雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

終戦記念日と朝鮮京城

2018-08-16 06:59:45 | 発想$感想

8月15日は終戦記念日である。 

昭和20年(1945)8月15日の終戦記念日の天皇陛下の詔城東中学校の校庭で直立不動の姿勢で聞いたのを思い出す。

中学校1年生の夏休み中だった。

この夏休みの間に

我國の軍隊は世々天皇の統率し給ふ所にそある昔神武天皇躬つから大伴物部の兵ともを率ゐ中國のまつろはぬものともを討ち平け給ひ高御座に即かせられて天下しろしめし給ひしより二千五百有餘年を經ぬ此間世の樣の移り換るに隨ひて兵制の沿革も亦屢なりき・・・

で始まる『長い長い軍人勅諭』を暗唱してくる宿題が出ていて、そろそろ憶えなければと思っていた時期である。

 そんなんことで残念ながら、『我が国の軍隊は世々天皇の統率し給う所にこそある・・・』ぐらいまでしか覚えていないのである。

 ムツカシイ文章だが、

『わが国の軍隊は代々天皇の統率したまう所にある。昔、神武天皇みずから大伴物部の兵たちを率い、国中の帰順せぬ者どもを討ちたいらげ、皇位につき天下を治められてから、二千五百年余りを経た。この間、世の移り変わりに従い、兵制の改革もまたしばしばであった。』とこんな意味である。

 

★そんな想い出いっぱいの朝鮮京城だが、当時の日本(内地)よりもある意味立派な町だったと言えるのである。

戦争中は空襲もなかったし、食料事情もよくて何の苦労もない戦時中を過ごしたのだが、8月15日の終戦記念日を機にその生活は一変したとも言っていい。

 苦しいこともいっぱいだったが、未だ『中学1年生』であったこともあって、苦しいというよりも『新しく珍しい生活経験』と受け止めた面も多かったのである。

 そんな苦しいことよりは、戦時中の 京城の懐かしい思い出 の方が脳裏に焼き付いているのである。

 

これは京城駅、今でもこの形で残っているのだと思うが、立派だった。

この駅に学徒動員で招集される中学の先輩を何度か送りに行ったのである。万歳三唱でお送りしたが、果たして生きて戻られたのだろうか?

 

   

 

  京城駅の近くにあった『京城三越』で、当時の神戸の三越よりは立派fだったと思うし、

    

 

  神戸三越から神戸の元町通りがあったように、京城三越からこんな本町通が始まっていたのである。

    

 

   当時の市電だが、日本で一番の市電と言われていた『神戸の市電』よりは立派だったと思っている。

 

     

 

   この中央の建物が『朝鮮総督府』で今も同じ形で残っているようである。

   後ろの山が北漢山で、小学校の遠足で登ったこともある。

     

 

   朝鮮神宮も立派だったのだが、いまはどうなってしまったのだろう。

    

 

  家からそんなに遠くはなかった『将忠壇公園』は冬はこの池が凍るので、毎日スケートをしに通ったものである。

 

    

 

★ 世界中結構いろいろと二輪の仕事関係で行ったのだが、一番行ってみたかった『朝鮮京城=今のソウル』は二輪では関係がなくて行けなかったのだが、

1988年ソウルオリンピックの年に、オリンピック委員会から開会式の日に競技場のすぐ前の漢江(ハンガン)で『ジェットスキーのデモンストレーション』を頼まれて、日本・アメリカ・ヨーロッパ・オーストラリアの各国の男女チャンピオンたちでチームを作り、その団長として、ソウルを訪問することが出来たのである。   

    

 

その時の写真だが、その出張中に子供のころ住んでいた家を、当時の桜ケ丘小学校を見つけてそこから道を辿って見つけてきたのである。

 こちらが小学校、新しく建物が増えていたが、本館は昔のままだった。

 

  

 

 その裏門から、約300メートル、かっての『城東区新堂町桜ケ丘町』にあった『我が家』を見つけてきたのである。

 

    

  塀は新しく作られていたが、家は昔の儘残っていた。

ただ、昨今のGoogleマップでこの辺りを見るのだが、小学校は残っているのだが、住宅地辺りは殆ど『ビル街』になって締まっているのである。

 1988年と言えば、今から『30年前』である。

 30年も経つと世の中は様変わりするのである

 毎年、8月15日になると、朝鮮京城のことを懐かしく思い出すのである。

 私にとっては『懐かしい昔のふるさと』なのである。

 

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すき焼き  雑感

2018-08-15 07:13:07 | 発想$感想

★アメリカで育った孫たちは、日本にやってくるとなぜか「すき焼き」を食いたがる。

 特にいま来てる、長男の門野力也は『すき焼き』が大好物で、三木に来た最後の夜は『すき焼き』が定番になっている。

 確かに『すき焼き』は日本を代表する料理の一つだが、1961年にリリースされ、国民的ヒット曲となった坂本九の『上を向いて歩こう』は何故か『SUKIYAKI』というタイトルで全米ビルボード1位を獲得したことを果たして孫たちは知っているのだろうか?
1963年6月、日本のポップスが米国の「ビルボード・ホット100」で3週連続1位に輝いたのである。
 
それから半世紀を経た現在も、チャート1位を獲得した日本の歌は、この『SUKIYAKI』だけである。と記述されている。
 

日本が高度成長期に向かう昭和36年にリリースされた

 

★アメリカで育った孫たちが『好き焼き』を食いたがる訳は単純で、肉の本場アメリカなのに『すき焼き用の薄切りの肉』は日本スーパーでしか売っていないし、『めちゃくちゃ高い』のである。
それに『すき焼き』にはつきものの『生卵がない』というか、アメリカの卵は『生では食えない』のである。

そんなことで、アメリカでは肉はしょっちゅう食卓には上るのだが、『すき焼き』は食うことができないのである。

昨日は、すき焼きをしようと、スーパーに肉を買いに行って、本来なら2580円のちょっとだけ高級な『すき焼き用の肉』を2パック買ってきた。

 

 

 

  誠にラッキーだったのは、賞味期限が昨日までで、珍しく肉が『半額』で売られていたのである。

 

      

 

そんなことで800グラムの肉で、孫と3人で『すき焼き』をしたのだが、食いきれずに未だ200グラムは残ってしまったので、今日はうどんを入れて昼にでも食おうかということになっている。

 もしこれが長男ではなくて、『大食い』で通っている次男がいたら、残らず食ったに違いないのである。

 『次男』が来た時は、こんな高級な肉は1パックで、あとは普通のすき焼き肉をいっぱい買ってくるのだが、肉が『半額』になっていたことは一度もないのである。

 

★このブログは、Facebookにもアップするので、アメリカの孫たちも間違いなく見るはずである。

 ある意味、アメリカの孫たちへの『報告ブログ』なのである。

 彼ら、果たして『坂本九のSUKIYAKI』のこと知ってたかな? と思いながらついでに紹介もしておいたのである。

 今年の孫のお盆休みも今日が最後、夕方の新幹線で藤沢に戻っていくのである。

 私のお盆休みも今日で終わりである。


 

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炭火焼き鳥 鶏屋おつじろう

2018-08-14 07:18:32 | 発想$感想

★ 昨日は久しぶりに、『鶏屋 おつじろう』に行ってきた。

  丹波地鶏の炭火焼 を中心にいろいろ揃ている。

       http://www.nicovideo.jp/watch/sm33683830

   こんな1分ほどの動画に纏めているが、その中からの写真である。

  

 

   

 

  ちょっと離れているので目立ちにくいが、神戸―三木線沿いにある。

 

   

 

  運転手だから『お酒は飲めなかった』が、出てくるものはお酒に至極合いそうである。

  以前、孫と二人で来たことはあるのだが、家内は初めての店である。

 

  こんなところからスタートした。

 

   

 

 そして鶏の刺身、久しぶりだが柔らかくて旨かった。

 

   

 

  焼き鳥はこんな10本セットを二皿。

 

   

 

   

 

 

   だし巻きなど、外で食ったのは初めてかも知れぬが、注文はみんなアメリカ育ちの孫である。

 

    

 

 

  こんな雰囲気のお店で、お盆の時期ということか、子供連れの予約のお客様が多かった。

 

    

 

 最後に来た釜めし をちょっとだけ、お相伴した。

 

    

 

    

 

 ビールが飲めなかった私に気を遣ったのか、家内がお土産に『唐揚げ』を買って、帰ってからビールを飲み直そうと言っていたが、もう腹いっぱいで、唐揚げは開けずにそのまま残している。

 改めて、温め直してそれこそビールでも頂きたいものである。

 孫との三木での『お盆休み』も後1日、15日には関東に戻るので、今夜は定番の『すき焼き』で終わりそうである。

 

  

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お盆の墓参り  雑感

2018-08-12 14:01:56 | 発想$感想

★昨日はお盆の墓参りに明石まで行ってきた。

 旧明石城主松平家の菩提樹でもある長寿院は、格式高い由緒あるお寺である。

 

   

 

戦前・戦後の時期、伯父が檀家総代などしていたので、私は小学校の低学年の頃からこのお寺にはよく連れてこられて、お上人のお話などを聞かされたものである。

戦前はお盆にはお殿様の子孫の方が墓参に明石まで来られて、伯父宅にお泊りになったりしたのである。松平家福井の方から来られたお殿様で、我が祖先たちもその時福井から付いてきたのだと教えられていた。

戦前は未だ家系図などが残っていて、伯父が小学生の私にいろいろと教えてくれるのだが、覚えるのはとても大変だったのである。そんな家系図も空襲で焼けてしまって、いまは殆ど何も解ってはいないのである。

 当時は所謂「士族」に限られたお寺で旧い墓がいっぱいで、我が家に関係する墓も20近くもあったので場所を覚えるだけでも大変だったのである。曾祖父の松平家の剣道指南番をしていたという古谷萬平や、ちょっとだけ名の通った歌人の女性などいろいろあったのだが、ある意味本音ではホッとしたところもあるのであるのだが、こんな機会にこのブログにでも残しておこうかなと思ったりする。

そんな旧いお墓も阪神大震災の時に殆どが倒れてしまって、お寺が大量に整理されたものだから今は本家の墓と並んで二つだけになってしまって、祖父・祖母・伯父・伯母と新宅の父と母の6人だけなのである。

        

 

こちらは2015年のお盆に墓参りした時のブログである。

  https://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/f18b3d98f4df1c2f9a58e35aef818d7d

この時もちょっと昔のことなど書いている。 墓参りをするとそんな気分になるのかも知れない。

 

 阪神大震災以降は旧いお墓が大量に整理されて、今は新しい綺麗なお墓が主流になって、時代を感じさせるのである。

 

    

 

  

★ 一般の方のお墓とは別に、この門の左奥に歴代明石城主やその関係者のお墓があるのだが、それは『お殿様のお墓』だから大きいし戒名も非常に長くて『・・・大居士』で終わっているのである。

 

       

    

   こんなお殿様のお墓と

       

 

 関係する方々のお墓があって、一般に公開もされているのだが、ちょっと奥まった解り難いところなので、ご存知の方は少ないかも知れない。

   

 

★長寿院は天文科学館のすぐ下だから、ちょうど子午線上に位置している。

何故か明石に祀られている柿の本人麻呂の通称「人丸神社」のすぐ下でもあって、この一帯は「人丸町」と言われている。私の生まれ故郷の『上の丸』からもすぐ近いし、明石高校から南に街の方におりてきたところでもある。

ただ典型的な城下町で坂はあるし、道は細くて曲がりくねっていて、車で行くのはなかなか大変な場所ではある。

    

 

★現在の『ご住職』は私よりはちょっとお若く、いつも三木までお詣りに来て下さるので懇意にさせて頂いているのだが、ご養子なので昔の長寿院のことなら私の方が詳しかったりするのである。

    

 

  やはり生まれ育った町は、いつ行っても何となくいいものである。

  昨日は家内と二人でのお盆の墓参りだったのだが、

  帰り道のいつも立ち寄る『ちょっとだけ高級な回転ずし屋』で、こんな赤貝など少しだけ贅沢して戻ってきたのである。

      

 

  明石で生まれ、こどもの頃は朝鮮で育ち、戦後また明石に戻って、その後仙台―高槻を経て三木に40年以上にもなるのだが、

 私の最後の住所は、明石市人丸町の長寿院 になることは間違いないのである。  

 まあ、永く眠るには 『なかなかいい場所』なのかも知れない。

 昨日は、そんな長寿院への『お盆の墓参り』に行ってきた。

 

  

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お盆休み

2018-08-12 05:55:10 | 発想$感想

★今年の『お盆休み』が始まった。

 Yahooの意識調査で、『あなたはお盆休みが何日ありますか?』というのがあったが

 

   

 

  『お盆休みがない』という人も42%ほどいて、私のような後期高齢者はその部類に入るのだろう。

  その次に多いのが『5日以上』で世の中の一般的な感覚はそんなところなのかも知れない。

  我が家にはいま孫がお盆休みでやってきているが、これは間違いなく5日以上である。

 

   

  今年の お盆休みは16日までの6日間が一般的らしいが、17日の金曜日を休めば9連休になる。

 

  孫は15日か16日の新幹線で藤沢に戻るとか言ってるが、新幹線はこんなに混んでいるのだろうか?

 

   

   

 

  三木の田舎で、あまり沢山の人を最近は見ることもないのだが、こんな写真を見ると『ぞっと』するようになってしまった。

 

   

 

 こんな混雑を物ともせず、お盆休みに帰省するということは『若い』ということだろうか?

 私などは『お盆休みの期間』は高速には乗らないことにしているのだが、昨日あたりから帰省で渋滞は続くのだろう。

 今日は、明石までお盆のお墓参りには行こうと思っているのだが、その辺の道は混雑はしていないのである。

 

 それにしても暑いな。

 

   

 

 甲子園は、昨日は近畿勢の試合が続いて満員の盛況だった。

 初出場の明石商業は健闘したが1回戦で負けてしまった。

 甲子園はお盆休みの間はずっと続く。

 テレビでそれを観ている私のお盆休みである。

 甲子園まで観に行く元気はなくなってしまった。

 

 

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メダカ一匹が100匹になった

2018-08-11 05:49:17 | 発想$感想

 ★先月黒メダカを買ってきて、メダカを池以外のこんな鉢で飼いだしたのだが、ホントに『ハマってしまっている』のである。

 今までは池で飼ってたが、腹に卵を持ってるメダカは見られるのだが、金魚に食われてしまうのか一向にメダカが増えたりしないのである。

 『何とか卵からメダカのこどもを産ませたいな』とこんな鉢を買ってきて、そこに10匹ほどのクロメダカを入れて、池の中から腹に『卵を抱えたメスを1匹』入れてみたのである。

 どうやらホテイ草に卵を産みつけたような気配なのである。

 今月になってこの鉢の中に、小さなメダカを見つけたのである。

どうやら卵からメダカが孵ったらしいのである。

親に食われたらいけないと、親メダカたちは池に戻したのだが、それから毎日子供のメダカが何匹かづつ増え続けるのである

ホントに体長1ミリぐらいなので気を付けて見ないと解らないのだが、確実に増え続けて、現在何匹いるのか解らないくらい沢山いて、ひょっとしたら100匹もいるかも知れないのである。

 『1匹のメダカが100匹のこどもを産んだのだろうか?』

 信じられないが、どうもそのようである。

 

   

 

 この写真でも、メダカは解るのだが、生まれたばかりのメダカは1ミリほどだから、この写真からはなかなか判別がムツカシイ。

 生まれたばかりのメダカは、体長1ミリぐらいで髪の毛ぐらいの細さだから『毛子』と言い、それが少し大きくなったのを『釘子』というらしい。

 今の我が家のメダカたちは『毛子』から『釘子』への成長過程だと言っていい。

 

    

 

    

 

    

 

    写真ではなかなか解らないが、どの写真にも10匹以上のメダカがいるのである。

 

★仮に100匹いるとして、池からこの鉢に移したメダカの腹に100匹もの卵を持っていたとはとても思えないので、メダカの産卵についてネットで調べてみた。

 この頃はネットで調べたら何でも解るようになっている。

 前述の『毛子・釘子』もネットから得た知識である。

 

どうやら「メダカ」は今流行りのようで、ネットの中にはメダカに関する記事はいっぱいなのである。

そんな中からの記述の抜粋である。

 

一回の産卵で数個しか産まない個体や成熟して体が大きければ30個近く抱える個体も居ます。

一度産卵が始まってから産み続ける日数もまちまちで10日くらいでいったんストップしたり一ヶ月近く毎日産むこともあります

寿命まで順調に飼育していれば2千個以上は産んでくれると思いますよ。・・・・・・

 

 『産卵が始まると産み続ける』とは知らなかったし、『10日ぐらいも産み続ける』というのも初めて得た知識である。

そんなことは知らなかったのだが、何日かで親は池に戻したのだが、鉢にいた間にどうやら『毎日産み続けた』ようなのである。

 それが証拠に、毎日新しい『毛子』を発見するのである。

 昨日も新しい『毛子』が産まれて今鉢の中のメダカのこどもたちは1ミリぐらいから8ミリぐらいまで、この1週間毎日新しい仲間が増え続けているのである。

 

★こんなことは初めての経験だから、今はちょっと『興奮気味』で、毎日何時間も鉢の中を覗き込んでいるのである。

 果たしてこのまま順調に育つだろうか?

 メダカの餌も買ってきて、1日に数回ほんの少しづつ与えている。

 鉢の中には貝や小エビもいっぱいいるので『餌の食い残し』は綺麗に掃除してくれるはずなのである。

 『メダカの飼育』で検索するとこんなにいっぱい現れるので、よく読んで上手く育てたいなと思っている昨今なのである。

 

   

 

      

 

  果たして8月末にはどんなことになっているのだろうか?

 

   

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孫との2日目 三木山総合公園の滑り台

2018-08-10 05:58:54 | 発想$感想

★孫は夜中遅くまで起きてるようで、朝はなかなか起きておない。

 朝飯の時間はいつも過ぎてしまうので、『朝飯はいつも抜き』である。

 そんなことで、昼前のオープン時間に合わせて『すしろう』に回転ずしを食いに行く。

 流石に、待ち時間なしに席に座れた。

   次男・3男ほどではないが、それでも昼からよく食った。

   

 

   

★帰りに、孫がまだ神戸にいたころよく行ってた『三木の市民プール』あたりが様変わりしているので観に行ったのである。

 この三木山総合公園はプールとただ広いだけの駐車場だけだったのだが、昨年10月に体育館もジムも出来たし、子供たちに大人気の『大滑り台』が出現したのである。

 ちょうど『お昼時』で子どもたちも少なかったから、童心に戻って、ちょっと一番上から滑ってみた。

 これがその動画である。

              http://www.nicovideo.jp/watch/sm33660705

 

    一番上からの眺めは、思ったより結構高いのである。

     

 

   そして、そのスピードは結構速い。

    

 

    

 

  1台目と2台目を乗り継いで、下から眺めた滑り台である。

    

 

 

  一番下には、幼児も遊べるこんな遊具もあってなかなかいい。

    

 

 大人で滑ってる人は見たこともないが、滑ってみると『結構・快適』なのである。

 大学生の孫と85歳のおじんが童心に戻って、長い滑り台を楽しんできた。

 何事も、やって見なくては『ヨコから見ているだけ』では何も解らないということがよく解った。

 

 

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今回もまずは『こざるで焼き肉を』

2018-08-09 06:50:16 | 発想$感想

★昨日、お盆休みで孫が藤沢からやってきた。

 3人兄弟の長男、何となく娘からは結構厳しく育てられて、それが『可哀想』だと思うのか、おばあちゃんが特にお気に入りの孫で、逆に無茶苦茶『甘い』のである。

 早速、昼には、『こざるの焼き肉』を食いに行った。

 

        

 

      いつもは『昼の定食&追加』なのだが、昨日は最初からすべて注文品。

 孫は、『鎌倉の高級焼き肉店』でアルバイトをしていたこともあって、焼き肉に関しては「ちょっと通」なのである。

 肉の注文の順番もうるさくて、私は黙って『お相伴』にあずかってきた。

 

  まずは、こんな肉から・・・

     

 

  そして、メイン・・・

  

 

  仕上げは、こんな肉だった。

  

 

 3人で昼に、これだけ食えたらいい。

 

  こんな1分ほどの動画に纏めたので、ご覧になってみてください。

      http://www.nicovideo.jp/watch/sm33655897

 

 それにしても、都会の方からみたら、ビックリなさるほどの『安さ』なのがいい。

 先月は、鎌倉から来た息子が『旨くて安い』と気に入って、2日続けての連ちゃんだった。

 あの時は、『焼き肉は旨くて安い』のだが、息子がビールをじゃんじゃん飲むものだから、5人で万をちょっと超えたが、今回はアルコール抜きだから、3人ということもあるが、その半分ぐらいで収まったようである。

 孫がいる間に、私以外には誰も行ったことがない、『こざるの新店舗』・『精肉舎 こざる』に行こうということになっている。

 こざるは元々『肉の卸や』さんで、ここでは肉の小売りもやっているし、その肉を選んで『焼き肉』が食えるのである。

 

  

  三木山総合公園のすぐ近く、こんなお店である。

 

 

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お盆休み

2018-08-08 06:49:24 | 発想$感想

★私自身は、年中休みなので『お盆休み』も殆ど関係ないのだが、

 7月はアメリカから娘と末弟のの孫が三木に遊びに来てて、結構スケジュールも詰まったのだが、それ以来は殆ど予定もなくて、のんびりしていたら、藤沢にいる孫の長男・門野力也から連絡が入って、『16時17分・新神戸駅着』で来るというので迎えに行ってきた。

 

 

 

  最近は賑やかなところには滅多に出ないので、人に酔う感じである。

 

 

 

 定刻通り着いて降りてきた。

 

  

 

  この頃の若い子は、新幹線に乗るのもラフなスタイルで、足元は素足にサンダルなのである。

 

  

 

★いま慶応の4回生で、塾の先生のアルバイトなどやっていて、普段は忙しいらしいのだが、塾もお盆休みがあるらしい。

 8月15日まで三木にいるという。

 『私のお盆休み』は、普段よりはちょっと忙しくなりそうである。

 

 昨年は、淡路を通って高松の栗林公園までドライブしたりもしたのだが、今年はどんな夏休みになるのだろうか?

 

 

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高校野球 今昔  雑感

2018-08-07 06:48:48 | 発想$感想

甲子園の夏の大会が開幕した。

 昨日は大阪桐蔭ー作新学院の対戦があり、大阪桐蔭が勝利した。

 ずっと昔から、『何故か大阪は強い』のである。

 

 私が夏の大会に初めて出会ったのは1946年(昭和21年)旧制中学1年生の夏である

 戦後、初めて復活した『夏の大会』は甲子園球場ではなく、西宮球場で開催されたのである。 甲子園球場は当時は米軍に接収されていて使うことが出来なかったのだと思う。

     

 その戦後第一回目となる第28回全国中等学校優勝野球大会に優勝したのが大阪の浪速商業で、そのピッチャーが平古場 昭二投手で、平古場も浪商も一躍有名になったのを思い出すのである。

    

    

 そんなことから、日本は一度に『野球ブーム』になって、私自身は旧制中学の2年生から当時の神戸一中の野球部に入部しその後大学卒業するまで、ずっと野球部に籍を置いた学生生活を送ったのである。

 戦争中は『敵国の競技』ということで中断されていた野球が復活した時期だから、当時の中学校の野球のレベルは、今とは比べること自体がおかしいのかも知れぬが、『野球の人気度』は今よりも熱かったかも知れない。

 

★ どんな人たちの時代かというと、私と同期生が阪神の吉田義男監督や巨人の藤田監督阪神の小山投手は兵庫県の高砂高で1年下野村監督も1年下長嶋茂雄さんが2年下、国鉄の金田正一投手が1年上というこんな有名人と同世代なのである。

こんな有名選手はプロでも大活躍だったのでご存じだと思うが、この人たちは兎も角『野球チーム』のレベルは、今の高校野球とは比較すること自体がおかしいぐらいのことだったと思う。

 そんな時代の野球がどのようなものだったのか、私の記憶で思い出してみたいのである。

 中学野球大会が復活した翌年からは、新制中学・新制高校制が出来て、旧制中学には新入生が入学しなくなったので、当時の私の同期の野球部員は中学の3年間と高校の1年間の4年間を野球部の最下級生の補欠を経験した世代なのである。お蔭様で『辛抱する』ことを覚えた年代だと思う。

  野球部と言っても今のようにちゃんとした監督もコーチもいなくて、野球部の先輩たちが入れ替わりやってくるのだが『所謂精神野球花盛りの時代』で、野球の技術的な指導などあまり受けたことがなかったように思う。

 私自身が中学3年間を神戸一中で、高校は学区制で明石高校に転校したのだが、中学時代の春の選抜には両校とも出場しているので、当時の兵庫県のトップレベルの野球部であったことは間違いないし、当時の兵庫県では公立校の方が私立校よりも強かった、今思うと不思議な時代なのである。

 当時、兵庫県から甲子園に出場した学校を並べると順不同で神戸一中・神戸二中・明石高校・鳴尾高校・兵庫県工・芦屋高校・県尼崎・洲本高校など公立校ばかりで、私立で強かったのは育英ぐらいで、報徳も未だそんなに強くはなかったのである。

 

★私の年代の野球部は、今は当然と思われていることも経験がないのである。

 ● ヘルメットなど被らなかったし、勿論防具や手袋などもなかった。デッドボールをよけたりしたら、怒られたりした。

   

 

 ● 不思議だと思われるかも知れないが、背番号もなかったのである。

 プロ野球では背番号はつけていて、巨人の川上の16番や、阪神の藤村の10番は有名だが、高校野球も大学野球も背番号は無かったのである。

   

 こんな感じで、背中には何にも付いていないのである。

 ちょっと調べてみたら、日本で初めて背番号を付けたのは1931年の日米野球の時だというから旧いのだが、1944年に『背番号禁止令』が出て以来、未だ復活していなかったのである。

 

 ●金属バットは、何時からかよく分らぬがもっと遅かったと思うから、私自身はヘルメットも、金属バットも、背番号も学生時代は経験なくて、会社に入ってからの野球部で初めて背番号のついたユニホームを着たのだが、ヘルメットと金属バットは野球部のOB戦でしか経験がないし、それも最近はソフトボールだから、金属バットで硬球を打ったのは、明石高校の練習で打たせてもらった1度だけなのである。

 

★ それにしても昨今の高校生の体格はスゴイなと思う。

 みんな間違いなく『筋力トレーニング』をして出来上がった体をしているし、『素振り』を見てもこんな素振りをする選手は私たちの時代には居なかったと思うのである。

 野球・ソフトボールに限らず、日本のスポーツ界の基礎レベルは大したもので 水泳・体操・卓球・バドミントン・柔道などなど世界一を目指せる ようになっている。

 

★それは、兎も角いま私が不思議に思っている高校生のスタイルの中で、あの『リュックサック』には何が入っていて、なぜ甲子園のベンチまで持ち込むのであろうか? ということである。

 同じ野球でも、野球をするのにプロ野球の選手は 『リュックサック』など持っていないのである。

 少なくとも甲子園で野球をするのに、バットとグローブぐらいあれば、『その他は必要ない』と思うのだが・・・・

 

   

 

 我々の時代は、夏の予選が 『甲子園球場と西宮球場』だったのだが、当時は「ロッカールーム」が使えたから、着替えの服や私物はみんなロッカールームに置いてたのだが、ひょっとすると今はそれが『使えない』のかも知れないなと思ったりしている。

 ネットで調べても出てこないのである。

 昔のバックは手で持つと不均衡だしそういう意味で『リュックサック』がいい。

 とは書かれているのだが、その中味までは記述がないのである。

 もしご存じの方がおられたら教えて欲しいのである。

 

  

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育つものはいい 生命を繋ぐのもいい  メダカ

2018-08-06 07:57:20 | 私の生き方、考え方&意見

★若い頃から『育つものはいいな』とずっと思って生きてきた。

 庭木も、子犬も、鯉も、薔薇も、みんな育って立派になる。みんな好きだった。

 現役の頃、二輪車の世界で『二輪専門店の世界』にハマってしまったのも、日本では『零細な自転車屋』さんばかりで、あまり一般的ではなかったバイクの世界の二輪販売店が『育っていく』のに大いに関心があったのも、同じような想いであったのかも知れない。

 その時々で、対象は変わって行ったが、今は『子犬も鯉も』いなくなって、最近になってちょっと関心があるのが、金魚だったのだが、金魚が池で毎年こどもを産むなど思いもしなっかったので、結構入れ込んでいたのである。

   http://www.nicovideo.jp/watch/sm33565863

 今年も産まれたようで、コレで4年連続で、いま小さな池だが多分30匹近くにはなったのだと思う。

 

   

   

 

  ただ生き物には命があって、生まれるものもいるが死んでしまうものもいる。寿命で死ぬのは仕方がないが、金魚も一番大きくて立派な親だったのは3匹も猫に獲られて死んでしまったのは残念である。

 我が家の金魚は、餌をやるぐらいで何もしないのだが、勝手に毎年卵を産んで何匹かが育っている。卵を産む数はもっともっと多いのだろうが、その中の10匹ほどが運よく生き残っているのだと思う。別に何の世話もしていないのである。

 何もしなくても自然に増えるのが『自然の世界』だが、この池でどんどん増えているのが『エビ』である。1000匹ではなく多分万の桁でいると思う。小さな網でどこをスクっても10匹以上獲れるそんなレベルである。これはもう15年も前に孫と三木の川で獲ったエビを池に入れたら、今はそんなことになってしまっているのである。

 

★こんな生き物たちに対して、放っておかずに『世話をして育てる』そんな喜びはまた格別なのである。

植木とももう40年以上のお付き合いである。当初は大きくなるのに喜びを感じていたのに、今では大きくなりすぎて『』を切ってもう一度創り直しているところである。そういう意味では「100年も生きる」という鯉はよかったのだが、『鯉ヘルペス』で全滅してしまったし、『バラ』も育て初めて15年になるのだが、毎年花は咲くがそんなに『進歩がない』のが最近ちょっと熱っぽさがなくなった原因なのである。

 そんなところにこの夏『メダカ』が登場した。

メダカも池にいたのだが、もう一つ増えないのである。子供を産んでも金魚の餌になってしまっていたのだと思う。

よかたん』の温泉で10匹ほどの黒メダカを買ってきて。Amazonで白メダカも10匹ほど買ってみた。

それから丁度1ヶ月である。

 

  

 

 

   

 

  黒メダカはこんな鉢を買ってきてそこに池のエビと池にいたメダカを2匹ほど入れたのだが、親は殆ど死んでしまったのに、卵を産んでそれがこの2・3日1ミリほどの小さなメダカになっているのである。

それも4・5日前から毎日増えて今は20匹以上もいるように思う。何匹いるのか数えられないのである。

これは初めての経験で、人間何事も『初めての経験』には興奮するもので、何事にも『好奇心の強い』私は今最高なのである。

 ずっと鉢の中を覗き込んで長時間眺めて、動画を撮ってそれを切り取った写真である。

 白く写っているのは小エビで、メダカは その横にいる『』のように1ミリぐらいに映っているのがそうである。  

    

 

  こんなに小さいのでは、池ではみんな金魚に食われてしまっていたのだろう。

ここで生まれたのは、1ヶ月前に買ったメダカからではなくて、池にいた『メダカの腹』には卵が付いていたのでそれが孵化したに違いないのである。今までも池で腹に卵を持っているメダカは何度も見たので、その時このように鉢に移しておけば『メダカ』もいっぱい育ったかも知れないのである。

あと何日か生まれた『メダカ』たちが育つかどうか、ある程度育てば、池に放してやる方がいいのかも知れない。

 そして、腹に卵を持ったら、スクってこんな鉢で産卵させたらいいのでは? といまそんなことばかり考えているのである。

 

 ★単に「育てる」のもいいが『生命を繋いでいく』のも楽しい。

 薔薇も『挿し木で育った』ものには特別の愛着を感じるのである。

 もっと言えば、孫までは『私のDNA』を繋いできた。

 そんな孫たちのもう20歳を過ぎたが、『次の世代』を果たして見ることができるのだろうか?

 

  

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ESTA申請

2018-08-05 06:19:23 | 発想$感想

★皆さん『ESTA申請』などご存じだろうか?

 もしご存知でも『ESTA申請』など、ご自身でおやりになった人は少ないのではなかろうか?

電子渡航認証システム ESTAとは Electronic System for Travel Authorization の略で、アメリカへ観光やビジネスなどの短期旅行(90日以内)をする場合に、ビザ無しで旅行可能かどうかを前もって審査するシステムのことだという。

事前にESTAの認証を取得していないと、航空機への搭乗やアメリカへの入国を拒否されるのである。

 アメリカに入国するには、この『ESTAの申請』がMUST条件で、この申請は、ネットでの申請だけで『それ以外』は許されてはいないので、電子渡航認証システム なのである

私はパソコン申請など出来ません』は通用しないのが如何にもアメリカ的で、例外を許していないところがいい。アメリカに渡航する人が全てパソコンが出来るとも思えないのだが、ネット申請以外は『アメリカ旅行』など出来ないのである。

 かくいう私も現役時代は「パソコン」など全く無縁だったのだが、今アメリカのIrvineにいる娘婿に、無理やり会社で残ったパソコンを買わされてから、しょうことなく独学でパソコンが何とか使える段階までにはなったのだが、それが今は『Irvineに行くのに役立っている』のがオモシロい。

若し私がパソコンが出来なかったら『アメリカ旅行』をどのようにしてやるのだろうか?

 

★ところで、そのESTAの申請だが、毎年やってはいるのだが、そんなに自信がある訳でもないのである。

私は『パソコン教室』など一切行っていないので、基本的なこともよく解ってはいなくて、自分が毎日やっていることだけが何とかできるというそんなレベルなのである。

 昨夜夜中にふと目が覚めて『そうだESTAの申請をしなければ』と思い出すと寝てもおられなくて夜中に起きだして、『ESTAの申請』を確かめてみたのである。

これを教えてくれる先生は周りにいなくて、『自分でやる』以外に選択肢がないので、朝起きてすぐその『申請』なるものに取り掛かったのである。

   ESTA申請 と検索するとこんな画面が現れる。

  在日米国大使館・領事館 などの物々しい名称だから、何となく緊張するのである。

 

   

 

その中の『ESTA申請』をクリックするとこんな画面が現れて、この4段階をクリアして始めて『アメリカ旅行OK』なのである。

 

    

 

 そして『ESTA申請はこちらから>>』をクリックするとこんな申請画面が現れるのである。

  

    

 

 

そこに必要事項を入れていけばいいだけの話だが『これでよかったのかな』と例えば名前は、FURUYA RENTARO と大文字で入れるのか Furuya Rentaro と入れるのかなど、いろいろと気を遣うのである。

 自分自身と家内の分の二人分を打ち終えて発信すると『受け付けました』というメールが届くのだが、『審査結果』で合格が来るまでは気が気でないのである。

 

    

 

   

 

 

先方も審査があるので、そんなに『すぐ返事が来る』訳ではないことは解っていても、通知が来るまではなかなか落ちついてもおれないのである。何度かメールを確かめたが、午前中には『合格通知』は来なかった。

午後になって、やっとこのような『合格通知』が来た。

 

お世話になっております。ESTA Online Center です。

米国合衆国より、お客様の渡航が許可されました。ご渡航の際、認証情報の提示を求められる事はありませんが、国土安全保障省(DHS)では、"控え"としてこの情報の保管をお勧めしています。

 というメールと『控えとしてこの情報の保管をお勧めする』というESTA申請ID と 渡航申請番号は、このように仰々しい桁数なのである、中の数字や文字はちょっと変えてあるが、この長さである。

 

   ESTA申請ID   abd5e4t9fc71f2f524a888fabbf8c2c6d 

   渡航申請番号   Z7RXRF9X1R67F4FQ9

 

★ やはりアメリカに渡航する人は多いので、これぐらい長くややこしい桁数にしないと管理できないのかも知れない。

 昨日は半日、このESTA申請でつぶれたが、考えてみると申請してから4時間ほどでこのような『許可通知』が来るのは、流石アメリカだし、『ネット申請の威力』なのかも知れない。

そういう意味では、例外を作らないアメリカは流石だと思っている。

 お蔭様で9月末からの『アメリカ旅行』は何となく現実味を帯びてきたのである。

 

 

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アメリカのスポーツ教育システムについて 私見

2018-08-04 06:11:27 | 発想$感想

★昨日のブログのコメントに三木の臼杵孝之さんから、

アメリカの「スポーツ育成システム」が、気になります。またの機会でも結構ですのでご教授願い致します。
とのコメントを頂いたので、私が感じている『アメリカの青少年を育てるスポーツシステム』について纏めてみたい。

 二人の孫たちは次男が大学4回生、末弟は高校生で二人ともサッカーをしていて『プロを目指す』と言って憚らない。『プロなど?』と思っていたが、どうもプロの道を進みそうなのである。

 二人は次男は小学4年生の頃、末弟は幼稚園児の頃アメリカに渡って、当時は単なるデブ、次男は日本でサッカーをしていたが、『リフテイングが5回出来た』と喜んでいたレベルだし、末弟は日本の温泉に連れて行くと周りの人から『相撲取になればいい』と言われるほど大きくて肥えていた単なる「デブの兄弟」だったのである。

もし日本にそのままいたら、とてもプロを目指す『サッカー選手』などにはなっていないと思うのである。

ここまで成長したのは、本人の努力もあるが、そのベースは『個人を育てる・アメリカのスポーツシステム』のお蔭だと思っているのである。

 

  

 

★そんなアメリカの『個人を育てる・スポーツシステム』について以下箇条書きで思うところを並べてみたい。

 

● 基本的に『チームの勝ち負けもあるが、個人を育てる仕組み』が子供の頃から大学まで、完成している。その個人の育て方も各人の目指すレベルごとに出来上がっていると言えるのではなかろうか?

● 高校の中にもスポーツクラブはあるが、それは日本の運動部とは全く異なる『愛好者の集まり』である。大学でもトップレベルの大学とそれ以下の大学ではちょっと違っているようである。

● 18・19歳までの大学に入学するまでは、年齢ごとのチームが各地に沢山あってそのチームに参加する。

● サッカーの場合は1チーム15人ぐらいまでで、そんなチームがレベルごとにいっぱいあるが基本的に補欠はいない。

● その最もレベルの高いチームが、US Development Academyという全米の公認チームで、全米で50ぐらいの組織である。

     http://www.ussoccerda.com/home.php

●この組織に参加している個人は、将来プロを目指そうとする全米のトップレベルの選手たちで構成されていて、如何にもアメリカらしく子供の頃から『そんな夢』を持ってプレーしているのである。

● そのカリフォルニアの組織が Strikers FC http://strk.ussoccerda.com/home.php でこのチームも年齢別に15人ぐらいなので、なかなか入ることがムツカシイのである。

● 次男は最初に、入団を希望したら『デブはダメ』と言われて入団するまで2年間減量してやっと参加出来たのである。

● Strikers FC のコーチの人たちは元プロの有名選手が本格的に育成に当たっていて、毎週4日ほど2時間の練習と週末には周辺地域のUS Development Academyとの試合がリーグ戦形式で行われている。

● Strikers FC に参加すると会費は取られるし、試合の遠征費などの飛行機賃なども自己負担だから結構金は掛かるし、毎週の練習にも遠い人は2時間もかけてやってくるので、親はその送り迎えや経済的な負担も大変なのである。

● ただ練習グランドなどは非常に整備されていて、そんな中でのサッカーがコドモの頃からできるのがアメリカである。

 

      

      

 

       

 

● 試合は US Development Academyが全てビデオに撮ってくれるので自分のプレイを確りと見ることができるし、全米の記録が整理されていて、次男なども得点ランクで全米のトップテン内に入っていたこともある。

● 1チーム15人ほどだから、補欠はいないと言った方がいい。全員が試合に参加するシステムになっていて、チームの成績もさることながら、個人の育成が主たる目的となっている。

● US Development Academy のチームは年に1回フロリダで全国大会のようなリーグ戦が開催され、そこには大学やプロのスカウトたちが集まって、優秀選手を物色するのである。

● 大学のサッカーチームは、これは日本とは全くそのシステムが異なっていて、トップリーグの大学のサッカーチームは推薦選手のみで構成されていて、個人が仮に入部を希望してもそれは受け入れられないのである。

● 各学年の大学の推薦選手は5・6名なので大学のチームは20人ちょっとで、日本のように100人もいるということはない。

● 大学の場合は、授業料に匹敵する金額が推薦選手に支払われ、各選手はその支給金の中で授業料を払い一部生活費に充てたりするのである。そういう意味ではプロのような生活で、スパイクなども無償支給だし遠征も最高級ホテルに宿泊など優遇されている。

● 大学の試合は全てテレビ中継されているし、いろんな報道でも記事になったりするのである。

 

     

 

● 大学の授業はこれはまた全然別で単位が取れない限り『卒業できない』しその水準はなかなか厳しいようで、結構ちゃんと勉強しているようである。

● 大学の授業料は年300万から600万円と非常に高いので推薦選手にならない限りなかなか大学にも行けない。優秀な大学には優秀な選手が集まるので、サッカーの全米王者は3年連続であのスタンフォード大学で日本のような『スポーツ大学』とは全く違っている。

● 仮に推薦選手で入学しても最初は授業料が払える金額の支出があるが、サッカー部の中での活動がもう一つだと支給額が減らされてしまうので、大学を辞めねばならぬことになるようで、その辺は非常の厳しい世界のようである。

● 末弟は次男と違ってキーパーだが、高校は来年度まで2シーズン残しているのだが、既にサンデイエゴ大学への推薦入学を決めたようである。

● アメリカの大学リーグは『個人を育てる仕組み』がルールの中にも生かされていて、バスケットのように『選手の出し入れ』が出来るので戦況に応じて選手が入れ替わり、必ずしも主力選手だけで戦うわけではない。

● 末弟は小学生時代からメキシコ代表のキーパー個人指導をずっと受けてきた。1時間6000円で、金さえ払えば誰でもそんな有名キーパーの指導が受けられるシステムが出来上がっている。別にこのキーパーは子供相手の指導者ではなく、現在はStrikers FC のキーパーコーチでもある。

 

     

 

 ★ このようにアメリカのスポーツ指導は、プロなどのトップレベルを目指す人たちと『スポーツを楽しむ』人たちとでは、全然異なるアプロ―チだが、その底辺には『個人を育てるシステム』が既に完成していて、特に大学のスポーツ選手の環境は素晴らしいものがある。各大学の各競技のスタジアムなど、特にアメフトのスタジアムなどこれが大学の施設かとびっくりしてしまうし、サッカーもすべて独自のスタジアムを持っているのである。

     

 

      

 

    

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日本のスポーツ界  雑感

2018-08-03 06:22:24 | 発想$感想

★スポーツの世界で言われること、それは『フェアプレーの精神』だが、昨今の日本のスポーツ界の出来事を見ていると『これがスポーツなのか?』と思われることが多すぎるのである。

日大アメフト部の問題は、大問題となって一応の結論は出たのだが、未だに田中英壽理事長は公の席での発言はなくて構造的な対策には程遠いと思われる。

レスリング協会で発覚した栄和人前強化本部長による選手らへのパワーハラスメントでも、組織の機能不全が明らかになった。

 

朝日の社説では、

共通するのは、強力なトップの下で、旧態依然の上意下達がまかり通る体質だ。選手の意識や感覚は変わっているのに、現場の声を吸い上げることができない。そんな風通しの悪さは、果たしてここに挙げた三つの組織だけの問題だろうか。一連の事態を機に、スポーツ界は自らの足元を確認し直すべきだ。所管する文部科学省、スポーツ庁、内閣府なども、危機感をもって臨んでもらいたい。』

と指摘されているのだが、今回はまたアマチュアボクシング界でまた同じような事件が発生した。

この山根明会長が一番悪質であることは間違いないのだが、この数日どこのテレビも一様に取り上げていて、どのチャンネルを回しても、この顔が現われるのである。

 

  

  

 

 ★然しよく考えてみると、みんな事実が出てからの『後追い』でどのテレビ局も、マスコミも同じような報道内容ばかりなのである。

各新聞社もテレビ局も、それぞれ専門の記者がいて日ごろ取材をしているのだから、昨今取り上げられてきた問題が起きるまでは、『ホントに解っていなかったのだろうか?』

どの問題ももう何年の続いている構造的な体質問題で、よく解っていたはずなのに『自ら取り上げよう』とはしなかったとしか思えないのである。

所管する文部科学省、スポーツ庁、内閣府なども、危機感をもって臨んでもらいたい』という朝日新聞も、文部科学省やスポーツ庁に『危機感を持て』という以前に朝日新聞自らの態度に『危機感を持って欲しい』と思うのである。

何か『日本のジャーナリズム』自体が、本来の機能を失ってしまって、一様に「後追いの報道」になってしまっているのは、『今のジャーナリズム界に正義感が欠けてしまっている』ように思えてならないのである。

これでは全く『真相を追っかけて世の中をただす』のではなくて、何かが起これば『評論する』後追いの評論家に成り下がってしまっているとしか言えないのである。

 

 

   

 

  それにしてもこのお二人は何となく風貌までがよく似ている。

お二人には「組織の長」をおやりになる資格はないと思うし、即刻『辞任』をされない限り『問題の解決』にはならないのだろう。

 

★スポーツの世界では、高校野球夏の大会が今年は『100回の記念大会』である。

 朝日新聞の主宰大会だが、このような問題点の指摘もある。

 何度か個人的に指摘したが、基本的に地域を代表する高校野球の大会なのに、ここでも指摘されているように『他県からの選手を集めた野球学校の大会』になってしまっているのが現実なのである。

 日本の野球のレベルをアップするために、そんな強豪チームの大会があってもいいのだが、それは『本来の高校野球大会』とはちょっと違っていると思う。

 

 

   

 

★ 日本のスポーツ界もこの機会に大きな改革をすべき時期に来ているように思えてならない。

 特に大学・高校でのスポーツ活動とそのスポーツの優秀選手を育てる活動そのものに、今のままでは限界が来ているように思えてならないのである。

 その点、システムの国アメリカの若い世代の『スポーツ育成システム』は現実的で見習う点がいっぱいあるように思うのである。

 

  

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今年のアメリカ旅行は?

2018-08-02 06:46:42 | 発想$感想

 ★ここ数年、秋にはアメリカの娘のところに1ヶ月ほど遊びに行くのが続いている。

 孫たちのサッカーを観るのが目的で、次男と末弟のサッカーを毎週のようにあちこちに観に行っているのである。

 今年は次男がBerkeleyの4回生で最後のシーズンになるので是非行きたいなと思っていたら、娘婿からこんなメッセージが届いたのである。

9/24,25にアメリカに滞在できるようなスケジュールは難しいでしょうか? メジャーリーグのエンジェルスの試合観戦に行きたいなと思います。その週がシーズン最後の試合なのです。』

娘婿 Tad Kadono(門野匡秀)の今年のFacebookを見てると、『大谷翔平のいるエンゼルスの試合』のことが多くて、ずっと試合を観に行ってるのかなと思っていたら、勤めている会社が『エンゼルスのスポンサー』になったとかで、球場に行くのも『会社の仕事の一部??』だそうである。

 

 こんな写真がいっぱいで、

    

 

   スタンドだけではなくてグランドに降り立ったりしているのである。

 

    

 

 大谷翔平はIrvineに住んでいるらしいし、Irvineからエンゼルスのホームグランドのあるアナハイムは、車で20分も走ればいいような隣町みたいな立地なのである。

 

   

 

     

 

 この地図にあるようにIrvineからアナハイムは5号線を走れば、すぐそこなのである。

是非、大谷翔平を直に見たいなと思っていたので、9月24日の週にアメリカに行けるようなスケジュールを組みたいなと思っている。

 大リーグの試合は現役の頃、一度だけ見たことはあるのだが、当時は日本人選手もいなかったので、ただ試合を観たというだけのことだった。それも多分アナハイムスタジアムだったと思う。

 そんなことで、出発は9月20日以降にしたいのだが、肝心のサッカーは末弟の試合は殆ど毎週サンディエゴであるのだが、次男の試合は、遠いので毎週というわけにも行かないのである。

 

  

 

 ただ、アメリカの大学リーグは全試合テレビ放映があるので、テレビでは観ることは可能なのである。

 

   

 

  次男の試合で、多分1回ぐらいはBerkeley まで600キロの日帰りドライブをすることになるのだろうが、11/1 には UCLAとロスアンジェルスで、 11/4 にはサンディエゴで、サンディエゴ大学との試合があるので、ここまで滞在しては?というオファーなのである。

1ヶ月半ほどの滞在期間になるが、次男の大学最後のシーズンなので、昨年と同じようにチームの得点王を目指して頑張って欲しいなと思っている。

 まあ日程の方は、『家内と娘』で決めると思うので、それに従うことにする。

 

 

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