雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

鈴鹿50周年と当時のカワサキ(第1回)

2012-06-15 06:09:10 | NPO The Good Times

★鈴鹿サーキット50周年という。

カワサキZ1発売40周年である。

そして今月、NPO The Good Times のプロジェクトとして『二輪文化を伝える会』がスタートした。

で出しから、非常に好評である。既に100近い『いいね』を頂いている。

 

   

これは東京の村島邦彦さんや、松島裕さんが、レースを中心に『二輪文化』を語り継いでいこうというプロジェクトである。

たまたま、カワサキの創成期のレース環境についてもよく解っている。

 

資料を纏めておられる松島裕さんのために創成期のカワサキの特にレース関連を記述してみたい。

1966年までレースを担当したが1965年までは時系列にあったことを中心に、最後の1年はこの時期の纏めも兼ねて、2回に分けて記述してみます。

今年の10月、『二輪文化を伝える会』の第1回講師は山本隆君に決めているようなので、足らぬところは彼が補ってくれるでしょう。

日記から辿っているので日時などは間違いありません。

 

ご関心のある方はお付き合いください。

 

 

1961(昭和36年)

 この年から、明石でのカワサキの二輪車の一貫生産が始まった。車種はB-7。

私はこの年の12月に新設された発動機事業部営業部の単車係に異動、出来たばかりの新職制であった。

この時期の営業はカワサキ自販という別会社で担当されていて、レースなどやったとしても販社ベースのレースであったはずである。

フィリッピンの小野田中尉の弟さん、小野田滋郎さんなどが、三橋実などに接近していたはずである。厚木のカワサキコンバットはこのあたりから生まれたもので、川崎航空機にその後引き継がれた。

 

1962(昭和37年)

この年までは、単車事業は非常に不安定であった。B-7はクレーム発生でこの年1月度の出荷台数を上回る返品があって、生産台数がマイナスになったりした。

3月に発動機と分離され単車部業務課となったと思ったら4月15日には発動機事業部第2営業部単車営業課になったりした。

この年の8月に125ccB-8の発売準備に入っている。まだレースなどの雰囲気はそのカケラもなかったのである。

 

●この年の9月20日に鈴鹿サーキットがオープンしているのである。

●10月4日、スタートしたばかりの鈴鹿サーキットに私は行っている。

これは協同広告がサーキットに広告を出さないかという話があり、そのための現地調査だったのである。

阪東調帯の方と一緒に、大阪駅10時半に車でスタート、勿論地道、栗東経由で鈴鹿着13時。

まだメインスタンドも土だったと思う。建設途中だという認識であった。コースは勿論出来ていて、レーサーが130キロで走っていて、そのノイズに驚いたのをよく覚えている。

●  この年の11月に第1回全日本ロードレース大会が 鈴鹿サーキットで行われている。

●これは、推測だが、

この11月のレースをカワサキの単車工場の人たちがバスを仕立てて観戦した。多分仕掛け人は兵庫メグロの西海社長だと思う。単車工場の中村治道さんや高橋鉄郎さんなどが行かれたのだろう。このレースを見て、カワサキのレース熱は一気に工場を中心に燃え上がった。高橋鉄郎さんはこの話をしょっちゅうされるのである。

昨年の『カワサキの想い出そして未来』の時のご挨拶もこの話から始まった。

 

 

1963(昭和38年)

この年の1月に、発動機事業部営業部管理課が出来て発動機と単車の全体の管理担当になった。

●そして5月19日に

兵庫県青野ケ原でのモトクロスのレースが行われその結果は1位から6位まで独占 という考えられない結果となったのである。

このレースが川崎航空機が行った初めてのレース活動であった。

 

このレースに使われた車はB-8、会社が予算をとって承認したレースではなかったので、多分マシンも工場が何とか捻出したのだろう。

兵庫メグロから川崎航空機の工場に入られた松尾勇さん独りで造り上げたはずである。その松尾さんは西海社長がカワサキでレースをやるために送り込んだのだと思う。

それを受けてマシンを造りチーム編成をしたのは、中村、高橋さんらを中心とする工場の熱心なメンバー達だったのである。

マシン制作も時間外にボランテイァでやられていた。こんな動きがあることは、社内でも当然噂になって、当時の勤労部長や企画部長はどちらかと言うと『苦々しく』思っていたことは間違いない。ただ技術部の山田さんや営業の小野さんのように陰で支援された方が居たのも事実である

全然予算もなくて、私の上司の故小野助治さんが営業の予算を管理していた私に『ちょっとパン代でも出してやれ』と言われて、幾らかのお金を調達したのである。そしてチームの面倒を私と一緒の職場にいた故川合寿一さんが野球部のマネージャーの経験を生かしてみることになったのである。

当日はレース場にも行っていないし、みんな聞いた話である。

マシンはB-8に市販車改造、ライダ―は全て社内のテストライダーや、バイク好きな社員。この大会には鈴木、ヤマハの契約ライダーも、のちカワサキの契約ライダーになる山本隆君たちも、みんな出場していたのだが、結果はカワサキが1位から6位まで独占の完全優勝を飾ったのである。

 

この完全優勝は、当日雨が降って水たまりがいっぱい、他メーカーの早いマシンやライダーたちはみんな水を被って止まってしまったようである。防水対策を万全にしたカワサキだけが走りきった結果のようである。これら防災対策などは工場関係の技術者が多く参加していた賜物かも知れない。

このあたりのことは山本隆君が非常に詳しく彼一流の話術で話しますので、松島さん60おじさんにお聞きください。

 

 

 当時の懐かしいメンバー達である。

 

 

 

●この青野ケ原を機会に、単車事業の様相が一転したのは事実である。

●この年の後半から、ライダー契約も始まって、関東には厚木に三橋実がカワサキコンバットと言うクラブを立ち上げ、梅津次郎、岡部能夫などのライダーを集めたし、関西では神戸木の実クラブの歳森康師、山本隆などと契約することになるのである。

それらは川合寿一さんがそのまま引き続いてマネージャー役を果たしていた。カワサキコンバットの契約はカワサキ自販の方で担当していたはずである。川崎航空機には予算など殆どなかったのである。そしてチームは営業の要請を受けて地方回りばかりやっていて、連戦連勝だったのである。何も分からぬ私などはホントに強いのだと思っていた。

 

1964(昭和39年)

前年度、カワサキの単車事業をどうすべきか、日本能率協会の調査チームが入っていて、その調査結果に青野ケ原のレースは大きく影響しているのである。

調査レポートは、『現場は意気まだ盛んである。事業として継続すべし。その条件の一つとして広告宣伝課を創ること』が上げられたのである。

そして昭和39年1月より新たに発動機から分離し、単車事業部が発足して、新しく出来た広告宣伝課を担当することになったのである。

その予算は年間1億2000万円、当時の私の年俸が40万円ほどだったからべらぼうな金額で、これは川崎航空機の開発費として本社予算で計上されたのである。

この開発費が本社が計上してくれた3年間、私は広告宣伝課を担当し、使いきれないほど裕福な予算を持って、その管轄の中にレースも入れて統括することなったのである。当時明石工場の誰よりも大きな予算を持っているのは、まだ係長にもなっていない私だったのである。

 

●この年の春、MFJの第1回日本グランプリが相馬が原で開催されている。地方回りでアレだけ連戦連勝であったカワサキも他メーカーのファクトリー相手では全然歯が立たず6位にも入れぬ惨敗に終わった。

●それでも、以降マシン開発も、ライダー契約もカワサキコンバットへの支援も、膨大な予算の中から充てて、カワサキコンバットには月20万円のライダー養成費を渡たし、全国の有望ライダを集めて強化していったのである。その中にいたのが星野一義であり今星野インパルを経営担当している金子豊もその中の一人なのである。

安良岡健がカワサキコンバットに参加したのもこの年からである。資金は豊富だったから日本のトップラ―ダ―を全部契約したら勝てるなどと思ったりした。

●春のMCFAJの朝霧では、山本隆がオープンクラスで初めて優勝を飾った。カワサキの全日本クラスでの初優勝である。

●この年、90ccJ1が世に出て、そのレースマシンが9月13日の山梨モトクロスにデビューした。この時初めて私はレースチームのマネージメントを現地で担当した。当時のレーシングチームは技術部ではなくて松尾勇さんがリーダーの製造部のモトクロス」職場がマシンを担当、レースの指揮は三橋実。技術部はエンジン供給だけ、運営費は全て広告宣伝費で私が担当していたのである。

初めての現場は技術オンチの古谷では頼りないと、高橋鉄郎さんが当時工場にいた田崎雅元さんをつけてくれて、一緒に甲府へ行ったのである。今でも田崎さんと仲がいいのはそんな時代のレース仲間だからである。

このころには結構カワサキのレーシングチームも力をつけていて、優勝するのもおかしくないまでにはなっていた。

●そして10月10日、東京オリンピックの開会式の当日、

伊豆丸の山高原で行われたMCFAJのモトクロスには4種目中3種目を制して、日本選手権は山本隆が久保、荒井を抑えて獲得したのである。これがカワサキのレースを確固たるものにしたと言えるであろう。

●モトクロスをより一般的なスポーツにすべく、毎日広告を通じてスポニチ主催のモトクロス開催を仕掛けていたのである。

当時地方の草レースでの連戦連勝の結果を各新聞に送っていたので各紙にその結果は小さくではあったが、報道され続けていた。そなことをしていたのはカワサキだけだが、広告宣伝課自体がレース担当していたのと、各紙は膨大な予算を持っているカワサキを無視出来なかったのである。電通、博報堂、大広などの広告代理店もみんな出先ではなくて本社企画の担当だったのである。

この第1回大会が和歌山紀の川で、11月8日に行われた。この日の朝の練習で岡部能夫が荒井市次と接触して指を怪我してしまったのである。MFJもMCFAJも関係ない、スポニチ主催のモトクロスだったので、

岡部の代わりに、岡部の名前で出場したのが、カワサキコンバットの運転手で来ていた星野一義なのである。そんなことで出場した星野だが、何周もしないうちに転倒、脳しんとうで救急車で病院行きになってしまったのである。

当時は名もない新人だから誰も気に懸けていなかったのだが、昼から戻ってきて、オープンに走らせてくれと言うのである。そのオープンで6位ぐらいに入ったのが、星野一義のデビュー戦なのである。それがきっかけで星野はその後のレースも走るようになったのである。

星野が初めてレース場を走った日  雑感日記参照

 

1965年(昭和40年)

●この年の2月13日、突如山本隆、歳森康師の二人から辞表が出て、BSに移籍するというのである。これまではライダー契約は川合寿一さんが担当していて、私はヨコから見ていたのだが、この事件のために神戸木の実の御大片山義美さんと話をすることになったのである。いろんな話が出たのだが、カワサキのライダー管理がもう一つだというのである。片山義美の言うことも一理あって、結局『じゃ私がやりましょう』とレースライダーの契約など直接担当することになるのである。

この話は、西海さんと片山から、山本、歳森にカワサキに留まるよう言い渡されて無事解決したのである。

●そして3月にあった名古屋東山の第2回MFJ 全日本では星野、歳森がもう一歩のところで優勝を逸したがまずまずの成績、4月朝霧のMCFAJの全日本はアマチュアクラスで星野が優勝を飾っている。前年度11月のレースデビューなのだがそれなりの素質があったのだと思う。MFJのレースもぶっちぎりだったのだが最後の1周でパンクでリタイアだったのである。

●5月の鈴鹿で行われたジュニアロードレース、このレースに山本隆がどうしても出たいという。

会社ではロードレースへの出場はまだ認められてはいなかったのだが、松尾勇さんにマシンは造れるかと聞いたらYesと言う返事なので、鈴鹿モトクロスに行くということで出場を決めたのである。山本独りでは心もとないので、北陸の塩本と言うロードをやっているライダーと2台のマシンを都合してくれたのは工場にいた田崎雅元さんなのである。

5月3日、当時の鈴鹿は雨になった。全体のタイムが落ちて滑り易くなって、モトクロスライダーの山本隆には有利に働いた。

ホンダの神谷忠さん、もう一人のホンダに続いて、カワサキの山本隆が3位で表彰台に上ったのである。

会社への報告はホンダに続いてカワサキだったということで一気にロ-ドレース熱も燃え上がり、翌月6月のアマチュア6H耐久には3台のマシンを用意することになったのである。

カワサキが初めて鈴鹿を走ったライダーは、モトクロスライダーの山本隆だったのである。

カワサキが初めて鈴鹿を走った日  雑感日記  参照

 

●この6月13日の鈴鹿6H耐久がカワサキの正規のロードレース参戦で、この時初めてレースチームに監督が誕生したのである。

それまではカワサキコンバットの三橋実と松尾勇さんで現場は仕切っていたのだが、このレース監督が大槻幸雄さん、のちZ1開発を担当された大槻さんである。そして助監督が田崎雅元さん。豪華メンバーだが当時は単なる元気のいい若手であった。私はレース運営のお金とライダー関係を担当していた。

車は3台、1台はテストライダーチームもう1台はカワサキコンバット、そしてもう1台は神戸木の実の歳森康師なのだが、山本がジュニアの資格になっていて、『早いのが居るから連れてきてもいいか』と歳森が言うのである。

そして連れてきたのが金谷秀夫であった。契約など一切なしで乗った金谷だが、タイムは金谷が一番早かった。

星野も金谷もカワサキのデビュー戦は、誠に『いい加減な』スタートなのである。『いい加減』なのは私の特技みたいなものだから、これでいけたのである。

 

●7月にはBSが日本GPに出場するとか言う話もあって、カワサキのロードレース熱も一挙にヒートアップしていくのである。

ところが7月にはレースチームの大槻さんはドイツへ留学、田崎さんはアメリカへの異動が決まって、8月にはお二人の送別会をやっている。

そして私は、MFJの運営委員会の委員に出席することにもなったのである。ホンダ、ヤマハ、スズキはみんなパリパリのエライさんなのにカワサキはまだ係長にもなっていない私が委員なのだが、残念ながらカワサキにはまだレースなど分かる人はほかにいなかったのである。

●7月31日には鈴鹿24H耐久レースが開催された。

MFJの運営委員もしていた関係で現場にいた。夕方の5時スタートだった。初めての本格的な耐久レースでもあり、出場車両は数台のヤマハ以外は全てホンダであった。確か24時間で走る距離は香港ぐらいまで行けるとか言ってたと思う。いろんなことがあって24H耐久レースはこの1回だけで終わってしまったはずである。

●9月には日本GPの出場も決り10月のGPには安良岡健がエントリーはしたのだが、結局予選2周でリタイヤしてしまったのである。

 

★鈴鹿サーキット関係の二輪レースはこの年で一段落して、翌年はFISCOでの開催が計画されるのである。

この年までの3年間が、鈴鹿サーキットについても、カワサキのレース展開も全くの黎明期と言えるのだろう。

モトクロスなどではまだまだMCFAJが主力で、クラブチームがメインの展開であった。

むしろメーカーが直接力を入れて主導権を持った運営をしていたのはカワサキだったのかも知れない。

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日常生活の中のネットのニュース

2012-06-14 05:24:28 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★毎日の生活の中でパソコンの前に坐っている時間が一番長くなっている。

10時間ぐらいはパソコンに向かっているのではなかろうか。

一体何をしているのか。

ちゃんと分析したことはないが、大体以下のようなことではなかろうか。

 

◎ ブログをアップするなど情報発信           3時間

● 定期的な情報収集                    2時間

● Facebook 関連                     2時間

●  囲碁を打ってるか、検索などで遊んでいる     2時間

● その他、パソコンの前に坐っている          1時間

ブログは毎日欠かさず2つをアップしているが、このgooは必ず、前の日に完成させておいて、朝起きたら発信するだけである。exciteは、朝起きていろんな情報などチェックして、思いついたことを書いている。

それらを中心にツイッターとfacebook で情報発信すると3時間以上は掛っているのだと思う。これは最低やっているゴルフに行ったり、遊びに行ったりするときはカメラ持参で半ば情報発信のネタ探しみたいなものである。

帰って出かけている時の方が、情報発信はやり易いような気もする。

 

★昨日のように、終日家にいて予定がないと逆に情報発信のネタを探さねばならない。

ネタに困ったときによくお世話になるのがGIGAZINEである。 先日は『飛田新地』をアップしたら1000近いアクセスがあって、その後もコンスタントにアクセスに繋がっている。

今回は『若い人の方が恐ろしく簡単なパスワードを使う傾向がある』 である。

 

 

簡単なベスト500が表示されていた。

確かに、これは簡単である。

私のパスワードは確かに、そんなに簡単ではナイ。自分で作ったわけではなくて、パソコンを買ったときにセッテングに来てくれた人が作ってくれたものをそのまま使っている。

8桁でなかなかややこしいのだが、今でもそのまま使っている。

 

いろいろ調べていると Password Generator などと言うのもあってオモシロイ。

ここに出てくるパスワードは結構難しいのだが、

8桁までは『弱』と表示される

難しいパスワードとは、最低9桁なければダメなのである。

こんなことをして遊んでいるのでどんどん時間は経ってしまうのである。

 

 ★今、ツイッターのフォロワーの数は、23万人になっている

これを維持するのも結構時間は掛る。放っておくと毎日200人近くかってに減ってしまう。維持するためには少なくとも200人ほどを増やさねばならない。

そのためには毎日結構な数のフォローを続けなければならないのである。

今でも惰性になっていて、毎日500人以上はフォローするので、傾向としては増え続けているのである。

20万人になったら維持するだけにしようと思っていたが、23万人まで来た。多分25万人までは行くだろう。そうなればまた上を目指すのである。

こんなのは、別にMUSTでも、WANTでもないのだが、性分なのだろう。

これも1時間ぐらいは掛っている。

 

★昨日のニュースの中で、野田政権の原発情報『隠蔽』で遠のく東京五輪 と言うのがあった。

どうせダメだろうと思っていた『五輪招聘』だが、一次審査が通ったとなると、

もう一度日本で五輪があってもいいような気がする。

かっての東京5輪がどうだったのかは、よく覚えてはいないが、あの頃の日本は一途に発展でよかったと思う。

 

石原慎太郎の『太陽の季節』からは少しあとだが、裕次郎全盛期だったと思う。

最近の石原慎太郎は至って元気だが、私の一つ上、裕次郎は一つ下である。

どうなるかは解らぬが、ここまできたら、みんな応援すべきかなと思っている。

 

 

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本来の目的は何なのか?

2012-06-13 05:56:03 | 発想$感想

★ 最近、私のパソコンには三木市のFMみっきぃ のラジオ放送がBGMのようにずっと流れている。

昨日は、たまたま三木市議会で議会の様子がラジオで流れていた。

 

聞くでもなく聞いていたが、

市議会と言うのは何のためにあるのだろう?

と言うのが聞いていての感想である。

ただ、淡々と議長の司会?で一つ一つこなされている。

まだ、国会の予算委員会の質疑の方がましである。

規模も人の質も小粒だがやることだけは、国会より仰々しいのである。

 

市議会に傍聴に行ったことも何度かはあるのだが、

その時もこんな議会など、別にあってもなくても一緒だなと思ったが、ラジオで聞いていると余計にその感を深くするのである。

 

★たまたま、質問者は板東聖悟さんであった。

共産党だが、彼はバイクにも乗るし、粟生線の未来を考える市民の会でも一緒だし、よく知っている。

別に、私自身は共産党の支持者ではないのだが、板東さんについてはその人柄も解っているし、質問の意図もよく解るのである。

元来、めちゃ真面目な方である。

 

彼のブログに、今回の質問内容が記されていて、その質問項目を順次質問し、市当局がそれに答えていたのである。

順次質問して、1時間も掛ったのだろうか、

終わってみて、これで一体何があったのか? 行政の進め方などに何か役にやったことが一つでもあったのだろうか?

 

質問する方も答える方も、『これで無事終わった』と言うことだけではないだろうか。

板東さんの考え方は解ったが、三木市当局は何を考えているのかサッパリわからぬ答弁だった。

この議会があってもなかっても、行政が進める仕事など何一つ変わらないのではなかろうか。

と言うことは、やっても、やらなくても全く同じなのである

 

板東さんの方は、まだ三木市の住民たちへの協働の姿勢などを追求はしていたが、答える方には全くその意思はなくて、単にその場を繕って時間が過ぎればいいという感じがありありなのである。

なぜ、こんなことになってしまうのだろうか?

質問の個数も多すぎるような気もする。こんなことなら一つのテーマに絞って徹底的にやるとかしたらどうなんだろう。

いずれにしても、何のために議会があり、何のためにこんな時間を掛けてやっているのか、それこそ『前例を踏襲』しているだけのようなものである。

 

★大阪など、都と市を一つにしようなどと乱暴なことをやっているのだから、

議会のやり方なども少しは変えていけばいいのである。

もっと原点に戻って、市の行政は一体何をやるのか、市会議員は何のために要るのか?

今のような、議会や議員ならなくても、市民の生活など変わったりはしないような気がする。

 

毎年、繰り返して行われる、イベントや行事ごとなども3年ぐらい経ったら一度1年休むぐらいでちょうどいい。

そんなもの、大概がなくても大丈夫なのである。

 

三木鉄道のように年間6000万円の出費が惜しいと止めてしまったら、

ハコものなどに10億円も使って、さらに毎年8800万円の費用が要るようになったとか。

これは大西ひでき さんのブログにそんなこと書いていた

なぜこんなことが許されるのだろうか?

 

ブログで書かれるのもいいけれど、なぜ議会でそれが徹底的に追及できないのか。

こんなのは、間違いなく薮本さん一人の判断でこうなってしまったのだから、市長辞職ものなのだろうが、

その形としては、多分、当時の議会でもそれはなあなあにして、廃線を認めてしまったに違いないのである。

 

市長も市会議員も、市議会も、  本来の目的はこんなことではなかったはずである。

三木市だけではないのかも知れぬが。

 

chiki2913

三木市議会もアホな連中がのさばっている。教育長もアホ。市長がアホやからどないもなりまへん。三木市歴史・美術の杜構想で三木市が活性化するなんてどんな妄想やねん。そんなことに10億も使って、おまけに図書館もみみっちい新築移転でごまかして。今日の市議会中継聞いてまた腹が立ってきたよ。

 

こんなツイッターも見つけた。

 

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AKB48

2012-06-12 05:18:10 | NPO The Good Times

★『AKB48』よく解っているわけではナイ。

先日、『何か世の中を騒がした女の子のグループである』 ぐらいのことは知っていた。

 

勿論、ほかにももっと肯定する応援メッセージのツイートもいっぱいあったに違いないが、

AKB選挙。これ程くだらないものは無い。投票する為に大枚を叩きCDを大量購入。そして大量廃棄。CDは音楽を愛する者が購入するのだ。選挙ならファンクラブで、一人一票ですれば良い。金で買った一位! 拝金主義。 情けない中年男の多い事。それをマスコミが騒ぐ。この国は大丈夫?

こんなツイートがあったことも事実である。

どちらかと言えば、この意見に肯定的ではあるが、

今日、このブログで取り上げようと思ったのは、

Yahooニュース でのこんな意見結果を見たからなのである

 

「AKB48」の当選メンバー、あなたは何人の顔と名前が一致しますか?

という質問に対して、『0人』と答えた人が20%もいて、何だか一安心したからである。

 

★私と同じ部類の方が20%もいるが、逆に言うと80%は1人ぐらいは顔も名前も一致するのである。

やはり、全然知らないではダメかな?と以下はいろいろ調べてみた結果だが、読んだり見たりしただけでは、全然記憶に残らないので、

せめてブログにアップしたら幾らかでも、アタマの片隅に残るかも知れないと思ったからである。

 

 

 

これがトップ当選グループのようだが、みんな同じ顔に見えてしまったりする。

 

これがトップ当選の大島優子さんで、10万票以上を獲得している。

 

★顔と名前はアタマに残る自信がないので、いろんなサイトに書いてあった文字の情報。

このブログをお読みの諸氏は、どのくらいご存じなのだろうか?

知らなかったのは、私だけなのだろうか?

 

● AKB48 スタートしたのは、2005年なのである。

● AKB とは  AKIHABARA   秋葉原プロジェクト  と言うことらしい。

● 1軍24人、2軍24人で50名ぐらい、あまり48に意味はナイ。

● 48と言う数字が好きな人がいたとか、  人気作詞者 秋元康 聞いたような気もするがよく解らない。

● 『全国握手会』というイベントもある。

● トップが手の届かぬところで決まるのはNOということで、『ファンによる人気投票』が始まった。

などなどなのである。

 

★AKB 48 と画像検索したら、いっぱい写真が並んだ。 そんな中から2枚を・・

 

 

★こんなブログアップしたら、今度『AKB 48』 と検索したら、

何ページめぐらいに現れるのか?

そんなことをマーケッテングして見たいな という遊び心からでも、こんな事で時間を潰しているのである。

 

忘れていた

『全員の顔と名前が一致する』 と答えられた人が4%もいたのは、驚きであった。

 

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二輪の世界への想い

2012-06-11 05:11:00 | 私の生き方、考え方&意見

 ★昭和35年末(1960)、 『昭和』でしか年号など言わなかった、西暦で年号を語る人など皆無だったころ、

川崎航空機の発動機営業部の単車係に配属になった。

係長が故壱岐さん、営業担当は私と木村くん、それに女子の藤田さん(ご存じの方も多い藤田孝明くんの妹さん)、それにサービスの吉田、福寿、福田君、課長は北沢さん、次長は故小野助治さん。  技術関係と生産工場関係以外はたったこれだけの陣容であった。このほかに井関のモペット担当で足立くんが居た。

このメンバーの中で、その後ずっとカワサキの単車に関係したのは、小野助治さんと私と福田君の3人だけなのである。

 

単車の職制が出来たのが直前で、小野助治さんが私の1週間前に着任、私は小野助さんに引っ張られた形で、単車に異動したのである。そんな創成期の全く何もない時代からの単車担当なのである。

信じられないかも知れないが、データ―が全然なくて、当時まだ小自工と呼ばれていた小型自動車工業会に提出する二輪の生産台数もまだちゃんとしたものがなくて、大体の数字を報告したのである。ちゃんとした数字が出だしたのは、少なくとも私が担当してからである。報告した本人が言うのだから間違いないそんないい加減な時代であった。

125ccの単車には、まだ物品税が掛けられていて、これは工場の門を出た時点で申告することになっていたのだが、工場内に事務所のあったかってのカワサキ自販に売り上げた時点で掛けてしまっていて、国税局にこっぴどく怒られて、修正などさせられていたのである。

誰もが単車事業などの経験もなく、書類もダメ、管理もダメのそんな時代だったのである。入社4年目だった。

 

★それから約40年弱、二輪一筋の現役時代であった。

管理ー広告宣伝ーレースー代理店営業ー直営部ー直販会社ー企画―市場開発室ーカワ販常務までが、メーカーの職位で言えば課長時代までだが、レース担当以降はずっと経営担当と言う普通では考えられない職責で、その後も含めてサラリーマン生活の殆どを規模の大小はあったが『事業経営』ばかりを担当していたのである。

そんな経歴も影響して、『二輪事業はどうあるべきか?』とずっと考えながら育ってきた。

とエラそうなことを言ってはいるが、この40年間の半分ほどは『赤字経営』苦しい経営の連続だったのである。

カワサキ自体が二輪事業は初めての体験で、会社の先輩たちはみんな全く未経験の分野だったので、みんな手探り状態であったから、その経営もなかなか上手くは行かなかったのである。

そんな状況だったから、上の人に教わることは殆どなくて、私の先生は『ホンダさん』やヤマハや鈴木の人たちや地方の代理店の社長さんがただったし、『本田宗一郎』が社長だと思っていた。外人契約の最初、デグナ―との契約の仕方も教えてもらう人がおらずに、ホンダの前川さんに鈴鹿まで出向いて教えて頂いたのである。

そんなことで、私は『ホンダファン』でもある。  その後、企画室長時代に乗っていた車はホンダアコードで、いろいろと社内で言われたりしたが、同じ車なら同業のホンダを買うべきだと思っていた。

競争相手のライバルではあるが、大して大きくもない『二輪業界』そのものの発展をまず考えるべきだと思っていた。

 

末端消費者を対象とする業界は、ホンダ、ヤマハに勝つよりも、『音響業界』やその他『若者が魅力を感じる』業界との勝負だとホントにそう思っていたのである。

みんな趣味の世界だから、一端そこに入ってしまうとその中で金を使ってしまうのである。

『二輪業界の中に』囲っておけば、仮に1台目は鈴木でも、2台目はカワサキに来る可能性があると思っていた。

 

★そんなことだから、ホンダ、スズキ、ヤマハの方と私は結構仲良く付き合った。ひょっとするとカワサキの人よりは仲がいいのかも知れない。

現役の後半時代には、ホンダの青山でホンダの企画の人たちと何度もいろんなことを検討したりしている。

国内はゼファーのころは「一強三弱」などとホンダさんに言われたりしたのだが、この業界はホンダが引っ張らないとダメだと本当にそう信じていたのである。

 

そしてこの業界のユーザーは独特なのである。

同じ耐久消費財でも、テレビや冷蔵庫とも全く違うし、四輪と比べても、全然その質は違っている。

『二輪ユーザー独特のもの』を持っているし、公道も走るが、スポーツ性も高いし、レースもいろいろある遊びや趣味の世界なのである。

そんな独特の世界なのに、昨今メーカーはそれを忘れてしまっているように思えてならないのである。

単に『新車を売る』ことばかりに熱中し過ぎているように思う。

 

★もう一度、『本田宗一郎』さんがやられたことを思い出して欲しいのである。

間違いなく末端のユーザーに対する意識、愛情などが感じられる施策の連続であった。

当時50ccカブ全盛の時代に、何の関係もない世界のレースにエントリーし、鈴鹿サーキットを創り、二輪の安全運転に懸けた情熱はトヨタと比べても、ダントツにホンダである。

今年は鈴鹿サーキット50周年である。

そんな時代から、二輪業界だけは日本の『護送船団方式』の枠の外で育ったのである。海外進出もお国の援助は一切受けていない。単なる商社に世話になった輸出ではなく海外での事業展開であった。世界の市場の90%のシェアを席巻した時代も、一切の業界談合などはなく一途に『競争』あるのみだったのである。

 

そんな独特のユーザーや、二輪のレースファンなどの一般の人たちを頂点とした、そんな日本では珍しい組織を創ってはと、

現役の終りの頃、ホンダさんなどといろいろ検討して出来た組織がNMCAなのだが、いまはその理念はそのホームページにはとどめてはいるが、

その運営の実態は『メーカー―業界ー販売店ーユーザー』とほかの日本の業界団体と殆ど同じ運営になってしまっている。

 

 

        

 

★昨日、Facebook の中にこんなページが立ち上がった。

『二輪文化を伝える会』  東京の村島邦彦さんと松島裕さんなどで立ちあげたのである。

このページに『いいね』はなかなか集まらないのが、普通なのだが、たった1日で『いいね』は60を超えた。

 

『いいね』を頂いた方 はこんな方である。(FBをおやりでない方はご覧になれないかも知れぬが)

 

 

この写真、さて、ここはどこでしょう?

との質問に、ちゃんと答えた人もいる

 

    関川 悟
   多摩川沿いの元サーキット跡地ですね。
  • 松島 裕 関川さん、正解。
    日本初の常設サーキットと言われる「多摩川スピードウェイ」のグランドスタンド跡です
    昭和11年頃に完成、昭和25年頃まで使われていた、らしい。その後しばらくは勝手に走れてたようです。
  • 関川 悟 タイヤショップウルフの北野元さんや高橋国光さんがライダーとして走られていた時代ではないでしょうか!

これらを支えているFacebookの

『二輪文化を語る会』のメンバーは250人を超えた

毎日新しいメンバーが加わる。

カワサキのZの開発責任者大槻幸雄さんも、そのエンジン開発の稲村暁一さんも参加された。

Facebook に参加して、参加希望されたら、どなたでも参加OKなのである。二輪界の錚々たるメンバーが集まっている。

 

まだ、スタートしたばかりだが、何となく楽しい雰囲気は感じられる。

何とか、『新しい二輪文化の創造』みたいなものが、末端のユーザーの手で、実現できないものかと想っている今日この頃なのである。

 

 

★丸山浩さんや雷神マッハさん、ホンダの渡辺信義さんなど関東の仲間たちが集まって、

筑波サーキットで、昨日こんなイベントが行われた。

「グレートヒーローズ同窓会」葵月の陣

こちらは、『二輪文化を伝える会』松島裕さんのレポートです。

 テイスト・オブ・ツクバにて。(左から)元チームグリーン監督平井さん、(丸山さん)、Hondaマン島ライダー谷口さん、元鈴鹿RSC野口さん、NS500開発エンジニア渡辺さん、RC30開発&元HRC監督本多さん。
こんな豪華な面々から濃いお話をお聞きできて、なんかすご~く得した気分でした!

 

 そしてこちらは、平井さんのブログの速報です。

 左から、丸山浩さん、平井稔男さん、かってカワサキでも走った谷口尚巳さん。

岩城 滉一 さんと  いいね。

末端の動きは、結構活発なのである。

こんなニュースが直ぐ流れる『仕組み』  どんどん実現しつつある。

 

 

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79才、 70代最後の半年は・・・

2012-06-10 05:28:49 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ついこの間、正月だったのにもう6月、梅雨入りだとか。

どんどん月日が流れる。

こんなに早く歳月が流れるのは79歳としては、残り少ない人生だから、いささか困るのである。

 

それなのに、最近はなぜかいろいろと忙しい。

いろんな予定みたいなのが、飛び込んでくるのである。

私の場合、どうしようかな?と迷った場合は、殆どの場合GOである。

6月はあと20日。 先日『笑って遊ぼうミキランド』の打ちあげ会が終わって、これで一段落かと思っていたら、

●6月17日には、腰山峰子さんから

『パウダーパフ、レーシング』 鈴鹿4耐出場 壮行会のご案内 を頂いている。

川原みちよ、中原優香 と言う女性ペアでの4耐参戦なのである。その監督をミネコさんがするらしい。

ミネコ育ての親?の平井さんとともに、ご案内を頂いている。  和田将宏、塚本昭一くんらも顔を見せるようなので、参加してみるかと思っている。

 

●昨日は、東京の『二輪文化を伝える会』が先日、NPO The Good Times のプロジェクト承認が出て、Facebook ページもスタートした。

 

 

 

二輪の文化を伝えようと、使われた写真はブリジストンの懐かしいマシンである。

 

FBページの『いいね』の獲得はなかなか難しいのだが、ちょっと仕掛けたら1日で、40もの『いいね』を頂いた。

1人前と認定される30は、めでたく1日で突破なのである。

https://www.facebook.com/2rin.tsutaeru  めでたく短いこんなURLが取得出来ている。

 

      

 

今月から、いろいろと活動開始だが、

第1回の会合には、カワサキファクトリーの3年連続モトクロスチャンピオンの山本隆君でスタートしたいと思っているようである。 今日は多分淡路でトライアルに出場中のご本人は、まだそのことは伝わってはいないだろう。  そんなホッとニュースなのである。

 

●6月24日のNPO の理事会にはこの動きを受けて

『二輪文化を語る会』を全国の各地での二輪の活動を総合して支援する組織昨日として立ち上げる案が上程される予定で進行中である。

日本におけるいろんな組織は、みんなピラミッド型が通常だが、このNPO The Good Times が施行するのは、あくまでも一般ユーザーや、二輪に関心のある人たちをその頂点にして、

それを大きな仕組みとして支える、逆三角形のイメージのものを夢見ている。

先日の三木総合防災公園で行われた『笑って遊ぼうミキランド』も3500人の人たちを集めた大成功のイベントだったが、

30万円の収入で実行出て、さらにその中から15万円を東日本大震災の救済に支援金として贈ったりしたのである。

 

今までと、発想を変えて、新しいみんなの力を『新しい仕組み』支えたら、こんあ大きなことも出来るのである。

 

★7月以降も、いろんなオモシロイ話がいっぱいである。

● 7月1日、東京で『酒井文人&クラブマンレースを語る会』 が大久保力さんや石井昭博さんらfが発起人で開催される。

元本田技研社長の河島喜好さんなども浅間火山レ―スやマン島TTレースの責任者と言うので招かれているようだが、カワサキにはMCFAJのレースに関係した私と平井さん、ライダ―は山本、歳森、金谷、安良岡、星野などが招かれているようである。

ホントに初期のころで、MCFAJと言えば清原明彦くんでも多分関係がないのである。これには平井さん、山本隆君と出席する積りである。

当時の懐かしいライダーたちがいっぱいのようだが、また何かが始まるかも知れない。

 

●今年は、カワサキのZ1発売40周年に当たるそうである。

Zの開発は、そのコンセプトも、開発テストも、その販売も、当時のKMC主導で、行われたことは間違いない。

そんなアメリカで9月に当時の関係者など70人以上が集まって、記念のミーテングが行われるようである。

日本からも、当時のアメリカの責任者浜脇洋二さんや、Zの開発責任者の大槻幸雄さん、営業の野田さん、テストを担当した山本信行君やその先輩清原明彦君らも出席のようである。

私は当時は国内市場担当で直接関係はないのだが、当時のアメリカ人のトップだったマセックとは、何となくネットで繋がっているし、

先日のZ1会の席上大槻さんから名指しで『出て来い』とお誘いを受けている。

日本人メンバーは全員NPo The Good Timesの会員さんだし、大槻さんとは最初のレーシングチームの仲間だし、いまちょっと思案中である。

 

大槻さんに逆に、Facebook にお誘いしたら、これは実は昨日入って来られたのである。

稲村暁一さんも誘っているし、若し入って来られたら、それこそ『Zのファンクラブ』でもFacebook ページの中に立ちあげようかなとも思っている。

若しそれが1000人くらいになったら、そんな代表として出席なら、『大義名分』も立つのかな、などと思っているのである。

 

★そのほかにも、いろいろある。

今年は79歳、70代の最後の半年である。

現役に戻ったつもりで、頑張ってみると宣言しているのだが、結構オモシロイことがいっぱい目の前に現れて、それを楽しんでいる毎日なのである。

 

 

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大リーグの選手達

2012-06-09 04:59:51 | スポーツ

★最近は日本人選手の大リーグでの活躍は、あまり珍しくもなくなったが、と言って、抜群の成績を残している人も少なくなった。

松井やイチローは、やはり峠を越えた感じだし、ほかの選手達ももう一つぱっとしない。

 

ダルビッシュも、よかったのだがこのところ連敗である。

かっての野茂や、イチローのような活躍が見られないのも何か寂しい。

全部で20人近くの人たちがいるので、余計にそう思うのかも知れない。

 

★大リーグは、やはり日本のプロ野球と比べて、バッテイングでは相当の差があるように思えてならない。

日本のように投手戦のような感じの試合が極端に少ないのは、バッテング特に長打力の差が圧倒的である。

だからバッテングに掛けては、日本の好打者であった西岡や川崎などもなかなか活躍の場がないようである。

あのイチローですら、3番に坐るとクリーンアップらしい活躍が出来ずに、1番に戻ってしまった。

マイナー契約から、大リーグ昇格を決めた松井だが、ホームランを連発して、松井らしい運の強さを示しはしたがコンスタントにどうなるのかはよく分からない。

 ダルビッシュが連敗をストップして、もうちょっと期待通りの活躍をして欲しいものである。

 

個人的に期待したいのは、松坂と青木である。

 

 

松坂は故障を終えて大リーグの復帰が近いようである。

マイナーでの調整もそんなに完璧でもないようだが、そこそこになると大リーグへの復帰がスムースなのは、やはり実績かなと思う。

好き、嫌いで言うと。ダルビッシュより、松坂の方が好きである。

投げ方が如何にもオーソドックスなピッチャーらしいフォームで『これぞプロ』と言う感じがするのである。

監督が日本人に慣れているバレンタインであることもいいような気がする。

年齢的にもう峠を越えたのは歪めないが、もう一度華のある投球がみたいものである。

 

 

青木の大リーグ入りは、テスト生みたいな扱いで、何となく屈辱的だった。

当初はレギュラーはおろか出場も危ないのではなどとも思われたが、徐々に実力を発揮して1番を打ち、長打もホームランも、それもサヨナラホームランである。

青木のスタイルは西岡とも、川崎とも違うし、イチローともちょっと違って一流である。

彼独特のスタイルを持っているし、足も早いし守備もいい。監督やチームメ―トの信頼さえ勝ち得たら、常時出場レギュラーの座は間違いないと思う。

小柄の日本人らしい外野手が、あの大リーグでバッターとしての評価を得て欲しいと願っている。

 

★サッカーでいえば香川や長友のような存在になって欲しいものである。

それにしても、日本のサッカーは強くなったものである。

昨夜の6-0はビックリした。

サッカーは野球と違って体力で一発で勝負するホームランのようなものがないので、日本人向きのスポーツなのかも知れない。

 

★全然違った見方だが、

青木は AOKI に通じ、ゴルフで活躍した通りの言い名前だし

川崎も Kawasaki でアメリカ人にとっては馴染みの名前のはずである。

青木には、サッカーでいえば香川のような、プロが評価する『ホントのプロ』になり得る何かを持っているような気がする。

がんばって欲しいものである。

 

 

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ネットの写真 いろいろ

2012-06-08 05:54:22 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram

★ ネットにはいろんな写真が流れる。

昨今のネットの検索は素晴らしい。

言葉の検索と同時に画像の検索もOKである。

Google の画像検索』、昨日は暇にまかせて遊んでいた。

勿論情報発信していないとデ―タ―は残ったりはしない。

 

そんなきっかけになったのが、Facebook に流れた吉田純ちゃんのこんな写真なのである。

 

 

これはなかなかの2ショットである。普通では撮れない写真である。

 

 

そんな純ちゃんと一緒に並んでいるのは、山本医院の山本篤先生。

『笑って遊ぼうミキランド』の時である。この日に、『Facebook をちゃんとやれよ』と純ちゃんにハッパをかけて初めて流れた写真が上の写真である。

 

 

1月にはこんなメンバーで、神戸で会ったいる。

こんな写真みんな検索で出てくるから楽しい。

われわれと会ってる時は『純ちゃん』だが、公式に戻ると全国オートバイ協同組合連合会吉田純一会長である。

 

★『新年会』だけではいっぱいあり過ぎてダメだったが、『NPO  新年会』で検索すると

関係する写真がずらりと並んだりした。

 

これは今年の新年会。  ここにも吉田純ちゃんの顔がある。

 

 

そして、これは昨年の新年会。

 

 

これは、今年の『粟生線の未来を考える市民の会』の新年会。  粟生線など出さなくてもこんな写真が出てくる。

 

 

『粟生線』で検索するとこんな写真もでる。 

異種、異質、異地域このメンバーも、なかなかものである。

 

 

『笑って遊ぼうミキランド』と検索すると、何百枚もの写真が並ぶが、こんな写真も出るからオモシロイ。

三木出身のイラストレーターこゆりさんと、いまは全国区の武雄市長樋渡啓祐さん。

 

 

★『三木市』で検索すると

三木市長の薮本さんは現れないのに、

 

 三条市の国定市長や

 

 

まだそんなに有名でもなかったころの樋渡市長と私のツーショットが現れたりする。

お二人の市長さん、いずれも三木市を訪問なさった時の写真なのである。

 

 

★三木市長さんの写真がないので『薮本吉秀』で検索すると確かに出てはきたが、枚数は少ない。

 

 

確かに、こんな時期もあったのである。

『薮本吉秀』と画像検索しているのに

 

こんな『笑って遊ぼうミキランド』の実行委員長さるとるさんの写真など出てくるので、

『市長選に出たら』などと冷やかされるのである。

 

でも不思議なことに、アメリカの孫の写真も、『薮本吉秀』の検索で出てきたりした。

 

つい先日の高校のダンスパ―ティのパートナーとのツーショットである。

高校3年生なのだが、やはりアメリカはスゴイなと思う。

 

 

20年も前の、カワサキファクトリーOB会の懐かしい写真も出てきたりした。

当たり前だが、20年前は若いな。

武本晃さんは亡くなってしまったが、このうち半分くらいの人とは、毎日ネットで会ってるし、

昨日は平井さんとも、金谷ともZ1会のゴルフで一緒だった。

 

 

今夜は片山敬済君らと『笑って遊ぼうミキランド』の打ち上げ会である。

30人も集まるとのことだが、この写真の中の人たちも何人かはおいでになるはずだ。

情報発信していれば、自然に情報も集まるし、人も集まってくるのである。

そんなオモシロイ世の中になった。

 逆に市長などの肩書があっても、情報発信しなければ『タダの人』になってしまうのである。

 

 

これは昨夜の『笑って遊ぼうミキランド』の打ちあげパ―ティー

10数枚、Facebook にアップしたアルバムの中の1枚である。

 

 

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Zのカットエンジン と Z1会ゴルフコンペなど

2012-06-07 05:30:36 | カワサキワールド

★つい先日ドイツに遊びに行ってた、Zオタクを自称するNPO The Good Timesの事務局長『かばん屋』登山道夫さんが

Facebookの『二輪文化を語る会』にこんな書き込みをしています。

 

私は、よく解りませんがエンジンなど興味のある方のために転記します。

Facebookの『二輪文化を語る会』は最近、オモシロイ書き込み多くて賑やかです。

興味のある方は、ぜひご参加を!  Facebook おやりにおなって、参加希望されたら、どなたでもジョイン出来ます。

 

 

登山道夫

ドイツのカワサキバイクカットエンジン(その1)
ドイツ中部の博物館の片隅で、カットエンジン達が、寂しく置かれています。。。あんな天井裏みたいな場所で埃まみれにするなら・・是非カワサキワールドへ持って帰って展示して欲しいな~と、思いました。

 

ドイツのカワサキバイクカットエンジン(その2)

もちろん、KAWASAKI Z1のエンジンも有ります♪

 

ドイツのカワサキバイクカットエンジン(その3)

しかも、KAWASAKI Z1のエンジンは、こんな珍しい初期型!
初期型って言うよりも、試作段階のエンジンなのですかね?
誰か詳しい方、教えてくださーい♪

 

ドイツのカワサキバイクカットエンジン(その4)

そこにカワサキのエンジンカットモデルの墓場が有ると知って行った訳では有りません。ゼロ戦のコックピット部分が展示されていると聞いて、その博物館に立ち寄りました所、ヒト気の無い最上階の展示スペースにカットモデルの墓場を偶然発見しました。大きな声では言えませんが、本当にヒト気が有りませんので・・・正に鼻をくっつける様にして見学出来ます。それでは最後に、当初のお目当て、ゼロ戦のコックピット部分です! 他にメッサーシュミットBf109アフリカ戦線仕様なんかも有りますよ♪

 

★今年は、Zが市場にお目見えして40周年を迎えます。

上市以来40年を経て尚、世界で人気を誇っている商品は、珍しいと思います。

そんなZの40周年を記念して、今年の秋、アメリカで当時の関係者が集まった記念パ―ティが行われる予定です。

日本からも、Zの開発責任者であった大槻幸雄さんや、当時のカワサキのアメリカ市場開拓責任者であった浜脇洋二さんや、アメリカ市場でZの開発テストを行った山本信行さんたちが、参加されるそうです。

 

 

★カワサキのそんなZの開発や二輪事業の歴史を背負った人たちが集まる

Z1会ゴルフコンペ。この会長はZの開発責任者であった大槻さん、そして副会長はZのエンジン開発を担当した稲村さんです。

奇しくも、昨日はその第40回の記念コンペでした。

東京から浜脇洋二さんも参加して、賑やかに開催されました。

 

 

後ろ姿が、稲村さん、その前が浜脇さん、ずーっと向こうに大槻さんも、め―ちゃんこと山本信行さんの顔も見えます。

金谷秀夫もチームグリーン監督の平井稔男さんも、その他カワサキの有名人いっぱいです。

特にレース関係のライダ―やメカニックの有名人は全て名を連ねていると言ってもいいでしょう。

昨日は清原、塚本、梁など欠席でしたが、写真には写っていませんが現MFJロードレース委員長杉本五十洋君も参加でした。

 

Facebook に不参加の方は見ることが出来ないのか知れませんが、昨日の写真19枚です

Facebook にはかってのレース関係者は結構いっぱい参加です。

山本、清原、和田、宮崎など昔のライダーたちも参加しているので、昨日は、大槻さんや稲村さんにもFBに参加を誘っておきました。

若しジョインされたら、Facebookに『Zファンクラブ』でも立ちあげてみたらと思ったりしています。

 

 

★私が頂いたのではありません。

ゴルフの成績はもう一つでしたが、こんなのはガッチリせしめた平井稔男さんのブログからです

 

Z開発責任者、カワサキ創成期のレース監督大槻幸雄さんです。  (平井さんのブログから)

 

 

★Zのカットエンジンに始まって、Z1会のゴルフコンペのZ漬けの1日でした。

 

 

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継続は力かな

2012-06-06 05:28:33 | 発想$感想

★6月ももう5日である。

天候がダメなのか、今年の我が家の薔薇は一斉に咲かない。バラバラなのである。

まだ蕾が一度も開いていないものもある。

原因は、昨年手入れをさぼって何本か枯らしてしまったので今年新苗を植えたものがあるのだが、その成長の度合いがバラバラなのだと思う。

若し、昨年ちゃんと育てていて、新しいシュートがいっぱい出ていたら、そこから出る今年の枝から一斉に花をつけるのである。

昨年サボッタつけが今年に現れているのだと思う。

 

今年は、12月からちゃんと毎月育ててきたので、いま殆どの株に元気なシュートが現れている。

だから春はこれくらいでも四季咲きの薔薇は秋に期待出来るのではと思ったりする。

 

 

今、花がついていないところも、蕾はいっぱいあるので今からまだまだ楽しめそうなのだが、

自然のいきものは、ちゃんと継続して努力しないと、ダメなのがよく解った。

解っていても出来ないのが人間の弱さである。

 

 

 

 でも、私などつまらぬことを継続してやるのは、多分得意な方である。

ツイッターのフォロワーは多分今日か明日に23万人に達する

2年と1ヶ月で達成出来たので、1ヶ月に約1万人増やしてきたことになる。

みなさん、ビックリなさるがそんなに難しいことをしているわけではない。毎日500人以上を継続してフォローし続けているだけのことである。

昨年は毎日1000人近く、MAXまで毎日フォローしていた。そうすると約半分はフォロー返しがあって500人ぐらいは増えるので1ヶ月に15000人べ―スで増え続けたのである。

その分薔薇の手入れはおろそかになって、今年の実績に現れている。

 

 

 遅れてはいるがいっぱい蕾は付いている。

今年は季節外れの薔薇が見られるかも知れない。

 

 

 水連が一輪だけ咲いた。

スイレンなど太陽さえあたれば、何の難しさもないのだが、

この池の上はガレージにしていて最近は昼間でも車を止めておくことが多いので、もう一つ咲きが悪い。

現役のころは、毎日昼間は車は会社だったので、陽あたりなど何の問題もなかったのである。

 

 

同じ生きものでも、犬や鯉の場合は、毎日餌も散歩もしなければならぬので、その分ちゃんと努力も継続出来るのである。

犬もいなくなってしまったし、池も潰して中庭は薔薇に変えたのだが、こんな調子ではダメである。

昨日も、こんな薔薇でもどなたかが観に来られるというので、あわてて下枝の整理などしたりした。

 

つまらぬ単純作業でも『継続は力かな』と思っている昨今なのである。

今、続いているのは、むしろネットの作業の方である。

フォロワーが23万人にもなると、放っておくと1日に200人ぐらい0.1%ぐらいは減ってしまうのである。何とか維持するために毎日500人以上を新たにフォローしているので何とか減らずに幾らかづつでも増え続けているのである。

これも、自分のためだったら多分続かない。

NPOの会員さんのツイートを『リツイート』するためと思うから、続いているのだと思うのである。

 

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野田第二次内閣改造

2012-06-05 05:52:01 | 発想$感想

★野田第二次内閣改造が発表された。

野田総理が政治生命を懸けるという『消費税問題』のためになされた内閣改造であることは間違いない。

毎回のことだが、これに対する人々の評価がマスコミの中を駆け巡る。

 

いつものことながら『非常にいい』と言う評価は、殆どどこからも聞かれない。

野党は、よくまあそんなに反対するなあと思うほどこっぴどく論評するのが通例である。

今回は与党内からも、批判の声が聞かれた。

 

『じゃ、お前の意見は?』

と聞かれたら、『消費税法案を通すため』には内閣改造は仕方がなかったのではないか? と全体としては肯定的である。

大臣に起用された政治家は、初めて聞いた名前ばかりで、いいのか悪いのかもよく解らない。

 

 

 

★若し、知っている人があるとすれば、防衛大臣になった森本敏さんだけである。

『そこまで言って委員会』の準レギュラー並みの出演で、外務省出身の外交問題専門家だと思っていたが、防衛大卒業の防衛問題も専門家だとはよく知らなかった。

 

 

 

テレビで防衛問題にも積極的に発言されていたが、

防衛大学卒ならいいじゃないかと、私など単純だから直ぐそう思ってしまうのである。

ところがモノはどうでも言いようがアルもので、

知っているだけでは政治は出来ないとかの批判もある。

まさに世の中、総評論家時代である。

 

 

防衛大臣は、『政治家でないと出来ない』と言うような政治家がいること自体がダメだと思う。

今アメリカで、日本の政治家のなかで注目されているのは『大阪市長の橋下徹さん』だけだという。

逆に言えば、国会議員、即ち政治家は、世界の舞台では誰もアテにされていないのである。

 

その『橋下徹』さんなどテレビタレントで、弁護士なのである。

議員などの経験も全くない政治の素人なのである。

そんな素人の意見の方が、政治の旧い体質、慣習の中で汚染されてしまっている国会議員よりは数段いいように思うのである。

何ごともそうだが、政界、業界などの常識はウソが殆どなのである。みんな自分たちを守るために都合のいいことを言っているだけの場合が多い。

 

★森本さんには、大臣になっても、タレント時代と同じ言葉でモノを言って欲しい。

橋下さんの言葉、話し方は従来の知事や市長とは全く異なる一般の人の言葉や話し方である。

 

森本さんの記者会見の動画を見たが、ちょっと大臣の言葉になってしまっているように思う。

そのあたりが、なかなか難しいのだろうが、

日本の政治から、政治家だけで通用している言い回しや言葉など、ぜひ一掃して欲しいものである。

 

 

 

★今の政治問題、ややこし過ぎてよく解らないし、こんな事にはならないとは思うが・・・

こんなことになればいいのにと思っている。

 

● 消費税問題は、野田さんのいう増税法案が通って

● 消費税問題が解決したら、可及的速やかに解散、政党再編が行われ、維新の会がその中心になり、

● 小沢さんや橋下さんが言う『政治の仕組みの改革』 『中央より地方の主権を』の流れが実現して、

● そして、憲法改正も、首相の公選制も実施される方向となり

● 原発は廃止の方向で、新しい日本のエネルギー政策を確立され、その中心は原発に替わる太平洋の黒潮利用の『海流発電』

などなどである。

 

来年の今頃、果たしてどんなことになっているのだろうか?

いずれにしても、そのスタートが、切られたような気がする。

政治家一人ひとりが、自分の意見をちゃんと持って欲しい。

政党の集約された意見に従い過ぎるから、はっきり結論が出ないように思えて仕方がない。

 

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ゴルフ 雑感

2012-06-04 05:22:27 | 私の生き方、考え方&意見

★6月1日、今年2度目のゴルフだった。

最近は年に数回のゴルフになってしまって、別にスコアに拘るわけでもないのだが、先日のようなことになると、またやってみるかと思ったりするから不思議である。

最近は練習場にも行ったこともないのだが、家で腰回りのストレッチ代りにクラブの素振りはしている。

今回は野球部のOB会のコンペなので、あまりみっともないのはダメだなとは思ってはいたが、スタート前のパットも一つもせずにぶっつけスタートだったのである。

 

出だし3ホール連続ダボで、今日もダメかなと思っていたのだがアウトはパーもなかったが、それ以上ダボもなくて、50を切って上がれたのである。

ショットもまずまずだったが、午後インに入ってドライバーが当たりだしたのである。

何故かよく解らないが、230ヤードの旗を5ホールも越えて、250ヤードも真っすぐにコンスタントに飛んで、全く気分のいいゴルフになった。

特にスコアに拘ったゴルフでもなかったのに、最近では珍しい43であがれたりしたのである。

 

★現役のころ、ゴルフを始めたのは42歳のころだったが、

やりかけると熱中する性格で練習もしたし、播磨ccの会員権を買ったりして、直ぐハンディもとって最初にもらったのがH18だった。

播磨はコースレートが高くて、月例でアンダーが出るとそのままハンディは上がっていくのである。 H15 には直ぐなって半年ぐらいの間にH10までにはなったのである。

そこからシングルを目指すのが普通の人なのだが、私はどうも変わっているのか、実力シングルはともかくオフィっシャルシングルはイヤなのである。

と言うよりどんなにやっても2や3にはならぬだろうし、そんなことを一生県命やるのは馬鹿げていると思ってしまうのである。

 

何よりもそんな資格みたいなのがイヤなのである

囲碁も初段の免状を取れ、ダンスも教師の免状をと言われたところで、止めてしまった。

何ごとも専門家の域は、苦しさばかりで楽しみが少ないが、といいながら『そこそこ』のレベルまでは行かないと気分が悪いのである。

 

一言で言えば『ハンディ10の人生』を歩んでいるのだと思う。

学生時代の成績も、野球も、現役時代の仕事も、まあ『ハンディ10』ぐらいは行ってると思う。

今、やってるネットの世界もそこそこのレベルまでは来ていると思っている。

このブログのアクセスも、ツイッターのフォロワーも、そこそこの水準ではある。

 

★ただ、何でもちょっと人と違った『差別化』はいいなと思うのである。

今、79歳になった、たぶん今年の体力測定でも45歳を超えることはまずないだろう。柔軟性が20才と出るので平均値を下げてくれるのである。

一生懸命ゴルフをやってた頃、ショット50、パット32計82、ハンディ10でパープレイが基準だったのである。

ベストは片方37だが、パープレイは一度もない。37もバーデ―なしの1ボギーだったのである

 

最近のゴルフはショットの方は大体その辺で行くのだが、パットが40を簡単に越えてしまうのである。

気分が乗らないというか、スコアなど気にしないとパットは全然ダメになってしまうのである。ただ、年齢もあって体力は落ちるだろうから、ショットさえその水準を保っていると何とかなるのではと思っていて、

80歳を超えたら『エージシュート』が現実のものになるのでは、と秘かには思っていたのである。

そのために、ここ何年も道具を新しく買っていない、もう一度『やる気』になった時は新しくしたいと思っている。

今、何とかやれるのも、道具やボールの進歩もあるのだと思っている。

 

一昨日は後半は43で回った。ドライバーはよかったが、あとはいい加減やってもそんなスコアになった。現役時代なら間違いなく30台が出るようなドライバーだったのである。

かってのメンバーコースの播磨だから、自分でもよく解っているのである。

平均して生涯で一番よく飛んだかも知れない。

 

 

 

★大体、230ヤードの旗の前に最近は飛んだりはしないのに、5ホールも旗の前まで飛んだりして、記念に写真まで撮る気になったのである。

これなら、何とかなるかなと思ったりする。

来年あたりから一念発起してやったら80ならそんなに難しくないかも知れない寄せとパターをちゃんとやれば『イケるかも』

『健康にもいいし』などとちょっとドライバーと結果がいつになくよかったのでそんなことを思ったりしている。

 

 

 

★播磨cc、かっては日米対抗を何度かやったゴルフ場で、距離は」長い。

40年も経って木が大きくなって雰囲気もよくなってきた。

最近のゴルフは、カワサキ関係のZ1会ゴルフが、三木セブンで年4回。  野球部のゴルフが播磨で春秋2回。大体これだけになってしまった。

回数は、これくらいで十分である。

どちらも家から近いし、贅沢なゴルフ環境に住んでいる。

 

ちょっとたとえマグレでも、こんあ事があると、『こんな気に』なったりするのである。

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パネルディスカッションの感想

2012-06-03 05:08:40 | 発想$感想

★昨日は、関西国際大学でのパネルディスカッションであった。

大学の名誉教授の先生方とご一緒だった。

先生方のお話が私より先だったのだが、

『三木の市民レベルのSNSの実態』をご存じなかったのだろうが、一般の都市と同じレベルだと思っておられたに違いない。

 

パネルディスカッションでパネラーの方が『三木がこんなにSNSで進んでいるとは知らなかった』と感想を述べられた。

今回、『行政のSNS』で例に出された武雄市が行政の中で最右翼であるとしたら、

『市民の間のSNS』は、圧倒的に他市に差をつけたレベルに三木はあると思っている。

 

 

 

客席にも、NPO The Good Times の会員さんがいっぱいいて、

三木市役所の森田優さん、さるとるさん、『笑って遊ぼうミキランド実行委員長』も飛び入りで結構長い時間壇上で喋ったし、

『世界の三木』とぶち上げたのである。

これは同僚のNPO会員の撮った写真だが、早速自分のFBでそう言っている

どこにも絶対負けていないという自信がそう言わせるのだと思う。

 

粟生線の未来を考える市民の会』の代表世話人の山本篤先生も、『私たちは、既にSNSは実行中です。』と堂々と言い切られたのである。

あとから、参加された神戸市の藤田修司さんにも私の話しの途中で『KANSAI GENNKI! PROJECT』のこと、突如水を向けたのだが,

実績が素晴らしいので当然だが、堂々とした説明だった。

NPOの会員さんたちがそれぞれ、SNSに関して自らの実績の下に発言されたのが、気持ちよかった。

この何年間かの成果なのである。

 

 

 

★沢山の新らしい方から名刺を頂いた。

その中には、三木のひげじいさん長田さんもおられて、NPOの会員さんでネット上では毎日お会いしているのに、初めてお目に掛ったのである。

早速、Facebookでコメントを頂いたりした。  これもまた満足のご様子である。

会員のみなさんにとって『グッドタイム』であったのは何よりであった。

 

会が終わってから、関西国際大学の松本茂樹先生他パネラーの方々と喫茶店で談笑した。

その中のお二人をNPO の会員さんにお招きをした。

公立はこだて大学の鈴木克也さんと、川重OBの小川彰彦さんである

今の時点で既にFacebook のトモダチで繫がった。

 

特に小川さんは、KHIのプラントのご出身で故大庭浩社長の想い出話や、大槻幸雄さんとも繋がっていて、今後いろいろオモシロイ関係になるかも知れない。

 

★さて、『SNS で地域活性化を・・』これはシンポジュームやパネルディスカッションをしたら実現するようなものではないと思うし、席上でもそのように申し上げた。

それが自然に『実現できる仕組みの構築』が必要なのである。

大学の先生方に、それがどのくらいご理解いただけたであろうか?

 

これは、大阪の橋下市長の心境がよく解る。

橋下さんも、武雄の樋渡さんも、戦略的な発想のベースにたった『仕組み』があるからいろんなことが実現するのである。

 

 『仕組みとは』  服部吉伸先生の言葉だが・・・

仕組みを造るのは、非常に高度な仕事である。仕組みを造らずに放たらかしの形にして、創意工夫してやりなさいというのは酷である。損なやり方である。

システムとは手続き通りに仕事を進めてゆけば、意図した目的が実現できる仕組みでなければならない  

 

ここのくだりは、ちゃんと説明はした積りだが、どれだけご理解いただけたかは、疑問なのである。

殆どの行政や、企業はなかなかこうはなっていない。

努力の蓄積で成果で意図した目的が実現すると思っているのだろうが、現実は予算も使い、イベントやハコものや組織は出来たりはするが意図した目的は実現していないことが殆どなのである。

確かに、『作業』はそれで可能であるが、『構造改革』などはそうはいかないのである。

小沢一郎もしきりと『仕組みの問題』を提起しているが、どうも周囲もマスコミも、よく解っていないような気がする。

 

三木は、

未来にはばたくみっきぃタウン』と言うコンセプトの下に、

NPO The Good Times としても、その仕組みでお手伝いしようと思っている。

何となくみなさんNPO The Good Times の仕組みには、一目も二目も置いて頂いたようなので、

それが一番の収穫であったと思う。

 

とても独りではそうはいかなかった数えただけで10人ものNPOのメンバーが客席にいてくれて、非常に心強かたのである。

いっぱい写真も、壇上からも撮ってきたのだが、パソコンがおかしくて、自分の写真はお見せできないのである。

今日にでも、接続の部品を買ってくることにする。

 

 

 

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『SNSで地域活性化を』

2012-06-02 04:48:30 | NPO The Good Times

★今日、関西国際大学でこんなパネルディスカッションが行われます。

そのパネラーとしてお招き頂いていますが、以下はその資料です。

参加されている積りでお読みください。

 

お近くの方は、ぜひご参加を

 

 

 

 

 

★まず、自己紹介です。

 

現役時代は、川崎重工業で

● 二輪車の販売網=ネットワーク     営業 販売 企画、広報など

● 広報の世界  広報=PR=Public Relation=社会におけるいい人間関係づくり  =SNS

● 発想のベース  戦略的 差別化 仕組み造り

 

そして今は、

● NPO法人 The Good Times   の理事長です。

このNPO法人は、『総合的な広報活動を展開する  仕組みシステムそのもの 』なのです。 

 

 

★その基本コンセプトは

 

 

● めざす目標は、『新しい公共』です

● そのホームページは、こちらです

● ネットがベース、  事務所、電話、紙もありません。

  『ひょこむ』というSNS の中に管理されています。  理事さんは全員『ひょコム』のメンバーです。

 

 

● 一番のベースは、個人会員さんです

 

 

 

 

★会員さんベースの仕組みいろいろ

  ● 会員さんのブログをベースのThe Good Times Tumblr

   ● それを集めたArchive

    ● 毎日発行される新聞

  ● 公式ツイッター

  ● 公式ツイッターの全国的な位置

  ● Facebook のNPO The Good Times ページ

  ● FBのNPO The Good Times グループ

  ● 団体会員さんのプロジェクト  『孫文を語る会』  『e-音楽@みき』        などなど

 

 

★ NPO The Good Times を取り巻く予備軍?

 ● 『三木 おもろいわ

 ● 『粟生線の未来を考える市民の会

 ● 『二輪文化を語る会

 ● 『未来にはばたくみっきぃタウン

 ● 『みっきぃ情報ミュージアム

 

 

★5月20日、三木総合防災公園で、開催された

笑って遊ぼうミキランド』     大成功でした。

 

 

 

文字通り  地域活性化のイベントでした。  

間違いなく、地域の活性化に貢献しました。

 スタート以来の、写真いっぱい、ご覧になれば、どれくらい大成功の多彩なイベントなのかが解ります

 

 

 

主催者は  元二輪世界GP チャンピオン片山敬済さんが理事長を務めるNPO法人BERT  片山さんは神戸です。

実行委員長は  三木の市役所職員森田優さん、(さるとるさん)

後ろ、左は三木、緑が丘の山本医院の山本先生、『粟生線の未来を考える市民の会』の代表世話人。

後ろ、真ん中は、このイベントの実行委員、元三木市民今は阪神地区、三木で初めて『かえっこバザール』など主催した伊藤智寿くん。

全員がNPO The Good Times の個人会員ですし、 さるとるさんはNPO法人アドバイザー、山本医院は団体会員さんでもあります。

『異種、異質、異地域をみんな繋いで・・・』なのです。

 

 

 関西国際大学の学生さんも手伝ってくれました。

左の3人の方、『どこからですか?』『中国です』『岡山?』『イヤ中国です』

中国から留学の中国人の方でした。    日本語ぺらぺらでした。

 

 

★文字通り 『異種、異質、異地域の人たちが集まって』

●  こんな形での実行委員会でした。   今、当日の模様は、動画制作中です。

●  当日のの結果は、

ウエツキチエコさん(神戸経済新聞)のオフィシャルブログ  『笑って遊ぼうミキランド ~わが防災は【わ】でまもろう!~』 が5弾連続での報道 です。

  第1弾      第2弾     第3弾      第4弾     第5弾

自画自賛ではなく、外からの方の評価こそが貴重です。

 

 

★ いろんな活動の成果は、ネットの場合、『検索』で評価されます。  トップページに並ぶことは、その評価が高いということです。

検索してみて下さい。   こんな言葉を、この何年間かの活動の成果です。

『みっきぃ情報ミュージアム』  『笑って遊ぼうミキランド』  『SNSで地域活性化を』  『未来にはばたくみっきぃタウン』  『三木さんさんまつり』  『三木のイメージ』 『日本一美しいまち』

『美嚢川』  『伽耶院』 『キャンドルナイト三木』 

 

 

★ 関西国際大学野球部です

関西国際大学で一番知名度の高いのは、野球部です。

神宮の常連、既に強豪であることは、間違いありません。直ぐお隣の日本一の廣野ゴルフ倶楽部と並んで『名門』に育てば

『まちの活性化』とも無縁では、ないのでは・・・    SNSなのですから。

 

 

 

 

★武雄市のホームページに載っていました。

『SNSの活用で地域づくり』 です

この記事を書かれている大川内義章さんは、Facebookで、私とも毎日のように繋がっています。

 

 

 

 

★最後に、ちょっと纏めて感想を。

 

● 『SNSで地域活性化を!』 が目標です。  それを実現できる『仕組みの創造』が望まれます。

 

『仕組みとは』  服部吉伸先生の言葉ですが・・・

仕組みを造るのは、非常に高度な仕事である。仕組みを造らずに放たらかしの形にして、創意工夫してやりなさいというのは酷である。損なやり方である。

システムとは手続き通りに仕事を進めてゆけば、意図した目的が実現できる仕組みでなければならない  

 

● NPO The Good Timesは、単に 『異種、異質、異地域』を繋いでいるわけではありません。 各分野のユニークな、高質なメンバーを繋いでいるのです。

その結果は、当然高レベルな結果が『実現します』   仕組みの勝利なのです。  単一の行政や企業では、そんなレベルには、決してなりません。

 

 ● 三木の活性化を図るために、『三木独特の仕組みの創造を!』 と思います。

 

私も、三木に移り住んでもう40年になろうとしています。

人生の中で、一番長く暮したまちになりました。 現役のころは文字通り『ベッドタウン』眠るためにだけ戻ってくるまちでしかなかったのですが、

ふとしたことから、『みき』に関心を持つようになりました。

ちょうど今から6年ほど前、 初めてパソコンに出会った頃でした。

 

● 『みき』は、 『日本一美しいまち』 をめざしています。

『美しい』という言葉の意味は、人の心の持ち方、生きる態度の問題です。

辞書には『調和する心』などと書かれています。

『綺麗』とは、ちょっと違うように思っています。

 

● 3年前、NPO法人 The Good Times を立ち上げました。

その基本になるシステムのベースは、カワサキの現役時代、もう20年以上も前ですが、ソフト会社で専門的に蓄積したノウハウ、ソフトです。

それを経験したカワサキの二輪の仲間たちと、

日本一美しいまちをめざすみきで、『みっきぃふるさとふれあい公園』というコンセプトを提案し、市長表彰を受けたさるとるさん森田優さんや、それに共感する三木の人たちと一緒に、

『異種、異質、異地域をみんな繋いで』 楽しくいい時を 『Good Time 』を過ごせるような活動展開を期して、スタートしたのです。

3年経った今、70のグループと7000人のメンバーに支えられるまでになりました。

 

 

 

今年の目標の一つが

未来にはばたくみっきぃタウン』 です。

そして、もう一つが

二輪文化を語る会』なのです。

 

先週、年次総会が無事終わって、1週間後

このような機会に、NPO The Good Times の紹介が出来る場が出来たことも何かのご縁なのです。

 

たまたまですが、

『みっきぃ情報ミュージアム』を担当されている中尾吉伸さん、

『笑って遊ぼうミキランド』の実行委員長を務めた森田優さんは

3年前、NPO The Good Times の設立総会の時は、お二人とも出席頂いた当初からの仲間です。

 

『SNSで地域活性化を!』  お手伝いをしたいと思っています

 

 ★そんな想いみたいなもの、  少しだけ具体的に、もう一つのブログに今朝纏めています

 

 

 

★NPO The Good Times のホ―ムページです。

★Facebookのファンページです

★『異種、異質、異地域をみんな繋いでいい時を過ごそう』というFacebookページです。

★会員さんのブログを集めた Tumblr です。

★毎日発行される NPO The Good Times 新聞です。

 

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「二輪文化を語る会』への想い

2012-06-01 05:36:56 | NPO The Good Times

★Facebookの中に『二輪文化を語る会』というグループを立ち上げている

既に220名を越えたし、毎日いろんな意見や、貴重なコメントが寄せられている。間違いなく二輪に関心の深い方たちの意見なのである。

二輪にご関心のある方はぜひご覧になってみてください。

 6月中に、NPO The Good Times の中にも『二輪文化を語る会』と言うプロジェクトを立ち上げることで進めている。

そんなことで以下は私の想いみたいなものを纏めて投稿したものをそのまま転記します。

 

 

 

『二輪文化を語る会』もいろいろとコメントなども賑やかになってきました。

いろんな方が、いろんな形で繋がるのがいいなと思っています。
このサイトを創った経緯、そのベースにある私自身の想いなどちょっとだけ・・・・(結構長くなると思いますが、私にとってはちょっとだけなのです。)


★ご縁があって二輪の世界に、それもカワサキが二輪事業にスタートしたそんな時代から、いろんな形でこの世界の中にいました。まだ日本の二輪業界そのものが、まだ育っていない時代で、どのように進むのかも解らない頃でした。
カワサキには二輪事業の経験者など居なくて、私自身は本田宗一郎さんや、スズキやヤマハの方や、各地のデ―ラ―の社長さんなどの背中を見ながら育ってきました。

営業や企画などのほかにファクトリーチームのマネージメンとなどやりました。バイクや四輪の運転の先生は山本隆や星野一義ですからそこそこの運転技術もありますが、自分では一度もバイクを持ったことはありません。
カワサキの二輪事業の中枢にもいましたが、カワサキのためにも頑張りましたが、それよりは二輪業界がそんなに大きくない業界ですから、その業界のために動く方がいいと、ずっと思っていました。
カワサキの販売網政策にも色濃くタッチしましたが、カワサキ専門店よりはむしろその店が望むスタイルをメーカーは支援して育てるべきだと、販売店の機能別政策を推進したりしてきました。

カワサキのユーザー組織KAZEを創った時も、カワサキのバイクを所有している人でなくても、カワサキに、二輪に関心のある方の方が、むしろいいとそんなコンセプトでスタートしています。ですから、今も私はKAZEの現役会員なのです。
二輪車は、元来遊びの道具なのですから、単に商品を売るだけではなくて、『いい遊びの提供』をめざして、ソフト会社 株)ケイ、スポーツ、システムを創って、レースや、イベントや、SPA直入など、やっていたのです。


★現在、その当時のメンバーが中心になって、NPO The Good Times というNPOを創っています。その会社のコンセプトを継承している積りです。

『異種、異質、異地域をみんな繋いで楽しくいい時を過ごそう』と言うコンセプトのNPOです。


二輪だけではなくて世の中のすべてのことを対象にしていますが、基本は楽しくグッドタイム、オモシロくなくてはダメだなと思っています。
ちょうど4年目になりますが、
その中の中心プロジェクトとして、『二輪文化を語る会』を位置づけたいと思っているのです。具体的に、この6月中にスタートさせます。どんなことをするのかは、追っていろいろお知らせしますが・・・・

東京の村島邦彦さんや、松島裕さんが、今月『二輪文化を伝える会』を既にスタートされました。
そんな各地で今後スタートする二輪のいろんな活動を支援する形で『二輪文化を語る会』を立ち上げます。

こんなことを書く気になったのは、月木レーシングの月木博康さんが、FBを始められて、ここにもご招待したからです。彼とはもう40年来のお付き合いですが、商売だけではなくて、二輪のレースやジェットスキ―や岩城 滉一さんと一緒にカワサキで遊んだ頃の中心メンバーで、勿論NPOの団体会員さんでもあるのです。
NPOの団体会員には二輪関係もいろいろいて、星野インパルや丸山浩さんのWith Me などもいます。

どんなことになるかは、解りませんが、
兎に角、気楽に楽しく、オモシロくやりたいと思っています。
この『二輪文化を語る会』のメンバーも200名を超えましたが、半分以上はNPO The Good Times のメンバーさんなのです。

このあたりの話は、ソフトの分野の話なのでなかなかお解り難いと思いますが、何となく雰囲気を感じて頂いたらいいなと思っています。

写真は昨年3月4日に開催した『カワサキの想い出、そして未来』の時のものです。
金谷や星野や木村などかってカワサキにいたライダーたちもいますが、太一ちゃんや田中隆造さんや、ホンダファクトリーの渡辺信義さんもおられるのは不思議でしょう。

これNPO The Good Times の後援で、平井稔男さんが主催です。集まったメンバー120人は全てNPOの会員さんなのです。こんなメーカーではなかなか出来にくい活動を目指しているのです。

ではまた。

 
 
 
 
★松島裕さんが、 『二輪文化を語る会』の中に投稿された記事の中から
 
 
  
とその中に紹介されている
 
速遅速遅密疎密疎(はおはおみそみそ)』は、貴重な文献だと思いますので、 ぜひご覧になってみてください。
 
 
 
 
 
 
 
参加ご希望の方は、Facebook から、その旨お申し出下さい。
希望された方は全て、お招きしていますし、既に会員になられた方からの直接の招待も歓迎です。
 
 
 
ごく最近参加された、川崎由美子さん、ドイツからの参加です。こんな便りを寄せて頂きました。
 
 
この度、松口 久美子さんからお誘いいただき、参加させていただきます川崎由美子と申します。この会に参加させていただきまして大変光栄に思います。どうもありがとうございます。
そうして改めて松口さん、お誘いいただきましてありがとうございます!
現在私は、主人の赴任でドイツ・デュッセルドルフに居住しておりますが、二輪モータースポーツライターの仕事もこちらにて継続させていただいております。
二輪に関すること以外にも一般生活事情など住んでみて色々と分かったこと、感じたことなど多々あり、貴重なこの駐在機関を有意義に過ごせるように日々色んなアンテナを張り巡らせている次第です。
こんな私ですが、どうぞよろしくお願い致します。
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