがなくなったとも言えるかも知れない。

いずれにしても、税金だからちゃんと使ってほしいものである。

議員さんは多くの給料をもらっているのだから、『政務活動費』など要らないのではないかとも思ってしまうこともある。政治活動など本来、奉仕活動であるべきではないのか? それが『職業化』してしまっている。

 

 

朝日新聞にこんな記事が載っていた。

 こちらは、領収書などがちゃんとしてるから『問題がない』のかも知れぬが、その額は桁外れに大きい。

政治家は、いったいどれほどの飲食費を政治資金から使っているのか。朝日新聞は、現職閣僚と各政党党首の28人の政治資金収支報告書について、2014年分と、25日までに公表された15年分を独自に集計。その結果、上位5人が1千万円を超えていた。

 

会社で言うと『交際費』みたいなものだが、麻生さんがトップだという。

2年間だが、使った金は4000万円に近く、その回数も圧倒的である。

こんなのは、庶民感覚とはかけ離れているが、『癖になってる』というか、その人の体質なのだろう。

 

 

     

 

 

麻生さんはホテルとか会員制クラブが殆どである。

誰と何を話しているのだろう。

 

  

 

 

 安倍さんは、こんなところかな、と思ったりした。

 安倍さんがいく『居酒屋』は高いのかな?

 

 

 

 官房長官の菅さんは、3回13万円というのは、『少ないな』と思った。

 

 

 

 広報の専門家として、私は注目している世耕さんも、少ないなと思った。

  

 

 連峰さんは、0円 となっていた。 0円も、普通ではないのかも知れない。

 

 

    

 

 

★政治家の政治活動とは、具体的にどんなことなのだろう。

国会議員も、地方の市会議員まで、みんなどこか狂っているような、気がしてならない。

政治に金が掛かり過ぎるのか?

政治家が使い過ぎるのか?

 

政治における、『金の単位』が世の中の常識からかけ離れてしまっている。

 

  

 

東京オリンピックの今問題になっている、建物の費用も、大きな建物だからあれくらい掛かるのかも知れぬが、ちょっと問題になると減額される額が、また凄まじく何百億円の単位なのである。

それに比べたら、麻生さんの『飲食代』も大したことがないのかも知れない。

 

トランプさん』は酒は一滴も飲まないそうである

あの人は、金持ちだから、そんなに税金などアテにせずにやるのだろうか?

 世の中、おかしいことが多いが、『政治家』がまずその政治行動を変えてほしいなと思う昨今なのである。

 

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Instagram  雑感

2016-11-28 06:40:09 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram

 

★ Instagram という サイトがある。

これは スマホ をベースに考えられているらしいが、私はスマホは持っていない

登録だけはパソコンからでも簡単にできるようで、すでに登録済みなのか、『Instagram 』と検索すると 私が解らぬままにフォローした人たちの孫たちや、トモダチの写真が現れたりはするのである。

そして登録だけしていて、写真は1枚もアップしていないから、私のサイトを検索すると、こんな画面が現れて『投稿0件』と出るのである。

 

   

 

 

いろんな人をフォローしていたので、いろんな写真が現れていたのだが、

自分では『やらぬまでも』 フォローする人を絞って何か別の使い方が出来ないのだろうか?

と思って解らぬまま、いろんな人をフローしていたのを、孫たち4人と娘と娘婿』の6人だけに絞ってしまったら、

 

こんな感じの『身内のアルバム』になったのである。

  https://www.instagram.com/?hl=ja

 

これなら何とか使えるかも知れない。

 

 

★ 例えば孫の 古谷仁 の Instagram はこんな感じで現れるのである。

   https://www.instagram.com/jintancoboo11960/

 

     

 

  その中から取り出して、ツイッターで流してやれば、特に動画などはより多くの人たちに見て貰う機会が増えるだろう。

 

 

 

      

 

  ★それはともかくパソコンからでも何とかなるはずだと、

 『Instagram をパソコンから』何とかならないかと検索してみると、こんな解説サイトが現れたりはしたのである。

  http://nelog.jp/instagram-upload-for-winvista-win7-win8-mac-linux

 

  

 

非常に詳しく説明してくれているのだが、 読んでみても私の理解できるレベルを遙かに超えてしまっているのである。

それはこんな説明から始まっていて

  

Instagramは、基本的にモバイルアプリからしか利用できません。

パソコンでサイトを見ると、以下のようにiOSか、Androidアプリでの利用しか表示されていません。

モバイルアプリのみで利用

このように、パソコンのブラウザなどからアップロードできない理由として、CEOのケビン・シストロム氏は、「リアルタイムにリアルワールドで取られた写真がInstagramだから。(PCだとリアルタイムじゃないから)」と発言しています。

ただそうは言っても、いろいろ事情があってスマホを持ってない人や、使えない人もいるかもしれません。そういった時の回避策として、Windows8では、InstaPic(建前上モバイル用のアプリ)を使った利用ができます。

 

 そのあとには、延々と説明は続いている。

 

  

 

   こんな説明なので、『Genymotion』 https://www.genymotion.com/#!/ をクリックすると、こんな英文だから、もうここでお手上げなのである。

それなのになぜこんなブログをアップしているのかというと、多分正月にはいま慶応に行ってるめちゃめちゃネットに詳しい孫が、遊びに来るので、その時に出来れば教えて貰おうと思っているのである。

 

私が、いま動画の編集や、ブログにアップできるのも、彼に教えて貰った『手順通りに』やっているからである。

私の、ネットのレベルは『毎日反復してやっていること』が出来るだけである。

果たして Instagram が来年パソコンから使えるようになるのだろうか?

 

   

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筋トレ と 体力年齢

2016-11-27 06:32:00 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

 ★ 昨日松本茂樹先生がFacebook で こんな記事をシェアされていた。

    http://tabi-labo.com/235585/muscletraining46-02

 

   

 

  その内容の中に、こんなくだりを見て「まさに我が意を得た」感じなのである。

 

  

 

  

健康のために』と毎日ウオーキングをされている方が、この辺りでも多いのだが、『私はウオーキングはほとんどしない』のだが、その理由は幾ら歩いてみても、多分筋力などはつかないから、『時間が掛かるばかりで効果がない』と思っているのである。

その代り毎日『ストレッチ』と『体幹強化のトレーニング』は始めてからもう15年にもなるし、この1ヶ月はやっていないのだが『公園での50メートルダッシュ』をやっているのである。

 

お蔭様で私は83歳だが、2年ほど前にやった体力測定では44.4歳 44.8歳とコンピューターが測定してくれているのである。

 

 

     

      

 

今やったら、ひょっとすると『もっと若く認定される』かも知れないと思っている。

ずっと筋力アップとストレッチは続けているので、2年前よりは明らかに柔軟性などアップしているのは、自分でよく解るのである。

 

これは今年の夏、孫が来た時に撮って貰った動画だが、これくらいにはちゃんと走れるのである。

 

 

 

でも油断は禁物で、1ヶ月ほど前にストレッチをせずに走ったら、筋肉を伸ばしてしまって、今はちょっと中断していたのだが、大体よくなったので再開しようかなと思っているのである。

 

★ なぜこのような習慣がついたのかというと、68歳に現役を引退したころ、膝や腰や肩などが痛くて、整形外科に通って電気治療などやっていたのだが、

先生に『こんな治療を続けてたら治りますか?』と聞いたら『根本的には治らない。時間が出来たのだからストレッチでもやればいい。筋肉は何歳になっても付きますよ』 と言われて始めたストレッチだから、もう15年近く続いているのである

ジムに行ったりするのは嫌いなので、毎朝起きたらやるし、最近は昼でも時間があったらやっている。先ほどの体力年齢もなぜ40歳代が出るのかというと『柔軟性』が20歳と出るので平均値を下げてくれるのである。2年前にはできなかった『また割り』が今はできるし、この2年はいま流行の『体幹トレーニング』もやり出したので、体の『しっかり感』は2年前よりも間違いなく進歩しているのである。

 

自分で勝手に決めている目標は『背筋を伸ばして大股に、若い人と同じように綺麗に歩ける』ことなのである。

これは、自分でも確かめられるのである。別にウオーキングはしていないが、階段など登ったら50代の普通の人よりは速く登れるのではないかと思っている。

振り返ってみると、現役時代の60代の時が一番『体力年齢』が落ちていて、70代になってからは年々「若返っている」ように思うのである。不思議に思うほど体力の衰えなど感じずに過ごしておれるのは幸せだと思っている。

 

★実は、結構肥えている。

体重はなかなか80キロを割らないのである。

主治医の先生は、『もう少し体重を減らすように』といつも言われているのだが、全然『意に介さない』ことにしている。ただ少し重たいので78キロぐらいになるといいのだが、どうしても食い過ぎてしまうのである。

ただ、年に3回ほどやる『血液検査』も全項目標準値の中で全く悪いところはないのである。先生も、『血液検査の状況が問題ないから、メタボとは言えない』と言ってくださるのである。

メタボとは、肥えていて、且つこのような基準に当てはまる人のことを言うのである。

  

 

 ウエストサイズは、女性並だが、中性脂肪値・コレステロール値・血圧・血糖値はすべて大丈夫なのである。

 

★ こんな体力年齢のこと、ブログにアップしているのは、世の中に公表することで、『自分自身を励ましている』ところがある。難しいことは『公表すること』で頑張る気持ちが継続することに繋がると思っている。

現役の頃から、『難しいこと』は公表することで、実現できることも多かったのである。

 

 

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カワサキの二輪事業と私 その27  カワサキ自販と小野田滋郎さんのこと

2016-11-26 06:54:06 | 自分史

昭和36年(1961)12月、今から55年前になるのだが、私は川崎航空機に初めてできた単車事業部の営業部に異動した。

そこでは、カワサキ自動車販売という川崎航空機がカワサキ明発を傘下に収めたカワサキの単車を売る販売会社との取引が主たる業務だったのである。現在のカワサキ・モータース・ジャパン(KMJ)の前身で、カワサキ自動車販売―カワサキオートバイ販売ーカワサキ・モータース・ジャパンとその名称は時代とともに変わってゆくのである。

ご縁があって私自身は、3回この販社に出向しているのだが、『カワサキ自販』・『カワ販』・『KMJ』ともそこに籍を置いていた懐かしい会社なのである。

カワサキ自動車販売という名称は、当時は「トヨタ自販」などもあって、カワサキも4輪の開発も手掛けていたので、そんな名称になったのだろう。社長は川崎航空機の土崎専務が兼務され高野専務(川航の部長)が中心で展開されていて、このお二人だけが川崎航空機籍で、あとはメイハツやメグロの販売部門ににおられた方たちばかりで構成されていたのである。

神田岩本町にその本社事務所があって、大阪にも博多にも支店があったのである。

私は入社以来初めて川崎航空機籍以外の方と仕事をすることになるのだが、その方たちは川﨑航空機のメーカーの人たちととは全く違った異色な人たちばかりで、それが非常に新鮮だったのである。

そんな中でも、小野田滋郎さんは高野専務の信頼絶大でその片腕として、総務課長広告宣伝課長を兼務され、カワサキ自販を切りまわしていたという感じだったのである。当時の神田岩本町の本社には後に私が仙台で東北6県を担当した時の直接の上司宮川弘さんや池田・小林・宇田川・石塚さんたちもおられたのである。

私と同い年のカワサキの有名人、平井稔男さんは当時はまだ兵庫メイハツの営業だったそんな時代なのである。当時の川崎航空機籍でこのカワサキ自販時代のことをお分かりの方はもう殆どおられなくなってしまっているのである。 

 

★この当時は、明石工場で二輪車の一貫生産が始まったばかりで、まだ海外の輸出もなかったし、カワサキの生産する二輪車の販売先は、125㏄B7 と50ccM5カワサキ自販で、井関のタフ50井関農機だったのである。

カワサキ自販の国内の販売網は、各県に二輪の問屋さんの代理店が存在していて、そんな問屋さんに販売していたのだが、まだメーカーの資本など入っていない自前代理店ばかりで、それぞれの代理店の力は相当なもので、中でも新潟カワサキや、鹿児島カワサキなどの社長さんは『怖くて有名』だったのである。

工場見学などにこれら代理店がやってくると、当時のB7あたりがクレームなどあったからだが、技術部のエンジニアたちは、ボロカスにやられていたりしたのである。

この時代の営業生産連絡会議にも、明石工場から技術部・製造部・営業部など関係部門が出席していたのだが、土崎社長や高野専務が出席されるカワサキ自販が断然上で、明石部門は販売会社の意見を尊重していろんな展開がなされていたのである。

代理店とメーカーの関係がこのようなものであったが、その代理店が取引する末端の販売店がまた強くて、『サブ殿様のデーラー乞食』などと言われる言葉もあったような時代だったのである。

現在の世界中の販売会社が『メーカ資本』が入った系列販社になってからは、販売会社はメーカーの部下のような関係が『当たり前』になってしまっているのだが、本来の量産事業は50年前のこんな形態のほうが、『本来の姿かな』と思ったりするのである。

現在は、全く逆で末端の市場が解っていない『工場サイド』が頂点にいるので、ある意味マーケッテング・マインドのない人たちの意思事業全体が動いているような気がしてならないのである。

 

★ただ、こんなカワサキ自販や、まだ地方代理店が強かった時代をご存じの高橋鐵郎さんが事業本部長をされていた時代は、アメリカのKMCでも国内のカワ販でも、本部長の高橋鐵郎さんがかっての『カワ販営業』を若い頃に経験されていて、『マーケッテング・マインド』を強く持たれていたので、末端の販社の発言権もそれなりに強かったし、明石の工場サイドも柔軟に対応してくれていたように思っている。

1990年代事業本部長の高橋鐵郎さんがカワ販の社長を兼務、私が専務として国内責任者を務めた時期は、当時の国内『カワ販の発言力』は事業部を動かしたり、事業部の部課長を集めた『研修会の講師』を私やカワ販の部課長が務めたりしたこともあったのだが、高橋さんや私が引退した2000年以降は、その反動もあってか『工場主導の体制」になってしまった感があるように思えてならないのである。

 

  

     

 

 事業本部長のご挨拶の中にも、販売店や末端の人たちを視野の中心に置いたアプローチがなされていて、これは単に広告代理店が作った原稿ではなくて、高橋さんご自身の言葉として語られていたのである。

 

 

★ そんな1960年代前半の『カワサキ自販』の高野専務の片腕として全体を動かしていたのが、総務課長と広告宣伝課長をしていた小野田滋郎さんなのである。

そんな小野田さんについては、今までにも私のブログの中で何度も取り上げていて、『小野田滋郎 雑感日記』と検索するとこんなページが現れるのである。

  https://www.google.co.jp/?gws_rd=ssl#q=%E5%B0%8F%E9%87%8E%E7%94%B0%E6%BB%8B%E9%83%8E%E3%80%80%E9%9B%91%E6%84%9F%E6%97%A5%E8%A8%98

 

その中の一つをご紹介してみたい。

 

小野田滋郎さん

カワサキのレースの創生期にライダー関係で三橋実を引っ張り、カワサキコンバットを事実上作った人だと、私は思っている。

あのフィリッピンから帰国した小野田寛郎中尉の弟さんである。

1972年10月22日の日記にこんなことを書いている。

「フィリッピンのルパング島で、生き残りの日本兵が島民と銃撃戦、一人が死亡した。一人はジャングルに逃亡。その生き延びた一人は小野田寛郎、和歌山出身、その母の書いた文章をみて、ひょっとしたら小野田滋郎さんのーーと思った。テレビを見ていると小野田さんが出てきた。」

小野田さんは、もうその時はカワサキには居なかった。
小野田滋郎この人が自分に与えた影響は大きい
思想的にも、今仕事をしている実務的なやり方も、それに対する態度も。小野田さんは自分がサラリーマン社会に入って以来、この人にはとてもかなわぬと思った数少ない人の一人である。

陸士出身、文学を愛し、酒を好み、人間味あふれる人柄、わるく言う人もいるが、自分は小野田滋郎の物事に向かうときの純朴さと一徹さを見習いたい。

小野田さんの兄さんなら、最も親しかったという兄さんなら、一徹にただ一筋にこの27年,銃を磨き,弾の手入れをし、最後の一人になっても戦う気持ちを失わなかったであろう、と思う。
陸軍中野学校出身のこの秀才の生き方は、その思想の善悪はともかくとして、一筋にひたむきなところに共感を覚える。

箸袋 寛郎と今も 還らぬ子 

小野田さんのおふくろさんが、正月に詠んだという句。このお母さんの話も、小野田さんの話によく出てきた。

その滋郎さんも10月24日、現地に調査と呼びかけに出発した。
新聞に笑う小野田さんの笑顔、人をひきつけずにおかぬ笑顔である。

人生には、いろいろ影響を受ける時期もあり、また人もいる。
小野田滋郎さんが、あの温かみのある笑顔を更にくしゃくしゃにして、兄とともにタラップを降りて、日本の地を踏まれることを祈るものである。」

本当に、小野田さんには影響を受けた、戦略論の基本も教わった。
今も、お元気である。毎年頂く年賀状の文章は、逆立ちしても真似の出来ない素晴らしいもので、いつも楽しみにしている。
いつまで経っても、そんな文学青年みたいな小野田さんが、また魅力である。

 

そんな『小野田滋郎』さんはあのフィリッピンの小野田寛郎さんの実弟で、陸軍士官学校卒の英才である。自衛隊を経てメグロからカワサキ自販に来られて、高野専務を援けて中心的な役割を果たされていたのである。川崎航空機の単車営業に来てすぐ小野田さんとお会いして、いろんなことで援けて頂いたし、広告宣伝のことではいろんなことで教えて頂いたのである。

その時の、小野田さんの仕事ぶりは、その後の『私のサラリーマン生活』で出会ったことがないほど強烈で、当時はまだ小野田さんのお兄さんの寛郎さんはまだ『フィリッピンで生きているらしい』という噂段階だったのだが、『小野田さんのお兄さんなら間違いなく生きている』と私が信じたほど強烈だったのである。

 

   

  

カワサキのB7時代に、カワサキ自販でMCFAJの全日本モトクロスに川崎航空機におられた井出哲哉さんなどと組まれて『カワサキの初めてレース』をやったのは小野田滋郎さんなのである。 後、川崎航空機の製造部の有志達が『青野ヶ原のモトクロス』に出場して優勝し、工場中が大騒ぎになった時にも小野田さんが『最初に取り組んだ人たちの苦労も知らずに・・・』とぽつりと私に漏らされたのが印象に残っているのである。

そして、昭和38年(1963)1月、カワサキが本格的に二輪事業に取り組むことを決定し、日本能率協会が上げたその条件の一つに『広告宣伝課を創ること』が挙げられた時、小野田さんは ご自身の居る場所がないと判断されて、その後任に『私を指名されて』カワサキを去られることを決心されたのだと思うのである。

広告宣伝課を創ることが決まってから3ヶ月、広告代理店の選定ほかその基本的な項目について誠心誠意私を援けて手伝って頂いて、昭和38年3月末に突然『カワサキを去られる』ことになるのである。

川崎航空機で『初めてできた広告宣伝課』は、1億2000万円もの膨大な予算を3年間、川崎航空機本社の開発費として用意して頂いて、集まった広告代理店も日本を代表する電通・大広・博報堂など、その担当部門も出先の営業所ではなくて、本社部門の本格的なスタッフメンバーだったのである。

そんな本格的なマーケッテング専門家たちを相手に、横に『小野田滋郎』さんがついていてくれたお蔭で、まだ係長にもなっていない20代後半だった私が実質『広告宣伝課長』の役割が果たせたのである。

   

    

  これが昭和39年2月の日記の纏めである。

 

この年の1月から3月末の間に、カワサキ自販の広告宣伝課の業務を引き継ぐと同時に、新しい広告代理店の選定のために、小野田さんが創った設問は、 『貴社の創造的能力を図示説明してください』というものだったのである。

広告代理店なのだから、誰にでも解るように自社の創造的能力がどのように優れているのか? 明快に図示説明せよという選定試験問題には、電通・大広・博報堂など日本を代表する広告代理店も、『こんな設問をしたところは今まで皆無』とびっくりしたのである。

図示説明せよ』とは小野田さんの慣用句で、私が理屈を並べたりすると『それを図示説明してみろ』と仰るのである。ちゃんと本当に理解していれば、『明確に図示』出来るのだが 、考えが纏まっていないとなかなか図示することは難しいのである。

小野田さんの図示はまさに明快で、例えば、陸軍士官学校仕込みの『戦略・戦術・戦闘』の違いを非常に明確に図示説明されたりするのである。

 

★小野田さんとは、本当に短い間ではあったが、非常に密度の濃いお付き合いであった

できるまで、何度徹夜をしたことか

私は小野田さんが担当していたカワサキ自販の広告宣伝課と同時に、カワサキのレースシステム『カワサキコンバット』を引き継いだのである。

ヤマハから三橋実を「引っこ抜いて」厚木に作った「カワサキコンバット」があったから、レースなど初めての経験のカワサキもその導入期がスムースだったと思っている。安良岡健も梅津次郎も・岡部能夫・星野一義も、カワサキが彼らと個人契約をする前に『カワサキコンバット』のメンバーだったのである。

最初に個人契約したのは関西の歳森康師で、関東は三橋実との『カワサキコンバット』との契約からスタートしているのである・

そんな小野田滋朗さんのやり方を、「引き継いで」川崎航空機流にアレンジしながら、カワサキの広告宣伝も、レースも何とか形になっていったのである。 

3月末明石で小野田さんの送別会を数少ないメンバーでやったのだが、

その時小野田さんが私にくれた言葉は毀誉褒貶は忘れろ』『雑音に耳を貸すなであった。

私はこの小野田さんの言葉は忘れずに『雑音に耳を貸さずに生き抜けた』と思っているのである。

 

(『カワサキ自販』に始まったこの国内の販売会社は、土崎専務ー神武事業本部長―岩城事業本部長ー田中誠社長ー塚本本部長ー青野本部長ー高橋本部長ー田崎本部長などカワサキの世界の販売会社の中でも唯一などずっと事業本部の本部長クラスが社長を兼務した独特の販売会社だったのだが、いつの日にか川重の部長クラスが社長を務める「普通の販社」になってしまったのである。)

 

 

★ その歴史ー「カワサキ二輪事業と私」を最初からすべて纏めて頂いています

https://www.facebook.com/%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-662464933798991/

 

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11月に東京で積雪

2016-11-25 05:34:17 | 発想$感想

 ★ 東京では11月に雪が降ったのは史上初とか54年振りだとか、テレビもマスコミもあちこちでこのニュースを取り上げていた。

 地球温暖化などと言ってるのになぜこんなことが起きるのだろう?

 

  

 

 

  こんなニュースも流れたし、

 

 

 

 

  このように書かれてはいるが、読んでみてももう一つ『よく解らない』のである。

 

★ 『ひるおび』というこんな番組を見る機会もあるのだが

 

 

 

 この番組の天気予報は、懇切丁寧過ぎて『いつもはちょっとヒツコイな』と思ったりするのだが、

今回、11月になぜこんなに寒くなったのは、『その寒くなった理由』と『東京はなぜ雪になったのか』理由を解説していたが、

これは『よく解った』のである。

 

  

 

 多分、 この森朗さんの解説だったと思う。

 

そんなに、きっちりとは覚えていないのだが、この突然の寒さは、世界的な動きで、北極を中心に寒気の帯みたいなのがヨーロッパから左周りに回ってきたというのである。

どこだったかまず北欧のほうで始まり中東のほうでも通常より20度も寒くなったのだとか、そのみたいなが今回日本のほうにやってきて、関東も関西も寒くなっているというのである。

ではなぜ関東だけ雪が降ったのかというと、低気圧のある位置の関係で、低気圧がないと雲にならないから、寒いけど雪にはならないというのである。

 

 いつもは、ちょっと『長すぎるな』と思う天気予報だが、今回はなかなか説得力があってよかったと思う。

 『気象情報』 というのは、なかなか『ムツカシイ

 どうも基本的には、南の海域で海面水温が平年より低い状態が続く『ラニーニャ現象』から来ているようなのだが・・・

 

 ★今年は「寒くなるのか?」というとそうでもなさそうで、逆に暖かい時期もあるのだという解説だったのである。

 

 

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爆買いではないけれど・・

2016-11-24 06:58:25 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★昨日から、アメリカにいる娘が日本にやってきた

留学で日本に来ている長男の下宿にも行ったことがないので、『それを見るために』が公式の理由だが、その他にもいろいろあって、月末まで三木にいるらしい。

お蔭で、私も結構忙しくなるのである。

 

 

まず、昨夜から我が家の食卓の様子が一変した。

 

  

 

 カニはどうも食うのが面倒で、殆ど買ったことなどないのだが、『カニ好きの娘』のために買っておいたカニ、昨夜は殆ど独り占めして食っていた。

 

  

 

 朝食も、典型的な日本食となった。。

 

    

 

 アメリカ在住の日本人がやってきたら「観光客扱い」になるのかどうか?

爆買い』ではないけれど、昨日は朝から、早速『ユニクロ』と『EDION』 に行って買い物、『回転ずし』を食いに行ったら、『勤労感謝の日』で満員で、 『緑が丘のたて蕎麦』に変更、そのあとコープで買い物をして戻ってきた。

 

 

  まずは「ユニクロ」 感謝祭だからと、間違いなく感謝されるほど買っていた。

  昨日は、自分のものばかりだったから、もう一度『息子たちのものを買いに出直す』などと言っていた。

   

 

 

 そのあとユニオンㇸ。 もう布団を干すのが『しんどくなった』とふとん乾燥機、それに『パン焼き機』アメリカでは毎朝娘は家で『パンを焼いている』 それがなかなかのものなので、家内も挑戦するらしい。

  

 

 

  昼は、回転ずしに行ったのだが、 勤労感謝の日で入れないほどの超満員、 

  『きつねうどんとざるそば』に変更。

   

 

    緑が丘の『たて蕎麦』にいてきた。

   ここは、娘一家の日本にいる時からの『お気に入り』である。

   

 

  そのあと、コープで買い物。 野菜のあまりの高さに、『娘、茫然』 高さもさることながら量の少なさには『唖然』

  

 

  たまたま、レジにアルバイトで来ていた、登山さんの娘さんと、久しぶりに再会。

  

 

  『爆買い』 というほどでもないけれど、ちょっと『散財』

  

 

 

  でも、買い物ができると、女性は自然に『こんな笑顔になる生き物』のようです。

   

 

 

 

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孫たち のこと

2016-11-23 07:52:41 | 発想$感想

★ついこの間まで子どもであった孫たちも、4人のうち3人はもう大学生である。 

一番下もいまは高校だが、大学への自分の推薦You Yube など創っているからもうすぐ大学生である。

 

一番上の『古谷仁』は、

今春卒業するのかと思ってたら、私といっしょで卒業せずに、ダンスに熱中して1年留年していたが、

4月からは広場の『ランドスケープデザイン』研究とか訳の分からないことを言って、世界中を飛び回っている

ツイッターで 明日からはニューヨークに飛びます!」 などと呑気なことを言っているのである。

 

       

 

 

  最近は、何にも言ってこないが『突然何か言ってくることがある

ゼミで都会のまちの風景』を勉強するのだと、最初は神戸のメリケンパークからスタートして、その日は神戸と大阪を付き合ってやったのである。

 http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/7dca71f97277731de58a21054687535f

 

20か所で踊ってます』などと言ってるが、ドイツにも、フランスにも、インドネシアなども行ってたし、今度はニューヨークだという。

 

    

 

男の子だし、一応は慶応の湘南キャンパスだから、何とかなってるのだろうと思うが、一切そんなことは言ってこない。

みんな、似たように育つのか? 

私も、息子の就職など一切構わず放っっておいたのだが、9月にアメリカで息子には会ったが、一言も孫のことは言わなかったし、私も聞かなかったのである。

世界中を飛び回っているのは、息子がANAにいるからできることなのだが、何も聞いていないのだろうか?

 

   

 

こんなことも言ってるし、『卒プロ』などと書いているので、今年は卒業だけはするのだろう。

もう子供ではないのだから、『自分の進む道』ぐらい自分でちゃんと決めるだろう。

現在は、ネットでFacebook やツイッターがあるから、何にも言ってこなくても、このように何とか解ったりはするのである。

仁。 心配してるおじんもいるのだから、たまには何か言ってこい。』

 

 

★ 娘のほうの長男も、いまアメリカから日本に留学中で、同じく慶応の湘南キャンパスの3回生である。

  この夏は三木に遊びに来て、栗林公園に連れて行ってやったら、

 すごく気に入ったようでInstagram にこんな写真を出していた。

 

 

 

門野力也。

もう3回生だから、あと1年だと思ってるのに、突然変異で理科系の数学やらネット関連がめちゃ得意で、先生の勧めで東大にも通っているらしい。ひょっとしたら「大学院」などと言いだすと どうするのだろう?

娘は私に似て『太平楽』で、仕送りなどしなくても勝手に何とかするだろうと放っていて、ホントに何とかしてるのだが、流石に少しは心配のようで、実は昨日の夕方、アメリカから日本にやって来た

 

     

 

月末まで三木にいて、12月初めに藤沢の長男のところに行くらしい。

我が家もそうだったが、子供が大学の時が一番大変なのである。

よく航空機代があるもんだと思ったら、アメリカー日本往復に伊丹ー羽田の周遊券で日本円で6万円ぐらいだという。先日関西国際大学の松本先生が韓国に行くのに航空機代5000円だとか・・・・いろいろあるものである。

 

 

★アメリカに残っている次男と三男、門野真也と門野哲也は、本格的にサッカーに入れ込んでいる。

 

 

 

  真也は 今大学2回生だが、こんな UC Berkeley のサッカー部に推薦入学なので、『授業料は免除』なのである。

アメリカの大学の授業料は年間400万円~600万円もするので、『推薦入学』で『授業料免除』にならないと、とても大学などにはいけないのだが、下宿料は家賃70万円ぐらいの1軒家を7人ほどで借りて、みんなでシェアしているらしい。

アメリカの大学の運動部は、日本と違って全員が推薦選手だから、いい大学でも『プロを目指す』選手がいっぱいで、名門大学でも強いのである。昨年の大学全米No.1 は『スタンフォード大学』だったというからビックリである。

 

 

末弟の哲也は、キーパーで、 今はAcademy という全米の公認チームである Strikers という名門チームでやっている。

 こんな自分のプレーの動画を創って、大学に送りつけているらしい。

 http://www.hudl.com/video/3/8411197/5827f5d44ba87714a8658795

 

  

 

これは、この夏、アイルランドであった世界から各チームが集まる大会に行った時の写真で、日本からは『市船』の 若手が来ていたようである。

Academy 公認チームにいると、大学からの推薦が来るらしいが、その条件も『授業料免除・その他いろいろ』大学でも、選手によってもあるらしい。その辺がアメリカらしくてオモシロいのである。

既にある大学からは勧誘もあるらしいが、本人はどこに行きたいのだろう?

『東京オリンピックのキーパーになる』と堂々とそう言い切るところなどは、ホントにアメリカ人みたいなのである。お母さんは、『スタンフォードがいい』などとみんなそれぞれ、勝手なことを言っているのだが・・・

 

★下の 二人は とにかくサッカーしていれば、何とか大学までの道は開けているのだろうが、そこから先はまだ『ちょっと先』だからいいのだが、上の二人は 『どうするのだろう?』と思ってしまうのである。

息子の時は、殆ど何も「構わずに」気にもかけなかったのだが、『孫は』なぜこんなに気になるのだろう?

息子の時は、自分の会社の仕事のことばかりで、『息子』まで気が回らなかったのかも知れない。

いまは他にそんなに考えることもない『ストレスのない』生活だから気になるのだろうか?  

 

 

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カワサキの二輪事業と私 その26   私の恩人久保克夫さん

2016-11-22 05:53:19 | 自分史

 ★ 昭和42年(1967)の1月から私は仙台に東北6県の代理店を担当する仙台事務所を創ることを命じられて、入社以来初めての転勤となるのである。 (50年も前の話なのでその積りでお読みください。)

転勤も初めてだったし、それから4年間経験した代理店営業も初めてだったのだが、この4年間で川崎重工業の単車事業部ではとても経験できない、いろんなことに巡り合えて、その後の私の二輪事業展開の基礎に間違いなくなっているのである。

当時はまだ、各県に自前の代理店が存在していて、まさに取引先のお客さんなのだが、急激な各メーカーの販売台数増大で各代理店の資金繰りにも変化があって、所謂『メーカー系列化』の流れが生まれようとしている微妙な時期だったのである。

当時の川崎航空機籍のメンバーでこんな代理店営業を責任者として直接経験したのは、ホントに数人いるかいないかで、本格的に4年も経験したのは「私だけ」だと言ってもいいのである。

元々東北6県は、当時の『実用車のカワサキ』時代は最大の市場だったのだが、その担当はカワサキ自販の東京から、元メイハツの方が出張営業で回っていたのだが、地元代理店社長会から当時の岩城良三本部長に『仙台事務所を創ってほしい』という要望が出て、岩城さんが即座に『Yes』と言われて、私にその指示が下ったのである。

 

★まさに『仙台事務所を創れ』という命令だけを頂いたのだが、その仙台には事務所もなければ、部下もいないし、住む家も決めねばならない。そんなことをしてくれる人は誰もいなくて、すべてがゼロからのスタートだったのである。

まず、事務所をどこにするか? 当時は川崎航空機の仙台出張所が仙台駅前にあったのだが、そことはどうも仕事の中身が違うし取りあえず宮城県の代理店であった宮城カワサキの中に、机を置かして頂いての独りでのスタートだったのである。

一人』というのはどうしようもなくて、『どうすればいいか?』と明石に聞いたら、『新聞広告を出して女子を採れ』というので、新聞広告を出したら、すぐ女子が面接に来たので、とにかく一番最初に来た人を採用したのである。それが菊地さんだった。その後東京から宇田川・海老沢・石塚・田中さんなども仙台にやってきて何とか形はできていくのだが、何時までも宮城カワサキに事務所を借りているわけにもいかず、土地を捜して購入し、倉庫と事務所を建てたりしたのである。明石から仙台の倉庫に運び、そこから各地に配送したのである。1年間万台近くの販売量だったので毎日のように専用車が到着していた。

 

   

 

 いまは 仙台プラザ となっているらしい。

 当時の仙台バイパスに面していたのだが、300坪ぐらいの土地を捜せと会社はいうものだから、斜めの土地しか見つからなかったのである。当時の不動産屋は『川崎航空機なんだから幾ら大きな土地を買っても認可になる。買ってから転売すれば幾らでも儲かる』というのだが、会社は300坪に拘るものだから斜めの土地になってしまったのである。

当時の『土地成金』はみんなそんな具合で大きくなっていったらしい。ホントかと思われるかも知れぬが当時は水道は来ておらず、井戸水だったし、前のバイパスも車などまばらで、A1Rのレーサーをそこで走らせたりしてたのである

白バイなどはみんなメグロの時代で仙台の白バイの修理はみんなここに来てたから、捕まったりする心配は皆無だったそんな時代だったのである。

 

 

  

 

 ★これは昭和42年2月21日から28日までの日記の纏めである。

東北6県の販売店会議が代理店ごとに開催されて、どこも100人以上が集まるそんな会合で私の役目は『ご挨拶というかカワサキの方針説明』を連日することだった。

大槻さんとあるのは「大槻幸雄」さんで車の技術説明に来て頂いて、ここでも1週間一緒に過ごしたのである、大槻さんもまだ係長の頃である。

大槻さんも前年度の秋にレースを離れて、初めて市販車の開発を担当されたころで、この1週間ご一緒した時に『世界一のクルマを創る』と言っておられたから、その構想が『Z1』であったに違いないのである。そのクルマはこれから8年後に世に出ているのである。

大勢の人前で話をしたのは、宮城カワサキが初めてだが、自分の感想で『気負いすぎ・・』と書いている。結構考えて『いい挨拶』をした積りだったが、翌日の秋田の会合では、宮川部長が私の話の半分ぐらいを話されてしまうのである。これには参ってしまったが、私が『話の原稿』など用意せずに大体どこでも『ぶっつけ本番』で話が出来る様になったのは、この『宮川弘』さんの訓練?のお蔭なのである。

八戸と津軽で別々に行われているのは場所が離れていることもあるのだが、夜酒の席に『八戸』と『津軽』が同席すると昔戦った仲だから『喧嘩になる』というのである。当時はまだそんな昔の『』の影響が色濃く残っていたりしたのである。

 

★そんな日記の纏めの『岩手カワサキ』の項に、『開始は2時間遅れたが、内容とムードは最高、流石売り上げ日本一』と書いているが、この時の「岩手カワサキの印象」は強烈極まりないものだったのである。

開始は3時なのに集まりだしたのは5時ごろからという強烈な『岩手時間』で、カワサキの方針などどうでもよくて酒が飲めるのが楽しみなのだが、『久保さんには世話になってるからちゃんと売る』のは確りと徹底されているのである。

私の人生で、久保克夫さんから得たいろいろなものが、私の『カワサキの二輪事業対応の核』になっていることは間違いない。

私の恩人、久保克夫さん』と題して、こんなブログをアップしているので、そのまま再掲してご紹介したいのである。

 

私の恩人、久保克夫さん

2008-03-22 16:53:26 | カワサキ単車の昔話
 
現役時代、何をやってきたのかなと振り返ってみると何だろうかと思う。

いろんなことをやってきた。
レースや広報や経営再建や、イベント、ユーザー対策、サーキットや自動車学校、結構多岐に亘っているが、
一番長く時間を掛けたのはやはり販売網、販売のための新しいネットワークの創造であったと思う。

新しい』と言うのは二つの意味がある。
一つは、業界にとって初めての新しいスタイル、これは主として国内市場であった。
もう一つは、カワサキにとって初めての経験、これはCKD市場の開拓のための販売網創設であった。


こんな販売網ネットワークの創設の、最も基本的な部分を私に教えてくれた恩人は元岩手カワサキ社長の久保克夫さんである。
早く亡くなってしまわれて、お礼を言う機会もなかった。

久保さんには私が仙台で初めて営業を経験した時にお会いした。
当時の岩手カワサキは、『岩手県は日本のチベット』と久保さん自身が言われていたが、そんな貧乏県ではあったが、カワサキで毎年決まって日本一の販売実績を誇っていた。

当時はまだ『実用車のカワサキ』の時代で東北6県が最大の市場であったが、その中でも岩手は頭抜けていたのである。
久保さんは車の運転はダメで、もっぱら私が運転手であの日本一広い岩手の販売店訪問を久保さんと一緒に経験しているうちに、久保さんのいいところを自然のうちに教えて貰った。

岩手の日本一の原動力は『販売網である
販売店への対応は』
『戦略的な対応は』
『システムでの対応』
『人間関係の維持』
『厳しさと優しさ』

これらのことを私は久保さんに学んだ。
別に理論家ではなかったが、ちゃんと確実に実践されてされていた。
まだ、1965年の頃でマーケッテングなどもそんなに言われない時代に、
その戦略的な対応と岩手独特の差別化された経営の仕組みが、その実績のベースであった

岩手以外こんなシステムを採っているところは皆無であった。
例えば、当時は販売店に対しては全て委託であった。そんな時代に岩手だけは実質委託だが、全て買い取り方式であった。

1.委託したら直ぐ売上げ伝票を発行する。
2.それに対して毎月請求書を発行する。
3.売上に挙げるから粗利が発生する。
4.粗利が発生したり、在庫が少なくなるがそれは別途社内的に経理対応策を採る。

これは当時は、金の回収が悪かった。盆払いや秋の収穫時や年の最後などまで回収が伸びるのが普通であった。
岩手の場合は、委託の時点で請求書が来るので、それ以降、販売店は『ずっと借りている』と言う意識なのである。
委託期間は何ヶ月にもなるので、何ヶ月も借りている意識が強く、ホントに売れたらその時点で支払いが始まるのが普通で、その分回収は実質的に早かったのである


1.同じことでも、ちゃんと考えて仕組んだら、効率がよくなる。
2.人の付き合いは、貸しを作ったほうが有利である。
3.意識的に貸しを作る、小さくてもいいから、それも数多く造る
4.貸し>借りの方程式を堅持する。
5.いろんなことはあるが、ベースは優しさ、誠実、そんな人間らしさ。『人の気持を読む』こと。

これらはその後の私の販売網政策の基本となった。
理屈の上では、『業界で初めて』、中味としては『非常に厳しい』そんなものが多かったが、『人の気持ちを読んで』実行した。


『計算をして』『仕組んで』『人の気持ちを読んで』『一生懸命やることだ』と久保さんは教えてくれたような気がする。

久保さん以外にも東北時代は いい人に会っていっぱい学んだ
何にも知らなかったのにいっぱい覚えた。
宮川さん、宇田川君、石塚君、秋田の雄幸さん、岩手の山本君、青森の小林さん
みんな、メーカーや大企業ではお会いできなかった人たちである。

改めて私の恩人たちにお礼を言いたい気持である。
 
 
 
★岩手カワサキからも、久保さんからもいっぱい学んだのだが、自前の代理店であった『岩手カワサキ』もメーカーの資金が入って『系列化されて』何にも解っていない販売会社の人たちに、久保さんの仕組みも戦略もみんな潰されて、最後はめちゃくちゃになってしまったのである。
 
古谷さん、どうにもならないよ』と最後のほうは久保さん、半ば諦めていたのである。
 
末端の人の気持ち』が解らぬ人が、自分勝手な想いで末端のホントのことも解らずに、『上から目線』でやってしまうから無茶苦茶になるのである。
 
 サラリーマンは、基本的に自分のほうから『上から目線』でものごとを考えて、『相手側からの発想』が出来ない人が殆どで、反省がないから『過ちは』何度も繰り返されるのだと思う。
 
TOPは、事務所にずっと座って報告など聞いていないで、時間があれば「販売店」や「現場最前線」を回ることである。現場を回らないから『おかしくなってしまう』のである。
TOP が現場を回ったら、『部下の報告の質』がおのずと変わってくるのである。
久保さんは、時間があれば私を運転手にして、広大な岩手県を回っていたのである。
 
 
 
 

★ その歴史ー「カワサキ二輪事業と私」を最初からすべて纏めて頂いています

https://www.facebook.com/%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-662464933798991/

 

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紅葉のシーズン

2016-11-21 14:20:12 | 発想$感想

★11月も後半に入って、三木のあたりでも紅葉のシーズンである。

 

     

 

 三木山森林公園の もみじ谷 の紅葉もなかなか見事である。

 

 

 

日本国中、『紅葉の名所』はある。

 

京都は紅葉の名所がいっぱいのようだが、残念ながらそのシーズンには行ったことがない。

 京都の紅葉 と画像検索すると このような写真が並ぶ。

 

 

 

 

 東北の仙台に4年ほどいたことがある。

東北6県を担当していたし、車で各県を走り回っていたので、壮大な東北の紅葉が、脳裏に一番焼き付いている。

山全体が燃える感じになるのがいいし、秋田から『奥入瀬』を通って青森の道など、延々4時間も紅葉が続くのである。

こんな贅沢な『紅葉狩り』は普通の人にはできないだろうと思う。

 

 

 

 

  北海道にも2年いたが、北海道は壮大すぎて、繊細さがないのかな とも思っている。

 

 

 

 

いずれにしても、日本の紅葉は綺麗だが、

京都の東福寺では混雑のため「撮影禁止」になったというこんなニュースも流れた。

  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161114-00000008-kantelev-l26

 

 

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そこまで言って委員会 2016年11月20日 そのテーマは 闇

2016-11-20 15:14:35 | 発想$感想

★『そこまで言って委員会』 昨日のテーマは『』だった。

そこまで言って委員会 2016年11月20日』と検索したら、もうこんな動画が出ているのである。

 

ご覧にならなかった方、ぜひご覧になってみて下さい。

  https://www.youtube.com/watch?v=oC8KiRjiy30

 

 

 どんな 『』 かというと

 

● アメリカの トランプの闇 に始まって

  

 

 

● 沖縄  

 

 

 

小池百合子 の東京の闇  ● 電通で問題になった 働き方の闇 ● 年金の闇  などなどである。

 

    

 

 

 

 ★ これらの問題すべてに通して言えるのは「」で 、それも国民の税金を特定の人たちによる「分捕り合い」なのである。

アメリカの『トランプ』が勝ったのは、『クリントン』のほうが汚い利権まみれだし、それを正義顔しているマスコミも報道しなかったのだが、Facebook やツイッターなど末端の人たちへの『ネット報道』で今まで黙っていた人が目覚めたようなところもあるし、

東京の『ドン』と言われる人が関係する企業がオリンピック予算やそれに関連する道路など、何百億の単位で持って行ってるのである。

そんな人たちだけでなく、東京都庁の役人たちも「天下り」などでそんな恩恵を受けているし、同じことは国のお役人地方の行政と議会の癒着などでも当然の構造・体質になってしまっているのだと思う。

 

この番組の中でも指摘されていた『沖縄への国からの金』も、沖縄の末端の人たちではなくて、一部の土建業者へ入っているようだし、『沖縄の基地反対のデモ』も沖縄の人たちも勿論居るのだろうが、先頭に立っている人は『プロの反対屋』みたいな人たちなのだという。

 

日本の政治や、行政の構造がそんな形になってしまって、みんな『それが当たり前』になってしまっているのである。

大体、それを是正し、そんな癒着構造を書かねばいけない新聞やテレビが、そんな構造の中に取り込まれてしまっているので、どうしようもないのである。

 

★今、一番の力になるのは、東京の構造が『表ざたになったように』そんな正義感のあるリーダーと、それを支える『一般大衆』が力で、政治家や政党なども、そんなに頼りにはならないような感じなのである。

然し、世界的に政治の流れも、政治家の態度も、イギリス・東京・フィリッピン・アメリカと新しい流れに変わりつつあるようにも思う。

ここで末端の人たちが、単純に新聞報道やプロの評論家の言動に迷わされることなく

誰がホントのことを言ってるのか?』見抜く目を持つことである。

 

最近のテレビ番組の中で『そこまで言って委員会』の出演者は、結構『ホンネトーク』でオモシロいのである。

ここに出演するタレントたちも、この番組での発言は、なかなかいいのだが、同じ人でもほかの番組に出ると、『発言内容のトーン』が大人しくなってしまうことが多いのは、特に東京のテレビ番組自体が『建前ばかり』なのだと思う。

 

この動画、何時までオープンされているのか解らぬが、ご覧のならなかった方はぜひクリックされることをお勧めするので、これ以上はご自身で番組をみて、判断されたらいいと思う。

  https://www.youtube.com/watch?v=oC8KiRjiy30

 

 

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兵庫県立大学 硬式野球部 OB会

2016-11-20 07:03:51 | 発想$感想

 ★ 私は神戸商大野球部卒業である。

学生時代は、大学の食堂とグランドには毎日皆勤していたのだが、教室には殆ど入っていないのである。

だから『野球部卒業』だと思っているのである。

3回生・4回生とキャプテンをして、さらに1年留年をして5回生の1年間は野球部監督をしていたのである。

優勝はできなかったが、近大に次いで2位だったので、まずまずはの成績だったと大学での野球部生活には満足している。

   

    

 

いまは、兵庫県立大学名前も、キャンパスも変わっているのだが、毎年11月にはそのOB総会が大学のグランドでの野球とソフト・ボールの試合とそれが終わってからの現役も入れてのOB総会が開催されるのだが、このOB総会は数ある大学の運動部の『OB総会』の中でも傑出していいと思っている。

昨日は、そんなOB総会だったのである。

朝まで雨だったので、グランドでの野球やソフトボールはダメかな、と思って昼から出かけたのだが、グランドを整備して、現役ーOBとの硬式の野球試合も、OB同士のソフトボールも挙行されたのである。

私はソフトボールだけは5回までファーストを守って出場したのだが、OB総会では「最年長出場」ということで賞品を頂いたのである。3回の打席で残念ながらヒットは打てなかったが、バットには何とか当たったし、ファーストでもショートバンドの投球をちゃんと取れたので、まずまずだったと言っていいだろう。

 

★まずは、動画に纏めたので、ちょっとご覧になってみて下さい

 どんな雰囲気のOB総会なのかは、お解り頂けると思う。

現役諸君の野球部そのものはこの秋2部から3部降格で、もう一つなのだが、このOB総会は、ひょっとしたら日本一かも知れないのである。

こういう雰囲気になったのは前々会長の太田武郎さん(私の2年先輩)と多田和昭マネージャーのコンビで確立され、それを引き継いだ川﨑重工の後輩でもある原田紀男くんがあの独特の雰囲気で盛り上げて、今の永井会長に繋いでいるのである。

 

 

 この会の締めのご挨拶は、毎回私がすることが、半ば恒例になっていて、今回は「差別化」についてお話をしたのである。

 3部に落ちて、残念なので『2部に復帰を目標に』などが普通の目標になるのだが、それもいいが、『ちょっと変わった』ちょっと『差別化できているそんな目標を持った野球部を目指せばいい。 と申し上げたのである。

差別化』は80年生きた私自身の『生き方』でもあるのだが、間違いなく一般の方の生き方とは『差別化出来ている』と言い切れるのである。

差別化』はマーケッテング用語だが、会社でも、商品でも『差別化』が基本なのである。

ちょっと変わっていて、特徴があって』同時に「ちょっとだけでもいい」他に比べてちょっとだけ『いいレベル』にあることが、MUST条件なのである。

野球部の日頃の練習でもいい。練習方法でもいい。チームワークでもいい。

差別化できてる』と言い切れるものがあれば、結果がついて来たりするのである。

この『OB総会』は間違いなく『差別化』できているのだから、これを参考にしながら現役諸君も頑張って欲しいのである。

最後の音頭を取られた多田さんは、私が喋った『差別化』を取り上げての『三本締め』の掛け声をかけて下さっているのである。

 

   

 

★ 動画の中にも出てくる森洋介くんだが、今回現役野球部の監督を引き受けるようである。

これがまた面白いご縁で、KAWASAKI Z1 FAN CLUB の会員で私もよく知ってる小崎英治さんは、森洋介くんの会社の上司なのである。昨年も私はこのOB会のことをアップしたのだが、その時Facebook だったか、『私の部下が野球部OBですよ』とコメント頂いて、すでにFacebookでは、トモダチになっているのだが、今回森くんのほうからそれを言って頂いての『記念撮影』なのである。

ちなみに小崎英治さんは、https://www.facebook.com/eiji.ozaki?fref=ts  こんなKawaskiのバイクに乗られてて、いつもニコニコのいい方なのだが、森くんの言によると、会社ではめちゃ厳しくて、『めちゃできる上司』なのだそうである。

 

森君も、なかなかのナイスガイで、今年から監督やるらしいから、頑張って欲しいのである。

 

 

   https://www.facebook.com/profile.php?id=100002719857191&fref=ts

  こちらが森洋介くんの FB である。

  https://www.facebook.com/profile.php?id=1000068696572624  

  こちらは、ちょうど私の前の席に座った4回生の小西祐司くんである。

  

二人ともFacebook に関しては、まだまだダメで、私のほうが断然上なのである。

個人のFBはともかく、兵庫県立大学硬式野球部の

  ホームページも  http://www.ab.auone-net.jp/~hyogo/

  Facebook も   https://www.facebook.com/univ.of.hyogo.baseball/

  ツイッターも   https://twitter.com/univ_hyogo_base

 

そのレベルは、全然『差別化』できてるレベルではなくて、極々『普通』なのである。

これは個人のものではなくて『兵庫県立大学の冠』のついた公式のものだから、それが野球部の品格、イメージを社会に出しているのだという『認識』がなければならないのである。 

折角やるのなら、何か特徴のある『差別化』されたレベルでやらないと、『やる値打ち』がないのである。

その辺はちょっと厳しく話した積りだが、現役諸君の態度が変われば、いいのだが・・・私がもし責任者なら、野球は勝てなくても、『これくらいは勝て』と間違いなく言うし、そのようにやり切ると思うのである。

そんなことが出来ないようでは、なかなか野球も強くならないのである

 

現役諸君の体格とか、センスなど見る限りでは『いいもの』を持っているのである。

是非、兵庫県立大学の野球部が、なんでもいい『差別化』できたいいものを、一つでも、二つでも持って欲しいのである。

 

 

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 これらはいま、私が関係しているいろいろなものだが、間違いなく『差別化できている』と思っている。

 

 

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トランプさん と日米関係

2016-11-19 07:04:15 | 発想$感想

★ トランプさんと安倍さんの日米会談が行われた。

アメリカと日本は新時代に入ったと言っていい。

 

今後の日米関係はどうなるか?』

というYAHOOの意識調査だが、こんな結果になっているのは、みんなトランプさんを単純に『評論家』たちの論調を信じた結果だと思っている。

  

 

  

 『日米関係はどんどん良くなる』と私は予想していたし、その通りに進みそうである。

 

 

 

安倍晋三首相が私の自宅に立ち寄り、素晴らしい友情が芽生えたのは楽しいことでした。』

トランプさんのFacebook の中でも ご自身がこんな発言をしているのである。

 https://www.facebook.com/DonaldTrump/?fref=ts

 

 

★トランプさんは、実業家だから具体的に先が読める人だし、非常に行動や発言が戦略的である。

世界の各国がいろんな意見を持っている中で、東洋の日本の首相の安倍さんを一番に選んだ『戦略的なしたたかさ』は相当なものである。ロシヤ・中国・欧州・東洋など世界にまんべんなく繋がっていて、それなりに相手国の関心も高い。そんな日本の安倍さんと最初に話すことがアメリカにプラスに働き、トランプへの関心を高めると読んでいるのだろう。

安倍さんも、トランプさんのお蔭で、日本のリーダーから世界のリーダーへの道を歩み始めたと言ってもいいし、それは即『日本』が世界の中心として活動できる方向へ一歩を踏み出したとと言ってもいい。

世界に先駆けて真っ先にトランプさんと会談した安倍さんに対しては、その内容がどのようなものであったかは、世界のリーダーたちが聞きたがるはずである。

2回目の再会談も既に約束されたというニュースである。

ロシヤのプーチンさんとの会談も続いて用意されているし、日米関係のみならず、アメリカーロシヤの関係や、ヨーロッパ諸国とアメリカの関係、中国の関係よりも真っ先に日本を選んだトランプさんの態度は、本当にしたたかだなと思うのである。

一番先に会談する国が、『日本』であったことはある意味、世界の各国も『ホット』しているかも知れないのである。

 

★これから『年末』さらには1月の大統領就任までの間に、安倍さんやトランプさんがどのような動きを見せるのか?

少なくとも、日米関係はオバマ時代よりは、『親密なもの』になることは間違いないと思うのだが・・・

多分、コレでいろいろ言っていた、評論家の論調も、マスコミの論調も変わるはずである

 

1か月後に例えば、YAHOO の意識調査を同じようにやるなら、全然変わったものになるのだろう。

いずれにしても「よかった」と思っている。

 

 

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カワサキ二輪事業と私 その25  忍者の伊藤彰さんと特約店制度

2016-11-18 09:50:54 | 自分史

★ 昭和45年(1970)は大阪万博の年で、アメリカのKMCが出来て3年、車で言えば W1・A1・H1の時代である。

昭和44年に川崎重工の3社合併があって、『50ccモペット』を止めて、ようやく『中大型スポーツのカワサキ』に脱皮しようとした時代であった。

それまでは『実用車のカワサキ』として、50・125cc中心で、その主力市場も東北九州だったのだが、『中大型スポーツ』となるとやはり都会の大市場への進出となって東京・大阪などに新しい販売網構築をという方向転換を目指していた時期なのである。

私は4年間の東北・北海道担当から昭和45年10月大阪母店長として近畿地区の各営業所を担当し大阪は営業所長を兼務することになったのである。当時の大阪は、主力市場の東北などに比べると売ってた台数は比べ物にならないくらい少ないし、それ故にカワサキ主力の店など皆無の状況だったのである。

当時大阪でスズキを主力に販売してた船場モータースの岡田博さんに、『東北でどのくらいカワサキは力があったか知らぬが、大阪では「ホンダは別格、世界のヤマハ・日本のスズキ・明石のカワサキ」ぐらいのもんですよ』とおちょくられたような状況だったのである。

当時は、販売の主力は都会とは言え50ccのモペットで、販売店と言ってもほとんどが自転車屋で、販売方式はすべて『委託方式』で、弱小カワサキでも取引する自転車屋さんは大阪で500店~700店もあったというか、何店あるのか解らない状況だったのである。ただ500店あっても部品取引だけで1年に1台も売らぬ店とも取引していた時代なのである。ホンダさんなどは全国5万店の販売店などと言ってた時代なのである。

50ccなら兎も角、250㏄以上の中大型スポーツ車をそんな方式で売るわけにも行かず、具体的に何か新しい販売方式をと模索はしていたのだが、なかなか具体的には動いていなかったそんな時代に、カワサキの営業所として直接販売店との取引は私も初めての経験だったのである。東北や九州の地方の主力市場は県ごとにまだ自前の代理店があって代理店への営業だったのである。

従って私の営業相手は東北の代理店の社長さんから、販売店や自転車屋さんのおやじさんになったので、幾ら『うるさい』と言ってもそのレベルは代理店の社長さん方に比べると大したことではなかったのである。

 

★ いまの 株・忍者の伊藤彰さんとも、ひょんなことで初めてお会いしたのである。

伊藤さんと初めて会ったのは昭和46年3月17日で、大阪の南地区の販売店を回った帰り道に、南地区を担当していた竹内優さんが、『堺におもろい店がありますが寄ってみますか』と予定外で訪ねたのが、『伊藤モータース』なのである。若し竹内さんがそんなことを言いださなかったら、伊藤さんとのご縁もなかったかも知れないのである。

伊藤彰さんをご存じの方はお分かりだろうが『まさに一直線』の人で若かったし威勢はいいし、まだどこのメーカーとも正規の取引はなかった、ひょとしたら中古屋さんだったのかも知れないのだが、私はその一途さが一目で気に入って、『カワサキとの取引』が始まるのである。

 

  

 

今の株・忍者のホームページにこんな写真が載っている。

これは懐かしい写真である。当時取引のある何百店もの店の中から主力にしようという店には営業所が費用を負担して看板を取り付けていったのだが、このパイプ枠のカワサキの布製の看板はいかにも貧弱である。当時カワサキでも 普通はもっとまともな看板を設置するのだが、看板屋曰く『あの家に一般の看板をつけたら家が持たない』というので、仕方なく『伊藤モータース独特の布製の看板となったのである。

こんなことから始まった伊藤さんとの取引なのだが、義理堅い人で『古谷さんと竹内さんには世話になった』と今でも毎年何かを、それも何回も送ってくれるのである。

 

★先日『KMJの新販売網政策について』というブログをアップして、カワサキの新販売網の新しい店舗なるものを一度見に行こうと、

 『カワサキ特約店推進の発起人の一人で、今でもカワサキの販売店をやってる 株)忍者の伊藤さんを誘って彼の意見も聞いてみたいと思っているのである。本件はまだ伊藤さんには言っていないし彼はネットは見ないけど、こう書いて置けば彼の耳に入るはずである。 私はいつでも大丈夫だから伊藤さんのご都合のいい日時に合そうと思っている。』

と書いたりしたのだが、何人もの方が即刻伊藤さんに連絡したようで、翌日電話が掛かってきたのである。

カワサキ一筋で『ウソが言えない、伊藤彰さんの率直な意見』を聞いてみたいのである。電話で一緒に行く日時は決まったので、近いうちに大阪の新店舗でお会いできることになったのである。

 

そんなことで『カワサキ特約店制度』がどのような経緯で出来上がってきたのか、当時を思い出しながら伊藤さんのことを書こうと思っているのである。

 

 

 

なぜ、店を見るのに伊藤彰さんを誘ったかというと、彼は店舗にはめちゃ関心があるのである。ちょっと思い立つと直ぐさわるので、これは同じ場所だと思うがこんなにいろいろと改装しているのである。

その中でも最初に造った店舗は、まだ伊藤モータースも大変な時代で床に敷くコンクリートはミキサー車の余ってどこかに捨てるものをタダで使ったので、何時来るかは相手次第でいつ完成するかも分からなかったそんな時代があったのである。

 

★それは兎も角、昭和46年から48年度にかけて取り組んだ特約店制度は間違いなく販売店との協働作業だったのである。

大阪を担当してすぐ創ったのが、『大阪共栄会』で、文字通り『共に栄える』ことを目標に販売店との協働作業をスタートさせたのだが、その中心になってくれたのが『船場モータース』の岡田博さんだったし、徳野3兄弟の浜寺モータースのおやじさんや、伊藤彰さんや、西形さんなど大阪の『うるさ型』ばかりが顔を揃えて、いろいろとうるさい意見を言うのを聞きながらも、基本的な構想は崩さずに創り上げていったのである。

その検討会は、当時の大阪営業所の2階で夕方から始めて、毎回夜中まで掛かったりしたのである。伊藤さんは岡田博さんの右腕みたいな存在で、口うるさいことこの上なかったのだが、結構ちゃんと正論を述べたし、私も自説をきっちりと述べて共栄会から『新しい特約店制度』を創り上げていったのである。

 

新しい特約店制度の骨子はいろいろあったが、こんなことだったと思っている。

● 殆どが自転車屋の中で、二輪車を中心に扱う「二輪専門店網」を創る。

● その店の選択方針の第1は、現状の販売力などではなくて『店主』が特約店制度を理解し想いがあれば合格であった。

● 大阪の500店もあるという取引先から、共栄会員の中から手を挙げた人と契約する。

● 店数は関係なく『大阪共栄会の会員で大阪営業所のカワサキの販売台数の60%』の実績になったらカワサキは決心して実行に移すということにしたらすぐ60%を超えたのである。

●検討会の段階では、販売店というより身内扱いで、その時点の大阪営業所のクルマの原価なども公表したので逆にマージンアップなどは言わなくなってしまったのである。

● カワサキ専売でなくていい。むしろほかのメーカ―の250cc以上も積極的に売って大阪市場の中大型車の70%をカワサキ特約店で売ることを目標にしてほぼ達成したのである。ホンダのクルマがほかの販売店で売れるよりカワサキ特約店で売れるほうが店の力が付くという発想であった。

● 契約の内容は手形発行を可とするが、その時代ではとても考えられない基本的に担保物件の提供、土地・建物がない店は保証金の提供、その保証金も何年かの分割手形でOKという方式で何百万円の単位を3年~5年の分割手形で頂いたのである。

 これは当時の販売店は、もう一つ資金繰りが解らずに、手元に金があると『飲んだり遊んだり』するのである。保証金としての『何百万円』は、その店の積立金(貯金)になるはずだという発想なのである。結果的にこの保証金の額は全国で1億円を超すレベルになって後、カワサキオートバイ販売は銀行からの借入金なしの無借金経営を続けるのだが、それが出来たのはこの保証金制度が思いもよらぬ結果に繋がったのである。

● そして最初に契約した店は大阪で25店で、カワサキは当時の大阪の約500店を切り捨てて、特約店制度はスタートしたのである。

● そしてその契約は、まさに契約で店の要望も入れた『手書きの契約書』で1店づつその内容は異なっていたのである。

● そして予想以上に特約店が育ったのは、昭和48年3月にあのZ2が販売されて、特約店の経営にいい結果をもたらしたのである。

 

 

★特約店制度のスタートは、昭和47年(1972)9月1日に、大阪と京都と名古屋の岡崎地区でスタートし、順次全国に展開していくのだが、全国展開までは相当の年数掛かったのだが、その間私は

● 昭和45年10月1日  大阪母店長

● 昭和47年3月  大阪・名古屋・北陸 を含む 中日本営業部長

● 昭和48年1月  東京・名古屋・大阪 担当の直営部長

● 昭和49年6月  カワサキオートバイ販売本社 企画部長

としてカワサキの『特約店制度』がほぼ全国展開になるまで、その地区の広がりとともに、担当範囲が広がって昭和49年にほぼ全国が完成し、川重企画部に復帰したのである。

その間ずっと一緒に手伝ってくれたのは、大阪営業所時代の営業の古石喜代司くんであったし、特筆すべきは各地域の特約店制度説明会には、大阪の船場モータースの岡田博さんが、私と共に講師を務めて頂いたのが、各地域の販売店に対して非常に説得力があったのである。そのようにカワサキの特約店制度は販売店との協働作業であったし『大阪共栄会』の思想そのものであったのである。

 

★ 各地域の特約店のあり方も一様ではなく、地元の兵庫県では、有望な候補店がなかったので、川崎重工業の単車事業部やカワサキオートバイ販売の従業員の中からの『のれん分け制度』を創って、兵庫の1号店は財満君の『灘カワサキ』から始まって、姫路カワサキ・明石カワサキ・西宮カワサキ・エントリー・キヨ などなどみんなカワサキのOBたちなのである。

大阪でもその後、いまは立派な店になっている。八尾カワサキの本店は、かっての大阪東営業所だったし、吉田純一さんのオールカワサキ大阪南営業所だったのである。このお二人もカワサキのOBなのである。

当時は、弱小だったカワサキの販売網を育成するために販売会社と特約店がともに協働して創り上げた歴史のある「カワサキ独特」の販売網なのである。従って、私などはカワサキの販売店に対してはズケズケと『本音でモノが言える』し販売店の人たちもちゃんと仲間として認めてくれるのである。

 

そんな中でも堺の 株・忍者の伊藤彰さんは、『カワサキ特約店』以前の『カワサキ共栄会』時代からの仲間であり、ご本人自体も、それを自負しておられるのである。

常に思ったことをズケズケと言うし、それが正論に近いので伊藤さんを担当する営業は大変だとは思うが、伊藤さんに気に入って貰って『酒でも一緒に飲むようなら』その営業は『合格だ』と私は思っているのである。今、KMJの本社の中枢にいる細谷君なども、伊藤さんに可愛がってもらった一人で、よく一緒に飲んでた酒場から夜突然、私宅に『酔っぱらった上で電話を頂いた』ものである。

私も現役時代、伊藤さんには結構厳しく言って、一番最初の段階から『認証工場を取れ』と要求したりしたのだが、彼はそれに応えて、ちゃんと『認証工場の資格』を取ったのである。なぜ私がそのようなことを彼に要求したかというと、当時新たに岡崎で契約した『ヤマハオートセンター』杉浦さんに、『特約店』とエラそうに言ってるが『認証工場』も取らずに法に違反して修理をしていると指摘されたのである。杉浦さんとも私は親しいのだが、彼もズケズケいうだけあって、ヤマハオートセンターが全国1店でスタートした時に、認証工場も取っていたし、安全運転コースも持っていたのである。

確かに、杉浦さんの云う通りなのだが、現実になかなか認証工場など当時は取れなかったので、それに立ち向かえるのは伊藤彰さんぐらいだと私は思ったのである。こんなことは伊藤さんにも言ったことはないのだが、せめて一店でもいい努力してムツカシイ認証工場を取った店がある実績を残したかったのである。

ただ、この件でその後私は伊藤さんに大きな借りが出来て、『古谷さんに言われて認証工場取ったけど、カワサキとの契約条件認証工場が一つも反映して貰えない』と何度文句を言われたことか。

それはそうなんだが』いまの時代は認証工場の上の『指定工場』を要求する時代になったので、まあよかったかなと思っているのである。

 

私自身はカワサキの販売網については長年に亘って関係したが、今現在何か普通になってしまった『カワサキ専売店』と『卸禁止』を販売店に要求したことは一度もないのである。

特約店自体がカワサキオンリーを自主的に目指すのなら兎も角、お客の立場から言えばカワサキ以外の車種もその店で買えるほうがいいに決まっているのである。また、この自由経済の中で卸禁止など、独禁法の精神に違反する方策など、特約店に求めるのは間違っていると今でも思っている。

現在は、日本のユーザーたちの消費行動の中にネットの通販は、当然の販売で『店舗店頭だけの対面販売』などとユーザーの満足を考えない販売は、時代遅れも甚だしく、『昔の米屋』や『タバコ屋、酒屋』の販売と同じ形態で今の現代でまかり通っているのは『二輪業界』だけなのである。そんなユーザーの満足を考えないメーカーの独善的な『上から目線』が今の二輪販売を小さくしてしまっていると思っているのである。

全然違う、Z1、Z2などのマニアたちは、二輪販売店などあまり関心がないそんな時代なのであるのに、新車だけが販売店や店舗だけに拘わるのが間違ってると思っている。

ネット販売と卸禁止をなくすだけでも、二輪の販売は拡大するのである。カワサキが国内にジェットスキーを導入した時点で、あれだけ簡素な販売網で大量に売れたのは、『卸販売』が主流であったからなのである。

なぜ、突然こんなことを言うのかというと、2,3日前伊藤さんから突然電話があった時、伊藤さんからネット販売のことを指摘されたのである。今は何か、販売方法は販売会社が独善的に自分に都合のいいように決めてしまって、末端のユーザーの想いなど完全に無視してしまっているのである。

販売店のことも考えねばならぬが、真っ先に考えねばならぬことは『末端のユーザー』のことなのである。

アメリカの『トランプ』さんが勝利したのは、そんな末端の想いをネットでダイレクトに伝えたからなのである。

日本の二輪業界が縮小の一途をたどっているのは、末端のユーザーとのダイレクトコミユニケーションが無料で出来るネットの世界を無視しているからだと私は思っていて、伊藤彰さんとはそんなことを電話で話したのだが、近く大阪で正式オープンするカワサキの店舗を見せて頂くついでに、伊藤彰さんともそこでお会いしてまた50年前の昔のように、忌憚のない意見交換ができればいいなと思っているのである。

いまの現役の方は、あまりご存じないかも知れぬが、『カワサキの販売網』はこんな独特の歴史の上に出来上がっているのである。

 

 ★ その歴史ー「カワサキ二輪事業と私」を最初からすべて纏めて頂いています

  https://www.facebook.com/%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-662464933798991/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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関西国際大学 松本茂樹先生

2016-11-18 06:30:01 |  燦々 Sun Sun

 ★関西国際大学の松本茂樹先生は、 https://www.facebook.com/shigeki.m.matsumoto?fref=ts

私の大学の後輩でもあることから、この10年いろんな形でお付き合いがあるのだが、昨年からは、NPO The Good Times の理事にもなって頂いているし、

2年ほど前に立ち上げた『地域活性化のプロジェクト』の燦々SunSun では世話人代表もお願いしているのである。

 

       

 

そんな松本先生に今年は先生のゼミの授業の『サービス・ラーニング』の講師などを頼まれて9月にその授業でスピーチなどしたのだが、今朝、突然そのサービス・ラーニングについての『アンケート』をFacebook メッセージで頂いたのである。

サービス・ラーニング』そのモノがよく解っていなかったこともあって、まさに俄か勉強でサービス・ラーニングを検索して調べていたら、こんなサイトにも出くわしたのである。

    http://www.human.tsukuba.ac.jp/gakugun_bk/k-pro/aboutSL/aboutSL.html

 

    

 

 これはなかなか、オモシロそうなので、急遽アンケートに答えるだけでなく、一度お会いしてお話ししたいとメッセージしたら、今日の3時はどうですか? というご返事なので、燦々SunSun の事務局長殿界寿子さんと二人3時前に関西国際大学を訪ねたのである。

それから6時前まで、みっちりいろんなお話をさせて頂いたのである。

 

★私からは、『みき緑が丘』を舞台に大学の学生さんとの協働で、『具体的なまちの活性化の活動』をできればやってもみたいという話で、その具体的な展開は、『新しい仕組みの構想』は私が立案するので、松本先生のゼミの継続的な課題としてやってみませんかというような話なのである。

これについて、関連するいろんな話や、アイデイァが延々3時間、いろいろと飛び出したのである。

ひょっとしたら、今日の3時間は、将来結構面白い展開になるかも知れないのである

松本先生は、とにかくめちゃくちゃ忙しいので、なかなか具体的な時間を割いて頂くのは困難なのだが、

ゼミの学生さんで1、2名オモシロそうな人がいたら紹介・指名してくださいとお願いしてきたのである

若し具体的にそんな人選が実現したら、殿界さんなどを核にしてこの『サービス・ラーニング』は新しい形で、『独特の仕組み』として動き出す可能性を秘めているのである。

 

★いろんなオモシロい雑談をしていたら、あたりは真っ暗になってしまったのである。

こちらは帰り際にちょっと撮った動画だが、サッカー部とフットサル部が練習の最中であった。  

 

 

   

 

 このフットサルの向う側の建物が、新たに創られた『看護学科の建物』である。

 

   

 

関西国際大学は、野球が強くて有名で、私もその応援団に入っているのだが、野球が強いだけではなくて、なかなかユニークな特色のある大学なのである。

野球部の選手たちも、私が現役のころと違って、ちゃんとよく勉強もするのである。

そんな大学の中で、松本先生もなかなかオモシロい先生なのである。

もともとは銀行の支店長までおやりになってるし銀行時代にサンフランシスコ駐在の経験もお持ちなので、『シリコンバレー』や『スタンフォード大学』や『バークレー大学』などアメリカの事情にもめちゃ詳しいのである。大学の先生とはまた一味違った面をお持ちで、私とはなかなかいろんな面で合うのである。

この9月から私は1ヶ月アメリカに行っていたが、シリコンバレースタンフォード大学にも行ったし、初めて乗ったアメリカの汽車にも先生も乗られていて、話が絵になってちゃんと通じるのである

 

どんな進展になるのかは、今後の動き次第だが、昨日はなかなか貴重な3時間だったのである。

 

 

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