雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

のどかな三木

2024-04-15 05:46:20 | 発想$感想

★「のどか」とは、その人のおかれた環境によって、穏やかな気分になるさまをいい、
のどかな田園風景」のように、穏やかな気持ちにさせるような風景をも修飾できるとあった。

 「脇川の念仏水」のあるこの地区の風景は、
 まさに自然そのままの『のどかな風景』で
 人もクルマも見当たらない。


  



 自然に囲まれたこんな立地で、
 すぐ横に集落もあるのだがまさにのどかな風景である。






 我が家とは直線距離で5kmほどなのだが、
 こうしてみると三木は自然いっぱい、ゴルフ場もいっぱいなのである。
 全部で25もあって、西日本では一番多いとか。





  我が家のある一帯も開拓されるまでは山だった。
  いずれにしても「のどかないい環境の三木」で
  晩年を過ごせてよかったと思っている。


★ 我が家の庭も今年は草抜きなど、手入れができたので、
  綺麗になっている。


  


 
 今年は暖かいので、4月のうちに薔薇も花が見られるかも知れない。
 もう蕾もついている。

  



  まさに春、のどかな気分に浸っている「のどかな三木」である。

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脇川の念仏水に行ってきた

2024-04-14 06:34:55 | 発想$感想

★ 昨日は水道水のことを書いたのだが、
 三木の水源の一つが『脇川の念仏水』と言うことで、
 どんなところか一度見ておこうと朝7時半に車で家を出た。


 地図で見るとこんな山の奥の方なのだが、
 道がもう一つよく解らなくて、
 すんなり行くことが出来ずに、あちこちの道を迷って
 最後はこの辺りの方に道を聞いて、やっと行き着いたのである。

 現場に着いたのが8時50分だったから、1時間半近くウロウロしていたことになる。

  



 どの道も、細い山道で、たどり着くまでホントに大変だった。


  


  教海寺のすぐ近くなのだが、こんな山奥のお寺である。


  


 
 三木は旧いまちなので、
 ここも弘法大師ゆかりの池とあったが、





 いまはこんな形に草が生えて、
 確かにその奥には水源らしきものもあるのだが、よく解らなかった。
 直ぐ下には脇川が流れていて、そこが水源になっているようである。





★場所が解ったので、帰りは家までこんな道を戻ってきたら、
 殆ど家から一直線で、25分ぐらいで戻ってこれた。

 
  


 三木の道は殆ど解ってると思っていたが、まだ通ったことのない道もあるのだ。

 この道も行き止まりではなくてずっと北の方に抜けることが出来る
 旧い昔の山道なのである。
 そんなことで弘法大使も通られたのだと思う。
 そう言う意味では、三木は旧い由緒あるまちなのである。
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水道水が飲める国

2024-04-13 05:53:48 | 発想$感想

★水道水がそのまま飲める国はアジア圏では意外だったが、
 日本だけのようである。
 アメリカ大陸は北も南もダメなようだし、
 ヨーロッパ圏はドイツを含めて8カ国が大丈夫なようである。
 オーストリア・アイスランド・アイルランド・スロベニア・デンマーク・フィンランド・ノルウェーと並んでいて、
 アフリカ圏では南アフリカ共和国・1国だけで、
 世界で9カ国しかないようなのである。


★そんな日本でも、水道水をそのまま飲んでる人は25%だが、

 


 私は戦前派で無神経なのか、子どもの頃から水道水しか飲んだことがない。
 ペットボトルの水は我が家では買わないし、
 たまに外出先で飲むことはあるが、それも年に何本かと言うレベルなのである。

ペットボトルの水を飲んでる人が28%と一番多いようである。



    
   



★ 三木市の水道は深井戸・県営水道の2種類の水源から成り立っており、
 配水区域により水質には若干の差異がありますが、
 全ての地域において「おいしい水の要件」をほぼ満たしています。
 とネットで書かれていて

 多分我が家は「脇川の念仏水」が水源ではないかと思うのだが、

  

 
  水道の水もなかなか美味しいのである。

★ 日本でも水道の水を飲んでる人は、4分の1だし
  世界でも『水道の水』をそのまま飲む人は少ないだろうから、
  考えてみると、世界の中でほんの数%という希少な人の中に入っているということなのである。

  『水道の水』を飲むのは当たり前のことだと思っていたが、
  これはホントに希少価値の中に入っていて『幸せ』と言っていいのだろうか?
  改めて、そんなことを想っている。
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急坂を上ってきた

2024-04-12 06:11:07 | 発想$感想

★三木防災公園にはこんな急な坂と言うかきつい上りの芝生がある。
 先ず、普通の道にはこんな勾配はない。

 
  


  この坂を休まずに2度登ってきた。
  先日から開始した足腰強化のためである。
  実際に登ってみると、休まずに上るのは相当にきつい。

  果たして何歳まで登れるだろうか?
  先ず、普通の高齢者には無理な勾配だと思う。


  上からの眺望である。
  山頂とは言わぬが、まさに山の上からの眺めと言っていい。
 
  


  防災公園の建物が低く見える。





  毎日とは言わぬが、今後も鍛錬のため登ることにしよう。
  アメリカのプロのサッカー選手の孫たちはこの坂を走って登ったりしていたのである。


   

 
  体力維持にはいい環境だと思っている。
  次回は出来たら3回登ってみたい。
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カワサキの二輪車の歴史について    その2

2024-04-11 05:43:12 | カワサキ単車の昔話

★カワサキの二輪車の歴史・その2は
 1960年。神戸製作所で二輪車の一貫生産を開始とある。



  

 私は昭和32年4月(1957)に川崎航空機に入社したのだが、
 最初の配属先は業務部財産課だった。
 そこでも新しいことばかりやっていて、木製の椅子から金属製のネコスの椅子に変えたり、財産物件の償却計算を民需では初めてIBMを使ったりした。
 当時はアメリカ空軍のジェットエンジンのオーバーホールを明石工場でやっていて、明石工場にはIBMの器械装置があったのである。

 日本で一般にIBMが使われ出したのは昭和40年代だから、それより10年も早い時期のことなのである。
 そんな財産課にいたのだが、肺結核にかかって1年ほど入院していたのだが、その退院の時期が1961年12月で、たまたま新しく単車営業課が発足したのである。
 初めてのことだからそこには誰もいなかったのだが、
新しい仕事』なら古谷は出来るだろうと思われたのか、その単車営業課の所属になったのである。
 その部門の上司は業務部時代にもいろいろお世話になった小野助治さんで、その小野助さんに『私は引っ張って』頂いたのである。

 小野助治さんは、当時小野助さんと皆に呼ばれて、ホントに面倒見のいい上司だったのだが、私はその後、結婚するときは仲人をお願いしたりしたのである。

★これがきっかけで、私はその後、1999年に退職するまで、一貫して二輪事業を担当することになったのだが、
 一番最初の車はニューエースとあるが、それはほんの数か月のことで、私が営業課に異動した時の車は、125ccB7モペットM5が主力車種だったのである。


  
 
 
 そのほかにも、井関のタフ50なども委託生産していた時代なのである。


★ 私が営業課に配属されて小野部長に最初に言われた指示は物品税を研究してくれ』だったのである。
  この125B7は出荷もしていたが、フレームに欠陥があって多くの車が返却され、明石工場は返却車の山だったのである。
 私が配属されて2か月目の1962年1月の出荷台数は返却が出荷を上回って『マイナス17台の出荷』と言う信じられないことが起ったのである。

 当時125cc以上のバイクは贅沢品に掛けられる『物品税』が掛けられていて、この物品税の納入は至って簡単なのだが、
 返却されて治めた『物品税を戻入』して貰おうとするとこれが大変なのである。
 1台1台、明石税務署の署員の実地検査があって、そこで認可されないと戻して頂けないのだが、
 それは出荷当時のままと言うのが条件で、例えばメーターはゼロ出ないとダメなので、メーターの巻き戻しなどもやるという、大変な作業だったのである。
 さらにこの物品税は申告税だから、若し不正があると体刑になるというムツカシイ処理で、ホントに大変だったのである。

 そんな大変な時代が1年続いたのだが翌年には名車とも言われる25B8が出て、単車事業はやっと何とか軌道に乗り始めたのである。


  
 
 
 私の単車1年目はこんな大変な時代だったのである。
 いまは隆盛を極めるカワサキの単車事業だが、
 スタートから10年はずっと大変な時代が続いたのである。
 100社近くもあった単車の事業体がどんどん脱落して、
 いまの4社体制になるのだが、浜松の3社以外に生き残ったのはワサキだけなのである。
 そんな時代をずっと一緒に過ごせたのは今となっては貴重な体験だったと言えるだろう。


  

 
 私の入社当時の川崎航空機の明石工場はまだ単車工場もなくこんな状態だったのである。
 この広大な土地や戦前の機械の売り食いでやっと経営を繋いだ時代で、そう言う意味でも財産課は至って貴重な部門だったのである。



 
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金魚やメダカの季節がやって来た

2024-04-10 06:25:59 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★子供のころからなぜか鯉や金魚が好きだったのだが、
 90歳を過ぎてもそれは変わらないから不思議である。

 小さな池に鯉や金魚など小さなのを放したら、今はこれくらいになった。
 餌をやって飽きずに眺めている。
 今年も2cmほどの金魚や鯉を15匹ほど放したのだが
 なかなか写真には写らない。


 


 
  金魚もメダカもコドモを産んだリするので
  その準備にAmazonでホテイ草を頼んだ。


  



  これは去年の写真だが、
  メダカが毎日卵を産み続ける。
  ホントに不思議だが産み出すと毎日産むのである。






★ メダカが卵を産みだすのは、確か4月の末ごろ、
 水温が18℃以上になったころからなので、
 準備段階に入ったのである。

 産み出すとその世話が忙しくなるのだが、
 いまの時期、産み出すまでが期待があって何となく待ち遠しい。
 今年もそんな季節になった。

 

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櫻満開

2024-04-09 05:10:36 | 発想$感想

★この地域でも桜満開になった。
 今朝の協同学苑の桜である。

  



  日本の花・桜、ホントに綺麗だなと思う。


  しだれ桜も見事である。

  


 
  でもあっという間に散ってしまう。


  


  今日の午後から明日にかけては雨なのだが、
  何とかこの雨には持ちこたえて欲しいものである。


★ 日本以外にも桜はあるのだが、
  何となく『桜は日本』と言うことになっているようだ。

  私は子どもの頃は今のソウル・京城にいたのだが、
  住所は城東区桜丘で、通った小学校は桜が丘小学校だった。
  当時は日本だったし、その開拓地に桜をいっぱい植えたのは
  間違いなく日本人である。


  昌慶苑の桜 は有名だった。


  
  
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カワサキの二輪車の歴史について    その1

2024-04-08 05:59:43 | カワサキ単車の昔話


★「カワサキモーターサイクルの歴史」としてこんな表が載っていた。
 1960年から2000年までの40年は丁度私が二輪車を担当してた現役時代なのである。
 40年間の歴史の中で1966年までのスタートの時期以降は抜けている年度もあるが、そんな年度のことも私なりに補って40年間の歴史としてみたい。 
 



川崎航空機工業が戦時中に生産してたのは飛燕などの戦闘機だったのだが、
そのために敗戦と同時にGHQから工場を差し押さえれ操業停止になった。
昭和28(1953)の生産再開までは播州滝野高槻に疎開工場があって、播州工場では歯車を高槻ではエンジン関係をやっていた。
カワサキの単車1号機も高槻工場で造られたものだった。





 この高槻工場には後に単車事業本部長もされた高橋鐵郎さんもおられたようである。
 昭和28年(1958)に明石工場が再開されたのだが、
 私は昭和32年入社なので、その頃のことは話として聞いているだけである。
 本格的にカワサキが一貫生産工場を造って単車事業をスタートさせたのは1959年のことで、
 目黒製作所と提携し、社内にも『単車営業部』がスタートしたのは、1960年なのだが、
 この年に私はその単車営業部に異動したので、カワサキの単車のスタート時期から、1999年に退社するまで、二輪事業に関わっていたのである。

★その殆どの項目が二輪車の機種なのだが、それについて私なりの感想や思い出などを纏めてみたいと思っている。
 閑に任せて40回、どんな記事になるか解らぬが、楽しみにしてください。
 

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庭仕事   草抜き

2024-04-07 05:02:35 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★春になって庭仕事の最盛期が始まる。
 先ずは『草抜き』かな。
 冬の間も草抜きはしてるので、そんなに草は生えていない。

 特に前庭の苔の植えているところは、
 草一本も生えていないように頑張ってるが、
 それでもちょっと油断をすると双葉の草が芽を出してくる。

 
  


  こんな感じで、
  小さなごみが目立つのだが、ごみもせっせと拾っている。





  今朝は裏の草を抜いたら、こんなになった。


 
 

  生えていないようだが、落ち葉なども含めてこんなになった。





  三木金物の専用の草抜き道具は重宝している。






  それでもこんなところは、除草剤に頼らざるを得ないのである。







  有り余った時間があるから、
  『草抜き』も達成感があって、なかなかいい。
  草を抜いておけば、落ちる種も少なくなるので、
  そんなに草茫々になったりはしないのである。

  それにしても草の生命力は強いな。



  
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朝の運動  雑感

2024-04-06 06:23:31 | 発想$感想

★ 毎朝欠かさず2時間近く運動しているのだが、
  今年は1月から3か月『1万歩』を目標にスロージョッギングをまじえて、
  兎に角『一万歩』になるまで歩き続けてきた。

  ただ以前はやっていた50メートルダッシュを止めてたのだが、
  下半身、特に腰回りの筋肉が落ちたような気がする。
  そんなことで昨日から『方針変更』して、新しいスケジュールで兎に角3か月はやってみようと思っている。

  いつも行く三木総合防災公園の林間広場にはこんなストレッチなどの体操器具が並んでいる。


  
 



★まずはこれを使って、筋トレとストレッチをやることにした。
 沢山の器具を使って、自分なりにやってみたが、全部使ってやってみると50分近く掛る。

 そのあとこんな周回路を2周ほどスロー・ジョッギングして

 


    それ以降はこんな芝生の広場で、
 50メートルダッシュを休み休みだが、約1時間繰り返した。

 
  


 歩数は5000歩ほどで約半分だが、
 消費カロリーはこの日の累計で、1000cal を越えた。

 結構ハードだったが、昼寝して起きたら、下半身、特に腰回りがしゃんとしてる感じである。
  それなりの違った効果があるようなので、これから3か月はこの方法で続けてみたい。

  果たして、どんな結果になるのだろうか?
  いまでも何とかちゃんとダッシュできるが、
  もうすこしスムースに速く走れるようになる筈である。
  『91歳の挑戦』頑張ってみたい。


  
  

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三木の桜巡り  雑感

2024-04-05 06:03:56 | みっきぃふるさとふれあい公園

★ 4月になって桜の季節である。
  まだ先始めで満開ではないが、三木市の桜を写真に撮ってきた。
  毎年この季節になると思うのだが、ひょっとしたら三木市は日本で一番の本数が多いのではないかと、私は密かにそう思っている。
  『日本一美しいまちをめざす三木』なのだが、
  『日本一桜の多いまち三木』と言うのも悪くない。

  桜の本数は『植える場所』の問題だと思う。
  三木市はホントに広いから『植える場所』には事欠かない。


  今朝は3時間ほどかけて、三木市の桜の写真を撮ってきた。
  もっと他にもゴルフ場など桜が植わっている場所は多いのだと思うが、
  今朝廻って来たところは一応は桜並木なのである。
  この地図の赤い線を引いているところの写真である。


  


  ちょっと枚数が多いが、撮ってきた順番に並べてみる。


  1枚目は我が家の目の前のおうちの桜の木である。
  大きくて見事である。


  



  これはさくら公園の桜たち


  




  協同学苑の桜並木である。
  この時期になると春爛漫、花見をされる方も多い。




   500メートルほどあるかも知れない。






   ここは緑ヶ丘と  の境の川沿いの桜、
   
  


  大きくて見事である。
  隣接する公園の名前も『さくら公園』、
  『さくら公園』がいっぱいある。




  ここは防災公園の Eデイフェンス の敷地の桜
  その本数が素晴らしい。

  


 これは防災公園の桜並木の一つ





  なだらかな坂道の下まで桜並木で、
  神戸の丹生山をバックに美しい。




★ ちょっと足を延ばして吉川の川沿いの桜を撮りに行ってきた。
  延々と川沿いに植えられていて、何キロメートルあるのか、
  何本あるのか解らない。

  兎に角、桜並木が続いている。
  この4枚の桜がすべて繋がっている。
 
    






  これも川沿いの桜だが、
  これは三木市内を流れる 美嚢川河川敷の桜並木である。





 これも何キロあるのだろう?




  これは三木の街から市役所に通ずる旧い桜並木。





  ここからの何枚かは三木山総合公園の桜。
  ここだけでも樹は若いが本数はいっぱいである。














 そして最後の1枚は、わが町緑ヶ丘に降りる『桜坂の桜
 



 
 ★ その名の通りの『チェリーヒルズ・カントリー』は桜がウリである。
  このゴルフ場一つで5000本の桜が植えられているというので、
  ご覧の通り、三木は桜がいっぱいなのである。
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春の庭

2024-04-04 05:49:05 | 発想$感想

★ 春の日差しで庭の雰囲気も一気に春らしくなるから不思議である。

  何となく陽ざしが柔らかい。

 
  



  クリスマスローズがいっぱい花を付けている。


 
  



  春の花『椿』も花開いた。


  



  薔薇の新芽が一番きれいな時期である。


  


  今年もいっぱい花を付けることだろう。

 


  春の花『はなかいどう』がかわいらしい蕾を付けた。


  



 もう花も終わりに近く、いっぱいの新芽だが、
 これは桜ではなくて『サクランボウ』である。

 今年も実を付けてくれるだろうか。
  
  


★ 冬の間も『草抜き』はサボらずにやってたので、庭には草は生えていない。
 草にとっても春だから、油断をすると草いっぱいになってしまう。

 庭仕事も忙しくなる、そんな春がやって来た。
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今日はZ1会のゴルフコンペだったが

2024-04-03 05:24:21 | カワサキワールド

★ 朝5時既に雨が降っている。
  今日はZ1会の今年はじめてのコンペだったのだが、
  雨は終日降りそうな天気予報である。

  これが10時半の天気予報だが、三木辺りもひどい雨のようである。
  これではちょっと無理なので、
  今日のゴルフは一応現場までは行くつもりだが不参加にしようと思っている。

   



★ Z1会のゴルフコンペは毎年4回三木セブンハンドレッド倶楽部で開催されているのだが、
  今回が第87回と言うもう20年以上続いているコンペなのである。

  このコンペの初代会長はℤ1の開発総責任者だった大槻幸雄さんだったのだが、

  


  今年は会長も3代目で、新しく塚本昭一さんと若返りするのだが、
  その今年の第1回のコンペが雨とは残念なことである。
  参加資格は「Z1が好き」ならどなたでも参加できるので、
  最近はどんどん若返りが図られている楽しいコンペなのである。
  大槻幸雄さんをはじめカワサキのレースに関わった方も多いので、
  清原明彦さんをはじめ有名ライダーたちも名を連ねている。


  


 私も殆ど出席してるので、
 Z1会と写真検索するとこんなに沢山の写真が現れる。
 



 ★今回のコンペも、このようなメンバーで6組のコンペなのだが、
  私は今では最高齢である。
  若い元気な方も多いので、降雨でも決行と言うことになるかも知れぬが、
  残念ながら、91歳は雨のゴルフは無理も出来ないので、
  不参加にしようと思っている。




  ゴルフ場は家から15分と近いので
  一応現場までは行こうと思っているが、どんなことになるのだろう。


  
  
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4月、春だな

2024-04-02 06:05:23 | 発想$感想

★4月になった。
 世の中は新しい年度の始まりである。
 NHKの各番組も新メンバーに変わった。
 最近は『エイプリル・フール』などは言われなくなってしまった。

 こんなのはもう旧いのかな。
 世の中は変わっても、自然は毎年同じ動きを繰り返す。
 この三木辺りでは、桜はもう2,3日という感じだが、

  


 
 北国の春で歌われた「こぶし」はもう終わりに近い。


  

 
  
  変わって、今真っ盛りは「ユキヤナギ」である。





 「ユキヤナギ」の名前を度忘れして、
 思い出すのに苦労した。
 こんなことが日常茶飯事である。




 花壇に植えられたパンジーも花開いた。
 これは今からが盛りになる。

  



 いまからと言えば「ヤマつつじ
 咲きだしたところである。
 山に自生する山つつじ、『オオムラサキ』と言うらしい


  



  これが満開になると『春爛漫』と言う季節になる。
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FX400と私とカワサキ

2024-04-01 06:21:18 | カワサキ単車の昔話

★最近はネットのニュースにカワサキが登場する機会が多い。
 昨日もこんなFX400の柏秀樹さんの記事が載っていた。

空冷DOHC4気筒400ccバイクの中でもっとも威風堂々としていたバイク、といえば1979年登場のカワサキZ400FXです。
Z400FXは当時、最先端のデザイントレンドというべき角張ったカフェレーサースタイルを導入しながら、同時に見た目の大きさが際立っていたことです。
と柏秀樹さんに紹介されているFX400は、

  


 空冷4ストローク並列4気筒DOHC 399cc 、43ps/9500rpm で
 当時の販売価格は38万5000円でした。

★1979年当時は、実はカワサキにとっては大変な時期だったのである。
 1977年以降のアメリカ市場はHY戦争が日本からアメリカまで飛び火して、
 カワサキもその乱売合戦に巻き込まれてアメリカのKMCは毎年100億円を超える赤字の連続で、日本の事業本部も赤字になって、川崎重工業の本社財務部門が救済に当たっていたような時期だったのである。
 
 国内のカワサキオートバイ販売は、アメリカのダンピング問題もあって、
 そのままの体制ではカワサキだけがダンピングに引っかかるということで、
 従来の社長以下の大きな本社をなくして、ホントに小さな体制にしたのだが、
 そのTOPをまだ新米課長だった私が引き受けることになったのである。

★それが1979年なのだが、
 何も解らぬままカワサキオートバイの常務として全軍の旗を振っていたのだが、
 この年に登場したのがFX400で、何もしないのにどんどん売れるものだから、販売会社にあった10億近い赤字を消去して、
 カワサキオートバイ販売は優良会社に変身したのである。

 そう言う意味で、二輪事業は一つのヒット商品で様子が一変するのである。

  


 カワサキにとっての最初のヒット商品は、あのZ1/Z2と言っていいのだが、
 国内市場では750㏄の市場はそんなに大きくなかったのだが、
 この400ccの市場は750㏄とは違って、非常に大きかったから、
 カワサキの販売会社の状況が一変してしまったのである。

 
★ ただ抜群によかったのは国内市場だけで、
 アメリカ市場をはじめ海外市場は苦戦の連続だったのだが、
 国内市場の販売のノウハウをと私は単車事業本部の企画部に移籍することになるのだが、
 そんなことが私のその後の経歴にも大いにいい影響を与えてくれるのだが、そのきっかけを作ってくれたのがこのFX400なのである。

 この車がきっかけで、その後のNinjaに繋がり
 さらにはZEPHREに繋がっていくのだが、
 そのベースにあったのはFX400で、これは私にとってもカワサキの二輪事業にとっても多大の好影響を与えてくれた車だと言っていいのである。

 そんなFX400だが、確かに今見てもなかなかカッコいい。
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