雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

昨日の記事ちょっと間違っていました。

2008-08-31 07:38:39 | みっきぃふるさとふれあい公園
昨日の 『ひょっとしたらそうかも知れない』 と題して書いた記事、間違っていました。

『どこ竹』の堀池さん、から電話があって、
三木の商工課と連絡しながら出品した展示会は、これではなくて『竹』をテーマにしたモノだったようです。
同じ千葉県であったもののようでしたが。
『ひょっとしたら』 と題していて良かったと思います。
どうも最近は、物覚えが頼りなくなりました。


でも、exciteのブログのほうに、こんなコメントを頂きました。
初めてですが、hai-tokuさんと仰る方からです。

『 確かにブログの繋ぐ力は凄いですね。雑感日記さんのバックアップもあるのでしょうが、三木市の職員さんたちも、意欲的に自分のまちを発信されてますね。今まで気付きませんでしたが・・
 市長さんが武雄市を訪問、武雄と三木の交流、それに三条市、
三木市のみなさんの発信力に期待しています。まちが元気になりますね。』

三木を評価して頂いて、嬉しく思いました。
hai-tokuさんのブログを拝見すると、武雄の樋渡さんのことにも何度か触れておられます。
『樋渡ファンの』のお一人のようでした。

その樋渡さんからも、こんなコメントを頂きました。
『三木市+三条市は、はた目から見てても、とてもインパクトがあります。1+1=10に化ける可能性大だと思います。』


(写真は三条の国定さんのブログからお借りしました)

三木市と三条市、この写真のようにホントに上手く繋がればいいですね。
外から見るとこんなにいい連携だと、映るようです。

三木市の商工課も、三木商工会議所も、三木の金物業界も、
このような新しい発想の取り組みで、新しい三木を発信されたらと思います。
相手の、三条市の国定さんが、こんなにやる気なのですから、
三木さえその気になればもう出来たようなものでです。

世の中は、 『宮』 という字にこじつけて、宮城と宮崎が繋がろうとするような時代です。
三木と三条なら 『三』 だけではなしに、 『金物』 もあります。

三条でも、ケンオードットコムが、『地元からはこの発想は浮かばない』と論じていましたが、
三木も同じではないかと、思います。
『よそ者力』とドットコムは称しましたが、時流に乗った新しい発想であることに間違いありません。

『1+1=10になると、武雄の樋渡さんも太鼓判です。

ちょっと、間違っていましたが、こんな、ブログを書くきっかけを造って頂いた三条の国定さんに感謝です。

さるとるさん、みなさん賛成して頂いて、良かったですね。


遠い地域が繋がるためには、『何かのkey』が必要です。
冒頭に触れた、『どこ竹の竹とんぼ』 などは文部科学大臣賞を受けた全国区ですし、子供たちが連携の鍵を握りますし、ゲームばかりに熱中して、工作などという昔からの伝統的なモノに縁遠い今の子供たちの教育に格好の素材だと、私は密かに思っています。

『竹とんぼ』 なら日本国中どことでも繋がります。
それこそひょっとして、日本で一番若い倉田市長のいる箕面市とでも繋がる可能性があります。
樋渡、国定、倉田さんと歴代の日本一若い市長と繋がると言うのも面白いですね。

昨日、電話の中で、堀池さんとそんな話もしました。

とリンクしようと思ったら、既にブログでそのことに触れておられました。
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松坂16勝2敗、完封!

2008-08-31 04:21:06 | スポーツ
久しぶりに松坂の投球をテレビで見た。

野茂と並ぶ日本人最多の16勝目を目指す登板は、ホームラン打者がずらりと並ぶホワイトソックス戦であった。
投球1球目をセンターに痛打されて、抜けるかと思った打球をセンターの好守備で切り抜けてから昨日の好投は始まった。

8回までのイニングを104球、打たれたヒット2本、与えた四球は2個、三振7つ、零点に抑えた完璧な投球で三塁も踏ませなかった。

味方打線は逆に好調で8回まで7-0とリードしていた。

こんな状況なら、日本では間違いなく9回も登板して、完投完封を狙うのだと思うのだが、
投球数は100球が目途、先発、中継ぎ、押さえの役割分担が確立している大リーグの野球では、9回は押さえ投手の登板になるのである。

9回完投完封勝利という滅多に訪れない個人の記録は無視してしまうのである。
日本ならこんなことをしたら、ピッチャーはすねてしまうだろうし、ファンも観客も納得しないだろう。
そう思って見ていたが、試合後の松坂のインタビューではもう向こうの慣習に慣れてしまったのか、殆どこれには触れずに極めて冷静に言葉を選んで答えていた。
こんなところにも、大リーガーとしての松坂の成長があるのだろうか。

多分、仕事の中身の評価にシビアなアメリカでは、押さえのチャンスを逸した押さえのピッチャーから、仕事のチャンスを奪ったと逆に文句でも出るのかも知れない。


それにしても、松坂は大したものである。
つい先日、2死から4連続ホームランを打ったというホワイトソックスの打線を2安打に抑え危なげなかった。
バッターの迫力は、やはりオリンピックの韓国打線などとは比較にならないと思う。
そんな打線に仕事をさせない松坂はやはり凄いのだと思う。

野茂の16勝と並んだ。
今期は20勝に手が届くかも知れない。
2敗しかしていないのも、凄いことだと思う。

松坂のこんな登板を実況で見れたのは幸いであった。
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ひょっとしたらそうかも知れない

2008-08-30 06:25:15 | みっきぃふるさとふれあい公園
今年の4月に、 『どこ竹の竹とんぼを飛ばそう会』 という竹とんぼの講習会を三木山森林公園で開催した。これは東京のどこ竹本部から、堀池さんや松本さんなど先生方に来て頂いて、講師の養成講座をしたのである。
そこに参加された受講者が、認定されてその後何回か三木でも『竹とんぼ講習会』が開かれるようになった。


これとは、直接の関係はないのだが、今朝の三条市長日記にはこんなことが書かれている。

幕張メッセで行われている Japan DIY HOME Center Show のことである。
こんな写真で三木のブースも紹介頂いている。



そしてこんなコメントが付されていた

『そして、上の写真が三木産地グループのブース。恒例の羽ばたく鳥の組立てが行われています。ここでは、三木商工会議所の正副会頭さんや専務理事さん、そして、三木市商工課の課長さんや課長補佐さんと名刺交換させていただきました。この場でも、9月28日の〝三条鍛冶まつり〟への三木市さんのご参加をお願いできたので、ラッキーでした。』

三木と三条の連携の話が、先日の国定さんの三木市訪問以来持ち上がっているが、
それが実現しそうである。


冒頭の、竹とんぼの話をなぜ書いたのかというと、
ひょっとしたら、このイベントへの参加は、4月のイベントがあった後に、東京のどこ竹の先生から私に
『こんな展示会がありますが三木市も出品されませんか?』 と連絡があって、
三木市の商工課に話を繋ぎ、さるとる君などもフォローしてくれて、出品することになった展示会があるのだが。

それがこれなのかどうかが、よく解らない。
関東の展示会で、秋口の話だったから、多分これだろうと思っている。


『もしひょっとして』 そうなら、世の中面白い。
ひょんなことから、どんどん繋がるのである。

それにしても、ブログの力はすごいと思う。
国定さんは、ただ事実をさらっと書かれておられるのだが、
国定さんのブログに書かれたら、万を越す人たちに即刻伝わるのである。
三木のことが三条で発信されていて、現に私はそれを見てこんなブログを更新しているのである。

もし、『ホントにひょっとして』、そうならそれはすごい事だと思う。
実は『どこ竹との繋がり』もブログのコメントからなのである。

『ブログの繋ぐ力』 に改めて驚いている今朝でした。

コメント (4)
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速遅速遅密疎密疎

2008-08-30 04:14:01 | カワサキワールド
これは何のことだろうか?と思われるに違いない。
私もまずこれは何だと思った。
出会ったのは、もうずっと前である。

こんなブログをアップしている。

つい最近、gooのブログにブックマークを貼った。
貼ったというよりも、やっと貼る方法がわかって貼れたのである。

長くお世話になった二輪業界から何を選ぶかと思ったとき、躊躇なく、これを一番先に選んだのである。
『速遅速遅密疎密疎』 は個人が書いた、二輪業界の歴史である。
はじめこれを見たとき、本田技研の誰かが書いたのだととっさに思ったのである。
一個人と解ってびっくりした。

二輪業界は、自動車工業会に属しているが、その規模は四輪車とは比較にならない。
然し、世界における地位、レースの世界での実績、世界にいち早く事業を展開した先進性、
これらはトップメーカーのホンダ、本田宗一郎さんのリーダーシップの負うところが多いが、100社を超える業界の競争に勝ち残った4社がそれぞれに個性を持って、『談合』などの日本の体質とは全然違った、事業展開をしてきたのである。

その末端を走ったカワサキでも、アメリカに工場進出し事業展開を図ったのは、自動車工業会企業のトップで本田よりも勿論トヨタよりも早かったのである。


そんな二輪業界の歴史をこれほど詳しく記した文献は貴重である。
著者、深井礼さん(ハンドルネーム)からは、丁重なメールも頂いた。なお今も、書き続けておられる。

二輪業界にあまり興味のない方も、サラッとでも目を通してみて欲しい。
如何に 『速遅速遅密疎道疎』 が労作か、お解かりいただけるであろう。
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堀川運平さんのこと

2008-08-29 04:35:14 | カワサキ単車の昔話
生前、本当にお世話になった堀川運平さんがお亡くなりになった。
心からご冥福をお祈りします。

堀川さんは、まだ単車の経営が不安定な時期に川重本社から『お目付け役』のような形で、2年間ほど企画室長として来られたのである。

そのころのことは、既に2度ブログでも書いたことがある。
一つは、堀川さん独特の経営判断の発想についてである。

これはちょっと真似の出来ない独特のものであったが、非常に的確で、堀川さんの判断で単車はいい方向を歩めたと、私は密かにそう思ってきた。

以前のブログにも書いている、国内事業については、今のKMJがなくなる方向で、本社スタッフなどが案を作って進められていたのだが、私が作った全然反対の方向の案を、『君がそう言うのなら、それで行きましょう』と言って頂いたのである。
こんなジャッジは、堀川さん独特のもので、案の細かい中身など殆ど聞かれないのである。

『経理畑で育った私が単車の営業のことなど解らない。私はいつも誰の意見にのるか決めている』と常々言われていた。
そのころの同僚だった田崎さんなども、堀川さんが信頼する一人だったのである。

本社に帰られて、それこそ単車存亡の危機であったときの、アメリカ側が田崎さん、日本側の企画を私が担当していたのだが、当時の財務担当常務であった堀川さんには本当にお世話になった。
ひょっとして、あのときの本社財務が、堀川ー松本ー横山さんというラインでなかったら、今のカワサキの単車はなかったかも知れない。


二つ目のブログでは、堀川さんの主宰されたゴルフコンペの話だが。
『企営会』というゴルフのコンペがあった。
堀川さんはそのころ企画のほかに営業も生産も見ておられたのである。

上の方に対してめっぽう強かった。
強かったというより、上の意見に反対することなど『へっちゃらだった』
この第1回のコンペが決まっていたときに、当時川重で『こわい』と恐れられていた吉田専務から、休みを利用して単車幹部での経営検討会をやろうと言われてきたのである。

それを、『ゴルフコンペがありますので』と平然と断られて、再度、吉田専務から
『ゴルフに参加しない若手でも』との連絡があって、私はゴルフを降りて、会議のほうに回ったのである。
この第1回の優勝者が田崎さんである。
14回続いてすべて優勝者が異なっている珍しいコンペである。
このカップ取りきり戦で優勝して、この貴重な純銀製のカップは今私の手元にある。『私の宝物』なのである。


企画室長のとき、これも吉田専務の指示で単車の長計を造った。
私や武本、森田君などで作ったのだが、その検討会の席上で、
堀川さんが『実は私の長計もあるのですが』とご自身が手書きで書かれた単車経営についての論文を出されて、びっくりした。
私たちの作ったのは、専務の意向も受けて長計だから、将来は大きく発展を夢見て書いていたのだが、堀川さんのは、独特の超コンサバテイブなものだった。
この二つの長計は今も私の手元にある。
少なくとも、堀川さんの書かれた長計は、残っているのはこれだけだろうと思う。


他にもいっぱい思い出がある。お陰さまで、単車は立派に育っています。
堀川さん、安らかにお眠りください。 合掌。
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ひめさゆりメール43号

2008-08-28 04:20:27 | みっきぃふるさとふれあい公園
先日、三木を訪問された三条の国定市長さんが『ひめさゆりメール43号のなかで、地域の広域連合について述べておられる。

三木に来られたときの、雑談でもこんな話は出たが、
JCで講演をされ、更に三条に帰られて、いろいろと発想を現実の施策に発展されているのだと思う。

新潟県のケンオードットコムというサイトが『よそ者力』と題して、その先見性を報じていたが、具体的な事柄を述べておられるのでその骨子をご紹介したい。


『 三条市長 國定勇人

 皆さんこんにちは、三条市長の國定勇人です。

 8月3日は、三条市にとってたいへん記念すべき日となりました。というのは、県央地域で初めて県立新潟県央工業高校が甲子園に出場し、第1回戦が行われた日だからです。
残念ながら結果は4対2で負けてしまいましたが、たくさんの感動や夢を私たちに与えてくださいました。

私は、甲子園が終わった後、その足で同じ兵庫県にある三木市を訪れました。

私は、初めて訪れましたが、新潟県の三条市と遠く離れた兵庫県三木市がどうしてこんなに似通っているのかと思えるほどでした。

私は、三木市の青年会議所に呼ばれて講演をしてまいりました。
講演やその後の意見交換などを通じて改めて感じたことは、地域連携が必要ということです。

三木と三条は金物を軸として共通項が非常に多いわけですが、同じようなまちに福井県の越前市があります。越前市は旧武生市と旧今立町が合併してできた新しい町ですが、旧武生市はナイフを中心とした金属加工産業が有名な町です。例えば三木と越前、そして三条が連携し、三条の鍛冶まつりを一つのターゲットとして、3市で何か共通のことに取り組んでいくということも大切だと思います。

先日、佐賀県武雄市の樋渡市長さんが来られましたが、ブランドの広域連携の考え
方については、全く同じようなことを言われました。単体で地域ブランドを構築することは大前提として必要ですが、さらに広めていくためには単体のPRだけではなく、ある程度構築されたブランドの横の連携による展開も必要ではないのかということが武雄の市長さんが力説されていたポイントの一つでした。

そういうことを考えると、例えば農業生産物をキーにして武雄のレモングラス、三
木のブドウ、そして三条の米で、例えば米粉を活用した洋菓子作りのようなものを、一つの企画商品として作り上げていくこともアイデアとしてあるのではないかと思っています。

このように、遠く離れた都市同士の連携軸が、これから先、PRの目玉の一つに
なっていくのではないかと考えています。
このように、一つひとつの実験的な積み重ねかもしれませんが、企画を積み上げて
いくことこそが三条市という名前を全国の多くの方々に知っていただく布石につな
がっていくのではないかと感じています。 』



世の中こんな地域連合が考えられる差別化の時代だと思う。
一つの市などという枠を超えての発想でないと、
独りでは生きてゆけない『少子高齢化』の時代である
武雄と三条と三木、更には大阪箕面など、どんどん繋がればいいと思っている。

ここで言われている『三条の鍛冶まつり』は9月28日である。
ひょっとしたら。1ヶ月以内に連携は実現するかも知れない。


『三条vs三木、三条snd三木?』でも言われているように、
昔のような地域が対立し競争する時代から、一歩踏み出すべきである。
そんな発想は、元からその地に住む地元の人からは生まれない。
よその土地から来た人の客観的な新鮮な発想として、『よそ者力』と呼んでいるのである。

私は大賛成である。今は三木の住人だが出身は明石だから『よそ者』かも知れない。

と、こんなことを書いていたら、夕方には宮城県と宮崎県が連携のニュースである。そんな時代になってきた。

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オリンピックは終わった

2008-08-27 04:16:03 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
17日間に亘ったオリンピックは無事終わった。

テロが心配されたりしたオリンピックだが、本当に『無事』という感じで、その幕を閉じた。
51ものメダルも取れたし、中国にとって見れば大成功である。

それにしても51もの金メダルとはびっくりした人が殆どだろう。
新聞をひっくり返して、どこでそんなにと調べてみたが、体操や卓球だけでなく、いろんな分野で金を取っている。
日本の9個に比べたら,夢見たいな数値である。
アメリカやロシアと言った体力的にも客観的に見て優れている国ではないのにと、
びっくりしてしまうのである。
国家体制の目標に沿って、小さい時から徹底的に訓練することによって生まれた、金メダルのような気もする。

日本は、正直、国民の誰もが期待したであろう女子マラソンと星野ジャパンが、その期待を完全に裏切った。
体調管理をその理由に、選手村に入らなかった、マラソンと野球の選手たちの体調が全然ダメだったのは、そんな環境よりは、気持ちの持ち方に『驕り』や『油断』があったのではないかと思う。


頑張ったと思われる競技もいっぱいあった。
個人の頑張りではなく、チーム競技でのメダルや健闘は、見る人にスポーツのよさ、感動を与えた。

ルールがちょっとと、思うところもあるが、女子ソフトボールの金は素晴らしい。
なでしこジャパンも、同じ4位だが、星野ジャパンの4位とは、全然違った『すがすがしさ』がある。
陸上の400メートルリレーも、感動的だった。

柔ちゃんが金を取れなかったのは残念だが、
今度のロンドンも頑張ると宣言、それも「さんまの番組」のなかですらっと言い切ったのは良かった。

各協会の用意する場での記者会見は、どうも日本的でもう一つである。
逆に柔らちゃんに、『なぜあんな席で』とか、協会にも言っていないのになどと、日本的な批判が出ないことを期待したい。

いろんなこともあったが、北京オリンピックは成功裏に終わったと言っていいだろう。
中国の体制は、好きになれないが、オリンピック成功おめでとう。
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伽耶院 万燈供養

2008-08-26 03:57:58 | みっきぃふるさとふれあい公園
『一番好きなお寺を』 と言われたら、躊躇なく『伽耶院』と答えるだろう。
その伽耶院で万燈供養があって、アメリカから夏休みで帰省している、娘一家を連れて行ってきた。


(この写真はローバーさんからお借りしました)

(この写真はブログdeみっきぃからお借りしました)

昨日ご紹介した 『ブログdeみっきぃ』にもこんな風に紹介されている。

伽耶院は春夏秋冬それぞれに美しい。
初夏の蛍、秋の紅葉、静かな境内はいつ行っても数人の参拝客しかいなくて、
その美しい景観を独り占めできるのがいい。
入山料は「境内の草10本を引いてください」などというのもいい。
秋の伽耶院をこんな風に書いている。紅葉の写真も美しい。



そんないつもの伽耶院と違って、駐車場もいっぱいの賑わいであった。
孫たちは灯火のろうそくに火を付けたり、献燈に絵や願いごとを書いたりして、
残り少ない日本の夏休みを存分に楽しんだようである。



願い事には『2016年のサッカーのオリンピック代表になりたい』と書き込んでいた。



昨日、『ブログdeみっきぃ』 のことに触れたが、
この『このまちに住みたい』も「みきの広報」としてトップレベルの水準にある。

さらっとご覧になっても、まねの出来ないセンスを感じられるだろう。



このブログを書いているローバーさんにお会いした。
さるとるさんのブログを見て、何年ぶりかで来られたとか。
娘家族を紹介したら、娘に過分のお褒めのお言葉を。
夜め、遠め、何とやらーーー。夜の灯火がそんな風に思わしたのだと思います。

そんなお返しで褒めているのでは、ありません。
是非、みなさんの目で本格的な万灯会の写真が載っている、『このまちに住みたい』をご覧ください。

三木には、いいところも、いいものも、いいブログもいっぱいです。
私も 「三木の宝」 にしたいと思っています。
コメント (2)
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みきの広報

2008-08-25 04:35:50 | みっきぃふるさとふれあい公園
三木に住んで35年ほどになる。
退職して、1日の殆どを三木で過ごすようになって、初めて三木に関心をもつようになった。

ブログなどはじめたことも、関連があるかも知れない。
このブログの中にも、『みっきぃふるさとふれあい公園』 というカテゴリーを設けて三木のことを発信している。
昨年の春ごろから、発信数ももう90を超えている。

結構、三木を気に入っている。
自分の住んでいる土地に愛情を持つことは悪いことではない。
最近は、ふるさとを離れて生活する人たちが増えて、自分の住む土地への愛着も少なくなったのではと思ったりしている。


ブログなどを見ても、客観的に見ると地元のことなどには殆ど関心がないようである。
そんな風に思ったりした。
一般的にはそんな傾向の中で、
今住んでいる三木に愛着を持ち、『みき』のことを中心に発信されている『みきの広報』のようなブログも多い。

私のBOOK MARKに入れさせて貰っているほかにも幾つかはある。
ただ、雄武市のようにその核になるようなものがないのが致命的だなと思っていた。
やはり『みき』の中心は行政である。
行政の情報発信がもう少し何とかならないものかと、正直思っていたのである。

『みっきぃふるさとふれあい公園』 というコンセプトも、昨年春、三木市長表彰を経て発表されたのだが、
その後の市としての取り組みがもう一つだったのである。


それが最近になって、少し様子が変わってきた。
『みっきいふるさとふれあい公園』のバナーも貼られたし、内容もよくなった。

そして、『ブログdeみっきぃ』という広報部門から発信されているブログが、熱っぽくなってきたのである。
コメントでさるとるさんが『いいですね』と褒めたので、
私は、ブログでフォローした。 本当によくなったと思ったのである。
それをR175さんも、フォローしてくれた。


(ブログdeみっきぃの写真の中からお借りしました)

写真も綺麗だし、文章もいい。
何よりも、熱っぽさが伝わってくるのがいい。
『みきの広報』の核として是非、頑張って欲しい。


もし、『みき』に少しでも関心がおありなら、
『ブログdeきっきぃ』をチェックして欲しいし、お気に入りに入れておいて欲しい
いい情報がいっぱい拾えるかも知れない。


こんな核が、確りしたらサテライトで頑張っている幾つかのブログも生きるのだと思う。
『みきの広報』 もいい方向に動き出したのかも知れない。
武雄に負けないように頑張りたい。
さるとる君は、『三都市物語』というカテゴリーを作って、三条市との繋がりを目論んでいる。


ただ単に「広く報じている」レベルから、お互いの関係を改善する、
それこそ 『Public Relations』という広報本来の活動を目指すべきだろう。
そういう、意味も含めて 『みきの広報』はいい方向に一歩を踏み出したと思っている。
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関西州

2008-08-24 04:30:07 | 大阪維新の会、橋下徹氏
道州制の議論は聞かれるが、そんなことが本当に現実になるのだろうか。
などと、のんびりと思っていたら、
大阪の橋下さんが府庁の移転問題との具体的な課題と絡ませて関西州の問題を取り上げたものだから俄然賑やかになってきた。

道州制で、関西州を調べてみたら、近畿2府4県ではなく、それに徳島も三重も福井も含まれているのである。

そんな広大な地域の中で、神戸や京都は反対しても大きな流れとしての州都は大阪だろうから、
今回のWTCビルが立地としてどうかと言うと、今の府庁に比べて非常にいい立地であると思う。


現地を視察した、橋下知事は 『大阪再生の光は見えた。もう決まり』と大乗り気のようである。
1.大阪府庁のWTC移転
2.伊丹空港問題
3.淀川左岸線延伸部の整備という3つの問題を絡ませたとか。

全体構想としては、賛成である。
こういう具体的な問題が出ることによって、道州制の議論も進展するだろう。

橋下さんが挙げた3つの課題のうち、1と3はいいと思う。
2の伊丹空港問題は、反対も多いのではないだろうか。

非常に難しい問題で、素人がわかる話ではないのだが、
それを承知で私見を言うなら、伊丹は残したほうがいいと思う。


今、問題となっている関西空港は、これは国際線が主体である。
ここの経営管理の問題はあくまでも国際対策として、世界を相手に考えるべきである。
現実に国内線の経営に掛かる比重が大きいのだとは思うが、これはあくまでも2次的対策であるはずだ。

これに対して、今の伊丹はあくまでも国内腺である。
国内の移動に関して、乗客が関空よりは伊丹を選ぶのはよく解る。
逆に言えば、それだけ立地がいいのである。
今仮に伊丹ー羽田で東京を往来している人たちが、伊丹をなくしたからといって関空にいくとはとても思えない。みんな新幹線に行ってしまうだろう。

別に、空港が3つは多いとも思えない。
ロス近郊の空港の数を見ても、そんなものである。
関西州が徳島や福井も地域構想に入っているのなら、余計に伊丹は必要だと思ってしまう。
関空はいかにも立地として遠すぎる。


それはそれとして、府庁の移転も大阪市との連携も是非進めて欲しい課題である。
何よりも、道州制というような大きな課題を思い出させてくれたし、マスコミにも今後 『関西州』 という言葉はたびたび登場するだろう。

日本の政治が面白くなりそうな課題であると思う。
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よそ者力

2008-08-23 04:25:52 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
『よそ者力』などという言葉は聞いたことがなかったが、こんな風に使われている。
『三木市との交流の発想に見る「よそ者力』』 と使われているのである。


三条市の国定市長が先日、三木市のJCの講演のために三木市を訪ねられた。
三木市も三条市も全国に知られた金物のまちである。
金物という産業を通じて競合関係にあるとも言えるのだが、
国定さんは、JCの講演の中でも、金物などを通じての両市の交流に触れられたようである。

そのニュースを受けて、kenoh.com(ケンオードットコム)の
ケンオードットコラムというブログ、
『三条市vs三木市、 三条市and三木市
』で、
今までの発想では競合関係はあっても、協調関係という発想はなかったのでは。

『いずれにしても、その三木市と交流しようとは、三条市民なら思いつかなかったではないだろうか。仮に思いついてもすぐに否定されそうな気がする。
そんななかで国定市長が三木市と交流を進めようとしているところがおもしろい。地元からは出てこない発想で、今後の進展を見守りたい。』と述べておられる。


正直な普通の発想だが、ちゃんと「ホンネで書かれているのが面白い」と思って、
私のブログで取り上げたのである
それを、また三条市長日記でフォローされたものだから、
その第2弾として、『三木市との交流に見る「よそ者力」』が発信されたのである。


『よそ者力』は三条の国定市長をさしての、面白い表現だが、
国定さんは、三条のご出身ではなくて、東京の方である。
総務省から三条へ出向されていた縁で、三条市長になられた「よそ者」なのである。

『よそ者の発想も』『よそ者力』も『新しい発想』といういい意味で使われている。
こんな風に言われている。非常に正直に素直に書かれているのが好感が持てる。


『想像だが、国定市長の胸のうちには、なんらかの三木市との交流、連携のイメージがあるのだろう。が、個人的には三条市と同じ金物の町くらいのイメージしかなく、具体的な交流のイメージをもてない。大半の市民も似たようなものだろう。
国定市長には、佐賀県武雄市との交流も念頭にあるようだが、まずは市民が互いの市の情報を共有することから始まることになるだろう。
以前から書いているが、内側からは決して出てこないであろう、こうした発想こそが、国定市長の面目躍如たるところ。プラスの意味で“よそ者力”を発揮してほしい。』

旧来の、地元の人たちの普通の発想では出てこない、と言う意味では、
『三木とて同じ環境である』


『よそ者力』と呼ばれた「こんな新しい発想」は、
国定さんが、三木に来られる前に、いろいろあった武雄市との関係、
遠く離れて、まだ面識もないのに頻繁に交わされる『ブログでの交流』など、
そんな新しい形での交流が、その前提になっているのだろう。
ある意味、ネット社会のもたらした、面白い関係なのである。

もし、ブログがなかったら、
RSSで『三条、三木』を調べても、ドットコラムが見つからなかったら、
少なくとも、ドットコラムさんの第2弾は出なかった。
『よそ者力』などという面白い言葉も、聞かれなかったであろう。
そんな、ふとしたご縁から生まれた新語『よそ者力』である。


ドットコラムさん、トラックバック有難うございました。
今後ともよろしく、お願いします。
昨日、こんなブログもアップしました。 期待しています。

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『ヤマ3シオ8セイコウカワ』

2008-08-22 04:24:52 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
『ヤマ3シオ8セイコウカワ』
1965年5月3日(日曜日)
鈴鹿の現地に行っていた川合寿一さんから届いた電報である。
山本3位、塩本8位に入った鈴鹿ジュニアロードレースの結果である。


山本隆君はカワサキが誇るモトクロスライダーである。
後半はMFJのトライアル委員長も長く勤めたので、オフロード専門と言ったほうがいいかも知れない。

彼のブログ『60おじさん』は放っておくと、一向に更新されないので、ヨコからハッパをかけているようなものだが、私のブックマークにも入れさせて貰ったし、
こうしてフォローしているのである。

中身は結構面白い。 是非ご一読を。

ここから先は、読んで頂いたものとして、当時色濃く関係したものとして、私なりの補足をしてみたい。


<1965年5月3日はあいにくの雨降りだった。>

雨が幸いしたと思っている。これはカワサキの鈴鹿初登場で、ロードマシンなど初めてであった。
路面がすべる雨ゆえに、モトクロスライダー山本のテクニックが生きたのだと思っている。
ずっとBSの滋野の後を『スリップストリーム』でつけていて最後の最後で交わして3位に入ったとか。
『スリップストリーム』このとき初めて聞いた言葉である。


<64年シーズンオフに、ブリジストンファクトリーに移籍の話が纏まり、仮契約まで漕ぎ着けていたのだが、ある人物の一声で元の鞘に納まってしまったのです。>

これは大事件でした。
それまでレース担当部門でしたが、私はレースには直接タッチしていなかったのだが、この件で引っ張り出されたのである。
ある人物とは、レース界の大物、兵庫メグロの西海さんと、既にそのころは世界のトップライダーであった神戸木の実の片山義美さんでした。
この事件が無かったら、ひょっとしたら私はレースの世界に首を突っ込まなかったかも知れない。
そういう意味では、山本は私とレースを結んでくれた仲人だと思っている。
仲人と言えば、私は山本隆君の仲人でもある。
そんなことで、最近でも無理なお願いも遠慮なくしているのである。


<そこで私は、自費で購入してでも参加しますと決意を表明しました所、当時係長辺りだった田崎さん(現、川重会長)が「山本君私に任せなさい」と言って新車の85-J1Tを調達してくれたのです。>

ここのくだりは、先日まで知りませんでした。
昨年、山本君とMFJのふれあいミーテングに行った帰りのクルマの中で初めて聞いたことである。
当時はまだ、会社はロードはダメと言うことになっていたので、こっそりと鈴鹿モトクロスに出場することにして出かけたのである。
マシンは田崎さんが都合してくれた。
山本だけでは頼りないと、ロードをやっていた北陸の塩本君と2人、2台のマシンを作った。
ずっと以前に 『カワサキが始めて鈴鹿を走った日』というブログをアップしているが、同じようなことを書いている。


<Kawasakiマシンが憧れのスズカロードレースに初参加で初入賞したので上に下えの大騒ぎになりました!>

『勝てば官軍』とはよく言ったものです。
モトクロスの青野ヶ原もそうでしたが、あれも会社の公式出場ではなく、有志のボランテイアによるものでした。
あれだけ文句を言っていた会社の幹部たちが、1位から6位まで独占の記念写真に納まっていました。
このときも、3位に入ったし、モトクロスと違ってトロフィーは大きいし、『ホンダ、ホンダ、カワサキ』の3位でしたから、ホントに大騒ぎになりました。

ロードも本格的にということになって、翌月鈴鹿の6H耐久に3台のマシンを正式に造ってエントリーすることになったのである。
このレースはアマチュア資格のもので、モトクロスのセニアたちが多数ロードのアマチュアの資格で出場したのだが、
山本は既に1ヶ月前のジュニアロードレースに出場していたので、参加資格が無かったのである。

このレースに歳森康師がペアライダーに選んだのが金谷秀夫である。
金谷の無契約でのカワサキの第1戦だった。

こんなことで、山本隆君は『カワサキのロードレースへの道を拓いた』と言えると思っている。



この話に、出てくる田崎さん、今は偉くなって川重会長である。
若いころの、田崎さんをブログに書いたら、ご本人からコメントが来た。
このときの、マシンの話である。

この話も『続 田崎雅元さんのこと』と題して彼がコメントに書いてくれたことの感想を綴っている。


みんな昔の仲間である。
みんな昔話の類です。 昔話もまた楽しいものです。


コメント (2)
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高槻市のこちら部長室

2008-08-21 04:52:43 | 樋渡啓祐さんのこと
昨日、exciteにこんなブログをアップした。
『求む!奇人、変人 発見!奇人変人』

武雄市長の樋渡さんの 『武雄市長物語』に対して
堂々と、『武雄市民物語』 なるブログが発信されている。
最近、三木の若手たちとも繋がって、覗いてみると結構面白いのである。


私が、樋渡さんに注目したのは平成15年の8月から平成17年の12月まで約2年数ヶ月に亘って、
62回発信された「高槻市市長公室長樋渡啓祐のこちら部長室」である。

第1回が 『全国一のホームページを目指して』 から始まっている。
堂々の宣言である。
そして高槻市はその努力の甲斐あって、3年目には目標どおり日本一の座を獲得している。

第62回の 『さよなら部長室』 まで、興味深い内容がいっぱいである。
樋渡さんの発想の原点みたいなのが、いっぱい見られて、
『樋渡啓祐氏の発想とそのスタンス』がよく解る。

もし、樋渡さんに、興味関心をお持ちの方には、是非ご一読をお勧めする。
62回それぞれに面白いが、
『求む!奇人、変人』 も印象的であった。


これは部内メールの紹介のようだが、中身は非常に格調高い示唆にとんだ内容である。
かいつまんでご紹介するが、全文通してのご一読をお勧めする。


(市長公室長・樋渡啓祐 第36回)
求む!奇人・変人

私もちょうど1年前、'新人'として市長公室に来たのですが、この1年間で感じたのは、ここの市役所には「奇人・変人」が少ない(埋もれている)ということです。

(とある共通点)
強い組織、元気のある組織というのは一体どういうのでしょうか。
とある「共通点」があります。

(奇人・変人)
それは、組織に必ず、「奇人・変人」が少なからず存在し、それが許容されていることです。「仕事で仕事をしているのか、遊び感覚で仕事をしている」のか。

(ローマでは)
翻って歴史に眼を転じれば、一千年の歴史を刻んだ「ローマ帝国」も、こういった奇人・変人の類、さらには優れた者であれば戦争の敗者、奴隷であっても身分の差を超えて盛んに登用したようです。

(高槻市役所では)
高槻市役所ではどうでしょうか。
潜在的な「奇人・変人」の人たちが「普通化・平均化」していないかということです。
管理職の方に申し上げたいのは、後進の「奇人・変人」を押さえつけないので、もっと伸ばしてほしいこということです。

(市役所の役割)
話は変わりますが、この10年で一番役割の変わった業界(業種)とは一体どこでしょうか。
私は、地方公共団体、取り分け、地方自治の最前線である市役所の役割が変わったと感じています。
自らが都市間競争の勝者、生き残りを目指さなければなりません。

(奇人・変人のススメ)
組織論からすれば、市民ニーズの一歩先の企画を生み出すにしても、今ある仕事に絶えず創意工夫を加えてより良きものにするためにも、知的好奇心いっぱいの奇人・変人がぜひとも必要です。
潜在的に埋もれている奇人・変人はたくさん?いるように思います。

(注)後ろ向きかつ単なる奇人・変人は困りものです。


樋渡さんの仰る 『奇人、変人』 はざっとこんな人たちを指している。
そんな感覚で 『奇人、変人の真打ち』 みたいな人が現れたと書いたら、ご本人からもコメントを頂いた。
これは私の心からの 『褒め言葉』 である。


世の中の慣行や旧い常識から飛び出して、こんな 『奇人、変人』 が集まって、
地域や行政の枠を超えて、『何か面白いことは出来ないものか』 と思っている。

今年になって、小さいことだがいくつか出来たので、
『もっと面白いことを』 と勝手に 『夢見て』 いるのである。
コメント (6)
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カルフォルニアのお父さんから

2008-08-20 04:24:51 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
娘と3人の孫たちが、アメリカの長い夏休みを利用して日本に遊びに帰ってくるのも、我が家では毎年の恒例行事になっている。

7月の10日にやってきてもう1ヶ月以上が過ぎた。8月末には帰るのでもう最終段階に入っている。

日本に帰っても、子供たちは結構忙しい。
2ヶ月ほどだが、三木市民にして貰って保険証ももらえるし、元の学校の授業にも出たし、サッカーの練習なども学校の運動部やクラブに入れて貰ったり、その試合を見に行ったり、あつかましく選手で出して貰ったりしている。

夜は近所にカブトムシを採りにいたりして今家にはいっぱいカブトムシがいる。
不思議なほど近くで、毎年採れる。
今年は、カバン屋さんを案内して一緒に行ったりしていた。
家にいるのもあと1週間帰る前には、みんな逃がしてやることにしている。


昨日は、朝魚釣りに社まで行った。
1時間ほどだったが、私も結構楽しかった。孫は初めての野池つりである。
鯉の子供もいっぱい連れて持ってかえって池に放した。来年までには3倍ぐらいになるはずである。


こんなブログを今朝発信したら、カルフォルニアで独り留守番のお父さんから、コメントが来たりしました。

今日はKMCにいて、既に日本に戻った、カワサキのトモダチのところにみんなで遊びに行っている。
アーヴァインには、カワサキのトモダチもいっぱいいて、先日は有馬にある川重の保養所泉郷荘に招待されたりしていた。
子供たちも夏休みだが、お母さんも実家に戻って、夏休みみたいなものである。
来週はお父さんが用事があって日本にやって来るとか。

今年の夏休みも、もう10日ほどだが、まだまだすることがいっぱいあるようだ。

まだ、川に行っていないという。
日帰り温泉ももう一度ぐらい予定している。
遊ぶことも興味があるが、食欲も旺盛である。
まだ、あそことあそことと、と勝手に食いに行く予定を立てている。

いると大変だが、帰ってしまうと寂しくなる。
今日1日居なくて静かだったが、もうそろそろ帰ってくる時間かも知れない。
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常葉菊川と星野ジャパン&なでしこジャパン

2008-08-19 10:13:36 | 発想$感想
夏の甲子園90回の記念大会は常葉菊川を17-0の大差で破って大阪桐蔭が優勝を飾った。

野球はやはりピッチャーである。
0点に押さえることは難しいが、それが出来たらほとんど勝つだろう。
優勝戦を完封したことは特筆に価する。
17点は大量得点だが、1回の4点で十分だったことになる。
大阪桐蔭の選手たちには、最高の夏であったことは、間違いない。

常葉菊川の選手たちはちょっと可哀そうだった。
優勝戦まで上り詰めたたことは、賞賛に値する、堂々と胸を張ればいいと周囲は言うだろう。
然しこの球児たちは、甲子園の印象をどう思って、今後過ごすのだろう。
特に、投手陣の人たちには、『苦々しい想い』が付いて回るのではないかと思ったりする。

周囲の人たちは直ぐ忘れても、当の本人たちには忘れられない、『思い出』となってしまうのではと心配するのである。



中京ー明石の25回戦の話は、もうあまり聞かれなくなった。
25回戦の先輩たちにいろいろ教えて貰ったし、明石はこの1戦のお陰で 『名門明石』 と言われたと言ってもいい。
先輩たちの話は、常に25回戦を戦ったことを『誇りにする』ものだった。

そんな25回を戦った選手たちも、みんな亡くなって、嘉藤栄吉さんお一人が残っていたのだが、
この7月にお亡くなりになった。

嘉藤さんが、生前よく
『私は25回戦の話は、嫌なんですよ。私のホームへの悪送球で、25回戦は終わってしまったのですから』 と言われていた。
25回戦の戦いは、素晴らしいものとして世に伝えられても、それを苦い思い出としてもち続ける人もいたのである。
嘉藤さんには、野球でもその後いろんなことで、お世話になった。
そのお人柄を育てたもののなかに『25回の悪送球への想い』があったような気もするのである。

常葉菊川の選手たち、とりわけ投手陣の人たちも、『苦い思い出』のほうが、人生の良薬になると思って、今後過ごして欲しいと思うのである。


そうは言っても、華々しい思い出のほうがいいに決まっている。
甲子園に出たことや、決勝戦まで残ったことが、大きな素晴らしい舞台に立てたことが余計に『苦々しさ』を大きくするのだろう。

そういう意味では、
星野ジャパンも、なでしこジャパンも、いま素晴らしい舞台の上にいる。
『苦々しさ』ではなくて、心から喜べる結果が出るように、頑張って欲しい。
コメント (2)
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