雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

行く道は風なり

2008-01-31 05:00:45 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
ブログで、いろんな方との出会いがある。
そんな中でも、特に印象に残っている方がいるものである。

行く道は風なり、オープンくるま生活」と題する、
綺麗なブログをアップされている弁天小僧さんも、そんな中のお一人である。


リンクしたブログの中にも紹介されているが、
初めての繋がりは、名文で綴られた「カワサキゼファーの終焉」であり、
続いて「三宅島の公道レース」でまたご縁が出来たのである。

その弁天小僧さんの、3年間のブログの回顧に、
また「雑感日記」をリンクして頂いて、そこから何人かの方がアクセス頂いたのである。
懐かしくて、「ひょこむ」にお誘いをしてみたら、早速丁寧なメールを頂いた。



一部割愛して、ご紹介したい。


コミユニテイのお誘い有難うございます。

『行く道は風なり…』のブログ管理者 弁天小僧です。

『ひょこむ』の存在は以前よりrfuruya1さんの雑感日記をを拝見していて、その存在は知っておりました。そしてお誘い頂き恐縮です。

私は16歳でカワサキAR50にはじまり、Z400FX。そしてザッパー系の空冷GPZ750を2台乗り継ぎ今の750ターボ…とカワサキのクルマを乗り継いできました。

私のオートバイの楽しみのひとつに自由と冒険心。
4輪では味わえない非日常の世界。
太陽の光を全身に受けながらはしる歓び。
時に、悪天候のなかずぶ濡れになって走るあの悲惨さ。
だけどそのどれもが私にとっての大きな実体験。
移り行く季節の匂いを感じ
自然と対話を楽しむための道具としてのオートバイ。
その走りにはいつも自己責任と自己管理が問われます。
そんな厳しさが私の心を捉えて離しません。

そして、もっと別の意味で
オートバイの持っている無限の可能性を信じる
きっかけになった出来事が…あの阪神淡路大震災でした。


震災直後、すぐに芦屋に住む両親に電話をかけ
安否を確認するとともに
東京からカワサキの荷台に食料と水をしこたま積んで
すぐに東京から現場にかけつけました。

尼崎をすぎて西宮に入る辺りから見た瓦礫と化したビルや家屋の悲惨な光景。
その変わり果てた姿にただ呆然とし、震えが止まりませんでした。

国道2号線は交通規制がかかっていて一般車両は締め出し。
支援物資を運ぶために交通規制が敷かれているなか
幹線道路から外れて裏道を西に突き進み
瓦礫で埋まった道路をなんとかかきわけ
両親の住む実家までたどり着きました。

幸い大きなケガもなく元気な二人の顔を確認すると
ご近所の倒壊した家の救出作業に加わりました。

その時改めて実感したのが
災害直後の混乱した現場で救命活動を行うには
2輪車でなければとても無理だろうということです。

その機動力と俊敏さに無限の可能性を秘めていると。

オートバイは私達の心を豊かにするし人の命を守ることもあるんですね。
その時、心からオートバイ乗りでいて良かったっと。

あれから13年。
あの時、命の水を運んだ84年式のカワサキGPzは
今はもう手元にありませんが
私にとって忘れることの出来ない想い出の愛車です。
今年で5歳になる息子がおりますが
ようやく補助輪がとれて今、自転車に夢中です。
いつか…『オートバイが欲しい』と言う年齢になったら
この震災の時の話しと
オートバイの話しを聞かせてあげようと思っています。
もちろん親子で『カワサキ』です。

港町・神戸にSLの汽笛。
震災の面影はもう少なくなりましたが
神戸に新しい息吹をもたらしてくれそうな
壮大な計画ですね。
私も影ながら応援させて頂きます。

お誘いありがとうございました。




「ひょこむ」での私のトモダチも100人を越えた。
こんなにオートバイに愛情を注いでいる弁天小僧さんんにも、昨日ジョインして頂いた。

『カワサキワールド』の楽しく素晴らしい世界をみんなと一緒に、造り上げたいと思っている今日この頃である。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

収入の範囲の支出とする

2008-01-30 05:14:43 | 大阪維新の会、橋下徹氏

今度、大阪府知事になった橋下さん、こんな解り易いマニフェストを出している。

そんな中で「収入の範囲内での支出」と言い切った。
これが出来る、出来んといろいろ騒がしいが、まずそんなことよりも、「明確に言い切った」ことに大拍手である。

これで、方向、大方針は決まった。
そして、その言い方が極めて明確であり、やろうと意思が明確に読み取れた。

橋下さんは、これをやりきるだろうと思う。




今すぐ、今年の予算でそれが出来るかどうかは、問題ではない。
どんな対応をするかである。


節減もいいが、節減ではまずダメである。
幾つ止めれるかに掛かっている。ドラスチックに行くほうがいい。
不要なものを探して止めたらいいのである。

改革とは体質の転換である。
それをしないで、ちょっと改革の真似事の改善をしただけで改革と錯覚しているリーダーが多すぎる。
大阪を変えようと言う意識が、極めて明快である。


人を減らすにしても、組織を潰して人を減らすのと、
組織そのままで人員減をするのとではその意味するところ180度違うのである。
意識改革など、口先でかっこいいこと言わなくても、ドラスチックにやれば意識は自然に変わる。

役所など、もともと水ぶくれみたいなもので節減する要素はいっぱいあるだろう。
それを1割や2割減らすことは可能であろうが、それではダメだと思う。

役所を見ていると、もともと必要ないことをいっぱいやっている。
止めたらゼロになるのに、節減と言うから80は残ってしまう。
100減るところが20になってしまうのである。



リーダーに、確固とした方針と熱っぽさがあり、それをホンネで伝えれば、必ず追随する強い味方がいっぱいできる。
そして、いつかそれは、流れになる。流れ出したら、さらに大きな流れになるはずだ。

選挙で180万票もとれたのも、大衆が橋下さんのホンネと熱っぽさを認めたのである。


今年の予算で100%やりきる、魔法みたいなことでなくてもいい。
間違いなく実現するスタンスであればいい。
私は今、実現の方向に歩み出していると思う。

収入の範囲内の支出にする。
子育て世帯に絞って「選択と集中」を明確にした。
目標も差別化された手法もいい。



樋渡さんとはまた違った、
ファンになり応援したくなる人がまたひとり、出来た。
応援をすることに決め、新しいカテゴリー「大阪府&橋下徹」を造った。

40年間、こんなことばかりやってきた。
カワサキの国内市場環境は、ずっとこんな歴史の連続であった。
でも結構楽しかったのである。

府庁の勤める人たちは、ちょっと大変かも知れぬが、今まで府民はもっと大変だったのである。
どちらのために知事は動くべきか、それは明らかである。

視点をどこに置くのか、
こんなことは少しも大変ではないのである。

橋下さんの大局を見る目、視点の方向、スタンス、どれも間違っていない。
若いけれど、リーダーの資質、大丈夫である。


今朝の新聞、
東京で福田さん以下自民党や政府の幹部など、橋下人気にあやかりたいと、
ミエミエの対応だが、もう流れが出来かけている。
大阪も全国区になるだろう。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Kawasaki Moto GPフェア

2008-01-29 05:28:27 | カワサキワールド
神戸のメリケン波止場にあるカワサキワールドで、
今、「Kawasaki Moto GP フェア」が開催中されています。

Kawasaki Moto GP フェアとは、どんなものか?

世界最高峰の国際二輪レースMoto GPに賭ける今年カワサキの意気込みが感じられます。





こちらは名前は同じカワサキワールドですが、
兵庫県が後押しするSNS、「ひょこむ」に、私たちが12月に立ち上げたばかりの
カワサキワールド」のコミユニテイです

ロードレース     塚本昭一、
モトクロス      山本隆、
トライアル      加藤文博
ジェットスキー    松口久美子

など歴代のチャンピオンもメンバーに名を連ね、カワサキの真打を自認する面白い人たちが集まっています。
すでに会場を見てきた人の感想や、一般のブログなども紹介しています。





そして、沢山の方がブログにアップされていますので集めて来ました。

既に会場をご覧になった方の感想

海洋博物館でバイク展示

コーク、バリントン選手、知ってますか?

Kawaasaki Moto GP 近くの人羨ましい

カワサキ冬の大イベント

Moto GP フェア
忍者かっこいい

2月3日までです。
10:00~17:00
お見逃しがないように。
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この週末、話題いっぱい

2008-01-28 04:29:07 | スポーツ
この週末から月末にかけて、スポーツを中心に話題いっぱいである。

まず、土曜日はサッカーの国際親善試合の日本代表ーチリ代表戦が行われた。
オシム監督のあとを受け継いだ岡田ジャパンがどのような戦いをするのか、
注目の一戦だったが0ー0の引き分けに終わった。
サッカーはルールは単純だが、レベルの高いサッカーほどシステムや戦術は複雑で監督の力でいろんなサッカーが観られるところが面白い。
監督の器なりのサッカーが展開されるのである。
ボールも人も動く美しいサッカーを目指す岡田ジャパンが、まずまずのスタートだったことはよかったと思っている。

大阪国際マラソン。北京五輪代表選考会を兼ねた大会であったが、
注目の福士は期待通りスピードを生かして前半は圧倒的な速さを見せたのだが、後半はスタミナが切れて残念な結果となった。
素人には解らないマラソンの難しさであろう。
前半の素晴らしさがあまりにも生き生きしていたのに、最後の走りはテレビで見ていても、止めてあげたいと何度も思った。

5年ぶりの横綱同士の相星決戦、力の入ったいい相撲であった。
白鵬の三連覇に終わったが、今場所は、先の朝青龍のいなかったニ場所の優勝のためにも、意地でも勝ちたかったと思う。
そんな思いが相撲に出ていた一戦であった。

二人ともモンゴル出身、ちょっと残念だが、さぞ祖国モンゴルは沸いたと思う。
東国原宮崎県知事が白鵬に渡した宮崎県の和牛の優勝カップ、NHKにしてはやけに長く写したなと思った。

スポーツでは、これも北京五輪出場を懸けて、この月末男女のハンドボール戦が行われる。
突如として世の脚光を浴びてはいるが、いろんなこともあるようだ。


大阪の新しい府知事が決まった。
隣の県のことではあるが、応援をしていただけに、ほっとした。
これで関西大阪にも注目が集まるだろう。

民主党が推した熊谷氏が悪いとは思わぬが、熊谷さんでは大阪は注目されない。

東の石原慎太郎都知事とは年齢、経歴とも対照的だが、それ故に今後大阪は注目を浴びるであろう。
知事や市長など地方の首長は出来る限り官僚や政治のプロのような人ではない普通の人になってほしい。


今日からマスコミ報道は加熱するであろう。
そんな一時的な人気ではなく、今後の大阪府政に橋下知事らしい新風を吹き込むことを期待したい。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ひょこむ」 での、ある出会い

2008-01-27 05:25:42 | カワサキワールド
つい一両日前、丁寧なメールを頂いた。
尼崎にお住まいの、ある女性からである。

「はじめまして。突然、不躾なメールお許しください。ブログを、毎日とても楽しみにしている『雑感日記』大ファンの一人です。
「ひょこむ」も楽しく拝見しております。

毎日更新される日記のコメント欄に、書き込みをさせていただこう・・・と思いつつ、いつも気後れしてしまい、残すことができませんでした。

実は私もバイク乗りですので、カワサキの昔話やレースの話は、全て読み返しをさせていただきました。もしかすると、いつか書かれていた閲覧ページ数を
飛躍的に伸ばしたのは私かも・・・などと勝手に思っています。(笑)

その昔の大昔、今から30年前にお世話になりっぱなしだったのが、カワサキの販売店だった「石屋モータース」さんでした。
平井さんのお話がありましたが、随分長くお目にかかっておらず是非お会いしたいです。
神戸スーパースポーツの『付録』『お荷物』としてレースにエントリーさせていただいた時代もございました。懐かしいです!

子供が大きくなり、私とは遊んでくれなくなった4年前にリターンして、手に入れたのがオレンジのZ1000です。
幸いに?夫も単車乗りですので、二人して、また友人達とあちこちツーリングに出かけております。
ツーリングくらいで止めておけばよかったのですが、ヘンな虫が騒ぎだし、一昨年の岡山(TI)での草レースにエントリーし、昨年も3戦、同じクラスのライダー達の邪魔になる華麗?な走りでゴールしました。
サーキットでは懐かしい方々との再会、また初めましてな方々との沢山の出会いがあり、バイクに乗っていたことへの誇りと感謝の気持ちで一杯です。

ブログに出会えたこと、
インターネットの存在を改めて有り難いと感じます。」



一部勝手に割愛させて頂いたが、こんなメールであった。
平井さんや、石屋さんの話も懐かしく、メールアドレスも解っていたので、
つい「ひょこむ」へお誘いをしたのである。
直ぐ、ジョインして頂いた。

「ひょこむ」滞在、たった1日の感想を、今度はひょこむのメッセージで頂いた。



「昨日から「え~~っ」の繰り返しです。ひょこむにご招待いただき、楽しくって
しかたがありません。パソコンの前に張り付いています。

平井さんから早速メールをいただき、記憶に留めて頂いていたようで、感激でした。25年ぶりに再会出来そうです。

亀田万作さん(森田さん)とは4耐の時に(28年前)鈴鹿でご挨拶をさせていただいており、旧姓まで憶えてくださっていて「びっくり!」でした。

加藤文博さんとは同じ年のイーハトーブトライアルに参加しており、お互いに「ビックリ!」でした。ツーリングの折によく見るパラグライダーでしたが一度経験してみたいと思っていたので、今度ゼヒご教授いただこうとおもっています。

ライムg3の塚本さんは、私の会社が製造販売する薬をキヨさんを通じて使っていただいて・・・という、繋がりがございます。(私は塚本さんの華麗なライディングのファンでもあります。)

沢山の楽しい、あたたかい方にメッセージをいただき、感動と感激でいっぱいで、10歳くらい若返った気分です。いえ、気持ちはレースを始めた二十歳まえに戻っているかもしれません。
(ツイデに目じりのシワも消えないかなあ・・・(笑))

本当に、楽しくて素晴らしいご縁をありがとうございます。
これからもよろしくお願いいたします。」



と言うものである。
ここに登場した、平井さん、亀田さん(森田さん)、加藤君、塚本君、みんなこの世界では超有名人である。

今、ひょこむの「カワサキワールド」にはこのほかにも、カワサキの真打目白押しである。
ひょこむの600近くあるコミユニテイの中でも、最右翼の活況振りである。

こんなに喜んで頂いて、ご招待して本当によかったと思う。
私自身、まだ亀田さんとは実はお会いしたことがない。
亀田さんとは、大阪の故野崎輪業さんのことをブログに書いて繋がったのである。

2月3日の近畿MFJふれあいミーテイングに誘って頂いており、初めてお目に掛かれるのを楽しみにしている。あと1週間である。

このパーテイには昨年始めて出席したのだが、山本隆、金谷秀夫、吉村太一、田中隆造、和田将宏、北川圭一君らに会って久々に旧交を温めた。
先方から私を見つけてわざわざ挨拶に来てくれた北川君がパーテイの主賓であった。

「何故?」 「彼、2年連続の世界チャンピョンですよ」 と教えて貰った。
北川君が世界チャンピョンの今も、京都のヨシケンから紹介されてその昔チームグリーンに入ってきた頃そのままの、好青年だったのが印象に強く焼きついている。

人の出会いは、いいものである。
それを可能にしてくれるシステムが、今は無料で用意されている世の中である。

「ひょこむ」 に感謝である。


今朝「ねこ」さんのトモダチ数。
レースの関係者を中心に22人になっていた。
是非今後も、「ひょこむ」の「カワサキワールド」の世界をお楽しみ頂きたいと思っている。



コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神戸臨港線の話の続き

2008-01-26 04:56:32 | カワサキワールド
先日から続いている神戸臨港線の話、今日はより具体的な話をすべく、我々単車出身の鉄道マニアに加えて、車両事業部出身の友井川さんと神戸の高校の先生でマニアを通り越した鉄道プロの内山さんも入れて、このプロジェクト話を議論した。

もともとの話は、灘駅からはハーバーランドに走っていた旧JR神戸臨港線に蒸気機関車で引っ張る観光列車を走らそうということからスタートしている。

ちょっと距離が長すぎるので、観光客誘致を最優先にハーバーランドとメリケンパークを結べないか、までが前回であった。

その条件で現場を見たが、実現の可能性50:50と素人の私は思った。
今日はその検討から入ったのである。

それにしても、プロのレベルの高さには驚いた。こんな人たちなのである。

4人のプロの話は、素人はとても入れないレベルの高さで、面白かった。
いろんな意見が出たが、一番実現し易い案でスタートしてみようということになった。
まだ詳細は、お話するわけにはいかないが、基本コンセプトは崩さず、その中での実現を目指すことで確認された。

1.神戸港を中心とする観光客の誘致をめざす。
2.神戸市に協力してもらえる、市にメリットのある方向とする。
3.現在のカワサキワールド、との連携や兵庫工場との関連も含め、神戸を「鉄道マニアの聖地」にする。
4.運営は鉄道マニアやボランテイア中心に行うことする。
5.広報的に面白く話題性があり、子供から大人まで楽しめ夢中になるような、ソフト面の充実を企画のベースにする。

ざっとこんなところである。
こんな基本コンセプトに合致する、実現可能な計画からスタートし順次大きなものにしてゆく可能性を残しながらプロジェクト進めることとした。

第1回としては上出来である。


それにしても鉄道マニアを通り越したプロたちの話は面白かった。
こんな人生を送れる人たちは幸せである。
そんな人たちと夢を語れる私自身もまた、幸せと思うべきである。

いい出会いであった。



コメント (3)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

百度

2008-01-25 04:48:16 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
中国もどんどん追いついて来るものである。

百度について新聞に記事が出ていた。
インターネット関連の検索関連で今世界でGoogle Yahooについで3位、中国ではトップのシェアを誇っているという。

その百度が、2006年12月に日本法人百度を設立したのだが、2008年1月23日より本格的なサービスを開始するというのである。
ソニーの元会長出井伸之さんも社外取締役に就任しているそうである。

Wikipediaにはもう相当詳しく書き込みがなされている。
百度で「Yahoo」を検索してみた。こんな感じである。
Yahooでも、Googleでも1ページ目のトップに来る私の雑感日記はどこまで探しても現れない。
どういう印象ですか?
ちょっと変った感じ受けました。Google や Yahoo と差別化されているのはいいと思う。

中国で圧倒的な地位を築いた理由を「徹底した現地化」と「検索者の利用目的にあった結果を示す技術」を上げたという。
また「我々は成功のプロセスを知っている。競争は怖くない。」と述べたという。

まだ、国内の昨年11月度の検索サイト閲覧件数は、
Yahoo   約21億件
Google  約11億件
百度    137万件で
試験提供中とはいえ、まだ比較の対象にもならない数値である。

これが、今後どのように推移するであろうか、注目しておきたい。

ただ、私も今日はじめて「百度」と言う言葉にも、現実に百度も見たのだが、
もう「お気に入り」に入れてしまった。
検索のカテゴリーで、Yahoo Livedoor などと共に並んで収まった。
好奇心も働いて、今後しばらくの間は、多分百度も検索してその違いを確かめるのは間違いない。

そんな人が、どれ位出てくるのであろうか。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2,8

2008-01-24 04:38:20 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
2月、8月「にっぱち」と言って、どうも景気がもうひとつとか、人が集まらない商売に難しい月だと言う。

自分が消費者の立場で分析しても、そんなに意識して2月、8月を避けたりはしないのだが、
2月は、正月の疲れとか、出費がかさんでかさんでその反動があるのだろうか。

季節的に一番寒いし、日にちも実際に少ないので、人出や消費も少なくなるのだろうか。

8月は、お盆休みで人は動くのであろうが、これも休みも多いし、季節も熱い盛り何で、数の多い一般小売店などが影響を受けるのだろうか。


そんな季節の消費や集客の悪い2月の対策として、特別企画を打つのだということを昨日カワサキワールドで聞いたのだが、
季節と言う仕訳けではなくて、地域と言う観点でも浮き沈みがあると思う。

長い間、ハーバーランドにもご無沙汰で、久しぶりのハーバーランドーやモザイクだったが、オープン当時神戸の中心が三宮から神戸に移るのではないかと思ったほどの繁盛振りは陰を潜めて、ホントに静かな雰囲気であった。

これも世の移り代わりであろうが、こんなことに歯止めをかけるためにも、
港を走る観光列車は面白いと思う。
もっと調べてみないといけないが、神戸市だけが地主であれば今の現状は、プロジェクトにとって追い風になる可能性がある。


何事も世の中の流れや運というものがあって、ついていない人はなかなかめぐり合わせが上手く合わない。
運がいい人は何となくいくのである。

私など元来が、ネアカであり物事が出来なかったことはあまりない。
大体が順調である。
今回出会って一緒にやろうといっている連中も、ネアカでついている人たちばかりである。
こんな人たちと組んで出来ないことは、誰がやってもダメであるなどとタカをくくって進めているが、スタートした月が「にっぱち」ではなしに、年のはじめの1月であったことは、縁起がいい。

こんな風に、何でもいいように考えないと、難しそうに考えると、出来ることも出来なくなるのである。

そんな強がりを言ってはいるが、内心どこかにお参りでもして御神籤でも引いてみるかという心境である。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢みたいな話の感想

2008-01-23 06:01:41 | カワサキワールド
昨日、一日夢みたいな話を追っかけてきました。
久々にめっちゃ面白かったし、いろんな人との新しい出会いもあったし、まあ素晴らしい一日ではありました。

まず写してきた写真をご覧下さい。
こんな景観の中を観光客を乗せて蒸気機関車で引っ張る観光列車が走る。


ハーバーランドとメリケン波止場と言う、いまは離れている観光名所がひとつになる。
海洋博物館もカワサキワールドも更に脚光を浴びる。
出来ることに反対する人はまずいないであろうと思います。

そんな夢みたいな話です。

年が明けて、後輩の福井君の相談を受けて「出来る出きん」は別にして、手伝ってみることにしました。
現地がどんなところか、自分の目で確りと納得できないと前へは進めない性格です。一人で確かめに行ってきました。

現場を見ている間、故岩崎茂樹君と日本で始めて一般のライダーが走れるサーキットSPA直入を造ろうと、直入町の山の中を歩き回ったことをずっと思い出していました。
難しいことにチャレンジするのは楽しい、難しいから楽しいのです。

この写真をご覧になって、どうですか、できる可能性はあると思われますか?

私は50:50の可能性だと思いました。
土地の所有者の神戸市などの判断もあるのですが、それは全てOKと仮定しても、物理的にどうか、港湾の直ぐヨコを走るという法的な問題などがよく解りませんが。
理由は伏せておきますが、50%できる可能性があるのは夢みたいな話が、夢に格上げされたと思っています。


もともとの鉄道マニアの計画は、廃線跡のハーバーランドから灘駅までの、ホントの廃線跡に列車を走らせようというものでした。
それはダメと即座に思いました。
鉄道マニアの方たちの郷愁は満足できるかも解りませんが、
コンセプトが成り立たないと思います。

ハーバーランドからメリケン波止場の神戸の港を象徴する名所を結んで走らそうという案は、廃線跡という発想を借りた「ホントの臨港線案」に変っています。



昨日、カワサキワールドでは、川重の車両のOBのかたも出てきて、
満州鉄道のアジア号をホントに復活実現をした友井川さんにも紹介して頂き、明後日お会いできることになりました。
面白いから手伝おうと言ってもらっています。
昼飯を食ったモザイクの店のおばちゃんは「是非頑張って」と言ってくれました。

スタートは切られました。
結論は意外に早く出ると思っています。
サーキットを造るほど難しくはないというのが、昨日の感想でした。
コメント (7)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昔話ー85 ブランドコンセプトー2

2008-01-22 04:57:10 | カワサキ単車の昔話
KMCが設立されたのが1968年である。マッハⅢが発売された年である。
カワサキの「ブランド」が意識されだしたのは、これ以降だと思う。

アメリカ市場がカワサキの二輪事業全体を引っ張った時期である。

72年にはZ1が、73年にはジェットスキーが開発されて、
今も全世界のカワサキで基本コンセプトとして使われている
「Kawasaki let the good times roll」が発表されたのである。

今から35年も前のことである。
翌年には、リンカーン工場が稼動し、ジェットスキーの生産が始まった。
日本の自動車工業会でトップを切ってアメリカ進出を果たした。ホンダさんよりも、早かったのである。

日本で一番アメリカナイズされていたかも解らない。
その頃のコンセプトのひとつは「現地主義」であった。
そして、Kawasakiの[Good Time Concept]は当時のアメリカの広告界の話題となったのである。
当時のKMC社長は後、国内のBMW JAPANの社長として右ハンドル車を導入し、BMWを立て直した浜脇洋二さんである。

私自身は、これをはじめて聞いたとき非常に感動したのを覚えている。
ある意味、これがカワサキのブランド戦略のスタートと言っていい。

その後、フライングKやKAWASAKIからKawasakiなどへのロゴの変遷などもあった。
そして、アメリカを風靡したGood Times Conceptも一時期使われなくなっていたのである。

大体日本人は一般に、生産管理型で数値目標を立ててその達成を図ったリ、効率化のための改善などの活動は得意であり、関心度も高い。
然し、理念とかビジョン、ブランド戦略などは、得意でもないし関心も薄いのである。
極端に言えば、「金にならない」と思っているのである。

このコンセプトをアメリカで復活したのは、
高橋鉄郎さんが企画室長、田崎さんがKMC社長、私が企画を担当した1976年である。
そして、全世界での統一コンセプトとして国内にも適用したのは、
高橋さんが事業本部長で私が国内の3度目の担当をした1989年である。

高橋さんは、このような理念、ビジョンに対して非常に関心を持たれていた。
若し、高橋さんが居られなかったら、こんなことにはなっていない。
数値目標には関心の強いトップは多いが、理念やブランドを言う人は少ないし、今でも日本では受け容れられない風潮が強い。

安倍さんが掲げた「美しい国」に対する反応を見てもそれが解る。


川崎重工業は昨年大橋社長が一歩進めて、
「ミッションステートメント」を発表した。

カワサキもそのミッションを語れる企業に成長した。

流石、お二人ともアメリカで育ち現地の経営を経験した国際派の、会長、社長である。
誠に、ご同慶の至りと思っている。



そんなビジョンを追っかけるカワサキだから、OBのなった今も応援をしようと思っている。

そして、私の住んでいるまち三木も「日本一美しいまちをめざす」という高い目標を掲げているので、
わたしも、後押ししようと思っているのである。



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昔話ー84 ブランドコンセプト-1

2008-01-21 04:37:17 | カワサキ単車の昔話
カワサキ単車の昔話もちょっとご無沙汰であった。
昔話をするよりも夢のある話のほうが、どうしても面白いのである。

先日、松下のブランド戦略の話題が世間を賑わして、これについてブログを幾つかアップした。

その中で、カワサキはブランド戦略だけは成功したと書いている。
私自身は、カワサキの知名度などよりは、カワサキというブランドの高質化に関心があり、それは達成されているという意味で成功と言っているのである。



カワサキのブランドは幾多の変遷を経て現在に至っている。
1950年代は、単なるエンジン供給メーカーであった。
発動機工場で、エンジンやらミッションなどの関連部品を製造していた。

納入先には、東洋工業、井関農機、本田技研にもミッションの納入があったようである。
単車のエンジンとしては、メイハツと井関に納入していた。
当時はブランドなど存在しなかったのである。

1960年代に入り、単車の一貫生産が始まり、メグロ製作所を吸収する頃からブランドという真似事の意識が芽生え出したと言っていい。
それも、誰も正式には意識などはしなかったと思う。

確かに「カワサキ」のマークがタンクマークに付けられてはいたのだが、
それはつけるものだという慣習に従ったぐらいのことである。

メグロもカワサキに参入したが、そのブランドはメグロのままであった。
ある展示会でペーペーの私が、勝手に「カワサキメグロ」と表示したら、しばらくそのように言われた時期もある。そんな程度であった。

幾らかでも、ブランドの意識やカワサキのロゴに関心が出来て、仕事として取り組み始めたのは1964年広告宣伝課が出来て、私がその担当を命じられてからだろう。

まず最初にカワサキのロゴを決めようということになって、当時では1億2千万円の途方もない金額の「事業開発費としての予算」を持っていたので、ロゴも有名な人に頼もうということになった。、

それで、東京オリンピックのポスターのデザイナー亀倉雄策に打診したら、
デザイン料が1億に近い金額を言われて、ビックリして社内のデザイナーに無料で創らせたりした。

広告の世界では、何事もその価値で価格が決まる。
「カワサキ」という4文字のデザインが幾らなのではなくて、
「カワサキ」という広告の基本の基本の4文字であるからこんなに高いのである。
今でも会社のシンボルマークなどは、みんな1億近い金が掛かるはずである。

同じ4文字でも商品名などだと安くなる。
同じタレントを半日拘束しても、雑誌に使うのと、テレビに使うのでは値段が違うのである。その効果によりその価値が判断されるのである。
こういう広告の世界の価値判断の基準は、その後いろんなことに多いに役に立った。



当時は、コーポレートカラーなどもなかった。
敢えて言えば、「赤」であった。
当時、モトクロスでタンクに赤が使われ、誰言うとなく「赤タンクのカワサキ」と呼ばれていたのである。
FISCOで初めて、世界GPに登場したときも、マシンのタンクは赤く塗られていた。

当時、ホンダのファクトリーはモトクロスには参戦していなかった。
確か、ホンダのロードのマシンのタンクは赤であった。
赤はもうひとつだと、思い出したのは、ロードレースに参画しだした65,6年頃からである。先輩格のホンダのカラーを勝手に使っていたのである。
それも内心私が思っただけで、そんなことに気付く人はいなかったと思うのである。

今、カワサキのコーポレートカラーは「ライムグリーン」である。
これは日本で決めたのではなくて、
広告の本場アメリカでKMCがレースにこの色を使い出して、日本に逆輸入されたはずである。



事ほど左様に、カワサキのブランド戦略などは、1960年代には殆ど存在しなかったし、意識するような人は殆どいなかったのである。

こんな昔話を綴ろうと思ったのは、ひょこむで今展開されている、こんな話題にその歴史として載せようと思ったからである。

ライムグリーンへの憧れ

ブランドの高質化というブログに寄せられたコメントに対して


カワサキのブランド戦略と言えるものがあるとすれば、それは1970年代から始まるのである。
その話は次に。
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続、夢のある話、夢みたいな話

2008-01-20 05:12:51 | カワサキワールド
先日、「夢のある話、夢みたいな話」をブログをアップしてから、状況はどんどん動いている。
面白いもので動くときには、一挙に動くものである。
どんなことに、なっているか概略をご紹介してみたい。


先日、福井君から相談を受けた件は、
その後ご本人がひょこむの中で「JR神戸臨海線」と言うトピックを書き込み、概要を明らかにした。

荒っぽく言うと、ハーバーランドから、カワサキワールドを通って、神戸の港辺りを昔のJR神戸臨海線を復活して、観光客を乗せた列車を走らそうというものである。
カワサキワールドには実物の新幹線も展示してあるが、神戸を鉄道マニアの聖地にしようという計画である。
ついでに、この3月で廃線が決定している三木鉄道も線路は残っているので何か走らせることは出来ないか?


こんな話で、忙しかったのだがいろんないい話が舞い込んだ。
インターナショナル村島からは、新しいホームページに雑感日記をリンクしていいですか、勿論OKである。
今、ひょこむでお付き合いしている、服部カワサキモトボックスセキ名西カワサキなどはみなリンクして頂いている店である。
毎朝、覗いて頂いていてありがたいと思っている。
村島さんからは1万人ほどのDMを打つユーザーがいるが、ここにも紹介したいとの申し出である。


新しくホームページを立ち上げたマイスターの森田さんや、福井君からはツーリングなどで三木周辺で集まっているユーザーを防災公園に場所を移して実施したいと申し出を受けている。
三木のほうの活動で、防災公園をその核として位置づけているのだが、それとのジョイントも具体的になってきた。

更に、これは殆どご存じないと思うが,関東を中心に竹とんぼ教室の展開で、総務大臣賞を受けておられる堀池さんとは従来からブログでは繋がっていたのだが、
今年の年賀状を頂いて、そんなご縁からひょこむのメンバーにもなって頂いた。
今後の活動が具体的に展開可能になるだろう。


カワサキワールドの動きに、刺激されて年が明けてから三木のほうも一挙に動き出した。
ふれあいウオーキングみきの広報ひろばビーンズパーク三木のロハスなどのコミユニテイも立ち上がったし、緑ヶ丘の公民館を中心にした動きも具体的になってきた。

ホンモノのカワサキワールドとも具体的に連携した動きになるだろう。

いっぱいリンクしたが、これらは「みんな繋がっている」のである。
SNS(ソーシャルネットワーキング)が動き出したのが実感されるこの頃である。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日韓新時代

2008-01-19 04:36:34 | 政治
韓国の大統領が代わった。

韓国の李次期大統領は「謝罪求めなくても成熟した外交できる」と日韓の関係改善に意欲的である。

私にとっては、本当に嬉しく心から歓迎したい。

私は昭和8年兵庫県明石で生まれた。
自分で覚えているわけではないが、話によると1歳の時、朝鮮、今の韓国の渡っている。
そして昭和20年終戦の年まで12年間、京城、今のソウルで育った。

少年時代を過ごしたのはソウルであり、その頃の想い出は殆どがソウルである。
若し「あなたのふるさとは?」と訪ねられたら「ソウル」と答えたいし、それはダメと言われたら「私にふるさとはありません」と答えるしかないのである。

当時の日韓の関係が、正常であったとは決して思わない。子供心にも不思議に思った事もあった。
然しいい面もあったろうし、自分が育った韓国は好きか嫌いかと言われたら、「本能的に」好きなのである。

世界の国の中で一番行ってみたいところはソウルであった。
海外出張が多く、アメリカもヨーロッパも中近東もアフリカも、二輪車と関係のあった国には、どこにでも行けたのに韓国だけは二輪の関係がなくて行けなかった。

だから、ソウルオリンピックの時にオリンピック委員会の正式な招聘も受けて、開会式の当日、子どもの頃遊んだ漢江(ハンガン)でジェットスキーのデモンストレーションを頼まれたときは本当に嬉しかった。
チームと一緒に1週間過ごしたソウルの出張は、私にとって一番嬉しい海外出張であった。
戦火を免れた小学校も過ごした家もそのままで、見ることが出来ただけで大満足であった。


そんな韓国との関係が、ずっと険悪であることは悲しいことであった。
今後の日韓の関係が改善されることを望みたいし、素直に喜びたいと思うのである。

ソウルは、私のただ一つのふるさとなのである。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昔から人が住んでいたところ

2008-01-18 05:44:14 | 発想$感想
昨日は、阪神大震災13年目で当日のことを思い出してブログをアップした。
そこに書いているが、確かにあの地震にはビックリはしたのだが、当日の朝9時少し前まではそんなに普通の日と変っていないのである。

ちゃんと起きて犬の散歩をし、飯を食っていつものように車で会社まで通勤しているのである。
いつもと違っていたのは、停電で信号が付いていなかったぐらいのことであった。



歴史に残る大地震であったことに間違いないのだが、こんなに沢山の方たちがなくなったことについて私なりに、漠然と考えていることがある。

ホントにちょっとだけ離れた三木では被害がなく、神戸で何故こんなにひどかったのか。
この地震が同じ規模で昔に起こっていたら、こんなことになっただろうか?

私の勝手な推論は、「昔から人が住んでいるところは、住み易いところである」と思っている。


こんな風なことを最初に思ったのは、東北の仙台で暮らした頃である。
冬雪が降る。どこにも降るのだが、昔から人が住んでいるところの降雪量は少ないように思った。
仙台、山形、盛岡、秋田みんな周辺部に比べて少ないのである。
例外が青森市、冬雪の量は半端ではない。
だがここは北海道との連絡船で栄えたまちである。人が住んだ歴史は浅い。

仙台で地震があった。
昔から人が住んでいた旧市街と周辺の新興開発地区との被害の差は歴然であった。

人の永年の知恵で、人は住み易い安全なところを選んで住んできたのではと、
もう40年ほど前、東北に居た頃に何となくそう思っていた。


13年前の神戸の地震の時に、また思い出した。
三木も明石もそんなにひどくないのに、何故神戸だけがと思った。
よく歴史は知らないが、神戸はどちらかと言うと港で急に栄えたまちで、そんなに昔は多くの人は住まなかったのではと思ったりした。

私は今、三木市に住んでいる。
三木は歴史のある旧いまちである。
昨年、E-デイフェンスの見学をした時、所長さんがここを候補に選んだ理由のひとつは地盤が確りしていて、大きな地震実験に耐えることといわれた時、またこのことを思いだしていた。


ロハスなどとも言われている。
便利な生活もいいが、安全に人間らしく生きれる土地に住む知恵を昔の人は持っていたのかと思ったりしている。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢のある話、夢みたいな話

2008-01-17 04:52:29 | カワサキワールド
昨年12月にひょこむの中に「カワサキワールド」というコミユニテイを立ち上げたから、何か生活が一変した。

何かを造るというのは面白い。何もないところからのスタートだから、白紙に絵を描くようなものである。
大したことではないが創造の世界である。

昔の人脈の中で、面白そうな人を探してお誘いすることから始まった。
面白そうなには、沢山いるのだがパソコンはどうもとか、インターネットはどうもと言うのも多い。
星野一義君がそうだし藤田孝明君がそうである。

それでもこの1ヶ月に結構面白い一流人が集まって、活発に動き出した。


その中でも、福井昇君、ハンドル名s850m君などは最右翼である。
もとはと言えば、お堅い川崎重工の社員なのに、ジェットスキーを本体の川重が国内では扱っていない逆輸入の時代からそのレースをやっていて、そんなご縁で繋がった。

発動機から単車へ、ジェットスキーの世界の市場開拓を手伝ってくれてヨーロッパの殆どの国に出張などしていたが、国内市場の開発のために独立開業してジェットスキー専門店国内1号店である。

殆どゼロの市場が一時、1万台も売れたりして、メーカーも販社も販売店も、折れて曲がるほど儲かった時期もあったりしたが、とにかく成功したことには間違いない。

多趣味で、4輪や2輪のレストアだけかと思っていたら、鉄道マニアなのである。
ひょこむに入った途端に「庭園鉄道」というコミユニテイを立ち上げて
コミユニテイだけかと思ったら自宅の裏に線路を敷いて汽車を走らせているのである。

そんな彼から相談に乗ってくれと頼まれた。
自宅の裏庭だけでは飽き足らずに、ホントの廃線になったところにホントの汽車を走らそうと言う、途轍もなく壮大な話である。
夢のある話を通り越して、夢見たいな話である。

その話をちゃんと聞いてくれと言うことで昨日、KMJで会ったのである。
私だけでは勿体ないので、マイスターのモリチャンも同席した。
中味は、まだ話せないのが残念だが、無茶苦茶面白い。
出来る出来んは別にして、一口乗ることに決めた。

夢見たいな話は、面白いのである。


そんな話のほかに、いろんなな話が出た。
鉄道マニアが語る「三木鉄道の話」などは素人では語れない独特のものがあって面白い。

曰く
三木鉄道は普通の地域の鉄道とは全然違った値打ちがある。
こんな鉄道は、他には見られない。
造った時代のままに今残っている。

架線がない。ガードレールがない。人の手が架かっていない。
廃線は惜しいですね。幾らでも利用方法はあったのに。

それは私も同意見である。
たかだか、年間5千万ぐらいの赤字である。
客を運ぶという発想の改善しか考えないから、知恵が出ないのである。

こんな話が止め処もなく続いて夕方になり、暗くなったのでサヨナラした。

夢のある話、夢みたいな話、どちらも面白い。






コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする