雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

まぐろ淡路プロジェクト

2010-04-30 04:18:00 | みっきぃふるさとふれあい公園
★昨年6月から、NPO法人The Good Times が応援し続けてきた『潮流、海流発電』がここに来て、新しいステージを迎えようとしている。

今朝私はツイッターでこんな風につぶやいた。
『潮流、海流発電』 淡路市岩屋に新事務所完成、看板も付きました。
開発者の鈴木さんは、今日から韓国に最終調整に出かけます。
連休明けの5月には『世界初の潮流発電』がお目見えするかも知れません。』

ホントに5月には、世界初の潮流発電が実現するかも知れないのである。
何事も全く新しいことは、『やってみなければ解らない』のである。
みんなが遊びで海外への旅行の時期に、ノヴァエネルギーの鈴木清美さんは韓国に最終調整の旅に出る。

それが、上手くいけばいよいよなのである。
NPO The Good Times のホームページは見た目には変わりはないのだが、
その機能は新しいものに変わっている。
その第1号の記事が『潮流、海流発電の記事』でスタートできたのも何かのご縁である



★淡路の新事務所の壁にこんな看板が設置された。
この写真、ツイッターのこんなつぶやきの中から頂いてきた

潮流発電も、淡路島では大いに話題になって、こんなツイッターにも登場するまでになっているのである。

3月にスタートしたjapannovaenergyの公式ツイッターも2300人を超えるフォロワーに
なったし、
淡路に現物が入れば、果たしてどんな展開になるのか?
なかなか予想できないのだが、いよいよ新事業としての展開が始まるのだろう。


★この事業は、世界で初めての事業である。
マグロタービンという製品を売る事業のように見えるが、
発電量を得るシステムを売る事業でもある。
潮流の流速によってその発電量はどのくらい違うのだろうか?
そして今回、韓国から持ち込む製品は一番最小の物で、中型、大型のそれは今からの問題なのである。

今タッチャンが、事業計画書のコンセプトを作っているが、
今後の展開をどのように考えるのか?
メーカーは誰なのか?

考えているだけで、面白い。
発想は柔軟でなければならない。

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連休前の1日

2010-04-29 04:29:37 | カワサキワールド
★世の中はゴールデンウイークが明日から始まる。
そんな1日前のウイークデイである。

年金暮らしのサラリーマンOBにとっては、年中ゴールデンウイークみたいなものである。
本物のゴールデンウイークは交通ラッシュなどもあって、
逆にこの期間だけは混雑を避けて家で大人しく過ごそうと思ったりするのである。

今日は、朝から珍しく夕方まで神戸でぎっしり予定が入って、結構忙しい1日を過ごしたのである。


★朝一番、カワサキワールド見学から始まったプロジェクトは、まだ、その内容は明らかには出来ないが、
スケールの大きい夢もビジョンもある、結構面白い話であった。

なかなかこんな話は出てこない。今日は仲間と一緒にじっくりとそのコンセプトをお聞きした。
この数ヶ月のうちにいい動きが出ればいいと思っている。

午後からは、同じカワサキワールドで、二輪雑誌社の『赤タンク時代』の取材があった。
この時代がどんな時代であったのかは、先週このブログに記したが。
今日はそのB8のエンジンをはじめカワサキの2サイクルエンジンのほとんどを手がけた松本さんや、
初代の赤タンクレース監督であった大槻さん
当時のメカニックの中心福田さん、
それに当時のライダー山本隆君などが当時の資料や写真などを持ちよっての取材協力であった。

びっくりしたのは、みんなそれぞれ当時の記録や写真など貴重なものをお持ちなのである。
福ちゃんとはほんとに久しぶりだが、話しぶりは40年前と全然変わっていない。
私にとっては懐かしい思い出いっぱいの半日であった。

何ヶ月か後に、専門雑誌にその内容が載るのだろう。




★帰宅したらこんな写真が送られてきていた。

ノヴァエネルギーの潮流海流発電の淡路事務所が建設されて、看板などの設置も出来たのである。
淡路市や岩屋漁協の全面的な協力でこんな立地に現物の展示実験場が開設されることになった。
開発者の鈴木清美さんは明日から韓国に最終調整で出張する。
早ければ連休明けにも、韓国から現物が到着するかも知れない。

ここでいよいよ『潮流、海流発電の世界初の公開実験』が行われるのである。
この2年間ずっとこのプロジェクトを追っかけてきたNHKや各マスコミの取材もあるだろう。

この6ヶ月応援し続けてきたNPO法人 The Good Times のメンバーたちにとっても新しい時代の幕開けになるだろう。
どんな小さなことでも日本初、世界初は面白い。

5月がどんな月になるのか、非常に楽しみである。
今日、一緒に過ごした仲間たち、3つのプロジェクトにみんな絡んでいるのも面白い。
みんな日本初などは幾つも経験して物怖じだけは絶対にしない仲間たちである。

こんな仲間たちと、いつまでも少年のように、夢は持ち続けたいものである。
そんなことを実感した1日であった。


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最近、三木は動きかけました

2010-04-28 04:40:47 | みっきぃふるさとふれあい公園
最近私の周辺の三木の動きが面白くなってきました。

私たちの周辺の動きで決して、全体の動きではないのいですが、間違いなく、今までとはちょっと違った動きです。


★市会議員のmoteさんから、私のブログに『三木おもろいわ』の仲間になるのはどうしたらいいのですか?
とコメントを頂いた。

三木おもろいわ』と言うのはこんなサイトである

三木のブロガーたちを集めていて、更新されるたびにそのブログが順次現れる仕組みである。
右側には”みき”に関する新聞記事も順次拾えるようになっている。

NPO The Good Times の『会員さんのブログ』と同じシステムで、元々私のところにきたのだが、とても技術的に手に負えなかったので、さるとるさんにまる投げして彼が上手く纏めてくれているのである。

経緯はいろいろあるが、
このサイトの仲間になりたいと議員さんが思われるところが面白いのである。
無視されても不思議でないのに、何故?


★一番大きいのは、最近突如として、
この1月に市長選挙に出ておられたれた『いなだ三郎』さんがブログの世界に復帰されて、
めっちゃ頑張っておられるのである。

選挙期間中には、ブログなどとてもとてもと言うレベルで、娘さんの手取り足取りの状況だったのに、
今は一生懸命勉強されて、
こんな立派なブログを毎日アップされているのである

この変化がなかったら、moteさんが仲間に入りたいなどとも仰らないだろうと思う。
つい最近、『いなださん』が『三木おもろいわ』にも参加されたのである。
やはり核になる人の動きの変化は、いろいろと影響力を持っているものだと思っている。


★最近は、いなださんに刺激されて、私のこのブログも毎日いなださん関連である。

この方の最近の動きも注目である。
斉藤記者、神戸新聞の記者さんだから、三木の記事を書いて当然なのだが、
『潮流発電』も『筍の恋人』もその取り上げ方が一味違うのである。
昨日は三木防災公園のフルマラソンの記事だった。

何か、三木の仲間のような暖かさを感じているのは、私だけではないようだ。


★私たちが応援している、『潮流、海流発電』も至極順調で、
公式ツイッターのフォロワーは、問題の2000人をあっけなく超えたし、
神戸新聞の斉藤記者はじめ、いろんな方が応援してくれている


淡路市岩屋の建物もオープンしたし、
韓国からの『マグロタービン』ももう直ぐ到着する方向での動きである。

淡路市の全面的な応援は、そこに世界で始めての『潮流発電の展示場』が作られるのだから当然かも知れぬが、
この開発、発祥の地、『三木市』からも正式支援のお墨付を頂いた


もう4月も終わりに近く『もえぎの季節』だが
五月の空に泳ぐ『鯉のぼり』ならぬ
5月の海に泳ぐ『マグロタービン』の姿が、連休明けの5月には本当に見られるかもわからない。

『三木』は今、結構元気なのである。

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赤タンクのカワサキの時代ー3 1965,1966

2010-04-27 05:06:53 | カワサキ単車の昔話
★1965 昭和40年

カワサキのレース活動の実質2年目、ようやく組織らしい活動の状態になった年だとも言えるだろう。
2月に山本、歳森のBSとの仮契約騒ぎがあって、神戸木の実の主宰者、片山義美さんにその調整を依頼しその会談に出席して、今までヨコから見ていたレース活動に初めて正式に手を染めることになったのである。

そのときの話し合いの中で、片山義美さんに指摘されたことが、カワサキのレース活動の質を一変させたと言ってもいい。

山本隆君のBSへの移籍の動機にもなっていたロードレースへの参加も、
5月に会社には黙って非公式に出場を果たした。
これを手伝ってくれたのも田崎さんである
その結果が思わぬ3位入賞となって、6月の鈴鹿6時間耐久レースにカワサキとしては正式にロードレースへの参加を決定したのである。

社内にも技術、営業、生産の各部門のメンバーを集めた『レース運営委員会』なる組織が正式にスタートして、その事務局を担当した。
同時に、MFJの運営委員会にも各社の錚々たるメンバーに若輩ながら末席に参加させていただいたりした。

6時間耐久レースには、大槻レース監督という初めての形で望んだし、このレースにカワサキのライダーとして、初めて金谷秀夫が歳森康師と組んで出場したのである。
金谷もこの年、新人としてのデビューであったが、
モトクロスの世界でも、星野一義もアマチュアの資格ながらモトクロスに参戦し、全日本をはじめあらゆるレースで抜群の成績を残したのである。
その星野の好敵手だったのが、同じクラスのスズキの吉村太一ちゃんであった。

鈴鹿の24時間耐久レースが開催されたのもこの年である。
カワサキは勿論まだ不参加だったが、MFJの役員と言う形で参加した。
夕方の5時のスタートであった。

秋のGPにはカワサキも安良岡健の個人参加と言う形での参加があって、ようやくロードレースにも本格的な活動を開始した記念すべき年であった。


★1966年 昭和41年

この年までの3年間、カワサキのレースを担当した。
この3年目は、いいこともあったが大変な年でもあった。
初出の日、1月5日に藤井敏雄君と契約の件で話をした。こんなことでこの年がスタートしているのである。

カワサキもGP125を本格的にやるべくライダーも安良岡の一人から金谷、藤井の3人体制でスタートさせたのである。
藤井敏雄君とは本人のたっての希望で秋の日本GPまではライダー契約ではなく、『マシンの貸与契約の形』で欧州のGPを転戦し、その結果を見て個人契約を結びたいと言うことだったのである。

日本GPと言えば、この年鈴鹿からFISCOにその舞台が変わることになっていて、MFJの運営委員会ではホンダさんがあの『須走り落とし』と言われた第一コーナーが危険と主張し、日本GPへの参加を見送った年でもあった。

レースには関係ないのだが、7月6日には、『ビートルズが東京にやってきた』
その翌日の、7月7日から、
カワサキのF21Mのファクトリーマシンの製作が、故松尾勇さんの手でスタートされたのである。モトクロス職場で、ヘリコプターのクロモリのパイプに砂をつめて1台ずつつくりあげる文字通りの手作りであった。
7月11日に1号機が完成している。
ダブルクレードルの松尾さんが設計図もないままにつくりあげたフレームに238cc単気筒エンジンを積んだ独特の排気音は技術オンチの私でもよく覚えている。

その後一世風靡した名車としてレース界に君臨したのである。
『カワサキの赤タンク』の名声を作り上げたのはこのマシンと
当時の山本隆、歳森康師、梅津次郎、岡部能夫、星野一義のライダーたちだろう。

当時はジュニア、アマチュアなどにも、大型専用トラックに満載するほどの貸与マシンを積んでのレース活動で、50台ぐらいのマシンを積んでの出場だったのである。
カワサキのMX黄金時代であった。

★この年の後半は、ロードレースで大変な年であった。

8月27日、マン島のプラクテイスで藤井敏雄君が転倒、帰らぬ人となったのである。

そのあと、日本GPのライダーとして契約したデイグナーもFISCOの練習中に転倒、一時はその生死もわからぬような事態になったのである。

外人契約をするのも初めてで、社内には経験者は一人もいないので、ホンダの前川さんに、鈴鹿まで教えを乞いに伺ったりしたのである。
その契約金を円で結んだために当時、円は海外の持ち出せないために、日銀に顛末書を書いて、何とかしてもらったなどのおまけまでついた。

この10月のレースと、そのあとのモーターショーで、約3年間の有り余る予算のあたt広告宣伝活動とレース活動も担当の期間を終えるのだが、この数年間の経験がその後の人生を左右したとも言える。

ほとんどすべてが『未知の分野への挑戦』であった。
社内には教えてくれる人はいなかった。
当時、カワサキのレースを支えた人たちは、みんな、
技術屋さんもメカニックもライダーたちも、みんな自分で道を拓いた人たちなのである。

知らず知らずの内に『厚かましく、無鉄砲で、未知の世界を恐れない』そんな体質になってしまったのだろう。
そのとき一緒に同じ夢を追っかけた人たちは、みんな職位などを超えた『仲間』なのである。

『カワサキ赤タンクの時代』 そんな時代に生きられて幸せであった。
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赤タンクのカワサキの時代ー2 1964年

2010-04-26 04:21:05 | カワサキ単車の昔話
★1964年 昭和39年

この年に『日本能率協会の調査報告』を受けて、
単車事業は本格的に事業として推進することが正式に決まった。

本社からの広告宣伝予算も3年間開発費として1億2000万円が支給されることになり、それを担当することになった。
2月1日に広告宣伝課がスタートはしたが、課長も係長も不在で苧野部長の直接担当でその次に平の私という不思議な構成であった。

広告宣伝課だから勿論広告関係の仕事もやるのだが、予算金額が大きすぎて、誰も経験がないし大変であった。
広告代理店だけはこの予算を目当てに、電通も博報堂も大広も出先ではなく本社からのアプローチで、当時の広告の最先端の企画担当者と付き合えたのは至極勉強になった。

金はふんだんにあるのでレースもここからと言うことになったし、あちこちの部門からこの予算目当てにアプローチがあった。
各部の部長さんたちから直接平の私に交渉ごとなどがあって、とにかく普通ではなかったのである。
結構、贅沢な使い方をしたのだが、この年は7000万円ちょっとしか使えず、本社の専務さんに『お前らは金をやってもよう使わん』と不思議な怒られ方をした。


★レース関係では、ライダー契約もほとんど実績のなかった若手に100万円近くの契約をしたり、
三橋実君が主宰していたカワサキコンバットに毎月20万円の運営費を渡したりしたのだがそれでも使いきれなかったのである。
ちなみに当時の私の年俸は40万円にも達していなかった時代の1億2000万円なのである。

広告宣伝費で下取りしてきた中古のヘリも持っていたし、ヘリコプターをあちこちに飛ばして代理店のお客を乗せたりもした。
4月からはこんなヘリの運営とレース担当に大西健ちゃんが来てくれて、レース場などにもヘリコプターを持って行ったりした

当時カワサキはレース界では新入りではあったのだが、
スズキやヤマハの有名ライダーたちにヘリに乗せろと頼まれて、こんなことで仲良くなった。
6月にはヤマハの荒井市次くんが、
7月は城北ライダースの久保克夫くんや
当時のレース界での顔だった新明和の河村さんなどとも直接会って、話が出来るような関係にはなっていた。


★レースは4月25,26日MCFAJの朝霧高原での全日本モトクロスなどあったが、とても全日本レベルでは勝てたりはしないので、地方レースばかりを毎週広告宣伝という名目で出場し、そこでは当然優勝できるので、その結果だけは『優勝、優勝』と広告代理店の本部がパブリシテイで各地方紙に記事を流してくれたりして、『本当にカワサキは強いのか?』と業界の人たちまでが錯覚したのである。

当時のライダーは、
神戸木の実から山本隆、歳森康師
カワサキコンバットは三橋実、安良岡健、梅津次郎、岡部能夫、加藤清丸その他で
特にカワサキコンバットには、ライダー養成なども目標に20万円の運営費を渡していたので、全国から才能のある無名の若手がいっぱいいたのである。
星野一義や金子豊君も当時はそのone of themであった。

こんなライダーたちが毎週全国各地の『勝てそうなレース』を狙って何班かに分けて出場していたから、毎週のように『赤タンクのカワサキ』は優勝していたのである。

★こんな『どさ廻り』をやりながら、新人カワサキも徐々に実力を上げて、
秋ごろには、当時の御三家と言われた久保、荒井、三吉の『三吉一行』君もクラス契約などしてそこそこの実力になったのである。

私はレースは管轄していたが、直接は担当していなかったのだが、
9月10日に、当時の全国カワサキ会の会長をされていた荻原さんの地元で
『山梨モトクロス』が開催され、来年新発売の85J1 のモトクロスマシンの初登場と言うこともあって、直接レースチームの責任者として現地に行くことになった。

当時はまだ正式にレースチームの監督などはいなくて、カワサキコンバットの三橋がチームを統括していたのではと思う。
このレースもメカニックの統括として一緒に行ってくれたのが、田崎雅元さん(元川重社長、会長、現相談役)である。
彼はそのころは、製造部門にいてレースも色濃く手伝ってくれていた仲間なのである。

★この年の10月10日、東京オリンピック開会式の当日、
伊豆丸の山のMCFAJ全日本モトクロスでカワサキは4種目中3種目を制覇した。

さらに11月8日には、和歌山紀ノ川で
スポニチ主催の西日本モトクロスの開催にこぎつけた。
これはカワサキが熱心に仕掛けて実現したのである。
スポーツ紙がモトクロスを主催したのは、初めてであったし主催であったから当然記事は大きく報道された、
このスポニチのモトクロスはその後何回かシリーズで行われ、確か何回目かの加古川の大会には、全日本クラスのメンバーが出場する大会にまでなったと記憶する。

この和歌山のレースが星野一義が初めてレース場を走った実質デビュー戦なのである。


★1964年、昭和39年がカワサキが実質レース活動を開始した年である。
モトクロスだけで、年初はヨチヨチ歩きではあったが、1年でモトクロスでは確固たる地位を築く基礎だけは出来た。

当時のレースにいろいろ関係の会った人
山田てる明、苧野豊秋、中村治道、高橋鉄郎、大槻幸雄、田崎雅元、その後みんな偉くなられたが、
そのころはトップも成り立て部長、高橋鉄郎さんもまだ係長だった。

カワサキはレース以外、競合3社に勝てるものは何一つなかった時代である。
モトクロスと『元気、無鉄砲』さだけは、際立っていた。

『隣国の兵は大なり、その武器は豊かなり、その武勇は優れたり,然れども指揮の一点譲るべからず』
会合でのスピーチの度に、必ずそう言われた岩城良三さんが事業の指揮官であった懐かしい時代である。
(続く)


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赤タンクのカワサキの時代

2010-04-25 05:09:29 | カワサキ単車の昔話
★カワサキがレース界に参入した黎明期、カワサキのモトクロスマシンのタンクは赤く塗られその上に『カワサキ』の文字のある独特のものであった。
誰言うとなく『赤タンクのカワサキ』と呼ばれるようになったのである。

そんな時代のカワサキライダーの山本隆君、60おじさんと当時のカワサキのレースの取材を28日にしたいとの雑誌社からの申し入れがあって、出席することになっている。
そんなことで当時の日記から、自分のために纏めようと思っている。

当時、ホントにカワサキの単車の初期のことだが。


★1962年、昭和37年

私が発動機営業の単車係に配属されたのは、前年の12月15日もことである。
まだ、125ccB-7の時代であった。まだ私も30才、独身であった。
その頃は、単車を事業として本格的にやるのかやらないのか定まっていなくて、職制変更が繰り返されていた。

3月1日に単車部業務課として発動機と分かれたと思ったら
4月1日には、発動機部が事業部制を敷いて
4月15日には、発動機事業部第二営業部単車業務課になったりした。

8月にはB-8の発売準備など進められた。

10月には、まだ建設中であった鈴鹿サーキットの看板広告の見学会などもあって、まだコースだけしか出来上がっていない鈴鹿を見たりした。
初めて聞くレーサーの爆音に驚いたりした。
勿論まだ、レースなどカワサキには関係はなかった時代なのである。

その時代にもすでに東京モーターショーはあって、カワサキも参加していた。
技術部や生産関係は人数もいたが、営業や管理は私を含めて3人ほどしかいなかった。

神田岩本町に『カワサキ自販』があって営業はここが担当、勿論海外や輸出などは始まっていなかった。
平井稔男さんなどは多分まだ近畿メイハツの所属だったのではと思う。


★1963年、昭和38年

この年の1月に発動機の管理課になっている。
名前は何度も変わっているが、やっていることは同じである。
ただ、非常に広範囲で、大げさに言えば企画、管理、広告宣伝、営業、物品税
などの事務関係の機能の単車に関すること一切をやっていた。

評判の悪かったB-7に代わって、この年からB-8が発売され、何もしないのに結構評判はよかった。

『5月19日、兵庫県青野ヶ原のモトクロス』

B-8のモトクロッサーを生産サイドの中村治道、高橋鉄郎さんたちがボランテイアで作り出場したのである。
予算もなかったのを当時の営業の上司の小野助治さんが『交際費から幾らか出してやれ』との指示で少しだけ都合したことを覚えている。私はそんな管理をしていただけで、レースには同じ係りの故河合寿一さんがマネージャー役をやっていた。

このレースはスズキ、ヤマハの強豪たちも参加していたのだが、当日は雨の水たまりの中を走るレースでみんな水をかぶって止まってしまった中をカワサキだけが防水対策もばっちりで、1位から6位まで独占すると言う信じられない結果になったのである。

このレースに出場したライダーたちは全員社内のテストライダー、加藤、飯原など清原明彦君の先輩たちで契約ライダーなどは一人もいなかったのである。
今回のカワサキ赤タンクの取材の主役、山本隆君は当日ヤマハでこのレースに出場したとか。

当時、勤労や企画のエライサンたちは、勝手にレースなどに出てと、あからさまに批判的だったのだが、1位から6位までの圧勝に急にご機嫌が直って、真ん中に収まっての記念写真なども撮られたのである。
まさに神の恵みの雨だった。

そんなこともあって、生産工場を中心に職場のムードは昂まり、当時この事業を存続すべきかどうかを調査していた『日本能率協会の調査報告』にも、『職場の意気高し』と存続再建を本格的にやる方向に決まったのである。

その年の11月にほぼ単車存続が決まり、発動機と単車は分離して単車再建の方向となった。



★『日本能率協会の調査報告』のなかに

『広告宣伝の独立実施』という事業再建の条件があって、
当時の川崎航空機の本社が本社開発費として当時の総売上高10億円の事業に年間1億2000万円の広告宣伝費を3年間出してくれることになったのである。

広告宣伝など誰も本格的にやった経験などなく、物怖じせずあつかましいのを見込まれて、『お前がやれ』とその担当を任されることになったのである。

当時私などの年俸が40万円にもならぬ時代であったから1億2000万円はべらぼうな金額なのである。
そんなことで、モトクロスレースも広告宣伝の一環と言う理屈をつけて、レース活動をこの広告宣伝費でまかなうことになったのである。

当時のモトクロスはスズキ、ヤマハ、BSだけであったが、運営費だけは新参のカワサキが圧倒的に有利で、私がレースを担当した3年間は幾ら使っても大丈夫なほど豊かだったのである。

そんな環境の中で、1964年からの『本格的赤タンク時代』が幕を開けるのである。
(続く)


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ムネオ日記

2010-04-24 04:22:03 | 政治

★鈴木宗雄さんブログ『ムネオ日記』を読むようになってもうだいぶ経つ。

いつも確りときっちりとご自分の意見を述べておられる。
鈴木宗雄と言えば一時マスコミに面白おかしく取り上げられた時期があって、一般に必ずしもいいイメージでは受け取られてはいなかったように思う。

このブログを毎日読んでいると、
不思議なくらい逆のイメージなのである。
今朝のブログも、なかなかユニークである。

幾らか、はしょってご紹介してみたい。
全文はこちらのリンクでご覧ください。

★『ムネオ日記

<< 最新

2010年4月22日(木) 鈴 木 宗 男

舛添新党が大きく取り上げられている。
手厳しい話が出ているが、私は新党を作る舛添さんの勇気を評価したい。残ることよりも出る方が勇気のいることであり、大変だからである。
 
あわせて、北海道から沖縄まで細長い日本列島を見る時、国民に様々な選択肢を与える上で、多様な文化、長い歴史を誇る我が国に、二大政党制はなじまない。
様々な価値観、地域の声がある。それに応える上でも、多くの政党が国民に理念、政策をしっかり訴えて、政治を行うことが肝要ではないか。
 
私は一人政党なので、政党助成金ももらえず、企業献金、団体献金を集めることも受け取ることもできない。個人献金とパーティー収入で政治活動費をまかなっている。
心ある多くの皆さんの浄財のお陰で、新党大地・鈴木宗男は政治活動をさせて戴いている

17日の札幌でのセミナーには、全道各地から2000人もの同志、後援者仲間が出席して下さった。今夜は本州、四国、九州の各地から、1800人の同じく心ある多くの皆さんが駆けつけて下さった。有難いことで、感謝の気持ちで一杯である。

私は、国民の税金から320億円もの政党助成金を戴いている今の仕組みをやめるべきだと主張している。それは、政党助成金制度を導入する際、企業・団体献金の禁止を条件にしていたからである。国民の尊い税金を戴くことになった経緯を守ることが、国民への約束である。
共産党は政党助成金を受け取らない。それを各党で分配しているのが実態である。与野党が一緒になって、即刻今国会で企業・団体献金をやめることを決めるべきだ。

濡れ手に粟式にお金を受け取る企業・団体献金をやめ、心のこもった、心の通った個人献金一本に絞るべきだ。その方が透明性も高まる。
一人政党、新党大地の鈴木宗男は、個人献金、そして幅広くご協力戴くパーティーで政治活動をしているのだから、各政党所属の議員も、努力さえすればやれることである。このことをこれからも強く訴えていく。』

★いつものことだが、共感できる意見がほとんどである。
今朝のテーマの政党助成金も止めるべきだと思う。
大体、支援する政党を持たない無党派層が主流の世の中なのだから、政党を助成しようと言う観念が国民の間にないとも言える。

政治と金の問題が言われて久しいが、今の政治のあり方を根本から改めるべきではなかろうか?
国会議員だからといって秘書がいっぱいいるのも不思議である。
その秘書も何をやっているのかよく解らない。
議員の支援者と言うのがまた『クセモノ』である。

一般の国民、市民とは離れたところで政治活動が行われているのではと思うのである。


★私の住んでいる三木市でも市会議員の数が多いと問題になっている。
名古屋もそれがもっと強烈に言われている。
一番多いと思うのは、国会議員である。
何故、あんなに沢山の人がいないとだめなのだろうか?

根本から変えなければならないと思うが、
ご当人たちは、自らの職を奪うようなことは決めたがらないのはよく解る。

巨人の堀内が参議院に出ると言う。
そんなに個人を知っているわけではないが、何をするつもりなのだろう。
本人に言うよりは自民党に文句を言うべきかも知れない。
 

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思いつき ワンマン

2010-04-23 04:48:51 | 樋渡啓祐さんのこと
★武雄は樋渡さんが再選されました。
また、これからの4年間が楽しみです。

4年間と簡単に言いますが、それは若い方の場合であって、
この歳になると4年後?80歳を超えてるな、大丈夫だろうか?などと
至って呑気な私でも、そんなことがアタマをよぎったりする今日この頃です。

でも、樋渡さんや橋下さんのように、一見『思いつき、ワンマン』の人がいると、
ずっとずっと小粒ですが、方向で言えば昔の自分のようで、(というと今でもそうだと言われそうですがーー)非常に楽しい思いがします。
長生きの薬のような気がします。


★今朝の『武雄市長物語』こんな風に書いておられます。

『選挙戦を通じて、「思いつき」「ワンマン」と言われましたが、実はそんなことは全くありません(苦笑)。用意周到、考えに考え、相談に相談を重ね、その上で、最後の決断は先送りせずにスパッと行う。ただ、それでも、結果が伴っているかといえばそうでない場合もあります。』

政治家の方は大変ですね。何をしてもいろいろと言われます。
世の中、総評論家のような現代です。

ただ、『思いつき』という評価は、『何も思いつかない方たち』の評価でしょう。
『思いつき』はよく言えば『創造性、独自性』で、
ずっと考え続けていなければ、『思いつき』は決して生まれたりしません。
周囲に相談するというのは『チュック』『マーケッテング』だと思います。

そんなこともせずに、ただただ、つき走ったりするのは、
『思いつく人ほど』出来ないのではと思ったりします。
いろいろと相談したりする中で、『思いつきの質』が高まり、その目標の実現性も高まるのだと思います。


★こうも言われています。

『ワンマンとリーダーシップは区別は難しいところですが、20代の頃、尊敬する後藤田正晴さんから、「政治はあくまでも結果責任。結果が全てだ。ワンマンもボトムアップも関係ない。国民が結果を判断する。」と言われ続けてきましたが、そのとおりだと思います。
加えて、現代の要請として、丁寧な説明責任とプロセスの公開責任をきちんと果たしていく、それに尽きると思っています。』

『国民が判断する』という意味で、政治は説明責任もいるのだと思いますが、これはなかなか面倒だと思います。
末端の人の価値観もいろいろですから、すべての人に納得してもらうのは至難の業でしょう。

その点、民間は利益という数字さえ結果として出せば、あまり説明責任などないので気が楽なのかも知れません。
『思いつく人』などは稀少価値そのものですから、『ワンマン』でないと『思いつき』など生まれないのだと思います。


★といって『前例のある』ことばかりしていると、これが普通一般ですが、『旧態依然』と言われます。

政治家は、結局何をしても批判、批評の対象になります。
それをものともせず、突き進むことが必要なのかも知れません。

ぶつぶつ文句や、批判など聞こえてきたことは何度もありますが、
選挙運動の時のように正面きってボロカスに言われた経験はありません。
あれに耐えるのは、大変だと思います。

樋渡さん、大変ですが、とにかくがんばってください。

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お役所の窓口対応を考える

2010-04-22 04:14:38 | 発想$感想
★お役所の窓口対応がそっけないとか、悪いとか、
昔は『対応の悪さの代表』のように言われたものである。

昨日、アメリカの娘から電話があって、日本の免許証の期限が切れるのだが、
期日内には、帰国する機会はない。
この夏休みに帰るときに何とかならないだろうか、聞いてみて欲しいというのである。

★相手は、警察である。
どんな対応をされるのだろうか?

興味もあって、電話してみた。

9時からだとは解っていたが、わざわざ始業前の本部に電話をした。
当然だが守衛の方が出て、9時からなのでこの番号でいいから、電話をして頂くと担当部門につながるという。
対応は至極いい。「警察」という感じはぜんぜんない。


9時にその番号に電話をした。ここは中央の本部、交換につながる。
用件を言うと担当部門につながった。
このごろはどこにかけても『○○です』とちゃんと個人名を仰る。
『この件なら、明石試験場にかけて頂ければ、担当が具体的に対応するでしょう。免許が切れてしまうことはありませんが、具体的には担当部門に聞いてください』と
答えも非常に丁寧でかつ、一番気になっていることはちゃんと答えてからの対応になっている。

明石試験場にかける。ここでも交換台、用件を聞いて担当部門の女性の方が電話口に。
私自身が誰にでも『気安いモノの言い方』をするからだろうが、大概の窓口の方と直ぐ仲良くなる。
ここの担当の女性も、非常にてきぱきとかつ、親しみのこもった語り口で、細かく教えて頂いた。

★要は、日本の免許の期間が海外で切れても、
本人が試験場に出向いて書類申請をすれば、実技などは免除で簡単な目の検査など、
運転適正検査だけで当日中に、新しい免許証が発行されるそうである。


★今でも、『対応が悪い』 などと、お役所に限らずどこに対しても文句を言いたがる人もいるが、それは聞くほうの態度もよくないのではと思ったりする。
ほとんどの人は、みんなまともで、
こちらがまともな対応をすれば、当然相手もまともな対応になるのだと思う。

★そんなまともな人が集まっていても、それが組織になってその組織の対応となると、突然悪くなってしまうのが、組織の体質というやつである。

お役所の組織としての対応は、あまりいい点数はつけられないのが現実ではないだろうか。
これが組織の体質だとすれば、それを直せるのは下の人ではなくて、
窓口対応をよくするようにと指示をしている上の人たちの役割でないだろうか?


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大阪維新の会

2010-04-21 09:40:23 | 大阪維新の会、橋下徹氏
★『大阪維新の会』
橋下さんがまたおもしろいことを立ち上げました。
大阪府議からは30人が参加しましたが、市議は1人とか。

もうあちこちで話題になっています
直接の関係はないのですが、何年か前まで何の話題もなかった大阪が、全国の関心の的になることは、関西にとっていいことだと思っています。

大阪市の平松さんは、なぜか反対の意向です。
詳しいことは、よくわかりませんが。
私が、この方はいいと思っている箕面の倉田市長は、ツイッターでいっぱい、この問題についてささやかれています。


★時系列に並べなおしてみると、(ツイッターからさらに中身をはっしょっていますが)

● 僕は、橋下知事の「維新の会」にはもちろん入りませんが、大阪府・大阪市を統合する大阪都構想には絶対的に大大大大大賛成。これは必ずやるべし。

● 周囲との協調をまったく考えない大阪市と、大阪市に手出しできない大阪府。この並存では大阪に未来はない。東京に長く住んでた感覚からすると、東京都知事と都内首長が対等に言い争ってる図なんて想像もつかない。いつも「なんじゃこりゃ」と違和感。

● ちなみに大阪市が大阪市のことしか考えないのは、そこにいる人たち(市長・議員・職員)の役割としては当然。是正すべきは仕組み。

● 制度上は大阪市に手出しできない大阪府。それに対して強引に口を挟む橋下知事・・・それはともかく、制度上では手出しできないから、制度そのものを左右する「政治」の世界で手を出そうとするその手法は正しい。

● ちなみに、統合後の知事になるのは、橋下さんでなくてもいいです。平松さんならそれでもいいし、そこは選挙で決まるのだからそれでOK。1人のリーダー&1つの組織の体制で、大阪全体のことを考えていく仕組み。

● RT 大阪都構想。大阪だけの話でなく、政令指定都市をもつ道府県での制度設計や将来の仕組みのヒントになる考え方なのでしょうか?

大阪ほど府・市がギクシャクしてるかどうかは地域によってだと思いますが、大なり小なり共通の課題のような気はします。


● RT 『政令指定都市』『都道府県』という制度そのものが不合理?

全部が不合理かどうか。大阪府は他の都道府県に比べると非常に面積が小さいという特徴があるので、よりこの問題がより際立っているのかも・・・。


● RT 賛成ですが、他に良い名称ないもんですかね。

僕も「大阪都」ってセンスのイマイチ感には同意(笑)。構造は東京都方式で、名称は「大阪府」のままでいいと思いますけどね。



★この倉田さんのご意見、共感します。

いろんな一般の方の意見や疑問にも率直に答えられて、『ツイッターもよさ』が出ていると思います。

大阪も箕面もいいリーダーだと思います。
大阪府民、当事者の大阪市民はどんな反応を示すのでしょうか?

一番直接の被害を蒙るのは市会議員であることは間違いありません。
当事者の気持ちはよく解りますが、これは仕方ないですね。
それよりも、倉田さんが仰ってるように仕組みを直すのが先決だと思います。

兵庫県と神戸市は? よくわかりませんが大阪は特別なような気もします。???
大阪の実績が出れば、方向がわかってくるのでは。

この方は、このように仰っています。

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前例のない事業

2010-04-20 04:30:51 | みっきぃふるさとふれあい公園
★ノヴァエネルギーの事業展開が今新しい展開期を迎えている。

今まで何年間もかけて『潮流、海流発電の開発基本コンセプトを基に、製品開発に当たってきた。
日本の大学や韓国の大学の先生方の協力を得て、一番小型の10kw発電を目論んでいる商品は、ほぼ韓国で完成し数ヶ月の間に日本に到着することになるだろう。

要は初号機を引き取る資金が必要なのである。
それが、環境省の認可を得て予算額としては十分の金額が認可されている。
それで問題解決ということにならないのが、ベンチャービジネスの悩みである。

大会社などで言えば、今の時点の状況は100%問題解決なのだが、小企業では資金繰りが伴わないと計算上の解決だけではダメなのである。

そんなことで、たかだか、1000万円のことで銀行のお世話になる分だけ、その期間が必要になるのである。
国が億の保証をしているのだから、1000万などは明日にでもとは、ならないのである。



★いま、ノヴァには千客万来の状況である。ただ持参金付で訪れる人は少ない。

新事業は面白い。
この事業のように前例のないものは、今後の展開をどうするのか?
今の事業の位置づけをどう見るのか?
前例がないのだから、考えるのは自由である。

今までも、何度も日本で初めてとか。業界で初めてのことをやってきたので、こんな話を考えるは、滅法面白いのである。
前例もないし、今のところ関連する法律も少ない。

かって、ジェットスキーが日本で初めて事故を起こして国会で問題になったときに、
『エンジンつき海洋浮遊物』と表現されたものである。


★『潮流、海洋発電』などは、今の法律の範囲外で、何の規定もなくて最近ようやくその名前が国会の議論の場に登場した段階である。

太陽光や風力発電がいろいろといわれるのは、ちゃんとそれが世の中に存在するからで、『潮流発電』は前例もないしまだ現実にモノもないのである。
ただ、潮流でも、海流でも世界どこでも、その流れの詳細は解っていて、そこから計算される発電効率は、太陽光や風力に比べて段違いに明確でなのある。

海洋発電などは、国の関与は当然必要で、それがないと実現しないだろうが、いくら大きな面積を使っても『土地代』や『近隣への保障』など一切発生しないのである。

『海流という自然エネルギー』を使って、
『原発のような廃棄物などを出したりせずに』
『計算上は、原発同等以上の発電量を』
『24時間連続して生み出せる』
『その仕組みは、縦型の船を浮かせて錨でとめて」
『海流でマグロタービンを回し』
『一つ一つの発電量は小さくても量で補って』
『トータルの発電量を原発以上に目指そう』というトータルの仕組みなのである。

目指すものは『クリーンで安価な電力』その目的に向かって、
今、現在の事業展開を考えるべきだと思っている。


★今、仮説として述べている発電量は、すべて計算上の数値である。
 そんなに発電するのか? 
 それはよくわからぬが、今一番小さなマグロタービンを淡路岩屋に設置して実験すれば、すぐに解ることである。
その、発電量とコストから、もし仮説の10kwの発電量があれば、
その事業性はすばらしいものになるレベルである。

★確かに、不安要素は心配すればいくらでもある。
技術がなまじ解らぬだけに、まあ大丈夫だろうと思っているのだが、
今は、考えることが面白くて仕方がないのである。
いま、改めて開発者の鈴木さんに私のまだもうひとつ解っていない点の質問をまとめている。こんなことをしながら『前例のない事業』を手伝って行きたいと思っている。

昨日も仲間のタッチャンが格調高い事業計画の文章を送ってくれたが、
みんな本気で、立ち向かっている。
『前例のない仕事』の難しいのは百も承知だが、それは、その何十倍も面白いのである。

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昨日の日曜日、ON ANY SANDA で

2010-04-19 05:25:02 | M/Cレース
★昨日は第3日曜日、カワサキマイスターのモーニング集会が三木の防災公園である日です。
ちょっと季節遅れですが、葉桜のお花見をするというので出かけて見ました。
バイクでツーリングがてらですから、当然ですがアルコールは一切ありません。

こんな連中が集まっての楽しい会話がいっぱいありました。



つい先日からカワサキマイスターの同好会にも、NPO The Good Times のアシスタントにもなってくれたbunCさんの顔も見えました。
いつものことですが、マイスター同好会の仲間たちは本当に気持ちのいい人たちです。



★その後、三木アネックスパークで、恒例のON ANY SANDAがありましたので出かけて見ました。



昨年末、『古代の窯プロジェクト』にも参加してくれた60おじさん山本隆君、今回もF11スペシャルとBSAの2台のマシンで参加です。
写真のバックが1300年前の古代の窯を再現したその場所です。



60おじさん、レースになると人が変わったように颯爽と走ります。
F11は、最終回トップにたっていたのに、チェーンが外れてリタイア。
BSAでは、見事ぶっちぎってのトップでした。



特性のゼッケン060番をつけてご機嫌の60おじさんです。

★このON ANY SANDA いつも楽しいのは、いろんな方との会話です。

昨日は、あの伝説の浅間を走った宇野順一郎さんに会えました。
宇野、茎留など大阪のかたで、当時のトップライダーで名前はよくお聞きしていましたが、
お会いするのも、お話をするのも初めてです。

大阪の方や関東の加園さんなども加わってのレースの昔話はまた格別です。
宇野さん、先日のカワサキファクトリーのOB会のこともご存知で当時の同僚の片山義美君のことや故荒井市次さんや鈴木誠一さん、野口種晴さんなど昔の懐かしい人たちの名前が
いっぱい飛び出した会話でした。

いつも思うのですが、私自身レースの世界にちょっとの期間でしたがいたことが、今の生活にも大きく影響しています。
これも何かのご縁だと思います。
二輪の世界の話をしても、マシンのことは技術オンチでさっぱりなのですが、
レースの世界のことは、人並み以上に話についていけます。
これは私の財産のひとつだと思っています。

昨日も宇野順一郎さんと初対面でしたが、すっかり打ち解けて話ができたのはよかったです。
いい日曜日でした。


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お子さまラジコンスケ-ルボ-ト操縦体験in 神戸フルーツフラワーパーク

2010-04-18 04:49:32 | NPO The Good Times
お子さまラジコンスケ-ルボ-ト操縦体験

というイベントが、来週の日曜日、4月25日に神戸フルーツフラワーパークで開催されます。
神戸フルーツフラワーパークと東京のベストコレクターとのコラボで実現しました。

二つともNPO法人 The Good Times の団体会員さんです。
関西ではじめての試みで、今後多分継続して続けられていくことみなるでしょう。



この写真に写っているプールにこんなラジコンの船を走らせます。



★いろんな趣味をお持ちの方はいっぱいいて、
こんな船、結構高価なのですが、お持ちの方は沢山おられるようです。
でも、意外にそんな船を走らせる場所は限られていて、学校のプールなどでも使用が制限される場合が多いとか。

神戸フルーツパークは、写真のようにプールを三つもお持ちです。
走らせる人にとっても、
それを観る人たちにとっても、
最高の環境です。


プールが三つもありますので、次回には
潜水艦と普通の船と 子どもたちのラジコンボートとの三つをやろうかなどと計画しています。

NPOの会員さんですから、
こんなブログや
ホームページ
ツイッターでは
応援しますが、実際のイベントは会員さん自体がおやりになります。

NPO The Good Times はそんな積極的に行動する会員さんを繋ぐシステムそのものです。

お時間のある方は、4月25日 神戸フルーツフラワーパークへどうぞ。

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世の中いろいろです

2010-04-17 05:35:56 | 発想$感想
★民主党の支持率がまた下がって、自民党と並らびそうである。

高速道路無料化や普天間基地の問題も直ぐそこに迫っていて、
確かに普天間の問題は、5月の末までに解決するのは難しいような気もする。
その場合は、鳩山さんは責任をとって退陣する、などとも言われている。

と思えば、
『鳩山さん!普天間で辞任は全く必要ないですよ。元々13年前に旧政権が利権絡みの辺野古に決め、それを首相が沖縄の苦しみを思い、再検討を行っているもの。13年間杭一本打てないことは地元の抵抗を意味している。出来なくて当然、米国との基地縮小、強く交渉続けて下さい。 』
とのツイッターにRTする人もいっぱいいる。

世の中いろいろなのである。
今朝の新聞では、鳩山さん退陣になったら、衆参同時選挙もと仙石さんが言ったりしている。



★自民党も、いろいろ大変である。
つい先日は、新党『日本』の旗揚げに離党者が出たりして、執行部への内部の突き上げも厳しいようである。
国民には人気の舛添さんが、今度は東国原さんや橋下さんと組むような話もある。
橋下さんは明確に否定だし、なかなかすんなりとは行きそうにない。

よく解らぬが、
こんなに価値観の多様化した世の中で、大きな党派を組むこと自体が難しいのではと思ったりする。
国民の多数派が無党派層であるように、みんなばらばらの方が普通なのかも知れないれ。


★アメリカでは、トヨタのある車を『買わないように』とか。
こんなニュースや、それに対するトヨタの対応が報道されている。

これまで、企業の優等生であったのに、トヨタ内部のこんな話が流れたりする。
トヨタという超一流企業でも、こんな状態なのである。


★世の中の企業はどこも、みんな繋がって巨大化していく方向だが、
それで、本当に上手く行くのだろうか。

どんな組織にも、長は必要なのだが、
そんな巨大な組織を纏め切れるリーダーが、なかなかいないのもまた現実である。

一般的に言えば、どんな人でも『持っている情報』が同じなら、結果的に『ほぼ同じいい判断』が出来るのではないかと思っている。
現代は、末端の人たちが、いっぱい情報を持っていて、誰でもちゃんと判断が出来て、意見が言える世の中である。
だから、1億人が揃っていろいろ言うし、それが言えるネットのシステムなどもある。

そんな時代の現代に生きている。
政治の世界も、企業もいろいろあって大変だとは思うが、それを乗り越えていかねばならないにである。

いろいろあって大変だなあとは思っている。


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『潮流、海流発電』 神戸新聞の記事

2010-04-16 05:07:29 | みっきぃふるさとふれあい公園
★昨日の神戸新聞に、
ノヴァエネルギーの『潮流、海流発電の記事』が載っていました

神戸新聞三木支局の斉藤記者の記事ですが、こんな風に纏められています。

   『潮流、海流発電に国が開発資金 三木のベンチャー 』

 三木市加佐のベンチャー企業「ノヴァエネルギー」が研究を進めている潮流、海流発電がこのほど、環境省の「地球温暖化対策技術開発等事業」に採択された。国の委託事業として開発資金を受けられることになる。今月下旬にも淡路市に事務所を開設し、5月には岩屋港沖での実験に着手することにしており、実用化に向けた取り組みが本格化する。

 同社は国際海運会社で船長を務めていた鈴木清美さん(57)が2007年に設立。地球の自転による海流や潮の満ち引きによる潮流を利用し、海中に沈めたプロペラを回して発電する仕組みを研究してきた。

 構想では、黒潮などの海流が流れる場所に、長さ25メートル、回転直径16メートルのプロペラを四つ備えるブイを800基設置すれば、原発を超える160万キロワットが生み出せると試算。二酸化炭素を排出しない「クリーンエネルギー」として、実用化を目指している。

 今回、明石海峡大橋の橋脚にプロペラを取り付け、1時間に300キロワットを発電する計画を申請。環境省によると、全国の企業や大学などから79件の応募があり、有識者らによる審査の結果、同社の計画を含む10件が採択された。

 今後は岩屋港沖に浮かべた船にプロペラ2基を取り付け、発電データを採取する予定。すでに地元漁協などと最終的な調整に入っているという。

 鈴木社長は「海流発電や潮流発電は、国家予算を投入して研究している国もあるが、まだどこも実用化できていない。世界に先駆けて成功させたい」と話している。
(斉藤正志)(2010/04/15 09:30) 』


★この記事、『三木おもろいわ』 というこんなサイトで見つけました。

三木の人たちのブログと、三木に関する新聞記事が新しい順番に、自動的に現れるサイトです。

NPO The Good Times の会員さんのブログ と同じシステムのものですが、こちらのサイトは、さるとるさんが管理してくれています。

神戸新聞は取っていないのですが、こんなサイトからニュースが得られます。
私のほかにも、
『三木 おもろいわにも 神戸新聞のノヴァエネルギーの『潮流、海流発電の記事』がのり、おもしろいhttp://www.kobe-np.co.jp/news/touban/0002875097.shtml  http://miki-omoroiwa.blogspot.com/ 約17時間前 webから 』
と 三木おもろいわ からの情報をツイッターでつぶやいておられる方もいます。


★ノヴァエネルギーのことは、大体解っているつもりだったのですが、
『今回の申請の内容が、明石海峡大橋の橋脚に取り付ける300キロワットのものだったことや、全国の企業や大学などから応募のあった79件の中から審査の結果、10件が採択された。』ことはこの記事で初めて知りました。

この記事にもありますように、
現在、淡路岩屋に10kwのものを2基設置する方向で準備を進めており、国内にお目見えするのも、もう少しです。
淡路市も地元漁協も非常に協力的で、韓国での現物の完成がいつになるかが焦点です。


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