雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

おせち  雑感

2023-12-31 16:06:34 | 発想$感想

★今年も大晦日を迎えた。
 我が家では毎年、大晦日の夜に『おせち』を頂くことにしているのだが、

 ネットでいろいろ見ていたら、
 おせちは昔は大晦日に頂くのが正規だとあった。

 こんな風にあったので、ご紹介することにする。


 年末年始には、古くから伝わる風習がたくさんあります。
  おせち料理
 なぜお正月に食べるのか、
 重箱に詰められたお料理にどんな意味があるのか。

 年越しのお祝い料理として大晦日の夜に食べてもOK 
 「おせちという言葉は「お節句(節供)」が変化したもので、
 昔は五節句のお祝い料理すべてがおせち料理と呼ばれていました。

 そのうち、節日の中でも特におめでたいお正月だけが別格に扱われ、
 今では、おせち料理はお正月料理だけをさすようになりました。

 おせちは年神様への供え物として、五穀豊穣や健康、子孫繁栄の願いを込めて作り、
 昔は「日が暮れたら日付けが変わる」という考え方だったので、
 年越しのお祝い料理として大晦日の夕食に食べていました。 

  
  
  


  おせち料理は「めでたさを重ねる」という意味で縁起をかつぎ、
  重箱に詰めるのが習わし。 



   



  本来は五段重ねの重箱を使うのが正式で、
  各重箱に詰める料理にも決まりがあります。 

  一の重:祝い肴(黒豆・田作り・数の子)、昆布巻など 
  二の重:口取り肴(栗きんとん、かまぼこ)、酢の物など 
  三の重:鯛やブリ、海老などの海川の幸を使った焼きもの 
  与の重:サトイモやレンコンなど山の幸を使ったお煮しめ 
  五の重年神様からの福を詰める場所として空にしておく


      
  

   ネットを見ていたら、こんな5重段のおせちもあって、
   驚くなかれ、値段は165万円でした。


★ 大晦日、少しだけ賢くなった。
  今夜も『おせち』を頂いて2023年の年を越すことになる。

  皆様、いいお年をお迎えください。
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クレジットカードの不正利用の対応

2023-12-31 06:10:29 | 発想$感想

★ 2022年、クレジットカードの不正利用被害額436億円にのぼり、
 前年比で100億円以上増加し、過去最悪を更新したという。
 カード情報を抜き取る手口は巧妙さを増しており、
 誰もが不正利用にあう可能性があるといえるでしょう。

 などとネットに書かれていたが、
 実は私のカードの不正利用があったようで、
 カード会社からその旨の手紙が届き、現在のカードは破棄されて、
 1月初めに新しいカードが発行されることになっている。

    

 昨日、カード会社の窓口担当者にいろいろ聞いたので、
 今後どのような経緯になるのかも、現在はよく解ってはいる。

★ そんなことで実害はなかったのだが、
 なぜ、そんなことになったのかは全然心あたりがないので、
 ネットで「クレジットカード 不正利用の対策」が出てたので
 読んでみたが、詳し過ぎて解りにくいので、
 その理解を深めるために、ブログにアップして、
 自分のためにアタマの整理をしておきたい。



 
 
 そこにはこのような記述がある。
 
 不正利用を防ぐため、また、いち早く不正利用に気付いて被害を抑えるたの対策を知っておくことが重要とある。
 この記事でわかることは、
  • クレジットカードの不正利用の原因と手口
  • 不正利用を防ぐための対策
  • 不正利用が発覚したときの対処法 などの項目の解説が載っていた。
クレジットカードの不正利用で、最も被害額が大きいのはクレジットカード番号の盗用による被害で、
2022年の不正利用被害額の94%カード番号の盗用が原因だという。
クレジットカードが不正利用される原因は情報漏洩で、不正利用の被害が広がる背景には、
利用したネットショップなどや詐欺サイトにアクセスしたことによる情報流出などが考えられるという。

ゴルフ場や温浴施設、スポーツジムなどで、貴重品ボックスを利用した際に財布の中からカードやカード番号などの情報が盗まれる被害が起こっているとか。
スキマーと呼ばれる機器を使ってクレジットカードから抜き取ったカード情報をもとにクローンのカードを作る偽造の手口もあるとか。
私の場合も、カードそのものが盗まれるわけではないのだが、
不正利用が あったので、カード会社が止めてくれて
現在のカードを破棄し、新しいカードを創ってくれることになっているのである。

スキマーをATMのカード挿入口に仕掛けるなどの手口も報告されているとか。


    


 被害者が気付きにくい方法で情報を盗もうと試みるので、
 警戒が必要だというが、こうなると手に負えない。


フィッシング詐欺とは、実在する企業を装って、クレジットカードなどの個人情報を盗んで悪用する手法で、
 このような文面だというが、こんなメールは現実に毎日いっぱい届いている。
  • 「利用料金が未納なので、サービスを停止する予定です。マイページで利用状況を確認してください。」
  • 「クレジットカードの利用が停止されたので、再開手続きを行ってください。」

 それにしてもムツカシイ世の中になったものである。
 今回は私が見つけた訳ではないのだが、
 オリコが見つけてくれて、文書で私に連絡を頂き、
 『至急弊社までご連絡を頂きたい』との文面があったので
 連絡をしてオペレーターから懇切丁寧な説明を受けての処置なのである。

 オリコでは、不正検知システムを導入し24時間・365日体制で
 不正使用の監視を行っているようで、
 そのシステムで感知されたようである。

★ そんなことで、今までのカードは既に破棄されて使えないので、
  12月末には、定期的な支払いのあるところも落ちないのだが、
  それは何とかなるらしい。
  新しいカードが来たら、定期的な支払いのあるところには連絡を
  と言われていたので、それを忘れずにやらないといけない

  最近は、何でも直ぐ忘れてしまうので、こんなブログもアップし、
  オリコのオペレーターが教えてくれたことも、
  オリコからの文書に箇条書きしてある。

  このブログはそんなことで、
  私自身のための覚え書きみたいなものだが、
  被害はどんどん増えているようなので皆様もご注意下さい
  

 
  

















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焼肉こさる に行ってきた

2023-12-30 05:44:37 | 発想$感想

★ 三木の焼肉『こさる』は孫たちが来ると必ず行くことになっている。
 家からそんなに遠くはない立地にある。


   


 鎌倉に住んでいる息子などが来ると、兎に角「旨くて安い」と言う。

 こんな値段表なのだが、ホントに安いのだろうか?


  


 昨日は、孫二人を連れて、家内と4人行ってきた。

 注文は二人に任せたが、こんなセットが次々にやって来た。
 
  



  若いから当然かも知れぬが、
  それにしてもよく食う。

 




  
   
 こちらもお付き合いでよく食ったが、
 






  メニューには4~5名様、Bセット5980円などとあったが、
  酒など一切飲まずに、4名で勘定は14000円を超えてたようだから、
  普通の人の2倍以上を食ったのだろう。

  孫は年明け8日ぐらいまでいるようだから、
  ひょっとしたら、もう2回ぐらいお世話になるかも知れない。
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私の日記から 昭和51年(1976)~昭和53(1978)

2023-12-29 07:31:12 | 自分史

★前年の10月1日から川崎重工業単車事業本部企画室企画部に10年振りに復帰はしたのだが、
 名称は仰々しいのだが、やっている業務は大したことのない管理業務が主体で大して忙しくもないのである。
 ただ、会社の部門としてはエリートが集まる所謂『いい部門』であることは間違いなかったのである。

 当時、従来のアメリカ市場の大・中型のバイクに陰りが見えたし、
 国内市場ではホンダのロードパルが話題になって、一種の小型車ブームの時代であった。
 そんな時代背景もあって、効率的な生産設備をベースに
 小型車モペットの大量生産を目論んだ計画が進行中で、
 これを主導されていたのは本社の吉田専務と生産管理部だったのである。

 ただ、販売面の検討が抜け落ちていて、このまま進むと危ないと思ったのだが、
 本社の専務が主導されているので、直接反対もムツカシイので、
 小型車に関する考察』と言う一文を策定し、



  
 
 東南アジアのCKD事業なら大掛かりな製造設備投資など不要なので、
 市場調査を」と東南アジアの調査団を立ち上げたのである。

★この調査団は技術本部長の高橋鐵郎さんが団長で、
 開発・製造・営業からのメンバーを集め、
 まとめ役を言い出しべえの私が担当して、
 東南アジアを中心に約1か月に亘り、こんなルートで
 台湾-インドネシア―タイーイランーマレーシアーフィリッピン
 広大な地域の市場調査を行ったのである。

  
  
  
  各国の現地での販売状況や、当時の二輪車生産状況などの調査を行ったのだが、
  ホンダ・ヤマハ・スズキなどは既に進出していて、そんな工場も見せて頂いたりした。
 現地では既にバイクブームでインドネシアやタイのバンコックでは
 二輪が道を溢れるようにいっぱい走っていて、
 そんな情景を見るだけで『CKD事業進出』はGOだったのである。
  さらに、各国とも各メーカーの生産機種に限定があったから、
  後発メーカーでもその競争条件が緩和されていて、
  進出しやすい状況であったことは間違いない。

  各国の地方の販売店まで回ったので、これらの国の状況がよく解ったし、
  なかなかの観光旅行のようなところもあって楽しい旅だった。


★ただ、イランはまだ王政時代だった時代で、
 テヘランから南部のシラーズのほうまで行ったのだが、
 都会以外は全く緑のない砂漠で異様な光景なのである。

  

 
 回教徒のイラン人の発想も特異で、 
 テヘランからサヴエィには飛行機で行ったのだが、
 帰りの航空機が突然飛ばないというのである。
 『いつ飛ぶのか?』と聞いても『解らない』と言う答えで、
 ひつこく聞いたら『そんな先の話は神様の分野だ』と仰るのである。

 仕方がないので2台のタクシーに分乗してテヘランまで戻ってきたのだが、
 その道は真っすぐだが、本当に砂漠の中を走ってきたのである。
 ただ、テヘランは大都会で緑もいっぱいなのだが、
 1日に何度か山の方から水が流れてくる仕組みなのである。 

 ペルシャの市場も見てきたが、物品の値段も交渉で決まるなど、
 さらには神様への御祈りの時間があってその時間なると、
 やっていた会議など中断なのである。
 日本では考えられない世界で、おかしな国だと思ったが、
 世界でいえば、日本人よりは回教徒のほうが多いから
 『日本人の発想』のほうが特異なのかも知れないと思ったりもした。

★ こんな東南アジア調査団だったのだが、
 数か月後には市場開発プロジェクト室という新組織が出来て、
 団長だった高橋鐵郎さんが室長を兼務され、私も担当課長として異動することになるのである。
 そんなことで企画室企画課と言う非常にいいとされる部門をたった1年で自ら飛び出すような結果にはなったのである。

 市場開発プロジェクト室では、イラン・タイ・インドネシアの3か国を中心に、
 現地資本とのジョイントベンチャーを組んでの事業展開になったのだが、
 イランはその後の革命でダメだったが、
 その他の東南アジアのCKD事業は順調に推移して、台数もどんどん伸びて、
 市場開発プロジェクト室は通常の東南アジア営業部と発展して、
 最初にあった『モペットの小型車開発プロジェクト』はいつの間にか消滅してしまったのである。

 この期間、現地とのジョイントベンチャー・プロジェクトを主として担当したので、
 タイやインドネシアへなどへの海外出張も多く、英語を話すことにはなるのだが、
 英語など話したりしたのは最初の経験だった。
 ただ現地の人達も母国語ではなかったので、そう言う意味では気が楽だったし、
 タイなどでは相手が華僑なので、漢字の筆談も通用したりしたので、大いに助かったのである。

英語など全く話したこともなかったのだが、
 CKD事業と言う職場環境に出会って、話さざるを得ない環境に追い込まれたものだから、
 学生時代以来英語の勉強もしたし、私の日記も日替わりで英語で書くようにもしたのだが、これはその後数年間続いたのである。

 そう言う意味ではよく頑張ったとも言えるのである。


  

 
★この時期、会社ではこんな時期だったのだが、
 家庭では息子が中学生時代で、
 小学生の頃に始めサッカーにハマっていた時期で、
 三木は結構サッカーが盛んで、小学生時代も兵庫県で三木選抜優勝したし、
 緑ヶ丘中学校でも兵庫県大会で優勝したりして、
 兵庫県選抜にも選ばれたりもしたので、
 私自身もその追っかけに、忙しかった時代なのである。

 まだ、Jリーグもスタートしていない時期だったから、
 今のようにサッカーも盛んでもなかったのだが、
 あの釜本がヤンマー時代で彼の全盛期時代だと言っていい。

 私も40歳代の前半だったし、
 この時代の日記を読み返してみると
 公私ともに多忙だったが、なかなか楽しいいい時代だったのである。


  
 

  
 

 

 
  
 
 
 
 
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落ち葉と苔の坂道

2023-12-28 07:07:58 | 発想$感想

★ 協同学苑の奥の池に下る坂道は『落ち葉』と『』の道と言っていい。

  こんな広場の先から池まで下っていく400メートルほどの坂道である。 
 




  この右手からスタートする。




 いまの時期こんなに落ち葉で、
 道は殆ど見えない。





 長い下り坂のところは道路が見えてるが、







 その先の下りは、また落ち葉で埋まっていた。





  下りきるとこんな池のに出て、
  ここが協同学苑の北の端である。

 



  戻る登り道、下から見ると道の横の『』が見える。



 

  登るときは『苔』が目につき易くなって






  同じ道なのに、
  登りは『苔の道』になるから不思議である。
  




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バイク旧車ブーム と カワサキ

2023-12-27 06:22:57 | カワサキワールド

★ 世の中どうやら旧型バイクブームらしい。

  こんな特集記事があって、
  その中の大きな部分にカワサキの車が占めていた。

 
  


 各メーカーの車も当然あるのだが、
 何故か、カワサキが人気なのである。

 先ずその筆頭はカワサキが1972年に発売して世界的な大ヒットを記録した、
 903cc・4気筒エンジンを搭載するスポーツモデル「900スーパー4」で、
 その型式名からファンの間で通称「Z1」と呼ばれるこの機種は、
 フルレストアされ状態がいい車体なら1000万円を優に超える値段がつく。
 また、なかには「プライスレス」と価格がつかない貴重な車体さえあるという。

 と言う記事で始まっている。

  
  


  この当時は、国内市場には750ccまでしか販売できなくて、
  国内市場用に750Z2 が開発・販売されたのである。

  確か、中古車ではZ1よりは、市販された台数の少ない750Z2のほうが
  一般的には値が高かったような気がする。

  


  私はたまたま国内市場には3回出向しているのだが、
  販売機種には恵まれて、この750Z21回目の出向の最後の頃なのである。
  この車が出たお陰で、当時推進中だった特約店制度がスムースに進行したと言っていい。


★ 次に出てたのが、400FXの限定仕様車
 この400FX1979年から発売されたのだが、
 当時のカワサキオートバイ販売はスタート以来の累積赤字が9億円もあったのだが、
 この400FXの大ヒットのお陰で、
 発売初年度の1979年1年で累損赤字を消去することが出来たのである。

 この年が私の2回目のカワ販出向の年で、
 川重ではまだ課長職だったのだが、
 カワサキオートバイ販売の常務取締役として、全軍の旗を振る立場にあったのである。
  
 記事に出てたのは、1982年度に出た限定仕様車だから、
 台数も少ないので、こんな高値がつくのだろう。
 348万円とはビックリである。

  
  


★ 3機種目に出てたのが「ゼファー400」なのだが、
 この車は国内市場では台数的には一番売れた車で、
 1990年代のことだが、私は3回目の国内出向で、
 カワ販の専務取締役として『7万台の販売に挑戦』していた時期なのである。
 この車は発売当時は全く期待されてなくて、
 生産台数が極小だったものだから、
 直ぐバックオーダーが発生したのだが、生産を増やすことなく増産せずに放置して置いたら、
 3年間もバックオーダーが続いて
7万台の販売目標達成』に大いに貢献したのである。
  




 なぜ、そんなことをしたのかと言うと、
 2回目の『カワ販』の出向時の「FX400の時」にも、
 3か月以上のバックオーダーが発生したのだが、
 生産増強した途端に『バックオーダーは消滅』してしまった経験があったからである。
 推測するに、車が足りなくなると、ユーザーは何軒もの店を訪れるので、
 注文台数が実際よりは多く出るのだと思う。
 そんな経験があったものだから、
 ゼファーの時はバックオーダーを放置して置いたことが、結果的には大成功だったのである。

 そんなことでこのゼファーは世の中にある台数が多いので、
 中古車価格もそんなに上がらないのだと思うが、
 この特集に出ていたカワサキの3機種は、
 私の3回の国内出向と一致しているのである。

★それからもう何十年も経っているのに、
 未だに当時の車のことが雑誌の記事になるのは、
 当時を思い出すことが出来て気分がいいのだが、
 一言でいうと『私はツイていた』と言えるのである。

 
 
  
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門野信也がやって来た

2023-12-26 06:48:25 | 発想$感想

★ 孫・門野真也がアメリカからやって来た。
 正月過ぎまでは日本に滞在だから、毎日一緒に過ごすことになる。
 
 孫4人の中で、小さなころから一番よく面倒をみてやったので、
 成長した今も、何となく一番話しやすいようなところがある。
 私のネット関連の先生でもあり、
 真也が日本にいる間にいろいろと教えて貰うことも多い筈である。

 


  早速、三木総合防災公園で2時間ほど一緒に動いてきた。
  彼は、アメリカのサッカーのプロだから、
  いまはオフシーズンなのだが、トレーニングは在日中も続けている。

  軽いアップから始まって
  
   

 
  最後は、こんな急坂ダッシュ10本、軽々とこなした。




  この坂は普通には登るだけでも大変な勾配である。






  私もお付き合いで、50メートルダッシュなどしたのだが、
  伴走して撮ってくれた、
  動画の中からのヒトコマである。


  



★これは12月21日が結婚60周年だったのだが、
 写真を撮ってなかったので、
 お祝いのケーキを買ってくれて、記念写真も撮ってくれた。

 



 2枚とってくれたので、2枚とも載せておくことにする。





  一人、若いのが増えると
  生活が賑やかになるものである。

  年末・年始に 期待したい。


  
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高校駅伝はオモシロかった

2023-12-25 07:45:11 | 発想$感想

★ 陸上競技は基本的には個人競技だが、
 リレーや駅伝になると団体競技に一変する。

 昨日は高校の女子駅伝男子駅伝があったのでテレビで観ていたが、
 女子駅伝では、神村学園が最終5区に1分30秒以内でつなげば、
 アンカーカリバ選手が逆転優勝と言う予想なのだが、
 ホントかなと思ったが、本当にその通りになった。

 これがそのゴールシーンだが、
 


    
 
 
 珍しくトラック勝負となり、
 神村学園のカリバ選手が競技場に入って来た時はその差は、100メートル近くあったのだが、
 周回コースでどんどん差を詰めて、最後のスパートで逆転して優勝!
 2位とのタイム差はたったの1秒、こんなこともあるんだ。

 神村学園1時間7分28秒のタイムでフィニッシュし、
 5年ぶり2回目の優勝、2位は1秒差で仙台育英
 3位は地元・京都の立命館宇治だった。

   
   


★ 高校男子は、いいメンバーを揃えている佐久長聖が優勝候補と言われていたが、
 その通り大会新記録の2時間01分00秒の大会新記録での優勝だった。

  


 従来の記録はと言うと2時間01分10秒で、10秒差の新記録で、
 女子の優勝と2位の差1秒
 男子の大会新記録と従来の記録の差10秒
 『1秒と10秒』だったのはオモシロかった。


★兵庫県勢は須磨学園が、
 男子は4位女子は6位に入賞したし、
 
 男子の1区は須磨学園の折田壮太選手区間賞で、
 28分48秒は1区の日本選手最速タイの好走で、

  


  地元兵庫の須磨学園はなかなかの活躍で、

  高校駅伝で楽しんだ日曜日の半日だったのである。



  



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私の日記から 昭和48年(1973)~昭和50(1975)

2023-12-24 07:26:00 | 発想$感想

★昭和36年(1961)カワサキが単車事業を始めた時から、
 新しくできた単車営業課に異動したのだが、
 昭和40年(1965)からは当時のカワサキオートバイ販売に出向して、
 広告宣伝課・レースを担当し、
 昭和42年(1967)からは仙台事務所を創って東北6県の代理店担当をしていた。
 昭和46年(1971)からは大阪母店長として近畿を担当、
 翌昭和47年には中日本営業部長、直営部長と兵庫から東京・北陸まで、
 国内市場の中枢を担当することになったのである。

 ほんとに目まぐるしく動いた10年だったのだが、
 昭和48年(1973)からは大阪で新しく特約店制度をスタートさせ、
 日本の二輪業界では初めての二輪車専門販売店網を設立したのである。
 これは二輪業界の中でカワサキだけが50ccを持たなかったので、
 当時の50㏄を量販するホンダ・スズキ・ヤマハとは差別化した独特の販売網で、当時では非常に珍しいことだったのである。

 そんなことで二輪車新聞でも一面TOP記事で紹介され、

 


 その全国展開を図ることになって、
 たまたま当時新築していた三木の家に引っ越しすることになり、
 勤務地も大阪から明石の本社勤務となったのである。

 そして昭和48年(1973)10月からは企画部長として、
 全国の販売網の担当となり、特約店制度の全国展開に直接あたることになったのである。

★昭和49年(1974)には、東北、北陸、中国、九州など地方の特約店制度も完成し、ほぼ全国展開となったのである。
 そして翌年昭和50年には、最後に残った群馬・栃木・広島などの特約店制度を完成させて、
 10月には10年間のカワサキオートバイ販売へ出向を終えて、
 川崎重工業の単車本部企画部へ復職することになるのである。

 カワサキオートバイ販売では、ほぼ10年前から課長と呼ばれ、早い時期から部長、それも東京・名古屋・大阪と言う太平洋メガロポリス地区の担当など大きな仕事を担当したのだが、
 川重の企画に戻てみると『課長』だし部下も5人ぐらいのホントに世の中の「課長」に戻ってしまって、何か拍子抜けしたような感じになったのである。


★個人的には、昭和49年(1974)41歳の時にゴルフを始めている。
 始める時期が遅かったのだが、仕事が忙しくてゴルフどころではなかった時期が続いたのである。
 ゴルフも始めると結構一生懸命練習もしたのだが、野球をやってたので『まっているボールを打つなど簡単』と思っていたが、なかなかそう上手くはいかなくて、
 半年後の初ラウンドでは64・65・54と大叩きだったのである。
 その後もゴルフの練習は一生懸命やったのだが、なかなか進歩せずに、
 80台で廻れるようになったのは5年後からで、
 その頃には播磨カントリーのオフィシャルハンデーが10になったのである
 

  

 
 これはさらにもっと後だが、
 この頃が一番いい時代で、たまには70台で廻れたりしたのである。
 
  

 何でもやりかけるとハマってしまう性格は、
 息子や娘もそっくりで二人とも子供のころから運動は得意分野だった。
 この当時は息子は小学生の5年、6年当時だが、
 サッカー三木代表チームにも入って兵庫県大会で優勝したり、
 関西のトレセンに選ばれたりしているので、
 私もこの当時は息子のサッカーを追っかけたりしていた。

 娘のほうは、私が不得意だった長距離走が得意で小学校から中学校までずっとマラソン大会は優勝が定位置だった。

 そんなことで、この時期の日記には子供たちの記述も多いし、
 魚釣りにもメチャ熱心で鮒釣りの記述がいっぱいなのである。

 この三木の家も建てたばかりで、毎年支払える金の範囲で造園もやっているし、
 40代前半、私もやはりまだまだ若くて元気な時代だったのである。


  
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兵庫県立大学野球部OB会

2023-12-23 06:11:08 | 発想$感想

★かっての神戸商大は今は大学合併などがあって兵庫県立大学となっている。
 私はその神戸商科大学卒業なのだが、
 大学に通った5年間は4年間が野球部、そして主将などを務め、
 野球には入れ込んでいたので1部にいたし、
 リーグ戦での戦績も常に上位にはいたのである。
 学業成績はダメだったが単位は取れてたので卒業は出来たのだが、
 1年留年して野球部監督などしていたので、
 『神戸商大野球部卒業』と言ってもいい学生生活5年間だったのである。

 野球と言う競技は、何と言ってもピッチャーで、
 いいピッチャーがいるチームは強いと言っていい。
 私は運よく、そんないいピッチャーに恵まれて、
 学生時代は楽しくオモシロイ野球部生活だったのである。 
 明石高校時代は完全試合もやった溝畑圭一というピッチャーがいたお陰で甲子園にも出れたし、
 神戸商大監督時代小山修身という54イニング連続無失点(当時の生野球記録)を記録した投手がいて、
 点を取られないのだから成績もよくて優勝は出来なかったが、
 近畿大学に次いで2位の地位にいたのである。

★現在の現役諸君は三部リーグにいて強いとは言えないのだが、
 野球の世界もどんどん進歩して70年も前の私の現役時代と比べると、
 結構よく打つのだが投手がもう一つで、それ以上に打たれてしまうような結果なのである。
 リーグ戦では1試合5点弱の得点なので結構打っているのだが、
 逆に1試合8点も取られているので、これではなかなか勝てないのは間違いない。

 現役諸君はそんな状況なのだが、
 この兵庫県立大学の野球部OB会はなかなかのもので、
 毎年1回OB総会があって、母校のグランドでプレーを楽しんだのち総会があるのだが、
 出席できないOBたちからのオークション寄贈品の競売などもあり、
 約30万円が現役に寄贈されたりするなかなかいい内容のOB総会なのである。

 そんなOB総会の写真なども送られてきたのでご紹介する。

 これはOB間のソフトボール試合だが、
 90歳ながら一応はプレーもさせて頂いたし、
 ベースランニングでは1周30秒ながら完走して、
 「古谷先輩・90歳ながら圧巻」と 褒めて頂いている。

 


  久々のソフトボールも楽しかったし、

   
 


  総会では最高齢と言うことで乾杯の音頭などもさせて頂いた。

  


 こんな立派な写真付きの報告書がOB諸兄に配布されるので、
 出席しなかった同期の連中や現役時代の連にも、
 私の近況も解って頂けるので、なかなかいいなと思っている。

 こんな形式の楽しいOB会になったのは、
 私の2年先輩の太田武郎さんがOB会会長をされて以来だが、
 来年も11月には開催されると思うので、
 元気に出場できるように、
 この1年また、トレーニングに励みたいと思っている。
コメント (2)
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今年の1年、こんな年だった

2023-12-21 14:33:03 | 発想$感想

★今年も残り10日になった。
 2023年という年はどんな年だったのだろう?
 この1年のことなのにもう一つ想い出さないのである。
 
 体のほうは結構ちゃんとしているのに、
 記憶力などアタマのほうはどんどんダメになってしまう。

 そんなことで、この1年をFacebookで確かめてみた
 そんな画面を見ると、『そうだったな』と思いだすのである。

 7月にアメリカから娘がやって来て、有馬温泉に招待してくれたのも忘れかけていたのだが、
 そのあと「息子もやって来た」のは、全く忘れてしまっていて、
 息子とは長く会っていないなと思っていたのである。

 
 


 ずっと1年間を遡ったのだが、
 カワサキとバイクの話題が多くて、この「二輪との関係」が、
 私の人生を豊かなものにしてくれたなと改めて思ったのである。

 「二輪 雑感日記」 とGogleで画像検索すると、
 こんなにいっぱいの写真が現れる。


  
  
 

 もうすぐまた新年だが、
 今年の元旦はアメリカから孫たちが来てて、
 賑やかだったのだが、もっと前だったような気がするのである、






  いまのスマホを買ったのが、ちょうど1年ほど前だったのは
 全く忘れてしまっていた。
  1台目のスマホがどのように壊れたのかも全く覚えていないし、
 今使っているパソコンのキーボードも、5月頃におかしくなって、
 富士通に言ったら無料で交換してくれたのだが、
 それもすっかり忘れてしまっていた。

 忘れてしまっていても、Facebookの記録は残っているので、
 重宝しているのである。




★この1年も何となくもう10日ほどになってしまったが、
 来年は、果たしてどんな年になるのだろう?

 この調子では、さらに記憶力などはダメになっていくのだろう。
 そう言う意味でも、この『雑感日記』さえ続けて行けば、
 何とか記録だけは残っていくので、がっばって続けて行きたいと思っている。


  
  
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結婚60周年

2023-12-21 07:13:35 | 発想$感想

★ 昭和37年(1962)12月21日に結婚したので、
 めでたく結婚60周年を迎えたことになる。
 
 50周年の年の秋にはアメリカに遊びに行っていて 
 ニューポートビーチで撮ったこんな写真を、

 
 


  娘がこんな額縁にして贈ってくれたのである。
 
   


  結婚以来、初めての『結婚〇〇周年』のお祝もので、
  60年も経つのだが、『結婚祝い』などはこの写真が初めてで、
  特にお祝などしたこともないし、
  昨今は流石にアメリカなどにも行かなくなったし、
  殆ど家で静かに暮らしている毎日だから
  結婚60周年は特に何事もなく静かに夫婦二人で過ごすことになるのだろう。


★ 結婚60周年を『ダイヤモンド婚』と言うらしい。
  そんなことも調べてみて初めて知ったのである。
  このような名前を付ける風習はイギリスからはじまったとされていて、
  1年目の紙婚式から15年目の水晶婚式までは毎年名称がついていて、
  それ以後は5年ごとを節目の年として名前が付けられているのだとか。

 





 65周年は『ブルーサファイア婚』と言うらしいから、
 何とはそこまで頑張れればいいなと思っている。

 


 70周年は『プラチナ婚』と言うらしいが、
 70周年を迎える方も、人生100年にもなれば、本当に出てくるのかも知れない。


これは10年前、息子のいる鎌倉に遊びに行った時の写真だが、
 右が息子・古谷大治と左は娘にほうの孫の長男・門野力也

 



  家内もまだまだ元気だった




    


  
 今、娘のほうの孫の次男・門野真也が日本に遊びに来ていて、
 24日には三木来て正月も三木で過ごすようだから、
 彼が来たら、60周年の記念写真でも撮ってもらおうかと思っている。
 そんなことで今日は二人で静かに過ごす『結婚60周年』になりそうである。

 お祝いのケーキぐらいは買ってこようかなと思ったりしている。
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老後の年金生活    雑感

2023-12-20 06:43:04 | 発想$感想

★ 現役時代、特に子育て時代には、
 毎月引かれる年金の額の多さに、当時は辟易していたのだが、
 いまになってみると毎月の年金が生活の基盤になっていて、
 家の修理や特別のことでもない限りすべて毎月の年金で賄えている

老後の生活費はいくら必要?』なのか?
「生活保障に関する調査」の回答では、
夫婦2人の老後の最低日常生活費は20~25万円が最も多く、平均で月額22.1万円とある。

 



 こんなデーターもあって年金の受給額は15~22万円ぐらいが一番多いようだが、
 我が家の場合も大体平均よりちょっといいぐらいで、
 毎月の生活費は年金額のなかに収まっているようなので援かっている。

  


★ 私の場合は会社員と専業主婦だったので、
 子どもたちが独立するまでの家計は大変だったが、
 70歳以降の老後の生活は安定していると言っていい。
 退職後も70歳代の前半辺りは、旅行に要る金も掛かったりはしたのだが、
 だんだん、金を使うことがなくなるから不思議である。
 夫婦お互いが80歳を過ぎると、あまり欲しいものが無くなってしまうので、
 一番大事なのは『健康』かなと思う。

  


★ 一時年金は破綻するなどと言われたりしたが、
年金制度は破綻しないものの、年金改革によって年金の給付額が減る可能性は高いとか言われている。
年金をもらい始める年齢を遅らせれば、年金額を増やすことは可能だし、
受給開始の65歳から70歳まで遅らせると最大で42%も年金額を増額することができるらしい。
そう言う意味でも一番大事なのは『健康で長生き』することだと思っている。

 兎に角、現役時代は『年金の支払額』が多いと不満だったのだが、
 健康で長生きしたお陰で、私たち夫婦の場合は、『安定した老後の生活』が送れていて、
 明日はお陰様で『結婚60周年』を迎えることになるのだが、
 そのベースにあるのは『年金』であることは間違いないのである。
 何もしなくても毎月定額が貰えるということは最高で、
 今では本当に『年金有難う』なのである。
 

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日記 70年目に入っている

2023-12-19 06:58:51 | 自分史

★日記を書きだしたのは、昭和28年(1953)11月8日からだから、
 20歳の頃からの記録が残っていて、
 70年目に入ったということなのである。

 私は大してムツカシクないことを継続するのは得意と言っていい。
 日記のほかに70歳の頃から始めたストレッチもそうだし、
 最近では、毎朝のスロー・ジョッギングなどがそうである。

 そんななかでも一番長いのは日記で
 70年間の日記が本棚に残っているので、
 昨今はその日記を読み返しているのだが、

 
 

 人間、覚えていることは覚えているのだが、
 それ以上に忘れてしまっていたことが多いのに驚いている。
 若し日記を書いていなければ、そんなことは永久に想いだしたりはしないことになる。

 以前にも書いたが、日記を書きだした直接の動機は朝日新聞に、
 『蒋介石は30年も日記を書いていてエライ』とあったので
 『日記を書くぐらいなら・・・』と確かその日から書き出したので、
 1年目の日記は大学ノートなのである。


  



 その後は毎年1冊づつの日記帳が続いていたのだが、


  

  
  約20年続いて、
  昭和47年(1972)からは3年連続日記になっている。
  3年連続になると日記帳の値段も4000円にもなるのだが、
  その頃には間違いなく続くのが解っていたので3年連続にしたのである。
  
 



 3年連続の日記帳を使っていた時期も長かったが、
 2000年には退職して定年後の生活に入ったので、
 書く内容も少なくなるだろうと、『5年連続の当用新日記』となっているのだが、
 この日記になると値段もさらに高くなるのだが、
 この日記が4冊・20年間続いて、





  90歳代に入って、
  殆ど毎日同じような単純な生活に入ったので、
  こんな少し小型の5年連続の日記になって、
  この日記帳が終るのは93歳なのである。


   



 来年を含めて、あと3年残っているのだが。
 果たしてもう1冊新しい日記帳を買うことになるだろうか?


★今では日記帳は1日に5行のスペースしかないので、
 本当に単純なことしかかいていないのである。
 ただ、この記事もそうなのだが、
 2006年9月からスタートした
 ネットのブログ「雑感日記」ももう17年続いていて、
 これは写真もあるし文章の量も多いのである。
 今ではこれを書くことが日課の一つになっている。

 いずれにしても、日記もこの雑感日記もいつかは終わることになるのだが、
 果たしてそれはどんな終わり方になるのだろうか?
 

  
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二輪文化を伝える会

2023-12-18 06:51:21 | 発想$感想
★「二輪文化を伝える会」は松島裕さんが2012年6月に立ち上げられた。
最近NPO法人化したこともあって、
自動車工業会の二輪メディMOTOINFOに取り上げられたりしたようである。






これがその記事の内容なのだが、少々長いが関心のおありの方はお読みになればいい。




★私は松島裕さんとは、2009年7月にNPO法人The Good Timesを立ち上げた時からのお付き合いで、
そのホームページの制作者が松島裕さんなのである。

  
  


これがそのNPO法人 The Good Timesのホームページなのだが、

非常によくできていて、毎日訪問者がいてそれが延べ137000人にもなっているのである。
 
このNPO法人 The Good Times 初代の理事長が私で、
2代目はMFJの殿堂入りを果たした山本隆さんなのだが、

  
 
 
 3代目の理事松島裕さんが来春から引き受けてくれることになっていたのだが、
 山本隆さんが急逝されてしまったので、
 すでに3代目理事長になって頂いているのである。


★このNPO The Good Times の理念
異種・異質・異地域をみんな繋いでいい時を過ごそう』なのだが、
 その原点は
 Kawasaki.Let the Good Times roll!  なのである。
 1973年にアメリカKMCでアメリカ人によって発想されたコンセプトで、当時のアメリカ市場では大人気でコマーシャルにも歌にもなってもてはやされたのだが、
 数年後には消えてしまったものを1990年代に国内市場で復活したのである。

  
   

 
  正規の日本語訳はないのだが、
 『カワサキに出会う人たちが、みんなハッピーになるような活動をカワサキは転がし続けます。』と言うようなことだと思っている。

  そういう意味で
  NPO The Good Timesに出会う人たちがみんなハッピーになればいいと思って、創ったNPO法人なのである。

 今現在はカワサキモータースの基本コンセプトとして
 正規に使われているので、
 もう消えることはないと思っている。


  



★NPO The Good Times のホームページの制作で、松島裕さんとは繋がったのだが、
このNPO法人The Good Times は 団体会員と個人会員で形成されていて、
 松島さんはこのNPO法人The Good Timesの団体会員として、
 二輪文化を伝える会 https://2rin-tsutaeru.net/ を立ち上げられたのである。


 



松島裕さんは、鈴鹿8耐を走った経験のある元レーサーであり、
本業のWEB制作以外にも「二輪文化ラジオ」といったWEB番組運営のほか、SNSや講演会、トークショーなどを通じて、バイクの素晴らしさや歴史などを広く伝える活動も行っていて、
メーカーにできないことをやる、それが我々の使命」と言っておられるので、
 是非頑張って欲しいと思っているのである。

 NPO法人・二輪文化を伝える会 と共に
 NPO法人・The Good Times  理事長にもなられたので、
 二つのNPO法人を上手に結んで、
 『松島裕さんに出会う人たちがGood Timeになるような活動』を
 是非、実現して欲しいなと思っているのである。
 






















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