雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

30回鈴鹿8耐記念大会

2007-07-31 05:47:59 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
昨日のブログに、村上さんなるカワサキファンの方からコメントが届いた。

「鈴鹿に行ってきました。もちろんカワサキの応援に。プライベーターは頑張っているのに何故ファクトリーやチームグリーンは出場しないのだろう。ファンは来年も応援にいきますよ。」
などとありました。私も今は一ファンとして同じ気持です。


ところで、今朝のブログのアクセス分析の中にこんなURLからこちらに訊ねて頂いた方がいて、お陰で私も8耐の知らなかった情報が幾つかつかめたのでご紹介したい。
光栄なことにこの同じページに雑感日記があったのである。そこからのお客様である。


「鈴鹿8耐 カワサキ」で検索されているのである。

その一番初めに「カワサキのプライベートチームの結果報告」が載っていた。

上位に鶴田竜二、松戸直樹組、TRICK STAR&B-LINEの名前があった。
B-LINE懐かしい名前である。私が現役の頃からずっと8耐に参戦している「阪神ライデングスクール」のチームのはずである。

当時からチームグリーンのサテライトチームとして活躍していた。
今年のこのチームの周回数が208周である。
そう言ってもぴんとこないかも知れないが、93年カワサキのファクトリーが優勝したときの周回数が207周でそれを上回っているのである。

時代と共に、マシンも進歩するものである。


プライベートのサテライトチームと言えば、
はらださん」のRS GARAGE HARADA-team38-teamUEMATSU の原田、野崎組の名前も載っていた。

team-38も懐かしい名前である。
カワサキの技術部の有志たちで構成されていたチームで、確か当時の技術部がいた建物の建物NOが38だったのでそんなところからteam38のネーミングが生まれたのだが、今でも関係があるのだろうか。


今年の記念大会がそれこそ昔懐かしい名前の「ヨシムラ」が優勝したことは、神様がそうさせたようにも思えるのである。
私の8耐もこれで今年は終わりだと思う。
いずれにしても、この1週間ばかり鈴鹿8耐のお陰で昔を思い出すことができて結構楽しかった。

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KAZE VOL.184号と8耐

2007-07-30 05:53:02 | カワサキ単車の昔話
KAZEのVOL.184号が送られてきた。

今日は鈴鹿8耐である。
ポールポジションはホンダ、2位がヤマハ、3位にスズキの順でスタートが切られるようである。
そんな8耐のニュースの中にもカワサキの文字がない。

KAZEの機関紙もこの時期なのに8耐の記事はない。
ファクトリーでの8耐出場は見送られているのだろうか。

そんな初歩的なことも解らないのである。
もう現役を離れてだいぶ経つので会社のニュースも広報誌などでは見て解っているのだが、そこに記事のない事柄については解らない状況にある。


今回のKAZEはサンフランシスコで行われた1400GTRやドイツのアウトバーンで行われたZ-750のロードインプレッションの記事などそれなりに充実した記事である。

時期的に丁度いい北海道のレンタルツーリングの記事などもあって一応の格好はついているのだが、この時期8耐の記事がないのは拍子抜けである。


過去にもいろんな事情でレースを中断した時期もある。
レース方針にはいろいろあって、8耐だけがレースでないことはよく解っている。
レースの目的が何なのか、何のためにレースをやるのか。
膨大な予算が要るだけに、よく議論されるテーマではあるのだが。

メーカー側からの判断ではなく、カワサキを購入してくれたユーザーたちがどのようなレース出場を待望しているのか。
特に、二輪のレースはユーザーたちがいろんな形で自らレースをやったりする場合も多いので、「ユーザーサービスの一環として」の「メーカーの義務」という観点での対応がいると思う。

私自身、今はそんな一ファンの立場である。
そんな観点からの対応があっての結果なら、それはそれなりに納得できるのだが。


それにしても。4つのメーカーの名前が揃わないのは寂しいことである。
こんなことを書いてはいるが、ひょっとしてカワサキもファクトリー参加しているかも解らない。憶測で書いているのである。


たまたま,今日は川重相信会の鈴鹿と同じく創立30年の記念総会があり出席する予定である。
昔、レースに関係した人たちや、勿論現役のトップ連も出席されるので聞いてみようと思っている。


鈴鹿30周年記念大会はプライベーターの「ヨシムラ」がファクトリーを押さえて制したとか、素晴らしいことである。

昔懐かしい「ヨシムラ」が30周年の記念大会の覇者、27年振りの優勝である。
記念大会に一番似合う覇者であるように思う。
心から、「おめでとう」と申し上げたい。
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旧いまち三木

2007-07-29 05:55:58 | みっきぃふるさとふれあい公園
旧いまちというイメージも強いが、
三木は今はどちらかと言えば、新興住宅地に住む人の人口も多いし、E-デイフェンスやサッカー場、グリーンピア、森林公園など、クルマで走ってみると新しく明るい場所が多いのである。


そんな三木の旧いまちのよさを幾つか写真でご紹介したい。

旧いまちを代表するような洗濯場が今もある。
三木山からの湧き水が、昔からの社交場のような雰囲気をつくっている。
三木に30年以上も住んではいるが、徒歩でこの辺りを散策したのは始めてである。
勿論この洗濯場も始めてであった。
昔懐かしい蔵が幾つもあって、旧いまちの風情を醸し出していた。


旧いといえば三木城址。 急な坂道を登ったところにある。
高いから、眺望は素晴らしい。見えているところはどちらかというと、旧市内である。
その昔お殿様が眺めた三木のまちも同じところにあったのだと思う。

新興住宅地は、ここからは見えない。
城の裏手というか、むしろお城よりも高い位置にあったりする。
ちなみに、現在の三木の市役所はここよりも少し山手、少しだけだがより高いいちにある。


この辺りには、図書館、美術館、三木金物資料館などがあって、スローライフな三木を代表するようなところである。
お城の一角なので広々としたところがウリの三木の新しい諸施設とは完全に差別化されていて、静かで古く大きな木々に囲まれているのがいい。
大きな木は何故か人の心を和ませるものである。


まだいろいろあるが、最後は今回廃線が正式に決まった三木鉄道。
旧いまち、三木の象徴みたいな駅舎ではある。
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鈴鹿8耐30周年

2007-07-28 05:41:15 | M/Cレース
鈴鹿8耐がこの週末30周年の記念大会である。

朝日新聞なども連載で30年の8耐の歴史を振り返っている。
丁度その真ん中の1990年からの何年間か8耐のど真ん中にいたような、そんな夏を毎年経験していた。

鈴鹿に20万人近い人たちが押し寄せ、8耐が一番華やかだった時代である。

30年の歴史の中で、カワサキが優勝したのはたった1回、1993年7月25日、ラッセル、スライトのコンビで悲願の優勝を果たしている。



カワサキが耐久に弱かった訳ではない。むしろその逆である。
耐久の本場フランスのルマン24時間では当時2連覇を達成している。
そのフランスのチームをKAZEのスポンサードで何度か招んだりしたのだが、それでも勝てなっかった。

8時間の鈴鹿耐久レースは独特の高速耐久で、それなりに非常に過酷なレースだったのである。


当日の日記には、
「8耐ウイークがまだ梅雨の明けない異常気象で雨の心配のなかスタートした。----本当に優勝はあっけなく手中に入った。夜スポンサーのイトーハムや高橋鉄郎さんらと祝杯を挙げた。
日本航空高校チームの参戦などもあって、カワサキが8耐の話題を独占した。」と書いている。

そして、あけて26日の日記、
「独り鈴鹿から車で帰社、午後の営業報告会はシャンパンでの乾杯から始まった。
岩崎君が出席していなかったが、彼が一番ほっとしたと思う。モタースポーツ部が出来た年に優勝できてよかったと思う。----」とある。


当時、カワサキはレース界からも注目されていて、
スポンサーもイト-ハムやまんだい、
さらにはアート引越しセンターが「0123のゼッケン」で出場するなど話題を集めていた。
実現しなかったが、朝日でも紹介された千石さんが、「カワサキで」と島田しんすけと明石まで訪ねてくれたりした。

なんとしても優勝したかった頃である。
モータースポーツ部が出来て、岩崎茂樹君が部長で担当した。



今年の8耐に出発するチームの 「はらださん」 から先日。
「今から8耐に行ってきます。 岩崎さんもどこかで見てくれていると思います。」 とコメントが届いた。

カワサキが唯一優勝を果たしたときのマネージャー岩崎茂樹君も故人になってしまった。


でも、いろんな人がいろんな想い出を持っている鈴鹿8耐である。
30周年の記念大会の今年はどんな結果になるのだろうか。
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プレスブログ

2007-07-27 11:35:55 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
口コミ期待「広告でない広告」。 ブログで「宣伝」企業の影。

私の好奇心を呼び起こすような記事が載っていた。


「ブログが急速に広がる中、企業がブログを宣伝の手段として活用する動きが強まっている」

個人で考えても思い浮かぶ発想である。
口コミの影響力は、こんなブログのない私が現役時代でも相当なものだった。
先日来、カワサキの「Dream Plus」などには、従来の販売方法などではなくてブログを利用した何らかの仕掛けを行うべきだと思っている。


そんなことで、私のブログにも何度か意識的に登場させたら、
今ではDream Plusを検索で引くと1ページ目に雑感日記が表示されている。結構、広告の役割を果たしていると思うが、若しウラで報酬などを貰っていると、これは問題だと記事は指摘している。

雇われたライターが個人ブログの体裁で製品の感想などを書くPR活動などをウラ契約で報酬を受け取ったりする手法を「ステルス(見えない)マーケッテング」と言って米国の消費者団体は批判を強めているそうである。


更に一歩進んで、ブログと企業を結びつけるサービスも増えていて、18万人が既に登録している「プレスブログ」のような運営会社もあって、紹介すると1件100円の報酬、内容によっては1000円以上貰えるケースもあるという。

05年12月に発足し、今では大手自動車会社や食品メーカーなど有力企業も利用その効果も認めているとか。


報酬はともかくとして、システムには非常に興味があったので、即座に会員登録をした。
このところ幾つものブログサービスなどに会員登録をやったり各種サービスを申し込んだりして、登録までは手馴れたものである。
ただその後の、「プレスタグを貼れというような指示」に戸惑ってしまうのである。
「プレスブログ」も今、それが解らずに質問中である。


然し、世の中の仕組み、システムはどんどん進歩するものである。
それがみんな個人を水平にヨコニ繋ぐ、横型が新しいのである。

ネット社会は今後いろんな分野で、どんな方向に進んでいくのであろうか。
トップグループの最後尾に着くこともなかなか難しいレベルの高さだが、
せめて発想の方向だけは、世の中の進歩に合わせた方向でいたいと思っている。

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アジアカップ

2007-07-27 05:46:05 | スポーツ
先日の宮里藍の2位と同じく残念ではあった。

スポーツの世界でNO.1になることは本当に難しい。然し、優勝と準優勝では全然価値が違うのである。
だから、どんなスポーツでもみんな優勝を目指して頑張るのだと思う。

そして、優勝を狙えるかどうかはある程度当初から予想できる。
ワールドカップでの優勝を期待するのは難しくても、アジアカップでは誰でも日本の優勝を期待したはずである。

間違いなくそれが狙える位置に居たのだが、サウジ戦は3-2と珍しく3失点もして敗れてしまった。



サッカーの試合の難しさを代表するような試合の内容であった。
両軍の5点の得点はいずれもサッカーらしい間一髪の瞬間の判断とプレーから生まれた素晴らしいものだった。

ちょっとしたことで、結果は変ったはずである。
全体で見たら、日本のほうが出来もよかったのかも知れない。
然し、ここ一発をサウジは全部モノにした。

羽生のバーに当たったシュート、そのほかにも惜しい場面は幾つかあった。
だけど、モノに出来なかった日本は敗れて三連覇の夢は消えてしまった。

残念ではあるが、サッカーらしいいい試合であったと思う。



次は3位決定の韓国戦。この試合をどのように戦うのか注目したい。
アジアカップで韓国の出来はもう一つであった。

間違いなく韓国のほうが上という時代が、このところ逆転している。
韓国は日本戦に心機一転、全力で当たってくることは容易に想定できる。

三連覇を逸した日本は、特に精神的に立て直して最高の状態に持っていくのは難しいようにも思う。

でもスポーツは技術も重要だが、精神的な面もそれ以上に大事なのである。
今度の韓国戦、溌剌としたチームのまとまりを期待したい。


名将オシムの腕の見せどころだと思う。
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無党派層の動向

2007-07-25 07:23:49 | 政治
マスコミ各紙の世論調査の結果が盛んに報道されている。

どうも今回の参議院選挙は自民党には分が悪そうである。
大体このような流れになるとその流れは加速する方向となる。

そんな世論調査の中で、
いつもーー党支持者と無党派層という分け方をされているが、
「ーー党支持者」とはどんな人のことを言うのかと思ったりしている。

党員である人は当然だが、党員ではなくても例えば自民党を支持する人というのだろうが、どうもぴんとこない。
私個人で言えば、自民党を支持することは多いのだが、民主党が絶対だめという訳でもない。



まあ自分では「無党派層」だと思っている。
でも、特に政治に色濃く関心、関係がある人を除いては、殆どの人が無党派層ではなかろうか。

調査では「無党派層」は55%などと言っているが、もっと多いのではとも思ったりする。
いずれにしても「無党派層」が一番多いのである。

「無党派層」などという「その他大勢」的な表現ではなく、これが国民の中心と明らかに解るような表現がないものかと思う。


大体プロの政治家が、その経歴を見ると自民に行ったり、民主党に変ったりしている。
流石に共産党から自民などへの移動はないが、政治家自体が「無党派」みたいな人も多いのである。


今回の選挙は「無党派層の動向」が鍵を握っていると報じている。
至極当然の話で、「一般国民の動向」がその鍵を握っているということで、極めて健全だと思ったりしている。

投票率が上がれば、ますます「無党派層」の比率は上がるはずである。
是非とも、マスコミは「無党派層に代わるいい言葉」を作って欲しいと思っている。

無党派層こそ一般国民なのである。
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ゴルフ、サッカーそして野球

2007-07-25 06:14:51 | スポーツ
昨日までは宮里藍の世界女子マッチプレー選手権2位の活躍がマスコミを賑わした。
今年は余り話題にはならなかったが、全英オープンもつい先日行われた。


今朝の新聞はサッカーの話題で賑々しい。
サッカーはアジアカップで明日、日本は大会3連覇を目指してサウジアラビアと準決勝を戦う。

そして、もう一つの大きな話題として、サッカーのスペインの名門FCバルセロナが8月に日本を訪れて、横浜Fマリノスと対戦する記事が大きく特集されている。
その横に載っている、Jリーグオールスターの記事は如何にも小さいのである。



世界的にどんな仕組みでどこがコントロールしているのか詳しいことは解らないが、
ゴルフやサッカーでは明らかに国内リーグとか国内大会よりは、国際大会とか国別対抗のほうがメインイベントとして年間スケジュールのなかに組み込まれている。

一言で言えば、国際性が豊かである。



こんなスポーツの世界に比べて、
野球は如何にも国際的というレベルでは遅れていると言わざるを得ない状況である。
オリンピックの競技種目からも外されてしまうかも解らない。


アメリカも日本ももう少し自国以外のところに目を向けるべきではなかろうか。
アメリカで活躍する選手たちを見ても、アメリカ人以外が相当な数になっている。
日本人選手も多くなったし、スター選手の中にアメリカ人以外の選手の占める比率も高くなった。

アメリカに次ぐ日本のプロ野球は、有望選手が大リーグに流れることを嘆いたりばかりせずに、
日本のプロ野球や野球それ自体の国際性を高める方向に動くべきではないかと思う。

アジアの野球は今上り坂である。韓国、台湾も強くなった。
中国が野球に関心を持ち出したことは今後の発展の大きな要素になる。
日本のプロ野球も特別に 「アジア人の外人枠」 を作るなど、もっと積極的にアジアの野球の発展、野球の国際化に努力すべきだと思う。

シ-ズン後に4カ国のチャンピオン大会が開かれるようになったのは進歩だが、時期的にシーズンオフのような気もする。


幸いに、第1回の世界チャンピオンになったのである。今年も大学選抜はアメリカに勝ったりしている。
実力からいっても、動いてもおかしくない立場にある。
4年に1回などと、悠長なことを考えずに、
1年に何回か 「国内リーグに優先して」 国際野球を起案する方向にしてはどうだろうか。



サッカーやゴルフでは、既にそんな形で運営されている。
野球も出来るはずだし、それが可能な客観情勢であると思う。


そんなことが新たな関心を呼び、野球の人気向上に繋がると思う。
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上との議論

2007-07-24 05:46:48 | 樋渡啓祐さんのこと
朝の武雄市長物語、「楼門朝市」の賑やかな写真が紹介されている。


この楼門朝市、楼門前の広場で毎日曜日に開かれているようだが、5月に「楼門バーガー」で新聞記事に取り上げられたりしたが、その後も毎月ブログの話題に取り上げられて、この催しを盛り上げていこうとする意欲は十分に感じられていた。

わが町三木でも、毎週末に市役所前の広場で開催されているようだが、まだ行ったこともないし、どんなものか想像もついてはいない。
ただ、市役所前といっても場所がどこなのか、駐車場は広くていいのだが広すぎるのかななどと漠然と想像などはしていたのである。


きれいで賑やかな朝市の写真が沢山紹介されていたが、
私の印象に残ったのは、その間に書かれている数行の文章である。

「外れました。担当の農林商工課と場所の移動で激論を交わしていましたが、僕の負け」
「温泉通りに移動して大成功」
「来週の楼門朝市。更に進化して登場です。」


いろんな企業や組織で、上司と議論になることはある。
だが、激論になることは少ないし、下の意見が通ることは極めて稀である。

そして、下の意見が現実に大成功。それを率直に認めて褒める上司。
そんな基盤の上に更に進化を目指す。


当たり前の話のようだが、このようなことになっている企業や組織は稀である。
武雄の [元気の源泉] を見たような気がする。

今あるものをよりよい形に進化を目指す、地味な活動だが何事もそれがベースだと思う。
10年1日の如く過去を踏襲しているところが多すぎる。


そのためには、まず
上と下が議論が出来る雰囲気をつくること。
議論をしてもいつも上が勝つのでは、次が続かない。
結果がよければ、率直に褒めて、更なる進化を目指す。

たかが場所の話で、武雄市を揺るがすような基本問題ではないとは思うが、
物事の検討の態度としては、最も 「初歩的な基本的な問題」 だと思う。


でも、それが出来ているところは意外に少ないのではと思うのだが。
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カワサキ単車の昔話-68

2007-07-23 05:23:01 | M/Cレース
鈴鹿2&4



88年10月に国内担当に戻って、直ぐレースのOB会を開催した。
安良岡、岡部、梅津、星野など関東にいるライダーたちとも久しぶりに旧交をあたためた。
昔のレース関係者、当時の高橋鉄郎さんをはじめ大槻、田崎さんなど事業部のトップたちも参加して大いに気勢を上げたものである。

現役ライダーは、宗和、多田、塚本などが主力で、鶴田、北川がまだ若手であった時代である。
チームグリーンを中心にサテライトチームも入れて国内レースの活性化を図ろうとしていた。




明けて89年3月4日、鈴鹿サーキットで2&4という2輪と4輪が同時に開催されるレースがあって、
カワサキも宗和などが出場しTT、F1で宗和が3位に入賞などした。

4輪ではまだ星野も走っていて、星野インパルの金子豊君とも久しぶりに会った。
確か記憶が正しければ、片山右京も星野のチームに居たのではなかったかと思う。

このレースからカワサキの新しいレース活動が再開されたといっていい。
そんなレースで、しばらくレース活動の現場からは離れていたので、当時の鈴鹿の関係者の方たちにも改めてご挨拶をしている。

 

その翌年の3月4日にも同じく2&4が開催されている。

1年経って、レース活動の成果も出てこの年の2&4でカワサキは、
F1では優勝こそ逃したが、ドーソン、塚本、宗和が2,3,4位に入り、7位には北川が入って好成績であった。

F3では、サテライトチームとして活躍していたビートの和泉、高橋が1,2フィニッシュで優勝を飾った。


4輪のF3000では、星野一義君が優勝した。
若い頃、カワサキにいた星野の優勝は何度も現地で見ているのだが、4輪での優勝を見るのは始めてだった。

このレースには、星野がカワサキの主力になった当時のマネージャーだった故岩崎茂樹君も来ていたのだが、
星野はビクトリーランの最後にわざわざチームグリーンのパドックの前でマシンを止めてみんなと言葉を交わし、優勝の喜びをカワサキと分かち合ってくれた。


そんな2&4はカワサキはこの年までだったのか?
翌年は平成3年3月3日に札幌のショールームを開設する予定になっていて札幌にいたからか、何故か翌年には、2&4の記録は残っていない。

でも、私にとっては印象に残っている2&4であった。


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高槻、長浜そして武雄

2007-07-22 05:32:29 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
ブログの使い方もいろいろあって面白い。

独りで発信していくのが普通一般のスタイルだが、まだまだ新しい取り組みも開拓されていくだろう。

ブログのいろんな機能の中で、写真が簡単に使えるというのは大きなメリットである。
そんなメリットが折角あるのに機械オンチで今まで写真のアップが出来なかったがやっと貼り付けることだけが出来るレベルにはなった。

そんな中で、樋渡さんの武雄物語は写真の使い方でも異色の存在で、
新聞社が取り上げて写真館を造るほどの高いレベルで展開されている。

その武雄にはいろんなブロガーが居られて、それが何となく自然に繋がって武雄の広報の役割を果たしてきたが、今回は一歩進めてそんなブロガーたちが集まった「武雄よかとかブログ」を立ち上げられた。

昨日、発表されたばかりだが、既に11日からスタートしていてどのようなものかはある程度解るように上手に仕組まれている。

Dr.かいぼー編集長を中心に有志10数人で立ち上げられており、メンバーの個々のブログではこのことがアップされたりしている。



このような写真をKEYにしたその地域の紹介については、私の記憶に残っているのは、

一つは、高槻市の「高槻ええとこブログ」である。

昨年の8月にスタートしもう1年近くになるが、寺社、農地、水辺などの9つのカテゴリーで380ほどの市民からの投稿があって、それにコメントするなどの繋がりを見せている。

昨年の8月といえば、樋渡さんは既に武雄市長だが高槻のブログ採用には直接企画の段階から関与されているので、この「高槻ええとこブログ」も構想の中にあったのではないかと思っている。

私は、2年ほど高槻に住んだこともあって関心もあったのだが、この写真を見るたびに高槻にこんないいところがあったのかと、改めて高槻の「ええとこ」を見直している。


もう一つは長浜観光協会の「お客様ブログ」である。

これも、いつからかは解らぬが長浜市を訪れた人たちのブログの中から、観光に役立つような内容のものを集めて紹介している。
今、載っているのは昨年末から7月までのものである。

個々の写真がきれいだし、いろんな人がいろんな角度から長浜を紹介していて面白い。

一般の観光協会のイメージからは一歩進んだ取り組みが印象的であった。


そして、今回「武雄よかとかブログ」である。

これは今始まったばかりだが、どんな方向に発展していくのか期待して注目したいと思っている。

このプロジェクトの関しての、想いや感想など解っている範囲で。

樋渡市長

メンバーのひとり

多分メンバーのひとり


私にとっては、久しぶりに高槻や長浜をじっくり覗くことが出来ました。
そんな楽しい機会を「武雄よかとかブログ」は与えてくれました。
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フレッシュオールスター戦

2007-07-20 07:46:15 | スポーツ
オ-ルスターが戦もよかったが、1日前に「坊ちゃんスタジアム」で行われたフレッシュオールスター戦、初めてテレビで最後まで観た。

面白かった。
殆どの選手が始めて見る人たちだったが、
新鮮で、自分のいいところを出そうと一生懸命弐プレーをしている意気込みみたいなものが伝わってきた。

試合の内容は1-0で、ウェスタンが1回に挙げた1点で決まった形の上では投手戦だったが、
結果的には打てなかったバッターたちも思い切ったスイングで気持よかった。

昔は2軍と呼ばれていたが、今はファーム。
本当にその名の通り育ち盛りという雰囲気がある。

昨年の夏、甲子園を湧かせた大嶺もいたが、アメリカの一番下のリーグから上がってきた選手や四国アイランドリーグ出身の人もいて、 「野球のファーム」 もいろんな所から育つ環境になってきたと思う。


全体に、選手の体格、基礎体力がすごいと思った。
ピッチャーの投げる球は速いし、バッターのスイングは鋭い。
そしてそれぞれがウリにする特徴を持っているのがいいと思った。

MVPを獲った広島の中東は、50メートル5秒台の俊足で二盗三盗しキャチャーの悪送球でホームを踏んだ。
この足で稼いだ1点が決勝点になり晴れの栄誉を掴んだのである。


この1点以外は得点場面はなかったので、
この試合に出た両軍14人のピッチャーが誰も討たれなかったということになる。

「完璧な投手リレーでした」と勝利監督の平田は語ったが、負けたイースターンのピッチャーたちも自責点0の完璧な投手リレーだったのである。

こんなフレッシュな選手たちがどんなに育っていくか楽しみである。
イチローも青木も、かってこの試合でMVPを獲ったのである。



注目の楽天の田中投手は第2戦地元のフルキャスト宮城で先発が予定されている。

どんなことになるのか。  これも楽しみである。

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夏の義民祭

2007-07-20 05:42:18 | みっきぃふるさとふれあい公園
三木の旧いまちを歩いていたら、本要寺で義民祭ののぼりが見えた。

175号線を明石のほうから来て、小野へは左折、三田には直進する昔風に言えば神戸銀行のある交差点の直ぐ横である。

この辺りが昔は三木の中心であったと思う。今はバイパスが出来て小野へも三田にも他のルートがありここを通ることは少ない。


義民祭とは一体何のことか、三木にきて35年になるが何にも知らなかった。

江戸時代に豊臣秀吉が定めた三木の叔免地が取り消されたのを、二人の義民が徳川幕府に直訴して、再び叔免地が許されたというのである。
これが、その後の三木の金物の発展にも繋がったのだという。

そんな二人の義民の功績を偲んで7月18日に本要寺で「夏の義民祭」が12月8日には本長寺で「冬の義民祭」が行われるのだという。



たまたま、町を歩いていてのぼりがあったので写真を撮ってきたまでのことで、その由来も何も分かってはいなかった。
上の記述は、今朝見た二つのブログから学んだものである。

二つとも「義民祭」に触れていた。


一つは 「ブログ de みっきぃ」 という三木市広報のJJという方がアップしているブログである。

スタート当初からイメージが少し変わって、今は三木のいろんな話題が中心になっていて、更新頻度もかなりよく、なかなかいいと評判を得ている。
今後とも、ますます頑張って欲しいと期待している。

そこに写真入りで祭りの模様など、詳しく出ているので是非ご覧下さい。


もう一つは、三木の市会議員、米田和彦さんのブログも 「義民祭」 に触れている。

ブログを読むと、米田さんも今回初めて詳しくお知りになったようなので、ほっとしたところもあった。



ブログは役に立つと思った。 何となく撮った写真が役に立ったのである。
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物まね+アルファ

2007-07-19 05:33:40 | 発想$感想
「物まね+アルファ」 高槻市の市長公室長時代の樋渡さんのコメントにあったと思って、「こちら部長室」の記事を探したが見つからない。
確か、何事も物まねから入ればいい。但し 「プラスアルファがポイントである」、 というようなことであった。

その通りだと思う。

片や、私が尊敬する服部吉伸先生は 「創造力」 の解説の中で 「創造力の源泉はアイデアである。
そしてその思考の特徴は絞って考え続けるということである」 であると言われている。

これもその通りで、ずっと絞り込んで考え続けていると、何故かいろんな考えやアイデアが浮かんでくるものである。



そんな創造力の源泉、アイデアのヒントとして、 「物まね」 は非常に有用である。

何事も極端に言えば 「物まね」 からの発展だと思うが、
そこに何のプラスアルファがない場合は 「猿まね」 などと言われたりする。

「物まね+アルファ」 は言い得て妙である。
「物まね」 をヒントにそこにプラスアルファの何かを加えることで 「差別化」 に繋がる。
差別化されていない単なる 「物まね」 では迫力もないし、周囲も関心を示さないものである。

でも、無茶苦茶差別化し過ぎると世の中に受け容れられなくなる。
あんまり突拍子もないことは 「時期尚早」 と言われたりするのである。
その辺のところが難しく 「物まね+アルファ」 は極めて現実的な方法だと思う。



もう、実業の世界は卒業してしまったが、会社の仕事でもやりようでは結構面白いものである。
10年1日の如く同じことを繰り返しているのでは、これは仕事ではなくて作業である。

面白く過ごすためには、少しずつでもいい、現状を変えていくべだと思う。
世の中の新しい流れや動きのなかで、先頭を走るグループの中にたとえ最後尾でも留まるべきである。

これをベースにたまには世の中の先頭を切り、世の中を 「アッと言わせる」 ような
差別化された 「創造的なものごと」 にチャレンジするのがいいのではないかと思うのである。



「差別化」 は私の発想の原点であった。生き方そのものであったと言ってもいい。
結構、74年間の人生は面白かった。もう一度同じ事をしてみてもいいと思うほど面白かった。
今現在もブログなどのお陰で、少しは 「差別化出来ていて」 楽しく生きている


人生面白く生きるためには、
「物まね+アルファ」 は是非ともお奨めである。 「+アルファ」 がMUSTである。


コメント (2)
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カワサキ単車の昔話-67

2007-07-18 05:39:45 | カワサキ単車の昔話
このところ 「カワサキ単車の昔話」 のアップの頻度が落ちているが、
決して種切れになった訳ではない。

書きたいことはいっぱいあるのである。


一番書きたいと思っているのは、「カワサキが一番苦しかった」頃の 「大庭さん時代」である。 
当時一緒に苦労した高橋鉄郎さんや田崎雅元さんのことなどいっぱいあるのだが、まだ田崎さんが現役会長なので、少々書きにくい部分もある。

この部分はボツボツにして、もう少し先に延ばしたい。


今、1988年以降のことを少し纏めている。

この年の10月、私は3度目の国内担当に任命された。
前回担当した頃の、販社の経営再建などの時代とは違って、大庭さん時代の「苦しい時代」を何とか乗り越えて、国内市場は文字通り最重点市場という位置づけであった。

高橋鉄郎さんに数値目標としては、
「売上高400億、台数7万台、KHIの国内の限界利益100億」
をお約束してスタートした。
そのベースは「カワサキのイメージ向上」「二輪車のイメージ向上」であった。


もう55才だったし、最後の担当だと思ったので今までの経験の集大成として、面白いことやりたいことを何としてもやりたかった。

この時期、二輪業界そのものはどちらかというと衰退気味ではあったが、
全体に新しい時代であったこと、カワサキのニューモデルゼファーが予想できないほどよく売れたことなどもあって、二度とこんな時期は無いと思えるほどの絶好調の時期が4年間ほど続いた。

カワサキの環境もよかったが、今、振り返ってみるとよくまあこんなことをよくやったとわれながら感心するほど沢山のことを同時進行でやっている。

その殆どが業界初とか日本初などが多く、こんなプロジェクトを一緒にやってくれた当時のカワサキの仲間たちにも、特に「進む方向に共感して」一緒に協力して頂いた外部の方たちに感謝したいと思っている。

単にモノを売るところから脱却して「ソフトや遊びの事業化」や「仕組みシステム」での販売など、レースやサーキット、ショールーム展開などをベースに楽しく明るいことが多かったので、遊びと仕事を一緒にしている感じであった。
手伝ってくれた人たちもそれぞれ「かっこよくて」 面白かった。

当時から有名人であった、岩城洸一や島田しんすけなどもいたが、
まだまだ若くて今からという業界のいろんな人たちとのお付き合いが懐かしい。
そして、そんな方たちが20年た経った今、それぞれの立場で活躍されているの嬉しい限りである。


10年一昔というが、もう20年になる。
私にとって「つい最近のこと」と思っていたが、20年も経つと「昔話の範疇」に入れてもらえるのかと思う。

そんなことで、メモしてみたが面白そうなこといっぱいなので、気長にあわてずにアップしていきたいと思っている。
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