雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

ジェットスキー今昔

2012-05-03 06:10:54 | ジェットスキー&KAZE

★ KAZEのジェットスキー機関誌がおくられてきた。

商品を見ても、記事を読んでも、やはり今昔の感がある。

確かに商品もよくなったのだろうし、いろんな面で進んでいるのだと思うが、

当初あった商品のスポーツ性だとか、

一般の人たちの遊び道具という感じは、少なくなってしまったなと思ったりする。

 

一言で言えば『スマートに、専門的になり過ぎたかな』と思うのである。

 

 

★『ジェットスキー』というネーミングは、Kawasakiの商品名である。

元々アメリカ人のアイデア商品で、商品化したのは、単車事業部ではなくて、当時の発動機事業部だった。

私の同期の藤川さんなども関係していたようだが、そんなに詳しくは知らない。

当時の発動機事業部がエンジンを提供して、アメリカのリンカーン工場で生産し、アメリカのKMCだけで販売をしていたのである。

当時の明石の単車事業部は一切関係はなかったのである。

 

そんなことだったから、

日本市場にジェットスキーが入ってきたのは、カワサキは直接関係なくて、西武自動車がアメリカから輸入し、それをぼつぼつと売っていた。

カワサキは孫会社で当時の苧野さんや永田秀さんら(故人になってしまわれたが)が西武自動車との関係で、販売を手伝ったりしていたのである。

 

これをカワサキの正規の事業にしようと言いだしたのは、当時単車の企画課長であった故武本一郎さんである。私が企画部長だったのでその経緯は、よく承知している。

正規の事業にしてと言っても、当時の単車事業部には一人もジェットスキーの解る人はおらず、勿論組織などもない。

若し、やるとすれば『言いだしべえ』の企画がやらねばやる人も居らないのである。

そんな時オ―ストラリアの社長からたまたま戻ってきたのが鶴谷将俊君で、彼にジェットスキーを担当してもらうことになったのである。

誰かジェットスキーに乗れるやつはいないのか?と探して見つかったのが発動機にいた福井昇君で、彼はたまたま藤川さんの下にいたので、彼を貰い受けて形を整えて、さらに販売面では国内の販売会社にいた藤田孝明くんらとの混成チームでスタ―トしたのである。

福井昇君のJSプラザ明石が実質的にJS専門店第1号なのである。彼は今でもNPOの理事さんで手伝ってくれている。

彼らは『やる気満々』だった。

こんなメンバーがいなかったら、この事業は日本で育たなかったと思う。

 

故苧野豊明、永田秀さん。そのほか宇田川勇、永野くん、今もNPOで手伝ってくれている渡部タッチャンなどなど、創成期のJSに関係してくれた方々に感謝である。

今、八尾カワサキをやってる加藤さんも幡豆のマリ―ナ担当などしてくれていた。

こんなことを書くと、私もやってたと手を挙げる若手もいっぱいおられるだろうし、

NPO The  Good Times の関東総括のインターナショナルトレ―ディングムラシマの村島さんは元々JSからのお付き合いである。

 

全くの『新市場』を開拓しようという人たちは、みんなオモシロかったのである。

 

 

★全く何もない無地のところに絵を書き、販売網の構築など、

いままで西武のボート屋さんが片手間で売っていたものを、これはレースなどもある遊び道具だから、専門店でなければならない

と神戸に1店の専門店らしきものを無理やり造ってスタートし、同時にJJSBAのレース組織をアメリカのIJSBAと結びつけ、専門販社も立ちあげて何とか形だけを整えたのである。

当時のバブル景気も後押しして、順調に生育して、日本にジェットスキーが定着し、ヤマハさんなども参入して、PWSA(パーソナルウオ―タ―クラフト)という新しい名称も生まれたのである。

そして、ソウルオリンピックの開会式にオリンピック委員会からの正式招待を受けて、

アメリカ、オ―ストラリア、ヨーロッパ、日本のトップライダーたちが参加して、ハンガンでデモンストレーションをやれたのが最高の想い出である。

お世話になったかっての上司故苧野豊明さん(JJSBA初代会長)や鶴谷将俊、藤田孝明、福井昇君など当時の日本のこの業界のトップメンバーが参加して、私はその団長を仰せつかったのである。ソウルは私の小学校時代育った土地なので特別の思いもあったソウルオリンピックであった。

 

年間300台ぐらいの販売だったものが、8000台も売れて『無茶苦茶儲かった』時代も懐かしいし、

当時の立ち乗りのジェットスキ―が懐かしい。

いまは坐り乗りの小型ボートのようなものになって、『コケル』ということがない商品が主流のようである。

立派なショ―が行われるようにもなり、

JJSBAのレースは、北海道から沖縄まで全国で開催されている。

 

機関誌を眺めていても、間違いなく高性能マシンになって、

装備品もレース専用になってしまった。

『楽しい一般の人たちの遊び道具』からはちょっと離れてしまったところにある。

 

 

★たまたま、この連休三木で『ストライダー』の大会があった。

これもアメリカからやってきた商品であり、スポーツである。

これは、子どもののろものだから、

ずっと『楽しく且つ遊び心のある』一般大衆のスポーツとして広がることだろう。

そうあって欲しいと思っている。

 

三木をストライダーのメッカにしたい

そんな想いでこの大会を主宰したのは未だ39歳の川田さんである。

応援をしてあげたいと思っている。

 

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KAZE

2012-02-29 06:33:01 | ジェットスキー&KAZE

★ KAZEの機関誌が送られてきた。

二輪車の方がVOL .220   JET SKIは、VOL. 206 である。

 

カワサキの現役を離れて、もう10数年にもなるが、時代もどんどん変わって、当時にあったものもどんどんなくなってしまった。

今残っているものは、と言えば何があるのだろう?

SPA直入 と 岡山のショールーム、 玉津の部品庫、ぐらいなのかも知れない。

仙台や大阪などの営業所なども、残ってはいるのだろうが建物は新しいものに変わっている。

 

そんな中で、殆ど昔のままの形で残っているのが、KAZEの機関誌だと言ってもいい。

VOL.200 をいずれも越えたということは、もう20年以上も経ったのだろう。

 二輪車の方は未だに現役のKAZE会員で、ちゃんと年会費を払っている。

ジェットスキーの方は、KMJのご好意に甘えて贈って貰っている。

 

★Kawasaki Amusing Zone for Everybody の頭文字を取って『KAZE』なのだが、

誰が名付けたのか、よく覚えてはいない。

年会費3000円を頂く、会員カードは、JCBカードとの提携にしよう というのは私自身の発案だからよく覚えている。

なぜ、そんなことを考えたのか?

 

当時、ホンダさんのHARTは、公称10万人の会員と言われていたのだが、『そんなにいるはずはない』と私は思っていた。

年会費を取る限り、1年後には必ず期限が来る。10万人も会員がいたら1ヶ月に1万人近い会員の期限が来るのだから、その月に1万人を集めない限り10万人は維持できないはずである。そんなことは、如何にホンダさんと言えども、無理だと思ったのである。

JCBカードにしたら、『止め難いはずだ』という仮説でJCBと提携をしたので、カッコよさもあったが、実質的な会員確保対策だったのである。

その後の実績は、期限が来ても止める人は10%で、90%は自動更新だったから、実質的に最高55000人まで増え続けたのである。それ以上は行かなかったのは、月500人を集めるのが精いっぱいだったのである。

当時の4メーカーでKAZEの会員数はダントツのトップで、どんなイベントをしても圧倒的にカワサキだったのである。

 

★この会員数確保のノウハウは、年会費を徴集する限り、会員数の確保には限度があることが解っているので、

現在関係しているNPO The Good Times の会員さんは、入会金だけで年会費は頂いていない。

会員数は増える一方で、終身会員だから減ることはないのである。

今、7000人ぐらいだが、今年中には万になり、いつかKAZE会員よりは多くなるのだろうと思っている。

年会費を頂かなくてもやっていけるのは、NPO法人であるということと、徹底的なネット利用だから『経費が発生しない仕組み』だからである。

 

こちらが二輪車で、W800が表紙を飾っている。

 

そして、こちらがジェットスキーの機関誌の中身である。

 

★なぜ突然、KAZEなのか?

実は、さるとるさんが、突然『みき』はライムグリーンが似合うまち などと言いだしたのである。

そしてどこで見たのか、『KAZEの機関誌がどうの、こうの』などと言うものだから、ちょっと思いだしたのである。

 

さるとるさんは、今回5月20日にある

BERT主催の『笑って遊ぼうミキランド』の実行委員長など引き受けて、今そのバトンリレーなど手伝っているので、

ひょっとしたらバイクにかぶれたのかも?

何でも繋いで考える人だから『風車で発電できましたよね?』などと電話をかけてきた。

その風と KAZEをどうやら連想しているようである。

そして潮流発電などと言いだした。

確かにノヴァエネルギーの鈴木清美さんは、風車の発電も手掛けておられるのである。

 

何はともあれ、『笑って遊ぼうミキランド』なのである。

結構、いいメンバーが集まっている、

 

 

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KAZE 機関誌 と Kawasaki ニューモデル情報

2010-06-30 05:13:48 | ジェットスキー&KAZE
★KAZEの機関誌が送られてきた。
最近は二輪車やジェットスキーのこともとかく疎くなってしまうのも仕方がないのだが、何とか情報を繋いでくれているのが、KAZEの機関誌や二輪車新聞である。

ただ、最近は、これに加えて『ツイッター情報』が、タイムリーである。
この機関誌が、近く送られてくることも、
ニューモデルの情報も、みんなツイッターでは、先に流されている。

★一番先に、ニューモデルのことに気付いたのは、
まっしまさんが出している、『モトビークルのこんなブログ』である。

Ninja400のニューモデルが出るんだ。
このブログはアップされると、こんなサイトのトップに現れるのである


調べて見たら、カワサキの公式ツイッターでも当然ながら、先に情報発信されていた。
まっしまさんの情報源も、多分このツイッターなのだろう。

ちょっと遅れて、KAZE機関誌である。
『果たして、この情報が載っているのかどうか?』
非常に関心興味があって、開いてみたら、
                   
 見開きのページで、掲載されていた。 『流石だな』と思った。
こちらの写真クリックすると、読めます

    


ツイッター検索で『Ninja400R』を引くと既に500件以上がつぶやかれている。
toraichiさんという方が
『カワサキのKAZEが届いた。Ninja 400R結構カッコイイ。400ccがんばれ!っていう感じ。』 とつぶやいたりされている。

最近の情報は、複合発信である。
それらの相関関係をちゃんと把握していないと、テレコテレコになってしまう。
特にカワサキとは直接関係ない『まっしま』さんのモトビークルに載って、KAZEの機関誌に載っていないでは、格好つかないのである。

メインの記事の位置づけで掲載されていて、良かったと思う。
このごろの、情報は本当に早く流れる。
まだ、この情報を流している販売店のホームページはないだろうと思っていたら、

もう、ホームページのメインに扱って載せている店があった

モトボックスセキさん、ツイッターもおやりだから、ツイッターでもつぶやけばいいのにと思ったりする。
それにしても、早くちゃんと対応できるようになっているものだと思う。

★Ninja250は、ヒット商品だった。
Ninja400R も是非、ヒットして欲しいと思っている。

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s850m さんと高岡鉄道とーー

2009-03-24 04:58:49 | ジェットスキー&KAZE
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『s850m さんと高岡鉄道』
ホンダが最初に出したスポーツカーはs600だった。
後s800になったが、更にそれを850ccにボアアップして、自分のハンドルネームとして使っている。



自分の店にこんな特別の車庫を作って、s850mは収まっている。
エンジンルームは新車よりも綺麗に整備されている。
四輪だけではない。ホンダの二輪CB250もなかなかのものである。

自宅の裏庭に、というがわざわざ土地を購入して『高岡鉄道』なるミニSLが走れる鉄道が作られている。
これも趣味の範疇である。



s850m さん、福井昇君、結構な身分であると思う。

元川重の従業員だった、ご縁があってアメリカ以外の国内やヨーロッパの市場開拓をやろうとした時に、発動機から単車へ強引に引っこ抜いたのである。
彼は当時、西武自動車が逆輸入していたジェットスキーのレースをやっていた。

ジェットスキーの新事業展開にどうしても『乗れる人』が欲しかったのである。
当時、単車事業部にはジェットスキーに乗れる人は1人もいなかったのである。

当時のジェットスキーは、発動機事業部でエンジンが作られ、リンカーン工場で製品になってアメリカのKMCだけで売られていた。
これをちゃんとした事業にすべきだと主張したのは故武本一郎君である。
そしてオーストラリアから戻ってきた鶴谷君と福井君やカワ販の藤田君ら数人で新事業として企画室担当でスタートしたのである。

単車のテストライダーからジェットスキーに転じて、世界チャンピオンにもなった金森君は彼の教え子でもある。
ちなみに、金森君は大阪の月木レーシングにいた。それを川崎につれてきたのは平井稔男さんである
ほんとに人の人生も、会社の事業なども、ひょんなことで変わるものである。


先日、zosanとカバン屋さんと一緒にs850mさんを訪ねた。
zosanが鉄道に興味があって高岡鉄道が見たかったのである。
お陰で、私も始めて噂の高岡鉄道を見せて貰った。
裏庭ではなくて、そのためにわざわざ造られたスペースである。

立派な格納庫ならぬ建て屋もあって、何台ものミニSLが置いてあったが、
私はこれに目が行った。



このKAZEのトレーラー、福井君が現役時代の私にプレゼントしてくれて、私の部屋に飾られていたものである。
なぜか今里帰りしてこんなところに飾られている。
KAZEに一生懸命だった時代の思い出である。

彼もいい時代に生きたと思う。
カワサキのジェットスキー一時無茶苦茶に会社も店も儲かった時代があった。
金くらいは儲かることもあるだろうが、このような趣味の世界はその人だけの宝物である。
誰でも出来ることではない。


福井昇君をジェットスキーの事業に引きずりこんだのは私だが、
昨年1月、福井君に鉄道の世界に引き込まれた。
いろいろあって、今NPO を立ち上げるようなことになっているが、そんなきっかけを与えてくれたような気がする。

私の変わった人脈の中でも特に変わった面白い男、s850mさんである。


当日訪ねたところの写真です。

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KAZE VOL194号

2008-08-08 09:13:10 | ジェットスキー&KAZE
KAZEの機関紙194号が送られてきた。

今回のツーリング記事は『裏磐梯を抜けて喜多方へ』である。
いろんないいツーリングコースが日本にはいっぱいある。

その中でも東北北海道は、夏走るにはその気候の快適さもあって他の追随を許さないと思う。
バイクではないが、走るのは好きでいろんな道をいっぱい走っている。
特に東北には4年、北海道に2年いたので大げさに言えばほとんどの道は知っている。

眺望は高いところからに限る。
高いところからの広い眺めはめっぽう好きなので、飛行機に乗っても断然窓側の席がいい。
そういう意味では道からの眺めは峠道である。

今回紹介されている裏磐梯から喜多方の道も通ったことはあるが、40年も前の話だったので絶景ではあったが舗装ではない砂利道であった。
5月の連休にはまだ雪があって通れなかった道である。
今写真を見ると綺麗に舗装されていて素晴らしい。

今と違って昔はオートバイ屋=自転車屋さんだったから、販売店周りは地方周りだったのである。
そんなことで、特に東北はほとんどの道を知っているとも言えるのである。

今の時期、こんな素晴らしい眺めを、舗装された快適な道で楽しめたら暑さも忘れてしまうことだろう。




『KAZEメンバーとカワサキを繋ぐ店』というシリーズが始まった。
今回がシリーズ第1回である。

仙台の服部カワサキのセールスマネージャ武田君が登場している。
昨年服部カワサキの30周年の記念パーテイでお会いしたし、その後もひょこむのメンバーとしてお付き合いもある。
ホームページには、私のブログもリンクしてくれていて、毎日どなたかがアクセスしてくれる。

服部カワサキは昔々、まだ宮城カワサキ販売という代理店があった頃、そのサービス工場長をしていた服部謙治君がその後独立開業したお店である。
昨年引退して今は会長さんだが、まだ新婚早々の頃からのお付き合いである。
メグロの白バイを扱っていたから、当時4サイクルの大型を扱える技術者が数ない中でその技術は際立っていた。
当時ヤマハ、スズキには4サイクル車はなかったのである。

それにモトクロスが好きだったし早かった。
そんなことで、当時のカワサキファクトリーの山本隆や星野一義のライダーたちやメカニックの松尾勇さんらとも親交があったのである。
そんな特別の関係で、今でも律儀に宮城のお米や、山形のさくらんぼを送ってくれる。

仙台では勿論、東北NO1のカワサキ親派である。
トップバッターとして登場、おめでとうございました。
このシリーズにどれくらい知っているお店が登場するだろうか。
楽しみである。

記事の中に『今の2代目は旧い車に強いこともあって』とさらっと武田さんは言っているが、旧い車『Z』などのマニアであるようだ。
その旧い車は、三木の、私の家の直ぐ近くの『カバン屋さん』から何百万円かで購入されたのではないかと思っている。
昨年、久しぶりにお会いした服部君の奥さんに聞いた話である。

そのカバン屋さんには、明日J'-LIMEのメンバーの緑亀349さんが、わざわざ四国から訪ねてくる。
みんな、今『ひょこむ』で繋がっている。

そんなことで、現役は離れたが意外に情報は新しいものがいっぱい入ってくる。
ブログやSNSのお陰である。

記事中に、『イベントの話』が出てくるが、
8月10日は『道の日』である。
三木市役所の『さるとる』さんに『オートバイでツーリングする人たちは、日ごろ道にお世話になっているのだから、道の日の道路清掃に参加しませんか?』と誘われて、
マイスター同好会の人たちが、三木の緑が丘に来てくれることになっている。


こんな小さなイベントも、ちょっと社会性があっていいと思います。
KAZE194号からいろんなことを思いました。
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私もよく知らない、ジェットスキー創生期の話

2008-05-27 04:15:46 | ジェットスキー&KAZE
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昨日だったか、7万台の挑戦の中でジェットスキーのことにもちょっと触れた。

その中で書こうかと思いながら書かなかったことがある。
89年にジェットスキーのデーラーミーテングをアメリカのオマハで開催している。

ジェットスキーを生産しているリンカーン工場と秋に『レークハバス』で行なわれるIJSBAのレース見学を兼ねてのアメリカツアーのことである。
私は、幕張のモータショーとの日程の関係で、デーラーミーテングだけでレークハバスには行けなかった。

その『レークハバス』と言う名前が思い出せなくて、
『ジェットスキー、レース、アメリカ』 で検索して探していたら、こんなサイトに出くわしたのである。


福井昇君のこんなコラムである。

こんなコラムを出しているのも知らなかったし、中味の話もよく知らない。

このブログにアップすることも彼には言っていないが、ジェットスキー創生期の貴重な面白い話なので、
昔の思い出話として是非残しておきたいと思ったのである。

興味のある方は是非ご一読下さい。



当時、85年ごろカワサキの明石の単車部門ではジェットスキーを担当する部門はなかったのである。

開発は発動機事業部。
エンジン生産も発動機事業部。
エンジンを送って生産はリンカーン工場で行なっていた。
販売はKMCでアメリカ市場が殆どであった。ヨーロッパや日本にもどこからかの輸入で少しは入っていた。
そんなことで明石の単車部門は全然関係なかったのである。

そんな時代であった。福井君は発動機事業部所属でどこにいたのか知らなかったがプライベートでジェットスキーのレースに出場していた。


私は単車の企画室にいた。
日本では西武自動車が輸入しカワサキの孫会社で細々と扱っていた。
その孫会社の社長さんが苧野豊秋さんで私や田崎さんの元上司であった。


ジェットスキー事業のアメリカ以外での展開案を企画するのは仕事の範疇であった。
故武本一郎君が企画にいて、JS400,500のエンジンを450,550ccにするための開発費の捻出や、アメリカ市場以外での販売を画策していたのである。

丁度、鶴谷君(気安く呼んでいるが今彼は川重商事の社長である)がオーストラリアから帰任した時で、企画にそのまま籍を置いて『ジェットスキー担当』としたのである。

単車にはジェットスキーに『乗れるヤツもいない』と福井君を強引に発動機から単車企画に引っ張ってきて鶴谷君の下につけた。
福井君の上司はたまたま私と同期の藤川さんだったので、頼み込んだのである。

国内はもとより欧州でのジェットスキー事業案を
企画室が計画し、市場調査も担当部門がなかったのでその販売までも全て実行もしたのである。


このコラムの話は、そのころのことである。
鶴谷、福井君のコンビは一生懸命であったし、国内の苧野、藤田、宇田川さんたち当時の開拓者の努力で今日があるのである。
国内のJJSBAを正規に立ち上げるべくアメリカのKMCに苧野さんとご一緒したりした、その当時のKMCの社長は田崎さんであった。

私はそんなお手伝いはしたのだが、
福井君が書いているこんなコラムの内容はよく知らない。それにしてもよくあちこちと行ったものである。

中味はよく知らないが、出張申請や出金伝票の決済は間違いなく私がしたのだと思う。世に言う『めくら印』である。

懐かしいいい時代であった。
遊んでいるようだがみんな一生懸命仕事をした。

こんな活動の成果でヨーロッパにジェットスキーの独立会社を後立ち上げるのだが、今のヨーロッパカワサキの前身である。



福井昇君はその後独立して国内ジェットスキー専門店の1号店を開店するのだが、今でもお付き合いがあって、来週はミニSLフェアで神戸フルーツフラワーでお会いする。

彼の想いは『神戸のハーバーランド』や『メリケン波止場』に常設のレールを敷いて蒸気機関車を走らせることである。

何時までも夢があっていい。そんな夢を少し手伝っている。
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ひょこむとULTRA250X

2007-12-17 04:53:27 | ジェットスキー&KAZE
ひょコムの中に「カワサキワールド」というコミユニテイを立ち上げた。
12月10日のことだから丁度1週間前のことである。

どうなることかと、びくびくものだったが参加人数も20人近くになって、500以上もある「ひょこむ」のコミユニテイの中で「参加人数増加ランキング」で堂々1位を獲得した。

現役時代お世話になった方や、共通の思い出のある懐かしい昔の仲間たちが多いのは今のところ当然であるが、
非常に嬉しかったのは、この1年間このブログで繋がった方が何人も居られることである。
お礼を兼ねて、ご紹介をすると

J’s-lime からTAKさんと緑亀349さん

二輪の底辺のレースやイベントに熱心な亀田万作さん

故岩崎茂樹君のことを書いたブログで繋がった
seaz companyのカバン屋さんと
カワサキのレースに熱心なはらださん

そして、この1年三木での仲間として繋がったさるとるさんなど



「カワサキワールド」は熱烈なカワサキファンも勿論ですが、「少しでもカワサキに関心がある方」大歓迎です。
mixiなどと同じく、入会には紹介が必要ですが、このブログを読まれて、若しジョインしてみたいと思われる方は、「rfuruya@nifty.com」にお気軽にメール下さい。直ぐご招待します。

カワサキの真打と自認する方がいっぱいいますので、面白い話が聞けたり、お役に立てると思っています。

カワサキワールドは今、こんな状況です。覗いて見て下さい。


そんなひょこむのブログに、今年大ヒットのジェットスキーURUTRA250Xのことを書いたら、s850mというハンドルネームでジョインしてくれている福井昇君から、こんなコメントを頂いた。
乗った人でないと解らぬ感触の世界だと思うので、ご紹介する。


「こんばんは
本業ですので参加をさせて頂きます。
凄いの一言で、それ以外のコメントは出来ません!
250馬力:重量は満タンで500KGです。
ブレーキ無しなので、感覚的にはアイドリングか
全開のどちらかしかない感じです。

水上を時速 0Km→108Km(実測値)まで
一気に5秒位で滑走いたします。
水面を時速 108Km/h だと、仮にスーパーバイクだと200Km/h位の感覚では無いでしょうか。

正直水上と言えど全開は恐怖です。
波があればなおさらになります。
バイクと違いフルフェイスのヘルメットは被りません。ゴーグルも有りません。
海水パンツ一丁とライフジャケット、後は根性が大部分を占めます。

涙は出ます!鼻汁も出ます!
口を開ければ、開いたままになるのです。
そんな感じです、ノーヘルのオーバー100Kmは。

本当に良い商品が出てきたものです。
カワサキに足を向けて眠れません。」


バイクもジェットスキーもやはり商品が第一です。
二輪の世界でもULUTRA250Xのような凄い商品が出ないものかと思っています。

こんな話、お聞きになりたい方、是非ジョインしてください。
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月木レーシングと平井さんそして村島さん

2007-12-12 05:12:17 | ジェットスキー&KAZE
ひょこむというSNSに「カワサキワールド」というコミユニテイを新しく立ち上げた。

ネットの世界は、想像以上の力がある。
そんなに、大それたことは思ってもいないのだが、
長くお世話に人たちに、幾らかでもご恩返しが出来ないかと「カワサキワールド」を立ち上げたのである。
そのきっかけは昨日ご紹介をした福井昇君である。


さらに昨夜、「カワサキの真打」と自ら言って憚らないカワサキの名物男、平井さんがジョインしてくれた
そして、今朝、あの月木レーシングの月木さんが、そして東京の村島さんが続いてジョインしてくれた。



そして、夕方月木さんから、こんなメールが届いた

「さて、余談ですが、金森は今月は来日しないようですよ?
弊社の、アメリカオフィスに別件で聞いた所、そのような返事でした。
正確には解りませんが・・・・余談です・・・・・・
                   つきぎ  より」


前置きを話さぬとお解かりにならぬと思うが、
実は、JJSBAのジェットスキーレースで、永年女王の座を独占した松口久美子さんにも今、声を掛けている。
彼女からのメールに年末のパーテイに金森君も帰ってきて出席するかも知れないとあったのである。

金森君は、ジェットスキーのレースの世界では日本を代表する世界的ライダーである。今はアメリカで仕事をしている。

彼は若い頃、月木にいて2輪のレースをしていた。
それを川重のテストライダーに推薦して面倒を見たのは、平井さんである。

そんなことで、月木さんは松口さんは知らないが、金森君はよく知っているので、上のようなメールになっているのである。

ついでに言えば、世界的ライダーの金森君もJJSBAのレースに参戦しだしたのは、昨日ご紹介した福井昇君が発動機から単車企画に異動した85年頃よりはずっと後の話で、85年頃単車事業部で一番上手くジェットスキーに乗れたのは福井君だったのである。
私が金森君にジェットスキーで始めて出会ったのは89年4月の彦根であったJJSBAの大会である。まだその頃は川重の籍であった。



今は2輪の部品ではまさにプロフェッショナルな活動をしている村島さんは、ジェットスキーからカワサキと出会っている。福井君や松口さんとは旧知の仲である。そして、後ご縁があって単車の世界に入ってきたのである。

その時、村島さんを紹介してきたのは、なぜか本社の総務であった。
今まで「何故総務が」とずっと思っていた。
今日ひょこむのハンドルネームが「大和屋嘉平」とあったので、これも何故と思っていた。


夕方のの村島さんのメールで二つの謎が解けた。

こんなメールである。中味は殆ど省略して示すがーー。

「大和屋 嘉平」とはーーーーーー。
村島家は私の3代前迄今の新神戸から生田側沿いの三宮の駅前までが村島家の土
地を所有しておりまして、ーーーーーーーー、船具屋・旅館・賃貸業80件所有していたと父親から話を聞きました。ーーーーーーーーーーーー
「大和屋 嘉平」はそのときの屋号でございます。      村島 」



人は、いろんな形で繋がっているものである。
今の時代は、「ひょこむ」などという全く新しいシステムが、さらに新しい人の輪を創ってくれそうである。

そんな仕組みを、上手く使うのは人間の知恵だと思う。
私は、その呼び掛けをしているだけで、そこに参加する人たちが、いい知恵を出し合って上手く使って欲しいと思っている。

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s850mさんと カワサキワールド

2007-12-11 04:51:38 | ジェットスキー&KAZE
s850mさんとカワサキワールド。
こんなブログを「ひょこむ」に書いた。


つい先日、s850m君(ジェットスキーの福井昇君)が「ひょこむ」にジョインしてくれた。
以前から、できればと思っていたが、彼がジョインしてくれたので、思い切って

「カワサキワールド」というコミユニテイをひょこむの中に立ち上げた。

今日は「ひょこむ」のブログをどうぞ、お読み下さい。
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KAZEjet ski Vol.171

2007-09-04 05:44:00 | ジェットスキー&KAZE
数あるマリンスポーツの中でもジェットスキーのレースはかっこいい。

自分で乗れれば最高であろうが、見ていても結構面白い。

いろんなよさがあるが、
競争だから1番2番を争うだけに、見ていてよく解る。
走る姿がいい上に、波しぶきが綺麗で迫力をさらに増す。

カーブを曲がるスタイルもかっこいいし、直線の伸びも水の上かと思うほど速い。

二輪のレース担当もしていたので、二輪のレースのよさもよく知っているが、
いつもジェットスキーはここがいいと思っていたのは、レースコースが見渡せてレースの全てが見えることである。

最近は映像設備が発達して、二輪レースも鈴鹿などではトップグループの走りなどは映像を通じて解るようにはなっているが、
やはり肉眼で全てが見える迫力には到底敵わない。


今月号はそんなJJSBAのレース特集のような内容であった。
千里浜大会の様子が載っている。
千里浜に1000台以上のエントリーの最盛期は壮観であったが、写真で見ると今年の大会も盛大である。

あの,その名の通りの千里浜の白い砂浜も懐かしいが、
夏がきを沢山、ご馳走になったのを思い出す。夏に「かき」を食ったのはあの時だけである。


今月号はJJSBAの機関紙のような扱いでレースのニュース満載である。

いつだったか、ソウルオリンピックでのジェットスキーデモンストレーションの想い出を書いたとき
chibiなる方から直接コメントを頂きコメントを交換しあっている。
永らく離れていたのでどなたかと調べていたら、今をときめくプロライダーの倉橋優樹選手だった。

お父さん云々のコメントがあって、「倉橋、倉橋ーー」と名前はすぐ解ったが、お顔をどうしても思い出すことが出来なかった。

今月号のトップチーム紹介の中に、
「Team KAZE HOTLIP'S with ファンメイク」
「国内屈指の姉弟トップライダーを抱え、家族全員で世界を目指す!」

と倉橋優樹、秀幸選手と共にお父さんの倉橋正人さんの写真もあった。

昔のままである。はっきりと思い出した。
「倉橋さん、心臓悪いんですか、でもお元気そうで何よりです。一家ですごいですね。頑張って下さい。
chibiさんにもよろしくお伝え下さい。」


記事には「久しぶりの登場です。ジェットスキーを愛し続けてはや28年ーーー」と続いていた。


もうそんなになるのだ。
日本に新しいマリンスポーツ文化の定着を図ろうと、当時カワサキの苧野さんや鶴谷、藤田、宇田川、福井君らとJJSBAの組織の確立を夢見て走り回った日々が懐かしい。

そんな時代を、思い出させてくれた、「KAZE jet ski Vol.171号」であった。


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カワサキ単車の昔話-70

2007-08-09 05:47:56 | ジェットスキー&KAZE
KAZEとショールーム-1

単車昔話も70回になった。
昔話もいろいろあるが、ケイスポーツシステムのメンバーたちと展開したユーザーサービスの事業化は、いろいろあって想い出も多い。

レースなどの動きのあるイベントにも力を入れたが、全国に展開したショールーム政策は、その後の業界の流れを造ったと自負している。

ずっとずっと昔、75年ごろ特約店政策を展開した頃から、
モーターサイクルは世界一の商品なのに、それを売っている販売店の店舗は所謂自転車屋さんの延長でお世辞にも綺麗とは言えない。

いつの日か世界一の商品に見合う店舗での販売をと夢見ていた。


販売店に頼っても費用の掛かることだし無理強いも出来ないので、ショールームとして自分たちでやってみるかとスタートしたのである。

金も掛かるし一挙には無理だったので、順次展開することにして、地方ではあったが当時考え方では一番進んでいた西日本地区からスタートした。



当時の西日本は山辺さんや谷沢君が中心に、
90年から新しくスタートさせた販売政策でも 「仕切り制度の導入」 などカワサキでは勿論、業界でもトップを走っていた。

新しいことは、リスクも大きいのでどちらかと言うと、小さい市場のほうがやり易いところはある。
そういう意味では、ホンダよりカワサキのほうがやり易いのである。
そんなことで、業界の目指す方向を先頭を切って走り続けた積りであった。

特約店制の実施のとき、部品の物流政策のときもそうだったが、全国一斉の導入は避けた。
出来るところからの順次展開は、 「弱者の戦略、カワサキのお家芸」 と思っていた。
ただ、その差別化のレベルは 「他の追随を許さない圧倒的なレベル」 での展開を目指したのである。

どんな政策でも、一斉にやろうとするとどうしても思い切った差別化にはなり難い。
どちらかと言うと、一番だめなレベルか、頑張っても平均のレベルに合わせることになってしまうのである。


ショールームも、最高のレベルのものを基本コンセプト通りに、業界の話題に上がるようなものを狙ってスタートした。
KSSの森君が担当して、西日本の連中と協力して岡山に第1号ショールームを開設したのである。

立地、広さ、店舗装飾などどれをとっても、当時の業界水準のはるかに上を行くレベルでの展開だった。
1990年4月17日にオープンしているが、身内の高橋鉄郎さんも見てビックリの立派なものだった。


ZEPHYRの「西からの風」と同じく、
新しい販売政策は「西からの風」となって先頭を走ると、当時の西日本の人たちは大いに張り切っていたのである。

もう昔の話だが、15年以上経った今も、岡山ショールームは十分に機能しているのではなかろうか。
現在は、二輪業界の大型店舗は本当に立派になった。

ファッション業界でも、いいものはいい店舗で売られている。
モータサイクルもある意味ファッションである。

世界一の商品に見合う店舗でと思い続けた夢は、いまは現実のものになっている。


そんなカワサキのショールーム1号店は岡山だった。

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カワサキ単車の昔話-69

2007-08-01 06:07:03 | ジェットスキー&KAZE
KAZEとKSS

メーカーは技術力を駆使して作り上げたモノを売ることを本業にしている。
モーターサイクルもジェットスキーもそのようにして造り挙げられた商品である。

ただ、テレビや冷蔵庫などとは違って、
その商品を使ってどのように楽しむのか、物を売って後の 「遊びの世界が幾通りもある」 面白い商品なのである。

同じ自動車工業会に属する移動手段が機能の殆どである四輪車と比べても、
遊びの比重は二輪のほうが格段上のレベルにある。

そんな遊びの世界を本業として専門に開発して、
「ユーザーと一緒に遊ぼう」 というコンセプトで、
ソフト会社(株)ケイスポーツシステム(KSS)は89年4月1日に設立された。


ベースはバイクやジェットスキーのユーザーたちで、
88年末に、それまでもあったユーザー組織KAZEを発展的に解消して、新らしい組織造りに取り組んだ。

当時はHARTやYESSなど他社のユーザー組織も活発に活動をしていたが、
カワサキはソフト会社が専業でソフトを売ろうとするがゆえに、
他社にない新しいことを次々に継続して生み出すことを義務付けられたみたいなものだった。

まず、KAZEの会員証は業界ではじめてのJCBとの提携カードとし、会員には幾つもの恩典をつけた。

JCBのほうも若いユーザーがカードを作る場合、最初ののカードとなるケースが多くまたその上にバイクやジェットスキーのユーザーに絞られていることは、これはカード会社にとって非常に価値あることであったようである。
マーケッテング上で言えば、当初からユーザーのセグメンテーションが出来ているのである。
そんなことで当初から積極的に協力、優遇して頂いた。

当初2000人ほどでスタートしたKAZE会員は末端の販売店や担当営業の努力もあって最盛期5万人に達したのである。
5万人と一口に言うが甲子園を満員にする大きな数である。
ソフト会社としては大きな資産であったし、ハードの販売上でも大きな力となった。


その間、チームグリーンを中心にしたサテライトチームを含めたレース活動、一般のライダーたちが気楽に走れるSPA直入の開設。KAZE機関紙の発行、ショールームの開設、ユーザーツーリングへの支援、上手にバイクを運転できる安全運転活動、
各種イベントの実施などを矢継ぎ早に計画実施した。

ジェットスキー関係はJJSBAの組織の充実をベースに各地でのレースを開催、これも最盛期には年間1万台近い販売実績を挙げたりした。

今も業界でKAZEだけが残っているし、JJSBAの活動も堅実に続けられている。
こんな基盤は、この時期のKSSの活動によるところが大きいと思っている。


ゼファーも売れたし8耐にも優勝したり時代もよかったが、
この頃、誰も経験したことのないソフト会社KSSを担当して、
新しいことばかりを造り上げてくれた南昌吾君以下の当時のメンバーの努力が築いた実績だと思う。

ソフトの世界というのは不思議なもので、
あるレベルまでいくとどんどん新しいアイデアが湧いてくるのである。
四六時中絞り込んで考えている、KSSのメンバーからはどんどん新しいアイデアが出て、途切れることなく続いていった。
JJSBAのレース運営なども、数を重ねるたびに上手くなっていくのが目に見えたのである。


こんな昔の出来事を、
「人はコストではなくて、価値創造者である」
 という服部吉伸さんの言葉を実感し懐かしく思い出す今日この頃なのである。



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JS550とULTRA250X

2007-06-26 05:26:47 | ジェットスキー&KAZE
松口久美子さんからコメントが来た。

先日、ULTRA250Xについてアップしたら、
「24日に12年ぶりにJS550とULTRA250Xを試乗しました。過去と現在の乗り物を同じ日に乗り少し混乱しましたが、どちらも完成された素晴らしい乗り物だと思います。」 とコメントを頂いたたのである


JJSBAの創生期のウイメンライダー、文字通り女王として君臨した。
JJSBAの会長は初代の苧野豊秋さんから石井三代治、鶴谷将俊、岩田茂樹と歴代会長が続くのだが、少なくとも鶴谷会長時代までは第一人者であった。

勿論、ソウルのオリンピックにもご一緒した。

私自身は、若い頃はモーターサイクルのレースに専念したのだが、
後年は二輪のレースも当然関心はあったのだが、それは重本監督などにお任せして、むしろJJSBAの活動に鶴谷君や歴代会長と一緒に熱っぽく従事した。

大げさに言えば、日本の「新しいマリンスポーツ文化の創造を」 ぐらいの熱の入れ方で、
事実、最盛期はジェットスキーが1万台近くも売れたり、
近江舞子でのワールドカップ、千里浜でのエントリーが1000台を越える大掛かりな大会などが懐かしい。

好きな人たちが集まって、その運営が見事であった。
確か千里浜では1日に、100レース近くこなしたこともあった。



一番最初にジェットスキーと出会ったのは、
1973年8月4日、琵琶湖のマキノ町でのジャンボリーで、デモンストレーションにジェットスキーを走らせた時である。

このときライダーを務めてくれたのが、今JJSBAの会長をしてくれている栗本君である。
その頃はまだ、ジェットスキーにまともに乗れる人も少なかった。

丁度その1ヶ月ほど前に、岡山でジェットスキーによる人身事故があり、国会でも問題になった。
商品そのものの規定もなく 「エンジンつき海上浮遊物」 と言われたとか、
そんな時代で「事故直後にデモをやるとは」と当時の田中社長に怒られたが、強引に強行したのを思い出す。

そのジャンボリーには後、JJSBAの会長や販売を担当した、苧野、藤田、南昌吾さん(栗本君の前のJJSBA会長?)などが深く関係していたのも何かのご縁であろう。


JJSBAがスタートしたのが、1984年からのシーズンからだから、それより10年以上も前の話である。

懐かしい松口さんから、直接コメントなど頂いたので、ジェットスキーの昔話を思い出しました。
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ジェットスキー新商品ULTRA250X

2007-06-20 05:19:16 | ジェットスキー&KAZE
水の上を走るジェットスキー。 ジェットスキーはカワサキの商品名である。

パーソナルウオータークラフトと一般に呼ばれるこの分野で、カワサキは文字通り先駆者である。
ただ、昨今は競合メーカーも頑張っていて、カワサキの独走などとは言えぬ状況が続いていたのだが、

今年3月、「ULTRA250X」という画期的な新商品が発売されて、販売も好調で久し振りにシェアも50%を越える実績を上げているようである。



日本船舶海洋工学会より「シップオブザイヤー」を受賞した、この商品のセールスポイントは、馬力である。
通常ネーミングに使われる数値は排気量が一般的だが、
この「250」は排気量ではなくて馬力なのをみても、如何に「馬力をウリ」にしているかが解る。

この圧倒的な馬力で、
水の上の最高速の制限速度65マイル(105km)などはいとも簡単に出してしまう出足加速がセールスポイントである。
昔の海軍の魚雷などよりはずっとずっと早いのである。



この「ULTRA250X」の開発チームの責任者だった山田浩平君が、
「私が老骨に鞭打ちつつ開発したULTRA250Xの記事とインタビューが載っている」 KAZEの広報誌と、
これに注いだ彼自身の熱い想いを自筆の手紙に記して送ってくれた。

山田君は、以前にこのブログでもご紹介した
サーキット専用のレーシングカーX-11の開発を担当したエンジニアである。




二輪エンジンは、高回転高馬力が一般的で、
「ミスターホースパワー」とあだ名されたZ1の開発責任者、大槻幸雄さんなど有名だが、
やはりカワサキにはその伝統や流れを汲むエンジニアたちがいるのである。

過給機エンジンか何か知らぬが、1500cc、250馬力はハンパじゃない。

開発のコンセプトや、もう少し詳しく知りたい方はどうぞ。)



こんな素晴らしい商品が出たら、この夏は販売も楽だろう。
JJSBAやJJSFのレースの世界も活気づくに違いない。

モーターサイクルやジェットスキーの世界はなんと言っても商品力が第一である。
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ジェットスキー

2007-06-17 05:33:40 | ジェットスキー&KAZE
KAZE Jet Skiの広報誌が3冊送られてきた。
先日のKMJのOB会で河野社長にお願いしたのである。

二輪車のほうは今でも会費を納入している正会員なのだが、
ジェットスキーの方は登録していないので広報誌も送られて来なかったが、送って頂くようにお願いした。


7月号でVOL.169号。
二輪のKAZEより少し遅れての第1号の発刊だったのだが、なかなかその内容も充実していて、こちらの方は我々の現役時代に造ったJJSBAもARKという正規販売店のネーミングもそのままで懐かしい。

167号にJJSBA(日本ジェットスキー協会)の今年度方針が特集されている。
アメリカに2年遅れて設立されたのだが、
84年11月に初代会長を務められた苧野豊秋さん(故人)に頼まれて、当時KMCの社長をしていた田崎さんにIJSBAとの調整を依頼すべく、アメリカまでご一緒したのを思い出す。



当時国内では、西武自動車にいろいろお世話になってレースなども開催していた。

ジェットスキーを国内にも正規に導入を図ったのは、
翌年85年からで担当する部門がなかったこともあり企画室で旗揚げをした。
発動機からジェットスキーのレースに出場していた福井昇君にきてもらって、9月にオーストラリアから帰任した鶴谷将俊君(現川重商事社長)を専任担当として本格的に活動を開始した。

その創生期に活動をしてくれた人たち、
カワサキでは苧野豊秋、鶴谷将俊、藤田孝明、宇田川勇、福井昇君など、
西武やヤナセの方たち大阪の大南君などにもお世話になって、
JJSBAは徐々にいい形になっていったのである。

その後、近江舞子でのワールドカップ、千里浜での1000台を越えるエントリーがあったりした最盛期を経て、
ヤマハの参入などからJJSFの設立などいろいろあったが、

今尚、JJSBAの活動もKAZEジェットスキーの耐久など特筆できる活動が続いていることは、当初からジェットスキーに関与した一人として非常に嬉しいことである。


特に、広報誌に載っている幾つものレースやイベントが各地域の市町村や観光協会、漁業協同組合、ウオータークラフト安全協会,海上保安署などの後援、協賛などを受けて実施されていることは、レースや遊びそのものが世に受け容れられているとの証しであり喜ばしいことである。


広報誌の載っている幾つもの写真は、二輪以上にかっこいい。
特に、女性ライダーの活躍と、女性ライダーがジェットスキーにはよく似合う。

今から、夏本番レースもイベントっも真っ盛りである。
いい夏を、思いっきり楽しんで下さい。
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