雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

私の人生と日記   雑感

2023-03-18 06:23:32 | 私の生き方、考え方&意見

20歳の時、ふとしたことから日記を付けだした。
 90歳になった今までずっと続いているので70年間にもなるから、
 ひょっとしたら、日本でも一番長いのではとネットで調べてみたら、
 「上がいるものである」曰く
 
 遠藤三郎・元陸軍中将、戦後は開拓農民へ転じ、そのかたわら日中国交回復に尽力した異色の人物とある。
日記は、11歳から91歳まで80年余、日露戦争勃発の明治37(1904)年から始まり、延々と昭和59(1984)年10月、91歳の天寿をまっとうする1カ月前まで続いたという。
 これを抜くには100歳を越えねばならぬが、生きてる限り頑張ってみたい。


    

     

★ 私は努力さえすればできる「そんなに難しくないこと」を続けることは得意と言っていい。
 日記なども誰でも書けるし、そんなにムツカシイものではない。
 日記は兎も角、2006年の9月にこれもふとしたことからネットでブログなるものをスタートし「雑感日記」と題して毎日休むことなくアップし続けている。
 その第1日目は「美しい」と題してのスタートだが、
 たった4行の短い文章でスタートしている。
 何となく初々しいが、今はもうこれも17年になろうとしている。

  


 今はこの雑感日記Facebookツイッターに転写してるので、
 結構な人数の方にお読み頂いている。

 そのカテゴリーも幾つもあってそれぞれ結構多いのだが、
 3月に入って90歳になったのを機に「私の運転歴」なるカテゴリーを新しく増やしたところである。
 
 その数は結構多いが、こんなカテゴリーとなっている。
 そこに載っている数字は、みんな結構な数だが「私の運転歴」はまだ2回だけである。


    
 

 このカテゴリーは「私の人生そのもの」を表していて、
 「自分史」もあるし、現役時代の「カワサキの二輪関係」も結構多い。

★ このブログ「雑感日記」は76歳からアップしだしているので、
 それ以前のことについては、自分の記憶に頼ったものも多いのだが、
 外部に発表しているので、間違いがないかチェックするには
 70年続いている「日記」は貴重な存在なのである。

 今回、スタートした「私の運転歴」もこの日記があるので、
 結構正確にアップすることが出来るし、
 それは即「私の人生そのもの」であると同時に「カワサキの二輪事業の歴史」にも繋がっている。
 そんな「二輪の歴史」には非常に興味をお持ちの方々と、特にFacebookでは繋がっている。

 この3月、90歳になったのを契機に、
 Facebookのトモダチも350人から一気に1400人も増やして、
 1750人にもなっているのである。
 その殆どの方は、二輪に愛着をお持ちの方ばかりなので、
 二輪関連の記事を多くしようと思ったのだが、
 「雑感日記のカテゴリー」をご覧になればお解りのように、既にカワサキの二輪のことは多く触れているので、同じことの繰り返しもダメだし、
 「私の運転歴」という別の角度から眺めたら、またいろいろオモシロイことも多いと思うので、そんなカテゴリーを新設したのである。
 「運転歴」だから「いつ、どこに行って、何をした」と言ういういうなことを正確に綴るには「日記」は重宝するのである。

  まだ2編しかアップしていないが、
 「いつ何所を何時に」と言うような表現が出来ているのは、「」のお陰なのである。

  最近は毎日同じことの繰り返しで、この「雑感日記」を毎日アップするのも、その材料が大変なのだが、「私の運転歴」も50年続いているので、
 その素材には事欠かないのである。
 
 まあ、そんなことで、90歳になって今までの日記のお世話になるとは思わなかったが、
 今後は日記を読み返しながら「私の運転歴」をアップしていこうと思っているので、ご愛読願えたら幸いである。


 
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マスク   雑感

2023-03-17 06:25:53 | 私の生き方、考え方&意見

★コロナが発生した当初は、世界の人がマスクをしているように思ったのだが、
 だんだんとマスクなどしなくなったのではないだろうか?

 世界でも日本は断トツで、東洋の人たちは多いが、
 欧米は少ない傾向が顕著である。


  

 私自身は今の生活環境もあるのだが、
 この数年間、マスクなど殆どしていない。
 マスクをするのは「医者に行くとき」と「スーパーの中」だけで、
 それ以外は一切しないから、この数年間で使ったマスクは10枚以下だと思う。
 クルマの中にはマスクはいれているのだが、殆ど使わないので、
 何度も同じマスクをしている。

 そう言う意味では「世界水準」の生活と言っていい。


★これまで屋外では、マスク着用は原則不要、屋内では原則着用としていましたが 令和5年3月13日以降、マスクの着用は、個人の主体的な選択を尊重し、個人の判断が基本となりました。 本人の意思に反してマスクの着脱を強いることがないよう、ご配慮をお願いします。

 とあるのだが、
 昨日散髪に行って周辺の状況を見てきたが、殆どと言っていいほどの人が外なのにマスクをしているのである。
 勿論私は家を出て、戻るまで一切マスクはしなかったが、
 
 この状況はちょっと不思議である。

 ただ昨今、大相撲の放送があるので、そのテレビの画面で見る限り
 「マスク」をしていない方も結構多い。






★ コロナ菌などこの世から消え失せることはないのだろうから、
 この調子が続くと「日本はマスクをしている国」になってしまうような気がする。
 こんなことをブログにアップしたら、いっぱい反対意見が来るのだろうか?
 まあ、「90のおじんの戯言」と言うことでお許し願いたいが、
 そんなに間違っているとも思わないのである。


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実力・体力、それよりも運かな?

2023-02-19 06:38:30 | 私の生き方、考え方&意見

★世の中の大学でも会社でも試験があり、成績により合・不合格がある。
 学生時代は神戸一中の2年生まではよく勉強したが、それ以降は勉強した記憶がなくて、学生時代は野球漬けで卒業した。
 でも人生で受けた試験で落ちたことはないのは「運がよかった」と思うし、
 何を持って「実力」というのかは解らぬが、
 自分では何となく「実力はある」と思っている。

★日本の社会は「学歴社会」と言われていて、
「どこの大学を卒業したかを重要視する」慣習を「学校歴社会」と呼んだりもする。



 
 
アメリカの社会は、Microsoftのビル・ゲイツ、Appleのスティーブ・ジョブズ、Facebookのマーク・ザッカーバーグななどみんな「大学中退起業家」で、
アメリカは実力一本で勝負する世界だ」と思っていたが、
アメリカは日本以上に就職には大学での成績が重要視されたりするらしい。


孫の次男はアメリカのバークレーを出ていて、
バークレーは世界の大学でも常に上位で、東大よりはずっと上位にいる。
そんな大学に推薦されたのだから高校での成績もよかったのだろうか?

ただ彼はそんないい大学を卒業しているのだが、
会社に就職などするのではなく、今はサッカーのプロ選手なのである。


 


サッカーのプロなどは学歴などは要らないと思うのだが、
若いころは兎も角、サッカーが出来なくなったら、どうするのだろう?
とは思う。

 ただ彼はこんな絵も描ける才能もあるし

 
  

 料理もめちゃ得意だというから、
 サッカー選手を止めても何とかなるのだろう。
 人の人生いろいろだが、「学歴や実力」も大事だが、
 「最後はそれよりも運かな」と思ったりもする。


★ 私自身はもう90歳だから、ほぼ人生も終わりだが
    現役時代も「自分のやりたいこと」ばかりが出来て、不満は全くない
 これからの人生は「体力次第かな」と思っているが、
 その「体力」には今のところ相当の自信があって「TOPレベル」にあると言い切れるし、毎朝動いて頑張っている。

 でも、これから先「どんな人生」になるのだろうか?
 家内が元気なうちは大丈夫で「家内次第かな」とも思っている。
 そう言う意味では「家内と巡り会えた」のが人生で一番の幸運だったのかも知れない。

 ホントに今は「自分のやりたいことだけやって」生きている人生なのである。
 若し家内がいなければ、こんなことにはならないのである。
 90年も生きられたのも「運がよかった」のだと思うが、
 やはり「人生、その人にツイている運かな」と思ったりもしている。

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私の一番の大仕事? SPA直入

2023-02-17 06:56:56 | 私の生き方、考え方&意見

★ 現役時代は「世の中でもはじめて」という種類の大きなことを結構いろいろとやって来たのだが、
 日本で初めて一般のライダーが走れたサーキット「SPA直入」を創ったことが、私の1番の大仕事だったかも知れない。 

 それは1988年時代のことだが、
 当時も日本には鈴鹿FISICOもその他いろいろサーキットは有ったのだが、
 それはどこも「レースライダー」以外は走れなかったのである。
 世はまさに「レーサーレプリカ全盛期」で街にはそんなスポーツ車が溢れていたのだが、
 そのユーザーたちはサーキットは勿論は走れないし、
 走るところがないので、峠にたむろして「峠族」などと呼ばれていた。
 各メーカーとも「レーサーレプリカ」を開発しておきながら走る場所は「ユーザーまかせ」というのは無責任だなと思ったりもしていたのである。
  

★当時カワサキは大分県直入町に広大な土地を持っていて、それはテストコーを創るべく購入したのだが、
 当時のHY戦争などのあおりで、カワサキの二輪事業は危機に瀕していて
 テストコース建設などとてもではなかったのである。
 土地を購入しテストコースを創ることで、地元の直入町には人も雇用するなど約束していたので、
 直入町はいつまで経っても実現しないテストコースがいつできるのかと
 年に何度も明石工場までやって来て督促するので困り果てていたのである。

 そんなことで費用の掛からない「モトクロス場」でも造ってお茶を濁そうかという話になっていたのを私が聞きつけて、
 「小規模なサーキット」を創ってはと提言したのである。
 ちょうど営業にいて「峠族」は問題だと思ったし、
 「小さなサーキット」で一般ユーザーを走らせたらいいと思ったのである。
 

★「一般のライダーを走らせる」のは当時の常識では「危険」ということだったが、 
 二輪車とはそんなに危ない乗り物なのか?
 一方通行で、信号もないし、カーブには転倒時の安全地帯もある。
 「出来る限り安全に徹したサーキットを創ればいい
 ということで、当時の高橋鐵郎本部長の承認を取って踏み切ったのである。

 土地はすでに所有していたので、建設費は4億円弱でできたのだが、
 こんなコースを創るには本社の承認が要るのだが、
 サーキットを造るなど川重では初めてのことだし、
 その是非など判断ができる人は当時の川重にはいなかったのだが、
 当時は大庭浩社長の頃で、大庭社長が単車事業本部長をされてた時の番頭役を私が務めていたので、絶大の信頼があって、
 「古谷がやると言うのならまあいいか」ということで承認が取れて、
 本社の企画・財産あたりも具体的な建設に大いに手伝ってくれたのである。


★若いころからレースを担当していたので、何となくは解っていたのだが、
 さて、ホントに創るとなると会社でも経験者は皆無なのである。
 それに担当してくれた工事会社もサーキットなど初めてなのである。
 
 それを私と、私の後のレースを担当してくれた岩崎茂樹と二人でスタートしたのである。
 そのためには既にあった地方のサーキットを観に行ったりしながら、
 まさにすべてを二人で「起案」したのである。
 これがSPA直入だが、1周2kmほどの小さなサーキットだが、
 安全のためにコース幅は鈴鹿サーキットと同じだし、
 カーブは登り勾配に配置して、グリーンベルトはめっぽう広くとっている。
 サーキットの建設費はコース舗装費などよりも一番多く掛るのは「土を動かす量」なので、
  出来る限り「動かす土の量」が少なくなるようになコース設計をしている。
 
  


 そんなことを想いだしながら、改めて「SPA直入」を観ているが、
 日本で「一番美しいサーキット」と言えるかもしれない。
 こんな自然環境の中に存在している。
 
 
 


★ なぜ、いま突然 SPA直入のことをアップしてるのかというと、
 極く最近の二輪車新聞の記事に
 「愛車でサーキット体験」それも「レーシングスーツ不要」というのである。


  

 
 「時代も変わるものだな」と思ったのである。

 「SPA直入」は1990年4月15日にオープンし、
 当日は直入町に4000人ものユーザーが集まり、
 直入町長は「有史以来、直入に一番多くの人が集まった」と挨拶されたのを想い出す。
 直入町は自然豊かな環境の中にあって、長湯温泉で有名なのだが、
 SPA直入のSPA は温泉だが、もう一つの意味は
 「スパ・フランコルシャン24時間レース」などで有名なベルギーのサーキットの名前と賭けている。
 その名付け親は、物知りの「岩崎茂樹」なのである。

 いまカワサキは九州にオートポリスSPA直入の二つのサーキットを持っているのだが、
 SPA直入は当初の基本コンセプト通り、今でも結構沢山の方々に愛されているサーキットなのである。

  

 
★ 当時、日本のどこのサーッキットも一般ユーザーは走れなかったのだが、
 先ほどの記事にもあるように、
 今では日本中のサーキットで一般ユーザーが走れるようになったのである。

 これはその当時のSPA直入での写真だが
 左から岩崎茂樹、いろいろと応援してくれた田崎雅元さん、
 それにのスリーショットである。
  

 


 新しい時代を切り拓いていったという意味で、
 小さなサーキットだったが「私の一番の大仕事」だったかも知れぬし、
 こんなことは私以外には、なかなかやる人はいないのである。
 ある意味「無茶」なのだが、
 何となくうまくいくのは「ツイている」のだと思う。



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最近の私の毎日 と 差別化    

2023-02-14 06:21:19 | 私の生き方、考え方&意見

★ 私の生き方、考え方&意見
 私もあと1か月もせぬうちに90歳になるのだが、
 ちょっと普通の高齢者とは違った毎日を過ごしている。

 私の人生の目標は「差別化」なのだが、
 今の私の高齢者としての毎日の生活は間違いなく「差別化」出来ているので
 大満足なのである。

 今日も朝からジムで2時間のトレーニングして
 そのあと1時間ほどランニングなどするものだから、 
 毎日の歩数はこんな感じになっている。

  

 8日間の平均が9325歩だが、
 この週は1万歩を越えることが多かった。
 

★最近では高齢者のインターネットの利用率も結構高いようで
 シニア層においても80歳以上は57.5%となっており、シニア層の半数以上がインターネットを利用しているようだが、
 90歳以上でもネットを利用する人は今後は多くなるだろう。
 私の場合は1日のうち結構長い時間をネットとお付き合いしている。

 gooのブログがベースだが、
 このブログは2006年9月から欠かさず毎日続いているので、
 それをFacebookやTwitterに転記して遊んでいる。

 

 

★ 私のネットの記事は、結構な人がご覧になるようだが、
 一番べースのgooのブログは毎日500人以上の方が訪れて
 1000ページ以上をご覧になっていいるようだ。
 

 



 この1週間の数値を見ても結構な数値が並んでいて
 gooのブログ31万人中の600番目ぐらいにいるから
 結構上位なのである。




 それをFacebook やTwitter に転写しているのだが
 Facebookなどには毎日50人ぐらいの方が来られるが、
 
 Twitter などはちらっと見た人だろうが
 5000人近い人がご覧になっているようである。
 これはTwitterのフォロワーが50万人もいるからで、
 この数はなかなかのもので、間違いなく「差別化」出来ている。

 

★ 現役時代から、ちょっとほかの方とは違った生き方をしたいと
 人生の目標を「差別化」にしたのだが、
 今までの90年間も間違いなく「差別化」出来た人生だったし、
 今後、幾つまで生きれるかは解らぬが
 間違いなく普通の高齢者の方とは「差別化された人生」が送れそうなので
 満足している毎日なのである。

 掲げた目標が達成できて、いい人生だったなと思っている。
 

 
 
 
 


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マスク   雑感

2023-02-12 06:17:48 | 私の生き方、考え方&意見
★ 政府は新型コロナウイルス対策のマスク着用について、3月13日から新たな指針を適用し、
屋内外を問わず個人の判断に委ねる方針を決めたという。
3月13日以降、日本独特のこんなマスク姿はどうなって行くのだろう。

世界の中でこんなにマスクをしているのは、日本だけかも知れない。
これは日本独特の不思議な現象と言えるだろう。

日本では「マスクを外す時期」は二度と来ないかもしれない!?と
この記事には書かれている。

 

★ コロナが発生してもう3年にもなるが、
 私自身はこの3年間、殆どマスクをしたことがない。
 マスクをするのは病院に行くときと、週に1,2回家内の買物に付き合う時ぐらいで、
 毎朝2時間ほどの公園での散歩時はマスクをしたことがない。
 最近行きだしたジムも器具の間には仕切りがあって、運動中はノーマスクでOKなのである。
 そんないい環境と、殆ど人とは会わない高齢者の生活環境だからこんな状況なのである。
 
 ホントか?と思われるかも知れぬが、
 この3年間で私のマスクを使った数は10枚ぐらいかも知れない。
 若し、それが大袈裟だというなら、間違いなく20枚は使っていない
 家では一切マスクをしないし、車の中には3枚ほど使ったマスクがあって、
 外に出てどうしても必要な時にはそれを使うのだが、
 1日にマスクをしない日のほうが圧倒的に多い生活環境なのである。


★それにしてもこんなに多くの人がマスクをしているのは、世界で日本だけかも知れない。
 どうも日本人はマスクが好きである。
 殆どの人がマスクをしていて、着用していないは0.8%である。

 


  マスクを着用する理由はこんなことらしいが、
 日本人は世間一般の慣習には素直に従うようなところがあって、
 アメリカのように自己責任が主の社会ではないのである。
 
 

★マスクについてこんな記事もあったので、ご紹介しておきたい。
日本人を「マスク信仰」に駆り立てる「6つの要因」はこんなことのようである。

(1)日本人の徹底したリスク回避志向
(2)日本人は「目」で、欧米人は「口」で表情を判断する
(3)日本語の「周波数」により、英語ほどには発声も聞き取りも難しくない
(4)アメリカと日本での「マスクの象徴」の違い
(5)花粉症や感染症対策における「慣れ」と「信頼感」
(6)「過剰な自意識」が働く、日本の“お家芸”「ザ・同調圧力」

 
マスクとは直接関係はないが、こんな「ランドセル」の記事もあった。
マスク着用」はランドセルに通ずる!?奇妙な文化は継続される
 ランドセルはマスクと同じく、「不可解な日本人」を象徴するアイテムだ。
 幼い子どもにあんな重いカバンを背負わせる国は日本だけだ。
 
日本人はこれまでも「どう考えても合理的じゃないからやめよう」ということを、ほとんどやめることができずここまでやってきた。
マスクも恐らく同じ道をたどるだろうと言われている。
 3月以降の日本の社会がどうなっているのか?
 興味のあるところである。
 私は3月以降は、マスクは多分しないだろうと思っている。



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昨今の高校球児への対応   雑感

2023-02-04 05:52:03 | 私の生き方、考え方&意見
私の生き方。考え方・意見

★ 昨日だったか朝日新聞にこんな記事が出ていた。

 日本高校野球連盟と朝日新聞社は、運営委員会を開き、
 ベンチ入りの人数20人に統していく可能性を示した。  
 ベンチ入り制限は14人に始まり、78年に15人、94年から16人、03年から18人と増やしてきたようでる。 
 大会は17日間で開催、休養日は3回戦の2日目と、準々決勝、準決勝の翌日の計3回設ける。  
 全試合でクーリングタイムを設定、従来のグラウンド整備時間と合わせて10分間、体の冷却など暑さ対策にあてる。

 などとある。
 昔と違って高校球児への対応・配慮なども変わったものである。

 私の感想を一言で言うと「甘やかしすぎ」である。

   
 
 
 野球というスポーツは練習は兎も角試合は、ホントに「楽なスポーツ」である。 
 サッカーなどと比べると雲泥の差で、ピッチャーを除いてはホントに
 汗もかかないような楽なスポーツだと思う。
 だから、プロ野球などは毎日でも出来るのだと思っている。

 昨今は「すべて甘やかしすぎ」だなと思ったりする。
 野球の質が変わったからベンチに入る人数を増やす方向は納得だが、
 その他の休憩などはやり過ぎだと思う。
 なぜ、こんな発想になるのか? 不思議に思ったりする。 

★ 昭和25年(1950)当時だからもう70年以上も前の話だが、
 私も当時は名門と言われた明石高校で野球をやっていた。
 今の球児たちと比べると、体格も技術もずっと劣るのは間違いないが、
 精神的には無茶苦茶強かったし、自らを痛めつけるような練習だった。
 今では考えられないと思うが、夏の練習中も水は一滴も飲めなかった

 今と違ってピッチャーはひとりで9回を投げぬくことが基本だったし、
 全く「甘やかす」ようなことはなかった。
 明石中学と言えば、甲子園で中京商業25回戦を戦い抜いている。
 その当時の先輩たちの指導だったから「厳しくて」当たり前だった。

 そんな高校時代を想い出して、今でも「それなりによかったな」と思っている。
 人生で厳しいことには何回も出会ったが、そんなに厳しいとは思わなかったのも、高校時代の練習を経験したからだと思う。
 

★ これは昭和25年(1950)夏の大会の入場行進の写真だが、全員で14人である。

 私にとっても懐かしい1枚だが、75年も経つと
 ここに写っている人で、現在この世にいるのは、
 この夏の予選で、灘高を相手に「完全試合」を達成した、
 同期のピッチャー溝畑圭一郎だけになってしまった。

  
  


 その「完全試合」も試合が終わって放送でそれが告げられても、何のことかよく解らなかったそんな時代だった。
 世の中はホントに変わるものだが、昔はよかったなと思っている。



 
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私の人生ツイている

2023-02-01 05:47:56 | 私の生き方、考え方&意見

★ 人にはその人にツイている運勢みたいなものがあるのだろうが、
 私の90年にもなろうとする人生はホントに「ツイている」と思っている。

 モノは考えようで「ツイている」と思うか「不運だ」と思かは紙一重なのだ。
 いろんな人生での出来事があったが、
 私の場合は「みんなツイていた」と考えて生きてきた。

 手相などが当たっているのかどうかはよく解らぬが、
 私の「運命線」は非常にはっきりと中指に向かって一直線に伸びている。
 だから運がいいのだと信じ切っているのである。
 物事は楽観的に「いいように」考える方がいい。

●私の人生など悲観的に考えると全然「ツイていなかった」のかも知れない。
 あの大東亜戦争で朝鮮を主力にしていた事業は全部ゼロになって、
 一家の全財産を残して一人1000円だけを持って引き揚げてきた。
 中学1年生の時だが、それまでの豊かな生活が一変したが、
 それから始まった新しい生活が珍しくて結構自分では楽しめた。

●大学4回生の時は不景気で就職も難しかったのだが、
 たまたま肺浸潤にもなったので1年卒業を延ばしたら、
 翌年は神武景気になってコネで川崎航空機に入社できた。

●入社して最初に目に留まったのが今の家内である。
 入社のコネは伯父の友人だった当時の川崎航空機の社長さんだったが、
 その方が「医者の娘さんを」と紹介されたのだがお断りして、
 家内と結婚した。
 

★40年間の「会社生活」では、不思議なほど新しいことばかりで「引き継ぎ」をしたことは一度もない。
 だから「会社の生活」は全く自由に「自分がやりたいこと」がやれて、
 「毎月お金が頂ける」いい会社生活だったと思っていた。

 ごく最近のネットの投稿に使った写真だが、 
 このマシンについてもめちゃ運がよかった。

 1993年の鈴鹿8耐カワサキに初優勝をもたらしたのが
 「伊藤ハムレーシング・カワサキ」の「ZXR-7」と、
 ライダーのスコット・ラッセルとアーロン・スライトである。
 この年も、誰もカワサキが優勝するなどとは思っていなかったのである。


 

  
 その証拠にマシンのスポンサーもなかなか付かなくて大変だったのだが、
 たまたま「イトーハム」には私の知人もいたので、
 「イトーハム」に無理やりお願いしたのである。
 「イトーハム」もレースのスポンサーなどするのは初めてで、
 カワサキに丸投げだったので、
 このカラーリングも含めてみんな勝手に作り上げたのである。

 1933年8月25日、あれほど難しかった「鈴鹿8時間耐久」での優勝が実現した。
 日本人ペアの最高位も北川・塚本組が取れて、
 その夜、イトーハムの方たちと鈴鹿で祝杯を挙げている。
 優勝が実現してみるとホントに「あっけない出来事」で、
 これも「ツキ」かなと思ったりする。

 
★ 物事はムツカシイこともあるのだが、
 「なんとかなる」と楽観的に考えてやってると「なんとかなる」ものである。
  そして、どんどん道が開けてくるから不思議である。
  ごくごく最近の話ではNPO 法人The Good Times などはその典型で、
  もう理事さんたちも歳をとってしまったし、今期で止めるかと思ったら、
  突然、藤本喜子さんから「引き継ぎたい」との申し出があって、
  昨日は兵庫大学の松本茂樹先生から、
  先生が主宰されている「神戸ベンチャー研究会」で、
  「NPO The Good Times の事業承継について」話をすることを頼まれたのである。
  何か、どんどん「いい方向」に物事が転がって行くのである。

   
  
   

 これを契機に「NPO The Good Times」が新次元で活動できるように、
 その内容について自分なりに対策を考えてみたいと思っている。
 NPO The Good Times をスタートさせたのは2009年6月のことで、
 私にとっては定年後の「大事業」だったのだが、
 どうやら「消え失せる」ことなく「発展の方向」になる可能性もある。
 松本茂樹先生も NPO The Good Timesの理事さんのお一人なので、
 今後はより積極的に関わって頂けるものと思っている。

 私にとっては NPO The Good Times のシステムは、
 会心の出来で現役時代の会社の仕事の集大成だと思っているので、
 私なりに、確り考えて新しい仕組みを採り入れたいと思っている。
 今後、3か月ほどまた充実した日々が待っていると思っている。

 ホントに私の人生、最後までツイているなと思っている。


 

 


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せっかちは駄目だな

2023-01-27 06:58:31 | 私の生き方、考え方&意見

 昨日は免許の書き換え通知が来たので早速明石の自動車試験場まで行ったのだが、
 誕生日の1か月前からだから2月2日にならないと受付できませんと、
 窓口で断られて戻ってきた。





 大体が「せっかちな性格」で何事も「迅速を旨」としているのだが、
 届いたはがきを細部までちゃんと読まないからダメなのである。

 届いたはがきには、ちゃんと「2月2日から免許更新ができる」と書いてあるのだが、
 それを全然読んでいないのである。


★ 現役時代に性格テストを受けた時、殆どの項目で「いい性格」が出たのだが、
 「ダメな性格」で出たのが「反省をしない」ということだった。
 ホントに失敗をしても「反省をしない」のである。

 昨日も明石まで無駄な往復をしたのだが、
 「雪が降った後の渋滞状況が観れたのがよかった」などと
 勝手にそんなことを想ってしまう性格なのである。

 失敗を恐れずに何事も「前向きに」と言えば恰好いいのだが、
 そんなことではなしに自らが「不注意」なのである。

 こんな性格は、何度同じような失敗を繰り返しても治らない。
 「反省をしない」という性格だから仕方がないと思ってしまうのである。


 長年付き合っている家内は、私のそんな性格はよく解っていて、
 笑っているだけで、特に何を言うでもないのである。
 
 治らないことは自分でもよく解ってはいるのだが、
 この題を「せっかちは駄目だな」としたが、
 それくらいは解っているのである。

 まだ決めてはいないが、
 多分2月2日には「免許書き換え」に明石に行くことになるのだろう。

 
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今年の目標は・・・

2023-01-05 05:46:38 | 私の生き方、考え方&意見

★2023年の仕事はじめである。
 別に仕事など持っていない年金生活者だが、
 人生の生き方の目標の一つが「差別化」だったから、
 今年の目標も、ちょっと他人とは違う独特な私自身の目標にしたいなと思っている。
 
 今年は3月に満90歳になる。
 ホントにこんなに生きるとは思いもしなかった。
 そんな90歳を迎える今年なのだが、
 自分でも不思議に思うほど元気なのである。
 先ずはこの健康体を保ちたい

 そんなことで先ず目標の一番目は「1日1万歩」にしたい。
 昨年は「7000歩」だったのだが、
 「7000歩」はほぼクリアできたので今年はもう一段高い目標とした。

 元旦から四日経ったが、「1万歩」はクリアできている。
 今日は「13021歩」だった。


  


 

 年末の12月29日から1週間の実績だが、
 7日間の合計は「74593歩」だから
 今週の目標達成度は「107%」なのである。







 先ずは今年の目標の一番は「1万歩」としたい。
 こんな記録はFitbit を時計代わりに付けていることで記録されるし、
 それをネットでこのように表せる便利な世の中である。
 こんなことも自分一人ではできないが、孫が教えてくれている。


★ 今年あたり市の体力測定が復活するかも知れぬが、
 若し復活したら「0歳代」を目指したいし、
 ひょっとしたら「60歳代」と出るかも知れない。
 これは器械が測定するので、「柔軟性=20歳」と出るのは間違いないので
 平均値を押し下げてくれるのである。

 かってはそんなに良くなかった「筋力」も
 77歳から始めた「ダッシュ」のお陰で結構いい値が出るはずである。


★これはいまアメリカから遊びに来ている孫が持ってい「筋肉のマッサージ」なのだが、
 彼の日常を観ているとトレーニングも激しいが、
 その保全にも注力していて、ずっと筋肉をほぐしている。

 彼の持っているこの器械は55000円もするので、
 そんなに高いのは手が出ないが、


 


 
 Amazonでこんな類似品を選んでくれた。
 これはちょっと小型だが、6000円ほどである。
 振動の強さがちょっと弱いが、90歳の筋肉なら十分である。


 

 
  そんなことで「筋力の維」も今年の目標の一つにしようと思っている。


★あとは、毎年目標にしているが、達成できていない「体重70kg台
 簡単なようだがこれがなかなかムツカシイ。
 いま年末からちょっと食い過ぎて「83.5kg」もある。
 「82kg」までは簡単に落ちるのだが、そこからがなかなか下がらない。

 昨年は「庭の草抜き」が一つの目標だったが ほぼ達成できたと言っていい。
 今は大きな草は「1本も」とは言えないまでも殆ど庭に草は生えていない。
 この庭仕事の維持に加えて、
 今年は「家の中の整理」を一つの目標にしたいと思っている。

 「家の中の整理」=「不要なものを捨てる」ことだろう。
 かっては「必需品」と思われた本や背広などもいっぱいあり過ぎなので、
 今年は思い切って「捨ててみたい
 これは「捨てればイイ」だけだから簡単なのだが、思い切れるかどうかである。

 「仕事はじめ」の1月4日にこんなことを想っている。



 

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結婚記念日のプレゼント

2022-12-22 06:19:54 | 私の生き方、考え方&意見

★昨日はいろいろとあった1日だった。
 
 先ず、東京の松嶋裕さんがこんな懐かしい
 カワサキ85JIの動画Facebookの「二輪文化を伝える会」にアップされたのである。


 その中からの写真だが、
 85ーJ1Tとはこんな車で、


  

 

 そのモトクロスマシンも同時に発売された。







 動画にはこんな当時のモトクロスの写真も入っている。






 昭和30年代後半の時代なのでもう60年も前の話なのだが、
 当時私はカワサキの広告宣伝課を担当していて、
 このカタログは私が創った訳ではないが、
 当時の広告代理店に注文をしたのは間違いなく私だし、
 当時のレースチームも広告宣伝課の担当だったである。

 当時は「スズキの90㏄」が中間車種と称されてヒット商品だったのだが、
 カワサキもそれに追随して発表したのがこの「85-J1」なのである。
 そのデビューは山梨県のモトクロスだったのだが、
 その緒戦から優勝して圧倒的な強さを発揮したマシンで
 当時「実用車のカワサキ」がウリだったのだが
 カワサキの初めての「スポーツ車」のような車であったと言ってもいい。
 MCFAJ の第11回全日本モトクロスでも優勝を飾っている。


松嶋裕さんは今は「二輪文化を伝える会」を実質的におやりになっていて、
 その統轄をされている村島さんから今回その統轄を引き継がれるようで、
 そのホームページにはこのような記述がある。

二輪文化を伝える会」はNPO法人 The Good Times との繋がりをきっかけに、2012年6月より活動を開始しました。
バイクに乗らなくてもバイクが好き」という人を増やしたいこれは二輪文化を伝える会のスローガンでもあります。

 そんな「二輪文化を伝える会」には私も相談役として参加しているのだが、
 来年の2月にその新しい方向についてのご相談に、
 松島さんと村島さんが神戸までわざわざ来られることになっているのである。


★ところで話は変わるが、
 佐々木八太夫さんはカワサキを永く担当されている広告代理店を経営されていて、今もカワサキ担当は続いているのだが、
 年末には必ず我が家に挨拶に来られるので、昨日も2時間ほど昔話に華が咲いたのである。

 


実は昨日12月21日は私たち夫婦の結婚記念日だったのだが、
結婚記念日も60年以上にもなると特に何をするでもなく、
自然に過ごす1日になるのだが、
昨日は佐々木さんからこんな「ケーキ」も頂いたし、
松島・村島さんからの「新しいお申し出」も頂いて、
それが私にとっての「最高の結婚記念日のプレゼント」であったような気もするのである。


★ 私はなぜか、今でも何となくいろんな方とお会いしてお話する機会も多いのだが、
 佐々木さんとは50年にもなるし、
 松島裕さんとは定年後に出会ったお付き合いだがもう10年以上にもなる。
 
 NPO The Good Times のホームページは松嶋さんの作なのだが、
 実はNPO The Good Times も今回新しい方に引き継ぐ方向なので、
 来年の2月には松嶋・村島さんのほか佐々木さんや新しい方にも加わって頂いて、
 「今後の新しい方向」についての検討が出来たらいいなと思っている。

 どんどん時代は新しくなる。
 「新しい方たち」での「新しい時代」が始まればいい。
 幾らかでもそんなお手伝いが出来れば本望なのである。
 


 







 





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市政懇談会に出席して  雑感

2022-11-24 06:59:57 | 私の生き方、考え方&意見

★昨日はこの緑ヶ丘地区の「市政懇談会」なるものに初めて出席してきた。

 この地区の自治会長さんに頼まれての出席で、
 提言としては、「三木山 あじさいフローラみきの小川に蛍を」というものだったが、
 非常にお役所らしいお答えは頂いたが
 それが実現するかどうかは市長以下の「三木市のやる気」一つなのである。






 三木市長の仲田さん以下市の部課長さんがずらりと並んでいるのだが、
 市民のいろんな提言に対しては、文字通り無難なお答えに終始して、
 「それを実現しよう」という意欲みたいなものは感じられなかった。

 


★2006年ごろの話だからもう15年ほど前になるのだが、
 当時は私も三木市政に関心を持っていて、
 「日本一美しいまちをめざそう」などの提言もしたのである。
 当時は市も民間の言うことを聞こうという姿勢もあったし、
 民間側の活動にも何となく迫力もあって、
 私が提言した「日本一美しいまちをめざそう」はすぐに取り上げられて、
 当時の三木市基本コンセプトにもなったし、それに基づいた広報活動なども展開されていたのである。
 今もなお、こんな看板だけは残されてはいるが、
 いまは三木市政そんな姿勢はどうも感じられないのである。


 


 でも、本当に三木は「日本一美しいまち」になる自然と環境はいまも存在していると私は思っている。


★ その頃一緒に活動していた仲間のうち何人かの方は
 今は市会議員になられていて、昨日もご挨拶だけはさせていただいた。
 物事はやはり本当に「やる気」でやらないと、
 「懇談会」などのレベルではなかなか実現はムツカシイなと思ったりした。

 私のこのブログは、そんな市会議員の方もご覧にはなるのだが、
 果たして、どんな感想をお持ちなのだろう?

 私自身も今は、それを実現しようというようなレベルではないので、
 昨日は「市政懇談会」なるものに1時間半ほどお付き合いをしただけなので、
 若しこれが「実現したり」したら、逆にびっくりしてしまうだろう。

 国政もそうだが、こんな地方の市政も同じように
 従来のあり方を踏襲しているだけで、一種の形だけの時間つぶしで、
 「何かを実現しよう」という意欲が感じられないのである。
 
 そう言う意味では「いい悪い」は別にして、
 私の生まれ故郷の「明石市の市長さん」はなかなかよかったなと思っている。
 物事は「あれくらいの迫力」がないと実現したりはしないものである。

 

 


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私の差別化された人生  雑感  その1・日記

2022-10-16 05:38:20 | 私の生き方、考え方&意見

★ 私の人生の目標は何だったのだろう?
 あまりそれを意識するでもなく89年も生きてしまった。

 敢えて「人生の目標は何だったのか」と考えてみると
 「差別化」だったのかも知れない。
 他人とはちょっと変わった「私らしい生き方」をしたいと思ったのは間違いない。

 そんな「差別化された生き方」はいろいろあったのだが、
 振り返って、それらを想いだして纏めてみたいなと思っている。


★ そんな中の一つに「日記」がある。
 
 何度か書いたが、日記を書きだしたきっかけは
 蒋介石(1887~1975)が30年以上も日記を書いているのはエライ
 朝日新聞に載っていて「日記を書くぐらいなら自分でも出来るだろう
 とその翌日から書き出したのである。

 「蒋介石1917年からおそらく1975年4月5日に死去するまで日記を書いています」 とあったので、
 私が日記を書きだした1953年は丁度36年目だったのである。
 亡くなるまで58年間日記を書き続けられたのだろう。
 
 それが1953年(昭和28年)11月8日の年末に近い時期だったので
 この年はこんな大学ノートで書き出したのである。
 まだ私は大学2回生の頃で、20歳だったから、69年間続いていて、
 それだけで言うと蒋介石の日記より長く続いたことになる。
 

 
 


★ その第1日目に何と書いているのか?

  
 

 ちょっと読みづらいので、写してみることにする。


 平安の昔より十六夜・かげろう・紫式部日記と上の部類では文学として1000年の年代を経て現在に残っている。そのような部類のものにしようとは毛頭考えていないのだが、ただ単なる青春の想い出として、後々には自分の脳裏から消え失せてしまうであろう些細な日々の出来事をまた考え、大げさに言えば思想というものを、つたない筆ではあるが記していこうと思うのである。
 日記というものを記そうと思いたったのは、これが初めてである。そしてその生まれて初めての日記の書き出しが、肺浸潤とかいう病気に悩まされている日々であることは思っても不幸極まりないことである。
 日記とは読んで字のごとく日々の記である。このようなものは少なくとも後に自分の考えなり行動なりを残そうとする意志表示であると言わねばならないだろう。
 健康な時には日記なんて見向きもしなかった代物である。10日間ほど寝たというだけで日記を記そうというような気持ちになるのはどういう意味を持つのだろうか?
 人生50年という短いとされている期間を更に短縮されるかも知れないという人の弱い気持ちから出てくるのであろうか?いや一日の手持ち無沙汰からかも知れない。まあ兎にも角にも悪いことではなさそうである。世に名の聞こえた人も多く記していることではあるが、いつまで続くかが問題である。
 これから先一生続いたら大したものである。2,3日で止まってしまっても又それもよかろう。身分相応に「飽き性」の自分に最適な大学ノートによってその一頁を始めることにする。
 いつまでも続くことを願うや切である。


★一日目はこんな書き出しで始まっている。
 当時は肺浸潤・肺結核は多くてそれで死ぬ人も多かった。
 ここに書いたように、「短い人生」になるかもと思ったのも事実。
 「世に名の聞こえた人」とは蒋介石のことだが、当事肺浸潤になったばかりで、10日間ほど寝込んでいたのである。

 これは2回生の秋のリーグが終った時だったのだが、
 3回生・4回生の時も野球を止めることなく、
 キャプテンを務めたり、卒業は病気をいいことに1年延ばして野球部の監督をするなど、滅茶苦茶勝手な一般の人では考えられない人生を歩いている。

 就職は伯父のツテで川崎航空機に入社したのだが、その時には肺に空洞が出来たりしてたのである。
 そして入社4年目の時に1年間入院したら空洞も消え失せて元気になって、
 戻って来て、その時スタートした「単車事業の営業部配属」となったのである。
 
 この一事を見ても「普通の方」とは「差別化された」生き方である。
 この時始めた日記はお陰様で、今も続いていて蒋介石の日記よりは長くなったようである。

 私の生き方の幾つかを纏めてみたいのだが、
 これは間違いなく「普通の方」とは一寸違った「差別化された生き方」になっているのである。
 先ずはその「第1号は日記」である。



 
 
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「〇〇〇〇〇 雑感日記」 と検索すると

2022-10-03 05:23:37 | 私の生き方、考え方&意見

★今朝の朝日新聞の一面TOPはこんな記事だった。

 検索の「神」祈る企業
 グーグルのアルゴリズム業績を左右
 との見出しで始まっている。

 
 


 読んでみるとGoogleの検索順位の話なのである。
グーグルは、検索結果の表示順などを決める計算手順である「アルゴリズ」の大規模な変更を発表したというのである。
世界のネット検索市場でシェア9割超を持つグーグルは、日本でもほぼ「1強」状態にあって、
そのアルゴリズムは、企業にとって業績が左右されるほどの大きな存在だというのである。
自社サイトの検索順位が下がれば訪問者が減り、売り上げにも影響を及ぼしかねないので、
企業はSEO担当を置いたり、外部のSEO専門家に依頼したりしてグーグル対策を取っているのだとか。
 

★実は私自身も「Googleの検索」には大きな関心を持っている。
 Googleの検索順位を上位に保ってTOPページに現れるようにするには、
 その「発信頻度」や「発信内容」によって「一般ユーザーの反応」を高度に保つ必要がある。
 Googleは「大企業とか個人とかは一切関係なく、非常に公平に」評価をしているように思う。

私自身は毎日欠かさず「雑感日記」というブログをgooブログで発信し、
それをFacebookにも、ツイッターにも転載しているのだが、
その「雑感日記」の評価は非常に高くて、
雑感日記」というブログは世の中にはいっぱいあるのだが、
「雑感日記」と検査すると「私の雑感日記」がTOPに現れるのである。



 長岡京市の中小路市長も雑感日記というブログを書かれているのだが、
 そんな中小路市長の雑感日記よりは、
 定年後の89歳のおじんの雑感日記のほうが、ずっと上位に並ぶのである。


私の雑感日記の評価」が高いのは、
  それを読んでくれる読者の多さと、gooのブログだけではなくて、
 「Facebookやツイッターに転載」するからだと思う。
 一言で言うと「そんな仕組みの勝利」が貢献していて、

  ● gooのブログでは、毎日700人ぐらいの方が訪れ、
  ● 延べ2000人ほどの閲覧数で、gooだけでも結構多いのだが、
  ● FBでは300人、ツイッターでは50万人のトモダチが、
  ● 目を通すことが出来るから

 だと思うが、
 それが毎日休むことなく発信され続けることが「評価されている」のだと思う。


 

 

 


 今年はZ1の50周年記念の年に当たるのだが、
 「Z50周年記念・雑感日記」と検索すると私のブログがずらりと並び、
 「カワサキモータースジャパン」よりも上位に並ぶのは
 その発信頻度や内容が多いからだと思うのである。
 





★ このようにGoogleから高い評価を得ると結構、日常的にも便利で、
 「〇〇〇〇〇 雑感日記」と画像検索すると
  雑感日記に取り上げた画像がまとまって現れるので、
 写真の整理をGoogleがやってくれてるみたいなものである。

 「孫・雑感日記」では、こんな孫たちの写真が並ぶし、



 
 「三木・雑感日記」では、三木のこんないろいろの写真が現れるし、



 

 「カワサキ・雑感日記」と検索すると
 「カワサキ」に関する写真が項目ごとに整理された形で、
  Google が1000枚以上も保存してくれているのである。





 そんなんことだから、
 私は写真の整理など一切せずに、Google さんにお任せなのである。

 ことほど左様に、
 「ネットの世界」はGoogleが非常に公平に、大企業も個人も関係なく、
 「そのネットの世界の活動評価」をしてくれるのである。
 一般にホームページなど企業は立派なものを金を掛けて造られるのだが、
 創るだけでその発信頻度は少ないので、訪問者も少なく、
 Googleの評価も高くならないのだと思う。

情報発信のシステム」を基本的に見直さねばならないのだと思うのだが・・・

 

 
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庭雑感  その19    草とごみ    

2022-09-30 05:36:23 | 私の生き方、考え方&意見

★ 小さな庭だが、毎日特にすることのない身にとっては、
  「庭仕事」は貴重な作業である。

  時間つぶしにもなるし「綺麗になる」という効果もある。
  その一つとして、今年になって続けている「草抜き」だが、
  「庭に草がなくなった」と言えば極端過ぎるので、
  「庭には大きな草はなくなった」と言っておこう。

 まずはこんな区画ごとに、草を抜いていくことから始めたのだが、
 そんな区画をどんどん広げていったら、
 9月末現在はこんな区画の中には「草は1本も生えていない」し、
 庭全体でも大きな草など生えていない。


 



★ 今は実は「草抜き」ではなくて、区画ごとに「ごみ拾い」をしている。
 ごみを拾うのは、草よりは数段ムツカシイ。

 ご覧のように、草は生えていなくても、
 「小さなごみ」はいっぱいなのである。
 いま、そのごみを拾い始めているのである。


  
 

  小さなごみがいっぱいなのが、お判り頂けると思う。
  


 


 これも「庭全体」はとてもムツカシイので
 こんな「小さな区画」から始めだしたところである。


 拾ったつもりでも、写真に撮ってみると、まだいっぱい残っているが、

 


  

 
 時間をかけて拾っていくと、
 このレベルにはなって、肉眼で見る限りは「きわめて綺麗」なのである。






★ 「つまらぬことを」とお思いだと思うが、
 やってる本人は励みにもなり「結構満足感」を持っている。

 現役時代からずっと「目標をもって」人生を過ごしてきたのだが、
 この歳になると「こんな目標」ぐらいしか見つからないのである。

 別に金が掛るわけでもないし、
 自分自身が満足するには「いい目標」だと思っている。
 そのうちに、ほんとに庭にごみが落ちていない状態になったら、
 ご報告したいと思っているのだが、
 果たして、そんな日は来るのだろうか?


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